古巣からの支援
七つの鐘が鳴る。
その音を聞き逃さず、目を覚ました僕は跳ね起きてから伸びをした。
全身の筋肉が解される音がする。
寝ぼけ眼をこすりながら、昨日の話し合いを思い出す。
結局案は出なかった。
ヘレナさんを助ける案は考えつかず、テトラも沈痛の面持ちで宿へと帰っていった。
「さて、どうすればいいかな……」
あとはもう、ヘレナさんを助けるにはレイトンを止めるしかないのだが、そうすると、テトラの訴えが無駄になる。
死ぬ思いをして街を飛び出した彼女の願いは叶えたい。
待て。彼女の願い?
彼女の目的、それは何だろう。
脱税をして甘い汁を啜る街を是正すること? それとも甘い汁を啜っている奴らに天誅を下すこと?
いいや、違う。多分、そうじゃない。
彼女はきっと、ヘレナさんを助け出したい。そのために、街の悪事をやめさせようとしているのだ。
……何か考えついた気がしないでもないが、寝起きで頭が回らない。
冷たい水でも飲んで、一息つこう。
冷やした水を一気飲みしたところで、玄関のドアノッカーが鳴らされた。
珍しいことというか、初めてだ。
来客か、とドアノブに手を当てたところで気がついた。
今の僕は、誰かに狙われてもおかしくはない。
テトラの所へ何人も暗殺者が来ていることを思い出す。僕の所へ来たとしても、驚かない。
そっと魔力を展開し、様子を探る。
そこには長身の筋肉質の男性がいる。緑色の外套を羽織り、ただ隙の無いように佇んでいる。
僕はホッと息を吐いた。
警戒して損したかもしれない。
そこには、ニクスキーさんが立っていた。
「お久しぶりです」
「壮健そうで何よりだ」
相変わらず淡々と話すニクスキーさんだが、今日は何の用事だろうか。
「ええと、何のおもてなしも出来ませんが、どうぞ中へ」
「いや、ここでいい」
にべもなく僕の申し出を断ると、ニクスキーさんは僕をジッと見つめた。
「まあそう言わず」
「グスタフさんからの伝言だ」
グスタフさんからの。
その言葉を聞いた途端に、背筋が伸びた気がする。
ニクスキーさんは勿体ぶるように、ゆっくりと口を開いた。
「レイトンに関わるな。今回の件からは手を引け。以上だ」
「以上、ですか?」
それだけ? わざわざニクスキーさんを使ってまで、それを言うために?
「それだけだ。言葉通りの意味だろうから、説明は不要だな」
「そうですけど……」
言葉通り、関わるなという忠告だ。しかし、何故。
「何故、そんなことを?」
ニクスキーさんはコホン、と一つ咳払いしてから、瞬きを一つゆっくりとした。
「……俺の個人的な意見だが」
「はい」
「あいつは、毒だ。身体を癒やすには使えぬ毒。ただ人や病魔を殺すために使われる毒。お前が使うべき、薬ではない」
「ずいぶんと抽象的ですが、それはつまり、僕のためにならないから、と?」
ニクスキーさんは頷く。
「きっとグスタフさんは、石ころ屋の思想に染まらぬようお前を世話していた。レイトンに影響されることを望んでいないのだろう」
「ああ、だから」
レイトンは言っていた。
「グスタフの手前会えなかったからね」と。
貧民街でレイトンを見なかったのも、グスタフさんが意図的に会わせないようにしていたのだろう。
「今まで見たことがなかったのはそのせいですか。気を遣われていたんですね」
「ああ。俺も同意見だが。あいつを信用するな。関わるなら、警戒を怠るな。言動には常に別の目的がある」
「散々な言われようですが……」
少し可哀想にもなってきた。一応、僕からすれば考え方が違うだけの物腰柔らかな青年だ。
「仕方あるまい。あいつはもはやグスタフさんのもとから離れ、自分の考えで動いている。石ころ屋にとっては、あいつも滅ぼすべき悪だ」
「あれ? レイトンさんって、グスタフさんの指示で動いてるんじゃないんですか?」
「今となっては、ただ利害が一致しているだけだ。強く、そして石ころ屋の思想を受け継いでいるから見逃されているだけの存在だ」
どういうことだ?
僕が勝手に、レイトンはグスタフさんの部下だと思い込んでいただけ?
いや、レイトンは確かに……。
「ああ!」
僕は思わず声を上げた。
「今はちょっとグスタフから離れているけど」ってそういう意味か!
「どうした?」
「いえ、ちょっと僕が騙されて……いや、騙してはいないのかな? まぁ、ちょっと僕の勘違いに気がついただけなので大丈夫です……」
僕はこめかみに指を当てて呻く。
レイトンは石ころ屋ではない。勿論思想は受け継いでいるのだろうが、グスタフさんの元から離れ、敵視されているとすれば作戦の方針が違っていてもおかしくはない。
ならば、グスタフさんへの相談が有効だったかもしれないのだ。レイトンと別の手段があったかもしれない。
どうしよう。もう時間がない。
じきに八つの鐘が鳴る。石ころ屋まで、相談しに行く時間が無い。
後悔してももう遅い。ならば、これからのことを考えるべきだ。
僕は、拳を握り、覚悟を決めた。
「ええと、まずグスタフさんに返答をお願いできますか」
代案はまだ無い。だがグスタフさんに相談出来なくても、僕の胆は決まっている。
「伝えよう」
「僕は、今回の件からは手を引きません。気を遣ってくださるのはありがたいですが、ここまで話を聞いた以上、僕も無関係ではない」
ニクスキーさんはこくりと頷き、視線で続きを促した。
「だから出来れば、力を貸して下さい。報酬は僕の払えるだけ請求して頂いて結構です」
僕が言い切ると、ニクスキーさんは唇をグイッと曲げ、笑顔とも怒り顔ともつかぬ顔をした。
「確かに、伝えよう。だが……後半は断られるだろう」
「そう……ですか」
僕より長くグスタフさんと付き合ってきたニクスキーさんが言うのだ。恐らく、この石ころ屋の事業は報酬で変わるようなものではないのだろう。
無意識に肩を落とした僕に向けて、またニクスキーさんが語り出す。
「では、グスタフさんからの伝言、その全文を伝える」
「え!? 全文ですか?」
さっき、以上、って言ったのに。
「お前が今回の件から手を引かなかった場合に伝えるようにと、そう言われている」
「は、はは、そうですか……」
僕の返答など予想済みということか。本当に、あの老人は侮れない。
どこまで見通しているんだろうか。もしかしたらこの事態の結末まで、グスタフさんには青写真があるのではないか。否定は出来ないところが怖い。
「出来る限り街道を利用してクラリセンまで行け。以上だ。今度こそ、これで終わりだ」
「また、ずいぶんと短いですね……」
というか、説明が何にも無い。ただ移動経路を指定しているだけだ。
どういう意味だろうか。時間稼ぎ? 僕に考える時間を増やせと?
いや、そんなことをしても焼け石に水だ。あの老人が、そんな無意味なことを言うはずがない。きっと、何か意味があるはずだ。
「まあ、はい、わかりました」
とりあえず、言うとおりにしよう。そうすれば、きっと事態を好転させることが出来るはずだ。おそらく。たぶん。
僕の顔を見て、ニクスキーさんが眉を上げる。
「腑に落ちない顔だな」
「そうに決まっているじゃないですか」
意味がわからない指示のみの伝言。答えをハッキリ言ってほしい。
「グスタフさんの期待を裏切らないことだな。グスタフさんがわざわざ考えさせるというのであれば、それはその者を成長させようとしているのだから」
「切羽詰まってますし、答えの方が欲しいですね」
そう言うと、いつもは鉄のように変わらないニクスキーさんの顔が綻んだ。
「では、俺からも助言をしよう」
「……珍しいですね」
ニクスキーさんは、僕の軽口を無視して、ぽつぽつと語る。
「お前はもっと、他人を頼れ。お前は強い。レイトンと同じように。だから、レイトンのように、人を頼れない者にはなるな」
「……それも、今回の事件に関わる助言ですか?」
「さあな。そこは自分で考えるといい」
そしてまた真面目な顔に戻り、ニクスキーさんは口を閉ざす。
「では、また」
ただそう言い残し、僕の返答を待たずに踵を返して消えていった。
霞のように、気配を断って姿を消す技法。それは、森の中でも通用しそうだ。
ニクスキーさんのいなくなった玄関で、僕は独り呟きを漏らす。
「街道を進め、ね。やってやろうじゃないですか」
集合場所へ急ごう。
大丈夫、僕の信頼する二人の言葉なのだ。きっと上手くいく。ヘレナさんも殺さずに、立ち上がったテトラの意思も無駄にせず、ハッピーエンドをきっと作れる。
そんな勇気が、僕の胸の中に湧いていた。
「やあ。少し時間には早いけれど、もう揃ったし行くかい?」
集合場所に着いたときには、もうレイトンもテトラも揃っていた。
テトラは寝不足のようで、充血した目を何度も擦っている。きっと、宿でも一人で考え込んでいたんだろう。
「テトラさんがいいのであれば、僕は大丈夫です」
「……行きましょう」
完全に覚醒はしていないようで、瞬きの回数が異常に多い。問いへの反応も遅い。
だがなんとかテトラは後頭部を掻きながら答えると、のそのそと騎獣に跨がった。
騎獣は角のある白馬で、虎の足を持つ、僕がイラインへ来るときにお世話になった、ハクだ。
「このハク、レイトンさんのですか?」
「そんなわけないじゃん。これは貸し馬車屋から借りてきたんだよ」
「そんな職業もあるんですね。……でやっぱり、ハクが一頭しかいないっていうことは、僕やレイトンさんは」
「当然、徒歩だね」
さらりと酷いことを言うレイトン。まあ、それは女性だから、とかそういう理由ではあるまい。
「僕らが走った方が速いですもんね……」
「ヒヒヒ。わかっているじゃないか。それじゃあ、行こうか」
街に背を向けレイトンは歩き出す。その背に向けて、僕は声をかけ引き留めた。
ここで、グスタフさんからの助言を役立てなければならない。
「あ、それについてお願いがあるんですが」
「何かな?」
「森の中を走っていく予定でしたよね? 出来るだけ街道に沿っていきませんか?」
「……それは何故かな」
レイトンの声のトーンが落ちた。僕が何を言うか期待しているように。
しかしここで、グスタフさんの名前は出さない方がいいだろう。警戒はさせるべきではない。
僕は必死に考え、ようやく答えらしきものを絞り出す。
「あれ、見て下さい」
僕はハクに跨がり船をこいでいるテトラを指さした。
居眠りをするように目を閉じては、時折首を激しく振って睡魔に抵抗している。
彼女を口実に使ってしまおう。
「荒れている道で、落馬? したら大変ですからね」
「……なるほど。まあ、いいだろう」
不敵にレイトンはニッと笑い、僕の申し出を了承する。
これで、街道を走れることになった。
さて、これからどうしようか。
きっと、ここからが大変だ。
僕は平静を装いながら、小さく溜め息を吐いた。




