悪い方へ
「お疲れ様でしたぁ」
「お疲れ様です」
昼餐会が始まれば、使用人たちは休憩の時間だ。まだ解散ではない、というのが面倒なところで、昼餐会が終わった後も片付けが残っている。
そのために、僕たちはいくつかある適当な控え室を使い、休憩することが認められていた。
控え室といっても、たとえば僕がルルの警護を一時離れたときなどに使うものではなく、本当に下男下女のための部屋という感じだった。
この前軟禁されていた部屋とはもちろん雲泥の差。
調度品などはもちろんない。花瓶が飾られることもなく、部屋に絵が掛けられているようなこともない。この部屋の床は板張りだが、そうではなく石畳の部屋もあるし、屋外に一歩はみ出ている限りでは土の床もあったりする。
机は大きなものが部屋の真ん中にドンと置いてある。目測で十畳ほどの部屋の三分の一ほどの机で、その机以外の場所が丸ごと回り廊下のような通路になっていた。
椅子ももちろん長椅子ではなく、そもそも椅子がない。部屋の壁に突き出した長い出っ張りが椅子の役割を果たしているため、使っている僕たちは皆で長いベンチに座っているような形だった。
背もたれはただの壁。クッションもない板の上に腰掛け、僕たちは適当にバラバラに時を過ごす。
別にこの部屋に戻ってこなくても、一度自分たちの部屋に戻ってもいいらしい。もちろんそのまま戻ってこなければ、班分けした以上そこで人員の欠けが把握されるのでやめたほうがいい、というのはアネット談だが。
ミルラ王女の要請ではあるが、片付けに来なくても罰則等は決められていない。だがアネット曰く、自分たちに嫌われたらどうなるかはわかってるだろうな? と暗に脅される形だった。
僕としても別に構わない。ここで待っていなければ自分の部屋でぼーっとしているだけだろうし、作業自体も別に苦ではない。
しかし……。
「いつもこの時間何してるんですか?」
僕ではなく、彼女らはどうしているのだろう。そう思い隣に座って溶けるように力を抜いていたアネットに僕は問いかける。顔の骨格まで変わっているようにすら見える力の抜き方だった。
僕に問いかけられて、目を覚ましたかのように首を横に振ってからこちらを向いた。
「……あー、大抵は持ち場に戻って布の染み抜きとかですかねぇ」
あれ手間がかかるんですよ、といいつつ、どっこいしょ、とかけ声を添えてアネットが背を壁から引き剥がす。
「じゃあ、今日は行かなくていいんですか?」
「上長がいないんで、急かされないんでいいんですよ」
「はぁ」
いいのか。いや、何となくよくない気がするが。
それでもまあ、彼女がそう言うのなら僕が口を出すことではないのだろうけれども。
「では、そろそろ役得といきますか」
僕が黙っていると、アネットはそう言って伸びをした。
一度部屋を出ていったあと、少し時間を空けて戻ってきたアネット。
その両手には銀色の平皿。そしてその上にはそれぞれ、サンドイッチのようなパンに何かしらの具が挟まったものと、ミートボールのようなものと胡麻団子のようなものが山になって乗っていた。
「ちょろっと、ぎってきました」
「私は無関係ということでよろしいでしょうか」
「逃がしませんよ。カラスさんはこれを今から私と仲良く食べるんですからね」
「えー……」
アネットはまた僕の隣に座りつつ、そのまま皿を僕と彼女の前に置く。一人でも充分食べきれる量だし、僕は離れて余計な憂いを回避したほうがいい気がする。
むんず、とサンドイッチを掴んでアネットがそれを小さく頬張る。
「気にしないでいいんですよ。結構みんなやってますから」
「みんながやってるならすぐばれるのでは?」
「厨房で消えていきますからね。会場に出るときにはなくなってますし、会場の人は気付くもんじゃないでしょう。厨房の担当には了解済みですし、省きということで役得です」
口の中でものを噛みながらアネットがそう付け足す。
まあ、そういうことならいいけど。
「特に今回はカラスさんのさっきのことも伝わってますから。厨房に仲良しがいたので、お礼も兼ねてるそうです」
「……そういうことなら」
……だったら、ちょろまかす必要もない気がするが。
まあ、そこまで言われれば断れまい。僕も一つサンドイッチを手に取る。
具は多分煮た魚肉をほぐしたものと、これまたほぐした……多分鹿の脂煮。それが固い耳付きのパンに挟まっていた。
食べてみれば、食感にシャキシャキとしたものがある。キャベツの塩漬けだろうか。それも酸味のある。
なんということもない軽食。ルルの朝食としてサロメも作っているような。
だが、サロメには失礼なことかもしれないが、美味しい。いやサロメの作ったものを食べたことがないのでそこで比べられるものでもないのだが。
腕のある料理人がやる気を出して作ればこういうものになるのだろうか。いつも使用人の食堂で出てくる雑多な料理と比べれば、なんというか、上手く言えないが洗練されている気がする。
行儀が悪いが、ソースのついたミートボールをアネットに倣い指で摘まんで食べれば、そちらも同様に。これは挽肉に米粉が混じっているらしい。
この分だとそちらの胡麻団子も美味しいのではないだろうか。まだ食べていないのに、そんな気がする。
「なるほど、これは確かに役得です」
「いつもは一皿くらいしかもらえないのに、カラスさんと一緒というのが私の役得!」
熱い胡麻団子を囓り、中から溢れてきた蒸気を吐き出してアネットは舌鼓を打つ。
使用人食堂の食事で慣らされていれば、確かにこれは美味しいだろう。
欲を言えばここに何かしらのスープとサラダも欲しいところだが、まあ立食パーティーと考えれば限られた種類しか作れないだろうし、持ってきてくれたアネットの好みもあるだろう。文句は言うまい。
最高ではないが、王侯貴族相手に出される料理。美味しいに決まっている。
「使用人食堂とは違いますねぇ……。さすが王城の最高の料理人ですよ」
アネットは笑顔でサンドイッチを頬張る。僕も、その笑顔は否定出来ない。
「ですね」
僕も胡麻団子を食べて思わず顔をほころばせる。サクサクとした周りの生地に、中の……なんだろうこれ、小豆ではなく甘いジャムのようなものが入っていた。
確かに美味しい。
だけど。
最高の料理人といったが、それには同意出来ない気がする。
現在この王城には、もっと美味しい料理を作る人がいる。それを、僕は知っている。
……いや、いいのか。彼女は料理人ではない。きっともっと美味しい料理を作るけれど、料理人ではない以上その序列には含まれない。
きっともう、懐かしむべきではない。
「本当に腕のいい料理人ですね」
ならば、ここは素直に誉めていいだろう。僕は顔を上に向け、胡麻団子をまた一つ口に放り込みながら呟いた。
「アネット! 手伝ってー!」
持ってきてもらったのだから、返却は僕が。そうして厨房へと皿を戻し、先ほどの下男の友達からお礼の言葉とやらを散々もらって来た僕。
また控え室に入って適当に過ごそう。そう思ったが、僕がちょうど部屋に戻ったその時、アネットの同僚らしき女性がアネットに呼びかけ部屋を覗き込んできた。
「え? 何を?」
「男どもが内勤の方を希望してさ-。一応何とかしてきたんだけどやっぱり広間の方の手が回らなーい。手伝ってー!」
アネットが僕の方を見て、呼びかけてきた下女も、今気が付いたかのように僕のほうを向く。アネットや僕よりも少し年上だが、僕を向いて口元を押さえて微笑む姿はませた年下のようにも見えた。
「内勤って何でですか?」
「さっきの海兎の毒? って男が危ないっていうから男どもがみんなぶるっちゃった」
「だらしねえ」
アネットの悪態に僕は頬を掻く。
別におかしなことでもないと思う。海兎の毒で倒れる人間の男女比は間違いなく偏っているし、毒の性質上、毒を摂取した覚えもないのに体に影響が現れる。先ほどの彼は広間で倒れた。ならば、怖がるのも無理はない。
「仕方ないのでは?」
「でも女の子も何人も倒れてるんですよ。私はまあ、大丈夫といわれてますから大丈夫なんでしょうが」
「……たしかに、何か事前に耐性の試験とか出来たらいいんですがね」
たしかに男女比が偏っていても、結局は両性に出る。ならばまあ影響がある人ない人で分けるのが一番公平な気もする。それがなかなか出来ないから困るのだが。
「女はね-、まー、倒れてもいっかなー、くらいの人が多いんですけど」
「それもご自愛ください、と思うんですが」
女性の方が被害に遭う確率が少ない、というのはわかる、けれど、倒れてもいい、というのは理解出来ない。間違いなく苦しみ、場合によっては死に至る毒。怖がりすぎるのもいけないと思うが、無防備なのもどうかと思う。
「だってカラスさんがいますしー、……ってこんなこと話してる場合じゃなかった。とにかく、アネットと……カラスさん、手伝ってくれませんか? 空いてるお皿とか片付けるだけでいいですから」
「しょうがない。行きましょう、カラスさん」
「私もですか」
溜息をついたアネットに袖を引かれて僕は渋る。そこまでするのはなんとなく嫌なんだけど。会場には僕の知っている顔もいるわけだし。
何より多分、ルルと勇者がいる。なんとなく、見たくない。
「一人いれば充分じゃないですか」
「なら二人いればもっと早く終わりますよ」
いやまあ、そうなんだけど。……いや違う。こういうパーティの片付けは、パーティが続く限り『終わる』ものではない。
一言で丸め込まれそうになったのに気づき、僕は苦笑いをする。
まあ仕方ない。
……嫌な思いをしなければいいのだけれど。
厨房に繋がる配膳口。そこに汚れた皿を置けば、中から焼けたごつい手が現れそれを攫っていく。
「お願いします」
「うっす」
そう呼びかけて僕はまた踵を返す。することは、先ほど言われたとおり簡単だった。
僕とアネットは空いた皿の回収役。先ほどの女性一人で受け持っていたものを、僕たち二人でやることになったというだけの。
システムとしては簡単だ。
賓客たちは壁際に並べられた料理から、銘々好きなものを取ったり側仕えに取らせたりする。そして食べて、空になればその皿を会場内に島になっている机に適当に放置する。
同じように飲み物の入ったグラスも飲み終われば適当に置く。
僕たちは、その適当に置かれたものを邪魔にならないように回収する、というだけのこと。
簡単な説明しかされていないが、我ながら上手くやっていると思う。
置かれている皿が一旦置かれたものか、それとも食べ終わった皿かを何となく読み取って手に取る。机が汚れていれば腰に下げた布巾で拭き取り綺麗にする。落として皿を割ったりしないように、賓客にぶつからないように避けつつ去る。
もちろんこれは僕が優秀なのではなく仕事が単純で簡単だから出来ているのだろうが、それでもきっと自信を持っていいことだ。
しかし、やはり僕の顔は知られているようだ。令嬢たちの一部は僕の顔を見て首を傾げたり笑顔を作ったりと忙しい。それに対し目礼だけで済むというのは僥倖だろう。
「あれ、珍しいところで会うねぇ、カラス君」
「忙しいところなんだから邪魔しては駄目よ」
目礼で済まない人間もたまにいるのが、まあ面倒ではあるが。
ティリーとルネスは僕に目を留めると、わざわざ声をかけに来たようだ。
歩み寄ってきたティリーが食べているのは、僕たちも先ほど舌鼓を打った胡麻団子。フォークで突き刺し口に入れて、それでも普通に喋れるのは彼女の特技だろうか。
そのティリーを咎めた後ろのルネスが飲んでいるのはおそらく葡萄酒。それもアルコールの薄いもの。
「そうか、ザブロック家からは君か……んん? 設営以外も手伝うのかい?」
「海兎の毒が気になるようで、本来の担当の男性陣が皆中に引っ込んでしまったようで」
「……はは、そうか。まあ、大変そうだねぇ」
会話の最中にも団子を頬張り続ける。僕などの使用人相手ならいいが、同格相手なら普通に無礼だろうに。
「ミルラ王女も困ったものだよ。昼餐会はやめられない、周囲へのご機嫌取りもしたい。どっちかだけにすればいいものを」
「ちょっと、ティリー!」
王女への苦言を呈したティリーを、ルネスが小声で窘める。まあ一応気にしている誰かはいないようだし、あまり気にしなくてもいいと思うが。
「いいじゃあないか。どうせ本人はここにいないんだ」
「……そういえば、いらっしゃいませんね。いつもですか?」
ティリーの言葉に僕は周囲を見渡して件の王女の姿を探す。しかし、確かにいない。
……そういえば先ほど会場の最終確認をしたのもアミネーだった。いつもはミルラがするとアネットは言っていたのに。
僕の疑問にはティリーが首を横に振る。
「いや、初めてじゃないかなぁ。まあさっき、陛下に呼ばれてたと聞いたけど」
「そうなんですの?」
ルネスが不思議そうに首を傾げる。ルネスが知らないのにティリーが知っている、となると、偶然でなければ必然なのだろうけれど。
それは、ティリーがいつ知ったかによるだろう。ルネスと合流する前か、それとも後か。
「あれ? 言ってなかったかい?」
「私は今知りましたわ」
「別にいいだろう? どうでもいい話じゃないか」
くふふ、とティリーが誤魔化すように話を切る。この感じだと、ルネスには聞こえていなかった、が正しいのだろう。
しかし、僕なんかと話していてもいいのだろうか。
「お二人共は、勇者様への挨拶は済まされたのでしょうか?」
「ええ、先ほど。ザブロック様にも」
ルネスが困ったように溜息をつく。視線を向けたわけではないが、仕草が件の二人の居場所を示しているように感じた。
僕もそこに注意を向ける。何人かが談笑し、メンバーが入れ替わっていく勇者の周囲。
その中にはずっと変わらず、一人の少女がいた。微笑んで。
僕が近寄る気になれなかった一角。もちろんそこも着実に汚れた皿が溜まっていく。
見ている間にも、アネットがいくつか皿をお盆に載せて僕の方をちらりと見た。明らかに、文句の視線。
言葉にするとすれば、働け、だろう。
「同僚に睨まれているので、私はこれで」
持っている盆からは何も落とさないよう、丁寧に頭を下げて僕は立ち去ろうとする。だが、その仕草には何も応えずに、口の中のものを飲み込んだティリーがへらりと笑う。
「カラス君は何か食べたかい?」
「…………」
一瞬答えに詰まる。食べたが、先ほどアネットと一緒にたしかに食べたが、実際は僕が口にしてはいけないもののはずだ。
しかしまあ別に構うまい。誰も聞いていない。
「……はい。胡麻団子も美味しかったですが、獅子頭も私は好きでした」
「じゃあ、次それを。ジェシー」
呼びかけられた前髪の長い侍女が声を出さずに薄笑いでコクリと頷く。そしてそのまますーっと滑るように移動し、令嬢たちを避けつつ料理の方へと向かっていった。
ルネスは首を傾げ、不思議そうに眉を寄せる。
「…………そういえば、いつの間に仲良くなってらっしゃるの? お二人とも」
ティリーはその言葉にニヤニヤとだけして、僕はなんとも言えずに誤魔化すように笑った。
ティリーたちと別れて、僕は大人しく作業に従事する。
まったく贅沢なことだと思う。
皿に肉片を一つ乗せただけ。冷たい林檎ジュースが一口分減っただけ。そんな、まだまだ使えるし飲めるものですらも、貴族の令嬢たちが『要らない』と意思表示すれば片付けられてしまう。ほとんど汚れていない皿は皿洗いに回され、まだ残っている飲み物は廃棄される。
慣れているか、僕のように今だけ耐えればいいというわけでもなければ、神経をすり減らす仕事だと思う。主に嫉妬や怒り、その他の負の感情で。
程度は違うし、そもそも事情は違うものの、いつかのマリーヤの言葉が思い浮かぶ。
『食べ飽きたお菓子を一口食べて捨てていた』というメルティ。かつての彼女と同じような光景が、きっと今目の前で繰り広げられている。エッセンは豊かでいい。それで、使用人の怒りを買うことがないようなのだから。
「なんだ、今日は俺たちに飢え死にしろとお達しらしい」
皿を片付けていた僕の手がピタリと止まる。
無数にある話し声から、ほんのわずかに聞こえた一文を、しなければいいのに僕の耳が捉えたらしい。
思えば、良い流れだった。
今日働きに出た僕は、親切には正しく感謝され、美味しいものにありつけた。
苦行だと思っていた作業はそんなに辛くなく、そして見知った顔とほんのわずかに会話も出来た。自覚はないが、この分だときっと楽しげに。
まただ、と何となく僕は思う。ほうらみろ、と安堵すらする。仕事を増やされ、嫌な思いをしないわけがない。
僕の一日が、良いことだけで終わるわけがない。僕によくある嫌な流れ。先ほど、きちんとそれは感じていたのに。
逃れられなかった、と感じる。
声が聞こえた方を向く。僕と関係のない話だったらいいな、などと願いつつ。
嫌なこと探しはやめたほうがいいと知っているのに。
だが、目があう。
「料理が汚れてしまうな」
男の周囲も、男の言葉にはははと笑い合い、さりげなく視線を僕に向けている。嘲笑いに、諂いも混じっている笑い声。
きっと気になったのは、先ほどから感じている貴族たちへの不満もあるのだろう。きっと不機嫌になっているのだろう。だから、気にしてしまったのだろう。
しかし、もう既に、今になってしまえば。
「貧民崩れの野良犬が、華々しい社交会に紛れようとしているぞ」
ジュリアン・パンサ・ビャクダン。
少し前に僕に刺客を送り込んできた男が、今は明確に僕に悪意を込めて言葉を発していた。




