喊声
スヴェンが竜を討ったことは、鬱蒼と茂る森の合間から覗くように遠目からも見えたらしい。しばらくして索敵も兼ねてだろう名前も知らない騎士団の一群が僕たちの下へと近付いてきた。
ガサガサと茂みを揺するように移動するのは、彼らがむしろ森に慣れているからだろうか、それとも無知だからだろうか。
「今のは其方たちが!」
まだ茂みの奥の方から、僕たちを確認した先頭の男が大声で尋ねてくる。もちろん、僕たちの前で首を竦めるようにして絶命している竜の死体は確認できているだろうが。
ネルグ中層方面の視界は、竜の死体で完全に埋まってしまった。
僕たちは応えずにとりあえず男の到着を待つ。
「これは……信じられん!!」
そして哮る男が全身を強ばらせて叫ぶが、スヴェンは完全にそれを無視していた。
僕も改めて竜の死体を見る。
山のような大きさの竜。当然その頭部は僕たちよりも大きく、眼球からして僕たちと同じくらいの大きさがある。それが。
頭部は完全に陥没し、その頭ごと胴体にめり込んでいる。一撃でこれか。
また一歩男が僕たちに近付こうとするが、僕はそれを掌を見せて制した。
「……何か!?」
「一応近寄らないでください。ここで衣服を払ってから、戻って治療師様方の指示を仰ぐことをおすすめします」
「…………?」
不思議そうに男は見るが、僕も冗談ではない、と思う。
男の体、その袖の辺りを、細かなほんのわずかな小さな粒子が駆け上がる。
やはり魔法使い以外の者が参道師を伴わずにこの森を歩くことが論外なのだ。
「うおおぁ!?」
男の後方で叫び声が上がる。そちらに目を向ければ、男の部下だろう騎士が手甲を外して呻いていた。
その左腕は紫色にぱんぱんに腫れ上がり、激痛に騎士が地面に転がり落ちる。
「壁蝨の一種でしょう。恐らく中層から深層に暮らすような」
「な! 馬鹿な!?」
続いて後ろを歩いてきた一群にも、同じような悲鳴が上がり始める。息を飲んだような気配から二十名ほどいるらしいが、そのうち四名……かな?
竜にくっついてきたか、それともそれ以前の狐や岩狸にくっついてきたか……。
竜にくっついてきたとするならば、僕が以前殺した竜は血が全て蒸発するほどの熱で焼かれていたから平気だったのだと思う。
以前開拓村でデンアが殺した竜はデンアが処置したのか、それともこのダニ自体が希少なのだろうか。それはわからないけれども。
僕やスヴェンは平気だ。毒には耐性があるし、僕は一応毒虫が体に張り付かないように気をつけている。服は全て虫除けの香を焚き染めてもある。
けれども。
「ひぃぃぃぃ!!」
パニックになったような声がいくつも上がる。
それから続く、我先にと拠点に駆け出すような足音。
……参道師と治療師が、対応してくれるといいけれど。
「我が輩たちも戻るか」
ぽつりとつまらなそうにスヴェンが呟き、また一つ伸びをする。暇つぶしが終わった、という程度の感傷だろう。今の騒動を目の当たりにしても、やはりそんな程度か。
「やはりこんな森通り抜ける方が間違ってるんですよね。素直にライプニッツ領を通ればいいのに」
僕は素直な感想を呟く。
ムジカルとエッセンはネルグを挟んで隣り合っているとはいえ、そうではないところだってある。
北は国外であるリドニックを除外すれば、断崖絶壁に崩れやすい隘路のみのサンギエ地方を通るしかないので、大軍の移動に向いていないのはわかる。しかし南側は、ネルグの外側にはライプニッツ領がある。そこは人の世界。現に聖騎士団の一つもそこを通っているし、ライプニッツの騎士団も防衛のためにそこに配備されているだろう。そこを全員で通れば、このような苦労をしなくても済むのに。
「大回りになるからな。おそらくムジカルまでの道のりは倍以上になる。開戦してからの進軍は早ければ早いほどよく、その遅れは致命的だ」
パチン、とスヴェンの体から何かを弾くような鋭い音がする。静電気の放電のような。
意外だが、彼も気を遣ったのだろう。それから、何かを焼いたような香ばしい匂いがわずかに漂った。
「双方がそうすれば、あるいは良いのだろう。双方共に苦労は少なく、無駄な犠牲も少なくなる。しかし仮に相手がこの森を通ってくるとしたら、と考えてしまえばその案はとれん。出し抜かれぬべく、合理的に考えてな」
「お互いに足の引っ張り合いで無駄に損耗するんですね」
なんと愚かな、とも思ってしまう。
スヴェンも笑い飛ばすように口元を歪めた。
「合理的に無駄な選択を採る。人間どもはそういうものだ」
スヴェンは僕の返答を聞かずに振り返る。
逃げてゆく騎士たちの後を追うように、僕たちは歩き出した。
「では、彼らを残してこの基地を放棄していくと?」
「はい。放棄というわけではありませんが、中継基地として、治療のためも含めてちょうど彼らに」
僕たちが戻ったときには、物見高い騎士団が持ち帰った災厄への対応に基地は大わらわだった。
あれから二人倒れたらしく、残りの人間もダニをもっているかもしれないために隔離されていた。
後方送りにはしないのかと、ちょうどその辺りを歩いていた参道師に尋ねたところ、そう返されたというわけだ。
ちなみに聖騎士隊は既に出発しているらしい。彼もそこに帯同していたが、道中で呼び戻されたとか。
先ほど僕たちが戦い始めた頃に着いたらしい治療師と僧兵たちも、ダニ駆除も兼ねてそのためにここに残るという。
「……ちょうど、竜が死んでこの辺りもそこそこ安全になるでしょう。カラス殿たちのおかげです、ありがとうございました」
「竜に関してはスヴェンさんですね」
「そうでしたか……いや、それも含めてお二方にはお礼の言葉もなく」
竜が死ねば、竜を怖れるような魔物はその辺りに近寄らなくなる。竜を討ち果たした誰かがその近辺にいるからだ。
それは竜だけの性質ではないはずだが、お伽噺のように竜特有の性質のように語られている。それは人事を尽くして天命に待とうとする参道師の質だろう。縁起は天命だ。
だがそれは、竜を恐れない魔物ならば来るということ。竜を恐れないほど知能が低いか、竜を恐れないほどの力を持つか、の。
通常の浅層ならば問題なかろうが、今この荒れている森だと後者があり得る。
竜を食べるだけで満足してくれるといいけど。
杜撰な自己確認だが、ダニに汚染されていないと判断された者たちも続々とこの基地を出立している。
本来は畳んで再利用するはずだった陣幕を放置し、予備の陣幕を運びつつ。
ならまあ、僕たちも行かないと。
「よし、行くぞ」
いつの間にか自身の荷物をまとめて、僕たちへと歩み寄ってきていたレシッドが、きらきらとした目で僕たちへと呼びかける。
こういうときに行動が早いのが助かる。
「治療師二人は?」
「さっき虫払いをしてから来るって言ってたからもうすぐ来る」
「あの小娘ならば、病人がいなくなるまでここに残るとでも言いそうだが」
ケラケラとスヴェンがレシッドの言葉を笑い飛ばす。
だがその言葉には、ん、と一瞬迷ってからレシッドが答える。
「大丈夫だろ。何人も他の治療師が来てっし」
「ならいい」
レシッドは小さな香木の入った袋を揉みながら、何度も体に擦りつける。
ほとんど匂いのないその木綿の袋は、当然パタラたちの荷物にも入れた野外の必需品だ。全ての虫に効果があるわけではないし長くも続かないが、効果の高い虫除け。……高価なものだけど、一応供出品の中にもなかったっけ。
薄い香油の匂いを漂わせ、パタラもソラリックも合流してくる。
レシッドの言葉の通り、彼らはここを立ち去ることを嫌がることはなかった。
小さな街を出てしばらくの後。
僕とレシッドが前後を挟み、その間に騎獣を二頭並べて、更にその間にパタラとソラリックを挟む隊列での徒歩。スヴェンは適当にちょこちょこと歩き回っていたが、それでも歩調を合わせてくれていた。
無言だった旅程。
「みんな歩いていくんですね」
ソラリックが思い出したかのように問いかける。その先にいたのは、横で同じように騎獣の手綱を引きつつ歩いている参道師だった。
僕たちは騎士団の移動ではほぼ殿だったが、この参道師は『ここが一番安全』とついてきていた。
「短距離の移動では騎獣には乗りませんよ。人間相手ならば乗っていた方がいいんですがね、魔物相手ならば乗らない方がいい。その辺の見極めは私たちの仕事ですが……その点カラス殿などは、よく知っていらっしゃる」
褒められているのはわかるが、しかし僕たち以外の騎士団なども同じようにしているのは彼の言葉からだ。同意も否定も出来ずに、僕は前を向いたまま言葉なくそれを無視した。
「私たちを乗せたままだと、おお、どうどう……、まあこういった自由な動きが出来ませんので、魔物などの襲撃を察知できませんからな」
「へー……」
撫でられた騎獣が、嫌がるようにその角を振る。馴れていないわけはないのだろうから、神経が高ぶっているのだろう。
僕はそれを横目に見つつ、落ちている枯れ枝を手の中でまとめて蔓で縛った。
「これはまた、鞍に?」
「はい」
僕はパタラにその束を渡す。パタラはもうその用途を心得ていたようで、僕から素直に受け取り、自分のハクの鞍に片手で括り付けた。
隊列の歩みは遅い。
どちらかといえば、僕たちが遅いのだ。僕たち、というのは僕も含めた騎士団の一派で、どちらかというと手柄よりも命を欲しがる者たち。……ごく簡単に言えば、不真面目な参加者たちだ。
聖騎士団を先頭に駆け出す騎士団の者たちは進みも早く、先ほど戦闘を行ったと鳥たちから噂を聞いた。
そう、噂なのだ。その音も気配も届かない遠く向こうで、戦闘が既に行われている。
聖騎士たちは雄々しく戦い、そしてそこに待ち受けていたムジカル兵を殺している。戦争に参加していないわけではないが、戦闘に参加していない不思議な気分。そんなよくわからない気分を抱えたまま、僕たちは歩き続けた。
森林戦とはこういうものだ、とはスヴェンの言葉だ。
「森の中では陣を張りづらい。故に通常は森を避けて行軍するが、今回などは真っ直ぐ通る進軍経路だからな。横隊や縦隊、方陣などを組むこともなく、遭遇戦の連続となるのも道理だ」
「となると、戦闘は先頭の聖騎士団がほとんど受け持つわけですね」
「そうなるな。もっとも、連中が考えなしの馬鹿ならば、だが」
とすると、馬鹿ではなければ。
その答えを言わず、スヴェンは満面の笑みでにこりと笑った。
僕たちはのろのろとその襲撃する隊に追い縋って移動する。襲撃した拠点を通ることもあるが、その時には小休止すらある。それは、僕たちの周囲の一団も同様に。
ただ、その度、もしくは作成した拠点にはぽつりぽつりとやる気ある騎士団が配備されていく。そこを守るべく、そして万が一の撤退時に中継地点とするために。ある程度の時間が過ぎれば、そこを放棄して前線を上げていく。その繰り返しだった。
それからしばらくして、まだ日暮れ前だが、昼は終わり空の色が変わり始めた頃。
僕たちより幾分か前を歩いていた騎士団の一人が、森の奥を見て不思議そうに首を傾げる。
僕はその視線を追い、振り返った。
「レシッドさんは治療師のお二人を警護。スヴェンさんは、依頼ではないのでお好きに」
「え? どういうことで……?」
聞き返そうとするソラリックを無視して、「あ」と気づいて僕はレシッドに目を向ける。
レシッドは既に短剣を鞘から抜き放ち、騎獣を庇うように一歩横に出ていた。
「それから参道師殿を頼めますか?」
「戦闘には参加しなくていんだな?」
「はい」
参道師の方は、僕の視線に頷いて応える。
「申し訳ありませんが、もしものときはこちらのレシッドの指示に従っていただけますように」
「専門外、当然ですとも。もしものときは三人を預かりましょ」
身を低くしつつ、参道師はその大きな体を騎獣に隠す。騎獣も伏せて足に力を溜めているので、体を隠すのは大変だろうが。
僕はレシッドに視線で了承をとる。本来業務外だし、放っておいてもいいのだけれども。しかし一応友軍だし、前を進む聖騎士団が今日の夜を越すのにも必要な人材だ。
「ねえ、どういうことですか!?」
最後に、周囲にいた鳥たちに「しばらくここから離れて」と呼びかけたとほぼ同時に。
「敵襲――!!」
誰かが叫ぶ。
十歩以上先、前を歩いていた騎士の一人が、矢を受けて弾かれるように倒れるのが見えた。




