蹂躙
五英将パートは三人称本編
『戦争だもんね』という感じのグロじゃない15禁みたいな箇所注意
「来たぞおおお!!」
見張りの騎士が叫ぶ。砂地の中で、僅かに固い岩盤を探り建てられた見張り台の上で、けたたましい警報を鳴らしながら。
砂漠の稜線とも呼べる地平線。そこにはムジカル兵が列を成して見える。
ここはネルグ南東部。ムジカルの統べる砂漠の端。
騎士や傭兵たちがバタバタと装備を整え始める。
ここ第十五位聖騎士団〈蓬生〉の拠点に、ムジカルの襲撃は未だほとんどなかった。故に甘く見ていた彼らは、武装を整え迎え撃つ準備をするのに手間取ることとなる。
騎獣たちの嘶きが響く。人のごった返すような拠点の中に、ざわめきと緊張の波が広がっていく。
十五位聖騎士団は、ネルグの中を通らずここまで来た。ネルグに隣接するライプニッツ領を悠々と通り抜けて、安穏とはせぬまでも穏やかにここまで。
それ故に消耗もほとんどなく、今現在も足並みを揃えるために騎士団を集結させて待機していた彼らの兵力は、今や四千に近い大軍である。
ならば、襲撃といえども恐るるには足らない。むしろ浮き足立っている今こそまずい。
拠点の主、第十五位聖騎士団〈蓬生〉団長ノージは、その警報に落ち着き払って皆を見た。
「全軍! 防衛の構え!! 第一陣は前線に急げ!!」
叫ぶ指示はよく通り、皆に間違いなくその言葉を伝えていく。皆もそうなるだろうとわかっていたこと、しかし責任者の言葉で伝えられればそれは緊張感のある命令となる。
齢二百を越えた彼は聖騎士団長の中でも第九位聖騎士団長フィエスタに次ぐ古株で、〈戦大将〉の異名を取る。黒かった坊主頭は齢百五十を越えて白髪と変わり、大柄でもなかった肉体は加齢で小柄へと変じ始めている。
それでも彼の武威は、些かも衰えることはない。
号令に応えた兵たち、そしてその兵たちに率いられ防衛に参加する兵は合わせてひとまず五百ほど。
残りの兵たちも弓をとり、または魔術師たちも自らに強化魔術をかけて準備を始める。
(斥候は……)
自らも愛用の諸刃の剣を携えて砂漠へと滑るように歩を進め始めるノージは、当然考えるべき『それ』を考える。
この拠点からも定期的に周囲を探るべく出されていた斥候兵。彼らから、軍勢の報告はなかったということ。
そしてそもそも彼らの帰還報告を未だ聞いていなかったことを思い出し、その『結果』について悟った。
ムジカルの軍が目前へと迫る中、エッセンの騎士団もようやく位置につく。
拠点からほんの僅か目と鼻の先に築かれた防衛線は、馬防柵にもならない障害物の列。通常杭で地面に打ち込まれるはずの柵は、ムジカルの砂砂漠、その乾燥地帯ではどうしても低いものとなった。
「来るぞー! 弓隊! 放てーっ!!」
誰かしらが叫んだ号令ともいえない号令に、矢継ぎ早に弓兵たちが矢を放っていく。友軍の頭上に放物線を描いた矢は、ムジカル軍の先鋒である騎爬兵の波に降り注いだが、その効果をほとんど現さなかった。
いくらかの兵たちには矢が刺さるが、それだけで集団の討伐にはほとんど寄与しない。
それを戦列の後ろ、小高い砂丘で見ていた聖騎士団副団長ミルは唾を飲み覚悟した。
「正規軍……」
「恐れるんじゃない。こちらは聖騎士軍率いる四千の兵。負ける道理はありゃしない」
眼帯と長く黒い髪越しに、ミルは隣にいる団長を見つめ指示を仰ぐ。彼女にとっては、副団長へと昇格して初めての戦だ。僅かに感じた不安を誤魔化すように。幾度の戦を生き延びてきた古参の老兵の言葉は、正しいはずだと縋るように。
「なに、ムジカルの正規軍ならば、もっと多くにぶつかったことがある。それでも私は生きている」
そんな彼女の視線に応えるよう微笑み、ノージは剣を抜いた。そして掲げて檄を飛ばす。
「放て!! ありったけの矢を惜しまず使え!!」
ほとんど矢が効かない大軍。もちろんそこに矢を放つのは無駄が多い。
しかしそれでもそれが戦の常道だ。常道は広く使われるからこそ常道であり、そして優れているからこそ広く使われるのだ。ノージはそう信じている。
雲霞のごとき大軍に放たれた矢は一つ二つと敵兵に刺さるが、数十数百と敵はその屍を乗り越えてくる。
現在前線に作られている防御陣形はごく単純な横陣。騎爬の突撃に対して適した陣形ではない。
「弓を散開させろ! 前衛は方陣隊形へ移行! 急げ!!」
戦場に響かせるように叫び、傍で聞く伝令にそう伝える。前線の兵は徐々に増えつつあり、既に千五百を越える兵たちが砂漠に列を成しているが、それでもここにいるのは訓練を受けている騎士団の精鋭たちである。まるで雁が列を組み替えるようにうねうねと即座に動く。
ムジカル軍の騎爬が衝突するまでに陣を組み終えた様を見て、ノージとミルは、この日最後の安堵の息を吐いた。
もうすぐに衝突する。蜂矢の陣のように尖った陣形で走り寄るムジカル軍に、それを方陣で迎えるエッセン騎士団。
敵影はおよそ三百。負けるわけがない、とノージたちが思った次の瞬間、伝令が砂丘を駆け上り終わらぬうちに叫んだ。
「伝令! 敵に……!」
ひっ、と息を飲むような声が混じる。それを怪訝に思いつつ視線でノージは先を促し、それに応えて伝令は強引に息を吐き出すように続けた。
「五英将! イグアル・ローコ確認されました!!」
木が十字に組まれ斜めに立てられているだけの粗末な馬防柵の後ろで、騎士たちが槍を構える。前方に降り注ぎ続けている矢を意に介さず走り来る大蜥蜴たちとその背に乗ったムジカル兵たち。
馬のような迫力のある蹄の音はしないが、音小さくするすると走り来る蜥蜴も逆に彼らにとっては見慣れず不気味なものだった。
矢の援護はない。それ故に一応構えている大盾も用をなさず、長槍と共にやけに重たく感じた。
「槍兵退け!! 聖騎士団の到着を待て!!」
敵の到達を今か今かと待っている最中、そんな声が背後から響く。幾人かが何故だと背後を振り返り、そして幾人かが指示を途中までしか聞かずとも一目散に駆け出す。後者は知っていた。目の前に迫り来るものが、五英将が一人、〈歓喜〉だと。
そして残った大半の人間が、その言葉を無視するように槍を構え直す。敵は目前、接触直前だ。馬防柵に阻まれ動きを止めるか、もしくは飛び越えようとした騎爬を槍で突き刺し骸へと変えるのが自分の仕事だ。
そんな職業意識に似た使命感。それともう一つ。
(せっかくの手柄挙げる機会なんだ。お偉い様方の命令なんか聞けっかよ)
幾人かの心の声が完璧に揃う。
ここまでほとんど戦闘を行わずに来た。手薄なところを通り、そしてライプニッツ領軍や聖騎士団が片付けた後をしずしずと歩いてきた。
まだ手柄を挙げていない。そしてまた聖騎士団に奪われるわけにはいかない。
そんな功名心が、前衛の空気を支配しており、そのせいで。
「……おわあああああ!!」
一人の騎士の足を『誰か』の『何か』の手が掴む。
見れば骨と皮がくっついたようにからからに乾き、筋も浮いた力のない手が、砂地から縋り付くように足首を握りしめていた。
そして砂をこぼれさせながら遅れて出るのは、その『何か』の顔。肩、胴。
顔は人のようだった。ただし既に水分が完全になくなり、頭皮には数本の髪の毛がちりちりと残り、眼窩には何もはまっておらず、唇があったであろう場所には隙間の目立つ歯だけが見えている。
引きずりだされるようにして砂から出てきた胴は布の服を着ていたが、ほとんど風化し、隙間からは樹皮のような肌が亀裂を伴って見える。
ちろちろと眼球のあるはずの場所が動く。そこには数匹の百足が動いていた。
その『何か』は一体だけではない。
まるで墓から蘇る死体のように、砂を掻き分け三十体以上が蠢き出る。水分を失い完璧に乾いた人であったものは、すぐに騎士たちに襲いかかり始めた。
縮んだ指に残り伸びたようにも見える長い爪が、騎士の肌にかかる。掻き毟るようにして引っ掛かったその爪を足がかりとするように抱きつきのし掛かる。
腕力が強いわけではない。しかしその異様な光景に怯えた騎士たちは、凍り付くようにその場を動けなくなった。
功名心により支配されていた空気が塗り替えられていく。
そのせいで彼らは逃げ遅れ、そして死んでいく。
また悲鳴が上がる。
敵の騎爬兵から放たれた火炎放射のような火が地表を舐める。そう強いものではなかったが、木製の柵を焼け焦がすのには充分なものが。
そして動きを封じられた騎士たちの服に火をつけるには、充分なものが。
「ぎゃあああ!」
火がついた死体たちに覆い被され、一人、また一人、と焼けていった。
「……っ! 私も出る! 副長! 援護を!!」
「はっ!」
三百程度の兵だと侮っていた。しかし突然現れた死体のような敵。それに加えていつの間にか砂漠から湧き出し増えつつある百足や蠍などの毒虫、蛇や蜘蛛。絨毯のように隙間なく怒濤のように押し寄せてくる敵の兵力に、ノージは焦り走り出した。
敵に魔物使いがいる。そして敵に五英将が一人いる。戦力を出し渋っている場合ではない。
そう確信し、砂丘を駆け下り、群がる蜘蛛や百足たちに必死な抵抗をしている騎士たちの横を通り過ぎる。
足下の蠍を踏み潰し、飛びかかってきた子犬大の蜘蛛を切り払う。血のような液体が飛び、白髪にかかった。
(〈歓喜〉だけではない……これは、……魔物使いが……!!)
魔物使い。エッセンにはいない種類の魔法使い。
魔物や動物を御し、使役する類いの悍ましい者たち。そんな者がいるという事実にノージは震え、そして今現在現れつつある毒虫たちの種類を見て、最悪の想定に顔が歪む。
蜥蜴に乗らず、低い態勢で走ってきた誰かがノージに飛びかかってくる。その誰かが持っていた砂を固めたような奇妙な棒を剣で受け止め、それからようやくその相手が魔法使いだということを察した。
ノージの剣が白い光を発する。
闘気の帯びた剣が、砂の棒ごと魔法使いを切り払う。一刀両断の後二つとなり崩れ落ちて内臓をこぼす魔法使いを見ることなく、ノージは〈歓喜〉の下へと向かった。
瞬く間の出来事だった。
聖騎士が応戦を始めるまでに。ノージが〈歓喜〉の下へと辿り着く前に。
騎士たちは、命を散らしていく。
「ほらほら逃げろぉ!!」
ケラケラと笑いながら、魔法使いが炎を噴き出す。全身を覆う気炎の代わりに放出された火は矢や人間を焼き払い、炭へと変えていく。
また別の魔法使いは、空から大量の矢を投げる。風の力の込められた矢は、過たず敵兵の頭を兜ごと貫いていく。
彼らは直属兵。大抵の場合、千人長にも劣らぬ力を持つ者たちだ。当然のように騎士たちに抗う術はなく。
「一番首ぃーっ もらったぁぁ!!」
勇敢な一人の騎士が、ようやく直属兵に斬りかかる。矢を切り払い、炎を走り抜け、泥と化した砂漠に足を取られながらも懸命に。
だが、その努力は功を奏さない。
無防備なまでに防ごうとしない敵兵の首に騎士の槍先がかかる。しかし、その槍はまるで金属を叩いたかのような音を立ててそれ以上は進まない。
受けた魔法使いはクヒと笑い、手をかざせば巻き起こるのは砂嵐。瞬きをした後には騎士の身体は海岸での砂遊びのように固められ、締め上げられていた。
「元気が良いなぁ。あとでイグアル様に見てもらおう」
「…………っ」
全身を締め上げられたことによる窒息。すぐに勇敢な騎士の意識は消失し、暗闇の中へと誘われていった。
直属兵の魔法使い、それに闘気使いを切り捨てながら、ノージが駆けてゆく。
その後ろに付き従うよう、副団長ミルも長い髪を棚引かせながら。
背後からは喊声の他、悲鳴が響き渡りつつある。その悲鳴のほとんどが友軍のものであることを自覚しながらも、二人は振り返らなかった。
(五英将イグアル……ということは、このほとんどが直属兵……!)
イグアルの噂からすれば、そういうことだろう、と諦めにも似た分析がミルの中で行われる。千人長一人であっても騎士団は相手を出来ないだろう。なのに、それが百人を越え、更に魔物や毒虫の脅威までもがそこにある。
このままでは全滅は必至。逃げる間もなく。
ならば。
ノージとミル。二人の手に力がこもる。
横合いからの魔法の砂の砲弾を躱し、魔法使いを切り払いつつ、二人の足は止められなかった。
血と砂煙に塗れながらの進撃。二人だけのそれが、はたと止まる。
まるで取り囲むようにぽっかりと空間が空けられていたそこで、二人の間に立ち塞がる男がいた。
包帯に巻かれた身体は素肌が見えず、おそらく男、という程度の推定しか出来ない素性の知れぬ男。蜥蜴に乗ったまま悠然と構え、二人を楽しそうに見ているのは五英将〈歓喜〉のイグアル・ローコ。
「さすが、……あなたが第十六位聖騎士団長ということでいいんですよねぇ?」
「第十五位だが、ね」
筋肉の盛り上がりすら見えないその姿だったが、見たノージは剣を構え直す。その圧倒的な武威、迫力に、足が竦みそうになるのを懸命に堪えた。
(参ったな、これは)
同胞が何人も五英将相手に倒れている。そしてその番がついに自分にまで来たのかと覚悟した。
(〈隻竜〉相手と変わらん……いや、殺意のある分それ以上……)
全身が身震いする。身体の各器官がそれぞれに逃げろと叫んでいる。ノージにはそんな気さえした。勝つことなど考えられない。一矢報いるのが精々で、それすらも途方もない難物だ。
イグアルが蜥蜴を降りて、腰の曲剣を抜きながら一歩踏み出す。
その様に、ノージは足を引いてしまわぬように全身全霊の力を込めた。
「手を出さないように」
イグアルが周囲に向けてそう指示を飛ばす。聖騎士団長という獲物。部下たちではさすがに荷が重いということもあるが、それ以上にそのような活きの良い獲物を殺せる機会を逃したくはなかった。
「……一対一、望むところ」
ノージも応えつつ、髭に覆われた口元を隠す。ミルだけに見えるように、そっと指示を出しながら。
それからイグアルの一挙手一投足を見て取る。
右手で持った剣を、腕を畳むように左腰の辺りで構えているのは円武の構えだ。左の剣を担ぐようにしているのも、その通り。
イグアルは魔法使いではない。円武の腕で成り上がってきたのだという。
ならば、奇想天外な動きは出来まい。魔法使いのような奇妙で奇抜で想定外の動きなどは。
唾を飲み、じりじりとノージは歩を進める。古く水天流を学び、極めた身の上。ならば、武で対抗できるはずだ、と自らの腕を信じ。
「落ち着いてますねぇ……」
「直属兵程度ならば何度も屠っている。その親玉程度」
強がりを口にしながら、そしてそれが理解されていることを知りながら、進む。
二人の間には十五歩ほどの距離がある。それは二人の間合いが触れあう寸前だ。
(躱せるはずがない。そして、私の剣は一撃必殺)
早鐘を打つ自分の心臓を落ち着かせるために、ノージはただ繰り返す。勝てる根拠を。勝つかもしれない見込みの話を。
(大丈夫だ、大丈夫。この程度の危機、何度も乗り越えてきた)
ノージの構える剣が白い光を帯びる。
その剣は魔剣。一撃必殺を支えるための。
個人で所有することがないわけでもないが、聖騎士団長は任命の際に全員王から魔道具を下賜される慣例がある。
テレーズの剣やクロードの槍などもその類いで、そしてノージの剣もそれである。
ノージに下賜された剣は名前もないが、〈選定の剣〉と呼ばれている。
その能力は、障害物の透過。ノージの込める闘気により切るもの切らぬものを自在に選ぶことが可能で、切らぬと思えばそのものを切らずに突き通り、切ると思えば自在に刃で傷つけることが出来る。
それを利用し、ノージの剣は鎧を傷つけず、鎧の中の敵兵のみを斬ることすら可能である。
彼の剣は阻まれない。たとえ五英将の剣が相手でも。
当たれば勝ち。簡単な勝負だ。そうノージは内心何度も唱える。
御前試合では魔道具の使用は禁じられている。故に十七位中十五位という下位に甘んじてはいるが、使えば二位程度までは上がれるとノージは信じている。それが道具頼りと呼ばれる彼らにとっては恥ずべき行為であるということと、更に他の団長も魔道具を使用するのだということは忘れているが。
もう間合いが接する。もう間合いに入る。入れば一足飛びに近づき斬り捨てる。
じりじりと緊迫する空気に喉が渇き始めた頃。
イグアルの足に力が込められるのを、ノージは見た。今。
「おっそ」
ぼそ、とイグアルは呟く。それもノージの背後で。
まだ残る回転の勢いを殺すために一度だけくるりと身体を翻してから、剣の重量のままにぱたりと落とされた手に力はなく、その動作のままにイグアルは気が抜ける思いだった。
イグアルの溜息と同時にノージの身体が斜めに裂かれ、上半身がずるりと落ちていく。落ちた拍子に魔剣が手から外れ、血だまりの中に転がった。
勝利を確信したような薄ら笑いの残るノージの顔を見下ろして、イグアルがまたもう一つ溜息をつく。やはり、と。
「やっぱ年寄りは駄目ですね。つまんない」
イグアルも数度ではあるが、聖騎士団長に遭遇したことはある。しかし、ここまで呆気ないのは初めてだ、と思った。せめて最初の一太刀くらいは防いでほしかったものを。
しかし、ならばもう一人いたはずだ。若い女が……。
もう一人はどこだ。そう、目配りをしたイグアル。
その背中に、衝撃が走った。
突き抜ける衝撃に、光。
自らの腹部を見れば、大きな穂先が体内からぬるりと姿を見せていた。
痛みに顔が歪むのを堪えつつ、イグアルは振り返り、その後ろで大きく息をついて槍に手を添えている女を見た。
「…………」
「わ……私には! 義務がある!!」
後ろめたさを隠すためにミルはそう叫び、槍に力を込める。後は身体を引き裂くように槍を動かせばノージからの指示は完遂だ。
『自分が死んだら、その隙にイグアルを討て』という重たい任務。それを……。
「…………!!」
しかし、槍が動かない。つまらなそうに自分を見ているイグアルがその穂先を摘まんでいるのを、ミルは信じたくなかった。
「何で……!」
「即死させたければあと一寸右、もしくは半寸左。即死じゃないまでも穂先一つ上で致命傷だった」
内臓と急所を外して刃物を受ける。それだけで人が死なないのをイグアルは知っている。そして今、それを実践しただけのこと。
堪えるのを止めて、イグアルの顔が歪む。痛み、快感、その愉悦に。
「一対一望むところ、だっけ?」
ミルの闘気が込められた槍を後ろ手に切り落としつつ、イグアルは振り返る。残った槍先を一見乱暴に、その実精密に引き抜き投げ捨てる様に、ミルは怯み一歩下がった。
そして自らが点穴をされたことに気付くまでもなく、ミルはその意識を失った。
次々に聖騎士団員が撃破され、戦場は絶望的なものとなっていく。
騎士団は毒虫や五英将直属兵に抗えず打ち倒され、魔術師や治療師は次々にその口を塞がれ転がされてゆく。
四千いた兵たちは抗う術もなくただただ逃げ惑い、半刻後には拠点はムジカル軍の手中に収められていた。
その中、馬防柵を再利用し作られた粗末な本陣のような場所で。
「敵兵、および物資の接収完了しました」
「ご苦労様」
二人並び座っているのは、イグアル、それにこの戦の影の功労者であるフラム・ビスクローマである。
彼女が優しく声をかけるが、跪き報告した兵は喜びも顔に出さずただ頭を垂れた。
「やっぱり二人もいらなかったわね」
「ラルゴが言うんなら、ちゃんとした理由があるんだろう」
「でしょうけど」
ふう、と息を吐いてフラムはラルゴの顔を思い浮かべて思いを馳せる。やはり不必要なのだ。四千もの兵がいる拠点とはいえ、そのほとんどはやはりただの騎士団。主力である聖騎士団以外は張りぼてのようなものであり、脅威ではない。
人数が多いためにイグアル一人ではもう少し時間がかかっただろうが、それでも苦戦はしまい。そして、兵をいくらでも補充できる自分ならなおのこと。
しかしそんな考えもどうでもいいとフラムは意識的に頭の中から捨て去る。
仕事が楽なのはいい。労せず楽しみが味わえるならば、そのほうがずっと。
カラスほどでもないが、楽しみはこの拠点にだってきっとあるのだから、と。
「私たち、十人ずつだったわね?」
「そうだね」
それから五英将二人が頷きあう。それは捕虜の取り分だ。
この戦闘で確保できた捕虜は聖騎士十名に騎士二百名弱。それに魔術師と治療師が二十名ずつ程度。会わせても二百五十人程度。
それは戦場で息絶えていない人間をかき集めてその程度であり、傷の少ない者となるともっと少ない。
当然、地位の高い五英将はそのうちの無傷に近い人間を取る事が出来るが、部下への下賜に必要な分もある。故に二人の間に今回結んだ協定の一つだった。
イグアルが隣に控えていた部下に目をやる。その部下は、二人の好みをきちんとわきまえている側近である。
「候補は既に選定してあります。お二人ともその者たちをまず目を通していただければ」
「ありがとう。すごく助かるわ」
フラムは目尻に皺を作り笑いかける。もちろんお前もその選定に参加しているのだろう、と自らの部下にも目を向けてから。
「あ、ただ、どうにも判断が難しい者がおりまして」
「あら? そうなの?」
側近が、また更に部下に目を向ける。それからすぐに近くからどたどたと力任せに引きずられてこられたのは、聖騎士団副団長ミルだった。
「お二人共に好みそうだと」
「そうだねぇ……」
フラムとイグアルは視線を交わし合う。遠慮するわけでもないが、二人共にどうしようと悩んだ。
足と肩の腱を切られ、ミルの四肢に力はない。だがその片目の視線だけはまだ力強くあり、イグアルとフラムの喉元を噛み切りそうにも見えた。
フラムの好みは簡単だ。
男女問わず見目麗しい者。それも特に年若く、まだ未成熟の果実が良い。
だが、ミルは。
「私はいらないわぁ。好みじゃないもの」
「そうでございましたか」
側近は内心境界線の上にいたミルの評価を『不可』へと落とす。
ミルは見目麗しくないわけではない。聖騎士という身分故に栄養状態も良く、フラムに負けない豊満な身体を持つ。顔貌も悪くはなく、十人に聞けば八人以上は美人と答えるだろう。
だが、その成熟した身体。身体年齢は二十代前半。多くの男性に好かれる熟れた年代は、やはりフラムの好みでもなかった。
そしてならば、イグアルには?
側近は視線で問いかける。しかし、主の反応も芳しくない。はっきりと首を横に振って否定を返した。
「僕もいらない。そいつそんなに頑丈じゃないんだ」
「さようですか」
うん、と側近は納得して頷く。
イグアルの好みも男女問わない。しかし、一つ求めるものがある。それは、その身体の『頑強さ』。生命力と言い換えてもいい力のことである。
彼が奴隷に求めるのは、そのしぶとさ。折りたたんでも刻んでも、抉っても千切っても生き残る力こそを求めている。
聖騎士団である。最低限のものはある。それも副団長ということで、その上位のものはあるだろう。故に彼女をイグアルの……と考えたのだが。
しかし、彼女は『力』よりも『技術』を求めた類いの兵士だったのだろう、と側近は推測を内心打ち切った。
「では……」
「うん。先に自由にしていいよ」
自由。イグアルのその言葉に聞いたミルは一瞬戸惑ったが、傍にいる人間たちの態度でそうではないことを知る。
次の瞬間、彼女の身体に手が伸びる。幾人もの手が、男女問わずに。
乱暴に扱われる痛みや困惑。それに負けず、ミルには何故だか違うものが感じられた。
「……い、嫌だ……!」
思わず声が小さくなる。無遠慮に自分の身体を引きずる手に嫌悪を感じ、そしてその嫌悪の正体がなんとなしに昔話に思い出された。
鎧の下に着ていた布の服。それが容赦なく引きちぎられる音がする。抵抗しようと振り上げた四肢に構わず、自分の身体をまさぐる手がある。
「嫌だ……! ひっ、ぃ、嫌だあぁぁぁ!!」
いつの間にか、イグアルたちからも遠い場所にいた。取り囲むのはムジカルの兵たち。それも、これからの愉しみに顔を歪めた。
生臭い臭いがする。元々半分だった視界が誰かの身体で埋まる。
どこかで、『面倒だから最後には殺せ』というイグアルの言葉が聞こえた。
それが救いの言葉になることを、彼女はそれから知ることとなる。




