その手は振り払うべきだった
「待って」
それでは、と腰を上げて準備に取りかかろうとする僕らに、テトラの制止が入った。
「……勝手に、……決めないでよ……」
「あれ? キミは、このイラインに助けを求めにきたんじゃないの?」
レイトンは意外そうに眉を上げた。
「それとも何かな? 何か、気に入らないことでも?」
「私の幼馴染みを……ヘレナを、どうするって……?」
怒気の混じる声。それを聞いて、僕も気がついた。
というか、何故気がつかなかったのだろうか。
先程レイトンは、「魔物使いと魔物を始末する」と言ったのだ。
「始末するけど。クラリセンから取り除かないと、また魔物が出没しちゃうからね」
飄々と、悪びれずにレイトンは言う。世間話でもするように、軽やかな雰囲気で。
「だったら……!!」
テトラの魔力が膨れ、灼髪が燃え上がる。
揺らめく空気に、まばゆい光。
まずい。人のいないこの時間であっても、このままでは騒ぎになる!
「だったらあんたの手なんか借りない! やっぱり私だけでどうにか……」
「出来なかったんでしょ?」
しかし、その燃え上がった髪の毛は、すぐにレイトンにより鎮火された。
軽く手を払うと、白い光が波のように広がる。
闘気の波が通り過ぎると、灼髪は元の赤毛に戻る。
何事も無かったかのように、冷たい空気が舞い戻ってきていた。
「それよりも、大規模な魔法はここで使うべきではないよ。流石に誤魔化しきれないからね」
「……!」
僕は驚愕し、瞬時に理解した。
レイトンの圧倒的な力の一端。僕があの当時、鬼に放った火球を上回る熱量の灼髪を、ただの腕の一振りで消し去る闘気の密度を。
「その魔物使いの……ヘレナ? 嬢に対しても、キミはきっと抗議したはずだ。でも、説得出来なかった。違うかな?」
「違わない! 確かに私はあの子を止められなかった! けど……!」
「そこで説得に成功して、彼女を止めていれば、そもそもこんな脱税事件は起こらなかったんだけど……。それも違うかな?」
「違わない……でも……」
だんだんと、テトラの声が小さくなっていく。畳みかけられる現実に、力なく項垂れていく。
「それでも、……殺さなくても、助けられる方法が何かあるはずよ」
「へえ。じゃあ、それを聞こうじゃないか。死なずに済むんなら、それはそれでいいよ。魔法使いなんて優秀な人材は勿体ないからね」
「きっと、もう一度説得すればどうにか……」
「なるかなあ? 話を聞くに、キミとは結構仲が良いんだろう? にもかかわらず、一度は諦めて外部に頼ってる。キミ自身も、無理だと思ってるんじゃないかな」
「…………」
言葉を遮るように発せられる反論。その圧力に負け、ついに下を向いて黙ってしまったテトラ。
無理もないだろう。
殺されるかもしれない旅をして、ようやく辿り着いた街でも官憲には相手にされず、手を差し伸べてくれた人には仲のよい友人を殺すと言われている。
その心労は、推して知るべしだ。
正直、僕にはどうにもできない。
代案も無く、根拠も無い反対は、ただの雑音だ。
僕には、脱税事件を解決する妙案なんて浮かばない。
だが、脳裏に浮かんだのは昔見た開拓村の光景だった。
現実に起きている獣害から目を背け、大人達は一時の楽しみのためだけに努力しているフリをしていた。
その同調圧力に負けず、皆が奮起すべきだと声を上げたキーチ。それを無駄なことだと笑う大人達。
それを見て、僕は確かに嫌悪感を抱いたのだ。
勿論彼女の置かれている状況とは違う。
しかしキーチと同じく、彼女は立ち上がった。
殺されるかもしれない旅をして、街へと辿り着いて、必死に官憲へと訴えた。
彼女は、立ち上がったのだ。
悪事に荷担しようともせず、見過ごそうともせず、現状を改善しようと立ち上がった。
ようやく僕も自覚する。
ここで話を聞いた以上、僕も当事者の端くれなのだ。
自分の意見で、自分の意思で動くべきなのだ。石ころ屋として、ではなく僕として。
僕は眉を寄せて考える。
レイトンの言っている案が間違っているとは言わない。けれどここで僕が彼女に味方しなければ、キーチを笑った大人達と同じになってしまう。
考えろ。何か、彼女が満足する結果へと到る手段を。
僕はクラリセンに関して、彼女の味方でありつづける。そう決めた。
「カラス君は何か無いのかな?」
悩み続ける僕に、突然レイトンが水を向ける。
あるにはある。しかしまだ、言葉に出来る段階じゃない。
「ヘレナさんの命は、助けてあげてほしいです」
「へえ。キミもそう言うのか」
レイトンは今度は楽しそうに呟いた。
「じゃあ、キミはどうしろって言うんだい? ぼくはもう答えを出している。事件を解決する計画をね。その中で、その子の殺害は必須なんだよ」
「代案は……今のところありません」
「おや。もう諦めるのか。 グスタフの知恵はキミに伝わっていないのかな」
僕の口から漏れた諦めの言葉。それを聞いて、レイトンは声のトーンを落とす。
そして小さく溜め息を吐いた。
妙な反応だ。僕は違和感を覚えた。
まるで、僕が諦めたのが残念なような。まるで、僕の反論を期待していたような反応。
……もしかして。
ならば、まだ光明はある。
僕はゆっくりと言葉を選んで口を開いた。
「諦めてなんかいません。テトラさんも、まだ諦めるには早い」
レイトンは僕の言葉を聞いて、口角を僅かに上げた。
この反応。やはり。
「どういう意味かな? キミは今代案など無いと言ったのに」
「ええ。まだ、ありません。でもまだ時間はある。レイトンさんがクラリセンに着くまでは、ヘレナさんに手出しは出来ませんから」
「確かにねぇ。いくらぼくでも、ここから遠くのクラリセンにいる人間を殺すのは無理だ。でも、それはキミ達も一緒。ぼくと同じく、遠くの彼女を守る術は無い」
「だから、それまでに作ります」
「へえ?」
言葉を切ろうともせずに、レイトンは僕の話を聞いている。
興味を持たれている。もう間違いないだろう。
レイトンが僕の反論を待っていた。僕はそう断定して口上を続ける。
「クラリセンに着くまでに、貴方を説得出来る理由を作ります。テトラさんと一緒に、ね」
テトラの目が見開かれる。レイトンは僕の言葉を聞いて、ニイっと笑った。
「ヒヒ、いいね。いい答えだよ」
レイトンは指を組み、反らして鳴らす。そして、笑顔のまま続けた。
「いいだろう。期限は明日の夜、クラリセンに着くまでだ。頑張って考えなよ? 時間切れは影より速くついてくるからね」
「絶対に、考えてみせます」
多分、これがレイトンの想定したベターな答えだ。
レイトンの意見に迎合するか、それとも反発するか。そして反発する場合に代案を出せるか。
それを、レイトンは見ていたのだ。そして、僕が無意味な反発をすると、落胆してみせた。
代案が無かったための時間稼ぎ。今の僕ではそれが精一杯だ。
だが、明日までには何か考えつく。
僕は目を閉じ、また開く。そして、頷いた。きっと考えつく。僕がそう決めたのだから。
「じゃあまた明日。八つの鐘が鳴るときに、東の門の前で集合だ。旅装は控えめで良いよ。ヘドロン嬢には足を用意しておくからね」
レイトンはそう言い残して立ち去った。遠くから、鼻歌が聞こえる。
残された僕とテトラは立ち尽くす。レイトンの去った方向から視線を外し、テトラの方を向くと目が合った。
テトラはそれに気がつくと、途端に慌てて目を逸らした。
「さて、テトラさんは依頼の方をお願いします」
「……あ、うん」
そう、おぼろげな返事をして、テトラはトボトボとカウンターに向かう。
僕は頭の中を整理しておかないと。
椅子にドサリと座り込み、僕は頭を抱えた。




