アリエル無双
少々下品な表現が入るので、お食事中またはお食事前後の方は閲覧注意で。
へたり込むように腰を地面に落とし、正座に似た形になった僕に笑いかけ、光を帯びたアリエル様が動きを見せた。
くるくると円を描くように上昇し、木々の茂る葉をくぐり抜けて上空へと飛んでいく。
森の中。葉が茂り、暗く、いつもは静かなはずの森の中に、高笑いに似た哄笑がこだましている気がする。いや、気がするわけではない。した。
もっとも、そんな小さなことがどうでも良くなるような光景が、目の前に広がったのだが。
「Sum damn dingleberries!! Become a roasted pig by flash in a flaash!!」
上方からゲラゲラと笑い声が響いているのだと思う。
だがそれ以上に響いてるのは、稲妻の轟音。幾度となく視界の中が真っ白に染まり、かろうじて木の幹の影がほんの僅かに黒く見えるだけ。
「うわあああ!!!?」
僕らの前にいた五人組は、瞬きの間に、本当にあっという間に地面と見分けがつかなくなった。
今はもう戦場のそこかしこで悲鳴が響き、肉が焼ける臭いがしている。焼けたわけではなく炭化したのだろうが。煙が立ちこめてきたのは生木に火がついたのだろうか。
「Sod off! If you want to be saved,tear off your testicles and run away!!!」
アリエル様が元気よく手を振り上げ、下ろせばそちらに稲妻が走る。
青空が暗く見えるほどの閃光と轟音。
効果は申し分ないだろう。雷は本物と同じ性質を持っているようで、いくつかの火の手もちらほら見え始めた。
しかしまあ、なんというか……。
「Or I'll stick your dick in your anus!!」
……、口が、悪い。それも非常に。
「ぎゃ……!」
木々の向こう、先ほどまで剣戟の音がしていた辺りから叫び声がする。しかしその叫び声も中断するように消え、その声がした辺りから肉の焦げた臭いと煙が上がる。更に同時に、笑い声が上がる。アリエル様の。
戦場が幾度となく閃光に包まれる。もはや敵も味方もわからず、ストロボが連射されているかのような光景に、誰がどうなっているのかさっぱりわからない。
そもそも大丈夫だろうか、誰が雷に打たれているのだろうか。一応僕の友軍はエッセン軍で、現在ムジカル軍と戦闘中のはずだ。その僕に味方をしてくれているのであれば、ムジカル軍だけが被害に遭っていてくれていないと困るのだが。
何となく生臭い臭いが鼻につく。高圧電流が迸った後のオゾン臭というものだろうが、木々の隙間を塗って幾度となく走る紫電に乗り、その範囲が広がっていっている気がする。
「ぬわああ!!」
そして僕は目を閉じて無意識に聞こえた声から顔を逸らす。
今の声は、クロードの声だ。
瞼の向こうがまだ明るい。
轟音に地面が何度も揺れる。その度に、どこかでパチパチと音を立てる木が増えていく。
既に相当な数の人間が戦意を喪失して、武器を投げ捨てて伏せているらしい。もう金属を打ち合わせる音はせず、木々に身を寄せるような息遣いや、恐れ戦く声がいくつも聞こえる。
雨の匂いや水の粒、その気配はない。
だが、上空からゴロゴロという音が聞こえてきた気がする。見上げれば木々の隙間の向こう、青空の方から雷雲の広がる音がする。やはりまだ、雷雲などは見えないが。
「カラス殿ー!」
雷の音に紛れ、茂みをかき分け、誰かが走り寄ってくる足音がする。金属の鎧を身につけた大柄な男性。それと同時にまた聞こえたのは、クロードの声。無事だったか。
がさがさと茂みの奥の僕を探し、見つけたのだろう、ひょこりと茂みから顔だけを出す。火傷はないようだが、身体からプスプスと音を立てるように何本も上がる煙……落雷したのか。
「なんだこれはーっ!!?」
僕を疑っている、というわけではないだろう。しかし。状況を説明しろ、という抗議を前面に押し出し、眉を顰めた弱気な顔で彼は僕を見た。
「…………」
僕は立ち上がれないまま、上半身を起こしてクロードと視線を合わせて、また上空を見て指さす。いつの間にか枝が焼け、こじ開けられた空。その先には爪の先程度にしか見えない、ごく小さな光の玉。
「あらあら、随分と静かになったわね、張り合いのない」
ケラケラと光の玉が笑い声を上げる。
僕の耳やクロードの耳だから聞き取れるわけではないだろう。静かな嘲り声なのに、遠くからでもよく聞こえる不思議な声だった。
「なんだ、あれは」
クロードの声が帯びていた不可思議さに、さらに呆れが混じった。
エッセン国民である以上、その存在を知らないわけではないだろう。アリエル様の名前は一定の年齢以上であれば必ず耳にはしているし、あの羽の生えた小さな女性の姿を見たら、誰でも連想はするだろう。
だが、……まあ信じられまい。千年の昔に姿を消した伝説の人物。更に、妖精は種族としてもお伽噺の住人でしかない。
「〈妖精〉アリエル様です」
「まさか」
クロードの、はは、と軽く笑おうとして笑えない咳のような笑い声が響く。
僕は正座のように曲げていた膝を投げ出し、後ろ手に体重を支えて空を見上げる。なるほど、やはり昔話の通りだ。
妖精アリエルは、魔物満ちる戦場に数多の雷を落とし、戦場を制圧したという。
……これは、僕の嘆願に応えてくれたということでいいんだろうか?
「Bloody git!」
アリエル様が叫ぶと、木々の影すら見えないほどに視界が全て白く染まる。四方八方に雷をまき散らしたらしい。
数秒後、僕が視覚と聴覚を取り戻したその時には、森はシンと静まりかえっていた。
「……常識外れの力だな」
「ええ、本当に」
森は完全に制圧された、ということだろう。
僕の耳にはもはや戦場の音は入らず、地に添えた手にもそれらしき振動は伝わらない。
動物の気配も消えた。視界の中には鳥一羽おらず、虫たちまでもその息を潜めている。
まるで雪が舞い落ちるように、ふわふわと光が降りてくる。アリエル様がその中央に浮かぶ光は、強くても刺すような感触はしない。
僕とクロードの前に到着したアリエル様は腕を組んで、ふふんと誇らしげに笑った。
「やっぱりたまには運動しないと駄目ね」
僕を見る目は、女性というより勝ち気な少女の目。
その青い目が僕を見咎めて歪む。
「で、あんたはどうしたの。私の前よ、早く立ちなさいよ」
「身体がなかなか動かなくて」
ホッとして身体の力が抜けた、という言葉があるが、これがそうなのだろうか。
緊張の糸が切れたのか力が上手く入らない。貫かれた腹は未だに熱を持って鋭い痛みを走らせているし、鈍器で殴られた頭はずきずきと痛む。
クロードも横にいるし、アリエル様が目の前にいる。まあまあ命の危険はない。このまま寝てしまいたい気分だ。
「……仕方のない子ねえ……」
だがアリエル様は僕の顔にまとわりつく蝿のように飛んで横に回る。
何というか、殺気のようなものを感じた次の瞬間、……。
「痛いの痛いの飛んでけー!」
「痛い!」
小さくてわかりづらいが拳だろう。僕の頬にアリエル様の手が突き刺さり、べし、と弾かれる。
すわ殴られたか、と僕が抗議の目を向けると、また飛んでアリエル様が離れた。
それと同時に、身体の違和感に気が付く。
違和感があるというよりも、違和感がない。
一瞬のことだ。
僕は自分の腹に手を当てて中を確かめる。先ほどカンパネラに裂かれた腹は形だけを直したようなもので治癒はしていない。繋いでいない血管すらあったはずだ。
だが今の一瞬の後、僕のお腹はいつも通りだ。血腫などなくなり、傷跡もない。
頭部のたんこぶもなく、撫でても痛みどころか腫れすらない。鈍痛もなくなり、視界が開ける。
…………なるほど。
「すごい魔法ですね」
傷が治った。だけではない。体力が多分全快した。
拳に力が入る。血圧も正常で、貧血の様子もない。
僕が笑うと、アリエル様もクスクスと笑う。
「ばーか、誰でも使える魔法よ」
母親ならね、とアリエル様は付け足し、その言葉にクロードが目を丸くして声を上げた。
詳しいことは後で話すとして、とクロードがムジカル軍の制圧にかかる。
もはや戦意を喪失しているムジカル軍と、それにエッセンの騎士団。
ムジカル軍の大半は雷に焼かれて人型の炭のようなオブジェと化していた。残りは少なく、直属兵はもういないらしい。それ故に少数の聖騎士の指揮ですんなりと生き残りのムジカル兵がお縄についていった。
しかし。
「……いない」
どうにも気になり、僕は先ほど作り上げた深い落とし穴を覗き込む。
先ほどカンパネラが落ちていった先には、未だに深い溶岩の池がある。溶岩の中には、既に死体などは見えない。未だぐつぐつと泡を噴いている溶岩だし、死体など装備ごとすぐに燃やし尽くしてしまうだろうが……。
「誰が?」
アリエル様が興味深げに僕の視線の先を負う。
だが当然何も見えないようで、すぐに興味を失っていた。
「先ほど僕が戦っていた相手です。死体がここに落ちていったはずの」
「ソフトクリームみたいに溶けちゃったんじゃないの」
「……だといいんですけど」
手応えというか蹴り応えはある。内臓が潰れ普通なら致命傷の怪我。その後も生きているような兆候はなかった。考えすぎだろうか。
そんな僕の頭を、後ろからアリエル様がポスと叩く。
「あんまり心配しないで大船に乗った気でいなさい。あんたは私が王都へ連れ帰ってあげるから」
「それは心強い」
この世界でも最強に近い護衛だ。さっき全快にしてもらったおかげで、出番はあまりないだろうけれども。
「でもありがとうございます。まさか来ていただけるとは思いませんでした」
「偶然ね。ルルちゃんにはちゃんとお礼言いなさいよ」
「……お礼ですか?」
よいしょ、とアリエル様が僕の肩によじ登り座る。耳に彼女の背中の温かさとそれよりも羽のこそばゆさが伝わってきた。動かさないでほしい。
しかし、礼?
「戦争が始まってから、あんたのことずーっと心配してたんだから。いい子に一目惚れしたわね」
「…………それは、どこから?」
「あんたとルルちゃんの夢から」
恥ずかしさを隠すように、僕の喉が動かなくなる。サッと顔が熱くなった。
「ププー! いっちょ前に照れてやんの! ププーッ!!」
囃し立てるように笑い声を言葉に出して、アリエル様が背中越しににやにやと笑う。なんだろう、新鮮でどう反応したらいいかもわからないが、とりあえず無視でいいだろうか。
「その夢というのは、僕が見ていた?」
『夢』とは、さっき僕が見ていた走馬燈のことだろうか。そして、『僕とルル』というのは。
「そうよ。あんたとルルちゃんがね」
「ではさっきのは、現実?」
「夢よ。あんたはさっき見ていたかもしれないけど、ルルちゃんが見ていたのはどこかの夜だもの。昨日の夜かもしれないし、明日の夜かもしれないし、一週間前の夜かもね」
また禅問答のような話だろうか。
以前の月で聞いた話よりは、何となくわかりやすい気もするけれども。
「あんたたちは知らないかもしれないけど、よくあるのよ。同じ夢を見るなんて。子供の頃なんて特にそう」
「じゃあさっきのはたまたま夢が繋がった」
「たまたまかしら? 想い合ったからかしら? それはわからないけど」
アリエル様が足を揺らし、ゲシゲシと僕の腕を踵で蹴る。
「仲のいい子は将来の夢だって似通うし、時には同じになるじゃない。それと同じよ」
「言葉遊びに聞こえますが」
「私は真面目に言ってるはずだけど?」
クスクスと笑い、それからアリエル様は一瞬黙った。
「……それで、いつかは違う夢を見るようになるの。どんなに仲が良くてもね」
「そこまで仲が良いつもりはないんですけど」
「そう? そう思うんならそこ止まりね。……とにかく」
肩の上でアリエル様の臀部の感触が動く。僕の顔を覗き込むようにしてくるが、左目の視界の中で多くを占めてくるのでやめてほしい。
「私はルルちゃんと約束したの。あんたを無事に連れ帰るって。だからあんたも、今回くらいは私に甘えなさい。そうしないとルルちゃんに私が申し訳ないわ」
「約束、ということは、僕の手紙で来てくれる気になったんじゃないんですね」
「手紙? 何それ?」
「…………」
薄々、だと思っていた。
僕は憤慨や驚愕よりも納得し、溜息をついた。
「わかりました」
「じゃ、早速帰ろうじゃないの。思い出の部屋を開くわね」
「でもそれは、少し待ってもらえませんか」
アリエル様の言葉と共に周囲に白く靄がかかり始めていたが、僕の言葉でそれが晴れる。
今の言葉で何となく空間転移周りの疑問が湧いたが、それは僕の好奇心で後回しだ。
「何で?」
「僕が預かっている人間が二人います。今森の中に逃げて待機していると思うので、それを回収しないと」
「……ふうん」
まずはソラリックとタレーランを保護しなければ。離脱した方向しかわからない以上、探すしかない。……ソラリックが道を知っていればいいけれども。
それに、もう一つある。
「それと僕の部下が二人、現在森で戦っています。そこへの転移は出来ますか?」
「どこで?」
「わかりません」
「じゃあ無理よ。そもそも私はそいつ知らないもの」
アリエル様は首を横に振り、だろう、と僕は頷く。思い出の部屋が長距離の移動に使えるとしても、その機序からすればそういうことだろう。
レシッドやスヴェンは今、僕の命令で戦っている。
その決着はついているかどうかまではわからないが、彼らを見捨てて王都まで離脱は出来ない。少なくとも彼らに連絡がつくまでは、僕も戦場にいなければ。
「ならもう少し残らなければ。一応僕にも、責任というものがあるはずなので」
「ふうん」
またバタバタと踵が僕の鎖骨辺りを蹴る。不機嫌そうに。アリエル様は何故だか笑っていたが。
「で、あんたは待つのね? 助けには行かないの?」
からかうようにアリエル様は言う。だが、助けがいる二人ではない。今助けに行く、という発想がなかったのは、きっと僕の中では恥じるべきことではないと思う。
僕は首を横に振る。確信を持って。
「助けに行く必要はないんじゃないでしょうか」
「そんなに仲が悪い奴ら?」
「いいえ。死んだりするとは思っていないだけです」
首を飛ばしても死にそうにないスヴェンは元より、ニクスキーさんの襲撃から生き残ったレシッドも相当な強者だ。
二人共に生き残るだろうし、きっと目的を達成してくれるだろう。
アリエル様は僕の肩からぴょんと飛び降り、空を飛んで僕の額に額を近づける。
「そ。そんなに信頼してる仲間がいるのね。あんたにも」
「そうですかね」
彼女の笑みに困惑して、僕は言葉を濁す。その僕の言葉に、アリエル様は両手を広げて身体を背けて、「そうよ」と力強く答えた。




