第三国
あけましておめでとうございます。
言い続けて何年目かも数えるのをやめましたが、今年こそ終わるのでよろしくお願いします。
今年こそは大丈夫です。このリハクの目には終わりが見えているので。いえいえ、マジで。
出発の日の朝。
いつも僕の下へと飛んでくる鵲。彼女が携え届けられた知らせは、なんとなくいつもと違う雰囲気のものだった。
探索ギルドの印。鵲の足に括り付けられた銀の管の中からするりと抜いた紙に記されていたのは、契約書の類いでも、指令でもない。種類としては要請だろうか。
受け取った庭にいるのはいつものメンバーだ。僕にルル、サロメにオトフシ。アリエル様は先ほどザブロック邸にいた鼠と屋根の上で遊んでいた。
朝食を食べた後の最後の休憩時間。昨日の慰労会の後ザブロック邸に宿泊したティリーはまだ起きてこないが、彼女は他家に泊まっても寝坊をするのか。
僕は届いた紙を見つめる。いつものように簡潔に用件が記されているわけでもない、要請の書かれた薄い紙を。
「……来い、と」
「何か問題でもあったんですか?」
ひた、と僕の横に忍び寄るようにして並び、僕の見ている紙を覗き込んだルルは言う。
だが僕はその質問には、首を捻るしかない。
「わかりません。この知らせを受けてから、可及的速やかに指定された窓口に来い、と」
書かれた文章を僕はほとんどそのまま読み上げる。
指定されているのは王都にある探索ギルドだ。僕も昔行ったことがある気がする、程度のなじみの薄い場所。平時ならば探索者の中でも小綺麗な者たちが揃っていたような。
「用件すら書かれていないのは珍しいです。いつもならば、せめて『依頼がある』くらいは書かれているんですが」
こういうことはあまりない、というか初めてではないだろうか。最近はエッセンで依頼を受けていないとはいえ、何年も探索者としての活動をしてきたというのに。
座ったまま、オトフシが「ふむ」と声を上げる。
「秘匿性の高い伝言などで使われる方法だな。そういうことはたまにある」
「何か僕に伝えたいことがある人がいる?」
「そういうことだ。無論、悪戯などではあるまいし、もしも伝言なら内容は探索ギルドの執行部で精査しているだろう。妾たち色付きを探索ギルドが巻き込む場合は必ず」
はあ、と納得しつつ、僕はもう一度届いた紙をパサリと鳴らすように広げてみる。
こんなときにまた面倒な。
「そんな顔をするな。少なくとも、その確認のため出頭して悪いことは起こるまい。出頭しなかった場合、悪いことが起きるかもしれないという意味でな」
「では予定として、今からギルドに行って、昼前に僕は出立するということで」
構わないか、と僕はルルに顔を向ける。
ルルは頷いた。
「では私は、身辺を片付けた後にこの家を出ます。数日ですけど、お別れですね」
僅かに寂しそうな声音が混じったように感じたのは僕の願望だろう。
「また戦場近くまで行くんですから……お気をつけて」
「当然です。ルル……も、気をつけて」
まだ呼び捨てはどこかこそばゆい。『様』は禁止され、せめて『さん』で、と懇願してもルルは折れてくれなかった。ルルの方はずっと様付けなのに。こちらこそ、今からでもせめて『さん』まで落としてくれないだろうか。
……まあ、その辺りはこれから要相談だろう。時間はあるし、すり合わせというのも重要らしいし。
僕は恥ずかしさを誤魔化すため、オトフシに注目するよう向き直る。
「警護をよろしくお願いします」
「わかっている。アリエル様からも頼まれてしまったからには、この身砕けようともルル様の御身を守るさ」
くつくつとオトフシが笑う。
まだ戦中ということで契約終了前ではあるが、既にオトフシの契約は延長されている。契約内容は、やはりルルの警護だ。その分の前金は既にレグリスから受け取っており、そして後は僕から払うことになったのはまあ変わったことだが。
「ついでに私の身もお守りくださると嬉しく思います」
おずおずと、今まで話に入れなかったサロメがオトフシに言う。
オトフシは「気が向いたらな」と答えたが、おそらく内心は違うだろう。不満げに唇を尖らせたサロメをからかうような視線は、もはや彼女らの間の風物詩だった。
「わざわざお呼び立てして申し訳ありません」
僕が探索ギルドを訪れ、清算の窓口に届けられてきた紙片を差し出すと、窓口にいた職員は身を正した。
僕が誰かとは問わないし、『本人か』とも疑いもしない。
その原因の多くは、僕の横に浮かぶ母親だろうが。
きびきびとした動作の職員に通されたのは、ギルドの一室。壁は分厚く、出入り口はギルド玄関側からと職員用側のみの二つ。盗み聞きはしづらい。この探索ギルドの施設における、込み入った話をするための部屋だろう。
僕が簡素で粗末な椅子に腰かけると、アリエル様は机の上で同じように椅子をこしらえちょこんと座る。
彼女も僕の付き添いで来たが、追い出されないということは彼女に聞かれても構わない話なのだろうか。
奥の出入り口に入っていった職員が、すぐに別の男性職員を連れて戻ってくる。
二人は目を合わせて頷きあうと、窓口にいた職員はすぐに僕らに頭を下げてまた表へと戻っていった。
その際に、この扉を興味津々で見ていた別の探索者たちを追い払いつつ。
「今回お呼び立てした理由としては、カラス殿宛の書状がありまして」
僕らの前に座った職員が、こめかみの汗を拭うようにしながら作り笑いを浮かべる。僕にもわかるくらいだから相当下手なのだろうが、悪意は感じない。アリエル様をちらちらと見る様子からすると、おそらく緊張からなのだろうし。
「書状?」
「はい。中の確認も、差出人の確認も、送り主の了承の下済んでいます」
職員は恭しく手紙の封を解く。その手紙というのも妙な形だ。薄い紙を幾重にも畳み、バナナの葉に似た厚い植物の葉を重ね、巻き込むようにして巻いて、更にその上から紐で縛っている。
僕は眉を顰めた。手紙の差出人はまだわからないが、その形式は知っている。
形式としては古くあまり使われることもないはずだが、それはたしか、ムジカルの。
「戦争中の敵国からですか?」
「やはりご存じで。その通りです」
笹の葉で巻かれた粽でも開封するように、がさがさと取り出された手紙を僕に向けて、すすと机の上を滑らせるように僕へと差し出す。
巻かれていたことで折り目ごとに曲線が出来ている紙。
そしてその最初、差出人の名前は。
「グラーヴェ・アッラ・マルチャ・ムジカル」
エッセンで使われている文字とは少しだけ違う文字。僕は声に出して読む。もちろん、職員もアリエル様も読めるだろうが。
「執行部が調査済みです。これは偽報や虚言ではない。確かに、ムジカル国王からのご親書でございます」
その内容を読む前に、職員は注釈を加えた。
曰くその内容は。
「和睦の条件としての一つに、アリエル様、探索者カラスを停戦保証の第三国として数え加えること」
「実際にダルウッド公爵側にも伝わっている情報のようです」
そこに書かれていた文章は、何というか僕にとって煩わしいことだと思う。
交流のない僕へと突然文を送った謝罪と挨拶。それを除いて、グラーヴェからの伝言は簡単にいえばこうだ。
『和睦の条件に二人を『隣国』扱いすることを入れた。それをエッセンが了承するかどうかはわからないため、二人のほうからダルウッド公爵を突いて欲しい』
「一国の王からとは」
僕は呆れるように口にする。
なるほど。オトフシの言う、『秘匿性の高い』という話がわかる。
一国の王から個人への手紙。それも依頼などではないし、更に戦争の行方にも関わりそうな話。
まだ公式発表もされていない講和の交渉内容についてなど、あまり広まらせるわけにもいくまい。
文面には報酬などもなく、ただの頼みと書かれている。
一応実際には、僕たちを個人ではなく国扱いするというだけで凄まじい評価なのだろうが。
僕たちに旨みはない。
しかし大国の王からの頼み。人によってはこれだけで大喜びしそうなものではある。
「どういう人なの?」
アリエル様が手紙を見下ろしながら言う。僕はあまりわからないが、職員はどうだろうかと受け流すように僕は職員を見た。
「僭越ながら、よく状況を理解されている方だと思います。エッセン王とお二方の不和がもう伝わっているとはさすがに思えませんので、推測から動かれたのでしょう」
僕は声なくうんと頷く。
『隣国』というのもそういうことだろう。僕がエッセン国の国民扱いされていないと見越しているのか、もしくはそうならないだろうと思っているのか。
もちろん本人と会ったことはないが、王都にいたときに遠目に見たことはあるし、その聡明さは聞いている。
「十五年ほど前に王位に就いた方です。たしか今は三十過ぎくらい」
「若いわね」
「そうですね」
若い。それもそうだし、その行動を起こした年齢もそうだろう。正確な年齢はわからないが、おそらくまだ二十歳に満たない頃に王となったのだ。
「国民には人気があったと思います」
血縁を重視しているエッセンとは違い、ムジカルは国是としての実力主義がやはり強い。
長幼の序もほとんどなく、頭の良いもの、力の強いもの、機転が利くもの、顔の広いもの、などその場で必要な能力がある者が上に立つ。もしくは重用される。
軍の有力者の子息であろうとも特別扱いはされないし、だからといって優秀でもやっかみで階級が上がらない、などということもない。
仮に王子であろうとも無能は王を継げないし、有能ならば王位継承権が低かろうとも王位につける。……たしか、グラーヴェ王もだいぶ低かったと吟遊詩人の歌に聞いた。
そして王位継承権が低い位置から他の王子王女や王弟などと押しのけて駆け上がったからこそ、彼の人気もあったとか。
職員は僕の言葉に同意して二の句を継ぐ。
「策を弄しても、嘘を操る方ではありません。この書状も、書いてある通りなのでしょう」
「つまり離間工作の一環じゃないですか? これ」
僕はまとめて言う。
ならば素直に受け取ればそういうことだろう。
グラーヴェ王はダルウッド公爵に、停戦保証にかこつけて『アリエルと探索者カラスをエッセンとは別の枠での扱いにしろ』と言っているわけだ。
もっといえば、この書状は『エッセン王国の陣営から外れて欲しい』と、遠回しに僕たちに伝えているのだ。
探索ギルドを使ったのは即時性と信頼性の問題だろう。
ムジカルで文のやりとりに使われる黄鳥は現在エッセンでは目立つ。見つかれば拿捕されてもおかしくはない。更に時間も掛かり、この書状が出されたのがいつかはわからないが、青鳥とおなじく三日以上のタイムラグが出来てしまう。
工作員を入れてもいいが、それも途中の拿捕が考えられるし、さすがに王都にまでは……カンパネラがいたことがあるから来られないこともないと思うけれども。
エッセン国内での僕の居場所がわからなかった、ということもあるかもしれない。僕の移動はエッセン王国側も予定外だ。イラインにいた僕と接触しようとしたが、いなかった、などもあるかもしれないとは思う。
それにまあ、多分。
「その解釈はお任せ致します。私どもの仕事は、これを遅滞なく、誤りなくカラス殿にお渡しするのみで」
ギルド職員の作り笑いが仮面のように無機質に見える。
緊張からかと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
探索ギルドを使った文のやりとり、またその即時性も僕らと同じく常識外れらしい。
オトフシの話では、背後情報はギルドの執行部で調査しているのだろうということ。つまり、彼らはこの数日のうちにこの書状の内容を精査し、裏付けを取り、そして直接僕に届けたのだ。明らかにエッセン王国の青鳥を使った通信よりも早く。
「私どもは確かにカラス殿にお渡ししました」
それに、この内容だ。この情報を王国に売り渡すこともせず、知りつつも僕へと届ける。
内部でどれだけの者がこのことを知っているのかはわからないが、少なくとも噂にもなっていない。
エッセン王国の誰かに探索者が雇われる仲介はするが、味方はしていない。誰の味方でもない。そんな信頼性。そのためにグラーヴェは探索ギルドを使ったのだろう。
僕は仮面を被ったような職員の姿に、どこか薄ら寒さを覚えた。
国家を股に掛け、力を持つ者たち。探索ギルド。
聖教会と種類は違えど。
探索ギルドを出た僕たちは、視線を交わすこともなくザブロック邸へと向けて歩き出した。
あとは最後にレグリスたちに挨拶をしてまたイラインへと向かう予定だ。
その予定は先ほど聞いたことを踏まえても変わりなく、変わりなくとも問題はない。
「さっきの話、どうしますか?」
「どうするって?」
僕らの周りにあるのは、戦争前とほとんど変わりない王都。僕とアリエル様に向けられた奇異の視線はあれども、戦争の匂いなどほとんどない。
朝の買い出しの時間は終わり、青果や魚などの生鮮食品を扱う店は売れ残りの処分を始めている時間。青臭い、もしくは苔のような臭いも薄くなり、生臭さが勝つ時間。
朝の家の手伝いを追えた子供たちが走り、遠巻きに僕たちを見て声を上げる。アリエル様に手を振り返されれば、それが勲章のように雄叫びを上げて走り去っていった。
大人たちはちらちらと僕らを見て見ぬふりをする。やはり恐れ多いのだろうか。それとも、僕の耳に入る内緒話、広がっているらしい追放令の噂のせいだろうか。
改めて実感する。彼らにとって戦争は遠い世界の物語だ。
ムジカルにいたときにも王都では戦争を感じたことはなかったが、それでも人々は戦争の匂いをさせていた。王都に戻ってきた傷痍兵や英雄たちは、口々に戦の誉れや恥などを語り合い発散させていたためだろう。
しかしここにはない。まるでのどかで元気な街の風景。
閑散としていたイラインよりもまだ戦争はない。
イラインが破られれば、おそらくこの王都まで戦火が迫るのは一月も掛からないというのに。
「今回は僕だけの話ではないので。ムジカルの、グラーヴェ王の頼みを聞き入れますか?」
今回名前が挙がったのは、僕だけではなくアリエル様もだ。
そして仮にこれが離間工作としても、確かに一番重要なのはアリエル様だろう。彼女の動き如何によっては、エッセンの国力は大幅に上下する。
だがまあ性急だし、実際には失礼だと思う。
ダルウッド公爵に申し入れたという言葉からすれば、グラーヴェの中では既に僕たちはエッセンの陣営扱いされていないのだ。僕たちの中に、アリエル様も含めて。
『お前にエッセンに対する忠誠心などないだろう?』と、頭の中で、言われていない言葉が想像上のグラーヴェの声で響く。
「どうせこの国出てくんでしょ? 断る理由はなくない?」
「受け入れる理由もないですよ」
帰属する国を失うということは損失かもしれないが、それは僕に関しては損失にはならないので、確かに断る理由はない。
しかしこの『頼み事』には報酬はない。
たとえば『金貨五百枚と引き替えに』とか、そういう風な種類の交渉ではないのだ。
……僕が受け入れなかったとして、講和はどのように進むのだろうか。
そこで決裂して、となっても面白くはあるのだが、そうするとまずイラインが被害に遭う。イラインが被害に遭うだけならばいいのだが、僕は一応講和まではエッセン陣営だ。ミルラの指示が出れば戦わざるを得ない。それも面倒くさい。
というか、受け入れると僕たちはどのような扱いになるのだろうか。
隣国扱いというが、実際僕たちは国ではない。
国に必要なのは国主と国土、それに国民と神器。国王はアリエル様として、その臣民に僕と勝手ながらルルたちを入れたとしても、領土も神器もない。
この世界に国際法などはないが、仮にそういうのがあるとしても僕たちは国扱いはされないだろう。
ムジカルも面倒な提案をする。
断る理由は無限に用意できる。
……なんか、オトフシにまたそんな風に囃し立てられそうな話だ。
まあ、またオトフシにでも相談して、ミルラにも連絡しておいた方がいいのだろうか。そんな風に考えているうちに、アリエル様がパチンと手の先で紫電を鳴らす。
鳴らした手の先に、何か白い糸が握られていた。上の端も下の端もぼやけて薄く消えている一本の糸。固定もされていないのに、アリエル様の手で弾性を持って引かれている。
「理由ならあるじゃない」
「どんなですか?」
「戦争、早く終わるでしょ。ルルちゃんやリコちゃんだっけ、安心できるわ」
「…………」
歩みを止めずに、僕たちの間に無言が流れる。
ざわざわという人の声が僕たちを包んでいる気がする。僕たちには何も言わず、どこか遠くで。
「ですね」
なるほど、たしかにまあ、それは一番重要なことだ。
僕の足音が、どこか弾んで聞こえた。




