風穴
《山徹し》は都合三発。
「…………さて」
僕は城があった地点の上空から、眼下に開いた薄く煙を上げる大穴を見る。
さすがに模倣とはいえ《山徹し》だ。底に光届かない大穴が、ぽっかりと丸く作り上げられている。
中の人間は大体死んだはずだ。そしてもちろん、味方は無事。まだ聖騎士団は突入前だったはず。
それを示すように、視線を向けた先で僕を見上げ、オセロットは立ち尽くしていた。
そのオセロットの前に僕は降りる。上空まで届いた薄い煙は横には広がっていないようで、生の草が燃えたような青臭い臭いはこちらの方が薄い。
「新……」
だが落ち着いてもいられない。
降り立った直後、オセロットの背後から隙を窺っていたムジカル兵の頭を蹴り潰す。僕の出現を皆に伝えようとしていた彼は、正規兵らしく闘気を帯びているようで、少々堅い。
そしてその死体が倒れる前に、その死体の胸を突き破って伸びてくる槍がある。
「ぅ」
その槍を避けると、突き入れられた槍が引っ込みまた別の穴を穿ち槍が迫ってくる。手の込んだ嫌がらせのような攻撃の度、死体が動いて喉を鳴らして妙な声を上げていた。
「悪趣味な」
血塗れの鉄槍が伸びてきたところを横から蹴って死体ごと弾き、死体に隠れていた男の全容を露わにする。ちらちら見えていたが、もちろんムジカル兵。だが、このネルグの湿度ある森の中でも、ムジカルと変わらない木綿色の覆面で顔の下半分を隠していた。
男は舌打ちをしつつ槍を手放し、腰にあった剣を抜いた。その剣の中程が幅広い曲刀は、円武と呼ばれるムジカル特有の武術で多く使われるもの。
「その顔。 〈赭顔〉カラスとお見受けす。 御首級頂戴……」
「嫌です」
その男の口上を遮りつつ踏み込むと、それに合わせて男は身を翻す。
カウンターのように翻された身の陰から繰り出される鉄槌打ちと剣と膝。そんな一塊の鋭いコンビネーションを僕は手で弾いて感嘆する。なるほど、なかなかの使い手らしい。
円武。もちろん僕は正式に習ったわけでもないし、そもそもどういうものかも使い手に聞いたことはない。しかしムジカルで幾度となく使い手と手合わせはしているし、なんとなく理解はしているつもりだ。
身を回転させながら繰り出すコンビネーションが多彩。バックステップや前への踏み込みすら踊るように回りながら。そんなところだろう。
水天流も踊るように戦うといわれることはあるが、円武のほうが忙しいと思う。
一見隙だらけにも見えるが、その動きの中に蹴りや突きが牽制として入るので、知らなかった頃は本当に戦いづらかった。
まあでも今は。
「ぅぐっ!?」
もう一度と繰り返そうとする男にまた一歩踏み込み、腕の付け根を右拳で突いて動きを止める。手応えから、折れたのはおそらく肩甲骨、数本の肋骨、鎖骨。
彼らは一度動きを止めれば、そう変わった動きもしない。そこからの変化もあるだろうが、その先はあまり見たこともない。
そのまま肉薄しつつ鋭角に突き上げるように左拳を鳩尾に突き入れれば、剣状突起を折った先、手の先で心臓が潰れ、背骨が砕ける感触がした。
「……ぁっは……」
めくれ上がった覆面の中、口から勢いよく血を吐き出し、男が倒れる。
その他の乱戦も、やはり少人数相手ならば聖騎士団は強い。逃散する味方騎士団を見送るようにし、こちらも逃げつつある士気の落ちた敵兵を続々と斬り殺していく姿が見えた。
もう一人、オセロットの背後から、短剣を腰だめにして敵兵が突進してくる。こちらもほとんど音を立てないところからすれば、手練れのようだ。
だがオセロットはその誰かを視界に入れることなく、こちらを向いたまま腕を思い切り後ろに振る。その裏拳が当たり、首が奇妙な方向に折れ曲がったまま男は《山徹し》の開けた穴に落ちていった。
これで大勢は決しているだろう。
一応まだちょこちょこと争いは続いている。
指揮系統にそこまでの連携性がないため、一度に皆で退散する、ということが中々出来ないのがムジカルの弱点だろうか。さすがに正規軍ではそこまで極端ではないが、一つの目的のために組織だって動く個人の集団、というものがムジカル軍を表すのに適した言葉だと思う。
それでももうほぼ危険はない。
それを確認した僕は、立ち尽くすようにしていたオセロットに歩み寄り声をかける。
「ご注文通り巣に穴を開けました。大詰めですね」
「お……おう?」
報告はするが、反応は薄い。やはり《山徹し》を撃つこと自体信じられていなかったのだろう。信じられない、という感情だけがその見開いた目から感じられる。
「ここからは参加します。捕虜の皆さんを救出しなければ」
「……そ……そうだ……が!?」
だが僕の言葉に思い出したかのようにオセロットは焦る。そして穴に駆け寄り覗き込むようにした後、困惑の表情で僕を見た。
僕は先ほど地面を貫いた《山徹し》が届かなかった場所を指さす。
そこは、僕が区画ごと残した場所。
「さすがに別の場所に連れ込まれていたなどすればわかりませんが、捕虜が集められているのはあちらです。少々の兵とともに、まだ」
「…………お、おっしゃ!」
さすがに戦闘中の今まさに捕虜虐待が行われている、というわけではないようだ。しかしそれでも、三部屋ほどの牢獄のような区画内にまだいくらかは兵が残っていると思う。
先ほど二発目を放つ前に魔力波で確認済み。とりあえず、僕が潰した区画には裸の人間はおらず、そして捕虜の区画には鎧を着た人間が何人もいた。
「戦闘続行ぉ!! 態勢を整え包囲を完成させろぉ!!」
オセロットが叫び、もはや山の近くまで下がった騎士たちに呼びかける。
だが、聞こえてはいるだろうが彼らも混乱の最中だ。二千近い軍が、そんな簡単に方向転換できるわけがない。
「伝令に参ります!」
「応っ!」
近くにいた聖騎士が二人頷きあって駆け出す。それを見送り、オセロットは身を翻す。
「手が空いたものは続けぇ!!」
まとまってはいないが、同意の声が戦場のそこかしこで響く。
もともと城の北側にいたのは二百ほどの敵兵。周囲の陣からも増援が来ているので倍程度には膨れあがっているし、城の内部から出てきたのもいるようなのでおそらくここにいたのは五百ほど。その程度であれば、おそらく聖騎士団にとって役不足だろう。
……とは思うが、苦戦中なのは先ほどの魔法使い相手の負傷からだろうか。思ったよりは殲滅に時間がかかっている気がする。もしくはこれが、スヴェンのいう『戦場は想像を超える』ということだろうか。
僕を気にするように一度ちらりと見てから、オセロットが走り出す。
最短距離を進めるはずの場所に大穴を開けてしまい申し訳ないが、一応大回りすれば地続きだしそこは勘弁してほしい。
城の南側の一区画。ここだけは攻撃も当たらないように残しておいた。
大きな魔力を発していた魔法使いは二度目の砲撃で消滅し、そして城の修復はそれから行われていないので死んだのだろう。
しかしそれでも、蔦が絡まった強固な壁はそのまま残っている。門扉のない見上げる壁を跳躍して登れば、靴の下からネルグの大地のような寄り集まった植物の感触がした。
物見や弓兵を並べた防衛に使えるだろう城壁と建物の間。庭ともいえないわずかなスペースを見下ろせば、逃げ遅れたのか、それともまだ状況を把握できていないのか、武装した兵たちが四人ほど小走りで移動していた。
背後から後続が追いついてくる前に、オセロットは塀に足をかけて下向きに跳ぶ。加速のままに一人の頭を空中で掴むと、そのまま地面に叩きつけて砕いた。
「敵っ……」
「おらっ!!」
そして気付き身構えた二人のうち一人に浴びせ蹴りを食らわせ、押し倒すように地面に転がす。
その腰にあった剣を抜き、抜き打ちで首を掻き切った後、身構えていた最後の一人の胴を両断した。
さすが聖騎士団長、とも思う。先ほどの様子から見れば、普段使っているのは二丁戟なのだろうが、それを失っても別の武器を軽々と扱う。
僕が感心して見ていると、走っていた最後の敵兵がようやく振り返る。気づかなかったわけではなく、むしろ先ほどの二人の反応が早かったというところだろう。
もう僕が何をやることもないと思う。
そのままオセロットは奪った剣を投擲する。剣は革の鎧を軽々貫いて、その勢いのままに敵兵を突き飛ばすように沈黙させた。
僕はその惨状の向こう側、建物を見る。
そこの壁には芸が細かいことにいくつかの窓がある。明かり取りと換気のためだろう、壁の上部に鉄格子のように蔦が数本走るだけの隙間が。
その隙間からちらりと見える肌色。
ネルグの森には似つかわしくない臭いが、そこからも漂っている。
僕も飛び降りる。
「城壁よりも薄いみたいです。壁から入りますか」
「……俺がやる」
僕が指先に火を灯すが、オセロットは先ほど投擲した剣を死体から引き抜きつつ止める。血に塗れているそれを勢いよく振り下ろすと、血は飛沫となってすべて飛んだ。
軽くその剣を一度手近な壁に突き立てたのは、強度確認のためだろう。
壁の前に立ち、一息ついてから大きく息を吸う。
「ぉお……おおおおおおお!!!」
そしてうるさいほどに大きく叫んでから剣を縦横無尽に振る。その後、何事もなく残った壁を前にし、落ち着いたように手を落とし、一瞬遅れて蹴り飛ばす。
細かなブロックに分かれた壁が崩れ落ちる。その先は誰もいない廊下だったが、中から滲み出てきた空気に『人間の臭い』がした。
「…………」
オセロットも感じたのではないだろうか。一瞬顔を顰めると、追いついてきた聖騎士には一瞥もくれずに中へと足を踏み入れる。
僕はその後を、早足で追った。
一日ほどで衰弱する、というのは相当なことなのではないだろうか。
中にいたのは十数人の人間たち。幾人かは僕たちを見ると、怯えたように身を起こし顔を顰めたが、ほとんどの人間はそのままうつろな目でこちらを見つめていた。
老人はいないようだが、子供も含めた男女。おそらく女性の方が比率が大きい。彼らは全員が服を脱がされ、蔦製の手枷をつけて転がされていた。
血が流れるような怪我はあまりしていないらしい。怪我自体は見られるが、ほとんどが打ち身のような痣。それに、あっても擦り傷のようなもの。
「……安心しろ。味方だ。助けに来た」
端的に言ってから、オセロットは目をそらして奥歯を鳴らす。
目の前に転がる男女の裸体。そして臭い。肌を隠そうともしないほどの憔悴。されていたことは明白だろう。
近くにいる女性がオセロットや僕の身動きに反応して小さく声を上げる。震えるように。
「何か布を」というオセロットの言葉で、後ろの聖騎士たちが幾人かまた駆けてゆく。僕はそれを尻目に部屋を見回すが、扉はない。こちらも魔法使いが任意に開くのだろうか。
隣り合った壁の先からも身動きをする気配がする、ということは、この先にも捕虜はいるのだろうけれども。
「見張りは」
オセロットも遅れて確認しようとするが、開いていない壁に視線を阻まれ舌打ちをする。
「二人いました」
僕が応えると、オセロットは眉間に皺を寄せて僕へ振り向く。
僕はそれを無視して壁に手を当てる。生の木だからだろう。温度を上げなければ火がつかず、数瞬遅れて廊下に繋がる壁が焼けて人が通れる程度の穴が開いた。
そしてその先に倒れているのは、二人の敵兵。既に酸素欠乏で呼吸を停止している兵たち。今はまだ生きているだろうが、放っておけば死ぬ。そして僕は助け起こす気はない。
死に至る人間を跨ぎ進み、隣の部屋へと向かう。
部屋をわざわざ分けているということは、何かしらの意図があるのだろうが。
同じように壁を焼いて入った先には、年齢層の広い男性たちと、少数の女性が同じように裸でいた。
焼けた壁から僕が足を踏み入れると、臀部を血で濡らした子供らしさの残る少年が、喘ぐようにこちらを見て涙を流して手を伸ばしてきた。
僕はその手を取り、肌を焼かぬように手枷だけを燃やす。
「大丈夫です。助けに来ました」
「…………」
抱きつくように僕の外套に顔を埋め、嗚咽の声を漏らす少年。その後ろを見れば、落ちていたのは肛門に挿入する形の木製の器具。先端が血に塗れた。
なるほど。男部屋と、女部屋。こちらは女部屋か。
ぐったりした男女たち。その中で、僕と同年代の少女が、力なく僕の方を呆けた顔で見る。彼女に関してはまだ力と羞恥心が残っているらしい。僕を見てから、裸体を隠すように胸を抱いて身をよじった。
その彼女に僕は小さく「目を瞑って」と言って合図する。
迷っていた様子の彼女が瞬きをするように目を瞑る。間に合った。
その背後で、この部屋に駆けつけ、とりあえず僕へと槍を突き立てようとしていた革の鎧の女の首が、ずるんと落ちた。
捕虜の区画に残っていたのは二十人にも満たない兵士たちだったらしい。
捕虜への暴行に夢中になり、敵襲の警報が鳴っても中々駆けつけられなかった兵士たち。外へ出てきたものと比べても練度の差は歴然で、やはり聖騎士たちの敵ではない。
補給としての布が届き、元捕虜たちへと配布され体が覆われるより前に、城は鎮圧された。
捕虜は総計で百名以上。彼らの話では、出身は二つの開拓村に分けられるらしい。
一つは昨日、もう一つは一昨日襲撃に遭ったのだという。
問題になったのは彼らの処遇だ。
山を越えた先の陣まで、衰弱した彼らを移動させるのは難しい。
そこで彼らは今日は緊急で張った陣幕の中で治療を兼ねて一晩を過ごし、警護の兵をつけて明日後方へ送られることになった。
そんな報告を個人に向け、さらに聖騎士団団長直々に行う必要もないと思うが。
「いやはや、なんというかな」
陣幕が張られるのをぼうっと見ていた僕に報告を終えたオセロットは、申し訳なさそうにしきりにつるりとした頭を掻く。言いたいことがあるならば早く言えばいいのに。
というか、申し訳なさそうにも見えるが、そもそも申し訳ないのはこちらの方だ。
「申し訳ありません。調子に乗って城を壊してしまいまして」
僕は頭を下げないまでも、謝罪の言葉を口にする。
《山徹し》を三発も撃ったのは本当になんとなくだ。一発目で貫いた傷跡を再生し始めた城が気に入らなかった。ならば魔法使いを殺せばいいのかとそれらしいところを穿ってみた二発目。それで死んだ以上、三発目は撃たずともよかったのに。
城が残っていれば、陣幕を張るような手間もいらなかった。
少々手狭にはなるが、拠点としても使えたし、元捕虜たちを休ませる部屋にだって使えただろう。あの牢獄は嫌だろうという配慮は今回と同様必要だろうが。
だが僕の言葉を「いや!」と大きな声でオセロットは否定した。
僕は首を傾げるが、オセロットは僕に何も言わせまいと掌で制止する。
「甘く見てたよ。穴を開けるだけでいい、なんてな」
それから勢いよく頭を下げる。離れた場所でこちらを見ていた聖騎士が慌てたように顔を歪めた。
「こっちから頭を下げて力を貸してもらえるように頼むところを。……そうすれば…………。俺の了見が狭かったせいで余計な犠牲を出しちまった」
「あの……」
正直やめてほしい。立場というものがある。何というか、オセロットに悪意は見えないのでまた止めづらいが、本来彼は簡単に頭を下げられるような地位の人間ではないはずだ。
それもクロードのように意図的に立場を無視しているのではなく、彼は真面目にやっているようでそれもまた心苦しい。
「こっちこそ申し訳ない!」
「あの、頭を上げてください。聖騎士様に頭を下げられるような身分ではありませんので」
僕の言葉に勢いよくオセロットは頭を上げる。別に命令を聞いたから、という感じでもなく。
「それだけ謝りたかった! そんだけだ! すまねえ!!」
ぎらりと眼光を走らせるように僕を見下ろしてオセロットは言い、踵を鳴らして身を翻す。去って行った彼に向け、「お疲れ様です!」という声援のような声が聖騎士から飛んでいた。
オセロットの去った後、僕は元捕虜たちのために作られた陣幕をまた遠くから眺める。
聞こえてくるのは泣き声や諍いの声。それを発せられるのはまだ元気な者たちだけだろう。
中にいるのは互いの無事を喜び抱き合える者たち。そして互いの無事を知りながらも抱き合えない者たち。
彼らは今日中にここにやってくる治療師団に治療を受ける。治療により、きっと彼らは健康になるだろう。怪我は癒え、栄養ある温かい食事を食べて明日には歩けるようになる。
それでも、元通りの生活はやってこないのだ。
チチチチと僕が斥候を頼んだ鳥が、僕の頭上から呼びかけてくる。これだけの人間の群れの中から僕を探し出すとは、視力もいいらしい。鷹の目は特にいいと聞くが、鷹ではない彼もそうなのだろう。
「ええ。済みました。戻ってきてもいいですよ」
了解の声を上げる鳥が森の中へと戻っていく。
彼らを見送った視線をそのまま下げて、遠くから歩いてくるレシッドたち三人を見つけ、僕は今日の寝床をどうしようかと考え始めた。
 




