閉じられた扉
朝に見る街の光景は、とても意外なものだった。
ガヤガヤと立ち並ぶ露店の数々。朝食は宿でなく露店で取るのが一般的らしい。
鉄板や鍋が並ぶ通りは、そこかしこに美味しそうな湯気が上がっていた。
人通りはイラインほどでは無いものの、とても何年か前まで開拓村だったとは思えない。
まるで、祭りでも始まったかのような賑やかさだった。
「活気があるというか、騒がしいというか……」
「これ自体はとてもいいことだよ。食べ物が豊富にあるってことだからね」
「最近まで村だったとは思えませんね……。あ、この焼きそば美味しい」
塩焼きそばのようだが、またこれも辛い。だが、朝なので目覚ましにはいいかもしれない。
「で、彼女本当に危機感無いですね」
「あれはきっと性分だから、放っておいてあげよう」
僕らは、まだ目が覚めていないようなテトラに目を向けた。
寝癖で髪の毛がいくつか跳ねており、虚ろな目で虚空を睨んでいる。
フラフラと歩く様は、まるで話に聞く起き上がった死体のようで、おそらく今刺客が来ても反応出来ないだろう。
よく、今まで生きて来られたものだ。
結局、テトラの目が完全に醒めたのは、僕らが食べ終わった後だった。
「急いで食べるから、待って!」
必死に揚げパンを口の中に押し込む姿は、どこか鵜飼いを想像させた。吐き出しはしていないが、苦しそうではある。
喉に詰まらせてはいけないので水を差し出すと、全部飲んでしまった。僕の水筒なのに。
「それじゃ、行こうか。案内よろしく」
「ええ」
食べ終わり、一息ついたテトラを促し、ヘレナさんの所に急ぐ。
街外れの森。その中の小屋で、普段は生活しているらしい。
「ヘレナー! ヘーレナー! いるんでしょー!?」
薄そうな木のドアを叩きながら、テトラは叫ぶ。
ログハウスのような、森の中の小屋。周囲の偽装は適当にしかされておらず、グスタフさんのセーフハウスとは格が違うことがよくわかった。
草が茂る空間に、ぽつんと置いてあるだけだ。
周囲には魔物の気配はない。やはりテトラが言ったとおり、今は別の場所にいるんだろう。
「そういえば、僕ら……というか、テトラさんがこの街に戻ってきたことは町長側にも伝わってますよね? ヘレナさんを移動させるとかそういうことされたりは……」
「ぼくもそれは危惧していたけど、そのことについては問題なさそうだね。思った以上に対応が遅いし、この小屋を見ても杜撰な隠蔽だ。そこまで頭が回る奴らでもないということかな」
「僕ら以外にここまで来る人がいなかったから、とか」
「一応、外部へ助けを求めています」という口実作りのためだけに出された、あの不当な安さの依頼を受ける探索者がいるとは思えない。だから、隠すための備えがそもそも無かった、という可能性はどうだろうか。
「何も知らない街の人間がここに来る可能性だってあるんだ。一応隠すべきだろう? 」
「たしかに、魔物と誰かが一緒にいるという噂が流れても困りますが……」
しかし、それぐらいだったら口封じ出来るかもしれない。
やはり、ただ考えが浅いだけ……かな?
テトラの声を聞きながらレイトンと話していると、ついに扉が開かれた。
カチャリと、ゆっくりと扉が動く。そこにわずかに空いた隙間から、少女が一人、姿を覗かせた。
「……テトラ?」
「よかった、ヘレナ! 無事なのね!?」
テトラが、扉に掛けられたヘレナさんの手を取ろうとすると、するりとヘレナさんはその手を引っ込めて、小さく首を振ったように見えた。
「……ダメ、火傷しちゃう」
一瞬、テトラの魔法のことを言っているのかと思った。テトラの魔法に怯えている?
しかし次の言葉を聞いて、違うとわかった。
「……日の光は体に毒……。外に出るのはもっと暗くなってから……」
「あんた、またそんなこと言って……。だからそんな青白いのよ」
ただの、外嫌いだった。
会話が途切れ、ヘレナさんの視線がこちらに向く。
「っ……!? 誰?」
息を飲む気配がした。出来る限り警戒心を持たせぬように話さなければ。
「おはようございます。テトラさんの友人のカラスといいます。今日は」
「…………嫌」
そう僕が言いかけると、呆気にとられたテトラが扉に手を挟む間もなくパタンと扉が閉じられた。
「ああ! ちょっと!? ヘレナ!」
テトラがまた扉を叩くが、今度は返事が無かった。
レイトンと僕は顔を見合わせ溜め息を吐く。
「結構な難物みたいだね、彼女」
「取り付く島もないとはこのことですか……」
もしかしたら、監禁されてるとかじゃなく、好きでここに住んでるのかもしれない。
そんな気がした。
「で、どうするかな? 話も聞けないんじゃ、彼女を助けるという案も無くなるわけだけど」
その言葉に、テトラがぎくりと表情を固めた。
「本来、余程のことが無い限り話を聞く方が難易度が低いんだけど……、それよりもこの小屋ごと消し去った方が楽ならそうするよ? ぼくはね」
左手を剣の鞘に添えて、レイトンはそう宣言した。
そして、レイトンにはたしかにそれが出来るだろう。それは確信している。
「夜、テトラさんに外に連れ出してもらっても……あー、多分話は出来ませんよね……」
「時間を掛けて説得、すれば……」
扉を見つめながら、テトラはポツリと呟く。しかし、レイトンはその言葉を一刀両断にした。
「その時間を掛けるほどの価値は彼女に無いよ」
「まあ、レイトンさんにとっては「出来れば」程度ですからね……」
生存させるための価値。そもそも、その価値は無理矢理作り出した物だ。それを手に入れるのに浪費する時間や手間を考えれば、手放しても問題無くなってしまう。
「これってもしかして、彼女が知られていなかった理由って……」
「ほぼ間違いなく、隠されていたんじゃ無くて彼女が出てこなかっただけだね。この小屋の周りから見て、今隠されているのは間違いない。だけど、杜撰でも機能していたのは彼女の性格ありきだったわけだ」
「無理矢理押し入りますか?」
「話してくれるんなら、それでもいいとは思うけど……ね」
手詰まりだ。他の人間によるものではなく、彼女の性格のせいで、手詰まりになった。
彼女方面からのアプローチは無しにすべきか?
いや、しかし彼女の協力をやめさせなければ、事態は解決しない。
「まあ、ここで待っていればいずれ出てくるけどね」
僕が悩んでいると、レイトンは不意に呟く。
「え、どういうことですか?」
「もしもキミが小屋の中で生活するとして、何日持つ?」
「ええと、食料さえあれば、多分ずっと……」
いつまでも外に出ないでいられる。そう言おうとしたところで、自分の言葉に気がついた。
「あ、食料を手に入れる必要がありますね」
「そ。さっきの彼女の口ぶりだと夜になってから食料を手に入れているんだろう。そして、この小屋の周囲には畑やそれに類するものは無い。小屋の中に作るのは論外だ」
「つまり、街の中まで行っている」
「どこで手に入れているのかまではわからないけどね。ヘドロン嬢なら知っているんじゃないかな?」
テトラはその言葉を聞いて、唸った。
「ううん……、そういえば、そんな話はしたことがなかったわね……。お父様が死んでから、そんな素振りも……」
「父親が死んでいる?」
「ええ。元々お母様はいなかったようだけど……ちょうど、街に昇格した後、お父様も亡くなっているわ。猟師だったらしいけど、山狩りの最中に、事故で」
「ではそれ以降、彼女は独りで小屋の中で生活しているわけだね? キミの前では」
「それ以前もずっとだったけどね。まあその前は、小さいときはたまに外で遊んだりしてたけど」
昔から続く引きこもり。彼女はずっとそうやって生きてきたのか。
「……なるほどね、わかった。また一つ変更だ」
「ヘレナを殺す……とか言わないでしょうね」
テトラの言葉に怒気が混じる。抵抗してもテトラはレイトンには勝てないだろうに、やはりヘレナさんが大事なのか。
「いいや、違う。ただ、ヘレナ嬢の脅迫の解決はナシだ。彼女は、自分の意思で協力している」
「だから、それは」
「たしかに彼女は魔物を使うのは嫌なのかもしれない。けれど、協力しているのは生きるためだ。彼女が、ね」
小屋を一度眺めてから、息を吐いてレイトンは僕らに指示を出す。
「ここからは別行動だ。キミ達は、町長の私有している戦力の排除に走れ」
「レイトンさんは?」
脅迫の解決がないとすると、レイトンは仕事がなくなる気がする。
「ぼくは魔物の排除と、脱税の実行をしていた者たちの洗い出しだ。安心しなよ、ちゃんとぼくも働くからさ」
「まあ、そんな心配はしていませんよ」
少し頭をよぎったのは秘密だ。
「ヘレナは……」
「ああ、このまま、小屋にいて貰おう。働いてもらうのは、事件解決の後だ」
レイトンは動き出す。
軽やかに木に飛び移り、こちらを振り向いた。
「だから、ちゃんと慰めてあげなよ? ヘドロン嬢」
「……どういうことよ!?」
テトラの呼びかけには答えず、レイトンは風のように消えた。
後に残ったのは、叫ぶ格好で固まったテトラと、立ち尽くす僕だけだ。
「ヘレナに何する気なのよあの男!?」
そして、テトラは僕に詰め寄ってくる。
しかし聞かれても困る。僕には類推しか出来ない。
「わかりませんが、ヘレナさんに何かする気はない……と思いますよ」
だが、きっとこの事件の解決の過程で、ヘレナさんの嫌な事態が起きるのだろう。
ヘレナさんの命は、レイトンに保証されているのだから。
「ヘレナさんと話が出来れば、ヘレナさんの意向も汲めたんでしょうが……」
実際どうだかわからないが、そもそも、そんな慰めが必要な事態にはならないかもしれない。
「う、いや、それは、申し訳ない、けど」
そう言って、テトラは黙って小屋の方を見た。
僕も小屋を眺める。
これだけ話をしていても、外を窺う気配すらみえない。
本当に、外部との接触を断っているのだ。
彼女は今どんな気持ちだろうか。
今自分と無関係の所で、自分に関係した事態が進んでいる。それによって多くの人が考え、動き、時には被害に遭っているのだ。
それを、彼女が知っているかどうかわからない。
けれども知ったとき、どう思うのだろうか。
正直、先程の態度には少しイラッとした。
だから、少しくらい意趣返しをしてもいいだろう。
無関係でいたいのならば、無関係でいさせてやろう。
僕らも街へと歩き出す。
知らぬ間に外の世界が不本意な事態に進んでいても、それは彼女には無関係だったのだ。




