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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
神聖にして侵せぬもの

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731/937

始まる




 昼までには勇者が決闘へと出る件を陛下へと奏上し、宣下を待つ。クロードはそう言い残していった。

 クロードもそれなりに地位の高い人物だ。爵位という階級上はそうではなくても、聖騎士団長という立場はそれなりに使いようがある。

 それに、クロードは私的にも王と食事が出来るような人物だ。

 あまり問題なく王へと謁見出来るし、報告から決闘の差し止めまですんなりと運ぶだろう、と僕も甘く見ていた。

 だが。


「結局来ませんでしたね」

「……申し訳ありません、ご足労を」

 そろそろ時間だ、とルルが僕へと溜息交じりに声をかける。夕暮れというにはまだ早いが、それでも日が傾き始めてしまっている頃。処刑場は王城の外にあるし、そろそろ出掛けなければ間に合わなくなる。

 決闘自体がなくなるだろう、と半ば楽観的に見ていたのもあるが、なんとなく残念な気がする。午前に会ったきりだが、クロードは王へと謁見出来なかったのだろうか、それとも王が、差し止める気がないのか。


 通常ほとんど起こらないが、何らかの理由で決闘が差し止められたとしたら、その旨は両家に立会人を通じて連絡が来るのだという。

 むしろ、それ以外は信用してはならない。決闘を行う場へと姿を見せない場合は不戦敗となるため、偽報で相手を惑わすという作戦があるのだとか。

 ……そのような作戦がある時点で、何が『公正な決闘』だ、と僕は思ってしまうが。


「構いません」

 ルルが、僕の言葉に微笑む。準備万端、というわけではないが、既に外に出られるだけの身支度は終えていた。

 レグリス・ザブロック女伯爵からは、『存分にやれ』と手紙が来ていた。一応ジュリアンがビャクダン家を背負ってなどいないことはわかっているのだという感じの文章で、僕の判断からすると理知的に問題ないと思っていると思ったのだが。

 しかしルルはその手紙を見て、小さく首を振って『信用しないで』と悲しげな顔でいっていた。するとまあ、仮に決闘が行われるとするならば勇者やジュリアンの立場にも配慮しなければいけないのだろう。レグリスがルルに気を遣っているのか、ルルがレグリスに気を遣っているのかはわからないが。


 しかし、ルルのほうはいいのだろうか。今朝、クロードに聞いたことをそっくりそのままルルには話したが、彼女はわずかに驚いただけでそれ以上の反応はしなかった。

「……このままでは、勇者様と戦うことになりますが」

「それも、構いません」

「あまり手加減も出来ませんが」

「それも……それは、その、加減をお願いします」

 構わない、と勢いで勇ましく言いかけて、はにかむようにルルは言い直す。

 その反応が少し可笑しくて、僕の表情も綻びかける。

「それが出来る限りであれば、心得ました」

「難しいですか?」

「わかりません。昨日見たあれが勇者様の本気であれば、勝てる相手だとは思いますが」

 

 問題は、勇者の魔法使い病。

 魔法使いは、その自らの常識に当てはまる事象ほど容易く起こすことが出来る。その常識への信憑性の深度は魔法使い病により飛躍的に高まってしまう。

 そして発狂も問題だ。仮に今、発狂した勇者の魔法が変質していたり、または新たな魔法を使うことが出来るのであれば途端に勝敗はわからなくなる。


「戦わざるを得ないときには、手加減出来ないかもしれません」

 もちろん、そう出来るのであればそうしよう。だが、仮にクロードに勝ったことで、クロードでも手こずる強敵に変貌していたらそれも難しいかもしれない。

 それに昨日のあれが擬態で、実際はあれでも本気でなかったのかもしれない。仮に僕の相手をすることまでを想定していたならば、僕に本気は見せないだろう。

 思考の中で、仮に、が連続する。だが、してしすぎることはない。


 僕の顔をじっと見て、ルルは一瞬悩むように唇を尖らせる。それからその唇を薄くのばし、口角を上げた。

「…………構いません。最悪の時は、勇者様よりも、カラス様ご自身のことをお考えください」

「かしこまりました」


 僕は素直に頷く。

 ありがたいことだ。

 仮に最悪の事態が起きたときには、ルルに責任を取らせるなどありえないことでもあるが。

 僕は、いつもの準礼装を脱ぎ、リコ謹製の竜鱗の外套を静かに羽織った。




 処刑場に着いたときにはまだ日が落ちておらず、時間には早かった。

 しかしそこには既にいくらか人がいた。

 

 グラウンドのような開けた処刑場には、急造らしい竹で組まれた囲いが中に作られ、さながらボクシングか何かのリングのようになっていた。

 リングの広さは柔道場と同じ程度だろうか。そのリングの外には、観覧するように中を眺める人間たち。おそらく非番の使用人たちに、城でも見かけないおそらく暇な町民。物見高い貴族然した人間たち。その他のこういった催し物に興味を持つ令嬢たち。その中にはもちろん、知っている顔も。


「ごきげんよう、ルル君、カラス君」

「ごきげんよう」

 遠巻きに見ていた他の人間たちと違い、ティリーは不敵な笑みで、ルネスは少々緊張した笑みで僕らに挨拶をしてくる。一歩下がってルルが応えるのを待ち、僕は黙って頭を軽く下げた。


「今日は演武なんか目じゃないものが見れると聞いて楽しみにしてきたよ」

「そういうことはもっと声を小さくしなさい」

 ルネスがティリーを窘める。楽しみにされても困るし、決着が死かもしれない以上、楽しみにするのもどうかと思うが。

「ザブロック家の名代として、恥ずかしくない行いを心がけます」

「ルル君なら、『そんなこと気にしないで』とでも言っただろう? 気にせず戦いたまえよ」

「あなたは少しは世間体を考えなさい」

「口うるさいなぁ」

 ケラケラとティリーがルネスの言葉を笑い飛ばすが、僕やルルは反応に困って乾いた笑いでどうにかやり過ごした。


 そんなふうに、少々漫才を続けたルネスが、僕の服に目を留めたらしい。

「そういえば、カラス様はいつもとお召し物が違いますわね?」

「さすがに普段着のまま戦えと言われても困りますから」

 正直そんなに動く気もない以上、いつもの服でそのまま来ても問題はないのだが。それでも、何となくどちらかといえばこういった準備をする方が礼儀に適っている気がする。

「黒かと思えば紫や橙に光って……素敵な色合いですわ。これは、……鱗? ですの?」

 許可なくルネスが僕の外套を掴んで撫でる。これはお目が高い、というべきか。

 そういえば、ルネスの手袋も同じ作者だったっけ。引っかかりがある方向へ撫でてしまい、今まさに少々毛羽立ってしまったことを残念がっている兎の毛の手袋の。


「はい。『麗人の家』にいる友人に作って頂いたものです」

「まあ」


 ルネスの目つきが羨望の眼差しに変わる。

 ルルも初耳、と目を丸くした。

「これは……そういう、なんというか、そういう、戦う服なのですか?」

「本来は鎧などの上に着る外套ですね。私が何となく鎧を着るのが好きではないので、外套自体に鎧と同じような機能を持たせてもらっています」

「そんなに頑丈には見えませんが……」

 んー、とルネスが、生地を引っ張ったまま検分するように目を細める。まあたしかに、見た目はごく小さく砕かれた細かな竜の鱗がびっしりついているだけの布で、折り曲げられるくらいには柔らかく、手触りも厚手の布とほとんど変わりない。その辺りはリコの工夫と技術の結晶だ。

 この鱗が魚の鱗だったりすれば、強度もそれほど高くはならないだろう。それに、飛魚の血や様々な材料で防刃性や難燃性を付け足した生地もぱっと見はわからない。

 見た目は確かに、普通の旅装と変わりない。


「ですが、頑丈ですよ。適当な刃なら突き通りもしません」

「服飾工房が防具をお作りになるなんて。それも、一品ものですの? ……ご友人というのは羨ましいですわ」

「ええ。私にはもったいない友人です」

 よく考えてみれば、偶然も手伝って今身に着けている衣服は全てリコ製のものだ。何枚かの服で洗い替えをしているが、たまたまローテーションが合ったらしい。

 ……ルルと同じく、こんなところにもいたか。

 ルネスが服から手を離し、気が済んだかのように掴んでいた部分の皺を引っ張り伸ばす。元々皺などあまりつかない服だが、律儀にも。

「今度カラス様からもお願いしてくださらない? その方、お抱えにしたいのです」

「……私の勧めなどあまり効果はないと思うので、ご家族の方の了解を得られましたらご自身で勧誘をお願いします」

「あら、つれないのね」

「もちろんリコから……いえ、彼からルネス様の印象を尋ねられましたら、良い方だとお伝えはさせていただきますが」

「ならまずは、お父様の説得ですわね。腕が鳴るわ」

 ふふ、とルネスが笑う。それはまず自分で頑張ってほしい。

 もっとも、お抱えになってしまえば僕から何か頼みづらくなるので、どちらかといえばルネスのお抱えにならない方が僕的にはありがたいのだが。


「ほうほう」

 ティリーが頷く。ルネスにではなく、何やら僕に向けて。

「そのリコ君とやらも良い子なんだろうねぇ。カラス君を守るために服を作ってくれたわけなのだろう?」

「いい人ですよ。変な印象をつけたくないので、あまり詳しくは語れませんが」

 むしろ、そもそもあまり詳しくも語れない。胸を張って友人といえる数少ない人間とはいえ、親しいかと問われると首を傾げる。

 だがもちろん、少なくとも僕は、友人と思っている。

「良い人でしょう」

「……おや」

「その彼は、人間嫌いのカラス様が、友人と呼ぶくらいですから」


 ルルの補足にティリーが唇の端を上げる。

 それから、ルネスが一瞬だけ目を丸くして、何かに気が付いたかのように声を上げた。

「そういえば! ラルミナ様も先ほどおいででしたわ。カラス様の剣を見れるかもしれない、と……、カラス様、武器はお持ちでは?」

 突然の話題の転換だが、疑問には思っているらしい。ルネスが僕と後ろに立つサロメを見て首を傾げる。

「小剣など、でしょうか?」

「武器を使うのは危ないので、今日は何も持ってきていません」


 僕は両手をひらひらと示して答える。

 武器を使ってしまえば、あまりに勇者が強い場合は勝てなくなるし、僅差の場合も加減が出来なくなる。そんな邪魔な武器を使うよりもやはり素手が一番だろう。

 そうした判断で、今日は特になにも持ってきていない。探索に出るときには一応腰に差している短剣も今日はない。


「そんな侮れる相手ですの?」

「侮ってなどおりません。武器など邪魔なだけですから」

 僕は一応本音を述べるが、まだ納得いかないようにルネスはポカンと口を開ける。まあ、理解は出来ない……のだろうか?

「よくわかりませんけれど、ラルミナ様も残念でしょうね」

「もともと人に見せるものではありませんから、ご期待には添えられないかと」

 それとなく周囲を見渡すが、ディアーヌの姿は近くにはない。

 だが、リングの向こう側に見つけた。金色の髪を上部で括った長身の女性。竹で組まれた壁の目の前、中が一番よく見えそうな場所に陣取っている。決闘前に捕まらなくて何よりだ。


 


 そのとき、わっと声が上がる。

 僕の時は上がらなかった歓声。歓声というよりは、驚愕の声。

「ゆ、勇者様!?」

「ほぉー」

 そちらを見たルネスもティリーも声を上げる。ジュリアンと、その従者たち。それに連れ添って入ってきた、勇者の姿を見て。

 人混みの向こう、群衆の隙間からちらちらと見えるその彼の姿に、勇者の顔を知っている令嬢や貴族たちは揃ったように驚きの声を上げていた。

 

 あれが勇者? と、やや遠巻きに見ていた庶民たちも囁きあう。

 ざわめきが広がり、それを聞いたジュリアンは気をよくしたように歯を剥いて笑った。


「どど、どういうことですの? 何故勇者様が……勇者様と決闘を!?」

「そうなるらしいです。災難ですね」

 僕とルル、サロメの知っていた三人には驚きはない。だがそれよりも、来てしまったか、という思いの方が強かった。

 しかし正直、まだわからないだろう。ジュリアンには数人従者がついている。侍女と……多分、従者じゃなくて下級貴族の子息たち。彼らの内の誰かが戦わないとは限らない。まあ僕は知っているからそうとはもちろん思えないのだが。


「逃げずによく来たな! カラス!!」

 ジュリアンが、大きな声でこちらに向けて呼びかけてくる。そのジュリアンの視線の先にいた僕らに注目が集まり、そもそも僕たちに気が付いていなかった観衆たちすら僕たちを見つけてしまったらしい。

 もともと疎らだった観衆が割れるように避け、まだ二十歩は離れているジュリアンと僕たちの間に通路のような空間を作る。


 仕方ない。もう、逃げられないだろう。逃げる気もないが。

「ご指名なので、失礼いたします」

「え、ええ。ご武運を」

「頑張ってねぇ」

 とりあえずジュリアンは無視して、僕はルネスとティリーに頭を下げる。

 それから黙ってジュリアンを見返すと、その横で僕を見つめる勇者とも目が合った。


 一応応えてもいいはずだが、僕がジュリアンに直答するのは無礼とまた言われてしまうだろう。昼餐会では思わずやってしまったが、まあここでもやる意味はない。

 

 何も応えない僕に代わり、ルルが一歩踏み出す。

「まだ立会人のベルレアン卿が到着されておりません。事前の交流は慎むべきだと」

「見ての通り、こちらの代闘士は勇者様だ」

 

 のしのしと歩み寄ってきつつ、ルルを無視して話し続けるジュリアンを、更に無視して僕は勇者を見る。

 勇者の服はいつもと変わらない。学生服に似た礼装に、ただ学帽のような帽子が増えている。一応あれも礼装の一部だろう。それも、いつもよりも丁寧な。

 あと一応、多分中に鎖帷子のようなものを着ている。いやそれかどうかはわからないが、多分いつもより服が重たいのだろう、重心がほんのわずかに下がって見える。

 勇者の手に握られているのは以前自慢げに見せられた青生生魂の宝剣。竜の鱗よりも頑丈な剣。


「そのままでも威容ある姿であるが、当然礼服に身を包んで頂いた。……だが、なんだ? その粗末な服は。さすが探索者、決闘という格式ある儀礼を知らぬと見える」

「この服を粗末だと思うのであれば、わりと眼識は絶望的だと思いますけど」


 ……。

 無視していた。

 無視するはずだった。

 だが思わず口答えしてしまい、不味いと僕は何も言っていないと表情だけで取り繕おうとする。しかしそれもまあ無理だろう。僕自身、無理だと思う。口答えに後悔はない。

 ちり、と髪の毛の端が音を立てた気がする。


 一部の貴族が、露骨に眉を顰めながらひそひそと何かを話している。

 庶民たる僕が、最上級貴族の子息であるジュリアンに口答えをしたからだろう。多分そうだろう。

 

 町人や貴族たちの空気が何となく変わる。

 それは当然なのかもしれない。貴族たちはもとより、町人たちも勇者が召喚されたという事実は伝え聞いている。群衆に注目されている男性はそんな勇者とされ、そして周囲の貴族たちの反応がそれを真実だと示している。

 勇者という英雄。正義の象徴。それが今、目の前にいて、そして誰かと戦おうとしている。そんな静かな興奮に。


 その誰かたる僕。敵たる僕は今その効果をつぶさに感じている。

 なるほど。勇者は絶対的な正義の象徴で、その敵は悪。勇者本人にではないが、それでも勇者の陣営に今まさに逆らった僕は。


 ざ、と僕に敵意を持った人間たちが距離を取った音が揃ったようにも聞こえた。本当はバラバラでも、何となく一斉に輪が広がった気がする。

 何となく可笑しくなる。

 ここでも嫌われ者か。勇者を効果的に使ったジュリアンが上手いのか、それとも僕の宿命か。


 仮に救いがあるとするならば、城で話したことのある令嬢や使用人たち。一部は困惑し、一部は何も思っていない、とそんな感じだ。ジュリアンも勇者も、そして僕も知っているという人間たちはやや好意的、程度を保っているのだろう。


「…………訂正しよう。お前の死に装束としては上等だな」

「それには返す言葉もありません」


 そもそも訂正出来ていない、ということは置いておいて、その言葉にのみ僕は答える。

 返す言葉もない。僕の死に装束としてはたしかに上等だ。だが死に装束にする気もない。

 これは、生き残るための服だ。


 問題は、と僕は改めて勇者を見る。

 ルルを助けるために代闘士に志願した勇者。僕の視線を受けてではないが、僕をじろりと見ると露骨に不快そうに目を細めた。


「……武器は持ってきてないのか?」

「はい」

 

 ヒュ、と勇者の剣が跳ね上がりこちらを向く。鞘越しではあるが、こちらを突き刺すような圧迫感に僕は手を上げて応えた。

 なるほど。敵意ある目。僕に対しての口調の変わりようといい、変わったのは雰囲気だけではなさそうだ。

「俺ごときに武器は必要ないって?」

「いいえ」

 誤解がある。そう思うが、訂正が難しい。武器は苦手と伝えて大抵の相手は納得しないのが困る。

「調子に乗ってるなよ。今すぐ武器を手配しないと後悔するからな」

「調子に乗る気はありません」

「どうだかなって」


 勇者は僕の言葉を笑い飛ばし、ルルに一歩近づく。ちょっと頑張れば手が届く距離。

 それに合わせて僕も足の位置を組み替える。不審な動きは見逃せない。一応僕の警護の任務は継続中だ。……というか、決闘中くらいオトフシに代わってもらえばよかった。一応サロメが通信用の魔法陣紙を持ち歩いているだろうが。


「絶対に助けます。俺を信じて待っててください」

「…………」


 ルルは何も言わずにぺこりと頭を下げる。それから僕の袖を引いて、「行きましょう」と小さく呟いた。

 導かれているのは、一応竹柵の対角線に設置された試合場の入り口。そのまま入ってすぐ、待機所代わりの隅で僕たちは立ち止まる。

 勇者たちも、別の口から入り同じような場所で立ち止まる。

 それぞれ離れた位置で互いに牽制をするように、クロードたちの到着をじっと待った。



 それからすぐに夕の鐘が鳴り渡った。

 やや傾いた日暮れ近くの空にそれが響き、急かされるように鳥たちが巣へと帰っていく。

 長く、五回の鐘。


 群衆が何となくざわめく。

 公示によると、決闘が始まる時間。本来ならば立会人が決闘の取り決めなどを宣言し、闘士たちが睨み合う時刻。


 だが、まだ決闘は始まらない。それを訝しむ声が、鐘の後から徐々に増えていった。


 僕とルル、サロメも困惑する。ビャクダン家陣営も同じようで、同じようなことを囁き合っていた。

 立会人、クロード・ベルレアンが来ない。本来、僕たちよりも先に会場に着いていなければおかしいような人物が。


 立会人は、決闘を構成する大事な要素だ。決闘を行う両家の合意のもと選出される立会人は、中立な立場から決闘の公正さを担保する。

 仮に立会人がなければ、他の要素が揃っていようがそれは決闘ではなくただの私闘だ。武道場や道端で行われるのであれば多少のお目こぼしはあるだろうが、度を過ごせば衛兵が飛んでくる。

 特にこの衆人環視の中、私闘を行うわけにはいかない。


「……どうしたのでございましょうか」

「約束は守る人だと思うんですが……」

 んー、と僕たちは顔を見合わせて悩むが、当然答えは出ない。誰か城へと向かわせようにも、ザブロック家側は人員がギリギリで使いなど出せな……いわけでもないな。オトフシに連絡を頼めばいいのか。

「オトフシに……」



 僕が言いかけたその時、僕の耳に馬の足音が聞こえた。

 まだ遠い、だが明らかに急いでこちらに駆けつけるような音。

「来ました」

「え?」


 ルルたちが僕の視線の先を追うが、竹柵の向こう、まだ馬の姿は見えない。

 二頭の馬が早足で駆けてくる。角を一頭が曲がって……。


「団長! こっちですこっち!!」

「ええい! わかってる!!」


 わかってる、とは聞こえたが、途中までは明らかに先導する馬と逆方向に曲がり、処刑場から遠ざかっていくような音だった。

 クロードかと思った。しかしおかしい。明らかに二人の女性の声。確実にクロードではなく、しかも聞き覚えがある。


 やがて姿を見せた二頭の馬。その上には聖騎士の正装に身を包んだ二人が乗っていた、が、やはりクロードではない。

 一人はおそらく後に続く聖騎士の部下。そして後に続いてきたのは。


「その決闘! 待てーっ!!」


 第二位聖騎士団団長クロードではない。第七位聖騎士団団長、テレーズだ。



 僕とルルは顔を見合わせ、それから揃ってビャクダン家陣営を見る。

 まさか偽報か何かか。そう疑ったが、それもお互い様らしい。


 馬を避けるように竹柵の外を囲んでいた群衆が割れる。馬上から叫ぶテレーズは、上半身を竹柵の上から覗かせていた。

 景気づけのように、テレーズの馬が後ろ足で立ち上がり嘶く。

「このテレーズ・タレーランが、立会人クロード・ベルレアン=ラザフォードに代わり伝令を承ってきた!」

「……聞こう」

 僕たちより幾分かテレーズに近いジュリアンが、戸惑いながらふらふらとテレーズに近づき応える。ルルも無言で歩き出し、僕はそれに続いた。

 だが、何となくおかしい気がする。テレーズの表情が、いつもよりやや暗い。まるで勇者が家出から戻ってきたときのような。


 よく通る大きく張りのある声は、そうとも思えない気もする。

「陛下より勅命あり! 此度の決闘は王預かりとし一旦凍結! 勇者様は急ぎ王城へお戻りになるようにとのこと!」

 まだ興奮している馬の横顔を片手で押さえるようにしながら、テレーズが吐き出した言葉。それは、僕たちにとってはありがたい言葉だが。


「何故?」

「勅命である!」


 だが、何かが違う。これは予定されていたような勇者の身を慮っての言葉ではない。そんなのどかな剣幕ではない。

「聖騎士団団長を疑いたくはないが、ザブロック家の策略の可能性もある以上、納得がしたい。せめてこれだけは答えて頂きたい。クロード・ベルレアン卿はどうされた。何故ここに来ないのか」

「…………」

 ジュリアンの言葉に、テレーズが舌打ちをする。それからこちらを見て、何もせずにジュリアンに向き直った。

「……ベルレアン卿は別件で街へと出ている。だがその理由までは、このような衆人の中口には出来ぬ」

「別件? 決闘の立会人よりも重要な?」

「…………こんな下らない……」

 言いかけて、テレーズは首を横に振って強引にその言葉を掻き消した。

「その通りだ。そして、勇者殿、急いで頂きたい。勅命である。それを邪魔するならば、ジュリアン・パンサ・ビャクダンの首が飛ぶことになるかもしれぬ」

「ですが、これから……」

「すまないが!」

 言い募ろうとする勇者を遮り、大きな声でテレーズが言う。それから自身を落ち着けるように息を吐いて、首を折り曲げ俯いた。


「すまないが、私にも余裕がない。囀るのは勝手だ。だが、私の我慢が限界になる前に、その足を動かして頂けないか」


 テレーズがぽつりと言う。

 だがその静かな言葉とは裏腹に、乗っていた馬が一度震え、呼吸がおぼつかなくなっていた。

 ルルが無意識にか一歩下がり、また僕の袖を掴む。今度はどこかへ連れていこうとしているのではなく、縋るように。

 テレーズの馬が盛大に小便を漏らした。

 空気が震えるような錯覚。テレーズから、黒い空気が立ち上るような。


 ジュリアンが小さく悪態をつきながら振り返り、言われたとおりに踵を返す。

 ジュリアンの侍女に促され、勇者も少し震えて戸惑いながらそれに続いた。



 観衆に落胆の声が広がる。

 早々に帰ろうとする者。何かがまだあるかと期待してまだ待っている者。それは半々くらいだろうか。


「カラス殿」

 では僕たちも、とルルと言葉なく頷きあい、僕たちも立ち去ろうとする。

 だがほとんど動かずに待っていたテレーズが、僕にも視線を向けずに前髪で目元を隠しながら僕の名を呼んだ。

「……なんでしょう」

「クロードからも要請があるだろうが、明日の(もがり)の儀には参列してほしい。参列出来るように、私の権限で取りはからっておく」

「殯……?」


 大きな都にはかならずある白骨塔。もちろんこの王都にもあり、そこには歴代の貴人たちの骨が収められている。

 そして殯は、その白骨塔に収める骨を作る前段階。誰かが亡くなったときに、その遺体を数年の間土葬するという風習のこと。

 殯の儀は、特に、誰かが亡くなった後に地面に埋める儀式のこと。

 つまり、明日誰かを埋めるということ。


 つまりそれは、誰かが亡くなったということ。


「……誰のですか?」


 答えるために、テレーズが顔を上げる。

 その顔は、無理をして笑っていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] なるほどねぇ。 立会人を殺すことで決闘を止めることができるのか。 貴族にはいろんな技があるんだなぁ。 で、クロードを殺してまで止めたということは、 王家にとって決闘が行われること自体が都合悪…
[一言] これ彼女がかわいい二人が覚悟決めて闘おうとしてるのに、彼が王に密告して中止するのはナンセンスだからサクツ? ただでさえ絶望的なのに戦争が開戦したらどうなるんだ
[一言] そういえば最近死亡フラグ立ててた人いたなあ…。この予想が当たって欲しくはないけど…
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