朝飯後
「改めて、昨夜は儂の邸内ですまんかったのう」
「いえ、スティーブン殿にはご迷惑をおかけしたきりで、こちらこそ申し訳ないです」
川エビや山菜の入った豆乳スープに麺麭などを合わせたような朝ご飯。それらを食べた後、僕たち三人はまたスティーブンに呼び出されていつもの板の間にいた。
開口一番に頭を下げられて、面食らったのは勿論僕の方だ。
反射的に謙遜じみた言葉を吐いたが、そもそもに僕はその通りだと思っている。
事実そうだろう。僕が来なければ、この道場で昨夜のような騒動が起こることもなかったのだから。
結局あの後は誰も僕の前に現れることなく、静かに集団は解散していった。
騒ぎを聞きつけた騎士と衛兵が幾人か鎮圧に来たが、それが来るまでもなく。聖教会の者たちも、アリエル様に反論することもなく静かに。
「昨夜の暗い中では中々確認出来なかったかとも思いますが、何か壊れたものでもあれば勿論弁償させていただきますので」
怪我人の有無は昨夜既に確認済みだ。やはり僧兵に突き飛ばされた若い女中がいたらしく、壁にぶつけたせいで頭に軽い瘤が出来ているのと、床に手をついたときの擦り傷があった。さすがに僕が治すわけにはいかないが、ソラリックが一番に手を上げてくれたのもありがたいことだった。
僕の申し出に、あぐらをかいたスティーブンは笑みを浮かべつつ首を横に振る。
「そんなこと気にするでないわ。請求するならあの無礼な聖教会じゃしの」
「本当何よあいつらマジ失礼しちゃう」
つまらなそうに、アリエル様が足を投げ出して言う。
怒ってはなさそうで、不機嫌でもなさそうだが、やはり不満げに。
「その……」
そして、静かにおずおずと言葉を発したのはソラリック。その顔を見て、スティーブンは『しまった』と僅かに眉を顰めた。
僕はその理由について一瞬考えたが、まあたしかに無神経だったかもしれない。
ソラリックは静かに三つ指をつく。
「私ごときの謝罪ではどうにもなりませんけれども。聖教会の対応については、私からも謝罪いたします。同輩が申し訳ありませんでした」
ソラリックはスティーブンに向けて頭を下げ、また小声でカラスさんにも、と付け加えて、アリエル様と僕に向けてもう一度頭を下げた。
焦るようにスティーブンは苦々しく笑う。
「いやいや、ソラリック殿のせいでもあるまい。あんなのは聖教会の中でも過激派みたいなもんじゃろ、わかっとるよ」
「……マクスウェル高等治療師様は、このイラインの筆頭派閥の有力者なんです」
「あむ」
いつもより声に張りがなく、いつもよりも自信なさげにソラリックから吐き出された言葉。その言葉を聞いたスティーブンが、口を塞がれたように閉ざした。
「アリエル様、申し訳ありません、ご子息を、私のせいで窮地に……」
「何を言ってんのよ、誰のせいって決まってるじゃない、大抵そんなのうちの馬鹿息子のせいよ」
パタパタと右手首から先を振り、ケラケラとアリエル様が笑う。
……まあ否定はしないが。
だが目を伏せたソラリックが泣きそうで、そしてアリエル様が声をかけても一切顔を明るくしないのを見て、困ったようにアリエル様は僕に視線を向けた。
何とかしろ、ということだろうか。そういうことだろうが。
「まあ、禁忌についてはソラリック様は何も悪くはないでしょう。全ては僕の選択です。ソラリック様は未だ約束をきちんと守られているのですから」
そもそもに今回の異端者騒動は、ソラリックとは何の関係もない。切っ掛けとなった出来事はテレーズに対する心肺蘇生だし、それは彼女に請われてすらいないこと、僕が勝手にやったことだ。
もしも彼女が原因で異端者扱いされるとするならば、それはテレーズの腕の話。そしてそれは話題にも上がっていない以上、ソラリックに失敗はない。むしろよく漏れないようにしてくれたと褒めるべきところだ。
そしてまあ、このスティーブンの道場で騒動が起きたということは僕が悪いと思うが、聖教会がことを起こした原因に関しては、僕は一切悪くないと自分でも思う。
「それに、やはり蘇生が悪いなんて僕には思えませんし」
昨夜あの高等治療師が口にしていた禁忌の話。
心肺蘇生は既に失われたものを取り戻す悍ましい行為。既に神の御許に到達し、安らぎを得ている魂を流れに逆らい呼び戻す行為。そうとされている事実は知っている。
だから、彼らにとっては、もしくはその教えを信じている者にとってはそれは悍ましく汚らしく悪いことなのだろう。
悪いこと。破ってはいけない決まり。そういわれていることはもちろん知っている。
しかし知っているだけだ。僕にはそうは思えない。やはり。
「僕が行った禁忌とされる行為は、『失われた命を取り戻した』ということ。命の危機に瀕した人がそこにいて、何もしなかったということならばまだしも、その命を救ったら罰される。それも人の命は大事だと掲げる集団に。やはり納得は出来ませんね」
「あたしもね。いつそんな決まりが出来たのよ」
ふん、と腕を組んでアリエル様が鼻を鳴らす。
だがその仕草に、僕とソラリックは顔を見合わせた。
一瞬。だが、確実にそこでお互いに言いたいことは伝わっただろう。
それはソラリックが、ほんの僅かに笑みを噴き出したことからしても。
「どうもそれは、アリエル様が原因らしいですよ」
「あたし?」
自分を指で差し、わけわかんない、とアリエル様が僕を見る。そして頷く僕を見てソラリックの方へと顔を向けたが、ソラリックもコクコクと頷いていた。
「聖教会の本国、その禁書棚に、外典とされている本があるそうです。アリエル様の所行を記した」
ねえ? とソラリックに僕は顔を向けて声なく問いかける。これに関しては彼女の方が詳しいだろう。一度読んでいるならば、彼女ならば暗誦出来てもおかしくない。
「曰く、戦場で死した者、頭部を損壊した兵士をアリエル様がその魔法で修復した。そして勇者の協力で息を吹き返させることに成功した。しかし、その者は蘇ってからも人の言葉を喋ることも出来ず、自身で匙すら持つことも出来ぬ白痴として生涯を終えたのだと」
そんな感じだったと思う。僕がソラリックの方を確認のために見れば、彼女も否定せずにまた口を開いた。
「実際に禁じられている理由がわかっているわけではないんですが、そのことを切っ掛けに人の身体を再生させる法術や、人を蘇らせる法術が禁忌とされているという、噂です」
「……へー……」
まるで他人事のように、アリエル様が空気の抜けた声を出す。ぽかんと口を開けて。
「……何? 何がいけなかったの?」
「きちんと快復しなかったのが原因、ということですが」
ねえ? とソラリックにまた僕は問いかける。
もっとも、蘇生の禁止の根拠はその外典から、ということだが、『取り戻す行為』自体の禁忌は僕には分からない。ソラリックにも詳しいことは分かっていないのではないだろうか。
「覚えてないわね。誰を治したげたときの話よ?」
「出典が厳重に保管された禁書ですから。読んだことはないので分かりません」
「その、私も……」
おずおずとソラリックも僕に追従する。だがその言葉に、アリエル様は大の字になるように座布団の上に倒れ込んだ。バタンと。
「ならあたしもわかんなーい。あたしの知らないところで決められたことだからわかんなーい!」
「でしょうが」
もうここまで一緒にいればそれくらいはわかっている。
アリエル様は、過剰なまでに神格化されているのだ。本人の行いが記されたという聖典の記述に留まらず、誰かの『恐らく』『きっと』の願望までが投影されている。
昨夜の高等治療師もそうだし、他の聖教会の信徒も。
誰もアリエル様本人の言動など気にもしていないし、聞いても単語単語を自分好みに解釈しなおすだけだ。
それは妖精という種族のせいもあるだろう。事実、ほぼ同じ境遇のドゥミに関してはそう噂すら聞いていない。
伝説の種族。滅多に人前に現れない超常的な存在。故に、人間相手には出来ないところまで願望を積み上げているのだろう。
それ故に、アリエル様が言ってないことも言ったことにされ、言ったことも言わなかったことにされる。
もっともやったことは消えないので、あの高等治療師を殴ったことはどういう解釈にされているのかわからないが。愛の鞭とか言いだしたら、さすがに僕も笑う。
つまりまるで僕の逆。
さすが僕の母を名乗るだけある。僕は全てが悪い方に、彼女は全てが良い方に解釈されるということで。
しかしだから、彼女は確かに聖典については『知らない』『わからない』でいいのだろう。
どこか知らないところで、自分の行動が好き勝手に何かの判断材料にされる。その不快感はよくわかるつもりだ。
「でもまー、いいでしょ。勝手に言わせておけば。あいつらがあんたを自分たちの決まりで処刑でも何でもするんなら、あたしがあいつらの敵になるだけよ。フィアンナのいた木っ端教団なんてぶっ飛ばしてやるわ」
「それに関しては……僕の方は心配要りません。手荒い真似をして良ければ、逃げることなんて簡単なので」
「だから?」
だから、と僕が言う前にアリエル様が口にする。僕の言葉の先を予想するように。
実際、予想は出来ているだろう。その何となく苛ついている顔は。
「今は僕はミルラ・エッセン王女殿下の命で動いていますが、本来雇われているのは一応ルルの母親であるレグリス・ザブロック女伯爵閣下……聖教会に睨まれた場合、迷惑がかかるのはルルです。彼女の保護をお願いします」
「細かい話はよくわかんないけど、守ってやってくれってこと?」
「平たく言えば」
なるほど。
話しながら、僕は僕の言葉に納得する。それで全てが解決する。
僕個人の問題はどうでもいい。僕は森に逃げ入り、人間の社会と関わりを断てばそう問題はない。ネルグでもいいし、他の聖領でも良いが、その奥まで追ってくるのは考えづらい。
そしてその上で考えなければいけなかったのは、僕が異端者となった場合のザブロック家への、ルルへの迷惑。それを防ぐためにも間にミルラ王女を一枚噛ませているが、さらにそこにアリエル様の庇護が加われば盤石だ。
勇者は死んだ。ならばルルの意に沿わぬ結婚は一応遠ざかった。
レシッドやスヴェンにはミルラ王女からの報酬が出れば問題ないし、出ないのならば申し訳ないが僕から出そう。森の生活に金貨は要らない。
「Fuckin'!」
それがいい、と膝を打つくらいに感心した良い流れ。
だがそれを考えていた僕に、アリエル様は仰向けのままデコピンの衝撃を飛ばした。
額に鞭で叩かれたような痛みが走る。
「ルルちゃんが大事なら、守るのはあんたよ。あんたがやんのよ。自分の手で、自分の足で」
よっこいしょ、と声をかけてアリエル様が起き上がる。『足』という単語を付け加えたのは、……強調だろう。
「また自分には出来ないって諦める気? 言っとくけどね、頼子のこと許したわけじゃないんだからね」
「ヨリコ……?」
「ああ、気にしないで、あたしたちの間だけで通じる話だから」
ソラリックが首を傾げる。
何となく、聖典からそんな名前を脳内で検索したのだろうと思う。先ほどのフィアンナが聖女の名前だったから、と連想して。
けれども、その名前はきっと出てこない。
まさしく今は、僕とアリエル様の頭の中だけにいる人物で。
弾かれた額を僕はさする。
痛い。
「あたしはあんたの母よ。あんたは確かに守ってあげる。でも、あんたの周りはあんたが自分で守りなさい。あたしを使ってでも、あんたがやんのよ」
「同じことじゃないですか」
アリエル様を使うのであれば。つまり、先ほどの言葉の通りではないだろうか。
「頼るのと使うのは違うの。分かる?」
「わかりますが……」
「困ったら昨日みたいに啖呵切ればいいじゃない。あたしの名前をあんたがそう使うなら許してあげるわ。聖教会の奴らとは違うんだから」
「ほほ」
スティーブンが唇から空気を漏らすように笑う。出来るだけ雰囲気を明るくしたいという気遣いからの笑みだろうが、半分くらいは本気で。
「昨日の啖呵は格好良かったのう。普段のカラス殿からは想像も出来ん剣幕でな」
「もしかしてからかってます?」
「こいつあたしの前だからって格好つけてんのよ。馬鹿ね」
そしてスティーブンの方はわからなかったが、アリエル様の表情はわかる。からかってる。
何となく不快で僕の顔が歪んだのが自分でも分かる。そこまでおかしなことを言った気は自分ではしないのだけれども……。
「いやいや、母親の前でいきり立つ姿は微笑ましくもあるが、男児は確かにそうでなければならんと思いますぞ」
「そ、そうですよ。格好良かったですし」
「お気遣いどうも」
これ以上この話題は続けては駄目だ。何となくそう判断出来た僕は、否定せずに出来るだけ反応を返さずに一言だけ返す。
にやにやとしているスティーブンと、共感性羞恥というやつだろうか、僅かに頬を赤くしたソラリックに向けて。アリエル様には視線すら向けてたまるものか。
そんな益体もない話をしている最中、部屋の表が騒がしくなる。
物々しいというわけではない。ただ単に、そこに控えていた女中の下に注進のような報が入っただけで。
こそこそと、一応中に聞こえないように別の女中が控えていた女中に耳打ちする。もっとも僕の耳には単語くらい届くし、その中で聞き覚えのある単語があるのはよくわかったが。
す、と静かに木戸が開けられ、年配の女中がスティーブンを見て、それから一度僕を見た。
「旦那様、スヴェン・ベンディクス・ニールグラント、レシッドと名乗る男性二人がカラス殿を訪ねて参りましたが、通しても?」
「おう?」
そしてスティーブンが僕を見る。彼らが仲間だと名前だけは既に伝えてあるが、一応の確認だろう。昨日のこともある。
だが問題はあるまい。スティーブンとアリエル様がいるこの家屋内で、レシッドたちの名を騙って暴れるような猛者がいるとは思えない。僕は頷き、適当な部屋を借りようと口を開こうとする。
「儂は自室に下がる。ここへ案内してやれ」
「はい」
そして僕が口を開く前に、スティーブンが口にした命令を、女中はにこやかに了承する。
スティーブンが消えたその後、部屋に現れたレシッドは、僕たちを確認するよりも先に部屋の中にボロボロの状態で倒れ込んだ。




