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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
絶対正義

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742/937

ありがたい




 王都を出てから二日経つ。

 昨日まではクロードたち聖騎士と同じ歩調で進んでいたが、途中から僕はなんとなく嫌になって一人先行して歩いていた。

 特に理由はないものの、どことなく嫌なのだ。聖騎士の連れ、という風に見られるのが。


 そして、街に泊まるわけにもいかなかった。

 街道というくらいだから街は点々とあるし、その街々に宿もある。しかし、その宿には問題がある。

 それはこの街道が、エッセン王国の騎士たち、いわゆる正規兵が通る道だということ。

 既にほとんどのまともな宿は埋まっていた。移動するクロードたち正規兵が泊まれるよう、エッセン王国から予約が入っているのだという。

 そしてそうでなくとも、予約は入っている。本来僕と同じように貴族の名代として参加する者たちは、その貴族たちが宿を手配する。彼らのものだ。


 僕がミルラ王女に願い出て参加を表明したのは出立の前の日。

 もう、予約は間に合わなかったらしい。

 それでも王族の強権でねじ込めないかとも思ったが、それも無理だったという。出来なかったということに誰かの何らかの意図を感じざるを得ない気がするが。

 昨日はクロードの計らいで聖騎士用の宿に泊まることが出来たが、別行動をし始めた今日からはそうもできない。


 まあ後から言っても仕方がなく、残るは騎士たちが泊まらない『まともではない宿』のみ。

 小さい部屋に詰め込まれ、雑魚寝どころか掛け渡したロープに凭れて寝るぶら下がり宿。毛布代わりの藁を貸し、使われていない厩舎に寝かされるような宿。そんな、天井があるだけマシというような宿だけだ。

  

 


 ならば僕は別に部屋を借りる必要はない。粗末な宿が嫌だというわけでもないが、それよりも良い宿があるならば使うだろう。

 食事も、食堂など使わずとも自分で捕まえれば事足りる。


 とまあそんなわけで僕は夜、一人街道沿いの森で野宿して過ごす。

 木の上のベッド。この頃使ってはいなかったがやはり快適なものだ。太い木の枝の股に適当に裂いた枝を組んで乗せ、さらに葉っぱを敷き詰める。葉っぱのある少々大きな木があればどこでも作れるし、どこで作ってもあまり寝心地は変わらない。


 今日は杉の葉を使った。その特有の匂いが僕の身体を包む。

 やはり、生き物はこういうところで寝るべきだと思う。ティリーに関わる以外は近頃遠ざかっていた森の匂いに、僕は久しぶりに安らぐ思いだった。


 森の奥から聞こえる遠吠えの声。大犬ではなく、狼の類いだろう。そもそもネルグからは少し離れたここら辺は魔物は出ないので、その辺の防備も安心だ。

 

 ルルの警護の任も今はない。僕の身以外は守る物がない今は、久しぶりに安眠出来る環境が整っている。

 どこかで梟が捕まえた鼠の叫びを聞きながら、僕は目を閉じ暗闇に身を任せた。




 朝、僕は「起きて」という声に目を覚ます。

 瞼を開くと飛び込んでくる木漏れ日に一瞬目が眩んだが、頬をちょんちょんとつつかれてそちらを見れば顔のすぐ横に見知った鳥の顔があった。


「……おはようございます」


 久しぶりに会ったと思う、彼女。探索ギルドから僕へ向けて飛ばす担当の鳥。名前を知らないが、呼ぶこともないのでまあいいだろう。

 おはようと挨拶を返すこともそこそこに、鳥が自分の足を持ち上げて僕へと示す。足にくくりつけられた銀の管をそっと外して中を見れば、筒状に丸められた一枚の紙が入っていた。

 ごく僅かな、小さな文章しか書けないはずの紙。大したことは書いていないだろう、と思ったがやはりそうだ。

 だがそこには彼の印象にはない達筆な字……どこかで見たことのある気がする字で、彼からのメッセージが記されていた。


 『了解。詳しい話はイラインで』


「簡素な文章ですね」

 僕が世間話のように話しかけると、鳥は「そう?」と首を傾げて喉を鳴らした。

 いつ、とも書かれていないし、イラインのどこでとも書いていない。だが、一つ確実なことがある。記されている差出人はスヴェン・ベンディクス・ニールグラント。

 一人目からの了承は得ることが出来た。

 

 あと二つ、はどうだろう。

 僕はその手紙を荷物にしまうと、その代わりに取り出した僕のおやつ兼鳥の餌を一粒取り出す。小麦粉を卵で練って焼き固めたビー玉よりも小さい菓子。

 指先に乗せて鳥へと差し出すと、「ありがと」と一言口にし、頬張りながら彼女は帰っていった。




 人の移動というものは、たとえ急いでも大人数では遅くなる。

 そして逆に少人数であるほど移動は速く、僕は宿も使わない一人旅だ。当然クロードたちに追いつかれることなく、僕は王都を出た四日後にはイラインへと辿り着いていた。

 (はく)天狗(てんこう)といった騎獣を使わずに徒歩だったが、やはり自分の足で移動するのは良い。何かに運ばれて動くというのは楽だが、やはり僕は。


 人や馬車、騎獣などが行き交い踏み固められた街道よりもさらに固い副都周辺の土の道。そこから更に固い石畳の道が出現し、道を辿るように視線を前へと向ければ、その先には人の作り上げた建物群が存在する。

 忌々しい街、副都イライン。街には、あまり入りたくないものだが。




 このイラインは前線基地。もちろん戦場はここよりも奥のネルグ内、ムジカルとの国境付近になる予定ではあるし、そこまではまだ馬で二日、騎獣を使って一日くらいはかかるだろう距離はある。

 だがエッセンの戦力……特にその指揮官級は、一旦はこの街に集まることになる。彼らはここまでの道中のように宿が用意され、人によっては城にまで泊まれるのだろうが、随行してきた人間たちはそうではない。

 そしてこの街でも募兵は行われている。まだ正規兵に組み入れられる前の民兵とも呼ばれる者たち。

 寝泊まりする場所がない人間。そんな人間たちのために、北の街外れには彼ら用の集落のような街が作られていた。

 麦畑を一部切り取るようにして出来上がった急造の施設群。街へは入らずそこへと向かった僕は、また少しげんなりして溜息をついた。



 大きな集会場のような建物がいくつも出来ている。

 当然個室のようなものはなく、大きな箱がいくつも並んでいるような簡素な風景である。圧倒してくるような圧迫感のある木造の建物はどこも自由に立ち入りが可能で、このイラインで新規に募兵された兵たちの待機所であり臨時の住居も兼ねていた。

 僕はその待機所の入り口に一歩入り、その空気に怯むように足を止めた。

 

 ミルラは言っていた。エッセンの戦力は三万ほど。もちろんこのイラインにその全てが集結するわけでもなく、その三分の一も集まれば良い方だろう。

 そして街の中に散っていくか、街の中にそもそも住居がある人間もいるので、更にその半分ほどしかここは使わない、と僕は思う。

 それでも単純に考えて、その数は五千は残る。その全てを収容する施設、当然のように個室などは作られず、まだまだ全員集まってはいないだろうに待機所はどこもごった返す勢いで人間たちが詰められていた。

 いくらか目隠しの布が張ってあったりはするが、完全に平らな大きな一室のみしかない家屋。そこに、いくつかのグループが既に座り込んで話している姿があちこちに見られる。

 ほんの数段の階段を上った先にある木の床は新しく、踏んでも軋む音がしない。ただ、騒がしく皆がはしゃぐように声を上げていた。


 ……まるでここだけムジカルになったようだ、と僕は感じた。

 ムジカルというよりは『戦時下』というのが正しいのだろうが、野営よりはまだマシな待機所という感じで、各自適当に場所を取りここでしばらくは生活をするのだ。

 仕方がない扱い、ということもある。彼らは言ってしまえばまだ名もない雑兵たちだ。

 有名な参加者は国に所属しているか誰かに雇われているので、住処がきちんと用意されている。そのために、仮屋敷を宛がわれた人間もいると聞く。傭兵や探索者でも、きちんとした者の麾下に入れば。


 だが雑兵たち、つまりそうではない人間たちはこういう扱いを受ける。街で行われた募兵に志願した彼らは、正規兵の中でも最底辺の扱いとなってしまう。

 この後彼らは騎士団の下に振り分けられ、最低限の装備や物資を与えられ、数あわせの戦場へと送られる。そこで戦い、戦果を得れば立身出世の道も待っていようが、多くは儚い運命を迎えることになる。


「わははははは!!」


 だが、多くの人間は、そう思ってはいないらしい。

 笑う声がそこかしこで響く。この戦争を終えたときに自分がどうなっているかを想像し、語り合い、励まし合っている。まるで自分も死ぬとは考えていないように。

 ぼーっとして、それを眺めている人間もいる。何かの順番待ちをしているかのように、落ち着き払ったその男は、水筒から水を一口飲んで溜息をついていた。



「邪魔だよ」


 立ったまま中を眺めていた僕は、背後から声をかけられ振り返る。入り口を塞いでいたようで、すみませんと謝りつつ道を空けるがその隙間から中へと入ろうとした男女二人はすれ違い様に足を止めた。

「どこかで見たことがある顔だな」

「…………」

 一瞬僕が話しかけられていると思わずに無視してしまっていたが、どうも僕に向けてらしい。男は部屋の中に視線を向けたまま、呟くように吐き捨てた。


「……?」

 何か言っただろうか、と僕が黙って先を促すが、男の反応はない。代わりに女の方が、僕の顔をしげしげと見つめて考え込んでいた。

 女は僕の顔に見覚えはなかったようだが、ようやく男が振り返る。革の鎧は所々すり切れた場所が補修されており、振り返った仕草で中に着込んだ鎖が微かに音を立てた。

 逆立てた髪の毛の下、広い額の下にある眉は傷跡で一部削られており、睫毛の少なさが人相を悪くして見せている。


 正直、僕は見覚えがない。

「心配すんなよ。初対面だ。こっちはお前のことをよーくご存じだけどな」

「はあ」

 僕が応えないのを見て、僕が彼の素性を考えていると思ったのだろう。内心の質問に答えてくれるが、まあ明らかに友好的な態度ではない。

「誰?」


 女の方はやはり僕のことを知らなかったらしく、男に尋ねる。こちらも革の鎧だが、補修跡も少なくやや新しい気がする。

「カラスっていったな。探索ギルドの有名人だろ? 〈猟犬〉レシッドに尻尾を振って名前を上げた探索者」

「名前はあってますね」

「ケツを掘らせたって噂もあったっけか。その色男っぷりをみると、まんざら嘘でもなさそうだが」

「嘘ですけど」


 ようやく気が付いたが、またこれか。

 探索ギルドでよくあったこと。名前を上げようと、僕に因縁をつけてくる誰か。

 もっともこの男の場合は、何かしらの悪感情もありそうだけれども。


 女のほうが片眉を顰めて僕を見る。男の肩に縋り付くように身体を寄せながら。

 男は女を庇うように腕を少し前にやり、僕を牽制するように見た。

「そんな男がどうしてここに? ここに来たら、戦場に出なくちゃいけねえって知らねえのかよ」

「戦場に出なくちゃいけないからですね。もう雇われの身なのでここに来なくてもよかったんですが」

 僕は単純に、寝泊まり出来る場所を見に来ただけだ。この国の王女であるはずのミルラが僕に寝床を用意出来ればここに来ることもなかったし、初日のようにクロードに掛けあえば別に普通に宿に泊まれたのだろうが。

「お前を? 雇う? 馬鹿な奴もいるもんだな」

「……それ多分、誰に雇われたか知っていたら言えない言葉ですけど」

「お前みたいな詐欺師がどんな奴に雇われたって?」

「ミルラ・エッセン王女殿下です」


 別に隠す必要もない。そう思い口にしたが、男は顔を歪めて「はあ?」と一言応えた。

「王女殿下? 詐欺師の面目ここに極まったか。そんなわけねえだろ」

「一応証拠もあるんですけどね」


 僕は背中に担いでいた荷物を下ろし、ごそごそと漁り、数日前に渡された大きな白い布を取り出す。僕の胴体を包める程度のその旗は、ミルラから常に持っていろと渡されたもの。

 広げれば、そこには青い糸で蕗の葉を咥えた鷲の紋章が刺繍されている。この国では、ミルラかその配下だけが使うことを許されている紋章だ。

 戦場で旗を振ることはないだろうが、それでも掲げれば僕は高々にミルラの麾下であることを示すことが出来る。


「なんだそりゃ?」

「知らないならいいです」

 だが、男は知らないらしい。多分表情から見ても女も。

 まあ仕方がないだろう。エッセンにある貴族と呼ばれている家は騎士爵を除いて一千余り。全てを覚えるのは、紋章官と呼ばれる専門の役職に就いている者でもなければ難しい。一目見ただけで判別出来るグスタフさんやオルガさんが異常なのだ。

 僕が溜息をついて荷物に納めようと布を畳み始めると、その態度が気に入らないのか男がその腕を掴んだ。


「よくわからないが、……詐欺の証拠、ってことでいいよな?」

「いいえ」


 いいわけがない。と、思うと同時に楽しくそして気の毒な気分になる。

 やはりこういう扱いだ。

 僕とこの男たちは初対面。なのに、明らかな敵愾心が見て取れる。先ほどちらりと襟元に見えたのは蜥蜴のバッジ、探索者の登録証。僕を詐欺師と殊更に非難するのはそのためだろう。

 何がこの男をそこまで苛立たせたかはわからない。昔、僕が数日で色付きに上がったからか、それとも化け狐や竜を殺したという噂からか。その他の理由でも、きっといくつも用意出来るだろう。

 僕が何かを彼にしたわけではないらしい。何しろ彼も認めたとおり、初対面だ。


 だが彼も楽しそうだ。詐欺の証拠を掴んだと思っている。詐欺師である僕が、次に名前を売るためにつく嘘の尻尾を掴んだと思っている。そのためだろう、その頬が少し緩んでいるのは。

 楽しいのだろう。詐欺師という、僕を嫌う理由が出来て。

 僕を嫌う理由が、嫉妬とか、そういうものではないと誤魔化すことが出来て。


 わかっているし、そういうものだと認識している。この街はそういう街だ。

 今更この街に温かく迎えて欲しいわけではないし、迎えられた方が気分が悪い。



 そしてやはり、気の毒になる。僕を麾下にしたミルラ王女に。

 こんな扱いを受ける僕だ。そもそもミルラ王女に対して王が何も思うところがなくても、僕の失点は探されて重ねられていくのだと思う。

 僕がいくら活躍しようとも、ミルラ王女の身にはその功績は届かない。そんな確信がある。


 レイトンの影響か、王城での生活が異常だったのだ、と思う。

 昔はこの街でもそうだったが、僕の作った薬を皆が求めた。毒で倒れた人間の治療に僕を頼る人間がいた。クロードの策略もあったが、僕に対して友好的な人間も多く増えた。

 中には気に入らない人間もいたし、その点だけでも僕には耐えがたい苦痛だったが、ここよりは平均的にマシなのだと思う。

 仮にジュリアンもミルラもいないのであれば、あの城での生活というものは、この国にしては楽しいものだったのだと思う。


「手を離してください」

「おい誰か手伝ってくれ! 〈狐砕き〉カラスの悪行を暴いてやりたい奴!!」


 騒ぐ男を無視するように、僕は手を振り払う。

 男の声に応えて、僕を知っている人間たちだろう奴らが、三人ほど立ち上がった。

 後の人間は楽しむように僕らを見るか、それか唾を飲むようにして緊張した面持ちで見守るか、あとは興味なさげにこちらを一度見るだけだった。


 彼らの顔を見て、やはり楽しくなる。

 僕としてもありがたい。王城での生活で勘違いするところだった。この国のことをほんの僅かに見直すところだった。きっと王城では、彼らは上手く隠していたのだと思う。この国の国民性を。



 ありがたい。

 僕もこの国が嫌いだと、思い出させてくれて。



 囲むように動き出した男たちを無視するように僕は踵を返す。

 あまりここに来た意味もなかった。

 スヴェンやクロードたちの到着まで適当に森で待機して、軍の動きを待っていれば良かった。

 それとももう適当にいくつかの拠点を潰してきてしまおうか。ネルグの森の中にムジカル兵が拠点を作ったならば、それを潰せば潰すほど侵攻は遅くなる。やはりここに来て、『勝手に殺し合えばいいのに』という思いも強くなってきてしまったが。


「逃げるのかよ」

 僕の肩を掴む手がある。僕に因縁をつけてきた男の手、先ほどよりも大分手に力が入っているのは笑うところだろうか。

 僕もその手首を掴み返し、振り返りつつその手を捻る。


「っ……!」

「元気が余っているのなら、戦争が始まるまで大事にとっておいたほうがいいと思います」

 振り払えばいいのに。一応関節を固めているので難しいとは思うが、外せないわけがないだろうに。

 男の腕の震えが僕の手に伝わる。男の空いた右手は、腰に差した短剣を取ろうと動き始めた。


 僕は男の左手を外向きに返すように捻りながら、その右手を押さえるように左腕を斜め下に下ろす。

 男は左腰に手が届かず、歯を食いしばって懸命に身体を内巻きに動かそうとする。これだけ簡単に押さえられているのに、まだ元気があるなら頼もしい限りだ。


 後ろでは、手を出しあぐねて固まっている男たち。先ほど立ち上がったのに、こちらは元気がない。

「加勢は?」

 僕が問いかけるが、男たちは息を飲んで固まったままだ。僕は片手が塞がっているし、遠くから何かで刺すとか何かを投げるとか出来そうなものだが。

 目の前の男も、片手が封じられているものの、剣にこだわらなければまだ出来ることはある。空いている足で蹴り上げてもいいし、頭突きなども頑張れば届きそうな距離だ。すればいいのに。



 見守っている群衆から、こそこそと声が聞こえる。

「……あの〈翔虎〉のラビィを……」

 そして、目の前の男は有名らしい。僕とは違い、きちんとした評判で。

 実際にこの男が僕を目の敵にしている理由は知らないが、別に僕のことなど気にせずにそのまま頑張ればいいのに。僕は彼が何を頑張ればいいのかもよくわかっていないが。


「……ょ…の…」

 男が不明瞭に何か呟く。何か言っただろうかと僕が男に視線を戻すと、こちらを見る強い視線と交わる。

 そして僕の視線に応えるように、大きく息を吸って、それでも自信なさげに呟くように吠える。

「卑怯、者が……!」

「とりあえず何か言っておけばいいと思ってません?」

 よいしょ、と僕が取っている彼の左腕を回し、右手に絡めるようにして弾きながら彼自身の身体を回す。後ろ手に取るようにした手ごと身体を押して、加勢にも入らない仲間の人間たちのもとへ突き出すように突き飛ばす。


 蹈鞴を踏んだ男が、仲間に受け止められて体勢を整える。そういえば、と彼本来の仲間らしい女を見れば、男の方を咎めるような目で見ていた。


「……卑怯者が、と戦場でも言う気ですか?」

 そもそも何が卑怯なのだろう。ここでもそうだが、仮に戦場に出てしまえば騙し討ちすら普通に戦術になるのに。それに、別に騙し討ちをしたわけでも何かしらの嘘をついたわけでも何でもない。

「…………お前みたいな奴は、どうせ生き残るわな!」

「戦場で生き残るのは良いことでは?」

 話が噛み合わない。いつも思うが、会話を諦めてもいい展開だろう、これは。


「やめなって、ラビィ……」

「っ……うっせぇ!!」


 連れていた女が止めるが、男はその言葉に焦るように猛り狂う。

 そして一瞬の後、立ち上ったのは闘気の光。まさか、本気でやる気だろうか。


 ムジカルでも、たしかにこういう事はよくあると聞いた。募兵されている集団の中で、上下関係を作ろうと喧嘩が勃発する。そのせいで参戦出来なかった、と王都へ帰り嘆く人間に骨傷向けの膏薬を処方した覚えすらある。

 まさか僕がそれに巻き込まれるとも思っていなかったが。


「表出ろっ!」

「外へ出る気はありますが、喧嘩は嫌です」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!!」


 男が地団駄を踏むように足を踏みならす。

 それと同時に、鈍い音が足下から響いた。


 割れた木製の床板。弾けるように破片が舞い、男の足が沈むようにくぼみに落ちる。


「ここ一応公共の建物だと思うんですが」

「あの、その通りなんで、壊すのやめてくれない?」


 僕が咎めるように口にすると、それに被せるように背後からまた声が響く。

 今日は何だ、後ろからよく声をかけられる気がする。


「あぁ!?」

 男が僕と、その背後の声の主を凄むように睨み付ける。

 

 僕もちらりと後ろを見る。

 そこには、見知った顔があった。


「誰だお前は!! てめえもカラスの仲間か!?」

「どっかの馬鹿が床壊したら直さなくちゃいけない奴だよ」

「直すんですか?」

 直す技能があるとはいえ、職種的にはそうではないはずだが。

「正確には直す指示を出す人だったな。お前も細かい」


 溜息をついて、モスクが眼鏡のずれを直す。

「ともかく、建物壊すのやめてくれよ。予算取れなくて体当たりしたら崩れるくらい安普請なんだから。それと、カラスも弱い者いじめはやめたほうがいいんじゃないのか」

「喧嘩を買ったつもりもないんですが」

「口答えをする前に口調に気をつけろこの真っ黒野郎が」


 本気で罵っているわけでもなく、冗談めかしてモスクは言う。

 だがその言葉に僕は内心舌打ちをする。

 覚えていたか。忘れてくれていると思っていたのに。


 僕は懸命に言葉を選び、崩しにかかる。普通逆な気がするのだけれども。

「……僕は喧嘩を売られた側だから、弱い者いじめという言葉には異議を唱えたい」

「ん、まー、別に俺はどっちでも構わないけど」


「っ!!」


 半分モスクの方を向いて喋っていると、男が業を煮やしたように舌打ちをし、足下の端材を蹴り飛ばす。

 僕の顔に向けて正確に飛んできたそれを躱さずに頬で受けると、その景色の向こう側で男が床を蹴って僕へ向けて跳んでいた。


 男の右手が今度こそ剣へと伸びる。そのまま横薙ぎの一閃に繋げようという腕のしなり。

 面倒な。


 僕の側からも一歩踏み込み、左手で男の腕を押さえる。空中にいた男の身体を受け止めたまま、その顎に右手で突きを入れれば、綺麗にその顎が打ち抜けた。

 感触からして、顎が押し込まれ、その衝撃で頸椎が強制的に前屈。どこの骨かまではわからないが、ビキッ、という感触が拳に伝わってきた。


 拳を引き、体勢を整える。

 視線の向こうで、ダン、と男の身体が板の上に跳ねて少し滑る。

 それきり、男は動かなくなった。



「だから弱い者いじめはやめろって。いくら馬鹿でも死んだらさすがに困るだろ」

 呆れるようにモスクが重ねてそう言うが、殺すことは僕もしない。


「手加減はしてま……るよ」

「だろうな。本気だったら貫通してんじゃね?」


 笑いつつ、モスクが僕の横を通り抜ける。男の息があることを手をかざして確認し、心配そうに駆け寄った女に「ほっとけば目が覚めるよ」と軽く話していた。




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― 新着の感想 ―
[一言] そりゃあグスタフさんが石ころ屋をやろうって街なんだから他とは比べ物にならないでしょ。
[一言] カラス君が本気だったら今頃首から上が消えてるからなぁ
[一言] >どこの骨かまではわからないが、ビキッ、という感触が拳に伝わってきた。 >「ほっとけば目が覚めるよ」と軽く話していた。 その手応え…目は覚めるかもしれないけれど、実は半身不随とかになってな…
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