信じて
前二話と合せて本当はこの話までで一話(言い訳)
思い出してみても、まだ何となく気持ちが悪い。
まるで自分が乗っ取られているような気分。自分の意思が本当に自分の意思なのかわからなくなる。
今僕がルルに謝罪し、説明をしようとしていることも本当に僕の意思なのだろうか。
たしかにレイトンの言うとおり、おそらく手は足りない。
五英将が戦場に出るのは、大抵の場合ムジカルの尖兵が敵地に攻め込んだ後。それまでの居場所はてんでバラバラで、僕と数人が動き回って殺して回るのは非効率だ。
それにその場合、五英将と接敵するのは敵地。最初の一人か二人はよくても、それ以上だと絶対に警備が厳しくなる。もちろん最大の難敵は五英将自身だが、警備による労力の上昇も馬鹿にはなるまい。
ならばレイトンに誘導されたとおり、友軍と共に、戦場に出た敵を潰しながら五英将の出陣を待ち、彼らを討伐するのがベターな選択。
僕は先ほど考え、そう折り合いをつけた……のだが。
本当にそうだろうか?
僕が疑心暗鬼になっているだけかもしれない。
だが、何かないだろうか? またそれ以上に、良い案があったのではないだろうか?
そう何かやり残しがある気がする。きっと大丈夫、と誤魔化しながらもまだ。
もちろん、全て僕の勘違いもあるかもしれない。
僕は最初から、たとえばレグリスに出陣を申し出て、戦場に出る気だったのかもしれない。いいや、そんな気もする。だからレイトンはその修正案を出しただけだ。そうだったのかもしれない。
でも、そうではなかったら。
自分と他人の思考の境界線が曖昧になる。
これは僕の考えか、そうではないのか、たった一つの事象で自信がなくなってしまう。
今は、ミルラ王女はその前段階だろう。
僕からの言葉に心動かされ、僕を利用し成り上がることと、そして自身の燻りの原因が王にあると思いたい心とで様々に考えを巡らせていることだろう。
本当は、僕を通じたレイトンの言葉で、今まさに彼女は行動を誘導されている。今は彼女は、全て自身の考えで動いていると思っているだろうが。
僕は、どうなのだろうか。
頭を上げた僕は、ルルの視線に射竦められる。
まるで叱られているような気さえする。
けれどもその視線に恥じることなく見返すことが出来た。
それがきっと、僕の答えだ。
説明しろ、というルルのきつい視線が僕の身に突き刺さる。
「ミルラ王女の仰るとおり、おそらくこの国は滅びるでしょう。今回はムジカルも殲滅戦争を仕掛けてくるだろう、とは私も信頼出来る人間に聞いた話です」
信頼はしている。果物屋の店員が客から金を受け取って、たしかに注文された品物を受け渡すような。そして同時に、その時店員が客の事を慮る事は少ないように、信用出来る人間とはいえない。
それは改めて思い知った次第だが。
「ならば、そんな結末を避けるよう、私も力を尽くす次第です」
「嘘です」
僕の言葉は即座にルルに反論される。
……正直、この理由には嘘はない、と自負はしているのだけれども。
もちろんこの国は本当はどうでもいい。何なら僕が滅ぼしても何の痛痒も覚えないだろうし、むしろ楽しいと思う。だが、滅ぼされるわけにはいかない。今この国にはルルがいる。この国で暮らしていこうとしているルルが。
そのルルは、力なく首を横に振った。
「いいえ、嘘ではないですけれど、カラス様は言っていないことがあります……多分」
「それは」
「こんな国なんてどうでもいい、と以前仰っていたはずです。なら、なんで」
「どうでもよくは、なくなりました」
思わず僕は目を逸らしてしまう。嘘ではないが、気恥ずかしくて。
じろりとレグリスが僕を睨む。
彼女にしたら不快な話題だろう。この国を支える伯爵の一人。彼女には。
「『戦争に行く気はない』、『それでも参戦するならムジカル側』、という二つの言葉に反してしまい、申し訳ありません。参戦をする気になりました、エッセン側として」
その言葉を吐いたときには嘘ではなかった。だが結果的に嘘にしてしまった。それは申し訳ないと思っている。
あの時のルルは、僕の参戦に賛成派だったことを差し置いても。
「戦争が殲滅戦になるのなら、この王都も無事では済まないでしょう。略奪を受け、占領され、そしてその時はザブロック家も酷いことになる」
レイトンの、僕をこの王都に来るよう誘った時の文句。
『貴族の館は皆略奪を受ける。金品も人も』
たしか、そのような意味合いのものだった。……本当に思い出すだけで嫌になる。あれも布石か。
そしてレイトンが探り探りだったことを考えるなら、僕は多分そのときに、ルルのことを思い浮かべていたのだと思う。
……この考えも疑っておかなければいけないけれども。
「防がなければ。この国などたしかにどうでもいいですが、ザブロック家を守るためには」
「…………」
「酷い言われようね」
クスクスとミルラが笑う。彼女が本当に愛国心を持っているのなら、ここで怒るべきだと思うが。
「ですが、国益には適いますわ。このカラスは、ご自身ならば戦況を覆すことが出来ると仰っている。そのために、いくらかの人員まで揃えられると言っている。ならば、ね。本当ならば私から、そこまで説明することもありませんけれど」
「……それでも……」
「そして本当に、本当ならば私から、そこまで説明することもありませんけれど。カラスは他にも理由がありますわ。それこそ、私も木石ではありませんもの、事情を察することも出来た」
「…………?」
ルルが怪訝そうに眉を顰める。
なんというか、余り口にしてはほしくない事なんだけれども。
それでも止められず、僕はミルラのちらりとこちらを向いた笑顔を心中で睨み返した。
おそらくそんなことは知らないだろうミルラが続ける。
「勇者様とのご結婚、あまり進捗が芳しくないのは私も承知しておりますわ」
表情を変えずに、レグリスはミルラの言葉に唇を扇子で隠した。
「では、その後押しをするために?」
「勇者様とルル・ザブロックの婚約を阻むのは陛下の方針ですもの。それ以上は私には」
では? とレグリスがこちらに顔を向ける。
僕はその視線にギクリとし返答に詰まる。どう応えればいいだろうか。
真実の返事は、明らかな『いいえ』。だがそれを答えれば、レグリスの心証は損なうだろう。
だが『はい』と答えれば、ルルの心証を損なう。彼女が明言していないとはいえ、勇者との結婚をしたくないというのは知っているし、それをおそらくルルも承知している。
……とは一瞬怯んだが、まあ大丈夫だろうとも思い直す。
ルルなら、と。僕は信じている。
「はい。そのために」
ルルと勇者の結婚をさせるために。そう告げる言葉。
しかしきっとルルにはそう伝わっていないだろう。レグリスともミルラとも、違う意味としてこの言葉は伝わるはずだ。
というよりも、伝わってほしい。それは僕の願望だろうか。
ルルは少しだけきょとんと表情を消し、悩むようにわずかに首を傾げる。
伝わっただろうか。通じたと信じたい。
だが、期待通りの反応はなかった。むしろ感じたのは、怒り。
「で、でも、だからといってカラス様が戦場に出ることは……」
しかしその怒りも一瞬で消えるように隠れて、ルルはむしろ媚びるようにミルラにわずかな愛想笑いを浮かべて続けようとした。
「……ルル、何を反対することがあるのですか」
「ジグ様は亡くなったのです、お母様」
叱りつけるようにレグリスが言うが、レグリスに向けても初めてルルは刃向かうように言葉を向ける。
ジグという名前に心当たりがなかったのだろう。レグリスは一瞬迷うように目を細め、それからようやく思い至ったように扇子を一度バサリと鳴らした。
「先ほどミルラ様も仰ったとおり。ムジカルの軍にかかれば、聖騎士の方さえもお命を散らすことになる。そんな場所に……」
「彼らはそれが仕事です。気にすることはありません」
「ですが人の命です」
顔の下半分を隠した扇子の向こうで、レグリスが片目を瞑る。
ルルの膝の上に置いた手が握りしめられ、震えているのは気付いているだろうか。
そのルルの反応は、多分、僕にとっては嬉しいこと。
「…………もう一度言います。聞き分けなさい、ルル。これはカラス様の願いでもあるのですよ」
「…………っ」
何かを言おうとして、ルルが息を大きく吸う。
けれどもその言葉を発せられずに、溜息として全て吐き出した。
静かにルルが立ち上がる。
「……申し訳ありません。気分が優れませんので、私は外の空気を吸って参ります」
「ルル」
「もともと家人の差配はお母様の領域。私が口出し出来るはずもないものですから……私がここにいても、皆様の邪魔になるだけでしょう」
ミルラが音も出さずに笑みを浮かべてルルを見た。
ルルの方はそれをじっと、表情なく見つめ返していた。
「カラス様」
「はい」
そして脈絡なく、ルルがこちらを向く。それからちらりとミルラを見て、力なく下ろした手でスカートの生地を握りしめていた。
「……何故、私に相談をしていただけなかったのでしょうか?」
それはそう、とばかりにレグリスからの視線も僕を突き刺す。レグリスからしても頭越しにミルラとやりとりをされてしまったのだから、今はそう見えなくとも内心穏やかではないだろう。
「勇者様とのことが絡んでおりますので」
「……それでも……」
また何かを言おうとして、ルルが口を閉ざす。俯いた顔は前髪に隠れ、目元が見えない。
それから気を取り直すように顔を上げて、いつもの表情のない顔に戻った。
「ミルラ様、私は失礼致します。カラス様については、どうぞよしなに取り計らいくださいませ」
「ええ。たしかに。後でお会いしましょう」
机の横を通り抜け、ルルが静かに歩き出す。
サロメが慌てるようにそれを追おうとし、その前にと周囲に頭を下げた。オトフシも立ち上がり肩を鳴らす。
ルルが出ていくのを止められず、僕は道を譲る。
「……勝手な人……」
ぽつりと僕にだけ聞こえるようにそう言い残し、ルルは部屋を出ていった。




