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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
私の物語

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閑話:目を覚ませ




 鋸で木を切断する音がする。

 キュリキュリキュリキュリと断続的に。挽かれる木は太く、真円の円柱に近い。鋸が動くそのたびに木屑が散り、刃と木材の隙間から溢れるようにこぼれ落ちる。

 こぼれ落ちた先から木屑はぐずぐずと溶けていった。


 テレーズの腕に痛みが走る。自分はどうやら寝かされているらしい。

 自分の身体は幾重にも巻かれた革の帯で机に固定され、更に幾人もの男女が自分の身体を動かぬように押さえつけている。視界に映るのは、自分を押さえつけている者たちの醜い顔。

 誰かが木材を切断している。腕が痛い。ゴリゴリと音が部屋に響く。


 木材を切っている男は笑っている。男の顔にまんべんなく巻かれた包帯のせいで、その顔は見えないが、口元わずかに開いた隙間から、切り取られたような唇が歪んで見えた。


 丸太のような木材が切られている。包帯の男が笑って切っている。

 滑らかで、ざらざらした木っ端が赤く染まる。零れた木屑が血の色に変わる。


 木屑がじっとりと濡れて見える。白と黄色の中間のような色の木材が、赤黒くもしくは鮮紅色の液体で湿ってぼろぼろとこぼれ落ちる。


 痛い。何を切っているのだろう。

 誰かが何かを叫んでいる。包帯の男が「痛かったら右手を挙げてください」と笑いかけてくる。誰かが何かを叫んでいる。誰かがもがいて苦しんでいる。


 右手なんかない。右手なんかない。


 船大工の作業のように、大仰に包帯の男が鼻歌を歌う。

 包帯の男、イグアルが大きな鋸で何かを切っている。丸太を切っている。細い枝のような頼りない木片を切り落としている。

 誰かが何かを叫んでいる。痛みで苦しみで叫んでいる。


 右手を挙げればいいのだろうか。

 右手を挙げれば解放されるのだろうか。


 テレーズは汗で額に張り付いた髪の毛も構わずに、苦しみから逃れようとする。

 木を切る振動が腕に伝わる。右側からごりごりと音がする。鋸刃の小さな歯が何かを削る度、細かな振動がテレーズの身体に伝わってくる。


 挙がらない。挙げられない。

 右腕を振り上げよう。右手を掲げよう。そう思っても、一切右手は挙がらない。


 挙げられない。知っている。知らない、何故そんな。


 テレーズが右腕に激痛を感じる。

 まるで灼いた鉄をそのまま右腕にかけられたかのような。それでいて、頼りなく、何も掴めない手の先に覚えた空虚な感覚。


 自身の右腕を見たテレーズは絶叫する。


 鋸が通る度、振動するのは自分の肘の少し上の骨。


 右腕の先は、既にない。

 切り落とされているのは、自分の骨。






「ああぁぁぁぁっっっっっ!!!!」



 テレーズは寝台から跳ね起き、叫び、拘束から逃れようと両手を無我夢中に振る。

 ただしその手足に拘束などはなく、また押さえつける人間もいない。

 結果として暴れるがままに振り回された腕は横にあった水筒を弾き飛ばし、また横に座って彼女を見守っていたクロードの頭を打ち抜くように強かに打った。


 拘束が解けた。

 自由となった手足に、そう中途半端に理解したテレーズが、目の前の男に拳を向ける。嫌だ、もう嫌だ、嫌だ、と頭の中で叫びながら。

「テレーズっ!」

 体重の乗らない手打ちでも、岩をも砕くテレーズの打撃。その打撃を額で滑らせるように受けつつ、クロードがテレーズに正面からしがみつく。熱い抱擁ではない。勇者の世界では拳闘などで使われる、防御と拘束の一つだ。


 クロードは額に抉られたような感覚を覚えながら、暴れるテレーズを必死で抑える。その痛みよりも何よりも、一瞬でまた噴き出したテレーズの汗と震え、その二つから苦しみを覚えつつ。

「テレーズっ、俺だ、クロードだ!!」

「ーーーっ!!」

「落ち着け!! お前は助かったんだ!!」


 クロードは耳元でテレーズに言い聞かせるようにしながら、肝を冷やす思いだった。

 肩口を抑えられ、まともな威力など出ないはずの打撃。本来打撃ともいえないはずの手足の動き。それが自身の背中や周囲で振り回され、まるで大きな金槌を振り回されているような迫力すら覚える。

 息を吐ききったテレーズが、やがて手足の力を失ってゆく。肩で息をしながらゆっくりと目だけで周囲を確認すれば、たしかにここは先ほどの開拓村の一室ではない。


 目の前にいるのは、たしかにあの包帯の男ではない。

 視界の端に映る青と緑の中間の髪。その色を見間違えるはずもなく、この声も、たしかにそこにいるのは百年の恋の相手、クロード。


 助かったのか。


 安堵し、テレーズの気が抜ける。

 気と共に力が。また、意識が。


 ふ、とクロードの腕にかかる重みが増す。力なく目を閉じたテレーズをまた寝台に横たえ、ふう、とクロードが息を吐いた。




「《開眼》は……またやっても無駄でしょうか」

 カラスの手で避難させられ、横でそれを見ていたソラリックが、渋い顔をして呟く。

 《開眼》の法術。それは意識を失い目を覚まさない者を覚醒させる法術。その記述は千年前、魔王討伐直前のある朝、森の中で疲れ果てた先代の勇者が目を覚まさなかった際に聖女が取った行動にまつわるもの。額への口づけは現在、指で代用して行われる。

「疲労によるものと心労によるものは違うんでしょうかね」

 ソラリックに応え、またその横にいたカラスが呟いて溜息をついた。もっともカラスはその法術に関する知見などないので、本当に単なる予想を口にしたに過ぎないが。


 カラスは続けてソラリックを見る。

「やはり気付け薬などのほうが」

「取ってきましょう」

 そうですね、とソラリックが頷き、一歩歩き出す。


 だがその仕草をまったく視界に入れず、ただ一言「いや」とクロードがそれを止めた。


「もう少しだけ寝かせてやってくれんか」

「避難は進んでいます。日が沈んでから森を単独で進む危険を冒さぬよう、急ぐ必要があるのでは」

 もしくはいっそ寝かせたまま運ぶか。そう宥めるように進言したカラスに目を向け、クロードが首を横に振った。

「それに関しても心配はない。俺が、……俺が、こいつのために残るからな」

「お二人とも森の中は不慣れでしょうに」

「街道を進むくらいならどうにかなるだろう」


 ハハハ、とクロードは明るく笑う。

 実際にはそのような問題だけではない。


 クロードは出奔しているという身をどうにかし、今現在指揮系統が破綻している第二位聖騎士団を指揮する必要がある。

 テレーズは壊滅したといえども第七位聖騎士団の責任者だ。彼女とて、仕事がないわけではない。


 その他、多くの問題がまだ残っている。またその解決の目処も付かない。それをクロードもわかっていて、だが、とその他の問題全てがどうでもよくなった。

 テレーズの顔を見れば。苦しみも何も、全てが抜けたその寝顔を見れば。


「心配せずとも、じきに自然と目を覚ますだろう。俺にはわかる」

「だ、そうですが」

 カラスがソラリックを見て、同意をとる。たいした意味はないが、この天幕の責任者に向けて。

 ソラリックは一瞬空を見上げるようにし悩み、しぶしぶと頷いた。


「……わかりました。怪我も治ってますし、私は行軍の予定にまで口を出せませんので」

 パタラさんたちにも伝えてきます、とソラリックは重ねて頷く。それにはクロードも頷いた。

「それと、ベルレアン様も手当をしなければいけませんね」

「よろしく頼む」


 自分の怪我。それにテレーズのこと。

 その二つの意味を込めて、クロードは頭を下げ、先ほどの騒動で倒れた椅子を立てて腰を下ろした。





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― 新着の感想 ―
[一言] PTSDみたいになってなきゃいいけど
[気になる点] 生きたまま鋸で肉と骨を輪切る時、激痛は確定、なにより切る時の骨を削るゴリゴリ振動が追撃とトラウマになるだろうと予想できるけど、さすがにその痛みまではイメージできないから痛そうだな・・…
[良い点] 全く拗らせたカップルがよぉ。 [一言] そらそう(トラウマに)なるわな。
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