山を隔てて陣を張り
初めての人間の襲撃後、日暮れ前についた拠点。そこは元開拓村だったらしい。
既に到着していた聖騎士団や騎士団は、その周囲の木々を切り倒し、開けた空間を作り、その元開拓村を取り囲むようにして陣を張っていた。
参道師は〈孤峰〉団長に状況などを確認、報告するために走っていく。
それを見送り周囲を見渡せば、僕たちと違い激戦を繰り返したようで、鎧が傷つき、怪我に包帯を巻いた兵士が多く見えた。
〈孤峰〉に付き従っている兵力はおよそ二千だが、その全員がここにいるようには到底思えない。道中の拠点確保や別ルートの移動のため、既に大分分散しているのだろう。
切り株の大量に残る開けた地面で、ちらほらと焚き火が燃えている。
皆、待機は村の周囲らしい。村の中にも人間はいるようだが、そう多くはない。引き倒されるように歪み、継ぎ目が折れて剥がれている木の壁の向こうを見れば、数人がちらちらと見えるだけだ。
僕はそれを見て、溜息をつく。
開拓村は通常大きくても二百人ほどの集落が一般的で、ここは更にやや小規模だと思う。当然二千人規模を収容できるような施設はない。
しかし皆が村に入らない理由。それは、収容施設がないから、という理由だけではない。
「カラス殿、申し訳ない、こちらへお願いできましょうか」
その理由を想像し当たりをつけながら僕の隊に一旦解散を宣言したとほぼ同時に、村の中から、聖騎士を示す白い外套の人物が僕の名を呼んだ。
まだ夕焼けが照らす村。僕は聖騎士に案内されるがまま、その中を歩く。
恐らくまだ若い村だったのだろう。残っている木造の建物の風合いからして、建築されてからまだ五年ほどしか経っていないようなものばかり。
細い根が絡まるネルグの地面も、長年踏み固められればなんとなく平坦なコルクマットのようなものになる。だがそれもまだ荒々しく細かくうねったままだ。
そして村の中は村人らしき人間の姿はない。動物の気配も、なにも。
ただ足音を殺す聖騎士たちが、わずかに歩いているだけで。
静かな村。そこには、ほんのわずかに、焼け焦げたような臭いが漂う。
風が吹いてそれが強くなったのだろう。斜め前を歩く聖騎士が顔を顰めたように見えた。
「どこまで?」
「恐らく村の者が集会場として使っていたであろう建物がありました。そこで、団長がお待ちです」
僕相手でも丁寧に喋る聖騎士は、そうしてわずかな怒りを湛えているのを隠しているのだろう。僕に向けた怒りでもないだろうが。
大抵の開拓村は、その中央にシンボルのような大きな建物か、大通りの交差点がある。都市計画というほどの大げさなものではないが、そうやって何かを基点に建物などを配置していくからだ。
そしてこの村は後者。大通りの交差点で、広場のように使える場所があったようだ。
この村でも最も地面がよく踏み固められており、多分新年祭などの祭りや催し物もここでやっていたのではないだろうか。
何の根拠もなしに、ここで村人たちが輪を作り、中央に焚いた大きな火を囲んで笑いあう姿が目に浮かぶ。
酒を酌み交わし、日々の苦労を忘れて今日だけは、と晴れやかな顔を見せる。若い男女はこの機会に、と親睦を深め、開拓村の未来の基となる子供を作るべく行動を起こす。
村に一人はいるお調子者が剽軽な踊りを見せて、それを笑いものとしたり真似したり。子供もいたらしいこの村では、火の回りを駆け回りはしゃぐ子供たちもいただろう。
そんな場所には今、焼け焦げた遺体が積まれて山となっていたが。
聖騎士は意識的にそこから目を逸らしているようにも見えた。見たくない、というわけではない。その意気からすれば、見てしまえば自分の感情を抑えられなくなるからではないだろうか。
僕はそこをまじまじと見て、歩み寄る。植物の焦げた臭いもするが、これは衣服などから。そしてそれ以上に濃い肉の焦げた臭いが、近寄れば更に濃密になった。
炭化し、表面は真っ黒になった遺体。燃料はその辺りにあった建物から引き剥がした建材、それに油だろう。
乱雑に積まれた遺体の素性はどれもわからないが、筋肉の少なさや体格から壮年以上が主。
閉じて硬直している口を崩しながら強引に開けば、その中はまだ生の肉が見えた。
僕は振り返り、歩いてきた廃墟を見る。
血は所々流れているが、そう多い量ではない。建物も破壊されているが、全壊どころか半壊に至るまでのところは皆無だ。
その様相は、今まで通ってきた小規模な拠点にも似ている。
やはりと思う。
この村は襲われたのだ。魔物や動物などにではない。人間に。
「…………」
背後から聖騎士に無言で促され、僕は会釈をして先を急ぐ。
集会場へと向かう道。もう一度、と死体の山を見れば、誰も意図していないだろうが建材がその頂上に十字架のような形を作っていた。
集会場、といってもやはりここは小さな村。ダンスホールのようなものでもないし、体育館のような箱物ではない。小さめの一部屋しかない一軒家に、大きな机がドンと置かれているだけのようなもの。
入り口は通常の扉と同じようなもので、さらに中央に置かれた机はそこから入れられる大きさではない。六畳ほどの広さの部屋に合うよう、机はその中で作られたのだろう。もしくは机を入れてから壁を作ったか。
田舎の集会場。そこには上座も下座もないと思うが、その入り口から一番離れた上座に、腕を組んだまま第八位聖騎士団〈孤峰〉団長・オセロットが座っていた。
「失礼いたします。ミルラ・エッセン麾下カラス、参じました」
僕の適当な挨拶を、眼光鋭くオセロットは見据える。
その顔は怒っているようにも見えるし、スキンヘッドも相まって細身ながらに迫力がある。
ちらちらと揺れる松明の明かりに照らされ、これは完全に気のせいだろうが目が潤んでいるようにも見えた。
「……明日の作戦行動について、相談があってよ」
言いつつ、オセロットは机の上に視線を向ける。そこには急ぎ描いたようなこの辺りの地形図に、丸や三角に凸に似ている図形などで、様々な情報が記されている。
「相談とはまた」
僕が思わず軽口を叩こうとすると、オセロットはじろりとそれを見て止める。思わずクロードに対するように応えてしまいそうになったが、それよりも彼はテレーズ寄りらしい。いや、それよりもこの状況下では、その二人も許してはくれないだろうが。
「失礼いたしました」
「…………」
もう一度、とオセロットは無言で地図に目を戻す。それから指で軽く地図上の一つの丸を指で叩いた。
「ここが、今俺たちがいる開拓村だ。周囲の地形の把握はしているか?」
「いいえ。先ほど着いたばかりなので」
それに初日宿泊しようとしていた開拓村とは違い、ここまでイラインから離れた場所は地形図を暗記もしていない。ネルグの幹の位置からしてまだネルグ南西に位置する場所だろうが、大まかな位置関係ならばともかく、ネルグの広大な地形図を全て暗記するなど長年かけなければ僕には無理な話だ。
しかし、と僕も地図に目を戻す。
恐らくこの三角は山、それに等高線のようにいくつか線が引かれ、近くには川があることも把握済みらしい。
地図は猟師や商人、騎士や衛兵など、作り使う人間の種類によって描き方が違う。聖騎士の作る地図は、当然のように騎士団の作る地図と同じようなもののようだ。
……ならば、この凸に似た記号は。
「北東に小さな山がある。丘のような小さなものだが、視界を遮るには十分。その向こうには、現在ムジカル兵が大勢詰めている基地がある」
「規模は?」
「山頂からの斥候による報告では、およそ千」
「はあ」
なるほど、と僕は頷く。作戦行動というのは、その拠点を落とす作戦のことだろう。
千といえばムジカルの一個大隊。そこまでいけば、多分正規兵も混じっている。
「何か難しいことでも?」
僕は聞きながら、その理由にも見当をつける。というか、その答えは正直今僕の目の前にある。
地形図の横。そこには、地形図の凸部分周辺を拡大したような図がもう一枚置かれている。
そしてその図に書き込まれているのは、どう見ても簡略化した城の俯瞰図。城壁に城門を備え、突出した陣や物見櫓を組んで本丸を守っている軍事施設の。
「明日行うのは、攻城戦」
「なるほど?」
城があり、そこを攻めるから攻城戦。理解できる。
しかし、一つ理解できないことがある。
「城を……このネルグの中にどうやって?」
築城。それはこのネルグの中では容易なことではない。
もう少し浅層ならば、昔見たような小さな砦を築くことも出来るだろう。しかしそれも長い時間をかけてのことであり、魔物や動植物の浸食を防ぎながら行う大規模な工事が必要になると思う。
しかしこの中層近くに、それに城というからには砦とは違う規模なのだろう。そんな大規模な工事ともなれば国が関わり年単位かかる大事業だろうし、山一つ隔てたとはいえこの開拓村の住民や村を視察した役人から報告の一つや二つ上がるのではないだろうか。
「俺もこの目で見るまでは信じられなかった。だが恐らく、敵方にそういったことが出来る魔法使いがいる」
「……ああ」
僕はその言葉に、ムジカルにいた頃聞いた幾人かの候補を思い浮かべる。
直接会ったのは一人もいないが、たしかにムジカルには数人はいたはずだ。何もない砂漠に幻の屋敷を出現させる魔法使い。もしくは簡易的に作った小屋の内部の空間だけを広げて収容人数を上げる魔法使い。砂を操作しドーム状の家屋を形成する魔法使い。その他、様々に。
そうか。昼にいた一人といい、やはり既に魔法使いが投入されているのか。
またオセロットは、今度は城の図を指でなぞる。
「建材は恐らく植物。蔓や蔦が隙間なく密に絡まり、城の形を形成している。装飾などはない直方体の簡素な」
僕はその言葉を聞きながら、概略図を眺める。
しかし実物はまだ見ていないためにわからないが、たしかにこれだけで見れば見事なものだ。本丸があり、その周囲を三重に城壁が囲む。真四角の城壁の四隅には物見櫓があり、それも城壁にくっついているので自ずと三重。こことを隔てる山との間には樹液路が走り、恐らく深さは人が歩けないほどだという。
「植物、というのは城門もですか?」
「そうだ、というよりも、城主かはわからないが何者かの意思で壁が開閉できるらしいとの報告だ」
「つまり普通の門はない」
なるほどなるほど、と僕は頷く。なるほど堅固な城だ。前世では、城というものは城門を守らなければいけないのだと聞いたことがある気がする。城攻めで、普通に使える唯一の開口路。故にまずはどうにかして門を開かせることを考えなければならないと。
しかし。
「少々の城壁であれば……聖騎士様方ならば飛び越えてしまわれるのでは」
もしくは魔術師も。
仮に前世であれば、普通にこれは城の機能を果たすだろう。しかしこの世界、城というもの自体がそう強固なものではない。
強力な闘気使いに城壁は意味を成さない。破城槌のような攻撃を個人で行い、雲橋で越えなければいけない高さまで跳躍できる兵に対して。
たしか前世では、攻城戦の基本は兵糧攻めだったと聞いた。大軍で取り囲み、補給を断って開門を待つ。そうするのが一般的で、むしろそれ以外に決め手はなかった……のだと思う。そこまでは詳しくないからわからないけれども。
城が完全に防衛拠点として意味を成すのは、リドニックの不壊の王城くらいではないだろうか。他は、単に兵たちを待機させられる宿泊施設として、程度の役割では。
「軽功で跳び乗ることも、登攀ももちろん出来る。しかし魔法使いの作った城だ。尋常一様ではないかもしれない」
「罠がある、と?」
オセロットはおそらく、と首を縦に振る。
僕はその言葉に昼の戦闘を思い返す。別に同じ魔法を使うわけではないだろうが植物使い。ならばまあ、確かに作った城を動かすこともできるかもしれない。事実門は動いているわけだし。
「……では、私は何をすれば? 相談とは?」
「相手には少なくとも一人、もしかしたらそれ以上の魔法使いがいる。ならこちらも、魔法使いの手を借りたい」
押し殺したように低い声を出しつつ、トントン、とオセロットが指で城壁を叩く。
「この城壁を壊す術、カラス殿にはあんだろう?」
「…………」
「罠を警戒するのは性に合わねえ。一気に攻め込みたい」
トン、と机を叩く音が大きくなる。紙が少しだけクシャリと歪んだ。
「この村にいただろう住民の数と、あそこで積まれてる死体の数が合わねえ。奴ら、捕虜をとってったんだ。城で嬲られてんだろうな。時間をかけたくねえ」
最後に、ドン、と大きめの音がする。紙を貫通し、机まで指がめり込んだ音だ。
「……舐めた真似しやがって許せるわけがねえよなぁ!? 正面から、派手に片付けてやらねえとよぉ!!」
頭との境目が不明瞭な額に血管を怒張させ、正直あまり柄がいいとは言えない言葉を叫ぶ。その怒りが僕へと向けられている感じがして、小屋全体も声に震えたように感じた。
「城壁を壊せばいいんですね」
さすがにそれは出来ると即答は出来ない。恐らく出来るだろう、とは思うけれども。
「ああ。明日集まった兵で、そこから雪崩れ込む」
「魔術師団の力は、借りられないんですか?」
昔クラリセンでは、地形を変えて防壁を作る魔術を見たことがある。その過程までは知らないが。彼らならば、そういうことも出来るのではないだろうか。
「時間がかかるらしい。本当なら今日、攻め込みたかったのによ」
部屋に響く音量でオセロットは歯ぎしりを響かせる。お前が遅れたせいで、とも責められている気がする。それについては僕が気にする必要はないが。
「ベルレアンやタレーランから聞いた。世に聞くお前の話は良いほうが本当だと。奴らが言うならそうなんだろうよ」
挑発のような言葉も続く。やはり、怒っているのだろう。ただまあ、敵兵に対する怒りと混同している、と僕は見た。
八つ当たりのような挑発に付き合う義理もないし、素直に指示してくれれば従うというのに。
「なら出来んだろ? 出来ねえとは言わせねえ。奴らの巣に大穴を開けてくれや」
オセロットが興奮のまま、睨むように僕の言葉を待つ。
僕は溜息を隠しながら耳の裏を掻いて目を逸らす。
正直、そこまで怒る気持ちがわからない。
この開拓村の人間が襲われて殺されて、生き残りも捕虜として連れ去られたことを怒っているのだろう。
だがそれはわかっていたことではないだろうか。よもや、そういうことが起きるわけがないと思っていたわけでもあるまい。少なくとも彼は前回の戦にも従事したわけだし。
それに。
ちらりと見た横に立っていた聖騎士の外套は、裾に赤黒い染みがある。間違いなく乾いた血で、位置的に自分のものでもあるまい。
まだ戦争は始まったばかり。明日攻め込む先には正規兵がいるのだろうが、それでも今日潰してきた小拠点はおそらくムジカル民兵のものだ。言い方を変えれば、ムジカルの一般人。
殺したのだ。こちらが殺されるのも道理だろう。
名も顔も知らないであろう人間のために怒れる人物。
……これを、好人物と呼べばいいのだろうか。僕にはわからないけれども。
しかしまあ、手柄を立てる好機だ。
ミルラ王女が評価されるはずの手柄を立てたい。それもまた、僕の参戦理由のうちの紛れもない一つだったはずだ。無駄になるだろうと予想される、非合理的な理由の一つ。
僕は頷く。精一杯の笑みを向けて。
「では明日。派手にやりましょう」
あと数日はあるだろう本番に向けて。その準備も悪くない。




