張り巡らされたいと
それは、僕がこのルルの部屋に戻る前に立ち寄った場所。
「何の用ですの?」
王の演説の後、僕が向かったのはミルラの居室だった。
当然、会うのは本来難しい。ミルラは王族の一人。僕程度が会おうとして会える人間ではない。
だから、忍び込んだ。
もちろんそれは部屋の前の廊下まで。廊下に他の使用人がいないことを見計らったところで、彼女のいる部屋自体には普通に訪ねたわけだが。
アミネーたちとの交流は役に立っていたらしい。
本来約束もなく、更にミルラと友好関係にもない僕を通しはしない。
だが、通してくれた。玄関払いもせず、聖騎士に通報もせず、アミネーが独断で。
どこか気怠げにミルラは長椅子に座っていた。先ほどまで皆の前で見せていた外向きの顔は捨てたのだろうか。不機嫌そうでもなく、ただわずかに口角を上げた笑みを顔に貼り付けて。
目の前の机は真新しい天板。なのにもう、そこにはひっかき傷のようなものが出来ていた。
「突然の訪問失礼致します。お会い出来るとは思ってもいませんでした」
「アミネーが勝手に通したのです。本当ならお前の顔など見たくもなかったのに」
浅く腰掛けた長椅子。背もたれに深く寄りかかり、身体の横でソファーの座面をミルラは軽く引っ掻く。割れた爪に引っかかったのだろう、細い繊維がぷつぷつと音を立てた。
座るようアミネーに促されるが、僕は立ったまま彼女を見下ろす。見下ろされながらもミルラは、堂々とした仕草でふてぶてしいように笑みを強めた。
「まあ、構いませんわ。楽になさいませ、夜の予定までは私も暇ですから、客人としてお付き合いして差し上げましょう」
友好的な言葉とは裏腹に、ミルラは僕に着席を促さない。もちろん、アミネーに案内されている上、客人というなら僕には座る権利があるのだろうけれども。
「では」
ミルラの横顔を見ながら、僕は口を開く。
ミルラはそれに応えるよう、顎を上げて顔の向きだけを変えた。
「……お願いが、ございまして」
「勇者様のことでしたら、私は何の力にもなれませんわよ。ふふ、お役目も取り上げられ、これで名実共にお飾りの王女……ふふ、お飾りならもう少し綺麗に生まれたかったわ」
関係ない事までも持ち出す自虐混じりの言葉に何とも言えず、僕は小さく首を横に振る。
「勇者様のことではありません。ルル様には出来ないことで……ミルラ様に、私がお頼み申し上げたいこと」
「私に?」
「私を、戦場に出していただきたいのです」
何故だか一瞬だけ見えたミルラの喜びの顔。
それを見て、レイトンの言葉を思い返して、僕は今から口に出すことが何となく嫌になった。
けれども、続けなければ。
ミルラは鼻で笑いながら顔を背ける。
「意味がわかりませんわ。それならそれこそ、ルル・ザブロックやザブロック卿にでも嘆願なさい」
「私には、見たい光景があります」
「…………?」
嘲笑のような笑みが、困惑に変わる。怪訝そうに、そして面倒そうな顔でミルラがこちらを見た。
「おかしいと思いませんか? この、陛下の、ミルラ王女殿下の急な役目の剥奪は」
「何が仰りたいの? いいえ、喧嘩を売りたいならはっきり仰いなさいな、私が無能故と」
「そうではありません。むしろ、私は殿下は仕事をきっちりと果たしていたと思います。私には及びもつかない苦労を重ね、事実、勇者様は決闘にまで出てこられるような方に成長された」
実際には成長ではないだろう。ただ、感覚が鈍磨しただけで。
だがそこまでは言わない。今は、ミルラ王女の印象操作の方が先決だ。
「ルル様を伴侶に定め、この国を守ると明言していらっしゃる。本来異国の、この国に何の関わりもない彼を、戦場へと導いた。それはミルラ王女のたしかな功績でしょう」
「功績でも何でもないですわ。このくらい、誰にでも出来た」
爪に引っかかった繊維を擦って落とし、ミルラはそれを更に手の上から擦って散らす。
「いいえ、誰でも出来たどころではありません。その上でやるべきことがあったのに、やらなかった。だから私は陛下にも見放された」
「それは本当でしょうか?」
「貴方は私を怒らせたいの?」
ミルラに睨まれる、が、あまり怖くはない。
それが虚勢に感じる。……レイトンの予測通り。それが何となくむなしく怖い。
ここまで僕の言葉もそれに対するミルラの言葉も、ほぼ正確にレイトンの予想通りに進んでいる。
全て思い通りに進み、全てのものが予想通りに動く。僕は今、あの男が考えた言葉を何となく繰り返しているだけだが、レイトンが普段見ているのはこういう世界なのだろうか。
「エウリューケ・ライノラットの招聘。それも陛下には反対されたと聞きました」
「……ええ。具体的な仕事を用意しなければ許さないと言われてしまいましたわ。その上で、彼女の仕事は魔術ギルドに相談しても見つかりませんでした」
ミルラが僕から目を逸らす。敵意が薄れた。
「彼女は……私が知る限り、最高の腕を持つ魔術師の一人です。紹介させていただいたのは私ですが、それを見出したミルラ様も評価されるべきだと私は思います」
ミルラが背もたれに肘を突き、頬を手の甲で支える。だらしない、と叱られそうな格好になってきた気がする。
「結局ご自分の自慢ですか?」
「いいえ。ミルラ様が評価されないことに関して、おかしいと言っています」
『彼女は評価に飢えている』とレイトンは評していた。
今回の彼女の仕事は勇者の動員。戦争の準備をさせること。
彼女はたしかに余計なことをして僕の反感を買うし、勇者に冒さずともいい危険を冒させたりもした。
けれど、最終的には、確かに仕事を全うした。結果論ではあるが、勇者は戦争への意欲を引きずり出された。ほぼ予定通り現在戦争の準備は終えられている。
過程に多少の減点があっても、最終的には彼女は合格点に達しているとも取れるはずだ。なのに、彼女は評価されていない。王の政治的な意図により、彼女の得点は無視されている。
そこをくすぐれば、と。
まあ、僕から見ても彼女はあまり良い仕事をしたとは言えないのだが。
それでも、レイトンの言葉にも一理ある気がする。
「恣意的な何かを感じませんか? まるで、殿下が何を成し遂げようとも認めない、とでも言わんばかりの」
「…………」
ミルラが僕を見つめたまま、むにむにと唇を動かす。
そして何かしらの思うところがあったのだろう。目が泳ぐ。多分彼女の錯覚だが、彼女なりにも。
僕はそこに畳みかける。
「ルル様と勇者様の婚約は認めない、と陛下自身が仰ったとお聞きしました。新しい勇者様の世話役の方も、ルル様と勇者様の間を引き裂こうとしている」
「当然のことでしょう。伯爵家程度の家格では、勇者様とは釣り合いが取れませんから」
「だとしたら、何故それを、陛下は最初から殿下に言い添えておかなかったのでしょうか?」
「…………それは、……私も……」
一瞬黙った後、ミルラは僕の言葉に同意しかける。
だが首を振ってその言葉を押し留め、瞬きをして目に力を入れた。
反論はないようだったが。
「勇者様が伯爵家の子女をお選びになった。仮にそれが失敗だとするならば、何故殿下にそれを伝えていなかったのか。……まるで」
「…………」
「まるで、殿下が失敗するのを望んでいたかのように」
ミルラの入れ直した目の力が抜ける。
それと同時に、背後でアミネーが動いた。
「カラス様。耳目がないとはいえ、陛下の讒言はお控えくださいませ」
「私は疑問を口にしているだけです。もちろん、殿下が否と仰られるのならば、この話題はもう口にはいたしませんが」
アミネーは……多分事情を知っている。ミルラ王女の世話役交代劇が、単なる王の保身のためだと。知っているのか気付いているのかは知らないが。
それでも多分事情には明るい。クロードからそれとなく遠回しに聞いた僕以上には、多分。
振り返り、じっとアミネーと向かい合う。彼女の顰めた眉根は、多分後悔だろう。僕をここに入れたことの。
「…………続けなさい」
「ミルラ様」
「アミネー、別に私は信じているわけではないの。陛下が私の失敗を望んでいたなんて、そんなこと。でも、聞きたいではないですか? この哀れな探索者が、どんな愉快なことを言うのかと」
「……ここだけの話にしておきます」
「そうしなさい。私も、そうします」
恨めしそうに僕を見ているアミネーから身体を逸らし、また僕はミルラの方を向く。
「エウリューケさんのこともそうでしょう。彼女のことを、陛下にはどのように?」
「別に。ただの、優秀な魔術師だとお話ししただけですわ。勇者様の魔力投射成功も、彼女のおかげだと」
「優秀な魔術師、なら仮に招聘されれば、ミルラ王女の命により戦場へと出るのもおかしくはないとは思いませんか?」
「……それは、陛下が……」
お前が続きを言え、とミルラの視線が呟いた気がする。僕の顔へと向けていた視線が下がり、何かを思い出すかのようなぼんやりとしたものに変わっていった。
ミルラは僕の続きの言葉を期待している。だが、僕は言わずに黙ったままミルラの言葉を待った。
根負けしたように、ミルラが口を開く。
「それは陛下が、私の麾下に有能な魔術師が増えるのを恐れた、と?」
「そうではないと、否定は出来ないでしょう」
レイトンからの説明などはなかったが、正直それは違うと思う。
どちらかというと、何かの組織内のバランスの問題なのではないだろうか、と僕は予想する。そもそも、エウリューケの人となりを聞いていれば、組織に迎え入れたいと思うものは少ないだろうし。
だが充分だ。ミルラがそう思えば。
「不躾ながら、私も……」
「カラス様。ミルラ様への請願の理由が見えませんが」
捲し立てるように続けようとした僕。
だが、背後からそれを遮る声がする。アミネーは、僕の話している意図がわかっているのだろう。そんな気がする。
僕はその声に振り返りつつ、アミネーを牽制するように口を開く。視線だけで何となく制するように。アミネーの方も、やや目を細めて僕を見つめていたが。
「では……。私がミルラ王女殿下の名代として戦場に出て、戦功を挙げたところで、私は論功行賞の対象になるでしょうか?」
その言葉に、ミルラが鼻を鳴らす。
「貴方は、何が欲しいの?」
「欲しいものはないです。ただ、そこで、誰からも無視されることを望みます」
「は?」
わけがわからない、とミルラは口をぽかりと開ける。
レイトンの意図や今回のミルラの煽動とは関係なく、その顔が何となく楽しかった。
「先ほど口にした、見たい光景とはそういうものです。前回の戦で功績を挙げた、オラヴ・ストゥルソンという男をご存じでしょうか?」
「いいえ」
まあ多分知らないだろうな、と僕は構わず続ける。
「現在はイライン近くの街を管理している一市民です。残念ながら数年前に奪爵されておりますが、前回の戦で敵陣を単騎で壊滅させた功績で、彼はそのとき爵位を賜った」
「なら貴方も、それを目指すのではないのですか?」
「いいえ。そうはならないと予測はしています」
というよりも、そうはならないだろうと思っているからこそ、僕は今ミルラにこの話を持ちかけているわけだが。
「私は、明らかに大きな手柄を挙げましょう。敵陣を潰し、兵を焼き、戦況に変化を与えましょう。そしてミルラ王女殿下が了承していただけるならば、……まだ先方から了承の返事を頂けていないので誰かは明かせませんが、他の貴族が羨む兵を少なくとももう一人用意致しましょう」
「そのような大言は吐かぬ方が身のためですわ」
「もし仮に出来たとして、私は爵位を賜ることが出来ると思いますか? いいえ、もっと言うならば……その時、私の功績をそのまま譲渡された殿下は、どのような褒美を授けられると思いますか?」
「…………」
僕を嘲るように溜息をついたミルラは、僕の『褒美』という言葉に表情を変える。
やや目を伏せるようにして、ほんのわずかに悲しそうに。
「……私は誇り高き王族です。私がこのエッセンのために働くのは当然のこと。褒美など、…………」
「そうですね。得られない。どれだけの功績を挙げようが、どのような仕事を成功させようが、殿下は」
僕は無理矢理、先ほどの話と接続させる。
本来は論理の飛躍。または詭弁だろう。だが多分通る。レイトンに言われずとも、こうして話している僕にすらそれは感じられた。
「ただ働きがお望みとは、変わっておりますね」
アミネーが嫌みのように囃し立てる。僕はそれを無視するように殊更に視界から彼女を外した。
「正直に申し上げて、これは理由の半分ほどですが……私はそれが見たい。殿下の働きを正当に評価せず、どうにかして理屈をつけて褒美を出さない、そんな馬鹿げた国家の重鎮たちの姿を嘲笑いたい」
「……趣味の悪いこと……」
僕の方は見ずに、ミルラがぽつりと吐き捨てる。
それはそう思う。僕も、言いながらそう思った。
僕は昔、イラインに家を欲しがった。街の人間になって、それを知らないでまだ僕のことを浮浪児だと馬鹿にする人間を嘲笑いたかった。
あの時もきっと、こうだったのだろう。
だが変わらない。こればかりは。
「もちろん、そうでないことも願っております。賞罰が厳重に行われ、ミルラ王女殿下が正当に評価される。そんな公正な国であることも、一国民として願っております」
後半はもちろん嘘だ。
いいや、たしかに願っている。ただ、ルルが暮らすこの国が、公正な国であることは。
「私がここで申し上げたことは、殿下にとっては馬鹿げたことでしょう。殿下は正当な評価を受けている、とご自身はそう思っていらっしゃるのかもしれない」
「…………もちろんですわ」
「でしたら、全てが終わった後、私を笑えばいい。爵位や領地を賜り、『お前の言うことなど当てにはならなかった』と」
実際、この提案にミルラのデメリットはない。
現在ミルラ王女が戦場に誰かを送ることがないのは確認済みだ。
それが、僕という戦力を拾い上げる。しかも、僕は褒賞など要らないと言っている。彼女にとっては得しかない。
これで……。
これで?
なんだろう。変な感じがする。思考にかかっていた靄の存在に気が付いたような。
自身の行動に若干の違和感を抱きつつ、僕はミルラの反応を待つ。
僕からも目を逸らし、検討中なのだろう、深く考えるように黙っていた。
「残り……」
しばらくの静寂の後、ミルラはようやく口を開く。
「残り半分の理由は?」
もう答えは決まっているのだろう、という感じがする。
何となく寂しそうに、ミルラは僕を窺い見た。
「この国に滅びてほしくないのと、……勇者様の邪魔をしたいなと思いまして」
「問題発言ですわね」
ミルラがクスクスと笑う。寂しそう、ではあるが、明らかに僕がこの部屋に来た当初よりも明るく。
後はレイトンも言っていたことだ。先ほどの半分は……半分嘘の理由。その後素直に話せば、おそらく上手くいくだろうと。
「勇者様の邪魔というのは、やはりルル・ザブロックとの婚約のことでしょうか?」
「…………」
「隠さなくても結構よ。もう、勇者様が誰と結婚なさろうとも私にはどうでもよいことですもの」
ミルラの乾いた笑いが響き、背後のアミネーが何となく慌てるように身体を震わせた。
「あれだけ恋い焦がれていらっしゃったもの。勇者様は戦後にルル・ザブロックの身を望むでしょう。貴方はそれをどうにかして邪魔したい。違う?」
「その意図もあります」
「貴方も馬鹿ね、そんな回りくどいことを」
回りくどい。たしかに、回りくどいかもしれない。
馬鹿にするようなミルラの口調に、初めてほんのわずかに苛ついた気がする。僕は、図星を突かれたのか。
恥ずかしさに頬を掻いて目を逸らせば、ミルラの深い溜息が聞こえた。
「どうやって勇者様の邪魔を?」
「布陣したムジカル兵を壊滅させます。勇者様の目に触れる前に」
「途方もなく手間がかかるし、非効率的ね。それに非現実的じゃないかしら。まだ、勇者様が活躍出来ないよう戦争を止める、なんて言う方が現実味がありますわ」
まあたしかに難しいかもしれない。しかし、僕がムジカルにいたときに接した兵たちの練度が正しければ。僕が認識している兵たちの練度の平均値が正しければ、無理なことではないと僕は思う。
それに、戦争を止めるなど、僕には……。
…………。
再度、僕の脳内に違和感が姿を現す。
何かおかしいことを僕は考えている気がする。いや、今のところ僕自身に異常はないが、なんとなく『何か』が見えていない気がする。
その表現も何か違う。何かを見ることを、邪魔されている気がする。
誰かに。
「でも、わかりましたわ。寛大な私は貴方からの請願を聞き届けましょう。貴方を私の名代として、戦線に送り込みます。……という前に一つ、もう一つ疑問がありますわ」
「何でしょうか?」
随分と仕草の優雅さが消えたミルラが僕の思考を切る。僕は慌てて思考の焦点をミルラに戻すと、何故だか誰かにそれを笑われたように感じた。
「貴方の現在の雇い主、ザブロック卿はこのことをご存じ?」
「いいえ」
たしかに僕の雇い主はレグリスだ。こういった話を最初に相談するべきは、レグリスに決まっているだろうとも思う。
だがレグリスに話してしまえば、おそらくルルに話がまわされる。そうすれば、今度はルルと僕の話し合いになる。
結果、僕は説得を失敗しルルから反対され、どうすることも出来ずにこの話はミルラに持ち込まれる前になかったことになってしまうだろう、というのがレイトンの予測だ。
僕もそれには同意した。
しかし、何故同意したのだろうかと今になって思う。
以前ルルに、何故戦争に出ないのか、と問われたときの印象を思えば、僕が望むならルルも僕が戦争に出ることを反対はしない気もする。
どうしたのだろう。
先ほどからおかしい。僕の考えに、僕の中の無意識が反対しているといえばいいのだろうか。
僕の行動、思考に何となく納得がいかない。ミルラの煽動が順調にいっているはずなのに、順調にいけばいくほど『何かおかしい』という違和感がずっと頭に浮かび続ける。
「……貴方からの申し出なのに、そんな仁義すら通しておかないなんておかしくないかしら?」
「…………思いついたのがつい先ほどなので、時間がなかったと申しましょうか」
違う。そんな理由ではないと思う。
レグリスは、先ほどの王の演説の後ルルと一旦別れた。そこについていくことも可能だったし、その後こちらに来ることも出来ただろう。
何故、何故、と僕の中に疑問符が浮かび続ける。そんな僕の内心を知らずに、ミルラは人差し指を立てて得意げに笑った。
「まあ、いいですわ。これで一点減点、というところかしら」
「ミルラ様、やはり面倒ごとの気配がいたします。お断りした方が……」
「構いません。私を頼ってここまで来た哀れな小鳥です。深い優しさを持って、私がまず矢面に立ちましょう。私からまずルル・ザブロックを説得すれば、ザブロック卿への説明も円滑に進むでしょうし」
ほほほ、とミルラは笑う。
それとは逆に、僕は笑えないようになっていたが。
「では、アミネー。細かい手配をお願いしますわ。カラス、貴方とは少し話を詰めておきましょう」
「……ありがとうございます」
僕はミルラに促されるままに椅子に座る。その頭の中のほとんどは、ミルラとの会話以外のことで埋められていたが。
先ほど、演説後に聞いたレイトンの策に僕は同意した。
まず、誰にも言わずミルラ王女の下を訪れ、自分の参戦を頼む。
ザブロック家の名代として戦争に出れば、ザブロック家の報酬として勇者が宛がわれてしまう可能性がある。それを防ぐために、功績をミルラ王女までで止めるための処置。
ミルラの説得に関しては、彼女の『不公平感』を煽れば簡単に済むと。
それからミルラ王女を伴い、レグリス・ザブロックの説得。こちらはミルラ王女に逆らうことはないため楽に済む、と。
そしてレグリスが決めたことならば、ルルは反対出来ない。そうなれば僕は戦争に出ることが出来る、と。
そして戦争に出て、……。
思考が止まる。視界が晴れた気がする。
疑問文がようやく形になる。
何故僕は、戦争に出ようと考えたのだろうか?
気付いて背中に冷や汗が垂れる。
先ほど考えた、思い出せなかった靄とはそれだ。
今になって考えることではないのかもしれない。……しかし……僕は、『僕』として戦争に出る必要があるだろうか?
もっと手軽な方法がある。戦争などに出ることもなく終わる単純な方法。
誰にも悟られないよう、姿を隠したまま、五英将などの有力者を全員殺害すればよかったのだ。そうすればムジカルからの侵攻は遅くなるだろうし、ともすれば混乱から一時戦争も止まる。エッセン側は止まらないかもしれないが、それこそ勇者の先回りをして敵兵を潰していく作業は変わらない。
姿を見せずに戦争へと参加する。それが賢い方法ではなかっただろうか。
僕の功績など、誰にも見られなければないのと同じだ。
ザブロック家からは誰も出兵していないので、ルルに褒賞はない。戦争も止まるので、勇者の活躍の場がない。ミルラを説得する意味などもちろんない。
おかしい。
何故それを思いつかなかったのだろう。気付かなかったといってもいい。
戦争は厄介で、どうにかして勇者の論功行賞の機会を奪わなければと思った。だが、戦争に身を晒して出ようと思ったのはいつからだろう?
違う。
戦争に出ることに、違和感を覚えなくなったのはいつからだろう?
記憶と思考を辿っていく。
……が、すぐにそれは見つかった。
僕が、まだあやふやに考えていた参戦の仕方を決定づけた言葉。
"勇者はザブロック家への褒賞にもなる"
レイトンの発言だ。あたかも僕が戦場で活躍することを前提にしたような言葉。
それに他にも、レグリス・ザブロックの名代として戦争に出る、という僕が言っていないはずのレイトンの推測の言葉。
怖気が走る。
煽られていたのはミルラだけではない。
僕もか。




