閑話:抜け駆け
夕暮れが迫る空を硝子越しに見上げて、ヨウイチは窓硝子にピタリと指先を当てる。
外の空気は夏らしく温かなものだったが、硝子窓の冷たさが心地良かった。
この城に召喚されたのは初夏だった。その時に満月に近かった月は二度痩せて姿を消して、またその大きな姿を取り戻しつつある。
まだ明るさの残る空に浮かぶ月に、何故だか見下ろされている気がした。
「勇者様、お召し物を」
「ああ、はい」
背後からマアムに声をかけられて振り返る。今のヨウイチは部屋着というわけではないが、いつもの礼服から一枚脱いだ軽装だ。これでは公的な場には出られない。
これから始まる舞踏会は、勇者が主役ではないかしこまった場だというのに。
いつもの礼服に袖を通す。もう慣れたものだ。
学生服に似た黒い服。大きな金のボタンが光り、その存在を主張しているいつもの服。
一千年前の勇者の着ていた服を参考にして発展したその種の礼服は、今やエッセンで使われている礼服の一つとして埋もれていた。
もはや慣れたもの。ブレザーが制服だった中学高校時代とは違う、ある種古風な学生服。
それに、勇者と呼ばれるのも。
今夜の晩餐会、そこはヨウイチにとって初めての、ヨウイチが主役ではない晩餐会だ。
そして晩餐会という呼称は適当ではない。それよりも優先されるのは舞踏会。そしてそれは、より下品に、より下等な呼称をするのであれば、『酒盛り』が相応しい。
開かれているのはこの城でもっとも大きな舞踏会場。ヨウイチが到着したときには、そこは既に大勢の人が集まっていた。
出入り口を見張る聖騎士に軽く頭を下げて、マアムを伴いヨウイチは足を踏み入れる。
いつもはそれだけで会場の視線が集まる彼だったが、今回は近くにいた人間たちの視線しか集まらずに逆に少しだけ居心地を悪く感じた。
さりげなく後ろを振り返り、マアムを確認する。マアムもヨウイチの視線を受けて頷く。
こういう場での作法も、ヨウイチはマアムに聞いてはいた。
舞踏会だ。もちろんこの場は、舞踏を楽しむ会という建前上の目的がある。音楽が流れているときは、相手がいれば踊る。相手がいなければ壁の花となりそれを見つつ相手を探す。飲み物や軽食をとり、腹を満たすのもいい。
建前上は無礼講で、酒の席ということもあり少々の身分の無視は寛恕される。招かれているのは王侯貴族、もしく衛兵や聖騎士などの高官たちではあるが、使用人たちも含めて通常は話しかけることすら憚られる身分差も飛び越えて交友することも出来る。貴族たちの中には、あえて使用人に混じり騒ぐものもいる。またはその逆も。
戦意高揚の会。それに、戦勝会。戦争の前後に行われるこれらは、普段この城で堅苦しく取り繕った仮面を剥がせる数少ない機会である。
いってしまえばこれは、明日から本格的に始まる軍事行動の前の、最後の乱痴気騒ぎ。それも最上級に上品な。
そして、建前上は。
ヨウイチは、マアムに示されるがままに、会場を見渡して見つけた一人の男性に歩み寄る。今この場でもっとも地位の高い人物に目をつけて。
まだ音楽も流れていない今。それはいつもと同じくただの会話の時間であり、壁際に用意された食事も皆が手に持つ葡萄酒の杯も、ただ舌の滑りをよくするための潤滑剤である。
無礼講である。皆が交流出来るように。舞踏会である。皆が楽しめるような。
けれどもそんな建前を、真に受ける人間はそうはいない。
建前を信じ行動してしまう人間は、ただ周囲の皆の顰蹙を買うことになる。ただし、その顰蹙は皆の笑みの裏に隠され、中心となる人物は往々にして気づかないものなのだが。
歩み寄った先にいた男性は、ヨウイチの姿を見て笑みを強くする。その笑みに、ヨウイチの存在に気付いた他の客は、それとなく順番を譲り道を開いた。
ヨウイチは、胸に手を当て頭を軽く下げる。
「お初にお目にかかります。ビャクダン大公猊下」
「これは勇者殿。召喚の間でお見かけした以来ですな」
ビャクダン大公はその色黒の肌に窪ませた目を細め、烏の足跡を深めながら挨拶を返す。ふかふかとした口髭を歪ませる笑みは、ヨウイチから見ても優しげに感じた。
それとなくビャクダン大公は周囲を見回し、そこに敵がいないことを確認する。失言一つで足を掬われる。そんな立場の彼が、信の置けない相手と話すときに必ず行う仕草である。それから目の笑みを解き、声を潜ませて上目遣いに口を開いた。
「この度は愚息がご迷惑をおかけしましたようで。勇者殿に処刑場までご足労いただくなど」
「……いえ、それは俺からご子息にお願いしたものですので」
「庇いなさるな。ザブロック家のお嬢様との口論のことは私も聞き及んでおります。どうもあの歳になってもまだ、うちの愚息は使用人の扱いになれていないようで」
全く面倒なことを起こしてくれた、とビャクダン大公は内心嘆く。
勇者との縁を持てたのはいい。だが、勇者はそのように気安く扱っていい存在ではない。
喧嘩をする、程度ならまだよかった。しかし喧嘩をした相手は当時勇者の相手の最有力候補といわれていたルル・ザブロックの家の使用人。さらにそのときに、ルル・ザブロックとの口論にも発展した。
ならばその諍いに勇者が干渉してくることなど目に見えているし、そしてまた決闘など起こしてしまえば、どちらが勝とうとも勇者との間に禍根が出来てしまうだろう、とも。
「今は陛下の命で凍結しておりますが、どこかの機会で陛下にも掛け合いザブロック家へと和解状を送らせていただきましょう。然るべき後、手打ちにさせていただくのが双方にとってもっともよいのではないかと」
無論、戦争でうやむやになるということもあるだろう。だが、記録に残ってしまう以上、きちんとしたけじめは必要だとビャクダン大公は内心付け加えた。
「でもそれは……子供のことですよ? 俺はこの世界のことは知りませんが、そんな、大事にすることなんですか?」
事態が解決してしまう。そう内心焦ったヨウイチは、なんとか反論を絞り出す。心にもなく、論理立ててもいない言葉を。
冗談ではない。このままでは決闘自体がなくなってしまう。そうなれば、さすがにカラスとの上下関係をはっきりさせる機会が遠くなってしまう。これは、絶好の機会だというのに。
そんなヨウイチの内心を知らずに、ビャクダン大公はハハハと笑みを浮かべる。もちろんそれは、愛想笑いだが。
「大事というわけではないですが、それでも馬鹿息子の不始末ですからな。未熟な息子の不始末のけじめは親がつけるのが当然でしょう。……それとも」
愛想笑いは一息で尽きる。ビャクダン大公の顔に、訝しむような、哀れむような笑みだけが残る。
「勇者殿は、何か戦う理由でもおありだったのですか?」
中年男性の凄むような笑み。ヨウイチはそれを見て、何故だか背筋が伸びる気がした。
「うちの馬鹿息子の話によれば、決闘の相手にその諍いの原因となった使用人を指名したとか。そして、その使用人は、勇者殿と親交深いとか……なにか、仲違いでも?」
探るようなビャクダン大公の目。その目が笑みを浮かべていないことにようやく気付き、ヨウイチは唾を飲む。気圧されている、とは認めたくなかった。
ビャクダン大公としては、質問の答えは特段気になることではない。仮に仲違いしているとしても、その口論の中で互いに何かがずれてしまった、というのが自然のこと。
だが、それ以上の反論を封じたかった。おそらくこの話題は、勇者の真意を抉るものだろうと当たりをつけて、それでいてそんなことはおくびにも出さないように。
これ以上、二人の子供に付き合うのはごめんだ。
そうビャクダン大公は述懐する。
探索者カラスと勇者の決闘。その双方の伝え聞く情報を考える限り、ビャクダン大公の中ではその勝敗は確定的だ。すなわち、勇者の敗北。祭り上げられ、作り上げられた仮初めの英雄が、単騎で竜をも殺す男に勝てるわけがない。
勇者がカラスに勝てるのであればまだほんのわずかに光明は残っているが、おそらく負けるだろう。その時に、ビャクダン家が受ける損害は計り知れないだろう。
それは金貨や資産などの話ではない。面子の話だ。
国家の英雄たる勇者を決闘などという半ば私的な命のやりとりに出す。そこで負けられてしまえば、失われるのは勇者の信用だけではない。それを召喚し、重用しようとしたエッセン王国の威信までもが傷つけられる。
そしてそのときに傷つくのは、国家であってはならない。
ビャクダン家の後押しのもと勇者が戦い、その名に傷をつける。
そうなったときに責任を取るのはビャクダン家だ。決して勇者のせいではない、と皆は考えるだろう。何の根拠も無しに。
もちろんそうなったときには相手にその瑕疵は押しつける。決闘相手の探索者カラス、ひいてはその雇い主であるザブロック家。太師派の家とはいえ、ビャクダン家の名には代えられない。申し訳ない話ではあるが。
政治などに関わりのないただの青年だ。しかし、勇者である自分が決闘に出て、そして負ける。そのことについて少しばかりは考えを巡らせてほしかった。
そう、ビャクダン大公は内心を締めくくった。
言いたいことをまとめられず、ヨウイチは口元だけを動かす。
それから意を決し、ビャクダン大公に向けて宣言するように静かに言った。
「……天誅です」
「あの男が、何事かしでかしたと?」
「ご子息から聞いていないんですか? あのカラスの、…………」
カラス、とヨウイチはその名を口にする。
その瞬間、何故だか背中に突き刺さる何かの感触を覚え、振り返ったが誰もいない。
その先では名も知らぬ婦人たちが、手持ち無沙汰に何事かを囁き合うように会話していた。
彼女らが一瞬こちらを見た、気がする。
ヨウイチの仕草を気にも留めずに、ビャクダン大公はまた愛想笑いを浮かべた。
「聞いてはおりますが、さっぱり要領を得ませんでしたな」
「従兄弟さんが障害をとも」
「あの男との決闘でのことですね。自ら戦うなど、若さ故の蛮勇といったところでしょうか。私も若いときは武芸などを嗜んでおりましたので気持ちはわかりますが」
それもビャクダン大公は知っている。詳しい資料は残っていないが、サーベラス男爵家の長男は、ライプニッツ侯爵家の三男と共にカラスに挑み負けたという。
だが、それが何だというのだろうか。済んだことだ。それに、そもそもそれは他家のこと。ジュリアンが猛るようなことでもないはずだ。
そもそも、本人でもなければそれを吹聴することからして貴族らしくない。跡取りにもなれない末子ながら、放任しすぎたか、とビャクダン大公は今更ながらに思った。
会場付きの使用人が、二人の近くを通り過ぎる。その手に持つ盆の上には、一口ほどしかはいらない酒の杯がいくつか並んでいた。それに目を留めたビャクダン大公は、肩越しにそれを呼び止めた。
「ああ、二ついただけるかね」
「どうぞ」
笑みを浮かべて使用人が差しだした杯を受け取り、一つをヨウイチへ渡し、一つを自分が持つ。
話は終わりだ、という言葉にせぬ仕草。
「どうにも血生臭い話になってしまいましたな。今日だけはそれを忘れようという会なのに」
「……いえ」
ビャクダン大公は杯をわずかに持ち上げて掲げる。緑色の酒が中で踊った。森の匂いのする、薄い酒。
「それでは勇者殿、明日からのご活躍を祈る」
乾杯、と掲げた酒をビャクダン大公は呷る。
促されるようにヨウイチは、自分も同じように飲み干した。
ビャクダン大公と別れ、ヨウイチとマアムは会場を掻き分けるように渡る。
それから途中数人と少しの会話をしながらも、居心地の悪さは消えなかった。
ビャクダン大公は決闘を止める気だった。それを知り、苛立ちがわずかに胸を染める。
冗談ではない。戦い、あのカラスに痛い目を見せるチャンスだったのに。あのカラスに、自身の行いがどれほどのものかを思い知らせるチャンスだったのに。
チャンスだったのに。あのカラスに、勝てたのに。
そんな思いがヨウイチに溜息をつかせた。
カラスに勝てれば。
今のまま、鬱屈したままの自分にルルは靡くまい。
カラスに勝てれば全てが解決したはずなのに。彼女もきっと目を覚ますだろう。こんな弱い人間に、こんなだらしのない意気地のない人間に好意を寄せるなど、間違いだったと気付いただろう。
希望的観測と思い込み。それがヨウイチの思考をかき混ぜ染めていく。
相手に投影してしまう、認めたくない自分の本心を。羞恥心と妄想がその考えの主語を入れ替えてしまう。
カラスに勝てれば、全てが上手くいく。
恋した女性も手に入る。勇者として胸を張れる。
単純化し、肥大した世界観。
ヨウイチの中で、カラスが唯一の大きな敵となっていた。
ふと、ヨウイチは会場を見渡す。
マアムに言われるがままに、この会場内にいるめぼしい有力者への挨拶は済んだ。ならばもうあとは自由な時間で、自由に軽食を味わい踊りを楽しめばいい。
だがそのときに。
そのときに、一緒に楽しみたい相手。その顔を思い出し、会場を探した。
ルル・ザブロックはどこだろうか。彼女もここに来ているはずだ、と。
「ザブロック様ならば、いらっしゃらないようです」
「……みたいっすね」
マアムが察して答える。この会場に入ってから、ヨウイチのためにとマアムも既に視界の中で彼女を探していた。あの黒く地味な衣装を、ヨウイチに相応しくない女性を、と知らずに主観を込めながら。
ヨウイチは隠さずに溜息をつく。戦意高揚の会など、自分が参加するようなものではない。そうでなくても戦意は高揚している。自分がこういった会に参加するのは、彼女とただ会うためなのに、と。
もちろん、だからこれで帰る、などといった子供じみた真似は出来ない。そうしないだけの分別はある、という自負もあった。
折衷案として、ならば彼女が来るまで時間を潰そう、と会場をまた見渡す。
ネッサローズに捕まるのは勘弁してほしいところではあるが、それ以外の誰かと時間を潰すべく。
だがそんな気にもなれない。ならばどうする、とヨウイチは足を踏み出した。
そんなヨウイチの背中を、感触のない風が叩いた気がした。
また一歩踏み出せば、そこに道がある気がする。絨毯の上、どこを踏んでもそう変わりない感触で、事実何の違いも見いだせなかったが、そこを進まなければいけない、という気がした。
見えない誰かが手招きをしている。こっち、という声までも聞こえた気がする。
甘い匂いに誘われるように、ヨウイチは今度は自ら足を踏み出す。実際は誰も立ち位置を変えていないのに、ヨウイチには人混みが割れて見えた。
「勇者様?」
「ちょっと、外の空気吸ってきていいですか?」
返答を待たずにヨウイチはふらふらと歩き出す。割れた人混み。絨毯の上に出来た道。手招きをする誰か。そんないくつかの存在しない要素が、ヨウイチの手を引いた。
外に踏み出したヨウイチは、煉瓦で固められた足場、庭と舞踏会場の接続部分で立ち止まる。
舞踏会場の外にも人は疎らにいた。多くは休憩中の参加者たち。それに、一応の警備の者たち。
日も沈みかける中、だんだんと日光よりも松明や蝋燭の明かりの方が心強くなってきていた時間帯。薄暗くなりつつある外の空気を吸えば、ぼんやりとしていた感情が胸中でわずかに輪郭を帯びた。
まるで暗闇を吸い込んだかのように、何かが胸の中で渦を巻く。ぼんやりとしていた不安。それが、蛇が鎌首をもたげるようにこちらを見た気がする。
(やっぱ、……不安なんだ……)
どこか冷静にヨウイチは自らの感情を分析する。
戦争。その、遠い世界の遠い出来事だったはずの事象。それが今目前に迫ってきている。
まだ空にある、沈みつつある日の光。その光がもう一度上れば、自分は戦場に出るべく動き出すのだ。
無論、今までがそうではなかったとはいわない。魔法の訓練も剣術の訓練も、聖騎士と共に部隊で動く教練も、全てがそのために行われてきたものだ。
しかし明日からはもっと直接的である。必要な物資は今日の昼から既に前線近くへと送られ始めている。そして明日の昼には、自分も出立するのだ。ひとまずの前線基地、イラインと呼ばれる都へ。
不安でないはずがない。
戦いにおいては自信がある。魔法も覚え、剣術も合わせて、誰にも負ける気がしない。手こずることがあるかもしれないが、きっと戦えば誰にでも勝つ。そんな自信は溢れている。
だが万が一がある。なにせ、自分はまだ一度しか殺しあいを経験していないのだ。そんな素人相手にも、邪悪なムジカル兵は手を緩めないのだろう。
死ぬかもしれない。明日ではないが、近いうちに自分の命も消えてしまうかもしれない。
そんな不安に襲われたヨウイチは、それを押し隠すようにただ深呼吸を繰り返した。
足下で、パキ、と微かな音がした。
不安にしゃがみ込みそうにすらなっていたヨウイチの視界が、その音に目を覚ましたかのように開ける。一段と、視界が明るくなった気がした。
そして感じる、蜜のような甘い匂い。先ほども嗅いだ気がした。その先で、甘い話が囁かれていることを感じた。
立っている場所を変えずに、ただ興味をその場所へと移す。庭の隅、茂みに近い場所。
いつの間にか楽団が奏で始めていた音楽がまた消えて、その先での会話が鮮明に耳から入ってきた。
「ええ!? お前、まじで!?」
「そ、俺も、そろそろかなって思って……さ……」
鼻に絆創膏をつけた騎士が、仲間二人と会話をしている。それを確認したヨウイチは、その会話への集中を更に強めた。
自信なさげにしゃがみこんだ衛兵は、恥ずかしげに笑って、立ったままの二人を見上げる。
「こいつ、彼女に『結婚まだ?』ってせっつかれてるらしいんだ。だから今回のそれで」
「いい機会じゃん? これで活躍したら箔がつくし、彼女にも格好がつくし」
二人の事情の解説に、後からはいった絆創膏の男は「へー」と感心するように掠れた息を吐く。
「今夜?」
「いや、明日の朝にするつもり」
「出発の時に抱きしめてってか! かーっ!!」
立ったまま件の衛兵をからかうように、酔っ払ったもう一人が囃し立てる。絆創膏の男は楽しげに自分を抱きしめた。
「『この戦争から帰ってきたら……俺たち……結婚しよう!』」
「『はい、あなた……!』なんて……ふーぅ!」
酔った男はそれに答える台詞を継いでまた意味のない言葉を発する。もとから、酒乱の気がある男だった。
「お前らからかうなって。俺本気なんだけど」
「わかってるわかってる。応援するよ」
まあもう一杯、と絆創膏の男は金色の麦酒をしゃがみこんだ男に勧める。
そしてそれとなくヨウイチを確認すると、しゃがみ込んだ男に「頑張れよ!」と声をかけて肩を叩いてまた酒を取りにいく仕草で立ち去っていった。
甘い匂いの先にいた一団。
その全ては聞こえていなかったものの、ヨウイチの脳内でその概略が組み立てられる。
『戦争が終わったら結婚しよう』、そう彼女に明日告げることを決意した騎士の話。
ヨウイチの神経に衝撃が走った気がした。
良いアイデアが浮かんだ、と手を打ちたい気分になった。
そうだ、そうすればいいのだ。
先ほどまでヨウイチを襲っていた不安が見えなくなっていく。
胸中に不安が広がっていただけ、その暗闇を塗りつぶすように甘い考えが広がっていく。
ヨウイチは決めている。戦争で活躍すると。戦争で活躍をし、その褒賞としてルル・ザブロックとの結婚を認めさせるのだと。
だが、それはその通りにしなければいけないのだろうか?
ヨウイチの中で、独自の論理が構築されてゆく。
どうせ戦争で活躍をするのだ。どうせ戦争で活躍をして、ルル・ザブロックとの結婚を願い出るのだ。そしてそれは認められるのだ。
もはや決まっている道筋。そうならないかもしれない、などとヨウイチは考えていなかった。
最後は変わらない。ルル・ザブロックと自分は結婚する。
自分は恋した女性を手に入れる。それも、あのカラスから奪い取るのだ。
ならば順序の前後など、問題ではないのではないだろうか。
ヨウイチの脳内に、新たな道筋が出現する。
降ってきたような天恵に、ヨウイチは一度だけ息を大きく吸って吐く。
「マアムさん」
「はい?」
「ちょっと俺、会場から出ていいですか?」
ルルはこの会場に来ていない。何かしらの事情があるのか、それともただ気が乗らないのかはわからないが。
だが、会いたい。会いたくなった。矢も楯もたまらず。
戦争に出て、活躍し、王に結婚を認めさせる。
そんな華々しい道が目の前にある。
ならば、時系列の前後など些細な問題だ。
先にはっきりさせてしまおう。
ヨウイチは決めた。今日、これからのこと。
ルル・ザブロックへのプロポーズを。今夜。すぐにと。
今夜自分は愛を得る。それが戦争での奮戦の力の源。その力を使って戦争で活躍し、褒賞を手に入れる。王に願い出て、皆にそれを認めさせる。
そうすればきっと全てが上手くいく。愛する女性が国で待っているからこそ、戦場で活躍出来るのだ。
そして今日、ルル・ザブロックから了承を得れば。
勝てるのだ。自分は圧倒的に、完膚なきまでに、あの陰気な優男に。
あのカラスに、勝てるのだ。




