もしも
結局アリエル様は僕の肩の上で、そして僕は何故だか騎獣車に揺られていくことになった。
僕はいつも通り走っていくという提案はアリエル様が却下。肩の上の居心地が悪いと。ならば降りればいいのに。
あとは二人だけで先行するということも考えたが、ソラリックを置いていくわけにはいかないし、身体に不安のあるテレーズはソラリックが近くにいなければいけない。更に、一応クロードはテレーズの警護をしているような心持ちで離れたくはない、ということでそれはなし。
幌もない小さな荷車を騎獣一頭で引く。荷車自体にスペースはあるし別々に座れるはずだが、アリエル様は悠々と僕の肩の上でくつろぎ、どういう理屈か髪の毛を靡かせることもなかった。
「思い出の部屋を使えば楽に移動できるのに」
「それ、先ほども思ったんですけど」
ぼやくように口にされたアリエル様の言葉に、僕は小さく声を上げる。アリエル様は言い返されるとも思っていなかったようで、「ん?」と吐息のような声を上げて続きを促した。
「英雄譚には、先代の勇者様が高名な魔女の転移魔術で移動したことによって難を逃れた場所があったと思いますが」
「あったっけ?」
「ありましたよ」
あったはずだ。エウリューケが使う転移魔術の出典の場面。千里を離れた街が危機に陥っていると聖女が託宣を受け、人里離れた場所で暮らしていた孤高の魔女の協力の下、勇者が転移魔術を使ってその街へと急行したとされる。
その記述が創作だった……ともなればそれはそれで面白そうだが今は趣旨が違う。
「とにかく、先代の勇者の旅で思い出の部屋を使わなかった理由は何でしょうか? 旅路の中で、主な移動手段は騎獣によるものだったと思いますが」
思い出はどこへでも行ける。過去でも未来でも異世界でも。そんなようなことをアリエル様は昔口にしたと思うが、ならばそれを使えばいいのに。
「思い出のある場所にしかいけないから、かしら。私たち五人全員が知らない場所だったらさすがに無理よ」
「つまり過去に行った場所しかいけないと?」
「そうでもないわ。行ったことなくても思い出はあるでしょ」
「……?」
僕は首を傾げる。
アリエル様は、そこで初めて靡いた髪を耳にかけた。
「想像してみて」
目を細めて、静かに口にする。今の今まで世間話のような口調のはずだったが、遠くを見つめて何故だかまるで懇願するように。
「あんたは今パリのシャンゼリゼ通りにいるの。あんたが座っているのは、赤い風除けのテントの下で、歩道みたいな広場に小さな背もたれつきの丸椅子と木の机が並べられているカフェ」
僕の肩に座っているアリエル様の踵が僕の鎖骨辺りを軽く叩いた。
「横には背が高くて葉っぱのほとんどない街路樹、またそのすぐ奥には六車線の道路が走っていて、緩いエンジンの音を立てながら車が走っていく。車が走っていく先にあるのはかの有名な凱旋門よ。切手みたいに小さく見えるけど」
もちろん僕は行ったことはない。パリになど、ましてや外国になどおそらくは。
だが、凱旋門という言葉を皮切りに、道路、更に椅子などが適当に僕の頭の中で再生される。それも全て想像で、もちろん実際にあるとは思えないもの。光景。
……それで?
「机の向こう側には、一人女性が座っているわ。貴方と同年代。小さなエスプレッソを片手に、あんたと笑って話してる。外はまだ寒い日。白いセーターを着て、小さなポシェットを斜めがけにしているルルちゃんよ」
「…………」
「コーヒーは蜂蜜とショコラパウダーで甘く味付けされて良い匂い。二人の間にはミルクチョコレートが二枚、白い皿に重ねて置かれている。甘いものに甘いものを重ねる食文化に感心しながら、あんたとルルちゃんは興味深げに味わうの」
「……楽しそうではあります」
「それからあんたたちは、ついさっきオペラ・ガルニエで見たオペラの感想を二人で話す……ね?」
アリエル様は風で揺れる僕の髪の毛を引っ張り、手に巻き付けるように弄ぶ。玉留めのように捻れていくが、結び目をつけないでほしい。
「あんたが今私の話をちゃんと想像したなら、今あんたの中には思い出が出来たのよ」
「単なる想像ですね」
アリエル様が言いたいことを何となく理解しながら、僕は軽口を返す。
しかし単なる想像、というのも間違いではあるまい。ルルはパリになど行ったことはないし、世界が違う以上行くことも出来まい。そしてそこに僕がいることもないだろう。
行ってしまえばまた『事故』が起きる。向こうの世界の何かが、弾かれるようにこちらへと来てしまうということを考えれば。
「そう、今の時点では単なる想像。でもね、思い出は過去に起きたことばかりじゃないわ」
「…………」
「未来の思い出を夢というの。そうなりたい自分、もしくはやりたいこと。『もしも』、なんて想像だって。だから、思い出はどこにでも行けるのよ。もしも自分がパリにいたら。もしも自分がテイムズ川のほとりにいたら。もしも自分が原始時代にいたら。もしも自分が千年後の自由の女神像の足下にいたら」
「僕の知る『思い出』という言葉からすると、随分と定義が拡張されているようですが」
「だったらあんたたちの定義が狭いだけよ」
不満げにアリエル様が溜息をつく。
「しかし、……ならばなおさら、旅に思い出の部屋を使わなかった理由が分からなくなりますけれども」
『もしも』を使いどこにでも行けるのであれば、なおさら使わないわけがない。
先代勇者の旅は、先代勇者の修行と各国への顔つなぎを兼ねた旅だったという。ならば、『もしもあの国の王の前にいれば』『もしもかの有名な剣豪の前にいれば』と思えばショートカットは容易だろう。
うん、とアリエル様も悩みながら、口元を押さえる。
「他の四人が嫌がったのよね。あまり時間を移動するのは嫌だとかなんだとか」
「…………?」
「ほら、思い出の日付って決まっているでしょ? ある宿屋に泊まったのが満月の日だったら、その宿屋にまた行こうって思ったらその満月の日になっちゃうの……が気になったらしいんだけど」
言ってから、アリエル様は小声で「わけわかんないけど」と付け足した。
正直僕もよくわからないが、……いや、何となく問題点が見えてきた気がする。
「……つまり、たとえば先ほど思い出の部屋を通って王都へ僕が行ったとしたら、どこへ着いたんですか?」
「私はルルちゃんとの思い出なんてないから、さっき死にかけたあんたと繋がった夢を見てたルルちゃんのベッドになるわね」
「つまりそれはいつの」
「知らなーい」
なるほど。
何となくわかった。
「ではたとえば、今この瞬間の王都に行くことは出来ないんですね」
「出来なくもないんじゃない? あたしはそんな細かい制御無理だけど」
アリエル様は何でそんなことを? と不思議そうに首を傾げた。
なるほど、だからだ。
もちろん原理上、今この瞬間から次の瞬間の王都へと移動することは出来る。けれども……なんというか、移動には必ず時間軸の移動も伴ってしまうということだろう。
思い出の部屋による移動は、場所の移動ではない。
定義的には、……なんといったか、SF小説などで見たことがある気がする、タイムリープだっけ? に近いのではないだろうか。
「何かそんな重要なことかしら?」
「重要ではないでしょうか。ルル……様に無駄な心配をかけることになるかもしれませんし」
言われて僕は何となくそう答える。
その『夜』と今が何日ずれているかは分からない。けれども、たとえばそれが終戦後半年経ってからだとしたら、半年間も彼女には余計な心配をかけることになる。
もしくは十日前のことだったら、更にまた事態は複雑化する。
すぐにまた思い出の部屋を通ってこの時点に戻ってくれば問題はないのだろうか? いや、そういう複雑なことを考えるのは面倒なので嫌なんだけども。
先ほどアリエル様は宿をたとえ話として出した。
……実際にやったのではないだろうか。何日後かから意識だけを戻した結果、話が食い違ってしまったり余計なことをしてしまったり。または、何日か時間を飛ばしてしまったりとか。
タイムパラドックスとかどうなったんだろう。
アリエル様は溜息をつく。
「ああ、なんだ、あんたはわかるのね、勇者の……ナオミツの言ってること。あのときもそうだったのよ。みんなわかって、私だけ仲間外れ。あーあ、あーあ」
膝に肘をつき、顎に手を当てて嘆く。
僕は、アリエル様の言っていることも何となくわかる気がする。そしてたとえば、スヴェンなんかならばアリエル様に同意する気がする。なんとなく。
なんのこともなく、単に僕ら共通の問題というだけだ。時間感覚の欠如というか、他人との時間のずれへの無頓着さというか。
「なるほど、使わないわけですね」
「あんたも反対派?」
「そうですね。少なくとも一度はこの足で王都に行くまでは」
その表現が正しいのかは分からないが、少なくともまずはこの時間軸でルルに会わなければいけないということだろう。
もしかしたら行き先が今日の夜の王都で、ただの時間の短縮になるのかもしれないが。けれど、ここまでくればまた何か別のデメリットがあるかもしれない。最悪移動で頼ってもいいが、頼りづらくはなった気がする。
先ほどの言い方であれば、移動は『もしも』が叶う。良い『もしも』だけならば構わないかもしれないが、悪い『もしも』が叶ってしまったら。
一つだけ言えるのは、思い出の部屋による移動は単なる移動ではない、ということだろう。
「……人間たちは面倒で困るわ、貴方には苦労をかけるわね」
しみじみとアリエル様は僕たちの荷車を引く騎獣に話しかける。角に傷のあるハクは、その言葉に応えてブルと僅かに鳴いた。
ちなみに、僕たちの荷馬車を引く騎獣に御者はいない。……アリエル様が普通に会話して指示を出せたからだ。
僕が鳥と会話をしているとき、皆にはこう見えているのだろうか。動物に話しかけるという行為自体はありふれているが、なんとなく、意思疎通できているという雰囲気は不思議な感覚だった。
「じゃあこれからの予定は?」
アリエル様が背中の金の髪の毛をさらりと払い、僕へと向けて鼻を鳴らす。
僕としてもそんなに細かく詰めているつもりはないし、これから決めなければいけないこともあるようだ。
「……エッセン王国副都イラインでエッセン王国軍は防衛戦のために陣を張るそうです」
「言い方が悪かったわね。あんたの予定は?」
「話している途中ですね」
言葉にはしていないが、回りくどい、と嫌みのように叱られた気がする。だが、必要なことではないだろうか。
僕は抗議まではしないまでも、間近なアリエル様の顔にちらりと目を向けた。
「僕たちは明日到着予定ですが、正直この戦争にはもう興味がないので戦闘に参加する気はありません。あとはイラインで待機します。森にいる協力してくれた二人の到着を待って……」
「だからあんたは?」
「二人の到着を待ち、終戦まで待機する予定でしたが、させたいことがありそうですね?」
執拗な、言葉にしない『違うでしょ』に僕は応える。
アリエル様は小さな拳で僕の頬をぐりぐりと押すが、……まあだいたい言いたいことは分かっているつもりだ。
「当然でしょ。帰るわよ。王都でルルちゃんが待ってんだから」
「僕も戻りたくはありますけれども」
というよりも、もちろんそれを最優先にはしたい。最優先に決まっている。
しかし、レシッドとスヴェンを置いていくのは不義理だしそもそも責任者としては無責任だろう。
だから折衷案としては。
「では、せめてイラインでレシッド、スヴェンの両名を待とうと思います。彼らの到着後、それから一度戻るとしましょうか」
その際に僕に代わる指揮官としてはレシッドでいいだろう。スヴェンも一応ミルラ麾下ではあるが、僕が個人的に雇ったということであとは戦争終了まで自由行動でも構わない。戦後一応顔だけ出してもらえれば。
……そうすると隊としてはレシッドとソラリックだけになるので、隊という単位が名目だけになる感があるけれども。
テレーズは団としては壊滅しているが、聖騎士としてイラインから引くわけにはいくまい。その彼女のためにソラリックは残り……僕としても少し心配だ。
なら。
「真面目というか、糞真面目というか、ねえ?」
「そのために、相談があるんですけど」
「なによ」
「預かっているテレーズ・タレーラン閣下のことなんですが」
「さっきの髪の長い女よね」
「どうも、心臓の調子が悪いんです」
それから僕は、一応とテレーズの病状についてアリエル様に説明する。
もっとも、僕としても彼女が心不全を起こした原因も機序もさっぱり分かっていないのだが。わかっているのは、外傷や内臓などに異常は見られなかったこと。そして会話の最中、あきらかに血流量の低下から失神したことなど。
そして話を聞き終えたアリエル様は。
「よくわからないわっ!」
そう、自信ありげに胸を張って言った。
「……どうにかして、なんというか症状が出ないようには出来ませんかね」
「病気に関してあんたにわかんないものがあたしに分かると思うの? 日本であんたが読んでた分厚い本なんか、何が書いてあんのかちんぷんかんぷんだったわ」
「しかし、さっき僕の身体を治してくれたじゃないですか。それに、昔どこかで兵士を治療したという伝承も残っていますし」
「あたしが出来るのは絆創膏の代わりくらいよ」
「…………」
絆創膏の代わり。つまり、外傷に対してのみというところだろうか。先ほどの僕の治療は、千切れた血管や折れた骨などの治療も含めて絆創膏でどうにかなるものでもなかったが。
もしくは伝承では損壊した頭部を治療していたはずだし……。見た目だけ、とかそういう話だろうか?
つまり怪我に対してのみで、テレーズのような病に対しては難しい、と解釈すべきだろうか。
推論を重ねながら、僕は口ごもる。
なんというか、僕は慣れない状況に遠慮しているのだろうか。先ほどから詳細を聞きたいのに言葉が出てこない。もどかしい。
まあいい。
「じゃあいいです。何かあったらソラリック様に期待をするとして、任せるとしましょう」
「彼女もプロなんでしょ? もとから心配なんか必要ないわ」
アリエル様の言葉に、僕も納得したように頷いた。よく考えてみれば、イラインには既に治療師団が再建される程度には他の治療師もいる。彼女がどうにか出来ずとも、他の治療師ならどうにか出来るかもしれない。……蘇生処置は、無理かもしれないが。
せめてアリエル様に発破をかけてもらうことに決めて、僕はその話題を打ち切った。
夜間の狼の襲撃をアリエル様が『説得』でやり過ごし、どうにかして一日乗り切った昼過ぎ。僕たちは森を抜けて副都イラインの端の端、まだ青々としている麦畑へと到着した。
そしてイラインへと足を踏み入れる前、遙か向こうにモスクの建築した石壁が見えているような場所で僕たちを出迎えたのは、仰々しい治療師の一団だった。
道を塞ぐようではない。
麦畑を縫うように敷かれた土の道の端で、まるでバスや電車を待つように十数人の人だかりが出来ている。それも皆深緑色の外套やその上に更に黄色い袖無しの外套を身につけて、背筋を伸ばして誰が来るかを見張っていた。
治療師が目立っていたが、そうではなさそうな者もその対面辺りに疎らにいる。こちらは皆外套を着ている程度で揃った衣装はないものの、何というか『身体を鍛えていない』という細身が共通した印象だ。細身なのは治療師もそうだが。
そして黄色い袖無し外套を着た坊主頭の男性が、先頭で僕たちを見つけたように目を開く。騎獣車の襲歩を止めて、並足での疾走に切り替えてクロードたちと固まって進んでいた僕たちを……いやもう言ってしまうと僕の肩に乗る光り輝く小さな影を見つめ、「拝跪!!」と力強く叫んだ。
「出迎えの挨拶とは殊勝だな」
騎獣を止めて、クロードが軽口を口にする。分かっていて言っているだろう、というのは僕にも分かるし、周囲の聖騎士も含めて誰もそれを本気で言っているとは思っていない。
「お前にしてるわけがないだろう」
「俺も相当偉いはずなんだが?」
だが、義務のようにテレーズがつっこむと、笑いつつクロードは視線で僕たちに先を譲った。
渋々、とアリエル様が明らかに嫌な顔をしつつも僕の肩から離れて飛ぶ。
土下座をするように地面に手や膝をつけ、頭を完全に地面に擦りつけた治療師たちは、その気配に息をのんでいた。
「噂話と笑いここに揃わなかった同胞らの無礼を謝罪させていただきます! 私どもは」
「聖教会の人たちでしょ。見ればわかるってば」
「…………!!」
アリエル様の言葉に、代表者の坊主頭は返答代わりに殊更に身を固める。
「ところで何? 魔王討伐してからもこんなに恐縮なんかされた覚えはないんだけど?」
「とんでもございません。かの暴虐なる魔王を討伐されたアリエル様に、万が一の失礼も」
「過剰反応ってやつかしら」
ねえ? とアリエル様が僕を振り返って笑う。何となく楽しげに、何となく寂しげに。
「OK. なんとなくあたしの扱いを察したわ。ソラリックちゃんの態度の理由もね。……でも気にしないでいいわ、あたしに気を遣うこともないわ。久しぶりに下界に来たのは、ただ息子を助けるためだもの。以上、解散」
散れ、とばかりにアリエル様が手で彼らを払うような仕草を見せるが、当然治療師たちは頭を下げたままなのでそんなものを視界にも入れない。
溜息をついて、アリエル様が腰に手を当てる。
「そういうのつまんないからやめなさい。頭を上げてよ」
「しかし」
「…………」
パチン、と乾いた音が鳴る。アリエル様が人差し指を振ると、坊主頭の両手の辺りから。
同時に上がったのは、ほぼほぼ見えてすらいない微かな青色の閃光。
そして更に同時に、「ぎゃ」と小さな悲鳴を上げて坊主頭が両手とついでに頭を地面から離した。
「人と話すときは相手の目をちゃんと見なさい。それこそ失礼よ」
「も、申し訳……」
ありません、まで言う前に、坊主頭がまた地面に両手をつけようとする。
そしてまた響いた乾いた音……おそらく音からも光からもほんの小さな静電気に、頭を下げられずに困惑していた。
「申し訳ありませんが、今この街にいる治療師の間でも、三つ……二つに考えが分かれておりまして」
とりあえず、と治療師たちを解散させて、坊主頭がアリエル様を案内するように先導を始める。
クロードたち聖騎士は兵舎へと向かった。僕も後で一応顔を出すべきだろうが、もうこの街に着いた以上はどうでもいい気もする。
坊主頭はアリエル様についていく僕とついでに治療師のソラリックを見て怪訝な目をして、それでも何も言わなかった。
騎獣から降りて、徒歩になった僕たち。麦畑。背の低い青い草が風で揺れる。
「三つ?」
「アリエル様が降臨されたというのは、まだ戻ってきた騎士たちの噂話でしかありません。私どものように、アリエル様がこの地に舞い降りたという情報を逃さず受け止め、認めた一派。それに、そのような噂話などありえない、という頑迷で頭の固い一派が」
「もう一つは?」
一応の相槌は打ったもののそれ以上の興味はなく、ふうん、と話を打ち切ろうとしたアリエル様。彼女に代わり、僕が一応声を上げる。
僕からの質問に何となく煩わしさを一瞬だけ漂わせながらも、坊主頭は笑顔のまま顔を向けた。
「無関心、といいましょうか。この尊い奇跡のような事象にも興味を示さず、また事実の確認を愚かにも保留にし、事なかれと治療院での仕事から手を離さずにいる一派で」
「一番好感が持てますけどね」
殊更に貶める言葉を聞いて、ぼそ、と僕が思わず呟いてしまう。内心が口から漏れてしまったらしい。
その言葉も耳に入ったのだろう。坊主頭がほんの微かに怒気を漂わせた気がするが、それに関してはこちらに顔も向けずに無視をすることに決めたようだった。
「……しかし、こうしてアリエル様のお姿を目にすれば、そのような愚か者たちも理解するでしょう。ああ、たしかにやはりこの国は神に愛されているのだ」
「国?」
「聖教会に所属する治療師たち、また信徒たちもこれで安心出来ます。奇跡の一端に浴し、我らこそが、我らが神の一部であると」
うっとりと、どこかを見つめつつ坊主頭が呟き続ける。その瞳孔は散大しているようにも見え、無意味な失笑すらも帯びた言葉。これが、信仰心というものだろうか。
正直、先ほどアリエル様が言ったとおり過剰な反応だと思う。
アリエル様はたしかに聖典の登場人物ではあるが、それも聖典の最後の辺りに少しだけ現れているだけにすぎない。更に、聖典に載る聖人は他にも両手では数えられない程度にはいる。
歴史上の人物、とクロードは先ほど言った。それは正しいと思う。
けれども神の域にいる人物ではない……とも思う。そう思ってしまう僕は信仰心とやらが足りないのだろうか。わずかなりともある気もしないが。
ちらりとソラリックを見れば、唇を引き締めて、何か悩むような違和感を覚えたような表情で首を小さく傾げていた。
彼女に対しても僕は、どうしてそこまでと思わないわけでもない。彼女としても何かしらの思うところがあってほしい。聖教会を変えてみせるといった彼女くらいは。
「この邂逅も、いずれはアリエル様の起こされる奇跡の一幕、その端緒になるのではないだろうかと思えば、私も身が引き締まる光栄に存じます」
「奇跡なんて起こす気もないけど」
「そうでしょうとも。尊い方々のなさることは、いつだって無為であり無垢であり無私であり無作為であるもの。それを私たち余人が目にすればそれが奇跡となって映る。アリエル様はただアリエル様であるだけでいい。それを目にした私たちの眼は、曇りを取り除かれるのですから」
「ふーん」
興味がない、とばかりにパタパタと羽を揺すりながらアリエル様がそう意味のない返答で切って落とすが、坊主頭の説法じみた接待は続く。
いつの間にか坊主頭はアリエル様の隣に並び、僕を含めた二人はそれに続いていく形になった。
やがて麦畑を抜け、貧民街は通らず南の門を通って僕たちはイラインの街へと入っていった。
戦時下、更に戦場になるかもしれないということで商店はさすがに閉まっているところが多い。
しかし副都という人口の多い街。もちろんとばかりにそこには多くの人がいて、道端には大勢の騎士や探索者が座り込んだり歩いていたりする。
その上で、先ほど治療師たちと共に待ち受けていたおそらく魔術師たちと一緒だろう、アリエル様の噂を聞きつけて一目見るために来た、という視線が多いと思う。
アリエル様の姿を見て、わあ、と声を上げる人間たちもいる。興味深げにしげしげと見る戦士がいる。これも戦時下だからだろうか、子供はさすがに少ないが。
そしてそれももちろんとばかりに。
「……チッ……」
アリエル様の後ろをついて街へと入り、すぐに。
知らない探索者のような人間が、僕の顔を見て舌打ちをしていた。




