またいつか
「ごちそうさまでしたー」
料理もデザートも尽き、誰からともなく席を立った食事会は終わりを告げた。
レシッドたちはこれで本当にお別れ。テレーズの体調を慮り、明日四人一緒にこの街を発つという。
扉を開けて外に出る。
初夏ともいえないもはや夏。温い空気が僕たちの顔を叩いた。
「なんというか、騒々しい慰労会だったねぇ」
「本当にごめん。大体僕のせいで」
「あはは、楽しかったからいいじゃん」
「そうそう。 どうせあの後ただ解散するだけだったっしょ」
外へと出て、店の前でなんとなく皆を見送った僕たちは、並んで通りを眺める。
しかし、本当に申し訳ない。僕も押しかけられた側とはいえ、彼らからすれば邪魔者を呼び込んだ痴れ者だ。
そう思い謝るが、二人は気にしてないと笑っていた。……モスクは笑ってないな。
「……あん?」
「……?」
モスクの声にその視線を辿り、ふと店の入り口を見れば、何かが置いてあった。
何か、というものでもない。
「花?」
「ですね」
入り口横に立てかけてあったのは、ごく小さい五本だけ括った花束。拾い上げて見れば、これは……麝香連理草と、日々草?
「誰にですかね?」
店への嫌がらせ、というわけではあるまい。仮にそうだとしたら、流石にこの世界でも花を置くのは弔事ということもあり、普通に悪意が見て取れる。
だがまた、そうではない根拠もすぐに見つけた。花束に添えられていた小さな紙片に。
『またいつか』
知らぬ振りでもなく誰のだかは本当にわからないが、どこかで見たことがある筆跡。
短い文章。一言だけ添えられた伝言。そもそも誰かからすらわからない贈り物。
「お前にじゃねえの?」
モスクが言うが、流石に僕は頷けない。宛先がない以上、僕以外の可能性は全く消えない。
僕は持った花束を掲げて軽く振る。
「アリエル様宛だった可能性もあるよ」
それにこの三人以外の可能性もある。誰から誰へもわからない、意図もわからない贈り物。
とりあえず危険はないだろう。僕は匂いを軽く吸い確認するが、刃物などの触れると危険なものもなし、薬などもなし。……一応日々草には毒があるので、口に入れてはいけないけれど。
ならば店にでも生けておいてもらえばいいだろうか。
「なんだろうね」
ふと、リコが少しだけ屈むように上体を折り曲げて花を覗き込む。楽しげに。ほんの僅かに上気した頬を吊り上げて。
「日々草は友情とか? 麝香連理草は……なんだろ、楽しい思い出とか?」
「……別れという意味もありましたね」
思わず軽口のように僕は口を挟む。そして、言ってから軽く後悔する。たしか麝香連理草には形からそういう意味もあったはずだが。
……後悔し、そしていい機会だ、と思った。
まだ彼らには言っていないこと。言う機会もなく何故だか言いづらかったが、ここで、この流れなら。
夜空を見上げれば、月。それと雲が流れて星を隠す。
「そういえば言ってませんでしたけど、二人に報告が」
「何?」
嬉しい報告ではない、ということを感じ取ったのだろうか。二人が僕に注目する。僕はそれに怯まないよう、喉に力を入れた。
「実は、もう会えないかもしれない」
もちろんそれも、かもしれない、だ。
僕が忍んでくればいいし、僕の住んでいるところに二人を呼べば問題もないし。
そんな小さなこと、と僕の内心を誤魔化してきたが。
だが、二人の反応で、やはり間違っていたか、と思った。
二人が顔を固めた。どこか嬉しい反面、申し訳なくもやはり思う。
「少し前に王都に行ったとき、僕は少し王様と喧嘩して」
「喧嘩って」
「そのせいで、エッセンから追放された。戦後二度とこの国の土地を踏むなって」
あちゃあ、とモスクが額に手を当てる。
リコはまだ、『喧嘩?』と戸惑っているように見えたが。
「〈奇跡〉のカラス様を追放かよ。あれか、この前言ってた、王女様がらみの」
僕は頷く。モスクには、ミルラ王女のことは簡単に話したはずだ。僕がこの戦争に参加する経緯を話した際、ついでに。
「待って? 二人だけで納得しないで? 色々と追いつかないんだけど?」
「政治の話です。僕を戦争に参加させた王女殿下に功績を渡したくない王様が、その功績をなかったことにするために、戦功を立てた僕を罰して追放しようとした」
言葉足らずだとも思うが、そういう理解で間違いではあるまい。
「一応アリエル様の取りなしで、なかったことに出来たんだけど……」
「だけど?」
「なかったことにするために、反抗したことを謝れって言われたから、断ってきた」
二人は揃って呆れたように口をぽかんと開く。
「え? 馬鹿?」
「反抗って何やったの?」
「ちょっと聖騎士団長とか聖教会の僧兵が捕まえに来たから抵抗しただけ」
ひゅう、と風が吹いた気がする。
それくらい、一瞬三人の間に沈黙が流れる。
呆れてるのだろうか、それとも何か怒っているのだろうか。僕は二人の機微がまだ少し読み取れず、誤魔化すように鼻で笑った。
「公式発表があるかはわからないけれど、そんな感じ。明日にはもうイラインを出るよ。この国に残ってたら叩き出されちゃうから」
まあそこまではしないだろうし、そうしたくない、という思惑もあるのではないだろうかと思うのだが。
「……。……ええと、それは、大問題じゃないの? っていうか、大問題だよね?」
「僕はどこでも暮らせるから、そうでもない」
瞬きを繰り返しつつリコが言うが、それを僕は軽く否定する。
本当に、それは今僕にとっては問題ではないのだ。僕以外にとって問題になるだけで。
「いやそういうんじゃなくてさ!!」
「ま-、お前なら国相手でもそう言うわな」
慌ててくれているリコの横で、けらけらとモスクは笑う。
二人から感じられる心配と信頼。それは、きっと僕にとって尊い何かなのだろう、と思った。
そして。
「それともう一つ、今度は僕にとっていい知らせなんだけど」
「何だよ」
「僕、結婚することになりまして」
「……は?」
言葉を失うように、二人は目を丸くする。
だが一瞬の後に、氷が溶けるように二人は動き出した。
「おめでとう……え? いつ? 誰と?」
「雇い主の娘さんってところ、時期は……折を見て、かな」
モスクの質問には端的に答える。
彼らに紹介をしなくていいのだろうか、と思うが、どうだろう。本人がいないところで、どれだけ言葉を尽くしても仕方のないことだとも思うけれども。
「だから明日中には、僕はとりあえずエッセン領から彼女と出る。どこかで腰を落ち着けたら探索ギルドでも通じて手紙送るよ。そういうことで」
とりあえずの行き先は、……どうしよう。そこからまず決めなければいけないだろうか。
一番近い国境は、ネルグ内、ムジカルとの境だけど。ライプニッツ領を抜けてミーティアまで出るのは騎獣で明日中は厳しい。そこまで『戦後追放』という名目にこだわることもないと思うが、これも意地だ。
「……いいなぁ」
ぽつりとリコが呟く。
「またどこかに行くんだね、カラス君は」
そのどこか自嘲するような笑みは、どこへ向けられた嘲りなのだろうか。
「一緒に行きますか?」
誰が誰の言葉を待っていたのかもわからない。しかし生じた全員の、ほんの一瞬の沈黙を、僕は精一杯の冗談で打ち消す。
リコがこの街をすぐに出ていけないことは知っている。出ていくことも出来ると思うが、彼女もここで働き生活している以上、たとえば明日すぐにこの街を出る、ということなど出来はしまい。
それに多分、僕についてきたいと思っているわけでもあるまい。
噴き出すように小さく笑って、リコは首を横に振る。
「……俺は、なんだろう、そういえば、どっか行こうなんて思ったこともないや」
「いずれは王都の仕立屋で、とか前言ってませんでしたか?」
「言ったっけ?」
「言ってなかったっけ?」
モスクの方を見て僕は尋ねる。だがモスクが気まずそうに目を逸らしたので、多分言っていなかったのだろう。
僕は咳払いをするように唾を飲んだ。
「王都のヴィーンハート侯爵家。ご令嬢が、リコの作る服にご執心だったよ。お茶会の度に自慢してるって」
「まじか」
先ほど無視したことを誤魔化すように、モスクが大袈裟に驚いてみせる。
反対にリコは、うんざりするように溜め息をついた。
「あー……なんか、手紙でその名前見たことある気がする」
「だから行こうと思えばリコもこんな街すぐに出ていけるって」
「…………うん」
頷いたリコの顔は、少しだけ落ち込んで見える。
僕も言ってから、嫌なことを言った、と少し思った。出ていく先がこんな国なのが僕にとっては少し抵抗がある。思えばカンパネラもこの外套を褒めていたので、そちらを勧めてもよかったかもしれない。
リコは一瞬唇を噛むようにして、何度も首を縦に振るように頷いた。
「ごめん、何で俺励まされてんだろ? おめでとう!!」
それから、バンと勢いよく僕の背中を叩く。先ほどモスクがテレーズにされていたように、力強さに口から空気が漏れる。
「式とか上げるんでしょ? なら、俺に二人の衣装作らせてよ!! いつどこでも、呼ばれたら俺行くから!!」
「ええまあ、その時はお願いします」
「任せてよ。友達じゃんか」
彼女に任せられるなら心強い。僕が知る中で一番の腕を持つ仕立屋。お仕着せのものやルルの好みもあるだろうが、彼女なら……いや一人では大変だと思うので、彼女がいる店への依頼になるだろうけれども。
「……でもそうなったら、行き来の旅費はお願いね」
「俺の分もな」
ついでのようにモスクも口を挟む。
「わかりました」と僕が言えば、二人ともが笑っていた。
出発の日の朝。僕はルルとイラインで合流していた。わざわざイラインで合流することはないのに、ここでしたのはルルの要望だ。
アリエル様やサロメたちは街の外に置いた騎獣車で待機。ルルは白いシャツに黒いチョッキ、それに肩掛けの鞄という貴族としては粗末な旅装で、ここまで僕と共に歩いてきた。
市場ではない。ただの交差点。人通りがほんの僅か戻り、食物などの出店もいくつか復活したような活気が戻りつつある街。
ムジカルでは戦争前後に活気溢れる街を見てきたはず。しかしこの街の人間に対しては、しぶといというか、図太い、という印象が出てしまうのは、きっと先入観とか偏見のせいだろう。
すれ違う人が、僕の顔に目を留めて、わざとらしく視線を逸らす。
その視線に少しだけ苛ついてそちらを見れば、逃げるような背中が足早に遠ざかっていった。
僕の斜め前を歩いていたルルが、立ち止まって周囲を見る。
何かを探すように。何かを、自分の記憶と照らし合わせるように。
数歩歩いて立ち止まり、見回してから歩き出す。それを何度も繰り返した後、ついにぴたりとその足を止めた。
「ここ、ですね」
ルルの言葉に驚きはない。
僕はルルが何を探しているのかを聞いているし、僕自身もその探している答えを知っているからだ。
だが、一つ驚きがあるとするならば、ルルが探し出した場所が、僕の記憶と寸分違わないと言うこと。
僕は頷く。
「はい」
「ここから始まったんです。ここから……」
振り返るルルの綺麗な笑み。まるで周囲に水滴が浮いているように光を帯びている気がする。髪の縁が逆光のように、白く光るように彩られて見える。
その笑みは、あの時の泣き顔とあまり重ならないけれども。
ここは、幼い僕とルルが初めて出会った場所。
母とはぐれたルルが泣いていて、僕が思わず声をかけた場所だ。
僕はそっと手を差し出す。
「ではお母様を見つけたところまで行きましょうか。 あの日みたいに手でも繋ぎます?」
「……それはちょっと恥ずかしいというか……」
言いながらも、ルルはちょこんと手を出し、僕の差し出した掌に指先をのせる。
だが、そこまでが限界だったのか、すぐに引っ込めるように背中に手を回した。
「っていうか、手は繋いでませんでしたよね!? 私ちゃんと覚えてますよ!!」
「駄目ですか」
僕は笑って手を下げる。正直思い出してくれて良かった。少しだけ勇気を出してみたが、顔から火を噴くように感じて、……僕の場合は、実際に無意識に噴いたら困る。
ルルも顔を赤くしてそっぽをむく。
僕はその仕草が可笑しくてもう一度笑い、ふと一番街の方向を向く。高い塔、白骨塔と呼ばれる一番街の墓地。
あの時もこれを見つめた。去って行くルルとその母親の背中を見送りながら。
今日僕はその塔に見送られる側だ。去って行くのは、ルルと僕。その背中をあの塔が見ている。
周りを見れば、視界の中、あの時とは違う高さの人間たち。
あの時は僕もルルも小さくて、周りにいた人間たちがもっと巨大に見えていたけれど。
今日僕はこの街を出ていく。
仲の良い人間が暮らす大嫌いなこの街を、大好きな人間と共に。
斜めがけの鞄を揺らし、ルルが道の奥を指し示す。
「カラス様、行きましょう。たしか、こっちでしたよね」
「はい。ストナさんを探してうろうろしたので、少し遠回りになりましたけど」
大嫌いな街なのに、大好きな人の思い出がある。
それが悔しくて。
ならばもっと別の場所で、思い出を作ろう。
僕はそう決めた。
最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ




