第一話
僕がオセロットに呼び出されたのは、まだ日も昇らぬ朝早くのことだった。
「そうですか。もうそんなに」
「ああ」
集会場のような機能を持たせた天幕の中。僕とオセロット、それに四人ほどの聖騎士が額を突き合わせる。
皆の視線の先、机の上に置かれた二枚の紙は一枚が伝令の持ってきた書状。もう一枚が、伝令からオセロットが聞き取ったものを覚え書きしたものだ。
曰く、これは昨夜クロードたち第二位聖騎士団、並びに彼らが駐留する本陣に集められた情報を各聖騎士団で共有するためのものらしい。
一昨日、レイトンと会った日、ムジカルの砂漠の端で第十五位聖騎士団が壊滅したという話は既に聞いている。
だがそこから更に、被害者が増えたようだ。
ネルグ南浅層を中心に進軍していた第六位聖騎士団と第十位聖騎士団の壊滅。これによりネルグ南側浅層はほとんど奪い返されたといってもいいだろう。
それを僕に伝えたオセロットは沈痛な面持ちだった。
当然だろうとも思う。味方が死んだのだ。僕は軍議で居合わせただけで顔も名前もうろ覚えだが、もちろんオセロットは違うはずだ。
顔も知っている。名前も知っている。同じ地位の仲間たち。そんな仲間が死んだ。仮に仲が悪くても、何かしら思うところはあるだろう。
オセロットは鼻の下を揺するようにして音を立てる。出てない鼻水で鼻の中を満たそうとするように。
「派手にやってるらしい。騎士団の小拠点を潰してまわって……」
「そのおかげで場所がわかりますね」
だがオセロットにとっては悲愴な出来事でも、僕にとってはそうではない。五英将三人の居場所がはっきりと判明し、残り一人、ラルゴ・グリッサンドも既に戦場に出ていると予想されている。
時機が来た。スヴェンとレシッドを雇い、成し遂げようとしていた仕事の時機がようやく。
〈鎮守〉はやはり留守番なのだろう。王都近くで起きた反乱にのみ出動するという彼は。
良い知らせと悪い知らせが入り交じる報。
僕は五英将の最後に確認された地図上の位置と、これまでの動きを頭にたたき込むように覚えようと努める。
時機が来た。この戦争がムジカル人にとっての収穫の時期ならば、今が僕たちにとっての収穫の時機だ。
「カラス殿は……」
オセロットが不満を表に出すように僕を睨む。睨まれても困る……と一瞬思ったが、僕の言葉も今は不謹慎なものだっただろう。喜ばしい知らせは喜ばしいとしても、彼にそう告げるべきではなかった。
おそらく僕への叱責を吐こうとしているのだろう。それを抑えるよう、その声が出る前に僕はオセロットに告げる。
「……オセロット閣下には申し訳ありませんが、ミルラ・エッセン王女殿下に許された権限により私の意思で、私たちはここから単独行をさせていただきます」
「狙いは五英将ってか」
「はい」
オセロットの僕を睨む目にじとっとしたものが混じる。他の聖騎士は戸惑うような目で。僕の目的でも推察しているのだろうか。それとも何か責めているのだろうか。
どちらでも構わないが、認められなければ困る。
「…………、ま、止められやしねえわな。元々俺の麾下でもねえんだ」
「感謝いたします」
うん、とオセロットは頷き、副団長たちに向き直った。
「俺たちはベルレアンの指示に従う。今日中に合流を目指すぞ」
「しかし、今日中には……」
僕と同じく眼鏡をかけた副団長がオセロットの指示に反論する。オセロットはそれを気にすることもなく、広げた地図を指でなぞった。
オセロットたち第八位聖騎士団にもクロードから指示は出ている。
曰く、五英将に備え残った先遣隊と防衛隊をそれぞれ合流させる、と。つまり第八位聖騎士団〈孤峰〉は共に前線を押し上げてきた第七位聖騎士団〈露花〉と合流しなければならない。同じく第十一位聖騎士団〈百舌〉は、勇者擁する第九位聖騎士団〈琴弦〉と。
だが問題があるのだ。
僕のせい、とは言いたくないが僕のせいで。
「昼過ぎにはいけるだろうよ」
「急げば、ですが」
副団長が重々しく頷く。オセロットと共に見つめているのは、地図上、第七位聖騎士団がいるとされている地点。
大した問題でもない、とは思う。しかし南西にいるテレーズたちとは距離が離れすぎているのだ。直線で結べばいくつかの渓谷や河を渡らなければならず、大回りをしても旅程の予定は実際一日半は欲しいのではないだろうか。
オセロット率いるこの団は、テレーズたちに比べて先行しすぎてしまったのだという。
もう僕たちの目の前には砂漠がある。実際は森の先は見えないが、空気の感じからも匂いからも、地図の測量からも間違いないだろう。急げばそれこそ昼前には砂漠に出られるくらいには近くにある。
これに関しては、僕のせいでもやはり責められても困る。
僕が進軍を早めたといっても、通常進軍は速ければ速いほどいいのだから。
「俺たちはタレーランと合流した後、イグアル・ローコを討つべく動くだろう。カラス殿、そこについてくる気は?」
「であれば、私たちはフラム・ビスクローマとラルゴ・グリッサンドを」
「…………そうか」
まあおそらくそうなるであろうと思う。
テレーズと合流出来て、そして相手がイグアル単騎ならばおそらく相手は出来るだろう。仮にも聖騎士、それくらい出来なければ困る、というのは僕の願望だ。
そして、彼らが五英将を討ってくれるのは構わない。勇者がいるのは第九位聖騎士団。そこに五英将がぶつからなければ僕の望ましくない方向へ事態は動かないだろう。……勇者が独断で動かない場合においての話でもあるが。
オセロットたちに任せたとはいわないが、イグアルの足止めにもなるだろう。
「では、私はしばらくしたらここを発ちます。失礼いたします」
「おう」
ならばここの指揮や動きはもう僕には関わりがない。
僕は僕で。
そう決意し、頭を下げて僕はオセロットの陣を静かに出た。
「で。我が輩たちは?」
スヴェンとパタラ。そして、僕が呼び戻し昨日ここへと到着したレシッドが、朝日の中で一堂に会する。
陣幕のいくつか張られた臨時の村から少しだけ離れたところ、いつも通りの森の中で、僕たちは焚き火を囲んで顔を突き合わせた。
中央に置いた鍋は騎士団からの借り物だ。中では僕が摘んだ薬草を大量に入れた粥が、ブツブツと音を立てていた。
「ここからは別行動です。僕はフラム・ビスクローマが進軍している南へ向かいます」
正確にいえば南西の方角。既にネルグ南に近い場所にまで来ており、その速さが窺える。
「本当はスヴェンさんにはイグアル・ローコを、レシッドさんにはラルゴ・グリッサンドを担当していただこうと思っていたんですが……」
「何か問題でもあるのか」
あぐらをかいたスヴェンが銅貨を舌の上に乗せて口に運ぶ。錆びていたせいか、不味かったのだろう。一瞬眉を顰めたように見えた。
「イグアル・ローコには二つの聖騎士団がぶつかる予定のようです。オセロット団長は少なくともその気だとか」
「人の獲物をとるのは気が引けるということだな」
ふむ、とスヴェンが頷く。次に口に運ぼうとした銅貨を親指の腹で丁寧に磨きつつ。
「それもありますが、ラルゴ・グリッサンドの正確な居場所がまだわかっていません。レシッドさんも含めて、まずはその捜索をお願いしたい」
「ぅぇ」
レシッドが、微かに何事かを呟いたように聞こえた。
不明瞭で言葉ではなく、どちらかというと呻き声のような声で。
「手がかりなどはないのか?」
「おそらくいるのはまだ南東方向砂漠付近。近づけばわかると思います。性格上、進軍するときは位置がわからないわけがありませんし」
「……どのような性格なのだ?」
「簡単にいえば、目立ちたがり屋ですね」
そうだろう、と僕は推察する。その根拠は僕がムジカル王都で暮らしていたときの印象だ。
戦勝の報はひっきりなしに届く王都だが、それ故に皆それには慣れきっている。それ故、個人ではそこそこあるが、公的に誰かがそれを祝ったりするなどそうそうなかった。
だが一つ例外がある。それが、ラルゴ・グリッサンドの凱旋パレードだ。
パレードといってもそれほど大きいものではない。
だが、部下たちを背後に、チンドン屋のような者たちまで引き連れて王都の門から王城の門まで練り歩く、というだけのこと。
あえて見に行ったことはないが、それでも僕の視界に入ったことは何度かある。大名行列のように直属兵を引き連れ、羨望の眼差しを一身に受け先頭を歩く彼らは。
思えばあの中にもカンパネラなどがいたのかもしれない。当時興味もなかったので、ラルゴ・グリッサンドの顔すらも曖昧に覚えている程度なのだが。
そして王都で見た戦史報告書からも、おそらくそうだと思う。
エーミール・マグナとの戦闘などもそうだが、奇策奇襲を好み、派手な戦果を望む。
おそらく五英将の中で最も有名なのが彼だろう、ということからもそう窺える。何せ、僕が顔を覚えている唯一の五英将だ。王都で暮らしていた以上、全員見たことがあってもおかしくないのに。
「正直、全員の居場所がきちんと判明してからとも思ったんですが、さすがに被害が看過できないくらいになってしまいました」
「……痛ましい」
パタラが沈痛な面持ちで俯き手を組む。やはり、そう思ってもおかしくないのだろう。
聖騎士団が瞬く間に三つ潰され、率いていた騎士を合わせて被害は既に一万人を越える。
数だけ見てもそうなのだ。
更に戦力低下も見過ごせない。その全てが五英将に殺されたわけでもなく、ネルグの魔物にやられたのも多いが、合わせれば全軍の三分の一が既に消えたといってもいい。
情報が古いかもしれないが、昨日オセロットに届けられた報告ではあちらはまだ十万のうち二万程度しか死んでいないのに。
やはり、ムジカル軍は厄介極まる。
単純に数が多い。散発的な波状攻撃でこちらは手を止めざるを得ず、そしてその数に手を焼けば、単騎で戦況を変えられる五英将が現れて蹂躙される。
まるでこの戦争が始まる前に考えていた最悪に近い展開だ。
ここエッセンは大国、簡単に飲まれるわけがないと思っていた。
だが、規模が違えどやはり展開は小国と同じ。死ぬ人数の桁が違うだけで。
「小競り合いで終わらせたかったんですが」
僕の考えが間違っていた、というのが一番あり得そうなのが嫌だが、それも癪だ。
責めるならばまずエッセン、そして殺しているムジカル。
特にエッセンは、不甲斐ない、と思ってもいいだろう。一応まだエッセンの国民扱いされている僕も。
「なので申し訳ありませんが、スヴェンさん、レシッドさんは共にラルゴ・グリッサンドを捜索、殺害して下さい。捜索も殺害も手段は問いません」
「了解した。なあ、レシッドよ」
「……俺、必要?」
楽しそうにスヴェンがレシッドの肩を抱く。渋い顔でレシッドはそれに同意したが、嫌そうなのが目に見えてわかる。
肩にかけられた指を一本ずつ解き、レシッドは身をよじった。
「捜索に鳥は使えないのかよ?」
「難しいですね。一昨日くらいから、『話が出来ない同族が増えてきた』だそうです。魔物使いの影響でしょう」
僕も何度か近くの鳥と話しているが、やはりそういう印象だ。
簡単な頼み事などは今まで通り引き受けてくれるが、ムジカル軍に関することや遠出などは餌で釣っても引き受けてくれなくなってきた。
まるで、洗脳でもうけているかのように。
それと、忘れるところだった。
「また、ラルゴ・グリッサンド殺害の後、まだイグアル・ローコが生きていれば、そちらもお願いします。それにも期限はありませんが、出来るだけ早く。仮に戦争が終わっても」
僕はスヴェンに言い含める。途中でやめられるのが一番困る。
「僕が死んでも報酬はミルラ王女から受け取れます。これはレシッドさんもです」
最悪なのが、僕がフラムかイグアルに挑み死んで、スヴェンたちが撤退してしまうこと。
終了条件もないので元より平気だとも思うが、一応。スヴェンがやめるとしたら、戦争が終わった場合。もしくは実際の雇い主である僕が死んだ場合、くらいだろう。
そして戦力の中核である五英将が死ねば、戦争にはエッセンも負けはしまい。クロードたちまでも死ねばさすがに王も危機感を抱くだろう。第一位も第三位も残っているし、ミルラ王女が死ぬようなことにはならないだろう。仮に、僕が死んでも。
「〈眠り姫〉は?」
そしてスヴェンから、最後とばかりに質問が飛ぶ。
うん、と声に出さず僕は頷いた。そうだ、それもある。
「ミールマンを襲撃したそうですが、第三位聖騎士団が駐屯中です。第三位ですし、さすがに簡単に負けることは……」
ない、と言い切ろうとして僕は口籠もる。この戦争が始まるまでは大丈夫だと思っていた。しかし、今現在、そう言い切る根拠がない。
「……続報がない以上、安否がわかりません。ですが、彼女は今ネルグを挟んで真反対にいますから、……レシッドさん、お願いできますか?」
「無理に決まってんだろ」
「ですよね、今日中にはまあ」
さすがにレシッドでも、ネルグの反対までは今日中に行くことは出来まい。距離的には、起伏も障害物も何もない平原を走ってなんとか今日中、というくらいだろう。
しかし、戦略としては無視できない。今現在エッセンの東側戦力は、このネルグ南側に集中している。西側からいくらか充当するとしても、仮に〈眠り姫〉が第三位聖騎士団に勝利し侵攻するとしたら、しばらく無防備なエッセン国内を進めることになる。
そうなれば止める術はない。
これも僕の予想になかったことだ。レイトンも言っていたが、大軍勢の移動が難しいサンギエ越えはムジカル軍にはないと思っていたのに。
たしかにムジカルの軍勢は入らなかった。しかし、代わりに贅沢にも五英将を使うという奇策。……これもクロードが予想したように、ラルゴの策なのだろうか。それとも本人の意向なのだろうか。
どうしよう。スヴェンとレシッドに、イグアルに加え〈眠り姫〉の殺害まで依頼すればいいだろうか。ネルグ南側を回っていくなら多分千里以上はあるが、彼ら二人だけならば明日か明後日にはミールマンに辿り着けるだろうし、いかに〈眠り姫〉が速かろうとも追いつけると思う。
だが。
「どうしましょう?」
僕は逆にスヴェンに聞き返す。そして一瞬の後に後悔した。それを尋ねてどうなる相手でもない気がする。それならばいっそ、レシッドやパタラのほうがむしろ向いていそうな。
僕がそれを言えない理由、というのが実は僕もよくわかっていない。
距離の問題なのだろうか。時間がかかるから、という感じの。
まあ勇者に関わる距離でもないため、ゆっくり討っても大丈夫だろう、とも思うが。
スヴェンは頬をつり上げて笑う。何を馬鹿なことを、と。
「我が輩は今お前に雇われている身だ。お前の意思で戦い、お前の意思で殺す。そんな我が輩に聞くことではあるまい」
「まあそうですね」
その通りだと思う。この場の責任者は僕だ。そんな僕が悩んでいても仕方がない。
「では、保留で。第三位聖騎士団が押し返している、もしくは撃退した。そういう報が来ることを信じて」
「出来ると思うか?」
今度はレシッドがそう僕に尋ねる。だが僕もその問いには答えは持たない。
「わかりません。襲撃は昨日のことですから、もう結果は出ているでしょうが」
むしろ、そう考えれば既に〈眠り姫〉が内地へと侵攻していてもおかしくはない。……違和感の正体はこれだろうか。
「とりあえず、お二方は今言ったことに全力を尽くして下さい。健闘を祈ります」
「ほんとやだー」
レシッドが力なく笑いながら冗談を口にする。余裕がありそうで何よりだ。
僕は焚き火に置かれた粥をお玉で掬い、自分の椀に盛る。誰も食べていないが、もういいだろう。
薬の匂いのする熱い粥を吹いて冷ますが、ちょうど良い温度になるまで少々時間が掛かった。その間、誰も言葉を発しない。まるで僕の言葉を待っているように。
「パタラ様は申し訳ありませんが、ソラリック様のいる第二位聖騎士団の拠点まで私が送り届けます。そこで今日は待機をお願いできますか」
「私は……そうですか」
なんとなく残念そうにパタラが肩を落とす。
だが仕方あるまい。ここにいる四人の中で一番非力で戦う術を持たない彼。一人この森に放置することは出来ないし、ましてや戦いになど連れていけない。第八位聖騎士団に帯同させればイグアルとかち合う可能性があるし、レシッドを護衛につけて単独行をさせるとレシッドが使えなくなる。
……本当にお荷物だ。おそらくは王の考えているとおりに。
「各自、仕事を終えたらそこで落ち合いましょう。場所は変わっているかもしれませんが、鳥は使えませんので各自探して下さい」
返事をする代わり、とレシッドが黙って椀をとり粥をよそう。それにパタラも続いた。
「食事後、準備が終わり次第、行動を始めて下さい」
僕の言葉に応えるように、スヴェンが上を向いて口を開け、その中へ布袋を逆さにし硬貨を流し入れる。
ガリガリと金属が砕ける音を聞きながら、僕らは黙って朝餉を終えた。




