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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
私の物語

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俺の戦場




 これが俺の戦場、とクロードは何度も自分に言い聞かせる。

 目の前の机には地図が広げられ、有力な騎士団や聖騎士団が駒として並べられていた。


 これが俺の戦場だ、とクロードは何度も何度も自分に言い聞かせる。

「……伯より、――騎士団の安否を確認してほしいと……!」

「救援を求める狼煙が上がっているとの報告が……!」

「ダルウッド公爵より、撤退の打診……」

 部下や伝令が机の向こうで口々に叫んで報告する。それぞれ受け取った貴族たちからの書状や戦場から届く情報等を逐一まとめ、判断を投げてくる。



「いかがいたしましょう!!?」


 悲鳴のように誰かが叫ぶ。判断をしてほしいと、指示がほしいと何度も何度も。

「吟味している。少し待て」

 絞り出される自分の声を、クロードはどこか遠くで聞いていた。



 地図を眺めてクロードはため息をつく。戦争開始時からそこに置かれ、進められていた駒は既にいくつも取り除かれており、また増えている。

 取り除かれたのは自軍のもの。そして増えたのは敵のもの。


 戦況は悪化の一途を辿っていた。


 今回従軍した聖騎士団は九つ。しかし既にクロードの把握している中で三つが壊滅した。

 そして残りの六つ、とも楽観視は出来ない。青鳥が封じられたことで鈍っている連絡のせいで直近の状況を把握することは難しく、更に五英将は単独で動く聖騎士団を瞬く間に壊滅させてこのネルグを進んでいる。

 ならば既に他が壊滅的な被害を受けている可能性もある。

 

 現状、生き残っている聖騎士団は二つ、という可能性すらも充分にある。目の前の地図に残すべき自軍の駒が二つだけ。自分と、この拠点を共有する第十四位聖騎士団だけ、という絶望的な状況も。


 クロードの額から汗が滴り、頬から顎を通って地図へと落ちる。

 一滴、ほんの僅かな染み。それが広がっていって地図を染めた気がした。



 また天幕の入り口から誰かが駆け込んでくる。その誰かの所属を問うまでもなく、現れた伝令にクロードは顎で報告を促した。

「……報告! ネルグ東方面にて! 上空に巨大な閃光を見たとの報告あり!」

「…………閃光?」


 クロードは眉を顰めて伝令に続きを促す。伝令は地図に歩み寄り、指で辿ってその軌跡を示した。

「この辺りに進軍中の――騎士団からの報告です! ネルグ中層からやや北東へ抜けるように一直線に飛ぶ光の帯を見たとのこと!」

「……《山徹し》でしょうか?」


 クロードの横にいた第十四位聖騎士団長ガウスがぽつりと呟く。この戦場でその類いの攻撃には覚えがいくつもある。そのどれもが、黒髪の魔法使いの放った《山徹し》の魔法であるが。

 クロードはガウスの言葉に首を振らないまでも同意できない。

 現在把握できる《山徹し》の使い手は、今ネルグ南側浅層にいるはずだ。〈貴婦人〉フラム・ビスクローマを討ちにいく、と先ほど出て行ったばかり。ならば、方向が違う。


 まして、そのような攻撃を放てる者は王国史上限られている。

 それこそ件の魔法使いか、もしくは本家本元〈山徹し〉か。


 しかし前者は違う場所にいて、そして後者もネルグ内部の小さな街にはいるものの、幾度もの従軍要請を全て断っているという。どちらもその候補には入らない。


 結局クロードに出来るのは、堪えた首の横振りを改めて行うだけ。

「わからん。敵か、味方か……」

「味方であってほしいところですな」

 もっとも、そのようなことが出来る味方を、クロードもガウスもとんと聞いた覚えがない、ということも事実であるが。



 途切れた空気に、そういえば、とクロードは思い出す。

 そういえば自分の出した指示は皆遂行できているのだろうか。

「友軍の合流は……」

 そして地図に目を向ければ、そこには第九位聖騎士団と第十一位聖騎士団の駒が二つ並んで置かれている姿があった。そういえば、とまたクロードは思い出すように思い直す。

 そういえば先ほど報告があったはずだ。勇者擁する第九聖騎士団に、第十一位聖騎士団は無事合流を終えたと。


 クロードが言いかけた言葉と見つめる先の駒を見て、ガウスは怪訝に思う。

 先ほどあった報告の確認だろうか。それとも……。


 恥ずかしさを隠すようにクロードは視線を滑らせ、ネルグ東方面の地図を見る。そこにある第八位聖騎士団と第七位聖騎士団の駒は、最後の報告の通りに離れた位置に置かれていた。

「先遣隊の合流は済んだだろうか」

「時間的にはそろそろ、と思いますが」


 前線からの報告は未だ途切れている。そのことを確認したかったのだ、とクロードは誤魔化すように言ったが、ガウスはそのクロードの様子に言いしれぬ不信感を覚えた。




 机に両手を突き、地図を見下ろしクロードは内心呻く。

 地図がぼやけていく。ネルグの幹を示す黒い円と、その森の範囲を示す薄く塗られた墨がまるで穴のように見える。

 今もその穴の中で、幾百人、幾千人の人間たちが苦しんでいることを思い、クロードの肩に何かがのしかかってきた気がする。


 もう嫌だ、と叫びたい衝動に駆られた。

 当然クロードも、楽な戦争になるとは思ってもいなかった。戦争とは命のやりとりで、人は簡単に死ぬ。今回の戦はムジカルも本気だろう、とエーミールからも聞いていた。次の戦で損な役回りを押しつけて済まんが、と数年前に差し飲みの酒の席でぼやくように謝られたときにも。


 戦勝報告だけが続くわけがない、とクロードも知っている。

 指揮官ともなれば友軍の死傷者の報告も聞かなければならない。もちろんクロードも、従軍の経験があればこそ知っている。

 指揮官の経験も今回だけではない。だから、と甘く見ていたわけでもないが。



 クロードは地図に開いた穴に落ちていく錯覚を覚え、右手で顔面を押さえてそれを堪えた。

 鎧に覆われひんやりした指の隙間から駒が見える。減った色と増えた色の駒たち。

 その手が微かに震えているのを、クロードは無視しようと試み、そして無理だと悟った。

 甘く見ていたのは『ムジカルの本気』。いつものお遊びと違う本気は、どこか牧歌的にも思えていた戦場の空気を一変させた。


 戦争だ。殺されるわけがないとはいえない。敵軍を殺すのだ、友軍とて死ぬだろう。

 だがその友軍の死が、苦しみが、全て自分の肩にのしかかって来ている。重圧。責任。



 クロードの目に、いくつもの存在しない駒が見える。友軍の駒、敵軍の駒。それらがぶつかり合い、そして友軍の駒が次々に砕けていく。叫び声を上げて。自分の采配のせいで。


 元来何かの采配を振るうなど向いていないのだ、とクロードは自嘲する。

 幼い日、家の道場でその槍の才能を見いだされ、水天流本家ラザフォード家の養子となった。その日からが間違いの始まりだったのだ。

 磨いた槍の腕は家のためではなく、ましてや水天流のためでもない。そんな自分が、当代一の水天流の使い手となった。それが間違いの続きだ。

 幼馴染みテレーズの後を追い、聖騎士となった。そのうちに、水天流の掌門までも継ぐことになった。間違い、間違い、間違い続きの選択の結果。


 汗が垂れ、背中がじっとりと濡れる。括った後ろ髪の下、襟足は水浴びをしたように水気を帯びている。

 それを拭うこともなく、息苦しさに水攻めにでもされているような気がした。




「ベルレアン殿」


 クロードも知らぬ間に、いつの間にか天幕の入り口で何かを話していたガウスが、中を振り返りクロードに声をかける。

 ああ、とクロードは落ち着き払って応える。それまでに聞こえていた騒がしい足音にすら気が付かなかった事実を鑑みて、落ち着いているともガウスには思えなかったが。

 全速力で駆けへたり込む騎獣から転がり落ちるようにしてきた使者。彼が伝えた事実は、更にその心労を加速させるだろう、とも思いつつ。


「第九位聖騎士団から緊急の報告です。イグアル・ローコにより第七位聖騎士団〈露花〉壊滅。テレーズ・タレーラン殿が捕縛されたと」

「…………確かなのか?」

「第九位聖騎士団の拠点に、敗走してきた兵たちからの報告です。間違いないかと」


 あえて淡々とガウスは告げる。彼とて衝撃を受ける事実。

 また一つ聖騎士団が潰えた。そして報告に上げられなかった第八位聖騎士団の安否もそこから導き出される限りでは……。


「〈孤峰〉は……?」

「合流前だったと。彼らの安否も不明、ですが……」


 ガウスは首を横に振る。先ほど報告にあった謎の閃光、それとの関連も不明ではあるが、何故だかガウスには関連しているようにしか思えなかった。

 机に歩み寄り、ガウスが駒を見下ろし二つを取り除く。もちろんそれは、第七位と第八位のもの。


「条件を満たしました。撤退いたしましょう?」

「……撤退、だと?」

 クロードはガウスの言葉に顔をしかめ、そしてガウスはその仕草に顔を強ばらせた。

 その事に関しては二人ともが聞いている。

「ダルウッド公爵の指示にあったでしょう。聖騎士団が五つを切った時点で撤退、イラインを防衛線として軍を再構築、ネルグから出てきたムジカル軍を迎えうつ、と」

「…………」

 あったか? と問いかけようとして、クロードはすんでの所で口に出さずに納めた。そういえば、先ほど聞いた気がする、そのようなことを、たしかに。

「現在四つ。条件は満たされました」

 ガウスはまた地図を睥睨する。残った白い大きな駒は四つ。そこに自分が入れてよかった、と実感してため息をつきそうになった。

 

 クロードは拳を握りしめ、その意見に反駁する。たしかに、撤退の条件は満たした。

 しかし、それは。


「テレーズは生きている。救出に向かえばまだ間に合うかもしれない」

「イグアル・ローコが捕縛した以上、既に五体満足ではないでしょう。そして時間も稼げる。この隙に私たちは撤退の準備に入ります。〈琴弦〉、〈百舌〉への伝令は私たちの団から?」

 淡々とガウスはクロードに問いかける。クロードの言葉をあえて無視して。

「イグアルの場所は? 先ほどの伝令を呼び戻せ! 早く!!」

 クロードも、ガウスの言葉を無視して言葉を続ける。何故だか笑いがこみ上げてきた。苦笑いのように、噴き出す汗を堪えながら壁際にいた騎士を見て命令を飛ばせば、騎士はその命令に即座に応えて外へと走り出した。


「ベルレアン殿、落ち着きましょう」

「カラス殿はまだか、いや、フラムはどうなっている? カラス殿がいれば即座にいけるだろう。ガウス殿、第十四位聖騎士団は……」

「ベルレアン殿!」


 机を挟み、ガウスとクロードが顔を見合わせる。

 駄々っ子を止めるように、ガウスはあえて語調を強めた。


「落ち着きましょう。今が好機です。残存兵力を温存できる最後の好機。今を逃せばイグアル・ローコの、事によってはフラム・ビスクローマの進軍も再開します。ラルゴ・グリッサンドも姿を現すかもしれない。撤退すべきです、命令に従い」

「……命令?」

「ダルウッド公爵猊下からの命令です。従わなければ」

「しかし……」


 クロードは唾を飲む。

 たしかに。副王とも称されることがある権威を誇るダルウッド公爵。治療師ではないが、聖教会でも高い地位を誇る彼。逆らって良いことなどない。

 それに、そもそも相手は公爵。騎士爵の自分が逆らえる相手ではない。


 しかし、それでも。

「……見捨てろというのか」

「それはたしかに心が痛みます。しかし昨日騎士団を見捨てた我らが言えることではありません」

 ガウスの言葉にクロードはぐうと言葉を止める。

 たしかにそうかもしれない。潰走した騎士団とてもちろん友軍で、見捨てるべきではないとすれば彼らも確かに見捨てるべきではなかった。それを、労力と危険度を顧みて見捨てたのだ。救出命令を出さなかったのは、確かに自分だ。


 クロードはまた地図を見つめる。

 駒が二つ減り、ずいぶんと寂しくなった森の地図を。


「このまま続けても被害が拡大するだけでしょう。二つの聖騎士団だってもう危ないかもしれない。先ほどの伝令が出た後に、フラムの襲撃を受けた可能性だってある」


 地図にまた穴が開いて見える。その穴に吸い込まれそうになって、自分が落ちていく感覚がある。

 息が切れる。クロード自身、何故だかわからず。


「そうなる前に、まだ戦える内に、残存戦力を温存しなければ……」


 吐き出す息が震える。ガウスの声が遠くに聞こえる。

 ああ、そうだ、とクロードは納得した。グワングワンと音が響く。たしかにダルウッドの指示は聞いていた、このような音で、たしかに。


 グラリとクロードの身体が揺れる。冷や汗は雨、そしてガウスの言葉が強風のように感じられる。大風の前に立つ人間のように、もはや足下が揺れていた。


「伝令は私の団から出します。ベルレアン殿、命令を……!」


 そうだ、とクロードは思う。

 たしかにそうだ。ここで早く撤退しなければ、まだ何千人と死ぬかもしれない。既に数十人、もしくは数百人を見捨てる決断をしたのだ。テレーズを見捨て、今残る兵力をかき集めて救う。それが正しい。

 ガウスの言葉が正しい。もちろん。


「……そうだな」

「では……」


 呟かれたクロードの言葉に、ガウスは居住まいを正した。

「撤退命令、承知しました!」

 それからきびきびと身を翻し、天幕を出ようと歩き出す。

 

 ガウスのその後ろ姿を全く見ずに、クロードは言葉を続けた。

「ガウス、お前は正しい」

 まだ何かを言うのかと、ガウスは立ち止まる。振り返っても、クロードは地図を見下ろしたままガウスに身体を向けなかった。


「お前は全くもって正しい。たしかに、この場合はテレーズを見捨てて全軍を撤退させるのが正しい。そうするべきだ、全くもってそうするべきだ。聖騎士ならば」


 ぽつぽつとガウスに向けてクロードが呟く。

 いつも鷹揚とし、明るく、力強く声を出す彼とは、全く違う声音で。


「そうするべきだ」


 クロードが右手を挙げる。何をするのか、とガウスは目を細めたが、その次の瞬間飛び上がる思いだった。

「そうするべきだ! 聖騎士ならばっ!!」


 クロードが振り下ろした手は地図の上を綺麗に払い、上に乗っていた駒を全て弾き飛ばす。神速の腕の動きに弾かれた駒は、天幕の頑丈な布を突き破って外へと飛び出していった。


 顔を上げたクロードの顔は、晴れやかに笑っていて、それもまたガウスにとっては恐怖に近い感情を覚えさせた。

 先ほどまでは駄々っ子を叱るようだったが、今度はまるで叱られるように肩を竦めた。


 ガウスに向けて、クロードは歩く。

 戦争前、皆に向けていた顔そのままに、温かな笑みに、力強い足取りで。


「たしかに、そうするべきだな、聖騎士ならば」

 クロードはにこりと笑ってガウスの肩を叩いた。バンバンと力強く叩くそれは、痛みはなくとも重さはあった。


「だから俺は今この場で、聖騎士をやめる」

「……は?」


 開いた口がふさがらない、という言葉をガウスは実感した。

 意思に反して口が開く。言葉が出ない、とも思った。聞き間違いかと思って聞き返すが、クロードの笑みは変わらない。


 一歩離れ、バサリと脱がれた白銀の外套は、聖騎士を示すもの。

 手渡されたガウスは、その重みによろけそうになった。重くはないはずなのに。


「返しておいてくれ。それと、第二位聖騎士団員は全員第十四位に編入。指揮権もお前……いや、ガウス閣下に移譲いたします」


 副団長を呼んでくれ、とクロードは天幕の端で固まっていた騎士に告げようとし、それから恥ずかしげに「呼んでくださいお願いします」と頭を下げた。


 慌てたガウスがようやく気を取り直し、渡された外套を横抱きにしつつクロードに食ってかかる。

「ま、待ってください! 最高指揮官が何を……!!」

「そうです。最高指揮官が今辞めては困るので、今から最高指揮官はガウス……じゃないライン閣下ということでよろしくお願いします」

「こういうときに冗談は……!」


 冗談はやめてくれ。そう、本気で怒りかけたガウスは、頭を上げたクロードの顔を見て言葉を止めた。

 何の表情かわからなかった。微笑みを湛えている。しかし、怒っているようにも見える。悲しげにわずかに細められた目に、高揚するような目の輝きに。


「冗談ではない。そう、冗談ではない」


 では、とクロードが渡した外套をポンと叩く。

「最高指揮官として、補助の任を帯びたガウス殿に命令する。これより俺の代わりに騎士団をまとめ、イラインで再編し、防衛戦に当たれ。俺が戻るまで」

「……テレーズ殿を救出に?」

「ああ」

「戻らなかったら?」

「お前が最高指揮官だ。ずっとやってていいぞ。第二位聖騎士団の地位もやる。いやむしろ今日からお前が第二位聖騎士団長だ、頑張れ」


 ガウスの喉まで、『嫌だ』という言葉が出かける。

 ニカ、と笑いクロードはその機先を制し言葉を止めた。




 制止を振り切り、槍だけを携えてクロードは天幕を飛び出す。まるで家出をするような仕草で。

 それから騎獣を取りに走ろうとし、やめた。自分が走った方が速い。自分の足で。


 そんなクロードに、すれ違うようにして待ち受けていた影があった。


「申し訳ありません、聞こえておりました」

「これは……済みませんが急いでおりましてな。事情がわかっているならなおさら……」

「ですから、これを」


 そ、とその水色の髪の少女は小さな袋をクロードに手渡す。

「これは?」

 受け取ったクロードは、袋を軽く振って確かめる。中身は、布、それに細々とした何か。

「これから必要になります」


 ソラリックは淡々とクロードに向けて中身の解説をする。布、それからいくつかの生薬。

 その様にクロードは何故だか王都で出会った青髪の魔術師の姿を感じ、受け取った何の変哲もない荷物がやけに大事な何かに思えた。




 クロードがとある建物の壁を蹴破ったのは、それからおよそ一刻半(三時間)の後。

 駐留していた拠点との距離は百里(約50km)を優に超えていたが、元より騎獣よりも足が速い聖騎士にとっては驚くべき早さではない。

 騎獣を用いるのは、荷物の運搬のため、もしくは長距離の移動での疲労を軽減するため。ただ単独で荷物も持たず、そして後先を考えずに進めば無視できる不利だ。


 ずん、と足音を鳴らしながら、血の臭いが漂う建物の中を進む。

 堅牢ではない。開拓村の粗末な建物。木の壁には風が入る隙間が多く空く。


 ずんずんと足音を鳴らし、中を進む。

 血の臭いのある方へ、血の臭いの強くなる方へ。


 そして見つけたおそらく倉庫。狭く、黴臭い臭いも混じる建物内の納屋のような場所で、二人を見つけた。


 男女。

 床に転がされた女は金属製の猿ぐつわを噛まされ、布の簡易的な服を着せられていた。金と緑と白の混じる長髪は垢じみたように汚れ固まり、それが脂汗や埃によるものだと思えばクロードの拳に力が入った。


 男はその横で、顔を覗き込んでいたらしい。

 壁を蹴破る音も足音も気にせずいたのだと、その仕草にもまたクロードの額に青筋が走った。

 クロードにようやく気づき、勢いよく振り返った男は、目元以外、全身に包帯を巻いた異様な姿だった。


 包帯の下の眉を器用に顰めて見せて、男は心底不快な表情を見せる。


「何ですかあぁぁぁ!! 今僕お楽しみの真っ最中なんですけどおおおぉぉ!!??」


 響く声が部屋を震わせる。

 その震えが込められた槍を構えて、クロードは息を整えるべく深呼吸をした。


「そうか」


 だが、整えてなどいられない。

 走り通しで萎えた足を回復する暇などない。暇など許せない。


 男の足下に転がるテレーズは、右腕がない。

 それがクロードの、もう幾度となく越えている限度をまた越えた。


「俺は今、お怒りの真っ最中だ」


 

 ここが俺の戦場だ、と念じつつ、クロードは噛んでいた生薬を吐き出した。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 間に合ったぁー! [一言] 思わず[前へ][目次][空欄(次ページがあれば次へ)]の空欄を連打しておりました。 更新されるまでの間読み直しの旅に出てきます。一気読みで色々読み飛ばしてきまし…
[良い点] 間に合った!(間に合ってない)(6話ぶり二回目) [気になる点] あの空気読めないソラリックがまるで大局を見通すかのような行動を!? [一言] ハイクを詠むがいい!
[一言] いいよ。瞬殺していいよ。いや、瞬殺してくれよ
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