悪い人との出会い
「少し聞こえていたが、あんまりいいカッコするもんじゃねえぞ」
「はあ。何のことかわかりませんが……」
そう言って凄んでくる男に、僕は言い返す。
「魔物だよ、魔物。お前みたいなちんちくりんのガキが、魔物を討伐しただあ? 馬鹿言うなってんだ」
ゲラゲラと男は笑う。つられてか、周囲にも何人か失笑する者がいた。
「装備だってこりゃ何だ? 戦う奴の服じゃねえだろうが。嘘ばっかいって、大人の仕事場を邪魔するんじゃねえよ」
確かに今の服装は、ローブを脱いだため普通の街中で暮らす町人のような服になっている。デニムのような硬い生地のズボンと、木綿色のカッターシャツ。背中に着けてある鞄と山刀を除けば、およそ外に出る服ではない。
「ああ、外套を脱いでしまったので確かに野外活動用の服ではないですね。ですが、魔物の討伐についてはギルドに嘘をついてもすぐにバレてしまうと思いますが?」
「死体は捨ててきた」ならまだしも、僕は「ギルドに委託した」と言ったのだ。そこに疑える要素はないはずだ。しかし男は、またそれも笑った。
「じゃああれだ、飛鼠みてえなちっちゃい魔物だろ? あれなら、子供でも殺せるもんなぁ」
飛鼠は、兎の体を持つ鼠だ。魔物とはいうが、その群れの中にいる僅かな変異種ともいえる個体が闘気を帯びているだけで、あとは普通の小動物と言ってもいい。
お前にはそれぐらいしか殺せないだろう、そう言われたってことは。
「……これはもしかして、喧嘩を売られてるんですか?」
「喧嘩だぁ? 違えよ。俺は依頼の納品ついでに新人のガキに教育的指導をしてやろうってんだ」
面倒くさいのに絡まれたらしい。何か気に障ることでもしたんだろうか。
「何に苛ついているのかはわかりませんが、とにかく早くここをどきましょうよ。後ろの人の邪魔です」
「先輩に対して言えることか? あぁ?」
どこうともせずに、凄むことを続ける先輩らしき男。いや、確かに僕は二日前に探索者になったばかりなので、この男が先輩なのはほぼ間違いないのだが。
違和感がある。僕は思わず眉を顰めた。
「ああ? 何だ? その目つき!?」
そして、その表情に返ってきたその言葉。それを聞いて、気が付いた。
違和感の正体は、次々と僕を責める場所が変わっていっていることだった。
もちろん、その全てが確かにこの男を苛つかせているのかもしれない。だがこれは、多分違う。
これは、僕が何か悪いことをしたから怒っているのではない。怒るために、僕の悪い場所を探しているのだ。
では、何のために?
それがわからない。騒ぎを起こして、何かこの男に得があるというのだろうか。
「おい、黙ってんなよ、なあ!」
男はその手を伸ばし、僕の肩にかける。そして、揺さぶろうと力を込めた。
まあ、しかし僕に喧嘩を売っていることは間違いない。そして、肉体的な接触。これはもう、害意があるとみていいだろう。
僕は手をゆっくりと男の手にかけた。
「ちょ、ちょっと、やめときなさいよ!」
テトラが男に向かって制止の声を上げる。それを聞いて、また男は笑った。
「ハハハ、女に庇われてやんの。だっせえガキだな、おい」
「……庇われているわけじゃないと思いますよ」
僕はそれを鼻で笑う。
テトラが、手を握り返した僕ではなく自分に、そして「やめなさい」ではなく「やめておけ」と声をかけた意味。それは多分、僕を庇っているんじゃないだろう。
「まだ口答えすんのか。そんな奴は、この俺、<怪力無双>のトルネが指導してやらぁ!」
男は空いた右手を掲げ、高らかに自分の名を名乗る。声が建物に響き渡った。
しかし、<怪力無双>? 有名なのだろうか。
先程の受付嬢の方をチラリと見ると、受付嬢は小さく首を横に振った。
恐らく、無名ということなのだろう。
……なるほど。そういうことか。
僕の口元に、無意識に笑みが浮かぶ。
違和感のある絡み方に、次々と増えていく言いがかり。そして不自然な名乗り上げ。全てが繋がった。
この茶番劇は、この男が名を売るために行っているのだ。
騒ぎに関われば、とりあえず名が周囲に伝わる。それが好意的なものであれ、否定的なものであれ、名が売れることには変わりが無い。
悪名は無名に勝る。無関心よりも、まずは名前を知ってもらいたい。そんな地道な、涙ぐましい活動の一環として、この新人イジメが行われているのだ。
乾いた笑いが漏れた。そんなことのために、僕は今足を止められているのか。
僕は安全に利用出来るなどと、そう思われているのか。
「お? また笑いや……」
「<怪力無双>、大した名前ですね」
僕はトルネの手に力を込める。そしてグイッと強引に肩から引きはがした。
「あ゛ぁ!?」
トルネの短い叫び声が上がる。その腕は、関節がないところで曲がっている。ガレアッジ骨折だ。
「い゛っだ……あ……!」
呻き声を上げながら、トルネはその左腕を押さえていた。
「こんな子供に力負けして、怪力とは可笑しな話ですが」
言いながら、襟にあるバッジを確認する。まだ目も無い、子供の蜥蜴。
「先程この女性は、僕を庇ったんじゃない。貴方の身を心配したんですよ」
シンと静まりかえったギルド内。僕に注目が集まる。穏便に済まさなかった僕も悪いが、とんだとばっちりだ。
居心地が悪い。さっさと帰ろう。テトラに目を向けて、僕は歩き出す。
しかし、流石に苛ついた。最後に一つ嫌味だけでも。
「貴重な教育的指導ありがとうございました。<怪力無双>のトルネさん」
「……クソがぁ!!」
僕が言い終わると同時に勢いよくトルネは立ち上がる。……ああ、やはり一言多かったか。
トルネは残った右手で背中の大斧に手をかける。しかしその手は、誰かの手で押し止められた。
「やめといた方がいいと思うよ」
初めからそこにいたように佇むその細身の男。短い癖のある金髪を後ろで結んだその男は、静かにその手を引きずり下ろす。
「て、てめえっ……!!」
振り返り、ニコリと微笑む彼の顔を確認したトルネは、肩をビクンと震わせ止まった。
「それよりも早く、治療院に行った方がいいんじゃないかな。手は障害が残ると大変だからさ」
その言葉にトルネは何も言えないようで、口を閉ざす。
そして、小さく舌打ちをすると、手を振り払い、僕の横を早足で通り過ぎた。
「覚えてろよ」
そう僕に向けた、怒りの表情と捨て台詞を残して。
「……わあ、怖いねえ」
不敵な笑みを浮かべながら、細身の男性はおどけてみせた。
そして、トルネが去るとすぐに、ギルド内は先程までのようにガヤガヤと動き始めた。達成報告カウンターも、もう正常に働いている。
もはや何事もなかったかのように、ギルドの機能を取り戻しているのだ。これは日常茶飯事だったと言うことだろうか。
中の様子をボウッと見つめていると、先程の細身の男がニコリと笑い、僕に話しかけてきた。
「大変だったね。まあ、気にしなくていいよ。彼、よく同じような騒ぎを起こしているからね」
「同じような騒ぎを起こしてるのに、誰も止めに入らないんですね」
ギルド側すらそれを止める気が無いのだろう。さっきも、受付嬢や他の職員が動く気配はなかった。
「まあ、色々と見逃される理由があるのさ。それで、帰るんだろう?」
「ええ、まあ」
「なら、早く行った方がいい。そっちの女の子の宿探しをする手間もあるだろうしね」
「……ああ、そうですね」
確かにテトラの宿探しは急いだ方がいい。今からであれば、まだいくつか空いているところはあるはずだ。
まあ、そこまで協力する気は無いが。
「では、ありがとうございました。ええと……」
別れ際、細身の男の名がわからず、言葉に詰まる。それを察したのか、またニコリと笑って男は応える。
「ぼくはレイトン・ドルグワント。レイトンって気軽に呼んでよ。それじゃあまた今度ね、カラス君にヘドロン嬢」
そう言い残して手を振り、レイトンはギルド内にまた歩いて行った。
ギルドを出てすぐに、テトラが重々しく口を開く。
「それで、何であんな報告をしたの?」
「あんな報告、とは?」
「私が砦の最上階に入ったとき、もう火は付けられてたってことよ」
「ああ」
先程のギルドへの報告のことか。
部屋が焼けた理由を、テトラではなくネルグに押しつけたあの報告。
「別に、嘘つかなくてもよかったんじゃないの?」
「いやあ、並んでいる途中で気付いたんですが……」
言葉を切り、僕は立ち止まる。
「それじゃあ、テトラさんを突き出すみたいで後味悪いじゃないですか」
みたい、というかまさに突き出す形なのだが。
「はぁ!? それだけ!?」
「はい、それだけです」
僕が笑顔で言い切ると、テトラは呆れた顔で言った。
「あんた、そんなことのためだけに、ギルドに嘘をついたの……」
「まあ信憑性を増すためにテトラさんの同席は取りやめませんでしたが、やはりバレていたようです。ただご足労願っただけになっちゃいましたね」
すいません、と頭をぺこりと下げる。そんな僕を見て、テトラは苦笑した。
「……本当は、私が謝る側なのよ。早く運んでもらって助かったし、そもそも命を助けてもらったんだもの。さらに、ギルドに嘘ついてまで庇ってもらって……。文句なんか言えるはず無いじゃない」
「……ですよね」
話が途切れると、どちらともなく笑い声が漏れた。
「では、これで解散ということで。何かこのイラインで大事な用があったんでしょう? 頑張って下さい」
「ええ。元気でね。心配ないと思うけど、怪我しないようにあんたこそ頑張んなさいよ」
簡単な挨拶だけして、テトラとは別れる。
縁があれば、赤毛の彼女とはまたいつかどこかで会うだろう。次に会うときは、魔物や暗殺者など、厄介ごとの種が無いときにしてほしいものだ。
今日も街は、夕日とともに暗闇に沈んでいった。




