逆転
「あらなあに? 見とれるほどあたしは美しいかしら?」
冗談めかしてアリエル様が言う。僕の頭に腰かけたまま。
「お母様、その、格好がつかないので」
「はいはい、降りろってんでしょ」
僕が言うと、しぶしぶとアリエル様は降りる。僕の胸の前、一歩前の空中でふわりと止まり、周囲を睥睨するように見た。
正直迫力も何もない。一尺もない身体に、少女と女性の中間のような見た目。なんの予備知識もなく、遠くから見たならば人間に似た珍妙な生き物にしか見えないだろう。
だが視線が圧力を持つように、聖騎士や僧兵たちが少しずつ下がる。
歓声でもない戸惑いのどよめきが貴族たちから響く。
そして最後に、アリエル様が見上げた先、王は、呆然と口を開けたまま凍り付いたようにこちらを見ていた。
「あたし、この子の声しか聞いていないから詳しくわかってないの。それでこの子が何をしたって?」
「説明しましょうか?」
僕が言うと、アリエル様はこちらを見ずに鼻で笑って首を振った。
「あたしはこいつらから聞きたいのよ」
「……何? 何が……?」
ぼそぼそとした声で王が言う。そんな小さな声でもこの部屋は響くらしい。玉座に座った人間の声がよく響くように設計されているのだろう。
アリエル様は王の声を無視し、目の前にいた聖騎士団長を真っ直ぐに見る。いつの間にか下ろしていた剣を持つ手は震えていた。
「そう、で、あんたたちの親玉がそこにいる王様。……と後ろにいる尼さんかしら」
「アリエル様!?」
小さな声だが悲鳴のようにジュラがアリエル様を呼ぶ。呼んだわけではなく驚愕しただけだろうが、ガチガチと奥歯を合わせている音が僕の耳にも届く。
驚愕と畏れ、多分その半々で。
そうだ、とアリエル様が人差し指を立ててまた周囲を見回す。今度は王とジュラを一度見て、また王へと視線を戻した。
「人間たちの習慣が抜けてたわ。そうよね、まずは名乗らなくちゃ。魔王軍と戦ってたときの所属でいいかしら? あたしはユート・モモ対魔王同盟連合軍勇者隊のアリエル。あんたたちは?」
「……余は……」
震える唇で言葉を吐き出そうとした王。
しかし、その王の言葉を遮るように、僕の背後、足下でべちゃりと音がした。
「アリエル様!! 私、聖教会エッセン王国監督長並びにエッセン王国王城治療師長のジュラ・アッペと申します!!」
さすがに這いつくばったわけではないらしい。しかし、慣れぬ跪礼に膝を床に打ち付けたのだろう。痛みをこらえるように顔を顰めつつ、大声でジュラが叫ぶ。
それに呼応するように、治療師たちが跪いていく。僧兵たちも一緒に。
「そう。よろしく。……で?」
「本来ならば礼を尽くして迎えねばならぬところ、今この場におかれましてはどうかご寛恕くださいませ。ご挨拶は後ほど致します。ですが今は、我が神に仕える者として、その不届き者を誅伐せねばらぬ最中であります。ですから……!」
「今はあたしの息子を苛めてるから後にしろって?」
「……息子……!?」
「そうだけど」
ふよふよと浮かびつつ、アリエル様は僕の頭に小さい両手をぽんと置く。
頭のすぐ後ろまで来なければならずその上で懸命に手を伸ばしているようだった。
そしてアリエル様は、強引に僕の頭を前に倒させるように力を入れた。ほほほ、とわざとらしく笑いながら。
「ほら、あんたも挨拶なさい。ごめんなさいねー、礼儀知らずで」
「どうも、アリエル様が一子、カラスと申します。ご挨拶が遅れました」
僕も素直に頭を下げつつ言う。一人っ子の意味での一子かどうかは知らないし、この挨拶が礼儀に適っているとも思えないけれども。
僕は顔を上げて、懇願するような口調を作りつつ口にする。
「というわけなんですが、お手数ですが説明をもう一度お願いできますでしょうか? 私は何をして、どのような罰を受けるのでしょうか?」
僕が言い終わる前に、ひ、と短く声を上げてジュラが肩を震わせた。
「それは……その……」
「彼は、聖教会における大罪を犯したそうですわ。アリエル様」
言い淀んでいる間に、また声を上げる女性がいた。ミルラだ。
アリエル様が振り返ると、ミルラはそれを見て会釈する。身を固くしたままということは、緊張しているらしい。僕とアリエル様とのことは話してもいなかったが、他よりは驚きが少ないのか。
「あんたは雇い主の……」
「申し訳ありません。私は、エッセン王国第一王女ミルラ・エッセンと申します。父王またジュラ王城治療師長のなさったこと、この国の一人の国民として心よりお詫び申し上げますわ」
「じゃあ説明してくれる?」
「ええ。もちろん」
ミルラはこめかみに冷や汗を垂らしつつ、笑みを絶やさない。
ただ下ろしたその手は無意識にだろう、ドレスの腿の辺りの布をひっかき続けていた。
「アリエル様……! 私どもは……!!」
「黙って。喋り出せないのを待っているほど気は長くないの」
し、とアリエル様は人差し指を唇の前に立てる。この前のイラインの治療師のように、それだけで声が出なくなったようでジュラは口だけ動かして戸惑っていた。
「今この国は戦争の真っ最中、ということはアリエル様は当然ご存じのことと思われますが」
「ええ」
「その戦闘の最中我が国の一人の兵、とある聖騎士団長が、命を失ったように見える事態に陥った、というのが事の発端だそうですわ」
「息子から聞いて知ってるわ。テレーズね」
「ご存じでしたか」
「あの子も良い子よ。森の中でいっぱい話したもの」
「それはようございました」
ふふ、とミルラが作り笑いをする。割れた爪の先に引っかかった糸屑をこすり合わせて取りながら。
「原因は私にもわかりかねますが、ともかくタレーラン卿はお倒れになられ、そのタレーラン卿をご子息は救助した。そこのジュラ王城治療師長は、それを咎めてらっしゃるのです。それを咎め、それは命を以て償うべきことである、と」
「ふうん」
アリエル様が気が抜けた声をあげてジュラを見る。
おそらくジュラも喋れるようになっているだろうが、それでも声を発しようとはせずただ跪いている姿勢を後ろに崩した。
「ご子息は我が国に貢献してくださった英雄です。もちろんこの国としても無視は出来ない。私は彼の命を救うべく嘆願致しました。……事前に異端審問についてご存じだった父王から、その功績全てを返上することに代えよと命じられていたため、それを添えつつ」
「ミル……!?」
叫びだそうとした王は、また不自然に口を開けたまま息だけを吐く。
不敵な笑みを浮かべつつ、アリエル様はその様を人差し指を唇の前に立てて見た。
貴族からは驚きの声は上がらない……と思いちらりと見回してみれば、彼らも声を出そうとしているようには見える。しかし、僕はなんとなく声を出せそうだが、この謁見の間で今喋ることが出来るのはとりあえずミルラとアリエル様だけらしい。
ミルラは父を見ずに、汗にまみれた掌を自分の胸に当てる。
「そして父王はカラス殿を助ける代わりに私にその功績を返上させ、更にカラス殿をこの国より追放せよと命じました。カラス殿はその追放令を抗拒し、聖騎士団長と睨み合っている……というのが現在の状況ですわ」
言い終え、にっこりと笑うミルラの笑顔が、真性のものになる。この状況を楽しんでいるらしい。僕と同じく、僕とは違って。
「OK.大体わかったわ。こいつが予想してたのと一緒だし、イラインの奴とも一緒ね」
アリエル様が僕の肩に乗り、髪の毛を手綱のように持ってぶら下がる。
抜けそうではないが、違和感があるのでやめてほしい。
楽しげに遊びつつ、アリエル様はジュラを見下ろす。
「ジュラさん? で、こいつの何が悪いの?」
「ぉぉ、お、恐れ多くも! 彼の行いは我らが戒律に反しておりまして……!」
「だから、何が?」
問われたジュラは居住まいを正し、まず周囲を見る。それから無駄ながらも声を潜めた。
「…………死者を蘇らせる《蘇生》、または《反魂》は存在すらも許されぬ禁術。アリエル様のご子息としても、神に逆らう異端者として……」
「で、それの何が悪いの?」
「…………!!」
裁かなければ、というような言葉を吐こうとしていたのだろう。しかし、ジュラは絶句する。
冷や汗が入った目を瞬かせつつ、口をぱくぱくと開閉して。
「言いなさいよ。《蘇生》? 死んでる人間を生き返らせて何が悪いの? 誰が決めたのそんなこと」
アリエル様の、僕の髪を握っていない方の手が紫電を帯びる。放電の音がパチパチと蜂の羽音のように響き渡った。
「あたしも散々やったわぁ。目の前で傷ついた人間たちがいたら治してあげる。死にたくなくて死んだ奴は助けてあげる。息絶えても叩き起こす。フィアンナもそうしてたわ、それが当然だってね」
慌てるようにジュラが周りを見る。ついてきていた治療師たちが目を丸くするのを苦々しく見て、息を荒くしていた。
「……それは、聖人たる貴方がただからこそで……」
「あたしはやっていいのに、この子はやっちゃいけないの?」
「…………っ」
ジュラが、ウェーブの掛かった白い髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしり顔を上げる。
「その者が行ったのは《蘇生》という禁術! 神の御許に送られた魂を! 人間という卑小な者が取り戻すことなど許されぬこと! 神はお怒りになられていることでしょう! そのカラスは、神のお手からテレーズ・タレーランの魂を奪い取るという暴挙をなした!!」
声を荒らげ、それが罪だ、と言わんばかりにジュラが叫ぶ。
だがその叫び終わりの静寂に被せるよう、またミルラがクスクスと笑った。
「ジュラ様。それは、アリエル様のご質問の答えになっておられませんわ」
「……この……!」
言いかけたジュラの言葉は、おそらく『小娘が』だろう。
無視してミルラはジュラの言葉にまた被せた。
「アリエル様がお尋ねになられたのは、アリエル様とカラス殿の差異。何故アリエル様は許されて、カラス殿は許されないのか、という話」
「それは、聖人……」
「おかしいですわぁ。私が礼拝で聞いた話では、アリエル様が聖人に列されたのは姿を消した後、お隠れになられたと判定されてからの話でしたのに……」
クスクスという笑いはケタケタという笑いに変わる。だがそれも一瞬の後には、真面目な顔に戻っていた。
「私には答えはわかっております。もっと簡単に仰ってほしいものですわね」
「答えとは?」
僕がミルラに聞くと楽しげに彼女は顔を歪める。
わかっているくせに、とその仕草から聞こえた気がした。
「アリエル様への阿り……もう少しお上品に言えば、忖度かしら。貴方への差別ともいうわね」
「酷いですね」
「そうね」
ミルラの言葉に、ああなるほど、とアリエル様が呟く。
それから優しげにジュラをまた見下ろした。
「いいのよ、気にしないで。ほら、あたしにも言いなさいよ。お前は禁忌を犯した異端だって。あたし忖度とか嫌いだもの。お前は死を以て償うべきだ? とかなんとか言いなさいよ」
サ、と跪いたままジュラが顔を伏せる。唇を結んだまま瞬きを繰り返しつつ床を見つめた。
「…………お、お戯れを……」
小さく呟かれた言葉は、僕とアリエル様以外に聞こえてはいまい。
アリエル様はまた僕の身体を滑り落ちるように床へと降りる。
珍しくそのまま歩くと、屈んだジュラの近くまで寄ってその顔を見上げた。いくら伏せても視界に入る場所で。
「ん? ほら、言ってよ。このあたしに、ほら。神様が怒ってんでしょ?」
ジュラが寒さに凍えるように震える。歯の根が合わず、窺い知れる顔色も真っ青になる。
……そこが魅力というわけではないが、権力とはやはりそこまで恐ろしいのだろうか。
「ほら」
そして、もう一押しとばかりに口にしたアリエル様が、わ、と飛び退く。
次の瞬間、恐怖が決壊した様子でジュラが慌てて手を床について四つん這いになった。
同時に。
「……ォロロロェェェ……!」
胃も決壊したらしい。まだ朝食前だったのか、それともそういうものしか食べないのか、絨毯にはお茶と胃液が混ざったようなごく少量の液体が吸い込まれていった。
僕はジュラを無視してミルラに言う。
「実際は、アリエル様が咎められなかったのはまだそれに関する戒律が定められていなかったからだと思いますが。アリエル様はご存じではなかったということは、聖フィアンナ様も口になさらなかったのだと思いますし」
ですよね? と僕は視線でアリエル様に問いかける。アリエル様は反吐の飛沫が身体についていないか確認してそれどころではなさそうだったが。
しかし実際そうではないかとも思う。詳細はわからないが、蘇生や再生の禁忌はアリエル様の行いを元に定められたのだという。
「あら、そうなのですか?」
「はい。『失われたものを取り戻すなかれ』でしたっけ。それに基づいて、私の行いは裁かれているはずなので」
たしかそうだったはずだ、と僕は一応内心検証しながら答える。
僕の訂正にミルラは気分を害した様子もなく、自分の腕を撫でた。
「あらまあ、失礼を申し上げましたジュラ様、それとアリエル様には私の不確かな考えを。申し訳ありません」
「いいわよ。間違いは誰にでもあるもの」
「そう言って頂けると」
クスクスと二人が顔を見合わせて笑い合う。なんとなく、同種の仲の良さがある気がした。
ひとしきり笑い合った後、アリエル様は肩で息をしているジュラに問いかける。
「それで、カラスに罪はあるの?」
汚れた口元を拭って慌てて顔を上げたジュラは、先ほどまでの審問の時からするとだいぶ窶れているように見える。
「罪は、その……す、既に、ミルラ王女の贖宥により、赦免になっており、その……、私どもとしては、既にカラス殿は、潔白であると申すべきところでありまして、……」
「赦免? ってことはやっぱり罪になったのね?」
悲しいわ、とアリエル様は眉を寄せる。その仕草に、ジュラは首を横に何度も何度も振った。
「……! いえ、そのことは、つ、罪ではなく、私どもの不手際による勘違いの可能性も……!!」
そして両手を床につけたまま王を見上げる。先ほど僕が取った伏礼と同じく、まるで拘束されているかのような仕草で。助けを求めるように。
助けを求められた王は、玉座に座ったまま震える息を吸って吐いた。
「アリエル様、そこまでにしていただきたい。この国は法と理性によって成り立つ国。建国の理念はご存じでしょうな」
「理性こそが人の人、だっけ?」
「そう」
うん、と王は頷く。背もたれに殊更にもたれ、威厳を保ちつつ。
「既に公正な審判はなされた。カラス殿は聖教会の戒律により裁かれ、そしてそれはカラス殿の功績を以て我が国より取りなしをさせて頂いた。カラス殿は罪を雪ぎ命を救われ、せめてもの贖罪として追放と決まっております。もはや誰であろうと、その決定に異を唱えることは出来ませぬ。私とて、多くの国々で護国の母と呼ばれるアリエル様とて」
ずっと考えていたのではないだろうか。長々とした言葉を滔々と王は語る。
「この国を守り続けてきた法。その法の剣はこの国に生きる全てのものの頭上に等しく吊り下げられておりまする。カラスだから突き立てられるのではない。アリエル様だから除かれるのではない。たとえそのカラスがアリエル様の息子だろうと、我が国は公正に裁き、助けるもの」
言い終えて、王は眼下の貴族たちを見回す。
その視線が向けられた先が身じろぎをし、まるで小さな波を起こしたかのように見えた。
「我が国は公正に裁く。じゃからして、カラス殿の罪は隠蔽せぬ。そのためにこのような場でジュラ殿にはカラス殿を裁いて頂いた。皆様に証人になってもらうために」
最後に見つめられた僕と王の視線が交わる。
だが見つめ返したその目は逸らされ、すぐにミルラへと向けられた。
「我が国は公正に助ける。故にカラス殿をミルラに救わせた。英雄たる働きをした彼の者を見捨てることは出来ぬ故に」
ミルラの顔は見えなかった。
けれども、その拳が力強く握りしめられたのはわかった。
王の意図に気がついたのだろう。先ほどの、ミルラの暴露に対する言い訳の。
それから王の視線がアリエル様を向く。
「芝居がかったものになってしまったのは真に申し訳ない。何も知らぬご子息を巻き込んで行うことはなかったかもしれませぬ。それこそは、我々の不徳の致すところ」
「だから」
「しかし! 間違いは誰にでもあること。ジュラ殿たち聖教会の間違いも、許してやってはもらえませぬか」
アリエル様に言葉を口にさせず、王は嘆願する。玉座に座りつつ、頭を下げずに。
皆がアリエル様の言葉を待つ。そんな雰囲気の謁見の間。
表情は見えないが、ミルラは王の顔を睨み付けているだろう。貴族たちはもはや動けずに、固唾を飲んでアリエル様を見つめている。
そんなアリエル様は、またとことこと数歩歩き、僕の横に立つ。
「嫌」
そして立ったかと思えば、歩き出して王の階へと向かう。
「あたしがこいつをこの世界に生んだのはね、こいつに苦労をさせたかったからよ。人生でしなくちゃいけないはずの苦労をさせてやりたかったからよ」
アリエル様が止まったのは、ミルラの横。見上げた先にいる王は、悩むように唇だけを動かす。
「でもね、苦労するのと理不尽に遭うのは違うの。もう一回言ってみてくれるかしら? こいつは、何で罪になって何でこの国を追い出されるの?」
「……罪は、聖教会の……」
「ならこの国の法律に対しての罪じゃないのね? なんで関係ないあんたがそれを守れなんて言ってんの?」
「…………」
王がジュラに顔を向ける。
ジュラは背後で、陛下、と引きつった声で呟いた。
「押しつけ合うことはないでしょ? 今、あんたたちの出来ることは二つ」
ピリ、と何かが破けるような音がした。何かが破けたわけではないだろう、アリエル様の髪の毛の他、僕やミルラの髪の毛も僅かにふわふわと浮かぶ。
パチパチと音がしているのは身動きをした貴族の衣服だろうか。
「一つは、こいつは何にも悪いことをしていないと認めること。赦免なんかじゃないわ、もとから、罪なんて一つもなかったと認めることよ」
「しかし……」
「もう一つは」
ビシ、と鋭い音が響いた。それと同時に紫電の波がアリエル様を中心に広がる。
おそらく誰も傷つけなかったその波は石の床の上を走り、壁を上って天井の中央で重なるように消えていった。
「こいつと同じように、あたしにもその罪とやらを適用して、罰しようと捕まえること。そしてその結果、抵抗したあたしに黒焦げにされること」
挑発のような言葉に、怒気を上げる男がいた。
聖騎士団長だろう男。声を発しないまでも、アリエル様を睨み付けて剣の握りを強くする。
王への不敬な言葉、生意気な態度、聖騎士が負けると予言したこと、どれに怒っているのかはわからないが。
アリエル様もそれに気がついたらしい。ふふ、と笑みを漏らしつつ歩き出し、宙に浮かび、僕の横に並ぶ。
「それとも出来るのかしら? 人の世を滅ぼしかけた哀れな魔法使い……魔王を討伐した大英雄のあたしと、戦争で大活躍して英雄とか言われてるこのカラス。その二人を相手に、お仕置きできるのかしら?」
「陛下!!」
額に青筋を立たせ、聖騎士団長が叫ぶ。
「不敬、無礼、もはや我慢なりません! ご命令ください! 私たちは、誰であろうともこの身を剣として立ち向かいましょう! 誰であっても、この二人であっても……!!」
王が、顔を硬くし聖騎士団長の後ろ姿を見下ろして深呼吸を繰り返す。
落ち着こうとしているのだろうか、それとも何かしらを待っているのだろうか。
だが、その主従の行動もアリエル様は笑い飛ばした。
「命令なんてしないに決まってるじゃない。今ね、その王様とやらは中立を気取って自分を守ってんのよ。聖教会に味方して、カラスやミルラの味方のフリをして、必死になって守ってんの。それがわざわざあたしの敵に回ろうとすると思う? よくいたわ、そんな奴」
言い終わって、更に怒気を見せた聖騎士団長を無視するようにその背後をアリエル様は見る。
「待ってんでしょ? こいつがあたしたちに飛びかかるのを。自分は何もしないで周りが何か失敗をしてくれるのを。上手いことこの場を何とか出来るまで、誰かが何かをしてくれるのを」
「…………」
「心配しなくても、あんたに説教する気はないわ。でもね、一つ言わせてもらうならね」
アリエル様が中指を立てて舌を出す。……その意味をこの国の人間はわかるのだろうか。
「今この場にいるあんたたちが無傷で生きてるのは、あんたたちが正しいからでもあんたたちが強いからでもないわ。あたしとカラスが優しいからよ。そうじゃなかったら今頃この城ごと真っ平らになってんだからね、そこんところよく弁えときなさいバーカ!」
んべ、と出した舌を更に強調し、アリエル様は啖呵を切る。
それからくるりと回ってジュラを見下ろした。
「それで、不手際の勘違いだったんだっけ?」
「は、はひ……!?」
「そうかもしれない、ってさっき言ってたわよね?」
は、は、と短い息をジュラは繰り返す。頬は蒼白に痩け、目の下も窪んで見えるほどの憔悴。彼らにとって、聖人に逆らうことの精神的圧迫はそれほどまでなのだろうか。
自分の反吐が染みこんだ絨毯に両手をつけた老年の女性をなんとなく哀れな目で僕は見下ろす。そうしても、もはや睨み返してくることもないのだが。
「あら、では大変ではないですか、陛下」
そしてこちらはジュラの様子に反してだいぶ元気だ。
コロコロとした笑みを浮かべ、ミルラは明るく王に問いかける。実際やったら不敬なほどに気安い態度で。
「何?」
「カラス殿の罪とおぼしき行為は不手際の勘違い。ならば、死罪も追放もないはず。それを陛下は申しつけてしまったというのに。……取り消すべきでは?」
「そうか、そうであったな」
だらりと下げた拳を震わせて、また震える声で王は応える。
「じゃが、言ったとおりそれは既に決まったこと。たとえ不手際の勘違いでも、もはや誰にも覆すことは出来ぬ」
「たとえ無実とわかっても、でしょうか?」
「不手際でも勘違いでもないことが一つある」
王は僕を見る。
力が入り血走った目で、真っ直ぐに。
「カラス殿。不敬罪というものをご存じか」
「……はい」
僕は素直に頷く。
不敬罪。王族や貴族に対し礼を欠く行為を行い、冒涜することにより成立する罪。
「貴族法によると、無礼打ちすら許される行為。もちろん、存じております」
以前ウェイトが、貧民街で街の行いに抗議した男の指を折ったのもその一環だ。騎士爵を持つウェイトへ嘘をついたということ、それもこの国では立派な罪で刑罰の対象になる。
「先ほどまでの振る舞い、追放令への抗拒、聖騎士団長への暴行。それらは全てこの場で起きたことで、皆様も証人となってくださる」
王は貴族たちを見回す。
僕もそれを追って周りを見るが、何故だか誰も目を合わせようとはしなかった。多分、王とも。
だが王は続ける。
「我ら王族を冒涜することは、我らがエッセン王国を冒涜すること。カラス殿の不敬罪を、この場の全員が証言しよう。それはアリエル様すら否定はされまい」
「そう思う?」
「行いを見ていない、とは言わせませぬ。申し訳ないが、アリエル様とてこの罪の有無には口出しできぬはず。これは我らの認識によるもの故に」
……簡単にいえば、自分たちが失礼だと思ったら罪、ということだろう。
僕は無意識に鼻で笑ってしまう。それもまた不敬なのだろうが。
「不敬、しかし死罪にすることなくカラス殿を追放と致す。これは私たちの優しさだと思うが、いかがか」
最後の言葉はアリエル様に向けて。先ほどの言葉の意趣返しだろう。
皺の中に怒りを浮かべた表情で、王はこちらにまた顔を向ける。
「そして我らは許す。英雄カラス殿がその功績を償いとし、加えてただ一言、その非礼を詫びて頂ければ。追放令を撤回し、発端となった騒動自体もジュラ殿たち聖教会の勇み足によるものだったと……それでこの件を落着とさせて頂きたい。いかがか?」
全員の目が、僕へと集まる。
僕はその視線を全て無視して、ただ王を見返した。
日の向きが変わったらしい、影も形を変え、この謁見が始まったときのような威厳はもはや見受けられない。
睨むような迫力も、重々しい雰囲気もある。しかしその全てが薄っぺらに見えて、言葉も命令や説諭のようなものでもなく、ただ嘆願のように聞こえた。
……なら、一番困るのは。
「では、先ほどの私の言葉は撤回致します」
僕の言葉に応えるよう、王は拳を微かに握った。意識したわけではないだろうが、手応えあり、とでもいうような。
だが、僕がここで吐くべき言葉は謝罪ではない。
僕は立ったまま頭を下げる。
「追放令、確かに承りました」
「…………何と?」
「死罪を緩めて頂いた王陛下のご厚情に感謝を。戦争が終わるまでには、この国を出てゆくべく準備させて頂きます」
準備と言ってもたいしたことはない。
いくらかの慰労会を行うだけだ。友人たちとのお別れの会とでもいおうか。予定が合わなければ残念ながら流れることになるだろうけれども。
顎髭の上で唇を震わせる王の顔を僕は見つめる。
その顔に、王の考えが読める気がする。
この城で、改めてレイトンから学んだことがある。わかってはいても僕がなかなか出来ないこと。それは『相手の立場になって考える』ということ。
今回、王が一番望ましかった展開は、僕が謝罪を口にし、全てが元通りになること。僕は功績を譲渡し、ミルラは何も得られないという展開。元々僕の異端のことなど、ミルラから功績を取り上げる口実に過ぎなかったのだろう。
そしてそうなれば、アリエル様との関係を再構築することも出来るかもしれない。王の僕への仕置きと僕の王への非礼で相殺し、アリエル様との関係を良好にし国の力とすることが出来るかもしれない。
そして、この騒動を僕が王へと謝罪して終わったという形にすること。この場にいる貴族たちはどう思うか知らないが、周囲に広がる噂話の上では自分の面目を保つことが出来る。
……くらいだろうか。
毎度のことながら、意識して考えないとなかなか考えられないのは今後の課題かな。
そして嫌がらせを加えるなら。
「申し訳ありません、お母様。私はこの国を追放になってしまいました。お母様はどうなさいますか?」
「そうねえ……」
加えるというよりも強調に近いが。
「あたしも出て行くわ。あんたがこれからこの国に入れないってんなら、付き合いましょ」
仕方ないわね、とアリエル様が呟く。
その言葉に、焦るように汗を噴き出したのは王のようだった。額が汗にてらてらと光る。
「待……」
「さあ、そうと決まればいきましょうか」
王がまた何かを話そうと口を開いたが、それを無視してアリエル様が僕に呼びかける。
僕は頷く。ミルラはそれを見て、声なく笑っていた。
それからアリエル様は、王を見上げた。
「ねえ、早く。たしかあんたが言わないとこの子たち退出できないのよね。礼儀とかいう人間たちの面倒くさい習慣で」
声は冷たく、もはや興味は失せているような。
「用は済んだでしょ? とっととあたしたちを茶番劇から解放して。出てけって言うなら好都合よ。『下がってよろしい』って一声口にしなさい」
そう、反論を許さない口調で言った。




