来たれり
元捕虜たちの移送はまとめて行われるという。
帯同する騎士団の護衛の都合上、まとめての方が楽だから、と。
それは重傷者であるソラリックの担当した者たちも例外ではなく、僕のオセロットへの嘆願もむなしく、治療師隊の隊長の意見が優先された。
しかし早くしてほしい。混乱を避けるためだろう大っぴらに広まってはいないが、勇者がここへと向かっているというのだから。
それに。
僕は空を見上げる。
曇り空。雨模様。降らないかもしれないが、降る匂いがする。雨の中の行軍は彼らにとっても厳しいだろう。
雨が降る前に。
「ソラリックの一時離脱を許可なされるのですか」
「そうですね。本人の嘆願もありますので」
準備される荷車や騎獣車の群れを眺めていた僕を、責めるようにパタラは言う。
だが別に責められることではあるまい。彼女の職務放棄を咎めるべきだった、ということはあるかもしれないが、それはそもそもパタラの責任だ。
「警護はレシッドさんに頼んであります。前線からも離れますのでここにいるよりは安全でしょうし、逆にレシッドさんをお任せしたような形でもありますね」
「しかしあの重傷者たちは……」
パタラは言葉を途中で止めて、力なく首を横に振る。
僕はその顔をちらりと見て、また視線を外して口を開いた。痛々しく思っているようなその表情は、きっと本物だろう。
「ここでは改善は出来ないでしょうとはソラリック様にお聞きしております。それぞれ手足や眼を失っているから、と」
「治療師団の拠点でも同じことです。私も彼らを拝見しましたが……我ら人ごときにどうにか出来るような浅手ではない。西方に送っても同じことでしょう」
「聖教会の上層部は神へ至る階梯に足をかけている、と聞きますが。それでも?」
パタラはうんと頷く。
別に僕が本心から褒めているわけでも、秘密のことでもなんでもない。
聖教会の教主やその高弟たちは、神に類する者になりつつある、というのは民間の語り草だ。それもおそらく聖教会を神秘化するために本人たちが流しているもので。
まあ今代の聖教会の教主も二百歳以上の長命の魔法使いらしいので、人でなくなりつつあるのは本当のことなのかもしれないが。
「……せめて、拠点に患者を送り届けた後、レシッド殿と共にここへと戻ってくるよう説得してはいけませんか」
「わざわざ前線に、と考えると頷けないのですが」
僕は二つの意味で渋い顔を作る。
ソラリックには患者の世話をしてもらわなければ困る。欠損が癒えていることを誰にも悟られないように、抑制をかけた五人を一人で介護してもらわなければ。
それに、せっかく戦場から遠ざかり、そしてそこにいることを許された人間を、わざわざ危険地帯に戻す意味がわからない。
パタラは僕の言葉に、がしがしと赤い髪を乱すように頭を掻いた。
「私は、彼女の才能を潰したくはないのです」
「才能?」
僕が問い返すと、真剣な顔でパタラは頷く。それから、身体ごと僕の方へと向き直った。
「治療師の中に、ままいるのです。重症患者に遭遇し、力及ばず治療を完遂できず、自信を失ってしまう者が」
「……どういう程度かわかりませんが、失敗など初学者にはよくあることでは」
「少々の失敗ならばいいでしょう。しかし、……私たちは、『神の像を失う』といいます」
「…………」
「見習い程度の治療師であれば、無心に指導者の言うことを聞いておけばいい。しかし、上に至るにつれ、聖典を読み解けるようになるにつれ、治療師というものは自身の中に正しい神の像を持つのです」
そう身長は変わらないはずだが、なんとなくパタラが大きく、そして自信ある姿に見える。
何故だか講義を受けている気分だ。昨日のソラリックの話ではパタラは上等治療師ということなので、上から三つ目。治療師は六階級あり、彼の下には三つの階級があるので、そういうこともしていたのだろうか。
しかし、かつてのエウリューケはたしか二番目の高等治療師。それよりも一つだけ下の階級、と思えば彼もすごい人物に見えてくる。
「その神に従い、私たちは奇跡の一端を法術として隣人に施す。それが……」
言葉を失い、気を取り直すようにパタラは鼻だけで深呼吸をして肩を揺らした。
「私の同期にもいるのですよ。獣に腸を食いちぎられた者の救護に入り、どうにも出来ずに神の像を失い、指先の小さな切り傷一つ治せなくなってしまった者が」
僕はパタラの視線を受け流すように視線を巡らせる。
景色を眺めているわけでも、周囲の様子を確認したわけでもない。
なんとなく、聞いたことがある気がした。用語は知らないが、一つの躓きで、治療が出来なくなるという話。多分、リドニックでの話。
治療師の中で定義づけされているとは知らなかったが、要は信仰心を失うということだろう。
神に祈ってもどうにもならず、自身の無力を知り法術が使えなくなる。ちょうど、使えないと思ってしまい、魔法が使えなくなるのと同じように。
するとまあ、……。
「心配のしすぎかもしれません。心に確固たる神を持てば、いかなる苦難も耐えられましょう。……しかし昨日の思い詰めていた表情を見れば、私にはどうにも」
真剣な顔を崩し、パタラは苦笑する。僕よりも少々年上の若者という程度の年齢に見えるが、その表情は老成している気がした。彼も見た目通りの年齢ではないのだろう。
「深入りさせたくないのです。彼らとの深い交わりは、彼女のこれからに暗い影を落としてしまう。私はそんな予感がします」
「なるほど」
暗い影を落とす。
その言葉には同意出来るような出来ないような、そんな気分だ。
僕が善人だと認めていた彼女は、既に僕を脅迫までしたのだから。
しかしどうする。
そこまで言われて、許可すら出さないのは不自然だ。その程度押し切るということも出来るだろうし、偏屈と思われるくらいなら別に構わないが……。
患者の状態が昨日と比べて改善している、ということがバレてしまえば、全て無意味だ。不自然に僕が隠しているととられれば、パタラが患者の包帯を解く可能性もある。
ソラリックの演技力に賭けるか、それともここでなんとか誤魔化すか。
…………。
「……私としては正直、あのソラリック様をこれ以上戦場に置いておきたくないという思いも強いですね」
「…………それは、……」
『あの』という曖昧な言い方でわかってくれるだろうか。簡単に言えば、彼女は森に向いていない。
さすがに上司の前で直接は言えないが。それでもパタラも視線は頷き同意してくれたようだった。
「それにあんな患者でしたら、おそらくこれから無数に目にすることになります。前回の戦場に参加されたパタラ様にはわかると思いますが」
「それも、同意いたしますが、しかし」
「虜囚だった方たちの安全も、僕としては気に掛かります。一時レシッドさんも護送に携わっていただき、そしてそのレシッドさんの安全のためにソラリックさんはついていきます。それは不服でしょうか」
言いながら、意味のない言葉の羅列だと自分でも思う。
パタラの進言には何一つ答えていないのだ。パタラは、患者を後方へ送った後、そこに付き従うソラリックを連れ戻せないかと聞いている、僕は、後方へ送る理由をつけている。
すれ違っている単なる誤魔化し。通用はしまい。
もちろん、ここまではいいだろうが。
「いえ」
レシッドに別の任務でも与えようか。ソラリックがここまで安全に戻ってくる方法がなければパタラも諦めざるを得ないだろう。
適当に敵拠点の急襲でもしてもらうか。広大なネルグの面制圧は完全には難しい。おそらく先鋒のここより後方にも、敵陣地は作られているだろう。その辺りの位置が把握できれば。
もしくはいっそ適当な五英将でも襲ってもらうか。……どちらも場所がわかればなぁ……。
斥候としてその捜索に携わってもらう、といってもそれこそ人手がいることで、彼個人でやることではないし……。それをいったら拠点制圧もそうなんだけども。
あとは……強固な反対は出来ないが、消極的な反対なら。
「私としては彼女はそこに残ってもらいたい。これから、さらに激戦になるはずですから」
僕はパタラを見返す。これも、本当のことだ。
「昨日この砦にいた魔法使いは、千人長という階級を名乗っていたそうです」
「千人長?」
「実際は微妙に違いますが、名前の通り千人を統べる隊長格、というところでしょうか。ムジカルの軍にも五十人に満たない数しかいない者たち」
階級だけで言えば上から数えた方が早い。そしてムジカルの軍は実力主義。縁故や血縁はほとんど機能せず、何かしらの高い能力がなければ上へいけない。
用兵能力が高いか個人の戦力が高いかは各個人によるが、前に出てきたということはおそらく後者。ならばおそらく聖騎士団がここにいなければ、その男単騎でエッセンの騎士団二千人は押し返されていただろう。
「徴兵されたムジカル民兵ではなく、正規軍が出てきた。今回小競り合いで済んだのはオセロット閣下がいらっしゃり、急襲に成功したからです。そうでなければ、ここは今まだ両軍が睨み合う緊迫した戦場になっているでしょう」
僕は視界の端に聳え立っているネルグの幹を見る。青く霞むほど遠く離れているのに、先端が見えないほどの巨木。
だがその幹と僕たちの位置関係は、街を出てからすっかり変わってしまった。
「ここまでは快進撃ともいえる速度で来られました。そのおかげでエッセン陣営の怪我人も死者も少なかった。でもこれからは違います」
ちょうどこの辺りはエッセンとムジカルの国境付近。今まで戦っていたのはこちらの陣地だ。そして今日明日からは、敵陣に切り込んでいく。
「なので、やはり僕は反対します。ソラリック様には後方で待機していただきましょう。本当は彼女の身を案じるならば、後方すらも危険なので、街に帰っていただきたいくらいですけれども」
二十数年前の大戦では、後方にいたはずの治療師団が襲われている。だからまあ、本当は。
僕はパタラの顔をじっと見つめる。
それでもまだ連れ戻したいと思うのだろうか。先ほど言った、彼女への悪影響から。
……もしくは、足手まとい役を連れ戻したい、と思っているのだろうか。
彼女の身を案ずるならば、連れ戻さない一択だと思うけれども。
これだけ言えば、違和感も薄いだろうし。
「許可するしないで言えば、許可できません。ソラリック様は後方へ下がると希望し、私はそれをこれ幸いと受け入れた。治療師が二人もいるのは心強いですが、二人を守るのは手に余る。彼女には予備として後方待機していただきましょう」
「それが、カラス殿の選択ですか」
残念そうに、そしてわずかに嬉しそうにパタラは言う。複雑な表情は、公私の入り交じったものだろうか。それとも、本心だろうか。
わからないが、話はこれで終わりだ。
「危険は分散させなければ。これは、ミルラ隊の指揮官としての命令です」
「……了解しました。私たちは王の要請により、カラス殿の指示に従いましょう」
パタラも、仕方ない、と頷いた。
「敵襲ぅ!!」
辺りが騒がしくなったのは朝を過ぎてから、元捕虜移送の準備が整ったのとほぼ同時だった。
半壊した城にわずかに残った見張り台から叫ぶ声がする。使う人間がいなくなり余った鉄兜を使った急造の鐘がけたたましく打ち鳴らされ僕らは揃って顔を見合わせ、声の方を向いた。
たまたま五人揃っていた僕たち。どうするか。
まだ僕の耳には届いていなかった敵たち。数が少なく隠密性に優れているか、それともまだまだ遠くにいるか、だけれども。
見張りにより大仰な動作で指し示されている森の奥、肉眼では見えない。
「お二人共は乗騎の上で待機。お二人は戦闘準備しつつ待機で」
「おう」
「僕は様子を」
前半は治療師へ、後半は探索者への呼び掛け。それに応えたレシッドに向けて続けて言いつつ、僕は半壊した建物の城壁部分に駆け上がる。
ばたばたと皆が走り回る音がする。今ここの陣地には聖騎士団の半分ほどと騎士団の有志合わせて二百人ほど、それに治療師含めた非戦闘員が百人ほど。
敵は。
城壁を足場に僕は跳んで、頂点の位置で周囲を見回す。
そうして木々の隙間から見えたムジカル騎爬兵。三十ほど。分隊四つといったところか。
ならば勝てるだろう。負傷者や死者は出るかもしれないが、十分騎士団でも対応可能だ。
そう思いつつ着地した僕の耳に、悲鳴が届いた。
「ぎゃあ!」
森から出てきた敵兵の一団。そのうちの一人、蜥蜴に乗った最も大柄な男が大刀を振るう。
それだけで、そこに駆けつけ包囲しようとした騎士団の胴が五個はまとめて断たれた。
……訂正。
正規軍は質が違う。
「行くぞおおらああぁぁ!!」
昨日から何度も聞いたような吶喊の声。遠くから聞いているだけだし戦場とはこういうところだと思いつつも鬱陶しくも思えてくる。
城壁の位置からよく見える。
援護のために森の中から弓隊がいくつもまばらに矢を放つ。頭上を飛び越えていく矢に追いすがるように大男は駆け、その両斜め後ろに部下らしき男たちが着いてくる。
馬のようなどこか豪快な足音はさせずに、滑るように蜥蜴が走る。馬の速度よりもやや遅いだろうか。
まだ陣形も整えていない集結中の騎士団に騎爬が突っ込み、まばらな陣を引き裂いていく。
大刀が振られる度に首や胴が両断され死人が出る。多いときでは十人分ほども。
その様子をじりじりしながら見守っていると、ようやく聖騎士団員が大男を食い止めるべく立ち塞がり、その大刀を払って後退させた。
同数の兵が当たる戦場では、五分の一を失った軍の負け、とどこかで聞いたことがある。
ならばもう負けているのだろう。陣に入り込んだ男たちが十数秒の間に殺し、足下に転がっている死体の数はおそらくもう三十を超えている。
オセロットも加わり押し返しているものの、もはや失った命は戻るまい。
そして僕の耳に、新しい足音が響く。
筋肉が脈動する勇ましい音。蹄はないが、やはり走行音は騎爬よりも騎馬に近いのではないだろうか。
そちらに目を向けると、見えた影はハク。蹄ではなく虎のような肉球を持つ馬。見ている間にもその音は戦場へと近づいていく。
馬よりも数段速く、山を駆け下りた速度のまま突っ込んできたのだろう。跳ぶように駆けるいくつもの影。
先頭には、もはや見慣れた顔。
勇者を乗せたハクが、一人の騎爬兵に飛びかかる。牙を持つ馬、という風情のハクがその騎爬の首元に噛みつき転がすと、騎爬兵は飛び退いて地面に転がり落ちて態勢を整える。
そのムジカル兵の首は、次の瞬間飛んだ。
「オギノヨウイチ!! 加勢にきました!!」
一滴僕の頬に雨が落ちる。
何故だかそれが、兵の首から飛んだ血に思えた。




