永遠ではない別れ
僕とアリエル様は城の廊下を歩く。
既に見知った場所。迷うことはなく。
「まだ用事があったのね」
「ええ。僕からの報告を伝えているんでしょう」
僕らが謁見の間を出てからもしばらく出てこないミルラ。アリエル様は振り返り、彼女の動向を察した。
遠くから僕の耳に薄く響いているのは、僕からの報告そのままだ。もうすぐ講和しそうなこと、それとラルゴの首のこと。
どちらとも、僕の発言の意図を彼女に伝えるために報告したことで、彼女から王に伝えるのは自由だと言ってある。話すタイミングも、話すかどうかも。
しかしまあ、面白いものだ。
王の呟きは謁見の間では大きく響く。その謁見の間伝いに僕の耳に届くのは、彼の王の焦り。
ざわめきの中で官吏たちも聞いただろう。
停戦することへの嘆き。ラルゴの首を取ったことへの喘ぎ。そのどちらもが、王としての威信に関わるもの。
一応言い訳は作れる。僕にすら思い浮かべられる。
停戦、もしくは終戦することに否定的なのは、エッセンがムジカル本土の砂漠地帯まで攻め込めなかったため。『エッセンの正義を示す』というこの戦争が始まる当初のお題目を達成できなかったから。
ラルゴの首を取ったことに対する喘ぎは、単なる驚愕。聖騎士団でもない在野の者が、敵の最有力者を討ち取ったことに対する反応だった。
そう言い訳すればいい。そうすれば整合性はとれるかもしれない。
けれども、あそこにいる人間のうちどれほどがその言い訳をまともに受け止めるだろうか。
王の思惑を知る者たちもいただろう。この戦争は侵略戦争でも防衛戦争でもない。単なる自国の老朽化を防ぐための定期的な再構築、国の各地に散らばる余剰な戦力や資源をある程度削減するための単なる統制策だと。
彼らは言い訳を言い訳と切り捨てず受け入れるだろう。それが嘘と知りつつも。そうであれ、と思うために。
だが、そうではない者たちは。
王の反応の意味を僕と同じように捉えた者たちは、どう思うだろうか。
もっとも、そう大きな反響はないかもしれない。
あの場にいたのは所詮この国の高官たちだ。それに使用人たちもいたが、彼らもまたこの国の者たちだ。
たとえミルラの言葉の意味が読み取れても、王の反応の意味が理解できても、事無かれと全てを無視するかもしれない。噂は広まらず、この謁見は円満に終わり王も威厳を保ったとなるかもしれない。
……けれどもそれでも充分だ。
僕に痛手はほとんどない。それでいて、彼らに嫌がらせが出来たのならば。
「あんた悪い顔してるわよ」
「そうですか?」
一応頬が緩んでいた自覚はあったが、アリエル様に言われてなんとなく思い直す。
頬に手を添えて無表情を作るように捏ねると、筋肉に緊張があった。
「悪巧みしてるときのドゥミみたいだったわ」
真顔でアリエル様が口にした言葉に僕は首を傾げる。
「狐みたいって事ですか」
「そうじゃないわ。見たことないなら今度一緒に会いに行きましょ。あいつが化けの皮被ったところ見せて上げるわ」
舌なめずりをし、袖まくりをするようにアリエル様は腕をさすって気合いを入れる。
僕はその仕草を微笑ましく思う。
……まあそれもいいだろう。ミーティアはあまり美味しい料理には期待できないが。
ふと、視線を感じた。
敵意あるものではない。この王城にはそこかしこに人がいるし、あまり気にしていなかったが、もう無視できない程度に。
廊下の曲がり角で身を潜めていたようだが、僕が通り過ぎて振り返ると全身が露わになる。
二人。男女。
その顔は知らないわけではない。
「これは」
「カ、カラスさん! お疲れ様です!!」
女性の方が身を正し、僕に敬礼する。
雀斑の浮かぶ女性、アネットと、もう一人の青年は……。
「誰?」
「この城にいたときによく話していた方ですね。アネットさん」
「男の方は」
「…………」
アリエル様に問われて、僕は一瞬悩む。
もちろん見たことはある。見覚えはないわけではない。しかし、そう話したことがあるとは思えないし、でも僕が覚えているということは関わっているはずだから、……ええと……。
「……ああ、海兎の件の」
「あのときはどうも!!」
僕からも青年に問いかけると、やはりそうらしい。
海兎の毒にやられ、昼餐会の会場作りの最中に血を吐いた彼。すっかり快復しているらしい。当然か、彼は治療師の治療を受けたのだから。
「仲間からカラスさんが王城にいるって聞いて、さっき謁見に呼び出されたって聞いて会いに来たんですけど!」
「それはそれは」
物見高いものだ。出来る限り嫌みにならないように言葉を濁し、僕は先を促す。
アネットはそこで言葉を切り、アリエル様に震える指を差す。
「ですけど、……どういうことですか? そのお方はまさか、その、……」
「アリエル様です」
「Yeah. 二人とも、頭を地面にこすりつけて震え上がってもいいのよ」
フフフフ、と笑いながらアリエル様が応える。それが冗談だと読み取れたのかは定かではないが、二人は膝をつくこともなくただ頭を下げた。
そして揃って勢いよく顔を上げる。
「それで、カラスさんとアリエル様がここにいらっしゃるということは! 戦争は終わったんですか!? カラスさんもアリエル様も、戦場にいるって!!」
「まだ終わってないですね。ただ、一段落したので報告に戻ってきました」
「そして追放の命令を受けてきた……ということまでこれではすぐに広まりますね」
機嫌よさげな声で、誰かが僕の言葉に口を挟む。
後ろを見ればミルラ。そこまでいけば、もう二人も平静ではいられないのだろう。
後ずさるようにして壁際まで寄って、膝をついて頭を伏せる。
「あら。戦場から帰ってきた友人への労いを許さないほど狭量ではありませんわ。どうぞ、歓談を続けなさいな」
「そういうわけにはいかないでしょうに」
ミルラの言葉に、今度は僕が反論する。
どんな功績を挙げようが、どんな人物であろうが、僕ら二人は所詮無位無冠の個人だ。
しかし、ミルラは違う。彼女は王族。このような廊下で、王城の使用人たる下男下女がその顔を直視していいものですらない。
「いいのよ。今は、ね」
僕の諌言を笑い飛ばし、ミルラはアネットたちに向けてしゃがみ込む。
「顔を上げなさい」
どちらが言われたのだろうか。そう悩むように一瞬二人は動きを止めて、結局揃って顔を上げた。戸惑いと畏れが見える。それも当然と思う。ミルラの機嫌を損ねれば、二人の職など簡単に奪われることになるのだから。
優しげなミルラの笑み。その笑みを見て、二人は少しだけたじろいだようにも見えた。
「そう怖がらずとも、今の貴方たちを無礼とも思いませんわ。どうぞ彼のことを労って差し上げなさい。この度の戦場でもっとも多く働いて、報われなかった哀れな男を」
「……その、直言をお許しください。追放とは、どういうことでしょうか」
青年が僕の顔をちらりと見て、そう呟く。その言葉にはまず、ミルラは忍び笑いで返した。
「そのままの意味です。彼は戦後、この国を追放されると先ほどの謁見で決まりました。その働きに報いることのない王の命で」
「何故、そんな……」
「詳しくはお仲間に聞けばよろしいでしょう。貴方たちの横の繋がりは知っています」
……その花が咲くような笑みに、僕はミルラの意図に気がつく。
「貴方、お名前は?」
「アア、アネットと、申します」
どちらの手を取るか僅かに悩むように躊躇い、アネットの手を優しく取ったミルラの。
「そう、アネット。今日私は謁見の間で理解したわ。この国にはいくら頑張っても、不当に報われない人がいるのだと」
文脈的には僕のことを指しているのだろう。けれども手を取られたアネットは『それだけ』とは思えず、そしてミルラも多分そうは思っていない。
「貴方たちも、いつも私たちのため、苦しい仕事をありがとう。私はいつか、貴方たちにもきちんと報いるべきだと思っておりますわ」
「い、いえ、その……!」
最後にまた笑みを強めて、ミルラはそっと手を離す。
僕はその姿を見て、溜め息をつかないように堪えた。
「カラス、今後のことを話します。話が済んだら、先ほどの部屋に来なさい」
「……かしこまりました」
僕たちに背を向けて、ミルラは廊下の奥へと消えていく。
その姿が消えると同時に、魔法が解けたようにアネットたちの身体の硬直が解け、また立ち上がって、「それで」と僕の方を向いた。
半刻ほどの後、僕はザブロック邸に帰還した。
「納得できません!!」
アネットたちとの会話を終え、ミルラとの相談を済ませ、王城から退出し、ザブロック邸に戻った僕はアリエル様も交えてルルやサロメのいつもの三人へと報告する。
そして追放の事実を伝えたところ、ルルはアネットたちとほとんど同じ反応を返してきた。
僕は笑う。微笑ましいわけでも笑い飛ばしたいわけでもないが、多分、嬉しさに。
詰め寄るように立ち上がり、机の向こうにいた僕にルルは身を寄せる。
「抗議をすべきです! カラス様は命を賭して戦って、人の命を救って、それが全く認められないなんてこの国はおかしいです」
それからルルがキッと睨むように見た先は、アリエル様。
「どうして助けてくださらなかったんですか」
「えっと、その……追放ってそんなに悪い事かしら?」
さすがにアリエル様に詰問は出来ないようで幾分かトーンを落としたルルだったが、アリエル様はその視線に後ろめたそうに目を逸らす。
冷や汗を飛ばすように、身振りをつけて説明する。
「ほら、だって出てけってだけの話じゃない? この子、言われなくても出てく気満々だったから」
「まああまり困りませんからね」
僕も目を逸らしながら呟くように答える。
『追放』が困るのは、その土地に縛り付けられている人間たちだけだ。
この国の多くの人間は自分たちの生まれた村や町から一生出ないこともある。そうして同じ仲間と一生付き合って生きていくはずの人間たち、その『地縁』に頼らざるを得ない人間には、たしかに強制的に転地させられる追放は辛いだろう。
今まで積み重ねてきた信用や、地位などの強制的なリセット。財産も多くは置いていくか処分しなければならず、それらもまた新しく作り上げるのは面倒なことが多い。
貴族ならば家名を名乗ることも出来なくなり、国内の知己には頼れなくなる。
仮に農民ならば、新たな土地でどうにかして市民権や土地を得て開墾作業から始めなければならない。
だが、僕はあまり困らない。
僕の形ある財産は手で持ち運べる程度しかないし、置いていってもまあ大丈夫だ。金貨や薬などはあるが、探索ギルドがあれば金貨程度どこでも稼げるし、薬ならばまた作ればいい。
森の中で暮らすなら、必要なものはこの身体と知識だけ。
もしも人間たちの中でまた暮らしたいと思えば、リドニックでもいいしミーティアでもいいし、ピスキスやそれこそ国民扱いされなくてもいいならムジカルでも生活できる。
この国にこだわる必要は無いのだ。
「……それは、カラス様ならそうでしょうけど……!」
すとん、とルルが腰をまた下ろす。
「じゃあ、これからは」
「ミルラ王女殿下からのご指示で、一応またイラインへと向かいます。おそらく十日もない終戦まではそこで待機。そして終戦後はどこへなりとも行けと」
ただし、戦闘などはしなくてもいいとのことで、更に終戦までならば急がずともいい。
カラス……ミルラ隊の隊長は僕の推薦でレシッドに変更。終戦までに引き継ぎを終わらせて、スヴェン、ソラリックの両名を連れて帰還させよと。
「数日時間はあります。それまでに、……挨拶もしておくべきですね。ティリー様、ラルミナ様辺りには」
僕が個人的に付き合っていたこの王都の知り合いはその程度だろうか。どこかでオルガさんとも挨拶しておきたいけれども。
そう一人で納得していた僕の髪の毛が一房さりげなく引っ張られる。
そういうことをするのはアリエル様だけだが、視線を向けるまでもなく彼女だった。
「あんた答えること間違えてるわよ」
「…………?」
僕が目を向けると、アリエル様が溜め息をつく。
壁際にいたオトフシもフ、と笑い、サロメが僅かばかりにじれったそうに手を揺らした。
「……これからはもう、この国に戻ってくることはないということですか」
静かに、ルルが呟く。
改めて問われたその言葉は、言葉通りに受け取れば僕は頷くしかないのだが。
「私は、嫌です」
そしてまた呟くように口にしたルルは、顔を上げて僕を見つめる。
「カラス様が罪人扱いされるのも、……もう会えなくなるのも」
僕は言葉に詰まる。
嬉しいことだ、と僕は思う。
「僕も嫌ですね」
うん、と僕は頷いた。否定することでもなく、否定したいことでもない。
「いえ、罪人扱いはどうでもいいんですよ。僕は悪いことをしたと思ってもないですし、国が勝手に言ってることなので」
一瞬緩んだルルの顔が、さらにポカンと口を開けるようにして呆れたように歪んだ。
「問題はルル様と会えなくなることなんですが……」
僕は腕を組むが、考える気はない。というよりも、まだ答えを出す気はない。多分いずれ答えは出るだろうという予感がある。
笑みを浮かべるようにして見返すのはルルの顔。
「ですが永遠に会えないわけではないので」
夢を介して会いに来るという手もあるし、そもそも数年間見つからずに人里で暮らせていた僕だ、見つからずにここまで来るという手もある。
「まずは、ただの短いお別れです。数日程度、一応はまだ仕事がありますし、そういうことは後になってから考えます」
この場凌ぎの嘘ではない。
誰かに考えてもらうべき事でもない。本心から、僕が考えるべきことだ。僕が本当に彼女に会いたいのならば。
ミルラ王女に従うのは戦争が終わるまで。
それからは、僕がどこにいるべきかは僕が決める。
たとえ、勝手な奴と言われても。




