散歩の末の主人公
ジュリアンを足して、四人組の男たち。
ひそひそと、仲間内だけでただ談笑をするように彼らは視線を交わし合う。
だが、違う。明らかに僕に聞こえるように、当てつけのように言葉を繰り返していた。
「お、こっちを見ているぞ」
「怖いな。野蛮な探索者なぞ何をするかわからん」
挑発。それも、そうと言われたら否定出来るように用意されたもの。
なるほど、効果は覿面だろう。事実、僕の背中を薄ら寒さが覆っている。野良犬、貧民崩れ。明らかに僕を標的にした侮蔑の言葉。苛つきが僕の頭に染みこんでいく。
もちろん、彼らは既に言い訳を用意している。彼らは僕に向けて言葉など発していないのだろう。まだお互い手も届かず、本来立ち話など容易に出来る距離ではない。仮に僕が何かしらの文句を申し立てたとして、彼らは『こちらの話をしていただけだ』というだけだ。
「まったく、せめて俺たちの食事には近寄らないでもらいたい。もう汚れて食えたもんじゃない」
「飢えて死ぬかもしれんな、これは」
嫌な気分になる。
だが、構うなと僕は自分に言い聞かせて背を向ける。気にする素振りを見せたら喜ばれるだけだ。口だけしか出さないのならば問題もない。僕が気にしなければいいことで、そして気にして何かをすればルルの迷惑になるだろう。
だが、口だけなら済むはずだったその対策も、彼らの前には無になってしまう。
「なあ、君、これもだ」
他の机を片付けている僕のところに、わざわざ歩み寄ってきたビャクダン大公ご子息。僕の持っている盆の上に、そいつが料理が山盛りになった皿を置く。
机の皿を片手に、そしてその皿が載せられようとしている盆を片手に持っていた僕。盆の上に明らかにわざと皿が力強く乗せられ、バランスが崩れた。
「…………」
「おっ……と」
「失礼しました」
もちろんその程度では僕は皿を取り落としたりしない。
ジュリアンは落ちると思っていたのだろう。わずかに身を引き避ける準備をしていたが、それが無駄な動きに終わり、芝居がかった狼狽もそこそこに舌打ちをした。
一応僕は頭を下げて作業を再開する。埋められてしまった盆。だが、右手の指でさきほどから片付けようとしていた机の皿を摘まみ、盆まで持っていき空いている指で盆に載っている皿を少しだけ持ち上げる。隙間に滑り込ませるように弾いて皿を押し込めば、何の問題もなく皿は回収出来た。
あとはこの場を去るだけ。そう考えて、目の前の男を視界にも入れないように歩き出したが、やはりまだまだ絡まれるらしい。面倒で、とても不快だけれど。
「……器用だな。その器用さで、何人の女を落としたんだ?」
「…………」
また明らかな挑発。しかし、これは……一応質問だし応えなければいけないだろうか?
感情を表に出さないように僕は振り返り、ニヤニヤと笑うジュリアンに向けて口を開いた。
「申し訳あ……」
「いつお前が口を開いていいと許可した。やはり貧民崩れは礼も知らないようだ」
だが、どうやら僕は口を開いてはいけなかったらしい。たしかに僕から話しかけるのは礼儀に悖ることだったが、応えるようなこういう場合は構わなかったと思うが。
殊更に大きな溜息をつくジュリアン。額の辺りに熱を感じながら僕が黙ると、それも面白そうに薄く笑っていた。
ジュリアンが一歩歩み寄ってくる。いつもは遠目から適当に確認していた重瞳がよく見える。そのまま僕の肩に顔を寄せるようにして、囁きかけてきた。
「ここはお前のような者が入っていい場所ではない。そんなことも理解出来ないのか?」
「…………」
先ほどの教訓から、僕は応えずにただ背を向ける。机の拭き残しをもう一度こすりにかかった。
ただ、そのまま呟くように言葉を吐く。黙ってなどいられない。
「……ここにいる皆様は皆ご両親が何かしらの役職についていらっしゃる。ああ、そういえば、太師という重役を任され、立派にこなしている方もいらっしゃるとか」
拭いた布を腰にまた下げる。染みついたソースの色が濃くなった。あとで替えないと。
「ですが、ただその子供というだけの方々が、まだ何も自分で成していない方々が、何か僕と違うのかな」
独り言。疑問。そんな風なものを装った言葉。
いやまあ、明らかにジュリアンに聞かせているのだが、ジュリアンの顔が少しだけ強張った気がする。
「偉い親がいないと何一つ出来ない人間が、どうして傅かれているんだろう」
「…………!!」
ガシャン! と机に置いた先ほどの盆が払い落とされる。
僕がその落ちかけたものに指を向けて念動力を作用させると、宙を舞う皿に、青白いソースのかかったパスタのような麺や切り出されたグラタンのようなものが綺麗に空中で静止した。
やはり、料理を粗末には出来ない。たとえこれから捨てられるようなものであっても。
綺麗には戻せないが、払い落とされた料理を適当に元の皿に戻す。
それから周囲を確認すれば、もう明らかな騒乱に視線が集まっていた。
その視線の中には、ルルのものもある。一瞬交わった視線で何となく謝罪を伝えたかったが、多分通じていまい。
ルルの横にいた勇者が、ルルをちらりと見てから足を踏み出す。それと同時に、部屋の隅から待機していたクロードも。
歩きながら勇者が誰かを探すように視線を彷徨わせるが、おそらく探しているのはミルラだろう。そしてまだいないとわかると、覚悟を決めたようにわずかに息を吐いた。
「どうなさいましたか」
僕の左後ろから、近づきつつクロードが問いかけてくる。僕が応えてもいい……ものではないな。腹が立つことに。
僕は跪いたほうがいいだろうか。いや、しなくてもいいな。道義上とか礼儀上のものでもなく、ただ単純に、そうしたくない。
ジュリアンが僕を目を細めて見る。睨んでいる、にしては迫力がない。
「この男が私を侮辱した。こともあろうに、このような場でな」
「……それは……」
困ったようにクロードが僕を見るが、何を困ることがあるのだろう。権力者の息子と、ただの使用人。諍いがあるならば、事の次第に関係なく間違いなく責は使用人に向くし、クロードは直ちに僕をこの部屋から追い出すべきだ。そして詮議し、僕を有罪にすればいい。
だが、躊躇うようにクロードは動かない。不器用な、きっと世渡りに向いていないとはこういうことなのだろうと思う。
勇者もようやく口を開く。揉め事に慣れていない、とわかりやすい。
「カラスさんが、何を……?」
「親も家もない貧民の身で、俺が自分と何も変わらないと罵りやがった。ベルレアン卿、即刻俺の目の届かないところにやってくれ」
「…………」
クロードが僕に視線を固定する。釈明をしろというところだろうが、さて、言葉を発していいものだろうか。
……煩わしい。本当に。
「身に覚えがありませんね。私は独り言を呟いたのかもしれませんが、ビャクダン様のことを言った覚えもありませんし」
ジュリアンには聞かせた。だが、ジュリアン個人のことを指して言ったわけではない。詭弁だが、それはこいつらもおそらく同じことだろう。僕がするからそう思っただけかもしれないが。
ジュリアンは笑う。また、嘲笑いの顔で。
「戯れ言を。あのような大きな独り言などあるものか」
「そう受け取られてしまったのでしたら申し訳ございません」
「この期に及んでその不敵な態度を取るのをやめたらどうだ。慈悲ある俺だけではなく、この場には勇者様もベルレアン卿もいらっしゃるのだぞ」
「ははぁ……」
たしかに、勇者もクロードも、そしてルルも僕よりも目上なはずだ。
だが明らかに、違う種の者が一人いる。国が厚く迎える勇者や、爵位を持つクロードや、雇い主であるルルと違い、僕に向けて何かしらの命令を出せる謂われのない人物が。
いやわかっている、これも詭弁だ。貴族の息子、というだけで一応僕は膝を折らなければいけないのもわかっている。この国では。この社会では。
「増長するな。野良犬が着飾ってその気になりやがって。お前のような野良犬がいて良い場所ではない」
「…………」
だが、もういいのではないだろうか。
ルルの迷惑になると耐えてきた。この城に来て、ミルラの対応やそれこそ目の前の男に刺客を送られてきた件に関しても、ことを荒立てないようにと思ってきた。
「俺は知っているぞ。お前がここに来る前、俺の従兄弟に何をしたか。端金ほしさにどれだけ惨たらしいことをしたか。その苦しむ姿を見てきた俺にはよくわかる」
「……申し訳ございません。正直、身に覚えがありすぎてどれだか」
従兄弟? ビャクダンの家系は……いや、その辺りさっぱりだから本当にわからないのだが。
しかし貴族に手を出したことといえば、レヴィンの一件だろうか。敵は数限りなくいるけれども、貴族との敵対はそれくらいしかしていないと思う。
貴族以外ということも……さすがにないか。たしかオトフシによればジュリアンは三男。長男だけしかいないならまだしも、ビャクダン大公が庶子を認知するなどは。
「だろう。お前のような野良犬には恨みなどすら理解できん。理解出来るのは快不快の感情だけ。どうせこの城にも、金か……それとも女か? そういうものを目当てに浅ましく入り込んだのだろう」
……罵りは別として、前段は理解出来なくもない。けれど後段は、僕以外にも迷惑を掛ける人が大勢いる気がして同意出来ない。
またなんとなく、目の端が痙攣する。
「そういえばお前は薬師の真似事をして人気を取ってるらしいな。どうせそれも、詐欺紛いの適当な仕事だろうが」
ジュリアンの言葉を聞いて、ふと僕の鼻がわずかな臭いを嗅ぐ。
何かが焦げたような臭い。出所は、と思えば僕のしている手袋だった。料理に紛れて誰も気に出来ない程度の臭いだが、多分熱を帯びて。
それを感じて、僕の頭が多少冷える。
わかっている。間違っているのは僕だ。ジュリアンに絡まれて、抵抗した僕が悪い。
ここで僕がすべきは、申し訳ありませんと謝り頭を地面にこすりつける。そうしてジュリアンに許しをもらい、クロードの手で会場の外に連れ出される。そしてその後、沙汰を待って処分を受ける。
それが正しいことだろう。この社会では当然で、きっとこの王城にいる誰もがその解決を望んでいる。庶民は貴族に、貴族は王に逆らってはいけない。長幼の序に似たその順番は乱されてはならず、彼ら彼女らの地位を安泰にする。
だが、もういいのではないだろうか。
僕はわずかに後ろ足を一歩踏み出す。ジュリアンには気付かれないように隠しながら、僕の間合いに入れるように。
僕の左に立つクロードは、それに気付いたらしい。おそらく勇者も見ていれば気付いただろうが、そこまで気にしてはいられなかったのだろう。
動くな、とクロードが唇だけで僕に伝える。
黙った僕に向けて、良い気分でジュリアンが何事かを言っているが聞く気はない。
ルルの迷惑になると我慢してきた。
出来るだけ事を荒立てないようにと、先ほどまでは。……きっと、口答えをしてしまったときには既にもう見切りをつけていたのかもしれないが。
なに、問題はあるまい。仮に僕が何かしらの問題を起こしたとして、『雇っていた探索者が勝手なことをした』と僕を切り捨てればザブロックの責任は最小限に収まる。
その上、ルルは勇者の伴侶。ザブロック家への何かしらの処罰はこれまた最小限に収まるし、お咎めなしで終わることもあるかもしれない。何せ、勇者はこの国にただ一人しかいない貴重な存在。彼の威光を盾にすれば、そう問題はない。
決意をしてから、延びる時間の感覚。全てがゆっくりと動いている気がした。
クロードがジュリアンを庇うように動く。その手が剣の柄にかけられ、僕に向けて空いた手も伸ばされ始める。
だが遅い。僕は今運の良いことに空手。クロードが僕を拘束するまでに僕の手はジュリアンに伸ばせるし、そもそも伸ばせなくても魔法がある。
拘束ではなく攻撃を選ぶかもしれない。しかしその場合も、クロードが僕の首を落とすよりもジュリアンの首が落ちる方が早い。
もういいだろう。我慢しなくても。
貧民街の野良犬と蔑まれるよりも、礼儀知らずの貧民と馬鹿にされるよりも、目の前で食事を粗末にされることよりも、もっと我慢出来ないものがある。
それを言葉にすればいいと頭のどこかにブレーキがかかるが、それも断る。話して訂正を求める。そうするのがせめてもの賢い行いで、そして道義的にも正しいと。だが断る。
人と人は話せば必ずわかり合えるとどこかで聞いた。だが、それも、少なくともどちらか片方が人でなくなれば成立しない脆い理論だ。
詐欺紛い、と言ったか。
目の前のこの人間は。
パシッ、と僕の右腕が掴まれる。
クロードではない。一応クロードを警戒していた僕はそのか細い手応えに呆気にとられ、そしてクロードと勇者も驚いて僕の後ろを見ていた。
掴んでいたのは、ルル。
「……行きましょう」
その声は冷たく低く、微かに震えているようにも聞こえた。
「え?」
引っ張り返す気にもなれず、僕は引きずられるように手を引かれて歩き出す。ルルのその顔は出口へと向かい、僕からは見えない。
しかし、強い力。床を踏む足に、決意が見える。
もしかして僕は怒られているのだろうか。ビャクダン家に失礼なことをした僕に怒り、会場の外に連れ出されようとしている。そういうことだろうか。
「もう、我慢できません」
「……申し訳ありません」
ぽつりと呟かれたルルの言葉はそれを裏付けている。そう感じ、僕は素直に謝った、が、違うのだろうか。僕の手首を握る力が強まる。
「途中からしか聞いていない以上、私は何も知りません。……でも!」
少しだけ俯いていたルルの顔が上がる。唇を噛みしめるように、何かを堪えていた。
「カラス様は私の従僕です。私の大事な従僕にあんな顔をさせるこんな場所に! 置いておけるわけがありません!!」
誰に対して言っているのだろうか。クロードに? ジュリアンに? それはわからないが、ルルの言葉にざわめきが起こる。
「……ザ、ザブロック様。どうかお平らに」
慌ててクロードの他にもいた聖騎士が止めようと立ちはだかるが、それ以上手出しは出来ないらしい。もちろんそれはルルもで、お互いに立ち止まり睨み合う形になった。もっとも聖騎士側は、睨み付けることなど出来はしないのだが。
「ああ、なんだ、もう『陥ちて』しまっているのか。勇者様、これは望み薄だな」
ははは、と囃し立てるようにジュリアンが言う。その視線を向けられた勇者は、ゴクリと唾を飲んで押し出されるように蹈鞴を踏んだ。
「…………ルルさん、あの、……」
「野良犬と呼ばれるようなことをしましたか? いつ薬師の真似事をして、いつ中毒者が出たことを喜びましたか? やってもいない罪で責められる謂われはありましたか?」
もはや独り言のようにルルが言葉を吐きだし続ける。視線を向けられている聖騎士が、自身に向けられた言葉ではないだろうに目を逸らしていた。
「これ以上私たちを…………これ以上…………」
悔しそうに言葉を止め、ルルは勢いよく振り返った。
「ごきげんよう、勇者様。今日は私はここで失礼致します。お騒がせして申し訳ありませんでした」
そして礼をする。ただし、優雅さの欠片もないぶっきらぼうなもので。
ジュリアンが舌打ちをする。追い縋ろうと手を泳がせるのが見えた。
「おい、待てよ」
「失礼します」
視界の端で、ティリーとルネスがこちらに向けて歩いてきているのが見えた。
ただし彼女らは勇者とジュリアンに足を向けて、そしてティリーは「行って行って」と口と身振りで示していた。
聖騎士も、素直に退いて会釈する。仕方ない、と態度に表して。
ルルの手に引かれるがままに、僕は会場を後にする。閉めた扉の向こうで、「待てよ!!」と怒鳴り声に近い声が響いていた。




