厄介払い
夜になった天幕の街は暗く明るい。本来暗い森の中に乱立した松明は周囲を揺らめき照らし、天幕内部に暗闇を作らないようにしている。
本来は避けた方がいいことだ。暗闇の中にぽつんと置かれた明るいものの近くにいれば、周囲の暗闇はより濃く見える。獣やムジカル兵の接近に気づかず、襲撃を許してしまうかもしれない。
それに、遠くからも明かりはよく見える。魔物や獣たちからすれば、よい目印となるだろう。
だがまあ、警備はされているのだ。文句は言うまい。
僕は思ってもいない文句を心の中で浮かべないようにと留め、ソラリックと共にその橙色の中を歩く。
先導するように歩く彼女の後ろ姿に、僕は苛立ちを募らせる。
いつもこんなことばかりだ、という嘆きも心のどこかで響いた。
彼女は《再生》の法術を使いたいのだという。
しかし《再生》は聖教会では禁術であるとエウリューケにも聞いている。ならば僕がそれを使えば異端者との誹りを受けるだろう。
それを防ぐべく僕が断れば、僕が過去にそれらしきものを使ったことを告げ口すると脅迫を受けた。
抜き差しならない状況とはこういうことを言うのではないのだろうか。
使わなければ彼女によって僕は告発を受ける。しかし仮に使っても、それ自体が彼女の告発の種となる。
このままでは永遠に彼女の言いなりとなる。
……別に彼女が悪意あって言っているとは思わない。先ほどの彼女の話を完全に信用すれば、おそらく僕の監視役はパタラの単独で行うこと。その仕事についていえば彼女は数合わせに過ぎないのではないのだろうか。もしくは足を引っ張る役か。
だが悪意がないのであれば更にいやらしい。先ほどまでの張り詰めていたような空気がほんのわずかに緩み、安堵しているような雰囲気を発していることもそこそこ腹立たしい。
弱みを握られた、ということだろう。彼女に。
「……事情を」
わずかに湧いた怒りを押し殺しながら僕は言葉を発する。ソラリックは斜め後ろからの声に、足を止めずにわずかに振り返った。
「事情を聞いておりませんが」
「そういえば、話していませんでした」
それから開いた唇から発された声がわずかに顰められているのは、彼女も一応はこれがまずい話だと思っているからだろうか。
「でも、まずは見てもらった方が早いのです」
そう言って彼女が視線で示した先には、捕虜や騎士団が休んでいるものよりも小さな丸いドーム状の天幕が五つほど並んでいた。
彼女に示されるがままに足を踏み入れた天幕では、五人の男女が筵の上で寝かされていた。筵の下には薄い綿が引いてある。
誰も上げていないようにも見えるが、どこからか呻き声が聞こえてきた気がする。それは気のせいで、そしてそこで寝ている彼らの姿を見たからだろうけれど。
「まだ治療を終えていない方々です」
静かにソラリックは呟くように言う。天幕の外でちらつく松明の光が、その目に反射して見えた。
そこにいる人間たちは今は寝静まっている。ただし、不自然なまでに熟睡しているように見える。両手足を投げ出して身動き一つせず、上を向いたまま固まってただ浅い呼吸を繰り返しているような。
麻の簡素な衣服は全裸にされていた彼らに配られた物資のままだろう。おそらく全て同じサイズのもの。長身な男性が一人いるが、彼にとっては小さかったようで袖は肘ほどまでしか覆っていなかった。
そして中では煙が焚かれている。この匂いは嗅いだ覚えがある。勇者の部屋で。
「眠らせてあるんですか?」
「鎮静させないと。……可哀想で」
キュッとソラリックが唇を結ぶ。
悔しそうに、そして悲しそうなのはやはりこのソラリックが『いい人』だからだろうが。
彼らは全員、体に包帯が巻かれていた。露出しているはずの手足はおろか、顔に至るまで、肌を隠すように丁寧に。まるで、古代エジプトのミイラのように。
一部を除き血に塗れてもいないその包帯は、おそらく処置のためのものではないだろう。
僕は一番手近な男性に歩み寄り、その姿を見下ろし眺める。
「親指を除く右手の指四本。左手手首から。それに、両耳」
ソラリックは僕の言葉にこくりと頷く。
隣に並べられている女性を見れば、彼女はおそらく両足の腱が切られ、両目も。それに歯が全部。頭部の包帯には、額部分が血が滲んで固まっていた。
「傷は全部塞いだんです。塞いだんですけど」
「失ったものまでは取り戻せなかった、と」
なるほど。
予想通りとも言うべきだろうか。五人もいるとはさすがに思わなかったが。
この天幕に残っている五人。彼らは全員がムジカル軍の拷問でどこかしらを欠損した者たち。
……目的を考えればおそらく、拷問というよりも折檻というのが正しいと思うけれども。
「彼らを治せと仰るんですか?」
僕が半笑いを作って尋ねると、ソラリックはまた頷く。わかりきったこと、と自分で聞いて思ってしまった。
「抵抗したせいで、って他の方が言ってました。見せしめに、みんなの前でゆっくりと肌に傷を入れて、指を落として、って」
「そうですか」
まあ、そういうことがあってもおかしくはないと思う。
敵地にいるムジカル兵。彼らは現在法に縛られず、好きに現地民を嬲ることが出来る。ならばやる者もいるだろう。人間たちは。
「……可哀想だと思いませんか」
「気の毒だとは思いますが」
僕は素直に返答する。しかしその答えが気に入らなかったのか、ソラリックは何も言わず目をわずかに剥いた。
気の毒だとは思う。
彼らはこれから普通の生活は営めまい。落ちた手足は義肢を使おうともその機能を十分に補うことは出来ず、取り戻すことも出来ない。失った耳や鼻は詰め物や型でなんとか補えるとしても、不細工とでも思われてしまえば嘲笑の的になるだろう。
だが、可哀想、というのはなんとなく違う気がする。いや、そう思うのもなんとなくわかるし、善人ならばそう思うものだとも感じるけれども。
きっと『可哀想』と『気の毒』にどれだけの隔たりがあるのかも、僕はそもそもわかっていないと思う。
僕は部屋の中を眺めるように視線を漂わせる。
ムジカルにいたときには感じなかった感覚だ。
ムジカルにも障害者は当然いた。戦地帰りで涙ながらに障害を負った経緯を語り、金銭を得る者たちが大勢いた。彼らの障害も、時には小さな欠損も治したというのに。
戦地帰りの彼らを可哀想だと思ったことはほぼないと言ってもいいかもしれない。もしくは思ったことはあるのかもしれないが、具体的な例は思い出せない程度の縁の遠さ。
「可哀想だと思いますか?」
僕はソラリックに視線を向けずに聞き返す。
躊躇するように一度唾を飲んだソラリックは、息を整えるように深呼吸した。
「そこで寝ている女の人は、さっき自殺を図りました。目が見えないからって手当たり次第に道具を探して、見つからなかったから、地面に頭を何度も叩きつけて」
僕が見返すと、ソラリックはまっすぐ僕を見つめている。その目に、なんだか僕の知らない感情が入っている気がする。
「そっちの男性は、残った奥歯で舌を噛みました。千切れなかったみたいで大事には至りませんでしたけど」
それから僕を無視するように倒れている男性に歩み寄り、その手を取る。
「なんとかしなきゃいけないんです。でも……」
指のない手を両手で包み込み、額を当てるようにして首を横に振った。
「傷は治したんです。でも、みんな自分の手や足を見て泣き叫んでいたんです。もう痛くなんかないはずなのに」
「隠したところで意味ないでしょうに」
僕はからかうようにその後ろ姿に言う。
過剰なまでに肌を覆っている包帯は、彼ら自身に失った手足を見せないためのもの。だがあまり意味はないと思う。意味はなかったと思う。少なくとも僕は、多分。
「……治してください」
「…………」
「パタラさんは、仕方ないって言っていました。『授くも奪うも我のみにして』。手足を失うのも神が彼らに与えた試練、乗り越えるも越えないも、彼らの勝手だって」
「彼らの手足を治したところで、結果は変わらない気もしますが」
僕はソラリックの言葉を遮り、嘲るように言う。
僕にはわからないが、彼女はわかるのだろうか。彼らが死のうとした理由。それは本当に、手足や目を失ったからだろうか。
「どうしてですか?」
僕の言葉に苛ついたように、ソラリックは僕を睨み付ける。
「手足を治された彼らが、元気になった手足を存分に使って死に急がない保証は?」
「…………」
ソラリックは僕の言葉に答えない。馬鹿なことを、というふうに絶句しているわけではなさそうだ。ならば薄々、そういったことも考えてはいたのだろう。
沈黙が流れる。
黙り込んでしまったソラリックに対し、僕はため息をついた。
やるしかないのだ。彼女がどれだけ拙い理論を振りかざそうとも。彼女にどれだけ理がなかろうとも。脅されているか弱い立場の僕は、彼女に唯々諾々と従うしかない。
素直に従ったところで、それでは終わらずおそらく次があるのだろうが。
「では、少しだけ建設的な話をしましょうか。彼らがこのように障害を負っているのは当然治療師の方は全員ご存じですよね?」
「……当然です」
「ならそれが治るのは不自然でしょう」
治療師全員が匙を投げた案件。能力的にやれない、戒律的にやれない、そのどちらにしろ。
明日の朝を迎えれば彼らはまた治療師たちの目に触れることになる。その時、彼らが手足を取り戻していたとすれば、必ず何者かの関与を疑うだろう。
いくら信心深かろうと、まさかそれすらも神が起こした奇跡などとは信じまい。
そしていずれその何者かとして疑われた僕は、疑わしきを罰する人々から私刑を受けるのだろう。
…………。なら。
「軽い怪我でもいいです。他にまだ未治療の方々は?」
「探せばいると思いますけど……そもそも本人が気付いていなかったり、私たちが治す必要がないと感じたものならば」
意図が掴めない、とソラリックは首を傾げて僕を怪訝な目で見る。しかし僕もはっきりと意図があったわけでもない。
どういう理由かはわからないが、使えそうだと思っただけで。
そしてその後に思考が続かないということは、きっと使えなかったのだと思う。
しかしまあ、見事に八方塞がりだ。
彼らを治す治さない、そのどちらを選んでも僕には不本意な結末が待っている。仮に彼らをどうにかしたとして、ソラリックが言葉を違えて告発をしないという保証もない。
……いっそ全てをなかったことにする、という方法が心の片隅に浮かぶ。
ソラリックも含めて彼らをこの場で殺し、魔物の襲撃にでも偽装してしまえば全てなかったことになる。ソラリックの身の安全を保障できなかったというのは戦後にパタラから責められることだろうが、損切りという観点から見ればそれが一番僕へのダメージが少ない気がする。
いや、その手段を取るならば、彼ら元捕虜の命はどうでもいい。彼らとは話したこともなく、彼らは僕を認識してもいない。都合のいいことに、僕は彼らの顔すらも見ていない。元々のことでもあるが、彼らに何も手出しをせず見捨てても、罪悪感などはほとんど湧かないだろう。
彼女一人を。
僕は思わずソラリックをじっと見つめる。
今ここで、彼女に物言えぬ姿になってもらえば、それで済むのだ。
僕を脅迫し、そして今後も同じような葛藤を生み出しかねない彼女一人を。禍根を断つ、という意味も込めて。
「……なんですか?」
「…………いえ」
見つめられたことで何かを察したのか、ソラリックがわずかに怯えたように僕に問いかける。だが僕は、その姿になんとなく笑いかけるようにして肩の力を抜いた。
将来を、と考えるならば将来などよく考えればどうでもいいのだ。
異端認定されて困るのは、この戦争中のみ。
ミルラ……はどうでもいいとして、ザブロック家、そしてルルに迷惑がかかるであろうこの短期間だけだ。
戦争が終わればどうせこの国を離れるのだし、そうなれば好きにすればいい。僕をいくら悪し様に罵ろうと、森の奥まではその声は届くまい。
要は、僕が治した人間が聖教会に見つからなければいいのだ。少なくとも戦後の論功行賞が終わるまで。物理的にでもいいし、最低限、その身体が癒えた事実が露見しなければ。
もしくは、戦後に、ならば。
殺して見捨てるよりもだいぶだいぶ面倒な話だが。
……きっと、その方がいい。
「正直、これほどまでとは思いませんでした。指数本でしたら可能ですが、これほどの欠損だと今すぐは無理です」
本当だ。僕が行うのは身体の損傷部位を無理矢理造成すること。その材料が身体の中になければ、どんどん身体が痩せ細っていく。骨密度も筋密度も下がり、脆くなる不健康な方向で。
それに彼らは皆戦闘員ではなかったのだろう。長身の男も含め、女性たちまで皆痩せている。
彼らが闘気を扱えるような筋骨隆々とした身体で、栄養満点の食事でも取った後ならば今でもぎりぎり可能かもしれないが。
ソラリックは変わらず訝しむように僕を見る。先ほどの怯えから、疑いに種類が変わったような視線。
「……なら、いつならいいんですか」
「彼らの栄養状態を改善してから、時間をかけてなら」
いつとは言えない。逆に状態が整ってからならばいつでも出来る。
時間稼ぎにもなるのは僕の都合にも合致しているけれども。
そして本当にちょうどいい。
「ソラリック様は明日、パタラ様に別行動を申し出てください。レシッドさんを警護につけて、彼らを護送し一旦退却していただけますように」
レシッドには悪いが、やはり一時前線から離れられるということもあるしおそらく断りはしまい。その後また前線まで戻ってきてもらうし、断るならば別に通常の騎士団でもいい。
「このことはパタラ様にも内緒で。理由としては、『重体の彼らが心配だから』とでもしておけばいいでしょう。もちろん本当の理由は違いますけど」
「…………本当は」
「彼らの世話です。身体の、そして精神の」
僕は両目をくりぬかれている女性の横にしゃがみ込み、そっと目元の包帯をかき分ける。目の下を引っ張り凹んだ瞼をほんのわずかに開けば、ぽっかりと空いた暗闇がその中に見える。
麻酔もなしにそのようなことをされて、大変な苦痛だっただろう。命の危険すらあっただろう。その上で、足の腱を切られ、逃げないようにされて……。
その眼窩に指を添え、指先に魔力を通す。
まず形作るのは、僕が想像する眼球。まだ架空の空想上のもので、僕が魔力を切ってしまえばすぐに消失してしまうもの。
眼神経に繋がる穴は治療師の治療の際に塞がってしまっているようなので、それも血管なども含め造成しつつ、動眼神経や滑車神経を伸ばし筋肉と繋げ、架空の眼球に栄養を流し込む。
本来増殖しない脳細胞を増殖させる要領で、架空の眼球を骨組みとして細胞を作っていく。実際にこの眼球で見えるようになったかどうかは知らない。形は作った、が、それを使えるかどうかまでは。
とりあえず片目だけ。眼球すらも網膜から水晶体、虹彩に角膜とかなり複雑な構造だ。さすがに、疲労の面からも片方だけで勘弁してほしい。
彼女の瞳が、どんな色だったのかも知らないが。
「…………!!」
見ていたソラリックが息を飲んだ気配がする。
「とりあえず片目だけで十分でしょう。後は彼女の足の腱の再生と、他の方も、今のところ出来るだけ」
足はとりあえず治そうと思うが、手などは片手に留めたいと思う。
中途半端だが、今はそれだけで。
彼らは、ソラリックに対する僕の人質。
「明日からの護送でも、彼らはほとんど眠らせたままにしていただけますよう。出来れば、食事と排泄以外は」
「何故……」
「彼ら自身はともかく、誰かに足の機能などが再生したことを悟られたくないので。ソラリック様が責任を持って世話してください」
これだけ包帯で巻かれていれば多少形が変わっていても見た目で気付かれはしまい。気付くとしたら、包帯を外す清拭でも行うときだろうが。
言いながら、僕は手早く男たちの指などを再生させていく。
僕の言葉、というよりも指示を待つようにソラリックは黙って僕を見つめていた。
その手元も、食い入るように。
「僕は今回、脅されてやらされています。たしかにたしかに、今はソラリック様の口からリドニックの噂話が漏れ出るのはまずい」
彼女の口から意味のある言葉が飛び出るとは思わなかった……というのはさすがに馬鹿にしすぎだが、それでも的確には突いていた。もっとも、その脅迫の末要求したことのせいで、結果は変わらないという意味のない行為にもなっていたが。
最後の指を治し、握らせてから簡単に包帯を巻き直す。握り拳も指を失った手も、包帯で巻いてしまえば多少厚みが違うだけだ。
さて、と僕は立ち上がり、ソラリックに歩み寄る。それに合わせるよう、彼女はほんのわずかに後退った。
「仮に、今回僕が行った行為が露見すれば、そのソラリック様の噂話はほとんど無意味になりますね。噂や証言よりも、確かな事実がそこにありますから」
ソラリックから、もしくは彼らから僕の行為が露見し、周知の事実となればもはや脅迫の意味はない。僕の傷は、二回抉られるわけではない。
「そして僕は、露見した場合、彼らの前には二度と現れないでしょう。先ほどまでよりは自由ですが、以前よりは不自由な身体のまま一生を生きていただくことになります」
「……そんな」
「そうしたくなければ秘密を守るんですね。彼らに口止めをして自分の口にも鍵をかけて」
僕はソラリックに出来る限りの笑みを向ける。ソラリックはそれに対し、身体を竦めた気がした。
「戦後、治します。今度は完全に」
「…………」
壁を背中につけるよう、ソラリックはまた一歩下がる。だが怯えを隠すように胸に拳を当てて、懸命に僕を見返し続けていた。
「カラスさんが、約束を守る証は」
「証文なども残したくはないので、特にないですね」
僕はようやく言い返せた気がする。もう脅迫に屈することはない。
「……っ……」
ソラリックはそれも悟っただろう。立場は逆転したわけではないが、今対等になったのだ。
それを彼女は認めたくないようだが。
「今、治してください」
「申し訳ありませんが……」
「今、ここで。出来ないならば他の治療師に、今ここで見たことを話します」
それでも負けてはならないと彼女も思ったのではないだろうか。
だが、無限に続く脅迫は、加害者にとっても悪手だと思う。
僕はため息をつく。
「先ほどの理由は本当のことです。栄養状態を改善しないと少々厳しいですね。彼らの身体に障害が残るほど損ねてもいいというなら別ですけど」
出来ない理由は話したとおりだ。その準備をするための静養期間、ということもある。
それに。
「ちなみにもう一つ僕には手段があることはわかりますか?」
最悪の場合は、先ほど僕が考えた最後の手段が復活する。
僕は彼女にまた近づく。
「行軍中も見てきたでしょう。ここネルグでは、人の命も身体も簡単に無くなります。僕が仮に死体を森に捨てたところで、それが見つかることはない」
彼女を殺害し、死体を始末する。
森の奥へ捨てて獣の餌にしてもいいし、そもそもこの場で灰にしてもいい。
それをしないために、僕は譲歩しているのに。
「貴方の口を塞げばいい。永久に、誰にも話せないように」
見下ろすように言えば、ソラリックは僕を見上げたままへたり込んでいく。その肩に、わずかに震えが見えた。
「……じょ、冗談ですよね?」
笑い飛ばすようなその言葉に、少しだけ腹が立った。
「冗談で終わればいいですね?」
誰かに話せば話は終わり。
それだけわかってくれればいいのに。
翌日、騎士に混じって朝食をとっていたレシッドを見つけて簡単に事情を説明した。もちろん、ソラリックへの密命は内容を詳しくは話せなかったが。それでも、秘密がある、ということは話した上で。
実際、彼女は命令違反だ。彼女はエッセン王から要請を受けてミルラ配下の僕たちの援護をするためにここにいる。そんな彼女が僕たちのところから離れたいというのは、業務放棄に近い。
当然おそらく上司のような役割のパタラは咎めるだろう。しかし僕が認める。ならば、パタラは反論できまい。ここに来るまでの口答えは、そういう雰囲気を作るために役に立つ。
「え? いいよ、行く行く」
レシッドは警護を軽く請け負ってくれた。戦場から離れられる、というのは彼にとって本当にありがたいことなのだろう。
そして、ありがたいと思えることがもう一つあるのだろう。そちらは、勘弁できないが。
腕を組み、うんうんとレシッドは頷く。
「しっかし後方拠点まで騎獣車で行軍かぁ……。こりゃあ何日もかかるなぁ。五英将討伐には参加できないかも」
「馬車でもないですし、患者は眠っているので多少荒っぽい走りでも問題ないですし、イラインまで戻るわけではないですし、街道を使えるので行きは三日もかからないでしょう。さらにレシッドさんならばここまで一日で来られますよね」
「いやいや、ほら、疲れた状態で戦えっていわれても困るだろ? 万全の状態でさ」
「なら二日かけて戻ってきてもいいですよ」
それでも合計五日ほど。
ここまで攻め上げるのには三日かかった。その間に、既にこの辺りではムジカルからも今日のような砦が出来るくらいの侵攻はある。そろそろ両軍の本体がぶつかり合う頃。進軍も遅くなるし膠着状態も作られる。
五日とは、ちょうど五英将が出てきた後、くらいではないだろうか。
「とにかく、お願いしますね」
「てめえ、指揮権があるからって好き勝手言いやがってよぅ……」
「頼れるのがレシッドさんしかいないんですよ。本当に」
僕は嘆くように言う。
スヴェンや治療師もいるが、彼らはそれぞれに事情がある。僕が手放しで頼れるのは、レシッドただ一人だ。
こういう警護では騎士団に任せるよりも信頼できるし、機動力もある。馬鹿にするわけでもなく、まさに〈猟犬〉。本当に彼を雇えてよかったと思っている。
「……しょうがねえな!」
しかし文句を言おうとも、最終的にはきちんと従ってくれるのも、彼のいいところだと思う。
気合いを入れ直すようにレシッドは両腿を叩いて、天を仰いで深呼吸した。
「カラス」
では今日からしばらくは三人で、といくらか肩の荷が下りたことで気を抜いた僕に、声がかかる。
そちらを見れば、折れた剣を小脇に抱えて歩いてくるスヴェンがいた。
一応彼にも説明しておかなければ。
そう思ったが、そのにやけ顔が気になる。
僕は裾を払いつつ、スヴェンが近づくのを待った。
「何か?」
「朝食を集めているときにすれ違った聖騎士が、面白い話をしていてな。お前にもお裾分けをと思ったのだ」
言いながら、シャクシャクと折れた鉄剣を囓る。血や泥は洗って落としているようだ。
柄を持って短い剣先を囓る姿は、まるで子供が焼き芋でも囓っているようにも見えた。
「面白い話?」
「ああ。青鳥で朝一番にオセロットのところに届いたらしいが」
スヴェンが最後に残った木製の柄をぐしゃりと握りしめると、細かな木屑が指の隙間から崩れ落ちた。
「昨夜遅く。勇者が配下の兵を連れて、防衛拠点から姿を消したらしい。騎士に言い残していった言葉によると、こちらに向かっているそうだ」
「何にも面白くないですね」
せっかく一人お荷物を追い払えたのに。




