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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
年老いた国と若者たち

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些事




 気取らず優雅にグラーヴェは歩を進める。

 見た目は一人、ただ二人。

 竹皮のようなもので編まれた草履が微かな音を立てていた。


「何故お前が……」

「お前?」


 だが椅子の脇に立ったところでギョロ目が呟いた困惑の声に、グラーヴェはぴたりと動きを止めた。

 切れ長の目をまた細め、可笑しそうに微笑みながら。

「ほう、貴様は余にそのような口を利ける立場だったか。名を聞こう」

「……ニャウリ・セイヴァリ・シダウッド」

「さて知らん名だ」

 ごくりと緊張の唾を飲んで答えたギョロ目。グラーヴェはそれでも楽しそうに笑い飛ばした。

 その様子を苛立つように見つめて、ギョロ目は咳払いをした。


「調印を始める。座れ」

「……ふむ?」


 笑みを崩さずにグラーヴェは首を傾げ、それから僕たち周囲を一瞥する。

 最後に、まだ立っている彼は、見下ろすように視線だけでギョロ目を見た。


「言葉が違うな。それでは交渉の席に着くに着けぬ」

「何?」

「余はムジカルを背負う王ぞ。国は違えど、貴様も王を頂く国の一員ならば、それ相応の態度があると思うのだが?」

 言い渡すようにグラーヴェはそう言い、ギョロ目の反応を待つ。

 言いがかり、とも一瞬感じたが、彼に関してはそうとも言えないのかもしれない。ともかくとして見ている僕たちにも緊張感が走り、風の音がよく聞こえた。

 ギョロ目はわずかに身じろぎをして、また咳払いをした。

「我が国と貴国は戦争中だ。そのような礼儀など必要なものか」

「ならば余がここで背を向けて去ってもよいというのだな」

 グラーヴェの軽口に近い言葉。ギョロ目はそれを聞いて、机の上で拳を握り苛立ちを見せた。

「戯れ言を。講和を申し込んできたのは貴国ではないか」

「そうだな。そしてミーティアに要請し、この場を整えて頂いたのも余だ」

「言葉に気をつけられよ。ここで決裂すれば……」

「決裂すれば、戦争が再開する。また人が死ぬな?」


 くつくつとグラーヴェが笑う。半分からかっているように。それでも半分、真剣な目で。

「余は構わぬ。余としては平和への姿勢を整えたが、エッセンを背負う貴様が歩み寄らないと言うのであれば、構わぬ。戦おうではないか」

「平和を求めるのは私たちも同じ。いいや、同じではない。貴国の横暴は目に余る。正義の名の下に、平和を求めているのは私たちだ」

「…………」

 机を挟んで睨むように見上げていたギョロ目が言う。

 しかしグラーヴェは一瞬黙り。

「……ハ、ハハハハハッ!」

 そして堪えきれなかったように高らかに笑い声を上げた。


 少しの後笑い声は消え去り、それでも楽しそうな顔だけは残る。

 置かれた椅子の背もたれをどこか艶めかしく撫でつつ、グラーヴェはギョロ目から視線を外した。

「私たち、ではない。余は貴様に問うている。ならば貴様は正義の名の下に、平和を求めて余の前に立っているというのだな?」

「……そうに決まっている」

「それは素晴らしい。ならば、貴様は失敗した。決裂した次第を伝えにこのまま戻るがいい。貴様が、自分の一存で余との交渉を決裂させたと、自分の決断で大勢の人間が死地に戻るのだとダルウッド公爵にでも伝えるといい」


 グラーヴェは振り返る。柵の外を。おそらく森の中を見るように。

「まあそれまでイラインが残っていればの話だ。余がとある合図を送れば、すぐさま戦闘が再開される。イライン近くで待機している者たちも含めてな。クロード・ベルレアンにテレーズ・タレーランも無しに三つの聖騎士団のみで我が国の正規軍を相手出来るといいな」

「我が国にはアリエル様がおられる。そのような脅しなど……」

「たしかに〈大妖精〉アリエル殿や〈頳顔〉がいる以上、精鋭部隊を結集しても、それ以上の進軍は難しいかもしれぬな。余もここで果てるかもしれぬ。しかし、言っただろう? 今まさに滅ぼされんとするイラインやその周辺は、今この場にいる二人で防衛できるか?」

「…………」

「どうした? 選ぶのは貴様だ。成立か? 決裂か? 余としての最大限の譲歩なのだが」




 同じようなものをこの前王城で聞いた気がする。

 一言謝れば全てを不問にする、とどこかの王の言葉で。


 だがあの時の王とは違うのだろう。

 あの時のエッセン王は、心から僕に謝罪を求めていた。一言謝らせて、威信を回復して目的も達成したいのだと、僕ですらその縋るような心が読めた。

 けれども、今目の前にいるグラーヴェは違う。

 本当にどちらでもいいと思っている。もしくは、選ぶわけがないと思っている。間違った選択肢を。


「余も友人相手ならばこのようなことは言わない。しかしここは公的な調印式。余が求めているのは貴様らの法における撞着ない態度だ。簡単だろう? 他国の賓客として、扱うだけだ」

「…………」

 その上で、ギョロ目は自身が分が悪いと思っている。多分。

 逸らした目に、弱々しく結ばれた唇。

 やはりこの男は僕が見てきた典型的なエッセンの人間だ。自分を呼ぶときに、ただ『私』とだけ言えない類いの。

 僕がここまで聞いてあまりグラーヴェの言葉に不快感を覚えなかったのは、多分そこを突いているからだと思う。


「……座っていただきたい。ムジカル王よ」

「いいだろう」


 そして一頻りの悪ふざけに似た威圧で気は済んだらしい。

 弱々しく口にされたギョロ目の言葉に応えて、グラーヴェは自分で椅子を引いて悠々と座る。ごく小さな肘掛けにしな垂れかかり、頬杖をつくようにして。

 足を翻し組めば、裾から覗く艶のある褐色の肌が踊る。



「では代表して、講和の条件を読み上げるでありんす」

 こほん、と咳払いをするようにして、グラーヴェとギョロ目の間にドゥミが五枚の紙を置く。

 ミーティアの技術で作られたのだろう目の粗い紙には、何かの塗料が塗られて補強されているようで所々縮れていた。

 それとは別の紙を片手に持ち、ドゥミはそこから目を離さずに続ける。


「一つ。この調印後、ムジカル、エッセンの両国は戦争状態を解除する。一に付帯し、この解除には軍引き上げのため調印後三日の猶予期間を設け、それ以降の領土上に残る軍の扱いに関しては両国は一切関知しない。二つ、この後二十年の休戦期間を設ける。二に付帯し……」


 読み上げられるのは、僕も大体既知のもの。

 中央に置かれた紙には、どれもまったく同じ文章が書かれていた。


 ごく簡単に言えば、やはり白紙和平に近い。

 捕虜の引き渡しなどは一切無し。どちらかの賠償もなく、両国共に失われたのは人命と資材、それにエッセンは領土を加えるだけ。

 ムジカルの領土は戦後ネルグの森の中、南側中央に走った傷までとなった。ネルグ内の国境は元々曖昧だったが、クラリセンは傷の東側にあったため、やはり少し広がっているのだろう。

 

 僕はその様をぼんやり見つめつつ、なんとなくの感慨にふける。

 これで戦争は終わるのだ。ジグともう一人の聖騎士の死を引き金に、両国の思惑のままに無理矢理引き起こされた戦争。

 何千人と殺したと思う。僕自身も死ぬところだったと思う。

 僕以外の何万人も、最前線では血と泥にまみれて転がり回ってきた戦争が。


 簡単に終わるのだ。

 こんな、数枚の書類に代表者がサインするだけで簡単に。



 読み上げられた条文に皆が頷き、そしてそれぞれサインに入る。

 名前とそれから何かしらの印……たとえばドゥミならば肉球だが……を紙に記していく。初めにグラーヴェとギョロ目が。それからドゥミにマリーヤ、最後に僕たちは代表してアリエル様が。


「これは、……どこの文字でありんすか?」

「ナオミツの世界のよ。ナオミツの国とは違う国だけど」

 アリエル様が紙にへばりつくように覗き込み、小さな指先を筆代わりにして焼き付けるように記していったのは英字の筆記体。僕はそれを見て、ああ、と納得するような感覚になる。

 見覚えがある。『散歩の末に森に迷い込んだ少女と、彼女を救う王子の冒険の記録』……あの題名が長ったらしい本。ルルの一番好きな本の裏表紙の前、見返しに書いてあったあの文字とやはり同じ。写本した人間の癖で、少しだけ変化はしていたようだが。

「あたしだってわかればいいんでしょ?」

「そうざんすが……」

 はあ、と溜め息をつくようにしてドゥミがその紙を回収して確認する。

 確認が済めば、また配布だ。一枚ずつドゥミが机の上、僕たちそれぞれの前に置いていった。


「これで調印は成立でござんす。第三国としてわっちらの者は、約に反しないことを切に願うでござんす」

「人ならば当然のことだ」

「我が国は、正しき法の下、自衛をするのみ」

 

 ドゥミの言葉に応えて、グラーヴェとギョロ目は視線を交わさずに互いに吐き捨てる。

 お互いに噛み合ってもおらず会話ですらないものだが、二人の間にやはり亀裂が入った気がした。いや、今入ったというよりも、元からのものが目に見えたようで。




「どこまでも剛胆で、不遜ですな、ムジカル王」

 調印を交わした二人が立ち上がったが、そこで緊張が途切れたのだろうか。ギョロ目がグラーヴェの横顔に声をかけた。

 油断し口を滑らせたかのように。だが少し、不思議そうに。

「何がだ?」

「このような場に、供も連れずお一人とは。今ならば、ベルレアン卿がその首を取ることも可能だったのに」

「なるほどなるほど。ははは、まあ、貴様らにそのような度胸がない、と思っていたのが半分だ」

 僅かな無礼に、無礼で返した。そんな挑発のような言葉だったが、ギョロ目はどこか気にしない風だった。

 それよりも言葉尻を捉えたことを優先するように、疑問に眉を歪める。

「半分?」

「供は連れているぞ」

「どちらに? どこかに待機させていらっしゃるのか?」

 

 きょろきょろとギョロ目が周囲を見回すが、当然、いないだろう。

 いないというよりも見えないのだろう。見えないというよりも、彼は気付かないのだろう。


「いえ、ずっと、グラーヴェ様の横にいらっしゃいました」


 僕は思わず声を出してしまう。

 だがこの状況、どちらかというとギョロ目には僕は感謝しているくらいだ。

 グラーヴェが現れてからの違和感。このまま立ち去ってくれることはいくらか望んでいたが、しかしこの違和感が晴れないのはとても気持ちが悪い。


「あー、その変な気配はそれか」

 グーゼルが同意する。ぴくりと膝が緊張したのは、おそらくマリーヤをすぐに庇えるような体勢の変更だろう。

 僕の言葉に驚くでもなく嬉しそうに、グラーヴェはこちらを向いた。

「残念だったな。カンパネラ、気付かれていたようだ」

「……元々、何故だかカラス殿には見つかってしまうようです」

 

 グラーヴェの影が、波紋を起こすように揺れる。それからゆらゆらと立ち上がり、人の形を作り上げる。

 半透明だった影が固まるようにして不透明に変じ、それがやはり知った顔に変わった。

「しかし手練れが集まるここの様子では、カラス殿以外も侮れなく」

 ふふ、と笑いながらカンパネラが僕たちを見回す。

 見回されたほうの仕草では……どうやら僕以外も存在には気がついていたようで、驚きは少ないらしい。


「やっぱり。逃げていましたか」

「ええ。危ないところでしたが、運良くアリエル殿降臨よりも早く離脱することが出来ましたので」


 今日は僕の『毒の魔法』対策はしていなかったのだろう。故に息をしていて、故に僕が気付くことが出来た。それ以外では魔力波を通すくらいしか気付けないというのも僕には恐ろしいところだ。

 そして知った顔……ではあるが、どこか違和感がある。

 見つめて気がついた。笑みを浮かべた顔……その左目の瞳孔の収縮がどこかおかしい。形は治っているようだが、見えていないのだろう。あの時僕が潰したまま。


「しかし、ちょうどよかった。カラス殿には是非とも改めてお聞きしておきたいことがありましたのでね」

「なんでしょうか?」

「〈鉄食み〉スヴェンは、首を落とせば死にますか?」


 カンパネラの笑みがスッと消える。表情がなくなり、顔全体に影が差したように。

 僕はその顔に一瞬覚えた恐れのような感情を誤魔化すように、アリエル様の方を向く。

「さて、それはわかりません。僕は死ぬと思いますが、僕よりも詳しい方がいらっしゃるので、……どんな印象ですか?」

「あたし? あ、スヴェンってあいつよね、あのあんたの仲間の」

「そのスヴェンさんは死にそうですか?」

 僕の問いに、何故、と問い返すこともなくアリエル様は腕を組んで考える。心配は無しか。

「……どうかしらねぇ……。首を落とすくらいじゃ無理じゃない? 首と両手両足落として、全部のパーツを三等分くらいにバラさないといけないんじゃないかしら」

「だそうです」

「そうですか」


 アリエル様の言葉に、またカンパネラはパアと顔を明るくした。

 それを聞いても、『面倒』とかそういう感情は見えない。聞いた意図はわかっているけれども。



「そうだ」

 一瞬遅れて、今思い出したかのようにグラーヴェは振り返る。

 視線を向けられたギョロ目はびくりと身体を固めた。

「忘れるところだった。カンパネラ、例の剣を」

「かしこまりました」

 

 カンパネラがしゃがみこみ、自身の影に手を伸ばす。

 何をしているのだろう、と思う頃には影は漆黒に変じていて、そこに突き入れられたカンパネラの手を手首まで飲み込んでいた。

 それから、まるで泥の中から物を引っ張り出すようにして出したのは、一振りの剣。……というよりも、刀で。


「貴国も、証明が出来なければ困るだろう?」

 重たい音と共に机の上に置かれたのは、日本刀に似た拵えの刀。

 柄糸の上から巻かれたように伸びる紐が柄尻から伸び、縛ってまとめられている特徴的な形。

 僕もそれを見て、「ああ」と声なく呻いた。


 ギョロ目はその剣に見覚えがないようで、一瞬首を傾げた。

「これは」

「勇者の持っていた剣だ。彼の勇者は、ここにいるカンパネラの手で討たれている」

「……っ!?」


 ぎ、と金属が擦りあわされる音が鳴る。ギョロ目の後ろ、クロードの握りしめた手甲から。

「勇者は聖獣と鉢合わせ、共にいた第九位聖騎士団を庇い足止めに残るもその先は安否不明。公式には、貴国にはその程度の情報しかないはずだ」

 グラーヴェはクロードを見る。クロードはやるせない表情で、ただ黙ってそれを見返した。

「無論、我が国には不要のものだ。故に返そう」

「礼は言いません」

「それも不要だ。存分に喧伝するがいい。勇者を討ちしムジカルの悪名を。聖教会の綺麗な面に、輝かしい泥を塗って差し上げろ」

「…………」


 苛立つように荒々しく、ギョロ目はその剣を手に取る。

 そして押しつけるようにクロードにそれを握らせた。


 グラーヴェはそれを見届け、少しだけ長い瞬きをする。

「さて、調印、証拠の返却、これで些事は片付いた」

 浮かべているのはやはり楽しげな顔。


「宴席を用意させている。これも何かの縁、一緒にいかがか」

 視線の先はマリーヤ、それにドゥミ。ついでとばかりに僕たちを見て、グラーヴェはそう言う。

 だが、マリーヤは恭しく頭を下げた。

「申し訳ありませんが、お気持ちだけ頂戴致します」

「そうか残念だ。其方たちを一目見てから、それがこのつまらん会の一番の楽しみだったというのに」

 言いつつも、少しも残念そうでもなく即答しグラーヴェは笑う。本気で誘ってもいないような素振りで。


 それから拳を胸の前で握り、パタリと落とした。

「では、最後に」 

 手の動きに合わせたように、ざわりと風が吹く。

 グラーヴェ王の長い髪が衣服と共に後ろに靡き、僕とアリエル様を見る。


「会談といこうか、この戦争における要の二国で」


 「宴席はそちらに使うとしよう」と、グラーヴェは一言付け加えた。




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― 新着の感想 ―
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