力の入れ替え
闘気が使えるようになったのは、僕にとって喜ぶべきことか悲しむべきことかわからない。
元通り魔法は使えるのだろうか。
シウムの授業で得た闘気についての知識を反芻する。
まず、闘気は体を鍛えれば使えるようになる。その程度は個人によって違うが、その体に相応の負荷をかければ誰でも使えるようになるのだ。そう、誰でも。
そして、魔力と合わさると互いに消し合う性質がある。闘気を使える者は、使えない者と比べて魔法に強いともいえる。魔力を消してしまうというのは、自分の魔力に対しても有効のようだ。
身体や物体の強化が出来るというのも実感した。走る速度や視力が実際に向上していたのはそのせいだった。
闘気が使えるようになった。それが今回の問題の原因だった。
原因はわかった。ならば、解決策を考えるだけだ。
闘気が出ているから魔力が外に出せないというのなら、闘気を抑えてしまえばいいのだ。もちろん、両方使えるのが理想ではあるが、闘気の優先度は僕の中では低い。
魔力の操作と同じような感覚で闘気を操作しようとするが、なかなか上手くいかなかった。魔力とは全然違うようだ。
といっても、魔力と違う物質が体にあることは感じているので、半日ほどの練習でコツは掴んだ。感覚的に、魔力は神経のようなものを通っているのに対し、闘気は細胞から滲み出ているような感じか。
これを、抑える。外に出さないように、体の中に抑えこむ。
シウム曰く、闘気を意識的に操作するのは鍛錬した人間しか無理だが、微弱な闘気はどんな人間でも出しているらしい。探索中、気配を消して移動するときには闘気を体から出さないようにして行動する。他にも疲労の回復を早くするために行うこともあるそうで、キーチも練習させられていた。ちなみに、闘気を活性化させた方が傷の治りは早いらしい。
この状態ならば、魔法が使えるのだろうか。さっそくやってみる。
頭上の木の葉をめがけて、風の刃を飛ばす。ピッという軽い音とともに、葉が落ちた。
案外、簡単に解決した。よかった。安堵の気持ちで気が抜ける、体の力も抜けて、木の根にへたり込む。
森に駆け込んできたときは、焦りと不安と困惑で頭がいっぱいだったが、無事解決した。
そうなると、今度は好奇心が浮かぶ。
魔力と闘気を、同時に使えないだろうか。
この二つの力が打ち消し合うことは知っている。しかし、何とかならないだろうか。
闘気を活性化し、手首ほどの太さの枝を両手で掴む。少し力を加えると、たやすく折れた。この力を、出来れば活用したい。出来なくても、別々に使えばいいのだ。考えても損ではあるまい。
まず、両方同時に出してみる。先程は出来なかったが、闘気の操作が出来るようになった今、やってみたいことはある。
闘気をほんの少し、活性化させる。元々誰でもほんの少しは出しているそうだし、ここからなら魔力も出せるだろう。
狙い通り、魔力は展開できた。ただ、何故か少しやりづらい。
ここから、闘気を少しずつ活性化させていく。が、これがすごくやりづらい。展開させた魔力の範囲が、みるみる狭まっていくのだ。
そして、それだけではない。先程と同じような太さの枝を握り、力を込めるが、全く折れる気配が無い。これでは、闘気を活性化させていないときと同じだ。
ならば逆に、魔力を少しだけ展開した状態から闘気を活性化させてみる。そうすると、身体能力は向上したものの、魔力の範囲が狭まり、ついには展開できなくなってしまった。これでは、森に駆け込んできたときと同じだ。
どうも同時に出すと、まず混じって打ち消し合った分が消えて、残った方の力の性質だけ出るらしい。
やはり、同時に扱うのは無理なのか。
ならば、次の手だ。
今度は、闘気で強化する部位を分割する。これも、シウムの授業でやっていたことだ。
具体的には、闘気を必要な関節や部位に集中させて強化するというものだ。闘気を目に集中させて遠くを見たり、喉から肺に集中させて大きな声を出したりする。長い探索中、闘気を節約する知恵らしい。
魔力を展開し、闘気を両肩から先に集中させる。やはり闘気を出した分打ち消しあいはするも、両腕以外から放出している魔力の分展開できた。
魔法は使える。水滴を出して確認した。闘気はどうか。枝を掴む。折れた。
「よおっし!」
思わず声が出た。成功だ。これは両腕だけだが、場所は適宜変えて使えばいい。
実験が一段落して、考えるべきことがあったのを思い出した。
というよりも、考えないようにしていた。現実逃避も兼ねた実験だったと、自分でもここで気付いた。
ここに逃げてきた理由、事態の発端。フラウに、気付かれたのだ。
問題は、「不審な子供が村にいた」という情報が出回ることだ。
フラウは、おそらく親に喋るだろう。無邪気に、「今日、知らない男の子に会った」と。
そこだけで終わるなら問題になどならない。「子供の戯言だ」と、片付けられるのであれば。
しかし、平和な村に、閉鎖的な村に異分子がいるのは大問題だ。フラウの両親は、フラウから聞き取った情報をシウムや村長などに伝える。そこでシウムに直接話さなくても、井戸端会議で近所に話せば十分だ。噂はすぐに、村の責任ある誰かに伝わるだろう。
そして、その責任ある誰かはその「男の子」の正体を突き止めなくてはならない。そうしなくては、この小さな自治体はすぐに混乱してしまう。
どんな手段でかはわからないが、捜索は行われるだろう。そしてそこで見つかってしまえば、そこからの扱いは悪いものしか浮かばない。
知り合い同士しかいないこの村での、唯一誰も知らない子供。守る存在がいない人間。村の厄介者。憂さ晴らし。不満のはけ口。
嫌な言葉ばかり浮かぶ。気の良い人たちばかりの村ではあると思うが、何故かそんな考えばかりが浮かんだ。
そう、気の良い人たちばかりなのだ。もちろん、僕を受け入れてくれて、普通に健やかに生活できる可能性のほうが高い。
しかし、そうならないかもしれない。
そもそも、見つからなければ問題は無い。このまま静かに暮らせば。
でも、万が一ということもある。
いや、でも、それは。
村を、出て行こうか。
堂々巡りの思考の果てに、そうした結論が出た。
暮らしづらいのであれば、出て行けばいいのだ。この村に来た理由、服は手に入った。一般常識もおそらく身に付いた。この村にこだわる理由は、もう無い。
食料は、もうどこでも手に入れることが出来る。住居だって、寝られればどこでもいい。
僕は、どこにだって行けるのだ。
村を出て行くと決めても、まだ躊躇いはある。
生まれて五年、全てを森とこの村で過ごした。出来ることなら、もう少しこの村にいたい。ただの感傷に過ぎないと思っても、なかなか割り切れるものではなかった。
沈む夕日を見つめる。赤く燃えるその光は、いつもより掠れて見えた。
早朝、目が覚める。よく晴れていた。
涼しい風に当たりながら、これからのことを考える。出て行くと決めたが、どこに行くかは決めていない。
計画としては、村に来る行商の馬車を待ち、それに付いていこうと思う。もちろん隠れてだが。たしか、次に来るのは大体三日後だった。たまに間隔がずれることがあるが、それくらいだろう。
荷造りは殆ど無い。もともと荷物など、着回している服やボロ布しか無いのだ。最後の二日間、することなどいつもと変わりない。ただ、村を見回るだけだ。
出て行くと決めてから見る村は新鮮だった。いつも歩いた道、見慣れた風景のはずなのに、いつもと違う。
小道に白く咲いた花に混じって、一つだけ咲いた赤い花を見つけた。ある民家の、扉横の柱に刻んである傷、背比べの跡だろうか。畑の雑草の残り方が違う、この家の夫婦はどちらかと言えばずぼらだったから……。
いつも見ていたようでいて、僕は何も見ていなかったのだろうか。初めて気付くことも多くて、見つけるその度に、何故か嬉しかった。
広場や畑、一通り見回ったところで、予想していた光景が目に入った。
「そんで、ここでキミがこっちみたら、その子がいたんすね? で、ちょっと話して、キミは中に入っていったと……」
「うん! そう」
デンアによる、フラウからの聞き取り調査だ。
「どんな外見……あ、見た目でしたー?」
「ええっとねぇ、………男の子!」
「うん、それはわかったっす。身長はどれぐらいだったのかなー」
「僕と同じくらい!」
フラウが両手を頭の辺りでヒラヒラさせながら身長を示す。
「そ、ですか。どんな服着てましたー?」
「うーんとー……茶色っぽい? 布? 被ってたとおもう……」
「んー……。黒髪の男の子でー、茶色い貫頭衣着て-、肌が白い感じー? 」
「その前の行動が不明なのはわからんな。どこから現れたのか」
聞き込みを終えたデンアは、横にいた二人の猟師と相談を始める。少し興味ありげに聞いていたフラウは、すぐに難しい話と判断したようで、家の中にトコトコ入っていった。
「その後の行動もわかればいいんだが」
不意に会話が途切れ、デンアが輪を離れる。そして頭を掻きながら、周囲の地面を見回し始めた。
「フラウ君の話だと、その子の立ってた位置がここー、話し終わった時の仕草からするとー……」
僕の立っていた位置の後ろの辺りをじっと見る。そこで、何かを見つけて目を細めると、近くまで寄りしゃがみ込んだ。そうして、その先に視線を向ける。
「足跡、森に向かって走ってます」
猟師たちによる、山狩りが始まった。
「あ、ここ通ってますねー」
「なるほど、わかりやすいな」
足跡を尾けてきた猟師たちは、森に入ってすぐに何か情報を掴んだようだ。
「ここら辺が、生活圏内だろう」
「獣道? 男の子道? がきれいに出来てますし、確定ですね」
足跡はなんとなくわかった。しかし、自分でよく通る道ではあるが、獣道は僕にはさっぱりわからない。彼らは、どういうふうに判別しているんだろうか。
デンアは、足下の地面を幅広い小刀で掘り返す。
「所々、埋めてあるものを見るに、食べてるものは固定されてるみたいですねー。木の実の殻、鳥の骨、魚もありますよ」
「なあ、これを見てくれ」
「うわー、枝、折れてますねぇ……イコさんは、どう思います?」
「子供の背丈で、胸の辺り。方向から見るに、ぶつかったわけでもなく意図的に折ってるか」
嘘だろ。昨日、何の気なしに折った枝が見つかった。これだけ木が茂ってるのに、たった二本の枝が見つかるのか。
「そうですよねぇ。しかもこの枝、結構太いです……」
「これは、やはり……」
「森までの歩幅、足跡の深さ、それにこの枝を見ても、そんな小さな子供が出せる力じゃない」
デンアは、溜め息を吐きながら三人の意見を総括する。
「闘気か魔力か……を使えるんですね。見た目を考えなければ『魔物』で確定だと思うんですがー……」
「見た目は男の子、と。難しいな……」
「もう、妖精ってことにしちゃいません?」
デンアの飛ばすジョークに、他の二人は少し笑った。
「と、なんか見てますねぇ」
突然、デンアがこっちを見る。つられて他二人もこちらを見た。まずい。
「どこだ、デンア」
大丈夫、透明化の魔法は使えている。防音の魔法も発動しているはずだ。念のため、ソロリソロリと視線から外れる。見つかった? それとも偶然か?
「そこの木陰から何かがこちらを窺っていました。もうそこに居ないみたいですが……」
デンアが周囲に鋭く視線を飛ばす。他の二人も、周囲の警戒を始めた。
「動物じゃないですよね。たぶん言葉、わかりますよね。悪いようにはしませんから、出てきてくれませんか?」
猟師たちは、それぞれ弓に手をかける。臨戦態勢か。
どうする、こちらも応戦すべきか? いや、交戦は避けたい。まだ見つかってもいないのだ、このまま逃げてしまえばいい。
「出てきてくれないのであれば、以降は狩りの対象とみなします」
「今出てきてくれねえかなぁ」
宣言の後、「こちらとしても、正体不明の方に森にいて欲しくないんですよ」と、デンアは小さく呟いた。その声に、何となく申し訳なくなってしまう。
「出てきてくれませんか。これが最後です」
一歩後ろに下がる。迷ってる暇はない。出来るだけ早く、ここから遠ざからなけれ
「っ!」
ノータイムでいくつもの矢が飛んできた。どれも頭、胴に命中する位置だ。かろうじて、念動力で防ぐ。
「今多分下がりましたね。出てくる意思は、無いと」
デンアは一度目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。
「……ならば、ここからは狩りの時間です」
今の矢は、全てデンアが射たものだ。複数の矢を、見えない敵の急所に当たり前のように放つその腕前。僕は恐怖を感じた。
やばい、逃げなければ、そう思ったときには次の波が飛んでくる。木の陰でやりすごすも、そのときにはもうデンアは次の矢をつがえていた。
幸いにも、他の二人は僕の詳しい位置を捕捉出来ていないらしく、弓を構えて動かない。しかし、確実に僕の命を狙いに来るその姿も、不気味にしか見えなかった。
「木の陰なら、大丈夫とか思ってます?」
悪寒が走った。嫌な予感がして、違う木から上に張り出した枝に飛び移る。その瞬間、バギャっという音が響く。下を見れば、僕の隠れていた木は抉れ、大きな穴が空いている。そして木は、大きな音を立てて倒れた。
デンアの方を見ると、揺れた枝からこちらの位置がわかったらしく、こちらに弓を向けている。デンアの弓や体からは、細い光が立ち上っていた。闘気だ。
まずい、本格的にまずい。念動力で障壁を作ってももう役に立たない。一刻も早く、ここから逃げなければ。
そう思い、上空へ逃れようと飛行したところで、右足に鋭い衝撃を感じた。
矢が、足から生えていた。
違う、矢が、足に刺さっていたのだ。
デンアばかりに注意を向けすぎた。イコという猟師の射た矢は、闘気を帯びて、正確に僕の右足を捉えていた。
「お、いけたか」
「みたいですねー。でもこれはちょっとまずいかも……」
痛い。もうこれ以上撃たれるわけにはいかない。痛い。無我夢中で逃げる。痛い。森の奥の方、痛い痛い痛い、速くもっと、速く!
森の奥に転がり込んだ僕は、あまりの痛みに悶絶した。筋肉痛や擦り傷とは違う。はっきりと、体を裂く痛みに転げ回る。
魔法だ、魔法でどうにかならないか。Naチャネル遮断、ブラジキニンの不活性、それらしい知識が頭に浮かぶ、何故かは知らないが使えるものなら使ってやる。魔力を込めて鎮痛を行う。痛みをどうにかしなければ、耐えられない。
慣れてきたのか、咄嗟の魔法開発が上手くいったのか、痛みが引いてきた。あとは、この矢をどうにかしなければいけない。
痛みが引いて、少しは思考が出来るようになった。まずは、矢を抜かなければ。
矢が刺さった場合、すぐに抜かなければ筋肉が緊張して抜けなくなると聞いたことがある気がする。たしかに、引っ張っても簡単には抜けないようだ。鏃の形を考えても、このまま抜くと傷が広がるようにも思える。
血だらけの手を見て、何故か可笑しくなってきた。矢をグリグリいじってはいるが、これは鎮痛魔法が無ければ酷いことになっているだろう。
現実逃避をしている場合ではない。矢を抜かなければいけないのだ。こうしている間にも、ドクドクと血は流れている。考える。ならば、どう抜けばいいのか。
二つの選択肢が浮かんだ。矢の周りを切り開いて、取り出す。もしくは、思い切って貫通させて逆から抜けばいい。
さすがに自分の体を切って傷口を広げる真似はあまりしたくない。ならば、後者か。
幸いにも、矢の後ろに矢羽根はついていないようで、押し込めば簡単に抜けそうだ。
小さな布を畳んで、奥歯に挟んで噛む。痛みを我慢するためにすると聞いた。鎮痛魔法を使っている今、必要ないものではあると思うが、気分の問題だ。
なんだ、結構余裕があるじゃないか。苦笑がこぼれた。
矢に手を掛けると、意を決して押し込んだ。痛みは無い。痛みは無いが、ミチミチと筋肉を押し広げて矢が進む感覚が手に伝わる。
この感触は、あれだ。鳥を捌くときと似ている気がする。
出来るだけ他のことを考えながら矢を抜き取る。
抜けた。
しかしこの、矢を抜いた傷口から溢れる血は予想していなかった。噴き出している。
とりあえず、ボロ布を丸めて膝の裏に当て、上からまた布で縛る。傷口を心臓より高く上げたいが、これでは逆立ちするしか無い。
また魔法に頼るか。
どうすべきか。先程よりも勢いは無いが、それでも血は出ている。多分、顔の血の気も引いているだろう。
筋繊維や血管を繋げられればいいのだが、出来るだろうか。擦り傷ならば、もう既に治せるようにはなっている。しかし、出血の多い切り傷は初めてだ。
だがやってみるしかない。死の危険すら迫っているのだ。
まず、水で傷口を洗う。細かなゴミは無いようだが、一応念のためだ。そして、切れた血管や筋繊維がくっついて元の場所で止まるように魔力で固定する。擦り傷の場合は人工皮膚のようなものを作り維持するようにしていたが、今回は細胞がくっつく接着剤のような感じにする。
闘気は絶っておく。魔法の邪魔にならないように。
さて、このまま綺麗に治ってくれればいいが。
傷口の手当ても終わり、夜が来た。
疲れた。
やはり、村は出て行くべきだ。改めて真剣にそう思えた。
今思えば、デンアたちの言葉に乗り、姿を見せるべきだったのかもしれない。もしくは、フラウに見つかった時点で村へ保護を求めるべきだったのかもしれない。
いや、そもそも、赤ん坊だったあのときに、村の誰かに拾われるように画策すべきだったのかもしれない。
どこで選択を間違えたかわからないほど、色々な選択を間違えている気がする。
でも、今更姿を見せて、名乗り出るわけにはいかない。それは、僕の意地だった。
幸いにも、その後二日間、猟師たちと遭遇することは無かった。
そして、行商人の馬車が来る。
旅立ちの時間だ。
治癒魔法を覚えさせるための、強制負けイベント。
デンアはこの世界ではボスキャラ級に強いです(言い訳)