最後の夜に
「乾杯」
木の杯を掲げ、僕たち三人は声を揃える。急な誘いだが、二人とも来てくれたのは嬉しいことだ。
僕の横で、自棄にでもなったように勢いよくモスクが液体を喉に流し込む。僕の手元にもあるそれは、薄められているのでわかりづらいが李の酒だろう。
「明日の仕事に差し支えますよ」
「酒飲むときにそんなもん気にすんなって」
眼鏡の奥の目を喜びで曲げ、杯を半分以上空けてからモスクが唇を離す。
「明日からもまだ仕事があるの?」
「ありませんよ。いや、あるんすけど、もう無いも同然っすよ」
向かいに座るリコの問いにも楽しげに返し、お通しの川魚のつみれに三叉を刺した。
リコにモスク。二人とも仕事終わりだ。昼早くに連絡を取ったのは正解だったらしい。夜に仕事がある二人ではないので、僕の奢りだと言ったら快く集まってくれた。
「もうお代わりですか?」
「うん、ササメちゃんお願い」
もちろんというか、場所はお馴染みの『雪の小さな鍋』だ。
酒場には詳しくない僕が、唯一外れがないと思える酒場。元々そんなに多くはない客席はガランとしており、貸し切りのように僕ら以外の客はいないがそれも本当は仕方ない。
和平がほぼ決まったとはいえ、今はまだ戦時下。満足な材料すら本来手に入らないものなのだから。
そして、本来手に入らないものを手に入れられたのは、もちろん本来の通りではないからだ。
「一応食事も出るので、あんまり飲み進めちゃ駄目ですよ」
静かに酒の杯を置いたササメの言葉に頷きつつも、出てきた酒をモスクが勢いよく飲む。
ただ酒の匂いからは、店主かササメが気を遣ってくれたのだろう、少し水で薄めているような感触がした。
「いやあ、お前に誘われたときはこんな急で大丈夫かって思ったけど、金持ち様様だな」
「本当、結構無理したんじゃない?」
「そうでもないと思いますけど」
僕も喉を湿らせる程度に酒を口に含み、口の中で発酵した果汁を転がす。
やはり李……だと思う。どこかで梨の雰囲気もあるかもしれない。
「僕は金だけ渡しただけなので、どっちかというと店主さんの人徳じゃないかな」
ちらりと目をやると、厨房の方ではなんとなく忙しそうな気配がしていた。同時に香るのはおそらく大量の材料を煮込んで作るコンソメのようなスープ……でもないだろうか。なんとなく乾物の匂いが混じっている気がする。
「仕入れは大変だっただろうけど」
しかし正体こそわからないまでも、とにかく大量の材料が使われていることはわかる。
だがこの戦時下ではやはりそれを集めるのは大変だっただろう。もしくは、市場のほうで顔が利かなければ、それこそ無理だ。
僕は簡単なことしかしていない。
調印式に向かう前、レシッドに多めに金を握らせて頼んでおいただけだ。『雪の小さな鍋の店主を見つけて、資金を渡し、すぐにでも店を開けるようにしておいてくれ』と。
元々モスクの話ではこの店を閉めてはいなかったようだが、それでも念のための話。
だがこれも、僕にしては珍しく先手を取って動けたという話ではないだろうか。調印式後にすぐにこの慰労会が開けるよう、店にとっては急な話にならないように。
「本当、お父さんも駆けずり回ってましたよぉ?」
話に入ってきたササメは、そのついでのように僕たちの前に小さな皿を置く。
何か赤っぽい白身らしき魚の刺身と……内臓だろうか? どろんとした黒い塊。それに、白い薄切り肉。
刺身の方は、妙にてかりがある。内臓の方は、黒い色は多分元からで調味料は塩、の他は……?
「え、生?」
僕は興味深げにその皿を見ていたが、リコはそれを見て少々眉を顰める。
その言葉にようやく気付いたが、そういえばエッセンでは、魚を生で食べる習慣はない。
「ちゃんとお腹壊さないようにしてますよっ」
けらけらと、ササメはリコの疑問を笑い飛ばす。
「せっかくカラスさんもいるんですし、たまにはエッセンの人たちが見慣れないものもいいかなってお父さんが」
「ああ、すまんね。もし食べられないなら残してくれていいから」
僕たちの声が聞こえたのだろう。厨房から、顔を半分覗かせて店主が言う。その手は鍋を持ったままだろう、厨房の奥に引っ込めたまま。
「お兄さんはリドニックで食べてこなかったんですか?」
「……食べてませんね」
何だろう、これは。
ササメに答えつつ、僕は三叉で刺身を刺して持ち上げる。
もちろん僕はリドニックで魚の刺身など食べていない。あの国で食べたのは、煮込み料理がほとんど。更に酸味と油の味が強調されており、少ない量でも食べた気になりカロリーまで補うようになっているようなもの。
王城でマリーヤから饗応を受けたときには、そうでもなかったが。
しかしこういうものは食べてはいない……が、見覚えはある。
持ち上げた刺身は固く、一口大の短冊形でしかし端が垂れるようなこともない。
……そうか、これは。
「凍ってますね。たしかにこれだとお腹は壊さないかもしれません」
これはおそらく鮭ではないが、たしか前世でも似たようなものは鮭で作っていたと思う。
長時間冷凍し、寄生虫を殺した刺身。何度か食べた気はする。まあこれはおそらくその前に、鳥の脂に漬けているようだが。
「食べれるの? これ」
「大丈夫だと思いま……思う。心配なら虫下しを用意するけど」
口に運べば、まず柔らかい氷を口に含んだ感じ。それから噛めば氷は溶けて、脂を吸い込んだ刺身が顔を出す。
なるほど。味つけは塩だけのようだが、どっしりとした脂と魚の味がする。魚は鱒みたいなものだろうか。
更に、脂を吸わせるときにも半分火は通っていたのかもしれない。見た目も食感もほとんど生だが、生ではない、という気もする。
僕が食べるのを見て、リコも恐る恐る、と口に含んだ。
「あ、美味しい」
咀嚼中の刺身を片頬に寄せ、口元を抑えてリコは目を輝かせる。
凍らせた料理というのは彼女らにとっても不思議な感触だろう。
ここエッセン……というかイラインでは、寒くなっても野外で物が凍ることはない。流石にミールマンまで行けばそうでもないが、池に氷が張ることすらほぼないはずだ。
酒場などでは酒に氷を浮かべて提供することもあるので、氷を口に含んだことくらいはあるかもしれないが。
「リドニックでは食べませんでしたが、やっぱりたしかにリドニック料理ですね」
「そうなん? 俺は冬のミールマンで食べた感じがする」
「味付けがそうで……だよ」
そしてやはり、感じるのは脂の旨み。脂煮とまではいかないが、油を吸わせているからだろう。この世界では食べたことのない、いわゆる『トロ』に近い味がする。
「こっちなんてまさにそうじゃないかな?」
そして、もう一つ、皿に乗っている白い薄切り肉を三叉で持ち上げて僕は示す。
薔薇の細工のように巻かれた薄切り肉。こちらはまさに『そう』だろう。
この一皿には三品が乗っているが、おそらくこれだけは魚ではなく肉だ。それも豚肉。
ただし、白い色をしているのは肉の色ではない。
「似たようなものを食べた気がするよ。あの時は雪海豚の脂だったけど」
雪海豚の三枚肉。その脂煮。あの時と同じ感触だ。
白い薄切り肉といったが、それは正確ではない。正確には、豚の脂身だけ、だ。おそらく製造工程からして、脂身だけを塩漬けにしたものではないだろうか。
「なんというか、強いお酒に合いそう」
うん、と何かに同意してリコは塩漬け肉を囓る。こちらは口に合わなかったのか、褒めることも表情を緩めることもなかったが。
「ミールマンも近いから、似たような料理があるのかもしれないね」
「まあ……俺が食ってたのは、料理じゃないんだけどな」
「…………ああ、うん」
そしてモスクが食べつつ口にした言葉に、僕は曖昧に頷いた。
モスクが食べたのは、自然に凍った魚か。その食べた場所までは、僕らも似たような境遇の三人とはいえ今追及すべきではないことなんだと思う。多分川とかじゃない。
「この黒いのは……」
最後に、と僕は黒い塊を三叉で掬う。
一口大、というか一口分しかないもの。昔見た塩辛、が見た目としては近いだろうか。感触としては、でれん、とした感じ。多分魚の内臓だろう。それも塩漬けで。
「血合いですか?」
「内臓だな」
モスクが頬張り、咀嚼して述べる。やはり内臓か。
それから、首を傾げるようにモスクは口の中で噛み砕きつつ何かを思案する。
「でも何だこれ? 生だけど、これも食えるんだよな?」
「食べられないものは出さないと思うけど」
僕も食べてみる……が、魚の味がする、という以外ははっきりとしたことが言えない。発酵したような匂いもするので、それなりの時間漬けているのだろうが。
噛み砕くと血のような、やはり見た目や触ったときの印象と同じどろんとした液体のようなものに変わる。生臭いわけでもないし、嫌な匂いはしないのだけれども。
味は、……濃い塩味、というのが僕の感想だ。
「それあたしも味見させてもらいましたけど、やっぱりこっちの魚で作ると駄目なんですかねぇ」
ササメが空のお盆をパタパタと上下させつつ、僕に向けて言う。
「やっぱり何か違うんですか?」
「そりゃもう、お兄さん、全然ですよっ。それ鱒の背骨周りの内臓を使って作るんですけど、リドニックにいたときに使ってた鱒よりも一回り小さいのしか手に入らなかったですし、脂も乗ってないしで全然駄目」
「手厳しいな。大分近い出来だと思ったんだけど」
溜め息をつきながら、ササメが首を横に振る。
その言葉に応えるよう、店主が笑いながら後ろから現れる。
「やっぱりエッセンの人の口には合わないかい?」
「どちらかというと、珍味って感じですからね」
うーん、と言葉を選びつつ、リコが答えた。
リコからしても、この中では凍った刺身だけしか口に合わなかったようだけども。
「僕は麺麭に乗せて食べたいです」
「そうかなぁ……」
僕の提案には、リコはやはり渋い顔をする。
しかし日本でも似たような物はどこかで食べた覚えがあるし、万人に受け入れられないものではあるまい。これはきっと好みの問題だろう。
「それでさあ、お前、イラインに来る度に騒ぎ起こすのやめた方がいいと思うぞ」
「今回は僕のせいじゃないと言いたい」
まだ前菜が終わり、スープを飲んでいる辺り。コース料理としたら最初の方のはずが、眼鏡の奥の目が既にトロンとしているモスク。そのモスクが、酒の杯を勢いよく置いて、僕の顔を覗き込むように見る。
スープは先ほどから香っていたコンソメのようなものだろう。しかしコンソメとは違い、おそらく大量の乾物を使って煮出したスープではないだろうか。
中には小さい牡蠣が浮かび、これも乾物の戻しだと思う、歯ごたえが強い。
もちもちとした食感の牡蠣を噛み砕きながら、僕は渋い顔を作る。
「だって、アリエル様たちが折角やってくれたものだし」
「あれはやりすぎだろうがよ。治療師なんか泣いてる奴もいたんだぞ」
「いいなぁ、俺も見たかったなぁ」
絡まれている僕を、リコは笑った。
モスクの話が指している『騒ぎ』が何かはわかっている。
今回のは、僕が誰かと喧嘩したとかそういうことではない。ただ、騎獣車のイラインへの乗り入れが派手だった、というだけの話だ。
イラインの南側、そこには今日の陽が落ちるまで一筋の道が掛かっていた。
掛かっていた、というのはそれは地面にある『道』ではないからだ。
それは、地形を無視した支えのない架け橋。調印式を行った街から、数百里は離れたこの街へ向けた、一筋の天空を走る道。
聖典曰く、アウラの海を越えたる陽光の橋。先代勇者の旅の際、アリエル様とドゥミが陽光を編んで作り上げたという逸話のままに、あの街から上空を通り一直線にこのイラインへと辿り着くよう作られた道だった。
見た目は金色の毛足の長い絨毯。柄はないが、金の他に青や黄、赤などの細かい色が混じる。踏み心地はさらさらとした手入れされた長い犬の毛のようなもの。
妙に温かく、光も発する。立っているとじんわりと下から熱せられるような感覚も覚えたが、常にその上ではそよ風が吹いているようでそんなに気にはならなかった。
騎獣車四台分ほどの横幅で、落ちる心配などほとんどない。そんな空に架かった絨毯の道を、僕たちは騎獣車に乗って帰ってきた。
僕やアリエル様、それに伴いテレーズたち。建築中の噂を聞いたクロードも、ギョロ目を乗せた騎獣車でほぼ一緒に。
結果、三日かかった旅程は短縮され、半日ほどに。
そしてイラインへの到着は、予定していたものよりも派手なものとなった。
何しろ目立つ。大きな虹が街の外に架かった程度には。
「俺もよく知らないけど、聖典に載ってる奇跡なんでしょ? それ」
「治療師たちは平伏して迎えてくれましたよ」
モスクの言うとおり、泣いて喜んでいる治療師も大勢いた。まあそれは気持ちはわからないが理解は出来なくもない。彼らにとっては、それこそ神に近い聖人が起こした奇跡なのだ。
僕も信じていないが仮に前世の感覚で言うと、一欠片のパンを割いて大勢の人間の腹を満たした、というようなことを目の当たりにしたようなものになるのではないだろうか。
「またちょっとした有名人になってるぜお前。戦争で活躍しただけじゃなくて? アリエル様の子供で? 人を生き返らせて? 奇跡の橋に乗ってこの街に来たって?」
あーん? と、ジト目で責めるようにしつつ、モスクが酒臭い息を吐く。
「もうそこまで広まってるんだ」
戦争でのことはまあ知っている。奇跡の橋に乗ってきた、というのも否応なく。
しかし、アリエル様のことと、蘇生のことも、というのはどういうことだろう。
「広まらねえわけねえじゃん。ついでにお前に傷を治してもらったって奴とか、全部嘘だろって喚く奴とか、今日だけで何人も見たよ」
「へえ」
だが、疑問はモスクの言葉で一瞬で晴れた。僕の邪推もあるだろうが。
蘇生というか、テレーズの蘇生処置は衆人環視の中で行ったので、確かに情報として出回るかもしれない。
だが多分、広まった理由は、単なる売名だろう。僕ではない誰かの。
「結局、全部本当なの?」
「生き返らせたわけではないのでそれはちょっと違うと思いますけど、それ以外は本当かもしれません」
「曖昧だな」
「活躍したと胸張って言えるかどうかちょっとわからないから」
王の話では、僕は二万の兵を討ったという。
だが僕自身数えていないし、認識としてはそれくらい討っていてもおかしくはない、くらいだ。
僕個人で討った五英将も一人だけ。……いやまあ、それだけでも大活躍といっていいのだろうが。
……うん、間違えた。
自信なさげにここで謙遜するのは、きっと恥だ。
僕ではない、彼女の。
「王都で謁見した王様曰くでは、一番の活躍だったらしいけど」
「お前それなんか嫌み混じってんな?」
僕はモスクの言葉に、含み笑いで是と答える。ただ、嫌みはこの二人に向けてではもちろんないけれども。
言いつつ僕の頬が緩むのも仕方ない。僕は最後の牡蠣を、三叉で突き刺し口に運んだ。美味しい。
もちろん、話は僕の話だけでは終わらない。
この三人の中で、戦争で話題になったのはおそらく僕が一番だが、働いたのは僕よりもむしろ彼らだ。
「あの縄張りしたの全部モスク君でしょ?」
「そうなんすよ、いや、全部じゃないんすけどね」
モスクが、指で机をトコトコと叩いて示す。森と、街と、それに準備をしていた防衛陣地の位置関係を。
「この街の周りって思いっきり平地じゃないっすかー。隘路はないし、まず森から出てきた奴らがどっからくるのかわかんないから監視塔が必要だしー。なのに、お偉い馬鹿さんから出てきた指示だとよくわかんないところに建てなくちゃいけないしー」
何度も溜め息をつきながら、モスクはしみじみとその自分の指を視線で辿る。
「結局、責任者を通じて、聖騎士の方に話を通して、いやここじゃ駄目だからって何度伝えても、指示通り作れとしか言われなくてー」
イライラとするように、机を強く指で突く。
既に酔っているせいで曖昧だが、あれだろう。要はモスクの提案が常に蹴り続けられたというところだろう。
それは半分仕方のないことだとも思う。よくわからないが、その監視塔の場所とやらを決めたのも専門家なのだろうし、建築関係は任せられても、それ以外はモスクには任せられないという判断で。
僕は李の酒を一口含む。甘いが、何度も飲むと酸味が勝つ。
「馬鹿どもちゃんと考えろって、俺の方が……って怒ってももう終わりなんでどうでもいいっすね! お疲れ様でしたー!」
そしてまだ続きそうだった恨み言を切り、明るくモスクは言って酒の杯を掲げる。
ちょっと心配になってくるくらいだ。飲み過ぎだろう。
「ササメさん」
「はいはい! 可愛い店の看板娘っ! 私ですけどなにか!!」
「……潰れちゃいそうなんで、料理急げます?」
「はーい、今お持ちしまーす」
急ぎ駆け寄ってきたササメに、耳打ちをするように忍んで声をかける。ササメが机から離れたのは、指し示したモスクが勢いよく酒を飲み終わり、机に置くのとほぼ同時だった。
「……人気あるんだよね、明るいし」
そのササメの背を見送り、リコがぽつりと口にする。リコがそのような言葉を口にすることを意外に思いつつも、僕は静かに頷いた。
「でしょうね」
そしてまあ、僕としても理解できる。
悪くない容姿に、人好きのする態度。悪く言えば馴れ馴れしいが、よく言えば親しみやすい態度は鬱陶しいと思うわけでもない性格であれば好ましく感じるのだろう。
更にここは人気のある酒場。多くの人間がここを訪れる。好ましいと思う人間と好ましくないと思う人間、そのどちらの目にも多く晒されれば、比率は関係なく好ましいと思う人間の数は増えていく。
「カラス君もそろそろ人気出てくるんじゃない? これだけ有名になってるんだから」
「僕はこの街ではちょっと難しいですね」
「馬鹿ばっかだもんな」
「そこまでは言いませんけど、……」
まあ多分、この街にいればまだ喧嘩を売ってくる人間はいるのではないだろうかと思う。まさかそんなことはない、と思いたいところだけれども、この街の人間は悪い意味で僕の想像を超えてくるというのは経験済みだ。
「人気が出てもあまり嬉しくはないですし」
それで煩わしくなるのなら。
僕たちの前に置かれたのは、……本当に子豚だった。
「はい、じゃあこれがご注文の丸ごと子豚の飴炙りでっす。食べ方のご説明しますねー」
先に運ばれてきた皿には、葱や茄子、蕪などが生で細切りに盛られている。そしてそれと、小麦の多分既に蒸された薄い皮。
「これをね、ペリペリッと剥いて……」
そして主菜の子豚は、本当に子豚だ。
いや、生きている子豚とかそういう意味ではない。毛も剃られ、質感も生き物よりも肉に近付いている。
だがその形は丸のまま、といえばいいだろうか。
広げるためと内臓を出すために腹は割かれたようだ。
だがそれ以外は、『豚』の形のまま。頭は落とさず、手足の先だけは切り取られていた状態で、四肢をだらりと伸ばして俯せに皿に乗った豚。毛が剃られた皮は、おそらく水飴を塗られて炙られたのだろう、まんべんなく均一に赤褐色に染まっている。
ササメが手を伸ばしたのは、その背中側。格子状に切れ込みの入った背中の皮を、切れ込みを境に剥がし取り、小麦の皮に乗せる。
「これは元は王城の料理だったらしいでっす。庶民の口には入らない王侯貴族の味!」
「へー」
「たれはお好みでどうぞ-。ちなみに私はつけません」
そしてまたその上に野菜類を方向を揃えて乗せて、皮をくるりと巻いて閉じた。
「でー、これを、そのままパクッと」
中の具を落とさぬように。
ササメはそれを自然な仕草で自分の口に運んだ。
音を立てずに咀嚼し、しなを作るように手を頬に添える。満面の笑みで。
「やっぱり美味しーい」
「何で客の料理を食べてるんですか」
「私も頂いてもいいですかっ?」
「先に聞くべきだしそういう店じゃないでしょ」
呆れるようにリコが呟くが、ササメは「まあまあ」と手をひらひらと動かした。
「これも私の気遣いですよ。一つ余るじゃないですか」
「余る数違くね?」
豚の背中の格子の数を数えて、モスクが言う。
僕も数えるが、四かける五で、二十個の餅が出来る計算。
モスクの言葉にササメが指折り数えてから「あっ」と小さな声を上げた。
「……お取り分けしまっす。元から余りは回収されるやつなんですこれ」
それから何事もなかったかのように、笑顔でササメは皮を僕たちの前に置かれた小皿に置いていく。
一人当たり六枚の皮。小麦の皮の数は合わなくなるが、それはいいのだろうか。
宴席料理の『見栄え担当』らしく、皮を剥がれた子豚もそのまま回収されてゆく。肉もついたままで、それは賄いか、それとも他の料理にでも使われるのだろう。
「紛らわしいことするんじゃない」
「痛っ!!」
厨房の方で、ササメの頭が店主の拳で軽く叩かれた音がした。
「お、やってるな」
僕たちが香ばしい豚皮を楽しんでいると、ガラン、とドアベルが鳴る。
そして開くと同時に現れたのは、長く青い髪を後ろでまとめた偉丈夫。
「やあ、カラス殿。それにモスク殿とやら。……そちらの方は初めましてだな」
「いらっしゃいませ」
ササメが挨拶をするのに手だけでクロードは応え、扉を開けたまま僕らの方を向く。
「慰労会をやっていると聞いて馳せ参じた。飛び入り参加は構わないか?」
「……構います。お帰りください」
そしてその言葉に僕は念動力で扉を閉める。
今日は仲間内での慰労会だ。皆の知り合いだったらまだ考えるが、リコとは初対面ならば考えて欲しい。……という反射的な判断で。
パタン、と閉まった扉の向こうに立ち尽くす人影。
「……えぇ? ……おまえ、馬鹿、あの人貴族だぞ……」
「知ってる」
一瞬遅れて、しくしくと泣き真似が聞こえてきたのは、気のせいであってほしかった。




