君死にたまふことなかれ
本編・五英将じゃないけどカンパネラ三人称視点
剣が脇腹を引き裂き抜けるようにしながら引き抜かれ、肉の塊が地面に落ちる。
ドサリと音を立てて崩れ落ちたその人間は、憎き標的、カラス。
他愛ない。
カンパネラは冷ややかにそれを見つめ、傷口から噴き出す血を目で追った。
血だまり。血の表面が虹色に輝く。この戦場に満ちつつある血の臭いに、いっそう新鮮なものが混じった。
だが。
呼吸の上下動は弱まっているが、吹き出る血の脈動も弱い。それを確認したカンパネラが鼻を鳴らす。
(心臓を外したか。イグアルのような真似を)
内心悪態のようなものを吐きながら、更に感心と納得もする。
探索者カラス。道を歩けば振り返る人の顔を赤く染める〈赭顔〉の異名が知れ渡っていたものの、その本質は薬師としてムジカルでは高名だった探索者。
その彼の逸話の中には、あたかも金瘡医のように人体に精通していたというものがある。
ならばこそ同じような真似が出来よう。
〈歓喜〉イグアル・ローコが好んで行っていたという、急所を避けて攻撃を受けるということも。
もっとも、カラスも好んで、もしくは進んで行ったわけではない。
カンパネラの刺突。体内に食い込んでから念動力で逸らせる限界がその程度だったというだけのことであり、彼自身、狙ったわけでもなかった。
しかし結果としてカンパネラの剣は心臓を貫けず、横の大動脈を切り裂くに終わった。
俯せに倒れたカラスに一歩歩み寄り、カンパネラは影で作り上げた剣を逆手に持ち替える。
次に狙うは首。頸部の切断である。
相手はもはや死に体。けれどもカンパネラには油断をする気はない。
カラスは魔法使いだ。時には半身を失おうとも、心臓を砕かれようとも生き延びることが出来る魔法使い、その一人だ。
もちろん、カラス個人の生命力はわからない。カラスが怪我をし傷ついたという噂話すら、曖昧なものしかカンパネラは耳に入れることが出来なかった。
だが、首を落とせば、死ぬ。
それは多くの魔法使いに共通する生命力の限界であり、程度のわからない頭部の破壊や、効果のないこともある心臓の破壊よりもむしろわかりやすい指針だ。
手に力を込めて狙いを定める。魔法使いの多くが無意識に張っている急所への障壁、それは消えているだろうか、残っているだろうか。どうでもいいだろう、既に意識の薄いカラスが張っている障壁など、たかが知れている。
切っ先を首に向け、カンパネラは憐憫にほんの一瞬だけ目を瞑った。
残念なことだ。これは望まれた結果ではなかった。
探索者カラス。
イラインでの評価は、貧民街の無法者。運良くその身に備えられた闘気と悪知恵を生かし、貴族たちに取り入り、民衆から金を掠め取る詐欺師。
戦闘においては魔道具を用いて魔法使いのフリをする。
多少麗しい見目を用い女たちに色目を使い、時には男にも色目を使い、探索ギルドでは当時新人にも関わらず重用された。
伝説の魔物とされる化け狐の剥製を模した品を偽造し、それに不運にも騙されそうになった貴族に大怪我を負わせ、それすらも探索ギルドを隠れ蓑にし責任を取らなかった。
悪い噂は無数に聞こえる。イラインでの軽い調査でも簡単に。
そしてその全てが、ムジカルでは聞こえなかったもの。
おそらくほとんどが嘘や流言飛語の類いなのだとカンパネラも思う。
彼が悪人だと誰かは口にするが、調べても少なくともイラインで犯罪を行ったような経歴は見当たらず、そして誰かが口にした証拠とやらも心証による憶測のみ。
第一、全てが本当だとしても、それで何が悪いのだろうか。
闘気と悪知恵を備えるのは悪いことではない。戦闘において闘気の有用性は言うまでもなく、悪知恵も相手の虚を突く立派な知能だ。
魔法使いのフリをしている、というのもカラスが魔法使いだということを知っている自分からすればそもそもおかしな事だ。そもそもに魔道具を用いて魔法使いのフリが出来るというのは、魔道具の扱いにそれだけ習熟しているということだろう。
見目麗しさは多少ではない。色目などを使わずとも誰しもが目を留めるだろう。そして仮に色目を使ったとして、それは美しさを武器に上手く立ち回った、というだけだ。
彼自身に瑕疵があるとすれば、人付き合いを軽視していた、という一点だけに過ぎない。
だがそれだけで。
貧民街と呼ばれる不法占拠区が出身なのだという。
だがそれがどうした。蓮の花とて泥から生まれる。
親も兄弟も知れない身なのだという。
だがそれがどうした。股から生まれ、切り離された瞬間から子は親とは違う生き物だ。
優秀ならば褒め称えられるべきだ。
認め、褒め称えるべきなのだ。周囲の人間は。
なのに彼の周囲には悪意が渦巻いていた。
嫉妬と羨望。それに知らないことへの嫌悪。
それが彼の人生にしがみつき、その上昇を阻んできた。
彼と直接話したことも、会ったこともない人間が彼を嫌っていた。
ただ誰かが彼を嫌う雰囲気、空気に流されて。
それは、カンパネラが最も忌み嫌うものだ。
きっと彼だけではないのだろう。
もちろん聖騎士団長にも負けぬ強さを持つ尊い人間、そんな誰かは、そう多くはないだろう。
けれどもきっとエッセン王国には彼だけではないのだろう。
力を持つ優秀な人間が埋もれ、無知な愚民たちに押し潰されて没していく。
それも愚民たちに意図的なものはなく、ただの雰囲気、空気に流されて。
ムジカル国王グラーヴェは言った。
『彼の淀み腐り歪んだ国を、我らの手で立て直す』と。
エッセン王国グレーツで諜報活動に従事したカンパネラは、それに内心深く頷く。
そうしなければならない。そうするべきだ。
あってはならないのだ。優秀な人間が埋もれ、何も出来ずに無残に無駄に命を散らす。そんな世の中は、あってはならない。
優秀な人間は〈成功者〉ラルゴの下、研がれ、正しく使われなければならないのだから。
カラスも、本当は。
一瞬の思考の後、カンパネラは目を開く。
そこには、倒れた体をわずかによじらせている探索者カラスの肉体。
残念なことだ。これは望まれた結果ではなかった。
そう思いながらも、カンパネラの手の力は緩まない。
残念だが、ムジカルにつかなかった時点で彼の命運は決まっている。自分がここで命を絶たずとも、〈成功者〉ラルゴの策により、どこかで必ず邪魔な彼の命は尽きただろう。
猶予は与えた。開戦までと。
そして彼はそれを蹴った。
ならばもはや躊躇はない。
根に拒まれるよう広がる血だまり。踏めば染み出す赤黒い液体に靴底を浸し、カンパネラは一歩踏み出す。
そして影で形作った直剣を振り下ろそうとした。
しかし。
(…………?)
不意に何かを感じ、カンパネラは動きを止めた。
音でもない。匂いでもない。カラスの肉体は防御する姿勢を微塵も見せておらず、ただ無防備に横たわっている。
しかし何かをカンパネラは感じた。全ての魔法使いに備わる第六感とも呼べる何かが、カンパネラに待ったをかけた。
誰かに見られている。
視界のどこかに誰かの瞳がある気がする。何者かがカラスの体を抱きしめている。そんな錯覚。
手を出してはいけない気がする。これ以上の手を出せば、不幸な何かが舞い降りる気がする。
(……誰かが彼を守っている)
カンパネラはそう感じ、内心呟けばその確信は更に強くなった。
誰かがカラスの身を案じ、その想いが何かしらの防護を形作っている。悪い何かが近づかぬようにと、根拠のないまじないのように。
なるほど、とカンパネラは納得した。
そうだろう。そうでなければ、あの悪意溢れる国でまともに育てるわけがない。誰かが彼を害し、誰かが彼を守る。その危うい均衡の中で、彼は力を蓄えてこられたのだろう。
目に見えるところは外套が。そして目に見えぬところにも。
まるで赤子のようだ。
カンパネラはそう内心を整理し、また頷いた。
母親に守られている赤子のように。ムジカルの親を持つ魔法使いの子供の多くが幼少期にそれを感じとるように、きっと彼にも。
だが、それで終わりにはならない。
父の背に守られながらも、母の胸に抱きしめられながらも、子供というものは怪我をするものだ。転んで膝を擦りむき、藪に引っかかり肌を切り、時には水に落ちて死ぬ。
守りのまじないは魔法ではない。魔法使いがごくまれに感じ取る雰囲気のようなものであり、悪意ある誰かを邪魔するような機能はない。
カンパネラは、天から響くどこか警報のようにけたたましい音を聞いた。
弦楽器のようで歪んだ音。騒音のようで、どこか一種音楽のように聞こえる音を。
(これが子守歌だったならば、酷く気の毒ですが)
まとわりつくような誰かの歌声に抵抗を感じながらも、カンパネラは剣を振り下ろす。
狙うはカラスの首。振るうはその命脈を絶つ一撃。
剣は竜の首を落とせる速度。
瀕死相手では過剰にも思える力が入るが、カンパネラにはそうは思えない。
まだ何かがある気がする。油断をすればまだ何かが起きる気がする。
そうはならないように、力を込めて、無傷の竜を相手にするようにカンパネラは剣をカラスの首にかけた。
障壁などはなく、肉に剣が食い入っていく。
筋繊維の一本一本を切る感触を確かめながらも、ついには骨に到達した固い感触が腕に返ってくる。
もう一押し。
脊椎、脊髄を切断し、脈管を断つ。そうすれば、もはや憂いはない。
成功者の輝かしい道に転がってきた一つの石ころを、排除出来る。
もう一押しだ。
剣を持つその手に返ってきた感触に、力を込め直して押し込みかける。
カンパネラは勝利を確信した。
その剣を、カラスが掴んだ。




