害獣駆除
尻餅をついて、あわあわと口を開けたまま中を見ているソラリック。
僕はそこに歩み寄り、手を貸そうと差し伸べる。彼女は僕を見て一瞬戸惑い、それから震える手にか細い力を込めてその手を掴んだ。
「あ、……ありがとうございます……」
「次からは、悲鳴は自分の危険を知らせるときだけにお願いします」
僕が言うと、戸惑うようにソラリックは立ち上がり、首を傾げた。
それを無視したまま僕は耳を澄ませる。近くには今のところ魔物はいないらしい。逃げた梟は村の反対側でまた何かの肉片を口に含んだようだし、一応危険はないのだろう。
「では」
「そんな言い方……っ」
レシッドが偵察に出て戻ってこない。ならば今のところ危険はないのだろうし、僕らもそれを追っていこうとパタラやソラリックに呼びかけようと口を開こうとしたら、またソラリックが僕に食ってかかるように大声を出そうとする。
僕は面倒になって念動力で彼女の唇を上下から押さえる。何かを言おうとしているのだろう、その唇が開かず言葉らしきものを発せないことに焦り唸るが、その出来ない原因も察しがついたようで僕をまた睨んだ。
「悲鳴は危険を呼び寄せる。貴様の叫びが耳に届けば、その原因がまた貴様めがけてやってくるぞ」
にやにやと笑いながらスヴェンがそう言いつつ歩き出す。そう考えれば、率先して叫び声でも上げそうな男だったがそういう悪ふざけはしないらしい。
スヴェンの言葉を聞き、ソラリックはびくんと身を固めた。
僕はその言葉に補足するように言う。これはパタラも聞いて欲しい、と顔を向ければ、パタラも神妙な顔つきでじっとこちらを見つめていた。
「基本的には、静かにしていてください。特にこの森で魔物などに遭遇したときは決して叫び声を上げないこと」
「…………」
むーむー、とおそらくソラリックが反論の言葉を吐く。
僕はその顔に、もう大声は出さないだろう、となんとなく感じ唇を離した。
それからソラリックは、今度は過敏なまでに小声で、ささやき声でこそこそと口を出す。
「……危険、じゃないんですか……?」
「危険ですけど、姿を見せてくれていますからね」
僕やレシッド相手ならばまだしも、そういった野外の活動に慣れていない二人の目の前に現れる獣。もちろん偶然もあるだろうし、魔物側も失敗したということもあるかもしれない。
だが、基本的にそういう獣はこちらを積極的に襲おうという意思はない。
野生動物の狩りの常。もしも相手に明確な害意を持っている場合、基本的にとる手段は奇襲となる。
彼らもこの森で生きている以上、無駄なことはほとんどしない。たまに遊ぶような高度な知能を持つ者もいるが、それは今考慮しないでいい。
「もしもソラリック様などに対しても警戒するような小さな動物や弱い魔物などならば、姿など見せません。見せないように殺しに来ます」
殺し、という言葉にソラリックが生唾を飲む。全くの偶然だろうが、ちょうど重なってスヴェンが向こうで欠伸をした。
「ですが仮に簡単に姿を見せてくれたならば、それはこちらの反撃を考えていないということです」
襲おうと思ってなどいなかった。たまたま行き会っただけ。そんなのどかな邂逅かもしれない。
「向こうに敵意がないなら、刺激をしないよう、静かに目を逸らしていれば向こうも合図をしてくれます」
「合図?」
「…………」
聞き返されて僕は言葉に詰まる。いきなり説明しづらくなった気がする。
「合図ってどんなですか?」
じっと責めるようにソラリックに見られて、僕は何かを言わなければと一瞬考え、なんとか口に出す。
「……ごめん、みたいな」
「言うんですか?」
「言いませんけど」
しかし、そういう感じだ、としか僕には言えない。そもそも個体によって千差万別だ。軽く会釈をするように首を振ったり顎を上げるような獣もいれば、全く無視して踵を返す獣もいる。その辺りは経験か、やはり体験してみなければわからないのかもしれない。
僕は仕切り直すように治療師二人に目を向ける。
「とりあえず、今日の野営地を決めて煮炊きをしてしまいましょう。日が完全に沈むまでに終わらせなければ」
もう太陽自体はここからは森に阻まれ見えない。だがおそらく仮に森がなければ、地平線にかかりそうなほど下がっているのが見えるだろう。空はほとんどが濃紺か黒で、端にわずかに黄色が見える。
終わらせなければ、とはいったものの、まあ無理だと思う。最悪煮炊きなしで果物だけ囓ってもらうことになるがそれは勘弁してほしい。
僕は踵を返すが、治療師二人はなかなか動かない。ついては来るだろう、と僕はそれを無視して歩き出す。
その僕に向けて、ソラリックが口を開いた。
「……敵意があったら……」
「…………」
もごもごと彼女は迷いながら口に出しているが、その場合分けはきちんと出来ているらしい。ただ、自信がないのだろう。もしくは答えが聞きたくないか。
「……あの、……危なくない野生動物はわざと私たちに姿を見せないから、姿を見ても安心って言いましたよね」
「はい」
僕は頷き続きを待つ。それはあとで話そうと思っていたが。
「じゃあそれって、その……私たちを簡単に殺せる魔物は、私たちにも堂々と姿を見せてくるってことですよね?」
「必ずしもそうではないですが、そうなりますね」
「もしそうだったら……どうするんですか?」
怯えた顔でソラリックがこちらを食い入るように見つめる。震えてはいないが、何かを堪えるよう、裾を握る手に力が入っていた。
僕はその姿を見て、なんとなく何かを思い出す。昔、僕がいた開拓村での言葉。
「『そしたら、諦めてください』。それから、存分に悲鳴を上げてくださいますよう。パタラさんも同じく」
パタラの方を見ても、渋い顔をする。僕の言葉の意味がわかったのだろう。
「逆に悲鳴を聞いたなら、荷物を諦めてでも逃げること。近くに僕やレシッドさん、スヴェンさんがいればそちらに逃げてもいいですね」
頷きかけて頷けない様子の二人。
そこから視線を切り、僕は野営地候補へと歩き出す。
しばらく二人は、追ってこなかった。
集めておいた枯れ枝や枯れ草がすぐに役立つとは思わなかった。
そう内心呟きつつ、僕は煮炊きのために火を焚く。火打ち石の火花から枯れ草を使って種火を作り、枯れ枝に火をつけて大きくする、という治療師に向けた実演。本当はここまで、明るいうちにやっておかなければならないのだが。
結局野営地は、先ほどの村から少し離れた茂みの奥にした。
獣道はなく、この辺りの獣が繰り返し通る場所ではない。梟たちからもそれは確認した。
開拓村の一番高い物見櫓の先端が、林に紛れてちょこんとかろうじて見える程度に離れた場所。
ここならば、上手い具合に村が目眩ましになってくれると思う。
焚き火に直接放り込んだ裸の金属製の器の中で、僕が持ってきた分の大麦の粉と水、それに先ほど摘んだ数種類の薬草と干し肉のかけらを混ぜたものがぶつぶつと泡を作り音を立てる。大麦には既に火を通してあるし、そんなに加熱する必要もないし、そろそろいいだろう。
二本の枝を使ってその器を掻き出すように取り出し、パタラたちの前に置いた。
「熱いので、まだちょっと待った方がいいと思います」
「……はぁ……」
そもそも器が熱い。火の中に置いてあった金属製の器だ。スヴェンならまだしも、この場にいる他の者は僕も含めて素手で触りたくはないだろう。
本当ならばもっと丁寧に生木の枝や石を組んで焚き火の上に台を作るのだろうし、鍋と器は分けるものだとも思うが、手間を惜しんだのと可搬性を考えて鍋を持ってこなかった故のこの形式だ。さすがにそこは横着しなければよかった。
焚き火から一歩離れた木に背をつけて座り、レシッドはモグモグと果実を囓る。それも先ほどこの近くで採取したものだ。赤い果実は、リンゴによく似ている。
ソラリックはそれを横目で見てから、僕へとじとっとした目を向けた。
「私たちもああいうの食べちゃ駄目ですか?」
こんな、とは口に出さないが、表情からすれば多分思っているだろうと思う。こんなものよりも果物の方がいい、という意味だろう。
まあそれは僕も同意だ。干し肉の塩分以外に味付けはされておらず、香りもほとんどない野趣溢れるその粥のような食事はお世辞にも美味しいとは言いがたい。
出来れば果物の方がいいと思う。僕もそう思う。
しかし。
「じゃあちょっと待っててくださいね。採取してきますので」
「そこにあるじゃないですか」
僕が立ち上がり、周囲を見回すと、半笑いでソラリックは頭上を指し示す。
この開けた場所にも、確かに目に見える範囲で果物は生っている。同じように赤い巡苹果と呼ばれるリンゴのような果物。それに、山葡萄のような果実まで。
僕はそれを見て、どうしようかと悩む。食べさせてもいいんだけど。
まあいいか。
僕はこれも勉強かと巡苹果を念動力でもぎ取ろうとする。
だがその果実から伸びる軸に切れ目が入ったところで、それを止めるようにレシッドが自分のまだ食べていない巡苹果を放り投げた。
「ほらよ」
果実は綺麗に座っているソラリックの膝の上に落ち、転がり落ちそうになったのは彼女が慌てて押さえていた。
「あ、ありがとうございます」
僕は咎めるようにレシッドを見るが、その視線を受けてレシッドは溜息をついた。
「ただまあ、あんまりわがままは言わないでおけよ。俺がわざわざ遠くから採ってきたんだから、それも考えてよう」
仕方ない、とばかりに口を開く。ソラリックは赤い果実を服の裾で拭いながら耳を傾けた。
「……食べられないんですか?」
「食えるよ。くっそ不味いけど」
手元に残った最後の果実を囓りつつ、レシッドは目を閉じてその甘い果実の味を楽しんでいる。
まだ首を傾げているソラリックに、僕は今もたわわに果実が実っている木に手を当てながら言う。
「この巡苹果は、木によって数年単位で味が変動します。今は酸苦期という獣や鳥すら食べない不味い期間ですが……味わってみます?」
僕の言葉にソラリックは、また、え、と小さく声を漏らした。
「他にもいくつか実っている木の実は、どれも少なからず人間には毒があります。すぐに死ぬようなものではないでしょうし、餓死寸前なら一か八か食べないよりはましでしょうが、普段は食べないでください」
「獣道がここにねえってことは、ここを獣が通る理由がねえってことだからな」
「…………」
レシッドは口を挟むように言い添える。芯というか茎だけは食べられないようで、最後に丸ごと巡苹果を口に入れたと思えば、固い茎から果肉をそぎ落とすように引きずり出した。
僕は頷く。その言葉、その理由には一部同意できないが、まあそういうことでもある。
「二人分です。切りましょうか」
僕はソラリックの手から、甘い巡苹果の果実を受け取るべく手を伸ばす。彼女だけ、というのは不公平だし、採ってくるのも面倒だしで、それは二人で分けてほしい。
そろそろ器も持てる程度には冷めてきているだろう。豪華なデザートまでついたとは、聖領での食事としては大層なものだ。
「……私がやります」
ソラリックは僕の申し出を断り、僕の渡した荷物の中に入れておいた小刀を取り出す。
そして手の上で苦労しながら果実を割り、芯を切り取ってパタラに渡した。パタラはそれを、「すまない、ありがとう」と受け取った。
顰めっ面を隠しながら二人が粥を食べ終わる頃。
がさりと茂みが鳴る。そこを見れば、既に闇に覆われた向こう側から、スヴェンが姿を見せた。
「いやはや、困ったものだな」
「困っている風には見えませんが」
僕も粥の最後の一口を食べ終えて、その言葉を否定しながら火の始末にかかる。煙を出すような生木ではないが、燃えづらい葉を足して。燻りは絶やさぬように、それでも赤々とした火は出さないように。
「消してしまうのですか?」
「本当は今つけておきたくもありませんでしたし」
パタラの問いに僕は応えつつ、一応魔法で光源を用意する。光る玉が焚き火の上に浮かび、先ほどとあまり変わらず周囲を照らした。
「片付けはしておきますので、食べたら寝てください。寝方は先ほど説明したとおりで」
「……ああ、はい……」
大人しくパタラは同意する。目を向けた先は、木に繋がれ横になっている騎獣たち。今はまだすやすやと大人しくしているが、危険が迫れば動き出すであろう頼りになる動物たちへ。
「……ですが、……困ったこととは?」
それよりも、スヴェンの言葉が気になるのだろう。ソラリックも含め二人とも動こうとはしない。
その視線を心地よさげに受け、髪の毛をそよがせるようにしながらスヴェンは口を開く。
「村を見てきたが、困ったことにあの村が襲われたのはやはり騎士団の駐屯中だったらしい」
楽しげな口調に、雰囲気。楽しいことではないはずだが。
「ええっと、それって……」
「襲撃したのは魔物だったということですね」
「ああ。それも騎士団など歯牙にもかけず返り討ちに出来る大物だ!」
「わー、困るー」
囃し立てるようにレシッドは棒読みで乾いた笑い声を上げる。演技がかっているが、その言葉は本音だろう。
そんなレシッドの合いの手に、だろう、と同意をしながら笑顔崩さずスヴェンは続ける。
「更に不思議なことに、食い残しがある。後続の魔物や獣に食料を残してやる優しさ溢れる魔物ということだな」
「……食い残し…………」
スヴェンの言葉に今度はソラリックが小声で反応し、顔を青くする。普通はそういう反応だろうか。
「……食い切れなかったか、さもなきゃ、……なぁ?」
レシッドは両手を頭の後ろで組み、幹を背にもたれ掛かりながら僕へと問いかけてくる。
なにが『なぁ?』なのかはわからないが、さもなければの続きはまた面倒なことだろう。
僕は口元に手を当てて思案し、方針を決定する。
「明日、日の出と共に出発します。治療師のお二方は早めに休んで英気を養ってください」
「そんなことより、ここから離れた方がよいのでは」
パタラがそう反論するが、僕としては夜の森を彼らを連れて歩きたくはない。それにここは、他の場所よりは幾分安全だと思う。
……せめて治療師が一人だったなら。
しかし今回に限れば、むしろ、ここを離れた方が危険だ。
「あまり餌場から離れたくはありません」
「餌場?」
「あの村に死体が残されているなら、獣や魔物は臭いを辿って大部分あちらにいくでしょう。獣たちも反撃される可能性のある生きた人間よりは、動かない死んだ人間のほうが食べやすいでしょうし」
おそらくそれが、襲撃した魔物が死体を残した理由だろう。
そうやって集まった獣や魔物を狩る。そのために。
「死んだ人間のほうが食べやすい……って……」
ソラリックが呟き、僕を睨む。
「囮にするってことですか? あそこで亡くなっている方々を」
「言い方を変えればそうなるでしょうか。それに、ここは既に村を襲撃した何者かの縄張りになっている可能性もあります。なら、他の獣たちはなかなかここには来ないですし」
一頭の強力な魔物が住み着けば、自然と他の獣たちは姿を消す。それが自然というもので、ここ聖領はそういう場所だ。
ならその恩恵に預かることも問題はあるまい。
「しかし、それならばその魔物をお三方で駆除していただくことは」
「…………」
駆除。パタラのその言葉に、僕は一瞬悩むように動きを止める。
なんとなく違和感のない言葉に、逆に違和感を覚えて。
「……襲われたらそうしますけど」
僕とレシッドは顔を見合わせる。レシッドが頷いたのは、同意の証だろう。
そしてスヴェンは頷かなかったが、彼も似たようなものではないだろうか。彼の場合は、『こちらに襲いかかってくるほど強いなら相手をする』程度だろうと思うが。それを止める気もない。
ソラリックは僕たちに呆れるように眉を顰め、強めに叫んだ。
「現にもう襲われてるじゃないですか! 村の方々が!!」
「そしてもうみんな、死んでいます」
僕はソラリックの言葉に言い返す。違和感の正体が、なんとなくわかった気がする。
「ここは獣の土地です。村の方々は残念とも思いますが、騎士団なども含め、彼らはそこに不用意に足を踏み入れた人間たちです」
以前、このネルグにある街クラリセンは、人為的に集められた魔物によって襲撃され、壊滅した。そのときあの街にいた僕ならば、きっと駆除するべきという言葉には同意しただろう。
街は人間の土地だと思っていた。そして僕も人間で、自然と彼らの仲間に数えられると思っていたからだろう。
だが、今は違う。そうは思えない。
いいや、たしかにあそこは人間の土地だっただろう。すぐそこの襲撃される前の開拓村も、壊滅していなかった頃のクラリセンも。
獣の土地を、人間が奪い自分たちの土地にした。
そのことに関しては、別になんとも思わない。猫や犬に鳥などの人間に対しては通常無害な動物や、愛玩されるような動物を除いて、獣は縄張りを争うものだ。人間も縄張り争いに勝利し、獣から土地を奪い取った、というだけだろう。
しかしならば、今現在はそれが逆になっただけだ。
人間が獣と縄張りを争い、そして奪い返された。
あのときのクラリセンは、まだ取り返そうとする人間たちの気運があった。ならば、たしかに駆除という言葉も似合っていたかもしれない。
だがおそらく今日壊滅したあの村は、既に開拓村ではない。そこを襲撃し、見事人間から奪い去った何者かの魔物の縄張りだ。
ならば、駆除という言葉は違うのだろう。
「縄張りに足を踏み入れた敵を殺すのは、獣も人間も変わりない習性でしょう。それとも、ソラリック様は、過去に人間を襲った魔物を全てこちらからも探し出して殺すべきだとお考えでしょうか」
もちろん、それも理解はする。治安維持のため、安全を守るために人間は山狩りなどを行うのだろう。山に分け入り、危険そうな動物や魔物を事前に駆除する。それは村や街を守るために必要なことだ。
わかった上で、思う。ここは僕たちの縄張りではない。
「それは駆除ではなく、殺戮というのではないでしょうか。……ごめんなさい、言いませんね。何故か、殺戮は人間にしか使いませんから」
僕は皮肉を言いながら笑う。
わかっている。これもどちらかといえば僕が良識や仲間意識がないだけの話だ。
仮にルルやリコやモスクが襲われたなら、僕に危険がなくともその原因を殺しにいくだろう。森に入り、探し出して殺すだろう。
だがそれを、名前も顔も知らない人間に対しては行えない。そんな気が起こらない。
目の前の、神に仕える清らかな良識人のようには、とても。
「……見捨てるんですか。これから襲われるかもしれない人を。助けられる力があるのに」
「…………」
その真っ直ぐな目に僕の姿が映る。次いで、「そんな人だとは思わなかった」と小さく呟いた。
なんとなく、言わんとしていることはわかる気がした。彼女がどんな僕を期待していたのかわからないが、きっと僕は今、良識とは反していることを言っているのだ。
「…………。たいていの魔物ならば、僕もレシッドさんもスヴェンさんも容易に返り討ちに出来るでしょう。特にスヴェンさんなどは、聖獣が来ても問題はない」
「なら」
「でもそれも絶対ではないんです。もしかしたら、返り討ちに出来ないような強力な魔物がネルグの奥から出てくることもある。本来は聖獣と呼ばれるに値するのに、まだ誰にも知られていない魔物だっておそらくは存在するでしょう」
聖騎士にも返り討ちに出来ない魔物。前回の戦で伝説となった魔物、化け狐もそんな強力な魔物の一頭だ。
一頭いる。ならば、他にもいると考えておいた方がいい。
「仮に勝てたとしても、もしも三人とも行動不能になってしまったら、治療師様方を守る術がなくなりますね」
もちろん僕とスヴェンには自己治癒の能力があり、彼女らには治療の術がある。行動不能になってもすぐに回復すら出来るかもしれない。
でも、出来ないかもしれない。
「でも」
「やめなさい」
「でも……!」
言い募ろうとしたソラリックをパタラが止め、その視線が僕へと謝罪する。謝罪することはないのに、律儀なことだと思う。
おそらく人の道から外れていることを言っているのは僕、という自負はある。
「カラス殿から聞いたように、今すぐ私たちは休むべきです。明日は朝の勤行よりも早いのですから」
「……わかりました」
しゅんと力なく肩を落としたソラリックが、僕をちらりと見た後踵を返す。無言で行くのは最後の意地だろう。彼女が間違っているとかそういうことは思わないが、その強がりも、なんとなくわかる。




