閑話:喜びの中で
グロというか、ゴアというか、……なんだ?
残虐表現注意です。
イグアルの紹介なので読み飛ばしても大丈夫です。
開拓村の粗末な建物。木造で壁の薄いその一つの建物から、苦痛の叫びが響き渡る。
朝早くにその声で目を覚ますのはイグアルの直属兵にとっては慣れたものだ。
何事だ、と思うわけでもなく、ただそれぞれの天幕の中で瞼を開け、もうそんな時間か、とあくびをするだけ。
今日もほぼ同時に目を覚ました兵たちはその声に耳を傾け、「朝早いことで」と笑い合った。
ムジカル兵の多くが感じる、ネルグの森のぬめる独特の青臭い空気。色がついてすら感じていたその空気を浸食するように、件の叫び声の建物からは瘴気のような雰囲気が漂う。
その中で行われている凄惨な光景は、イグアルの直属兵たちでも直視するのは憚られる者が多い。
天幕の中ではなく、開拓村の建物を利用するのは、少しでも叫び声が漏れないよう。
現在その建物の中では、イグアルの愉しみが行われていた。
建物の一室。イグアルが適当に選んだ食堂に転がされているのは十人の男女。そのうち八人は既に死亡し、残る二人の男性はほぼ無傷に近かったが、食堂の机の上に手足を広げるように固定されていた。
イグアルが、生き残った一人の男性の腕に刃を差し込む。前腕、肉を裂き、二本の骨の間を突き通った刃は、ほとんど血を流すことなく貫通した。
「ぁ~~~~~~!!!」
既に男の舌はなく、それでいて意識は鮮明である。血走り見開かれた目は、精一杯の苦痛を訴えどこかを見つめていた。
それを見て、イグアルは顔面に巻かれた包帯の下で唇を歪める。
「大丈夫、大丈夫、まだ腕は残ってる。大丈夫だよ」
それからゆっくりと優しく元気づけるように言うが、男はそれを聞いてもなんら安心できることはない。男は部屋の隅で芋虫のような姿で転がり事切れている者たちが、どういう末路を辿ったのかよくわかっていた。
芋虫のようになって転がる。
それは、まだ『始まったばかり』ということ。
ゆっくりと男の腕から刃が抜かれる。その傷は腕を貫通する大怪我ともいえるもの。しかし、大多数の者が想像するような量の血はそこから滴らず、ただ滲み出るようにして男の粗末な布の服を汚した。
イグアルはその傷口を観察すべく更に刃を滑らせる。暴れるのを抑える手間を省くために切断された四肢の靱帯。その傷口と今作った傷口を結ぶように、上腕から前腕中程にかけて大きな傷口が開かれる。
男が叫び声を上げる。その声に股間が疼くような感覚を覚えながらも、イグアルは観察すべく冷静に傷口に目を走らせた。
(まだいけるな)
傷口の中には様々な色がある。脂肪組織の黄色に、肉の桃色。そして暗紅色の血の色。
そのどれもが命には関わらないということを確認した後、叫び声を無視しつつケラケラと笑ってその肉を抉った。
「~~~~~~っ!!!!!」
「痛いよね、痛いよねぇ?」
全身の筋肉を総動員させ、男は痛みから逃れようと悶えて唸る。その仕草が心底面白くて、イグアルは同様の動作を繰り返していく。
男の右腕の皮が剥がされ肉が剥き出しになる。その筋肉もぶつりぶつりと切断して、骨まで空気に晒すように広げて槌で叩く。
ごつん、ごつんと音がする。男はその音が何から発せられているのかも理解できず、それでもその身体全体に響くような振動と激痛に、既に歯が抜かれ歯茎だけになった顎を食いしばった。
男の右腕の肉が、綺麗に骨から削がれて落ちる。
そこまでされてもほとんど出血のない不可思議な事象は、イグアルの手技の賜物だ。
腋下はきつく縛られ、上腕動脈の断端は絹糸で結紮され、無駄な出血はない。それは彼が親から習い身につけた修練の結果。
イグアル・ローコは人体の構造を熟知している。
金瘡医であった彼の父親は、その医業に用いられる人体の構造を彼に隅々まで伝授した。彼自身の身体を隅々まで使って。
その知識を、彼は終生忘れることはない。
人体というのは意外と頑丈なものだ。少々の衝撃では死ぬことはなく、侵襲的な傷を受けようとも、大きな血管や重要臓器を傷つけられなければそうそう死には至らない。
彼の全身を覆う包帯の下は、その証拠に溢れている。
傷跡がない皮膚はない。頭の先から爪先まで、滑らかな皮膚などどこにもない。
彼は熟知している。
人体というのは頑丈だ。重要臓器に傷をつけず、血管を破かず大量出血を避ければ人はそうそう死には至らない。
故に。
「ぐあぁぁぁぁあぁ!!?」
もはや骨と血管しか残っていない男の前腕。だがその先の手部、手首から先はほとんど無傷だ。神経を出来るだけ傷つけないよう肉を丁寧に剥ぎ取ったのは、このために。
イグアルは男の手を金槌でガンガンと叩く。見る間に腫れ上がり皮膚は紫に変じる。骨が砕ける音がする。肉が細断される感触がする。
だが命に別状はないのだ。どれほどの苦痛を与えようとも、どれだけの重傷を与えようとも、イグアルの手に掛かれば。
痛みに涙と鼻水を流しながら、男は懸命に首を振って苦痛から逃れようとする。
それでもイグアルは容赦せず、ただ愉しみながら金槌を振るう。男の手が黒い団子のようになるまでそれを続けてようやく満足した頃には、男は悲鳴を上げる元気すら残っていなかった。
次はどこにしよう、と腕を切り落としながらイグアルは考える。
まだ手足は三本残っている。まずは爪を剥いで、気付けをしなければ。
いいや、それよりも。
イグアルは道具箱から一本の針を手に取る。いいことを思いついた、と自らを褒めながら。
人の眼球というのは、生理学的には、視覚に関しては複雑な構造を持つ。
外部から与えられた光刺激を虹彩により調節しながら瞳孔を通して受けて、水晶体を通し網膜へと投影、それを視神経を通し後頭葉へと伝達して像を認識する。そのどれかが機能不全を起こせばたちまち視覚障害が発生し、最悪失明という憂き目に遭う。
しかしその機能を司るのは主に黒目と呼ばれる部分に集中しており、強膜、いわゆる白目の部分には機能的な役割は少ない。
故にそこが傷ついたところでただちに目の機能を失う、というわけではなくましてや命には直結しない。痛みもない。
ならば。
「……ぇ……」
男の血走った目が、イグアルの手の先を捉える。包帯により覆われたその手の先には一本の細い針があった。
男が身じろぎをする。それをどこに刺そうというのだろうか。先ほど誰かが爪と肉の間にそれを突き刺されているところを見た。叫び声を上げた口の形のまま、固まった顔が目に焼き付いている。
まさか、とは思う。苦痛に意識が朦朧とした中でも、それを避けるべく思わず身をよじって自らの身を守ろうとしてしまう。
だがそれは違うらしい。いつの間にか取れていた右手をどこか他人事のように視界に入れつつ、涎を流してイグアルの動きを見定める。
イグアルは男の手を取らない。その代わりに、その手は男の顔を押さえつけるようにして、更に指は瞼を強制的に開かせる。
まさか。
男の視界の中で、イグアルの指が大きくなってゆく。それに反して、一向にその細い針は大きく見えなかった。細い針は点のまま、ゆっくりと近づいてきて、男の視界を通り過ぎるように下に向かう。
「ぎ……ゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
痛み、それに恐怖。その二つが臨界点を超えて、また男は叫ぶ。その日一番の大きな声を出して。
笑いながら手を離したイグアル。それに構わず思わず目を瞑れば、下の瞼と上の瞼の間に違和感がある。顔を歪めてその違和感の元を取り払おうとするが、無論そんなことは出来ない。深々と眼球に刺さった針は、その正体を改めて知るごとに男の中で存在感を増していった。
体液をまき散らしつつ、なりふり構わず男は叫ぶ。それをイグアルはクスクスと笑いながら見つめていた。
なに、そのまま三日もいれば慣れるものだ。
そう経験者としての意見を心中で述べつつ。
生きることは知ることだ、というのがイグアルの父親の口癖だった。
たしかにそうだ、とイグアルは思う。父の教えは未だに自分の中に息づいており、だからこんなに素敵なことが出来るのだ。
彼らに苦痛を教えてやろう。精一杯の善意を込めて。
いつかはそれは快楽になる。それは実証済みの真実だ。
イグアルはもうすぐ訪れる彼らにとっての幸福を考えて目元を歪める。
もうすぐ彼らはこう言うのだ。
『殺してくれ』と。心からの本音の言葉を。
そして優しい自分はそれに応える。頸動脈を、大動脈を切断し、彼らに静かな死を与える。
だからきっと、彼らは最後に幸福を得るのだ。歓喜のままに死んでいくのだ。
イグアルの父と同じく。
「さて」
男の醜態をそれなりに愉しんだ後、イグアルは細い針金を手に取る。次は左手にしよう。そのほうがきっと、座りがいい。
今度は指先から丁寧に。
男を見て、イグアルは思う。
彼らに幸福を与えてやるのだ。ならば少しくらいは。
自分も、愉しんでもいいだろう。
小一時間の後、イグアルは開拓村の粗末な建物から姿を見せた。身体を覆う包帯は取り替えられ、折檻の血の汚れは残っていない。
けれどもそこにいた直属兵は、彼が現れ強くなった漂う血の臭いに、顔を顰めないようにするのが精一杯だった。
「そろそろいくよ。出撃準備をさせてください」
「もういいんですか?」
部下は思う。珍しいことだ。いつものイグアルならば、その愉しみにはもっともっと時間をかけるのに、と。
今日の出撃は昼頃だと思っていたのに。
「うん。ラルゴの指示は一応守らなくちゃね」
イグアルは昨夜受け取ったラルゴからの指示を思い出す。
『可能な限り早く次の襲撃をかけろ。狙いは第七位聖騎士団』。
忌々しい、と思いつつもイグアルはそれに逆らう気はない。五英将内に序列はなく、ラルゴに従う必要はないにも関わらず。
〈成功者〉という称号は飾りではない。それを幾度となくイグアルは実感している。
共に参加した戦場で、イグアルはただの一度もラルゴの失敗を見たことはない。戦況はその言葉の通りに動き、敵軍の奇襲や乾坤一擲の策はまるで未来を見ていたかのように全て不発に終わる。
彼の言葉に従っておけば苦難はない。ならば従うのは吝かではない。
もちろん膝を折ったつもりはない。
戦えば勝つ。今はただ彼を利用しているだけなのだ。少なくともイグアルは、そう信じていた。
「足の速い三人を先に斥候に出して。第七位聖騎士団の場所を特定する。途中で出会った騎士団は無視。わかった?」
「了解しました」
直属兵は駆け出す。まずは斥候を募らなければ。
簡単な仕事だが背中には緊張感が走った。失敗して機嫌を損ねれば、自分が次にあの建物の中の死体と同じ姿になってしまう。そうなった戦友も何人も見てきた。
イグアルは部下を見送り、朝の眩しい日差しを眺めて目を細めた。
今日は何人に喜びを与えられるだろう。
皆歓喜のままに死んでいく。
刃を受ける快楽に、刃を与える快楽に。死を受け入れる幸福に。
ぐう、とイグアルの腹が鳴る。
そういえば朝飯の前だった、と今更のように思い出して恥ずかしくなりはにかむ。
肉の焼ける匂いというのは食欲をそそるものだ。年寄りの肉は臭いが若者の肉は香ばしい。
今日はあと何人分の肉の匂いを感じられるだろう。
イグアルは舌舐めずりをしつつ、朝食を腹に収めるために天幕へと歩き出した。
 




