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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
神聖にして侵せぬもの

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閑話:日が昇る国から




 朝の七の鐘が聞こえ、ジグはぱちりと目を開ける。

 掛け布団の中は温かく、顔は少しだけ冷える。

 初夏から夏に移り変わろうという時期。今から暑くなるが、まだ涼しい、というこの時期の朝を、ジグは嫌いではなかった。

 

 一息をつきながら身体を起こし、短い髪を掻きむしるように頭を掻く。

 それから前日に汲んで枕元に置いてあった水を、水差しから直接飲んだ。




「おはようございます」

「おはよう」


 爵位というのは一番下の騎士爵でもこの国では絶大な効力がある。

 庶民からすれば最下層といえども貴族。領地を持たないため分類からいえば宮廷貴族である聖騎士たちは、城や官舎に勤める下男下女にも命令を下せる立場にあった。

 石畳の床を掃除する下男が、手を止めて頭を下げて聖騎士であるジグが通り過ぎるのを待つ。朝は官舎の中どこでも見られる光景で珍しいものでもない。

 

 聖騎士の官舎は城の外にある。

 城の北部、ほんのわずか外。城の目と鼻の先に間隔を空けて三つ並ぶ四階建ての豪華な建物は、聖騎士の清廉さを示すように白く塗られていた。

 聖騎士には一人一室部屋が与えられているが、専用のものではない。聖騎士はこの国でも四百五十人に満たない程度しかいないが、任務で長く王都を空けることもあるために部屋の数はその半分もない。


 豪華な建物の作りに反して、それだけ考えればおよそ贅沢ともいえない処遇ではある。しかしそれでも庶民からすれば手の届かない待遇だ。文句を言う騎士団員も少なくはないが、それでも少なくともジグは、そこに文句のつけようもなかった。


 

 向かう先は、一階にある適当な部屋、その中庭。

 部屋に中庭があるのは一階にある限られた部屋のみであり、中庭も含めそういった部屋は団長もしくは副団長にしか使われることを許されてはいなかったが、そんな慣例ももはや廃れている。

 もちろん空き部屋の中庭ではあるが、聖騎士団員は思い思いにそこを使っていた。

 

 そんな中庭で、ジグは舞う。

 『人が何かを上達する速度は、実はほとんど変わらない。才能があるとされている人間は、知ってか知らずか必ずそれ以外の人間よりも多くの鍛錬を積んでいるだけだ』というのは、ジグが水天流の師から常々言われてきたことだ。

 故にジグは鍛錬を怠らない。任務中以外は毎朝行う筋力鍛錬に型稽古。上達している実感もないままに、それでも毎日丹念に積み重ねてきたその努力は、彼の中に確実に何かを蓄積し続けてきていた。

 

 まだ同僚も起床する前。既に季節は夏になろうというところだが、涼しい時間帯。

 そんな中でもジグの着ていた肌着が汗で張り付く。上衣の裾を引っ張るようにして滴る顔の汗を拭いたが、ただ濡れた布で拭ったように滴が崩れるだけで何も変わらなかった。


「早いな」

 いつもの一連の動作を終えて、ようやく同僚が中庭につく。彼らも同じように自主訓練を行う身ではあるが、ジグと時間が被ったことはほとんどない。

「邪魔なら退くけど?」

「いや、俺はもう上がるところだ」

 槍代わりの棍を手に現れた同僚に別れを告げ、朝食の時間に遅れないようジグは登城の準備を始めた。



 聖騎士用の食堂で、黙々とジグは栄養を補給する。

 煮てから干した大麦、粟、稗、などの雑穀、枸杞の実など。そこに蜂蜜をかけた『濡れ星』という料理は、聖騎士団員にも好評のものの一つである。匙で一口含み、ガリガリと音を立てて咀嚼する。口の中に広がるふんわりとした雑穀の風味と蜜の甘さ。栄養があると噂ではあるが、それをジグは感じたことがなかった。

 それよりも、添えられた麺麭(パン)で蕪を挟んだ料理の方がジグは好きだった。塩味ある味付けで柔らかく煮られた蕪を、薄切りにして白い麺麭に挟んだもの。山椒の香りにどこか森を感じ、蕪の風味と同じく挟まれた青物の葉の瑞々しさから土の匂いを感じ取れる。


 問題はない食事。

 しかしいつまで経っても慣れないのは、濡れ星に決まってつく飲み物。

 全てを食べきってから、最後にジグは添えられた硝子の容器に入った橙色の液体を喉の奥に流し込む。

 酒精のない、ただの夏蜜柑の絞り汁。

 飲料として楽しむのは構わないが、それよりも実を食べさせてほしい、とこれを飲む度にジグは嘆くように考えていた。


 まだ、登城している同僚は多くはない。

 まだ空いている食堂。だがこれから席が埋まり始める気配を感じ、実際はまだ長居しようとも構わなかったが、それでもジグは空になった容器を返却するべく席を立つ。

 いつものように、返却口で、『美味しかった』という一声を添えて。




 朝食が済み、その後はジグは街へと繰り出す。

 遊びに出るわけではない。これも、任務だ。

「巡邏って面倒だよな」

「あまり喋るな」

 お調子者、と団の中でも揶揄されがちな同僚を諌めながら、彼ら二人は一組になって動く。

 市場が閉まってまだ間もない時間。町民たちは皆仕事を始め、道は『仕事中の人間』と『仕事前の人間』もしくは『仕事の終わった人間』で溢れている。

 雲の少ない青空に上りつつある日差しの強さは、今日はこれから暑くなる、ということを予感させた。


 仕事というのはごく簡単なことだ。巡邏、つまり街の巡回。

 本来は衛兵たちの仕事であり、騎士団、それも聖騎士団がするような仕事ではない。

 だが現在は事情が異なる。今回彼らが駆り出されている理由は、人員不足などのような理由でもない。


 王城に、ムジカルの間諜が侵入した形跡がある。

 そう報告に上がり始めたのはつい先日のこと。

 

 その目撃談は王城の各地で上げられた。

 人のいないはずの資料室。会議中の部屋が窓から覗ける中庭。兵器類が備蓄された倉庫。その他様々な場所で見られた不審な人影。

 衛兵や官吏達がそれを報告した話は、決まって同じ文句で幕を閉じる。『こちらが気付くと、その人物は影のように溶けて消えてしまった』と。


 通常ならば正体もわからないはず。だが、戦争が始まるとされている緊張した時期である。真偽も不確かなままに、その影はムジカルの間諜なのだと皆が囁き合った。

 そして事態を重く見たと()()()王より、その間諜らしき人物を捕縛すべくすぐに指令が出された。

 それが、聖騎士団による王城と街の巡邏である。


 だがもちろん、その間諜の捕縛は難しいだろう。

 現場はもちろん、王すらもそう考えていた。


 ムジカルの間諜。当然そこに使われる者の多くはムジカルの人間である。

 エッセンとムジカル、共に平均的な顔貌はもちろん異なり、わかるものならば大まかな見分けはつく。エッセンの人間と比べ、肌は浅黒く、彫りが深いとされるのがムジカル人だ。

 だが間諜とは、敵地で活動する隠密の者。当然現地に紛れるような人間を使う。

 ムジカルにもエッセン(よう)の顔貌を持つ人間は多数いるし、そもそもエッセンの人間を買収などされて使われてしまえば見分けるのは困難を極める。


 今まさに、道を歩くジグの目に入っている無数の人間。

 仮にその中に一人ムジカルの間諜が紛れていようと、見分けがつかずとも恥ではない、と誰しもが思っていた。



 しかしならば、意味がないかといわれるとそうではない。

 これは、いわば戒厳令。

 間諜が一番嫌うのは、敵方の警戒である。警備の目を増やし、こちらの警戒を見せる。そうすればまず間違いなく活動はし辛くなるし、場合によってはそれで諜報活動すら取りやめになることもある。


 それにもう一つ、ムジカルの間諜には関わらない意味がある。

 衛兵の巡邏は、皆が慣れている。銀の鎧は不心得者への威嚇の意味を持つが、その効力はどうしても低下しやすく上昇しづらい。

 そこに聖騎士が特徴としての白い外套を翻し歩けば、不心得者はその身を正す。


 聖騎士といえば、貴族である。それだけでも庶民を威圧する効果に加え、職権である司法の権を使えば場合によっては庶民を斬り捨てることも可能である。

 

 彼らが街を歩くだけで、治安向上の意味を持つ。

 それは、王も意識してはいない副産物だった。



 

 王都に張り巡らされた用水路は、街の住民であれば誰しもが利用をしてもよいものである。

 水を汲み上げ生活用水として使い、排水を流して下水として使う。もちろんその周囲の住民、特に商店の使い方により水の汚れ具合は異なり、街の東側に流れているとある用水路はほぼ下水としてしか使われていない。

 殊に朝はそれが顕著だ。

 その日に売るため、肉屋が鶏を絞める。放血された血液は地面に捨てずに用水路へと流される。わずかに血に染まった水を掬い、それで何かを洗おうと考えるものは近くにはいない。

 同じように、魚の臭いがついた水や、布を染色した際の廃液が流れ込み、見慣れたはずの住人すらも眉を顰める用水路を作り上げていた。


「そういや、この近くだよな、お前が勇者を保護したのってさ」

「ああ」

 お調子者の同僚に、数日前のことを思い出させられ、ジグはこめかみを掻く。


 勇者が出奔したときのこと。最終的には街の衛兵や騎士団などにも協力を要請し、聖騎士団総出で彼の出奔を捜索したときのこと。

 そもそもは彼が勇者の侍女から勇者の行方不明を団長に報告したことが事態が知れた発端であるが、その時の対応をジグは恥じていた。

 侍女マアムから詳細な聞き取りをして、もしくは詰め所に同行させて詳細を共有すべきだった。なのに、自らが第一にそれを知ったという焦りから、ろくな対応も出来ずに報告だけ上げて自らも捜索に参加してしまった。

 些細な不手際ではある。勇者の出奔という未曾有の事態に、慣れている者などいるわけがない。そんな擁護も彼自身内心湧き立ったものの、彼自身がそれをあえて禁じていた。


 そんな不手際の償いとして、勇者の捜索には人一倍身を入れていたのも彼だった。

 些細な異変も見逃さず、勇者を発見するまでに数件の喧嘩まで検挙してしまうほどの力の有り余りように、皆は呆れるほどだった。

 結果、染物屋の中から聞こえる打擲音に最初に気付き、救助出来たのもお手柄だ。


 だが、まだ不手際による失態は取り返せていない。誰に言われずとも、ジグはそう考えている。何となく、胃のどこかに何かが残っている気がする。

 そんな不快感が、彼を締め付けていた。



「いらっしゃいませー」


 川沿いを歩く二人に、とある魚屋の店番の少女が声をかける。

 無論、聖騎士の外套を羽織る男性たちが魚を買うなどそうそうあることでもなく、事実彼らに声をかける店など今まではなかったのだが、少女は違っていた。

 まだ十歳に満たない栗色の髪の少女は、聖騎士など知らない。本来は雰囲気でも感じ取れるそれを、知る術もなかった。


「ああ、すまんな、俺たちは客にはならないんだ」

 さりげなく身分を示す徽章を示しつつ、ジグは律儀にその声に応える。それでも反応の鈍い少女が、何故だか微笑ましかった。

「おじちゃんたち、お客にならないの?」

「そうだな。そうだ」

「そう。失礼しましたー」


 表情を全く変えずに、少女がぺこりと頭を下げる。その向こうから改めて、川魚の苔のような臭いが改めて香った。

「何か買ってやれよ、おじちゃん」

「そこはお兄さんと言ってほしかったがな」

 くく、と聖騎士二人は笑い合う。共に年の頃は四十を超えて、少女の父よりも年上ではあるが、見た目は若い。

 そんな二人のやりとりの意味がまだわからず、クリンは首を傾げて見ていた。

「おじちゃんたちは、どこかへいくの?」

「……どこかへ行くわけではないな。探しているんだ、人を」

「人を?」

「そ、怪しい人をね」


 見慣れぬ人物の行動へ向けたわずかな好奇心。それがまた、その言葉に刺激される。

「おじちゃんたちは、衛兵なの?」

「衛兵ではないな。聖騎士という。今は衛兵に似た仕事をしているんだが……」

 ジグは言葉を止める。見た目よりも大分反応が幼い彼女に、そのことがわかるだろうかと。

 少女はジグの危惧通り、目を瞬かせてただジグの次の言葉を待つようにしていた。

 そしてジグも次の言葉が見つからずに悩むのを見て取ると、もう一人が身体を屈めて少女と視線を合わせた。

「おじちゃんたちは、怪しい人を探しているんだよ。今日はおじちゃんたちみたいな服の人が歩き回っているから、怪しい人とか怖い人を見かけたら教えてね?」

 一拍遅れて、少女は頷く。


 しかし頷いた後、また首を傾げた。

「怪しいって、どういうこと?」

「……んー……」

「今日は、この国の人じゃない人を探している」

「この国の人じゃない人……」

 ジグの言葉に、少女は初めて悩むように眉を寄せる。顎に人差し指を当て、青空を見上げるようにして瞳にその青を映した。

「まあ、そうわかるもんじゃないし……」

「今日、知らない言葉の歌が聞こえたよ」

「歌?」


 こんな少女から、有力な手がかりが得られるとは思っていない。

 揃ってそう思っていた二人が顔を見合わせる。


「さっき森へお散歩に行ったときに、そこにいる人たちが、みんなと違う歌を歌ってた」


 おじちゃんたちとも違う歌、と少女クリンは小さく付け足した。





「この澱みきった国からも、今日おさらばですか」

 王都の東、すぐそこにある森の中で、カンパネラは呟く。見上げる先は王都の中央、そこに聳える白骨塔。王都の中でもひときわ高いその尖塔は、遠くからでもよく見えた。

 鼻を鳴らし、空気を吸う。青臭く湿った空気。ムジカルの乾いた空気とは違う感触に、ようやく慣れてきた頃だというのに。


「カンパネラ様、私たちはそろそろ」

「ええ。道中は気をつけて。ただ今からお前たちの任務は、その情報を国へと持ち帰ることです。そのこと、重々承知の上での行動を心がけなさい」

「はっ!」

 手を後ろで組んだまま、視線を向けずにカンパネラは指示を出す。背後にいた部下二人は、傅き頭を下げ、その指示を拳々服膺と承諾した。

 

 部下二人は、五英将ラルゴの指示で収集し、数冊にまとめた情報を携え、ハクへと騎乗する。ハクを使えばエッセン王都からムジカルとの国境までは十日かからずにつく。その道中、そう危険なことはない。

「失礼致します」

「…………」

 カンパネラは、見送りもせず、ただ背後の去っていく音だけを耳に入れていた。

 

 予定通りだ。ここまでが予定通り。

 残すは最後の仕事。

 王城外での情報の収集は終えて、ここ数日カンパネラが携わっていたのは城の中での諜報活動だ。

 紛れている二人のドルグワントは無視してもいいとはいえ、現在王都で唯一警戒すべき相手、クロード・ベルレアンに見つからないようにするのは大変骨を折る作業だった。

 見つかってはいけない。だが、見つからなすぎてもいけない。ちょうど良い塩梅。


 予定通り、その『声なき伝言』は伝わり、王都の警戒度は飛躍的に高まった。

 後はもう一つ行えばいい。


「カラス殿を調略出来なかったことだけが心残りか」

 ふう、とカンパネラは溜息をつく。

 あの青年を味方につけられなかった。それはムジカルにとって大きな障害になるという予感がある。

 王城内で暮らしていた彼に接触することは難しく、さらに接触しようとすればレイトン・ドルグワントの気配までが強くなった。明らかに邪魔をされているのが腹立たしいが、それよりも問題なのはやはり交渉すらも出来なかったことだ。

 ルル・ザブロックを射落とせば、どうにかムジカルに落ちてくれる存在だとも思った。彼らが望むなら、便宜などいくらでも払う気だったのに。


 口惜しい。

 実力主義国家ムジカルに生まれ育った彼にとって、その力が評価もされずに無為に扱われているその様が心底腹立たしかった。

 ムジカルならば自由に生きられる。カラスならば自分すらも飛び越え、〈成功者〉ラルゴ・グリッサンドには及ばないまでも、ムジカル軍最高の名誉である五英将にまで至れるかもしれない器だというのに。

 カラスの周辺を調べれば調べるほど、腹立たしさは増していった。

 認められるべきだ。実力があるのならば。伝説の狐を殺し、竜を単騎で討ち果たす。この国では迫害され廃れてしまった本草学を実用出来る程まで高めて身につけた薬師としての顔に、周辺各国の有力者に知己を持つその影響力。

 異能の持ち主。カンパネラにとっては、勇者よりも貴く見える存在。

 それが、ただの探索者だからと、探索ギルドに所属しているだけで軽んじられる姿。ただ親がおらず孤児だからだというそんな些細な理由で蔑まれている姿。その、自らの価値観と心底合わない彼の周囲に、憎悪すら感じた。

 

「もう少し強く勧誘すればよかっただろうか」

 いいや、とカンパネラは言いながら自身の考えに反発する。

 唯一の難点は、彼の扱いづらい性格だ。礼儀程度は弁えているものの、権力には阿らず、利益には執着せず、ただ少しだけ怠惰に流される。

 強い勧誘は逆効果だ。促し、導くようにこちらに靡かせる程度が精一杯だっただろう。

 そういう意味では面倒な相手だ。大抵の魔法使いには、自分の中に決して揺るがぬ『価値あるもの』を持っている。それをくすぐれば、鼻薬を嗅がせるように手懐けるように味方にすることも可能というのに。

 それが『ルル・ザブロック』かとも思ったが、それを検証することは出来なかった。


 しかし、もはや時間切れだ。

 彼の勧誘は果たせなかった。どうなるかはわからないが、少なくとも、彼は味方にはならないだろう。


 ならば、どこかの戦場で相見えるだけ。

 そしてどれほど強大な相手でも、必要なだけの準備と正しい作戦を立てて、決行時期を誤らねば必ず討てる。相手の策を、行動を読み、勇気を持ってそれに当たれば必ず成功出来る。

 それが敬愛する〈成功者〉の教え。

 そして。

 対抗出来るだけの情報は、揃っている。




「この辺か?」

「らしいが……案内を頼めばよかったな」


 ガサガサと、近くの茂みを掻き分ける音がする。その向こうから、二人。

 その木々の隙間から見える白い外套に、カンパネラはにやりと笑った。


 微動だにせず、音の発信源が近づいてくるのを待つ。

 近づいてくる間に向こうもこちらの存在に気付いているが、音を潜める気はないらしい。

 ガサリ、とひときわ大きく音を立てて、茂みから出てくる二人を見てもカンパネラは動かなかった。

「失礼する」

 動かないカンパネラに向けて、ジグが声をかける。見れば町人だろうが、こんな森の中で何をしているのかと、わずかに不審に思い警戒の度を上げながら。


「申し訳ないが、治安維持のため協力を願う。この辺りで不審な人物を見かけたという通報があった」

 実際にはそんなものはない。

 二人共に半信半疑のまま、幼い少女の言葉を頼りに来てみただけだ。

 だがそこに誰かがいた。それだけで、ジグたちの対応は『不審者』に対するものに変わっていた。

 ジグとカンパネラの視線が交わる。聖騎士に向けられるには似つかわしくない不敵な笑みに、ジグの胸中が危険信号を発していく。

「…………」

「何か、知らないか」


 聖騎士二人。今回の鐘はこれでいいだろうか。

 カンパネラは二人を見てその影響力を測る。二人を相手にすれば。その彼我の戦力も計算しつつ。

 それから、にっこりと笑みを浮かべて胸に手を当てた。


「これは聖騎士様。お仕事お疲れ様です」


 質問に答えないその態度にわずかに苛立ちながらも、また不思議に思う。

 さりげなく目の前の不審者が移動したのを。散歩でもするように、それでいて、まるで自分たちに対し、回り込もうとするかのように。


「優秀な敵というのは助かりますね。さすがにこれから何か騒ぎでも起こさなければいけないかと思っていたんですが」


 そして、違和感は不信に変わった。

 一歩近づいた男は、お調子者の団員の手の届く範囲にいた。その男は、自身の立ち位置を調整しているように見えた。まるで、影を踏むように。

 さらに、今の言葉の意味をようやく解し、ジグは剣の柄に手をかける。

「動くな」

「聖騎士二人。武器も持たない私相手に、そのように剣を振りかざす必要はないのでは?」

 柔和な態度、穏やかな声。しかし離れない不思議な仕草。

 その違和感と戸惑いが、ジグの対応を遅らせた。


「…………ジグ、捕らえろ、いや、応援を呼べ」

「テディ?」

 相方の深刻そうな表情にジグは名前を呼び詳細を尋ねる。だが、焦るばかりの表情を作る相方は、それ以上の説明を諦めた。

 テディの身体が動かない。まるで、空中に縫い止められたかのように。

「早く! 捕らえろ! やれ!」

「さて、抵抗しなければ捕縛される。抵抗すれば最悪殺されるかもしれない」


 誰かに言い訳するように、カンパネラは呟き続ける。それをジグは、自分が言い聞かせられていると感じた。

 ぴくりとも動かないテディの横で、カンパネラは手を伸ばす。その手から、どろどろとした液体が滴り落ち始めた。

 それは、液状化した『影』。

 

「自衛を、しましょうか」


 カンパネラの手に黒い剣が握られたと同時に、ジグは何かが破けるような音を聞いた。






 『それ』が見つかったのは、昼を過ぎ、日が傾く直前のことだった。

 街中の狭い路地。そこに転がっている四つの物体に気付いたのは、小便をしようとそこに入り込んだ近くの大工の人夫だった。

 その正体を知った人夫は這々の体で衛兵の詰め所へと駆け込み、事態はすぐに周囲を巡邏していた聖騎士に伝わった。

 そして現場を見た聖騎士は、すぐにそれを上司へと報告した。上司、つまり今まさに立会人として決闘中止の報を両家に届けようとしていたクロード・ベルレアンに向けて。


「……どいて、くれ……」


 武術の達人たる彼。全力で走ろうとも、息を切らさない男である。だがこの時ばかりはその報告の異様さに、息を切らして封鎖された路地を覗こうとする群衆を掻き分けて進まねばならなかった。

 路地の中は影が覆っている。そこにわずかに付着した血の溜まりは全部で四つ。それぞれが、それぞれの肉から滴ったもの。


「団長……」

「これ……が……」


 既に到着していた聖騎士の近くには、白い布を被せられている二つの塊があった。皆それを見ればまずその下に人体があるだろう、と思い浮かべる形だったが、それにも違和感がある。

 首に当たる部分の消失。正確に言えば、胴体と首の、分離。


 白い布を払いのけてその下を見て、クロードの顔面が蒼白になる。

 地面に置かれている青みを帯びた首、その顔は、確かに部下たちのもの。


「そして、その、こちらが……」


 現場を検分していた聖騎士が、目の前の壁に目を向ける。

 どうにかして平静を保とうとしていたクロードは、その壁に描かれた血の文字に、顔に朱が上るのを感じた。



『日が昇る国から、日沈む国へ。ご挨拶に伺いました』


 


 ジグたち聖騎士の死体。それに、血文字。

 時が来た。

 エッセン王に、そう示す確かな伝言だった。




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― 新着の感想 ―
なんで良い聖騎士はすぐ死んでしまうん(´・ω・`)
[良い点] たしかにこれは「くだらん」決闘ごっこなどしてる場合じゃないな 勇者は戦場へ そしてカラスは??
[良い点] ほんまこの作品まともな人ほど死ぬねん。 まともだからこそ死ぬ確率が高いとも言うけど。 しかしカンパネラはカラス君の扱い分かってるな。怠惰に流されやすい、魔法使い病も含めてそっちの気があ…
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