手に手を取って
今章あと四話か五話。
テレーズの計らいで用意された喪服は、以前演武の時に着た聖騎士の正装に、黒く幅広いストールのような襟巻きを足したものだった。
本来はその上で帯刀した剣の柄を白い布か紙で覆うらしいが、僕は帯刀をしていないのでそれはいらないと判断した。
殯の儀が行われるのは白骨塔の麓。
遺体が埋められ、骨が焼かれるのを待つ場所の片隅。それも、死んだ二人が使うのは王家の使う場所にほど近い国賓用ともいうべき特別な場所だった。
青空に雲がかかり、日が陰る中、儀式が行われる。
僕のようなただの参列者がすることはそうない。
ただ、柩に聖教会の祭司が祈りを捧げるのを囲んで見守る。それから、深く掘られた穴の中に安置される柩を、黙って見送るだけだ。
参列している人間は、大物、という人物が多かった。
クロードやテレーズたち聖騎士団員。おそらく現在仕事をしている人間以外は全員がここにいるのだろう。三十人ほどが穴から少し離れた位置で、沈痛な表情で儀式を見守っていた。
クロードも加わり、国家の主要な人物たちが柩に土をかける。王やおそらく公爵たち。それに、王女や勇者までもが。
もっとも儀式というだけあって、彼ら国家の重鎮たちはほんの一握りの土を柩にばらまく程度だったが。
木製の柩の上に、聖教会の人間の手によって黒い土が盛られていく。最初は木の板を土が叩くパラパラという音。その後、ボフ、という鈍い音に変わり、次第にその音が単に土が動くだけの静かな音に変わっていった。
僕らの立っている地面よりも高く土が盛られた後、そこに大きな石が載せられる。
そこに刻まれているのはそれぞれ死んだ二人の名前。そしてここに収められた日。
数年後、彼ら二人の柩は掘り起こされる。肉が腐り、中の遺体が骨だけになった頃。その骨を聖教会で常に絶やさず置かれている聖火で焼き、瓶に納める。そうして初めて白骨塔に納められ、彼らは祀られるのだ。
単純な儀式だ。
見ている間にも滞りなく進められ、何も難しいことをすることもない。
僕はそれをただ、じっと見ていた。
一連の儀式が終わり、王室関係者はパラパラといなくなってゆく。まずは王が、それに連れられるように王女が。
そのうちに貴族たちもいなくなり、佇んでいた聖騎士たちも少しずつ姿を消していった。
残っているのは、おそらく亡くなった者たちと仲の良かった聖騎士たち。
それと。
「あぁぁぁぁ!!」
儀式中立ち入り禁止だった墓地の縁から、叫び声が聞こえる。白く低い木製の柵の向こうで、大きな声を上げて泣き崩れる老婆。
それを支えられず、自身も何かを我慢するように顔を歪めながら背中をさする老爺。……夫婦だろう。
「……テディの母親だな」
ざ、と立ち止まる音が僕の耳に届く。そちらを見れば、僕と同じく……僕の方が彼女と同じなのだが、同じような礼装に身を包んだテレーズがいた。
僕と違うところはといえば、腰の細剣の柄は白い布で縛られていた。
「テディというのは、ジグ殿と一緒に亡くなった……」
「クロードが連絡したんだろう。葬儀には間に合わなかったようだが」
昨日と変わらずテレーズの声は沈んでいる。
「悲しんでくれる者がいるというのは幸いかもしれん。ジグの両親は早くに亡くなったそうだから、……別れの日に、見送るのは我々だけだ」
我々、というのはもちろん僕とテレーズだけではあるまい。
僕はまだ立ち竦んでいる聖騎士団員に目を向ける。誰も泣いてはいないが、それでもまだ盛られた土の膨らみから目を逸らさずにいる者が多かった。
「…………私は、聖騎士になってから幾度も戦場に出た」
「……存じ上げております」
「鍛え上げた精鋭といっても、被害は出る。他団でも、もちろん部下にも死人など何人も見てきた」
涙は見えないが、きっと泣き顔のような悲痛な顔で、テレーズも土饅頭を見つめていた。
「だが慣れんな、こればかりは」
「心中、お察しします」
僕はテレーズとジグの友好関係など、それこそ酒の席でそれとなく聞いたくらいでしかない。だがその中では、特に親しい友人というわけでもなかったと思う。友人ではあると思う、だが大事な人という括りではない気がする。
それでも、僕よりは絶対に親しい。そんな僕ですら残念に思っているのだ。所属は違えど、同じ職場で働き酒を酌み交わす仲。想像するにあまりある。
「尋常な勝負なら、相手を恨むことはないだろう。だが今回の相手はおそらくムジカルの工作員。だから私はあいつらを殺した奴らが憎い」
「その相手は、見つかったんですか?」
その相手が誰だかは僕は知らない。
しかし今回ジグは、ムジカルの工作員を捜索するための巡邏中に死んだのだと聞いた。ならば相手は話にも出てきていない部外者とは考えづらく、おそらくムジカルの工作員だと考えるのが自然だろう。
そしてムジカルの工作員、と聞けば、僕は一人の人物が浮かぶ。その人物の話からすれば、彼ら工作員は多人数でこの街にいたのだろうけれども。
テレーズは僕の言葉に首を横に振る。
「すぐにクロードが周囲を捜索したが、見つからなかった。目撃者もいなかった」
「……そうですか」
その『相手』がもしも僕の想像するムジカルの魔法使いならば、……僕は、彼を恨むべきだろうか?
少なくとも僕に向けては敵意を一切向けず、打算もあるだろうがルルも含めて気遣いの言葉だけをかけてきたあの男を。
べき、で考えるものではないと思う。それでも。
ジグは、僕にとって友好的な人物だった。
出会いが良いわけではなかったが、普通に会話をして、普通に一緒に食事までした。
今でも僕は、人間が嫌い、と胸を張って言える。そんな僕でも、嫌い、とは言えない人物。
そして食事をしてはいないものの、カンパネラも同じようなもの。
……まるで、プロンデの時と同じだ。
共に、僕と悪い関係ではなかったと思う誰かが、悪い関係ではないと僕が思っていた誰かに殺される。
もっとわかりやすい事態ならばいいのに。嫌いな人間と好きな人間が関わっていれば。もしくは両方が嫌いな人間なら。
いやまあ、今回は、カンパネラが殺したと決まったわけでもないのだが。
考え込んでいた僕を無視してテレーズが青空を見る。
僕もつられて見るが、未だにそこには日が出ておらず、どんよりとした青空が広がっていた。
「死体が見つかったところには、ムジカルからの挑発ともいうべき文が血で書かれていた。……これで、戦争だ」
「すぐそうなりますかね」
「……この後、王城で主立った貴族を集めて陛下から宣下がある。詳しい内容までは伝えられていないが、まず間違いなく」
テレーズが土饅頭の向こうを見る。何も焦点を合わせず。
「何で戦争なんかやるんだろうな。みんな仲良くすればいいのに」
言ってから、「こんなんじゃ、仲良くなんか到底なれるわけがないがな」、とテレーズは苦々しげに笑った。
城へと戻った僕たちは、舞踏会用の大広間へと集められた。
以前、この城に登城したときに使われた広間。その時は令嬢令息たちが待機するためのスペースとなっていたが、今はそこに集まっているのは彼らではない。
子供たちではない。この国を今支えている大人たち、というべき者たちが集まっていた。
人数的には変わりないだろう。勇者の接待をしていた者たちの親たちの多くもここにいるのだろうと思う。さすがに子供の顔や名前を覚えていても、その親たちは把握していないから僕はわからないけれども。
煌びやかではないが、五十を超える数の仕立ての良い服を着た人間たちの集まり。
壁際にちょろちょろと見えるのは、おそらく記者の類い。それに、これまた壁際に行儀良く並んでいるのは、聖騎士と、それと位の高い衛兵や騎士たち。ジグたちの葬儀に参列した人間は喪装のままで。
その中には、いると思っていない人間がいた。
壁よりも少し離れたところ。雑然と並ぶ貴族たちの中、見慣れた顔が五つある。
ルルにオトフシ、サロメ……そして、ルルの義母、レグリス・ザブロックとその侍女。
彼女らも驚いたらしい。僕が葬式に出るというのは僕も伝えたし知っている。それでも、ここに僕がいるというのは意外だったようだ。
僕は聖騎士の制服を借りてはいるが聖騎士ではない。
テレーズに招かれてここについてきてはいるが、それでも列に加わるのはまずいと、聖騎士たちよりも一歩引いた位置で、目立たぬように記者たちの中に紛れ込もうと立っていた。
集められた者たちは皆、今日の宣下についてはもう承知しているのだろう。ざわざわと囁かれている話題は、もはや『今日か』という確認のもの。
その空気に、僕は嫌悪を感じる。
ジグたちの死で高められた気運。きっとこれは、そう了承し合う儀式。
やがて、壇のようにわずかに高く、そして誰も立ち入っていない空間に歩み入る影が現れる。
豪華な分厚い外套の裾は引きずられ、王冠はヘッドバンドのように小さいが宝石のあしらわれた豪華そうなもの。
以前、ここに姿を見せたときと同じように、だが一段低く、僕らに近い目線で王は僕たちを睥睨した。
侍従が太鼓のようなものを叩く。それだけで場が静まりかえる。王に気づいた者から、跪かなければならない身分の者はぽつぽつと膝を折り始める。
そんなに多くはない侍女や使用人が身を低くした。
彼らには悪いけれども、僕は、跪く気にはなれなかった。
白く長く整えられた口髭に顎髭。王はその口元を動かし、低い声を発する。部屋自体そう設計されているのだろう。その声は小さくとも、この舞踏会場によく響いた。
「まずは皆に、酷く悲しい報せをせねばなるまい」
言って、王は壁際に佇む一人を見る。クロードはその視線に、真摯な視線だけで応えた。
「皆も既に聞き及んでいるじゃろう。テディ・ユタン、ジグ・パジェス。聖騎士二名が一度に亡くなるという痛ましい事件があった」
もちろん皆が知っていることだ。ちらりと周りを見渡してみたが、意外そうな顔をした人間は、誰一人としていなかった。
「彼らの遺体の側に残されていた言葉、あえては言わぬ。じゃが、それはやはり、ムジカルの工作員の仕業と調査が上がった」
だがそちらの情報には、おお、と声が上がる。上げた記者はバツが悪そうに口を閉ざしたが、手の先で筆が止まらずに動いていた。
「二名、たった、二名。エッセン百万のうちのたった二名。数字の上ではごく小さく、無視出来るような小さなもの」
王は袖から腕を振り出し、その指を二本立てる。真剣な目で、怒りに満ちた頬のまま。
「じゃが、そんなことを余は認めん。このエッセンに暮らす人々、その全てが同胞、その全てが余の血肉!」
何故だろう。
「かねてより、このエッセン王国は隣国ムジカルの侵略的行為に悩まされておった。難民の流入、国境の治安の悪化! そして何より! 二十余年前の戦は皆の記憶に刻まれておろう!」
王が拳を振り上げる。
「今回! 奴らは限度を超えた!! 我が大事な同胞を、二人も!!」
知っているからだろうか。
振り上げた拳。唾も飛びそうな真摯な檄。
王の、その熱の籠もっているはずの言葉。仕草に、何も熱を感じないのは。
「よいか、我が国家に住まう民。我が同胞たる国民の諸君! 弔いである。これは、非道なる行為により失われた尊い命を生命の炎の中で安寧たらしめるための伝言である」
僕はふとルルの顔を見る。
彼女は王の顔を見て、じっと何かを噛みしめていた。
「勇者殿! 弓の絞りは終えておりましょう!」
「はっ!」
示し合わせていたのだろう。
勇者が背筋を正し、大きな声で返答する。その仕草に、皆の注目が集まった。
「臆することはない! 我らには正義の剣がある! 幾度もの戦を重ね、それでも生き残る邪知暴虐なるムジカルに、我らの代で神罰の一撃を!!」
きちんとそちらも打ち合わせしていたのではないだろうか。勇者は腰に下げていた剣を両手で握り、床を突くように打ち鳴らした。
満足げに王は頷き、壁際を見る。
「聖騎士たちよ。その正義の火を瞳に宿す我らの愛しき守護者たちよ」
ざ、と僕以外の喪装の人間たちが身を正す。テレーズも、クロードも。
「我らは戦う。戦わねばならぬ! 死んだ二人の誇りを守るために」
勇ましい王の言葉に、くつくつと、含み笑いの声が聞こえた。
隣を見れば、金の癖っ毛。それに貴族服ではあるが、その鼻には大きな絆創膏が貼られた奇妙な男。
……おそらく、知っている僕だからその絆創膏以外の部分を見られるのだろうが。
「よいか、我が国家に住まう諸君。我が同胞たる国民の諸君! 報復だ! 今こそ皆が力を合わせ、この悪逆なる行為に対し報復すべき時である!!」
「報復、ね」
王の檄に、ひひと笑いながらまた小さく隣の男が呟く。
身体を壁に預け、腕を組んで片足の裏を壁につけて。
「百万の心を一つにせよ! 我らが愛する平和を乱す者どもに、等しく正義の鉄槌を!!」
佳境に入る王の言葉。
見回せば、観衆の中には熱に浮かされるように拳を握りしめる者たちがいる。
知らないのだろうか、と思ってしまう。この戦争の目的を。
もしくは、これがカンパネラの言っていた『流されやすい者』なのだろうか。
…………。
「下らない、と思わないかい?」
「少し」
隣にいた男が、レイトンが僕に視線を向けずに話しかけてくる。周囲には聞こえないよう潜ませた声で。
僕もそちらに視線を向けずに応えると、楽しげにレイトンは鼻を鳴らした。
「きみの主、ルル・ザブロックも気付いているみたいだね。王は、聖騎士二人の死を悼む気はない」
冷たげなレイトンの視線が王を向く。
「本当は勇者にもこの国にも正義なんてものはない。王も必死さ」
視線の先には、今もまだ皆の注目を集めている、王。
「余は信じておる。ここにいる者たち全ての心が今、一つであると! 当然のこと! 一人では戦えぬ! 仲間を! 友を信じ今こそ戦うべき時である!!」
「正義を盾に、皆の刃が自身へと向かないようにしている。正直、テディ・ユタンとジグ・パジェスの死にはありがたいとも思ったろうね。だから、国葬にまでしてその死を彩った。これで、心置きなくムジカルを糾弾出来る」
「本当に、下らない」
演説は続く。
もはやあまり聞く意味もなさそうな言葉の羅列を。
「生きている人間を利用するよりも、まあまあマシな行為だとも思うけどね」
「それはご自身に仰ってますか?」
「手厳しいな」
僕がこの王城に来てから、その演出をずっとしてきた男が何を言う。
そう僕が吐いた嫌みに、レイトンは朗らかに笑った。
「今現在すら明らかな不法侵入。今僕が、『くせ者』と叫べば一斉に注目がレイトンさんを向きますけど」
しかもその注目する者たちの中には、聖騎士が多く混じる。一人二人の相手なら簡単だろうが、全員、それもクロードもテレーズもいる中ではいくらレイトンでも簡単には済むまい。
「そうしたら逃げるよ。混乱の中なら、きみやエウリューケみたいな魔法なんて使わなくても、いくらでも姿を隠せるからね」
「……でしたね」
だが、逃げるならたしかに簡単か。ここは袋小路でもなく、外に開けた部屋。この男なら。
「…………きみは、戦争に出るんだろう?」
「出る気ではいます。まだ誰にも話してはいませんが」
むしろ、何故それを知っているのだろうか。それを聞くのも嫌だが、この男なら察していそうということで片付くから困る。
「きみの行動、それに周囲の反応。その多くが、ぼくの演出によるものだと言ったらどうする?」
「戦争に出ることすら、レイトンさんの意向によるものだと?」
「それも間違いじゃない。ルル・ザブロックの影響は強かった。主には勇者をこの戦争に参加させるために色々やったけど、きみのことも……そうだったらいいな、くらいには考えていたよ」
「……勇者が正気を失っていても?」
「今目の前にあるのが、その成果さ」
僕はレイトンの目の先を追う。
そこに立つ勇者。少しだけ群衆から距離を取られ、わずかに隙間が空いた中に一人立っている。召喚されたときからすると酷い違いだ。マアムやミルラに手を取られ、おどおどとしながら引きずられるように召喚の間を出ていった彼とは。
「根拠は知らないけれど、きみは彼に仲間意識を抱いていたね」
「……ええ」
「だから、怒ったかい?」
「いいえ」
何だろう。今僕が勇者に反感を抱いているからだろうか。
レイトンが、勇者を『そう』してしまったと聞いても、それに関してはあまり怒りなどは抱かない。
……多分、それよりも重要なことがあるから。
「勇者をここに連れてくるために、ルル様を利用しましたね」
「そうだね。きみも」
悪びれもせずにレイトンは素直に応える。『きみも』が、勇者をここに連れてくるためにという意味なのか、それとも僕を戦場に出すための、という意味なのかはわからないが。
「そのためにルル様を苦しめた、というなら……」
苦しめた。それは身体的にという意味ではない。
利用した、の具体的なこともわからない。だが、思い悩むルルを利用するため、その苦しみを煽ったならば。
僕が言葉を言い終える前に、レイトンは首を横に振る。
「それはないかな。彼女に関しては、現状が最善手だよ。きみに助けを求められ、契約に則りぼくはそれに応えた。そして彼女に手を出せば、きみが最大の障害になる。だからきみに関する演出も、彼女には最大限配慮した。嘘はつかないさ」
僕にはレイトンの表情を読み取ることは出来ない。嘘か本当かはわからない。けれど、視線も声にもその素振りはなかった。……ルルならばわかるのだろうか。
「僕が関わっていた以上、最善手というのは納得がいきませんが」
最善手というならば、たとえば僕の代わりにレイトンが警護に雇われていればもっと話はスムーズに進んだのではないだろうか。
他にも、僕以外ならば、もっと。
「もっと自信を持ちなよ。たしかに、ぼくがきみの立場ならばもっと機転を利かせることが出来たと思う。きみの周囲も、きみの行動にやきもきしていたこともあった」
励ますようにレイトンは言う。
「でも、きみがその立場にいるから、最善手なんだ。ぼくや他の誰かがその立場に立っても、もっと上手くやるなんてことは出来なかっただろう」
「意味がわかりませんね」
「きっともうすぐわかるさ」
唇の端を上げて、レイトンはそう言い切る。そして背後の壁につけていた足をぺたんと下ろし、組んでいた腕も解いて背中と壁の間に隠した。
「でも、戦争に出るんだったら、きみに一つ助言しておきたい」
「なんです?」
「きみはまだまだ、人間の悪意を舐めている。それは美徳の一つだと思うけれど、それで目的が達成出来ないなら本末転倒だよ」
ひひひ、と笑うが、レイトンは楽しげではない。
僕に向けて指を一つ立てた姿は、むしろ残念そうにも見えた。
「はっきり言いたい。きみ個人じゃさすがに無理だ」
「ですから色々と考えてはあります。さしあたって、二人と……いえ、二人ほどに援軍を頼もうかと」
「その上でも、だよ」
やりたいことがある。
僕は戦争に出て活躍する。
そしてそれに、もちろん手が足りないのはわかっている。僕一人じゃさすがに戦場全域をカバーは出来ない。討ち漏らしがあっては困るのだ。
「きみの目的もわかっているつもりさ。戦場に出る五英将全員の撃破。拠点の壊滅。それにより、褒賞の機会を奪う」
「それでもやはり無理でしょうか」
言い当てられたようで、何となくバツが悪くなる。まだ誰にも言っていなかったのに。
「そしてレグリス・ザブロックを説得し、次代の爵位の女性への授与を望ませる……なんて、そうそう上手くいくもんじゃない」
「でしょうけど」
「それには大きな問題が二つある」
手の甲を見せ、レイトンは指を二本立てる。……民族によっては、その仕草は侮辱にもなったはずだが。
「勇者には、褒賞は出るよ。仮にどんなに無様で、どんなに無能を晒そうが、勇者は勇者だ。時には他の誰かの功績までも授与されて、彼は戦争の偉大な功労者になる」
「なら残るは……」
僕は、今もなお王の演説を聞き入っている勇者に目を向ける。
やはり、必要だろうか。原因の排除。
さすがに彼の殺害は最後の手段とは思っている。一番手っ取り早いと知ってはいるけれども。やはり親近感がまだ残っているのだろう。
おそらくそんな僕の内心もお見通しなのだろう。だが僕の言葉には応えず、そして言及もせずにレイトンは続けた。
「そして、仮に勇者の望みを防ごうとも、きみがレグリス・ザブロックの名代で戦場に立ち、功績を挙げれば問題になる」
「目立つのが問題だと?」
「そんなことじゃない。勇者は褒賞を望むけれど、褒賞にもなるってことさ」
勇者が褒賞に。その言葉に、僕は「ああ」と納得する。
勇者自身が、勇者の血を入れるのが、活躍した家への褒賞。
「『自身が勝つ』ではなく、『勝者を生まないように』と行動するのはとても難しいんだ。陰陽石は知っているよね?」
「……ええ」
陰陽石。僕は望んでやったことはないし、これからも望んでやることはないもの。
レヴィンの置き土産。この世界に根付いてしまった『リバーシ』。出来ることならば、全て破壊してやりたいもののひとつ。
「陰陽石で勝つのは簡単だよ。それよりも難しいのは、石の数を白黒で同数にすること。よほど実力差がなくちゃね」
言わんとしていることはわかる。僕は天井を見上げ、溜息をついた。
「しかし、他に出来ることがありません。ルル様を攫ってどこか遠いところに住処を用意する、なんて考えましたが、そんなことを彼女は納得しませんし」
「それは、彼女に話してみたの?」
からかうようにレイトンは僕に笑いかける。今日、初めてこちらを向いた。
「いいえ。言えるわけがありません」
一人静かに暮らす。それが出来るとしても、彼女は二人の母親を置いてきたことをどこかで必ず後悔するだろう。
そして家を守る母親はそれを許しはしまい。ルルのほうがきっとどこかで折れるし、彼女はザブロック家の血を継ぐ最後の一人。すげ替えることは出来ないし、代替案は見つからない。
そして戦争の時は目の前に迫っている。
ならまずはやれることをやるしかない。たとえ意味などなくとも。
「……協力するよ」
「…………?」
僕はレイトンの静かな言葉に驚き、思わず見返してしまう。今日初めて目が合った。
目が合ったことにだろうか、いつも以上にいやらしくレイトンは笑った。
「先ほど言った問題の二つ目。それは、実はごく簡単に解決する。きみがぼくの言うとおりにすればね。そしてもう一つはきみが何をすることもない、ぼくが何とかしよう」
「……求める見返りは、何です?」
親切な言葉。だが、この男に限って単なる親切で発しているわけではあるまい。
この城に招いたように、何かしらの狙いがあるはずだ。
おそらくプリシラの殺害に至る、何かが。
「簡単なことだよ。戦場で、少し力を貸してもらいたい。ぼくの舞台を整えるためにね」
「それは、どんな?」
「その時になったら伝える。本当に、きみの魔法があればちょっとしたことさ。きみが誰を傷つけるわけでもないし、多分そう手間でもない」
どう? とレイトンは僕に返答を迫る。相変わらず、核心を言わない。
この会話すらもプリシラに聞かれているのならば、必要な用心かもしれないが。それでも、筆談とかそれなりの手段はあると思う。……それも傍受出来る手段があるのかもしれないのが怖いところか。
だが、断ることもない。手札はあればあるほどよく、その最高峰ともいえる男が自ら力を貸すというのなら。
「わかりました」
僕は頷く。
もちろんこの約束も楽観は出来ない。
だが悪魔の囁きでも何でも乗ろう。掛け買いの代金は今は考えないように。
目を戻した壇上で、王が叫ぶ。
「これよりエッセンは! ムジカルに対し! 一丸となって! 報復攻撃をすると宣言する!!」
既に二人の被害者が出てしまった。なら、あとは出来るだけ少なくするためにも。
まずはこの下らない戦争を、台無しにしてやる。




