閑話:一騎当千
今日の二話目
まだか。
先頭を走る聖騎士団〈孤峰〉団長オセロットは焦っていた。
予定では、ここで敵陣に入ると同時に。接敵と同時に城門をこじ開ける予定だったはずだ。
しかし、背後にその様子はない。
「うおおお!」
大人二人ほどの長さの槍を携え、槍衾を組んだムジカル兵が、ちょうどオセロットに槍を向けて咆哮を上げる。その咆哮に応えるよう、オセロットも両手を交差させ二丁戟を肩に乗せるようにし、跳ぶ。
見上げるように槍衾が歪んで上を向く。
だがオセロットの跳躍は更にその上を行き、槍の中腹を踏みつぶすように着地する。
槍が重みに負けて垂れ下がり、穂先が地面に着く前に、振り払うように腕を開いたオセロットの戟の先で前の男の胴から上と二つの首が同時に飛んだ。
跳び乗った槍を踏み折りつつ跳び、槍衾の背後にいた今まさに矢を射たばかりの弓兵の胴を一振りで重ねて飛ばす。そのまま振り返り、自身の背後を狙って槍を出そうとしていたムジカル兵たちの首や急所を引き裂けば、卵のような綺麗な頬に血の滴が細かく飛んだ。
ようやく他の聖騎士が追いついてくる。槍を手に、混乱しつつある槍兵たちを蹂躙すべく。
まだか。
その兆候はない。
振り返れば、山の麓に空を飛ぶあの魔法使いの姿が小さく見える。手に光を纏い、それを翳しているようにも見える。
だが、まだなのだろうか。
オセロットの脳裏に、魔法使いカラスの悪い噂がじわじわと這い出してくる。
魔道具を使い、魔法使いと周囲を偽り仕事を受けて大金をせしめる詐欺師。
手練手管と口先だけを使い、身の丈に合わぬ評価を恣にしている身の程知らず。
イライン近くで活動することが多かったオセロットはそんな噂をどこかで聞いたことがある。そして、嘘ではないと思っていた。本当だと思っていたわけでもないが、本人と会っていない以上、否定する材料が存在しなかったために。
だが今回の戦争に参加すると聞いて、そしてその戦争に参加する同輩のクロード・ベルレアンとテレーズ・タレーランが口を揃えて『そんなわけがない』と明るく笑うのを見て、その態度を改めた。噂を否定する材料になると思った。
それが。
視線の先の魔法使いは魔法を使わない。
手の先に見える光が何かはわからないが、放たなければ何の意味もない。
考え直していたはずのカラスへ向けた猜疑心が頭の中で顔を覗かせる。
まさか、やはり噂は本当だったのだろうか。
ベルレアンとタレーランはその詐欺師にすっかり騙され信じてしまっているのだろうか。
あの魔法使いは今まさに後悔しているのではないだろうか。
たしかに、オセロットも聞いたことがある。『魔法使いカラスはとある仕事の折、竜を殺すために《山徹し》を放った』と。
《山徹し》とは奇跡の産物だ。王国の記録に残る中で、個人が放つ最強の砲撃。
それを放てる人間もただ一人しかおらず、手を離した矢に闘気を乗せるという神技を用いて行うもの。
もちろん、それが本当に放てるとも思っていない。彼自身『模倣』とも言っていた。
ならば闘気を用いず、その攻撃を魔法で再現するという程度のものだろう。
だがそれでもあの威力、その凄まじい威力を単身で再現できる魔法使いなど聞いたこともなく、出来る者がいるとしてもそれこそ神話の話だ。
放てるとすれば先代の勇者、もしくはその従者〈妖精〉アリエル。
あの男が、それに匹敵するとは思えない。
やはり、無理な話だったのだろうか。
《山徹し》を放てるなんてあり得ない。魔法使いというのも本当だろうか。今まさに視界の中で空を飛んでいるが、空を飛べる魔道具もないわけではない。魔法使いの真偽すら、こうなってしまえばもはやわからない。
昨日は頭に血が上り、無茶な命令をしてしまった。それで追い詰められたということもあるかもしれない。引っ込みがつかなくなったということもあるかもしれない。
だが、許せるものではない。自分は既にここにいる。戦場には数多の兵が既にいる。
もう後戻りは出来ないのだ。撤退をしようとも、怪我人もいるだろうし、既に騎士団の中には死者が出ていてもおかしくはない。
跳びかかってきた男女の腹に戟を突き刺し振り飛ばす。
背後から迫る誰かの剣を戟で受け止めひねって弾き飛ばしながら突く。そう雑に処理しようとも、雑兵などオセロットにはものの数ではない。
魔法でも、魔道具の一撃でもいい。カラスには、とにかく何かをする義務がある。
早く。早く魔法を放て。そう憎しみにも似た感情を込めて、オセロットはカラスを睨む。
その視線に応えるかのようにカラスは笑い。
次の瞬間オセロット以下、その場にいる全員の視界が、真っ白に染まった。
「うおっ!!」
「ぎゃぁっ!?」
戦闘を止めて、誰しもが伏せるように体を屈める。上空に吸い込むように吹き荒んだ風を凌ぐべく、休戦の誓いを立てるように皆が武器を引いて地面にしがみついた。
音がした。何かが破裂し続けるような鋭く高い音。耳を劈く轟音が一瞬響き、それから急激に遠ざかってゆく。
煙の臭いがする。何かが焼けたような、生臭いような。
皆が眩んだ目を細め、暗闇の中でようやく空の色が見えるようになった頃。
まだ風も落ち着かぬ中、城を見た者たちが、また驚きの声を上げる。
「…………っ!!」
立ち上がったオセロットも噴き出すように笑いつつ、驚きの声を上げる。
穴を開けた、どころではない。
城の西側は三分の一程度が吹き飛び、そぎ落とされつつもわずかに残っていた西の城壁だけがその元の形を誇るように残っている。
地面は抉れ煙を立てて、城の向こうまで続く道を作っている。その奥の方は隧道のように地下に繋がり、どこへ続くともわからない暗闇が青空の下にくっきりと見えた。
「…………《山徹し》、か」
眩んだ目に視界が戻り、先ほどよりもはっきり見える。
先ほどまでの考えが全て霧散した。なるほど、これは山徹しだ。紛れもなく、狐の恐怖に震えていた自分を救ったあの日の光そのもの。
振り返った先に、まだあの青年が浮かんでいる。
一つの行いは百の言葉に勝るという。
その行動は、猜疑心に塗れたオセロットを説得し、その心の澱を拭い去った。
疑って悪かった。そう、何度も心の中で謝罪する。彼は山師などではない。詐欺師などではない。確かにその魔法で、山徹しを模倣してみせる強力な魔法使い。
神話に出てもおかしくはない、とオセロットは思った。そうなって当然、とも。
魔法使いは、強力な魔法を使う度に魔力を使い、疲弊するという。
ならば城を半壊させるような魔法を使えば、半端な《山徹し》とはいえ、その疲労は想像に難くない。おそらくは今疲労困憊で倒れそうになっていることだろう。
謝罪をしつつ、オセロットは心の中で言葉をかける。
今は休め、ここからは自分たちの仕事だ。
息を吸い、大きく口を開けて叫ぶように言う。
「門が開いたぞ!! 突っ込めー!!」
その声に応え、思い出したかのように聖騎士たちは目の前の敵兵を切り殺していく。叫び声が上がり、血飛沫が戦場に舞う。
オセロットも手近な兵を屠りつつ、城内部に入るべく駆けだしていく。
だが、とその足がすぐに止まる。
城に開けた大穴。
その穴から這い出すように出てきた一人の兵の圧力に、足を止めざるを得なかった。
「なんだ? 今の攻撃は魔法使いか!? エッセンのくせに!!」
重装の鎧。その材質は鉄兜を除きムジカルらしく革製。しかし大げさなほどにその鎧の範囲は大きい。膝下を覆う足甲は膝の上まで突き出し、手甲は前腕部分から手の先までを一体化して覆う。
顔までを覆うごつごつとした印象の鎧は動くことすらままならぬ様子で、それでもその男は平気で歩いて外へ出てきた。
「ここは最前線! 引き下がれねえ通せねえ! 遅れちまったがまだ間に合うな!? 押し返すぞおらぁ!!」
叫び鼓舞する男の後ろから、城内に残っていた兵たちがぞろぞろと走り出てくる。
籠城戦はしない、という宣言のようでオセロットはわずかに安堵したが、それよりも焦りが浮き出てくる。
男の背後、兵たちのすぐ後ろ。城に空いた穴が再生し始める。蔦がシュルシュルと音を立てるように伸び、穴を塞ぐべくまた壁を作り始める。
まずい。その様を見て、オセロットは駆け出そうとする。
せめて自分だけでも入らなければ。もはや罠があるかもしれないなどと言ってはいられない。あの魔法使いの力に報いなければ。ならばこそ邪魔な目の前の魔法使いを……。
「ふん」
しかしその魔法使いの胸に突き出した戟の穂先、刺と呼ばれる部分は深く刺さらず、逆に。
「ぶわっ!?」
魔法使いの体の動きに合わせ、オセロットの体が吹き飛ばされる。刺は胸部分の革にわずかに突き刺さったものの、それ以上の効果は発揮しなかった。
乱戦中の兵たちに、オセロットの体が激突する。たまたま刺さる角度にあった槍の穂先をオセロットは身をひねることにより回避したが、そこにいた騎士とムジカル兵は共に骨を折る怪我を負った。
「てめっ……」
「おらぁ!!」
起き上がったオセロットに向けて、魔法使いが死体を蹴り込む。その死体はまるで砲丸のように宙を飛び、オセロットにぶつかり嫌な音を立てた。
ムジカルの魔法使い、ビットリオと名乗るその男は〈嵐弾〉と呼ばれている。
その魔法はいうなれば、反発力の増加。
通常物体を指で弾けばその指に込められた力なりの動きをする。軽い力で石を弾けば近くへ飛び、強い力で石を弾けば遠くへ飛ぶ。そうなるのが道理だ。
そしてその距離は、対象が同じもの、同じ力であれば誰が行おうと変わらない。誰かの弾いた石が一の力で一の距離飛ぶならば、仮に別の誰かが一の力で弾こうとも一しか飛ばないはずである。
しかし彼は違う。
それを彼が発見したのは、遙か昔の幼少時代。ムジカルの子供たちの中で広く行われている『お邪魔』という遊びの最中だった。
お邪魔は、子供らしく簡単な遊びだ。平坦な木の板を用意し、自陣と敵陣を両端に作り、そこに適当な石や硝子を駒としていくつか並べる。それから交互に自分の石を指で弾き合い、木の板から相手の駒を全て弾き出せば勝利、というもの。
子供の遊びらしく、もちろん上手い下手はあれど、勝敗の多くは運に左右される。
そんな中、彼は無双することになる。
この世界にも、保存則というものは一般的に存在する。通常の駒は別の駒を弾けばその運動を止め、その力が伝わった駒だけが動いていく。それが当然だ。
しかし、彼の弾いた駒はその法則には従わない。彼が軽く弾いた駒は、その直線上にいる駒を悉く弾き飛ばし、わずかに接触しただけの駒さえ板の外へと追いやった。
そしていつしか、彼はその力が遊び以外にも使えることを知る。
彼が力を込めて人を叩けば、込められた力以上に人は飛ぶ。
軽く頭を小突くだけで、その頭は胴体を引きずって往来を遠くまで飛んでいった。石を投げてもそう飛びはしないが、足で弾けば遠くの石壁を軽く抉った。
鎧に突き刺さろうとする剣は払えば軽くひしゃげ持ち主を弾き飛ばす。叩く棒は跳ね返り、その棒につれられて殴ったものが飛ぶ。
肉弾戦では無敵の力。そう彼は感じ、そして魔法使いならば、それは真実だ。
「おらあああぁぁぁ!!」
自身が弾き飛ばしたオセロットを追うように、男は走り出す。その先は乱戦を続ける人だかり。聖騎士が優勢となり、押し潰されつつある自陣の兵たち。
それを構わず彼は走り抜ける。
「ぐえっ!!」
「あぁっ!!」
聖騎士の白い外套が軽々と飛ぶ。飛ばされた聖騎士は別の誰かにぶち当たり、その誰かを弾き飛ばす。
矢も剣も軽い衝撃を彼に与えるだけで跳ね返され、持っていた誰かはその陣営の区別なく吹き飛ばされていった。
(魔法使いか!!)
受け身をとったオセロットはその体当たりを迎え撃つべく体勢を整えるが、踏ん張りを整えると同時に襲いかかった魔法使いの肩があばらを軋ませた。
「……っっ!!」
そして、竜の尾すら耐える踏ん張りを無効にするような衝撃に驚愕しながら、またもや弾き飛ばされる。そんなオセロットを見ることもなく走り続ける魔法使いの姿を見ながら、長い距離を転がっていった。
悲鳴が響き続ける。咳き込みながら立ち上がるオセロットは、今もなお挽き潰されるようにいいように弾き飛ばされ足並みを崩されつつある部下たちを見る。
魔法使いの存在は、戦場において脅威の一言だ。
このネルグの森に城を築き、そしてその城壁を貫くような一撃を単騎で放つ。
そして今まさに、正体はわからないが、その魔法を用い鍛え上げた精鋭たちをいいように踊らせている男。
先ほどまでは、一応戦いは優勢だった。
しかし今はまさしく逆だ。たった一人の魔法使いの登場で戦いの天秤は大きく傾き、趨勢は変わろうとしている。
魔法使いに続いて戦場に現れた兵たちは、体勢を崩された騎士たちを狩るべく動いている。
今まさに視界の端で、誰かの胸が貫かれた。命尽きるその瞬間まで戦い抜いてくれた勇敢な騎士、同胞が一人。
「が、ぐ……おあぁぁぁぁぁ!!!!」
オセロットの叫び声が戦場に響く。込めたのは憤怒、そして、気合い。
全身に込めた闘気を立ち上らせ、白い光に包まれる。こんなところで負けてられるか。こんなところでやられてたまるか。
こんなところで部下たちが殺されるのを、黙ってみていられるものか。
城の補修は進んでいる。門は閉まりかけている。
こちら側が有する魔法使い、その乾坤一擲の攻撃が無駄になりかけている。
そうはさせるものか。許せるものか。
断じて許せない。許せねえ。
矢のように駆けながら、手近な兵たちを殺して進む。
戟の先。鎌のような枝に引っかけながら、振り回し、魔法使いのお株を奪うように吹き飛ばしてゆく。
聖騎士の一人はそれを見て歓喜に表情が緩む。
〈孤峰〉団長は、ここからが本番だ、と。
「うわらぁ!!」
走り、障害物を弾き飛ばしながら駆けていた魔法使いの背に、オセロットは切り込む。
「馬鹿な」
だが笑う魔法使いの表情を崩すことは出来ず、二丁戟は共に弾き飛ばされ、それを握るオセロットも後退した。
オセロットを気にせず、魔法使いは自らの手を振る。張り手のようにぶち当たった手に、聖騎士の一人が口から血を吐きながら仰向けに倒れた。
それからゆっくりとオセロットに振り返る。
「聖騎士団長とみた。手柄首、この千人長である〈嵐弾〉のビットリオ様がもらう!!」
「させねえよ!!」
また武器が弾かれ、今度は左手の戟が後方へと飛んでゆく。
誰かに刺さったようで誰かの悲鳴が聞こえたが、オセロットは振り返ることが出来なかった。
魔法使いが両手を振る。魔力で強化されているとはいえ、およそ武術など何一つ身につけていない大男の愚鈍な一撃。その一撃一撃をオセロットは抑えず当たらぬよう必死に避ける。
「はははは! 逃げろよ逃げろ! おらぁっ!!」
「くっそがぁぁ!!」
当たれば弾かれ体勢を崩される。その一撃は魔力の込められた強力な一撃で、闘気を纏う自分すらも傷つけることが出来るもの。そう理解していれば、当たるわけにはいかない。
それを嘲笑うかの如く、魔法使いは無造作に死体を蹴り飛ばし、オセロットにぶち当てる。その死体にも効果は残り、オセロットは強制的に体を倒されそうになり大きく踏ん張った。
そして、その両腕を、魔法使いが掴んで引き寄せる。
「捕まえた」
反射的にオセロットはその膝を蹴るが、その衝撃は鎧の奥までは伝わっていないようで、逆に弾き飛ばされた足が股関節を引き延ばしビキと音を立てた。
「俺はよぉ。当てたもんを弾き飛ばす力がある。今見てもらったとおりな」
「それがなんだゴラ」
「もちろん俺は頭突きでも同じことが出来る。けどよ、俺が捕まえて、体が飛んでかねえとなったら、どうなると思う?」
はは、と魔法使いは笑い、分厚い兜を着けた頭を後方へ振り、溜めを作る。
「だぁっ!!」
振り下ろされた鉄槌のような男の額、鉄兜。それがオセロットの顔面を強かに打ち、そして弾き飛ばされようとする頭は、連れていこうとした胴体が着いてこないのに腹を立てるように首をビキビキと鳴らした。
「俺はよぉ。こんなところで止まってる器じゃねえんだよぉ。お前の首を取って、五英将まで上り詰める器なんだ、よぉっ!!」
「ぶがっ」
またもう一撃がオセロットの顔面に当たる。鼻血が噴き出し襟元を血で染めた。
前歯が折れた感触もある。もっとも、修業時代にそれは全て差し歯に変わっていたが。
「イグアル様の下でなんて、長くやってりゃ身が持たねえ。早々に、よぉっ!!」
もう一撃。その衝撃にオセロットの意識は飛びかけたが、舌を噛んで意識を復活させる。
根性の問題、ならばオセロットに負けはない。
「頑丈だな!! イグアル様に当たんなくてよかったなぁ! 優しい俺で……よぉ!!」
もはや首の筋肉も千切れる感触がある。闘気により治癒能力が高くなっているとはいえ、限界がある。
手を振り払えばいい、という言葉がオセロットの胸中、どこかで響く。
しかしその選択はとらない。気に入らない。こんな男に負けるなど。
ここで逃げては、ただの負けだ。こんな男に負けを認めるなど、自分の人生にあってはならない。
正面から勝たなければ。正面から。
「……効かねえなぁ」
オセロットは血塗れの顔を歪めて魔法使いに笑いかける。その笑みは歯の抜けた滑稽なものだったが、その迫真さに魔法使いには滑稽さが感じられなかった。感じられたのはそれとは違うもの。不気味さ。
「あぁ?」
「効かねえってんだよ。ムジカル人の兜は柔らけえなぁ!!」
もう一撃、と言葉を止めるように魔法使いはオセロットの顔面に額をぶち当てる。
だが通常の城壁ならば大破させるその強大な衝撃も、オセロットにとっては涼しいものだ。
特に、その魔法使いの兜に、歯でへこんだ跡を見つけた後では。
「効かねえ。どーやらムジカルの連中は頭突きの仕方すら知らねえらしいなぁ」
オセロットは、持っていた右手の戟すら手放し、手を空にする。その上で、動く肘から下を使い、魔法使いの鎧の胴部分に手を掛けた。
「頭突きってのはなぁ……」
そして自らも振りかぶり。
「……こうすんだよぁ!!」
自らの顔面を、魔法使いの兜にぶち当てる。
そしてその衝撃で自らの頭はまた弾き飛ばされ首は痛み、揺れる視界の中で魔法使いの顔が歪んだのを確認した。
しかし兜と顔面の強度の差は明白だ。
「ば、ばっかじゃねえの? 効かねえよそんなもん」
半笑いで、たしかに感じた自らの額の痛みを魔法使いは覆い隠す。確かに感触はあった。自分が頭突きをするときもそうだが、もちろん当たる感触は。
《嵐弾》の魔法は、余人に伝わるよう簡略化すれば、相手に伝わる衝撃を増加させるものである。衝撃が伝わった相手の攻撃を妨害することはあるが、ビットリオ側の衝撃を緩和する効果はない。
固いものを叩けば自分も痛いし、叩かれれば自分も痛い。
それ故に、彼は自身の体を分厚い鎧で覆った。
しかし、それ以前に。馬鹿なことをと魔法使いは笑う。
頭突きとは通常、頭蓋骨の固い部分で行う。額しかり、場合によっては後頭部しかり。
だがオセロットが当てているのは自分の顔面。たとえ闘気で強化しようとも、魔法の力も相まって、もはや痛みでは済まない領域に達しているだろうに。
笑い飛ばされたことをまた自分も笑い飛ばし、オセロットは唇を吊り上げる。
「ははぁ……そうかよ」
そしてまた、自らの首に力を込めた。
骨を断たせて肉を切る。副都ロズオンの悪童と呼ばれた時分から変えられない自分の戦法。
変えるわけにはいかない。負けられない。
「じゃあ何百発でもやってやらぁ!!」
金属同士がぶつかるような音が、剣戟や怒声に紛れて戦場に響く。
次いで、魔法使いとオセロットにだけ聞こえるように、鉄の兜が地面に落ちた音が響いた。
「……は?」
「だらぁ!!」
オセロットはまた魔法使いの額に向けて顔面をぶつける。
闘気で強化されたオセロットの顔面は鉄のような固さで魔法使いの額に迫り、その衝撃を全て伝える。
弾かれながらも手応えを得たオセロットは、首の痛みを無視したまままた振りかぶった。
「もう一丁っ!!」
「ぼ……が……」
そして頭蓋骨が陥没した感触。それがどちらのものかはオセロットにはわからなかったが、それでも魔法使いの力が抜けたのはわかった。
縋り付くように崩れ落ちる魔法使いの腕を振り払い、オセロットは鼻の形を直し、片鼻を塞いで鼻血を噴き出す。それを繰り返した後、俯せに倒れた魔法使いの首を踏み砕いた。
そこまできて、はたと気がつく。
城壁を見て止まる。眼前の脅威は去り、魔法使いは消えてまた聖騎士団は優勢になっている。
だが、その目的は……。
見上げる先、城の修復は進んでいた。蔦は絡み、噛み合い、密な壁を生成している。当初空いていた穴はほとんど塞がり、支柱のように縦横に既に走っている蔦の形からしても、もはや人が入れる隙間ではない。
遅かったか。血の味しか感じない口の中でオセロットは舌打ちをした。
駄目だ、これではもはや城壁は元通りで、中へ踏み込むことは出来ない。
一か八か、ここを騎士団に任せ、残る聖騎士団全員で罠を覚悟で壁を越えて飛び込むべきか。後詰めを作りゆっくりと攻め上げていくことは出来ないまでも、中にいるだろう築城した魔法使いまで届くかもしれない。
しかしおそらく五百以上は残った城内の兵。それを蹴散らしつつ進めるだろうか。
振り返り、小さく見えるカラスを見つめる。
もう一度《山徹し》を、などというわがままは言えない。彼は確かに務めを果たしたし、その機会をものに出来なかったのは自分たちのせいだ。
一度は城を半壊させたのだ。
あれだけの大技は、そう何度も放てるものではあるまい。
くやしいが、ここは……。
「退けー!」
オセロットは叫ぶ。退却だ。予定通り。ただし、カラスはきちんと予定通り城門を突破してくれたが。
申し訳なく思う、が仕方ない。今回は敵に被害を与えるだけ与えた。それは確かに戦果で、それ以上を望むべくはないはずだ。
捕虜のことも考えて、すぐにここに来たいところだが、今度はカラスときちんと足並みを揃えて、もっと効果的にその魔法を運用させてもらわなければ。
だがまずは。
「退けー!! 聖騎士団は残り追撃を抑えろ!!」
報いれなかった。その事実に悔しく思いながらも、オセロットは自身に食い下がろうと飛びかかってきたムジカル兵を切り捨てる。闘気を纏っているその兵は、騎士団では相手に出来ないところも多いだろう。
「退けーっ! 退けーっ!!」
あらん限りの力を使い、オセロットは声を張り上げる。ようやく、友軍の死体を見捨てるように、背を向けて走り出そうとする者たちが出始める。それでいい。次のことを考えなければ。
騎士たちを追おうとするムジカル兵の背を聖騎士が切り払う。
先ほどの魔法使いの攻撃や、闘気を扱えるムジカル正規兵の攻撃で傷つきつつある彼らも、この場に留まるのは自殺行為だ。
聖騎士は全員、一対一ならば、何千人と戦っても負けないとオセロットは信じている。しかしここでは多対多の連続。不測の事態に損耗していくことも考えれば、ここで長居はしていられない。
「退くぞおぉぉぉっ!!!」
オセロットは叫び、皆を促す。聖騎士たちも退却のために距離を取り始める。
その時だった。
戦場がまた白く染まる。
ゴゥ、と風が鳴る。先ほどと同じく破裂音が響き、上空に風が巻き上げる。
先ほどよりも強い光、大きな音。それらに目を瞑り、信じられない、とオセロットは眩んだ目を瞑り急いで視界を取り戻そうとする。
嘘だ、とオセロットは思う。
これはまさか、先ほどの《山徹し》。しかもそれよりも強く、規模が大きな。
その場にいる誰しもがそう思った。これほどまでに大きな攻撃を、二度も。
まだ眩んでいる視界の中で、城の上半分が抉れているのが見える。
焼けたような生臭さが鼻に届く。
嘘だろう、と思った。オセロットは半壊した城がもはや何かの見間違いにも見えて、瞬きを繰り返しその幻を振り払おうとする。
あまりにも都合がよすぎる。まさか、あのカラスが《山徹し》を二度も放ったというのだろうか。
魔法使いにしても、一人が行うにしてはあまりにも強大な破壊。
地形を変え、城を壊す攻撃を、二度も。
城が半分焼失し、そして再生が始まらないということは、おそらく今の砲撃で敵方の魔法使いは死んだのだろう。
一人で叩き出すにしてもあまりにも大きな戦果。まるで、〈山徹し〉デンアのような。
乾坤一擲に値する魔法だ。
おそらく使った魔力も甚大なものに違いない。精神力ともいいかえられるという莫大な魔力を用い、行われた攻撃。それを、二度も。
信じられない、とオセロットは何故だか泣きそうになりながらカラスの方を見返す。
規模からすれば、一発でも疲労困憊になっておかしくないだろう魔法。オセロットも魔法に詳しいわけではないが、経験上、魔術師には起こせないだろうと予想できる強力な事象。
そこまで我が身を振り絞ってくれたのだろうか。
ならば無駄には出来ない。
聖騎士隊はここに残り、残りのムジカル兵を掃討する。そして捕虜を救出する。
そうしなければ。そうして報いなければ。
きっと、彼も今困憊の極みに達していることだろう。
その努力に敬意を表して、後は任せてくれ。
そう伝わらないであろう伝言を胸に、見返した先。
オセロットの視界の中。
いつの間にか上空まできていたカラスが光を帯びて動く。
そしてその日三度目の《山徹し》と、城がわずかな区画を残しほぼ消滅する様を直視して、オセロットは脱力感を覚え何故だか吹き出る笑いが抑えられなかった。




