手札の切り合い
ほんじつにわめ
(することはあまり変わらないな)
藪の中を駆けつつ、ラルゴは内心呟く。脳内で地図化した三人の位置関係は、未だ自分の手中にあると感じながら。
賭けに出るとは決意したが、その原則はやはり多くは変わらない。
スヴェンとレシッド、両方を相手にするのは自分でも危うい。ならば、片方だけを相手に出来る状況を作り出すのみ。
既に五度の接触で、スヴェンとレシッドの力量はおおよそ把握したつもりだ。スヴェンだけならばおそらく決着まで二十秒程度、レシッドだけならばその半分ほどで済む。
ならばそれだけの隙を作ればいいだけのことで、片方が始末できればもう片方の相手も容易い。スヴェンの武力のないレシッドも、レシッドの知恵もないスヴェンもいくらかの被害で仕留められるだろう。
(常套手段とするならば、レシッドから狙うべきなのだろうがな)
そしてその場合、狙うのはより簡単に仕留められるレシッドだろう。
そっと木の幹を触りながら、ラルゴはレシッドたちへの包囲を狭めていく。レシッドたちがラルゴを包囲しているのと同じように、ラルゴは仕掛けた罠でレシッドたちを着実に包囲していた。
今ラルゴが起動した罠は単純な煙幕だ。木のうろの中に詰め込んだ生木を燃焼させて煙を作り出す。既に森の中、七カ所に仕掛けてある煙幕は、走り回るラルゴが起動するにつれて森の中の視界を更に悪くする。
(人は視覚情報に頼れなくなった場合、おおくは経験に頼り同じ動きをする。レシッド、お前は立ち止まり、そのまままず後ろに下がる……だろう?)
ガサガサと足音がする。それを耳に入れつつラルゴは二人の位置情報を頭の中で更新する。
動いている影は二つ。そして一つは下がり、一つはそのまま。
おそらく狙い通り、レシッドは後ろへ下がり、そして魔法使いであるスヴェンはそのまま煙の中を走り抜けようとしているはずだ。
ラルゴが注目すべきは、レシッドの気配。煙幕を嫌い、茂みに構わず後ろへ跳んだはずの。
(しかしそちらには罠がある……かかったな)
それからラルゴの耳に風切り音が届いた。大木の重しと木々のしなりを動力に、数十本の蔦がかかった者に絡みつき拘束する罠。殺傷能力の低い嫌がらせのような罠で、本来は自身がその場にいて相手を攻撃するためのものではあるが、今はそれだけでも充分だ。
本来様子を見る余裕はない。一瞬の躊躇が命取りになる、と自分ではわかっていながらも、ラルゴは一つ大きな息を吸って吐いた。
俺は勝てるだろうか。これから行うはずの行動は、失敗すれば大きな隙を晒すことにもなる。
もし仮に、俺の目測が間違っていたら。もしも俺の力が届かなかったら。もしも何か重大な見落としをしていたら。
いつものようにラルゴは一瞬考える。押さえ付けていた弱気が胸の内から噴出しないように、あえて小さく出してまとめていく。
大丈夫だ。
私は勝てる。これから行う行動は、成功すれば勝利が確定する。五度も測った以上、目測の外れはない。力が届かないこともない、今までの人生、また鍛錬を考えれば。
勝てる、そのはずだ。
大きく息を吸って、小さく断続的に吐き出す。自身を鼓舞するために。
それから構え、身に纏うのは《弾く力》と《折る力》。全身を覆ったその力があれば、並の魔法使いでは触れることすらも出来ない。
目標は三十歩ほど離れた位置にいる〈鉄食み〉スヴェン。煙幕に囲まれ、いくつかの枝を折りながら強引に進んでいる傲岸な魔法使いだ。
(ここまでは変わらない。いつもと変わらぬ分断と各個撃破。だが、ここからが違う)
自身に言い聞かせながら、身を低く構え、睨むようにラルゴは森の奥を見る。
茂みや木々で見通しの悪い森。事実、スヴェンたちを肉眼で見ることは敵わない。そして先ほどまでのラルゴは、その見通しの悪さを生かし、障害物に紛れて奇襲や撤退を繰り返していた。
だがそれもここまで。
五度もすり込めば充分だろう。今もなお、おそらくスヴェンやレシッドは、自分が『そう来る』と思っているだろう。
森の影をくぐり、ゆっくりと間を詰めて来ると思っているだろう。もしくは森の影を縫って逃げると思っているだろう。
しかしそれもここまでだ、とラルゴは自身で内心それを否定する。
五英将だ。ラルゴはムジカル兵の魔法使いの中でも最高峰の魔力の強度を持ち、単純な念動力の出力で劣ることもほぼあり得ない。
なのにこそこそと茂みの中を逃げ回る真似をこれまではしてきた。
全てはこの時のために。
身を低くし、足に力を込める。
一瞬遅れて爆発するような音が足下から響く。それに伴い、ラルゴはいくつもの壁を突き破る感触を覚えながらも、前へと跳んだ。
ラルゴの前にあった木々が弾かれ折れていく。
鬱蒼と茂る森の中、到底人が移動できるような道などありえない。故にレシッドなどは特に、直線的な移動を出来ないでいた。
だが道など作ってしまえばいいのだ。
ラルゴの目には、木々が避けるように道を開けたようにも見えた。
その先にいたのは、銀の髪、貴族の着るような仕立ての良い礼服、まさしくスヴェン。
(レシッドが罠を抜けるまでに六秒か七秒。さらに茂みを越えてここに来るまでに十五秒程度。スヴェンの始末には二十秒程度。……余裕はある)
ザ、と僅かな音を立てて着地したラルゴは、殺しきれなかった勢いを両の掌に込める。更に足から受けた力を加え放った諸手の掌底打ちには《潰す力》までもが込められていた。
目の前の男が驚きを隠さずラルゴを見る。
しかしその男の顔を見て、ラルゴも驚愕した。
「ぬおおっ!?」
男が身体を捻り、掌底を外す。死に物狂いで行ったその回避行動だけで、男は背中にまで伝う汗を滲ませた。
「俺のほうかよ!?」
「……!」
ラルゴが小さく舌打ちをする。
スヴェンを狙ったはずだった。常套手段であるはずの、弱兵から狙うということの裏をかき、相手主力であるスヴェンを。
だが目の前にいたのは、〈猟犬〉レシッド。
金の髪には灰のような白い粉が塗されており、服も丁寧にスヴェンのものに換えられていた。
(入れ替わりか……だが)
実際には驚愕しながらも、それをおくびにも出さずラルゴは続けて《切り分ける力》を込めた手刀を振るう。
好都合だ、とも思った。元々どちらか片方を潰せば良いだけの勝負。都合のいいことに強敵であるスヴェンは隔離されており、スヴェンよりもレシッドの方が始末は楽だ。
「……っ……っそっ!」
短剣を手にした両の腕を束ねて首の横に立て、レシッドはその手刀を受け止める。手刀部分に帯びた殺気を本能で警戒したため、一歩踏み込み手首を迎えたものの、その手首に込められた〈折る力〉が刃を折り、更に腕の骨を軋ませる。
生木を折るような音が両者に聞こえた。先ほど打たれ腫れていた左前腕に改めて加えられた打撃により、レシッドの左腕が完全に折れ曲がる。
折れた短剣の刃が地面に落ちる前に、ラルゴの足がレシッドの足を踏む。その先にあったのは、スヴェンの身につけていた仕立ての良い革靴。だがその強度は革靴の範疇にはなく、踏み砕くことを狙ったラルゴの足は、単にレシッドの足を押さえるだけに留まった。
(……闘気によるものだけではないな。靴までもが魔力で強化されているのか……つまり、服も)
短剣の刃が地面に刺さる。だがそれだけの時間でも倒れることを許されなかったレシッドの頭部にめがけて、ラルゴが拳を振るう。込められた《潰す力》は、物理法則を無視してレシッドの頭を陥没させる……はずだった。
「…………っ!?」
だが、レシッドの足がラルゴの靴の下をずるりと抜ける。
滑ったか、とラルゴは思いつつも驚きを表に出さない。
レシッドの仰ぐような回避行動を予測していたラルゴは拳の力を込め直し、後ろへ下がるレシッドの頭部を追う動きに変える。
その結果僅かに前に出たラルゴの背中を、切り裂くような衝撃波が襲った。
「なっ……!?」
隠しきれない動揺がラルゴの顔に浮かぶ。レシッドへの追撃を取りやめ、転がるようにして大きく距離を取れば、そこにいたのは強敵スヴェン。
身につけているのは先ほどまでレシッドが身につけていたつなぎの防刃服。しかしレシッドよりも長身故に、上半身は袖無しの下着を残してはだけ、防刃服の腕を腰に縛り付けていた。
スヴェンは煙が上がる右手刀を自分で眺めつつ、「やはり」と小さく呟いた。
「随分と運が良いな、ラルゴ・グリッサンド」
「お前は……」
どうやって、とラルゴは先ほど自分が張った罠の方角を確認する。
レシッドがかかったはずの罠、しかしここにレシッドがいるのであれば、罠にはスヴェンがかかっていたと考えるのが自然だろう。
蔦を絡ませる罠程度、たしかにこの二人ならば簡単に抜けられるはずだ。引き千切るもよし、切り裂くもよし。
けれども、二十歩以上は離れた距離、更に自分が行ったような大規模な破壊もなしにこの距離を十秒と経たずに移動することは出来ないはずだ。
罠の方角にある木々は一切の破壊も見せずに、そもそもに移動をして藪を揺らす音すらもなかったはずだ。
「しかし見事な奇襲だった。なるほど、我が輩たちに見せていない行動があったのだな」
「お前にも私に見せていないものがあるな?」
「当然だろう」
クク、と笑いスヴェンが一歩踏み込む。力任せに振るわれた腕は、鉄槌のような重さと速さでラルゴの身体を引き裂くように走る。
その攻撃をいなしつつ、ラルゴが《弾く力》を込めた蹴りをスヴェンに向けて放つ。目的は、スヴェンの戦線からの一時排除。
スヴェンが現れようとも方針は変わらない。レシッドは手負い、そしてここで始末してしまえば、もはや勝負は決まったようなものだと信じ。
まともに受けたスヴェンは弾き飛ばされるが、空中で身を翻し木の幹に『着地』する。
「しかしこれでどうする? 貴様の奇襲は失敗した。貴様がもっとも避けていた事態だ」
木の幹に真横に立ちながら、見上げるような姿勢、涼しげな顔でスヴェンはラルゴを見る。スヴェンとレシッド、二人が揃って交戦できる範囲にいる。それはラルゴがここまで避けてきたはずのこと。
ラルゴも言われずともそれを理解し、そして膝を振り上げ足を地面に叩きつけた。
「失敗などはしていない」
成功だ、という言葉と同時に、地面に叩きつけられた足から念動力が地中に伝わる。
走り回る最中にラルゴは調べていた。この地中には、ごく薄く小さい岩盤がある。ごく薄いといっても堅牢で、建材に使われるような固い硬白石の岩盤で、鍛え上げられた魔法使いであろうとも破壊するのに一瞬の隙が生じるほどの。
まだ奇襲は終わっていない。
踏み込んだ足を支点に、大きな岩盤が引き起こされて姿を見せる。ネルグの根を引き千切りながら起き上がった壁はスヴェンとラルゴの間にごく低い壁を作った。
「お前たちの入れ替わりこそが失敗だ!」
そしてラルゴはレシッドに向き直る。
彼は思う。手負いのレシッド程度ならば数秒で殺せる。スヴェンが壁を破壊し、または飛び越えてくるまでには充分に間に合う程度の短時間で。
意表を突く、という点では効果のあった策だろう。けれどもそれはただ事態を悪化させただけ。仮に入れ替わりがなければ、レシッドはまだ無傷でいた目もあっただろうに。
そう信じ、そして必殺の一撃を加えようと構えたラルゴの目に、また不可思議なものが映った。
そこにいたレシッドが、小さく丸まるように地面に伏せている。
更に、スヴェンの服で身体をすっかりと覆うように構えて。
何を……。
「入れ替わり? 何の話だ?」
音もなく、ラルゴの背後の壁から腕が伸びる。
破壊したわけでもなく、隙間などがあったわけでもない。けれども、石などの無機物や活力を失った木などの死んだ有機物ならば、スヴェンにとってそれは障害物にはなり得ない。
彼独自の魔法、《壁透かし》。
まともに背後から首を掴まれたラルゴは、先ほどの疑問に答えるようなスヴェンの行動に驚愕しながらも、咄嗟に念動力を放つ。《滑る力》はまるで雨の日の苔のような質感をラルゴの身体に持たせて、投げや関節技などの『掴み』を要する攻撃を無効化する。
手を外されたことを意に介さず、岩盤からずるりと姿を見せたスヴェンを見て、ラルゴは標的を変更する。
だがその前に、スヴェンの身体に纏わり付くようにふよふよと浮かぶいくつかの黄色い光の玉を見て、咄嗟に念動力を全力で展開した。
スヴェンが嘲笑うように呟く。
「我が輩は駄犬に、『鎧』を着せてやっただけだ」
必要だろう。レシッドには『あの灼熱』は耐えられない。
なるほど、とラルゴが思う間もなく辺りが灼熱に染まる。
スヴェンの身体の周囲にあった光の玉が弾けるように広がっていく。黄色く色のついた熱の波が、青空までも揺らすように。
歯を食いしばりながらそれを見ていたラルゴは、焼け爛れてゆく自らの腕の皮膚と、ひりつく頬の感触、そして見渡す限りの周囲の木々が抵抗も出来ずに灰に変じていく光景に息を飲んだ。




