準備万端
作業着へと簡単に着替え、僕も他の使用人たちと合流する。
サロメにも心配された僕の集団行動だったが、それなりに上手くいった。
「カラスさん、こっちに長机二つ」
「はい」
シングルサイズのベッドくらいはある机。金属で補強された合板の天板に、折りたためない足がつく。壁際に並べられ、美味しい料理がその上に置かれるはずのものだが、今はまだそれ以前の問題だ。
昼餐会の会場となっている広間。そこに隣接した用具室と呼べる部屋から選び、天板を縦にして肩に担ぐ。それを先導するのはアネットだった。
集められた各家の使用人たちは、本来ここで働いていた使用人の指示の下、少人数の班に分かれて作業する。まず僕がそこで振り分けられたのは机の運搬だった。
会場の端に並べられ、料理を盛り付ける机。会場に所々島のように並べられ、軽食と飲み物などを一時置けるようにする丸机。そういったものを運ぶ班だ。
そのために当初八人の班が作られた……が、すぐにそれは解散になってしまった。
今僕が二つ担ぎ上げている机は本来四人がかりで懸命に運ぶものだそうだ。だが、僕は一人で二つ運べる。それに気付いたアネットが、すぐに人員を他に回してしまったのだ。
「魔法使いさんって本当便利ですねー」
「本当ですよね。皆さんも使えるようになればいいのに」
「え? 喧嘩売ってるんですか? 買うと思ってんですか?」
僕にやらせてばかり、という不公平感からアネットに嫌みを吐けば、素で返される。たまにササメやエウリューケに似ていると思うこともあったが、こういう話をすれば彼女はやはり違う人間だと実感出来た。多分ササメならわずかでも手伝うと思うし、エウリューケなら全力で喧嘩を買いに来るだろう。
まあ確かに出来るのだ。そして、今はそれが仕事だ。ならば使わない手はあるまい。僕がアネットの立場でもそう考えると思う。
「アネット! そっちちょっと待って! まだ絨毯修繕出来てない!!」
「あれ? まだでしたか?」
一つ目をとりあえず置いて、二つ目を、と向きを変えようとしたところでアネットに対して待ったがかかる。僕が止まると、アネットの仲間と思う少年が絨毯の抉れた場所を何かの接着剤のようなもので固めにかかった。そういうのは事前にしておくものではないのだろうか。
それを見て溜息をついたアネットは、こちらを向く。
「順番とかもないし、別の場所でも構わないでしょ。あっち置いてください、あっち」
指さす先に向けて、僕は歩き出す。近くを歩く人に机をぶつけないように気を遣った。
アネットの指示を聞き、机を整列させつつ僕は周囲を見る。
この部屋を出入りして準備しているのは、二十人ほどの使用人たち。そのほとんどが召集された素人だが、それなりにみな仕事になっているのはやはり慣れているからだろうか。
たしかに、新鮮だと思う。サロメの言葉通り僕はこういう経験がほとんどないのだろう。いやまあ、どこかであった気もする。いや、なかっただろうか。思い返してみても、こういう団体行動をとる場面が……ないな。
そして今も団体行動とは言いがたいと思う。集められ、班分けまでされたはずなのに、今や僕の所属する班はアネットと僕の二人だけ。アネットは監督ということを考えれば、僕一人といっても過言ではない。
仲間はずれの定義には当てはまらないだろうが、何となく仲間はずれにされている気がする。……そこまで大げさに考えることでもないだろうが。
「カラスさん、カラスさん」
「今度は何を?」
机が傾いていたのが絨毯の皺のせいだとようやく気が付き、直し、並んだ机の天板が同じ高さに揃ってわずかな達成感を覚えていた僕に、アネットがまた声をかけてくる。
そしてアネットを見れば、ちょいちょい、と天井を指さしていた。
「出来なかったら無理しなくていいんですけど、あれ出来ませんか?」
「あれ?」
指の先を見れば、蝋燭の大量に取り付けられたシャンデリア。そしてアネットに視線を戻せば、そのアネットの隣には同年代の女性が、長い蝋燭を両手に抱えていた。
まだ昼で、外からは充分光が差し込んでいる。正直、シャンデリアに火を灯す必要もなさそうなのだが……。
「使うんですか?」
「今日は使わないんですけど……前回ちょっと手を抜いたんで、いくつかちびてるんです。一度下ろすのも何だし、ねえ?」
つまり、なんだ。本当はやる必要もないけれども、僕がいるからやってもらおう、ということだろうか。
面倒ごとを人に任せる。その行動はわかるが、気付いてしまえば何となくやる気が出ない。
……だがまあ。
「取り替えればいいんですか?」
「あ、その目、わかります。『何で俺がやるの? 担当違くない?』の目ですよね」
「まあ大体正解ですけど」
無意識に目を細めていたらしい。隣にいた女性は、『無理か』と諦めかけているようだが。
だが、仕方ない。僕はその蝋燭を黙って受け取り、肩だけアネットに寄せて囁きかけた。
「仕方ないです。本当は面倒くさいですけど、他ならぬアネットさんの頼みですし。喜んでやらせて頂きましょう」
「ぅっ……!」
僕よりもやや身長の低いアネットが、慌てるように身を引く。雀斑の頬が少しだけ赤くなったように見えた。
そしてそれを誤魔化すように、一度咳払い。嫌ならこれきり頼まないで欲しい。
「で、脚立とか使いますか?」
「要りません」
お察しのとおり、と付け加えたかったが、そこまでの嫌みはつけられなかった。
少し高めの天井だが、別にそこまで僕の手が届かないわけではない。肉体の手は、もちろん届かないが。
脚立でも正直届かない。上から引き下ろして一本一本つけ直すことは出来るが、下ろすと丸机に当たる位置にある。……多分、そもそも頼む順番を間違えたな、この二人。
だがまあ、いくつか事情は揃った。ここは全て魔法でいいだろう。
僕が視線を向けた先、シャンデリアに固定されている蝋燭がぽろりと抜ける。そのまま落下しそうになった蝋燭を念動力でそのまま受け止めて、僕の手から浮かばせた蝋燭たちと交換するようにあるべき位置に納めていく。
時間にしてはほんの十数秒。大した手間ではない。面倒くさいが。
僕の主観で、ちびた蝋燭。
元の四分の一程度の長さ。おそらく僕の親指と人差し指が回らない太さからいうと、時間にして六刻も持たないであろう程度に短くなった蝋燭たちを、担当者に引き渡す。
「ではこちらはお願いします」
「あ、ありがとうございます」
煤が胸の前に着くのもかまわずに蝋燭を大事そうに抱えて、担当者が頭を下げる。アネットも、何かやらせるときはこれくらい頭を下げてくれればいいのに。
「急いでくださいよ。直前にいつもミルラ王女殿下直々に最終確認があるんですから」
「はあ」
僕はアネットに気のない返事を返す。その名前を出されると、出ないやる気が更に出なくなる気がする。
それにしても、力仕事以外にも結構仕事はあるものだ。
机の上に布を張り、花や空の皿を並べる。
窓を拭く。水垢が見えないように念入りに。
その他、庭部分の掃除だったり、絨毯の張り直しだったり。それだけではないし、この部屋以外でも仕事は数多くあったのだろう。この城へと逗留している貴族令嬢に子息は五十に近い。今僕が共に働いたのは半分ほどで、残り半分はどこかで。
こういうことばかりを専門にやっているわけではないだろうが、アネットたちこの城の下男下女の苦労が見て取れる気がする。
これ以外にも彼女らは仕事をしている。アネットは主に洗濯女だし、床の掃除をいつもしている下男も僕はよく見ている。
彼や彼女らがしているのは、その人にしか出来ない専門性の高い仕事ではない。だがそれ故に、こういうパーティーの準備なども含めて、就く仕事の範囲が広い。
「本当に、大変ですね」
「何ですか? いきなり」
万が一の時に替えるテーブルクロスの束を床に下ろしながら呟いた僕に、空気の抜けたような顔でアネットは聞き返す。
だがそれに答えようと、補足しようと口を開けた途端に、わずかに悲鳴が響いた。
次いで、どよめき。誰かに駆け寄ろうとして躊躇した足音。
何が起きたのだろう。備品室から顔を覗かせるように僕とアネットは会場を見る。
視界の中にまず入ってきたのは、誰かに遠巻きに「おい!」と声をかけた男。その声をかけた先には。
「…………!」
そこにいるのは絨毯の補修をしていた少年だろう。まさしく今も、そのために地面にしゃがみ込んでいたらしい。だがその視線の先には、令嬢たちの踵で抉られた絨毯ではなく、赤い血が滴っていた。
血の出所は口。押さえているのは胃の辺り。自分でも信じられない、とばかりに見開いた目は少しだけ血走って震えていた。
吐血。それに胃の痛み。これは……。
誰も彼も遠巻きに彼を見ている。まあ仕方あるまい、噂にもなっている毒と同じ症状。治療師によって簡単な説明はされているだろうが、恐怖は誰にだってあるだろう。
「カラスさん? あれって……」
何かしらを言いかけたアネットを置き去りにするように、僕は彼に走り寄る。その行動にもまた、どよめきに似た声が上がった。
「大丈夫ですか?」
言いながら、僕は彼の背中に手を当てる。その背中越しに胃を探れば、やはり内部に焼け付くようなこびりつきがある。胃の潰瘍、だがおそらく実証。少し前のルルと違って、心因性のものではない。
「…………! ……!!」
首を振りながら、彼が縋り付くような目をこちらに向ける。外野では、治療師を、などという言葉が聞こえる。
瞬間、オトフシの言葉が思い出される。治療師がやる。面子があるから、と。
耳の中で響いた音。
うるさい。面子など知ったことか。
「深呼吸をして。血を喉に詰まらせないように、静かに吐いて……」
僕の言葉に、彼がコクコクと頷く。素直な。
先ほど何故気が付かなかったのだろう。近寄れば確かに彼の体からわずかに漂う魚臭。それは、海兎の毒の帯毒者の特徴だ。
とりあえず、また潰瘍からの出血が胃を満たしつつある。洗面器か何か。血を受け止めるものが欲しい。
「アネットさん!」
「……はい!!」
「何か汚れてもいい桶か何か! お願いします!!」
「ええと、はい! ……えーと……」
背中をさすりながら、とりあえず胃の炎症を抑える。これだけでは足りないだろうが、気休めにはなる。
だが僕の掌の先でじわじわと胃全体に広まっていく炎症に、対抗出来る気がしない。
やはり完全解毒には、薬が……。
僕は判断に迷い唇を噛む。やはり治療師を待つべきだろうか。彼らは今薬を増産しているという。ならば、解毒薬を持っているだろう。
「ぅ」
「はいっ!!」
びちゃびちゃと音を立ててどす黒い血液が吐き出される。それにぎりぎり間に合ったアネットの持ってきた水桶が、吐血を綺麗に受け止めた。
悩んでいる時間はないか。
「アネットさん。僕の部屋に、薬が入った袋があります。担ぐような大きな袋が。それをそのまま持ってきてください」
「大きな!? 担ぐ?」
「見ればわかります。わからなければ、オトフシに聞いてもらえればわかります! とにかく早く!!」
「おい!」とどこかで大きな声が響く。
その声に、オトフシの話とは違うものが、また僕の脳裏に浮かぶ。
イラインで、リコが矢に貫かれたあの時。僕を止めた男の声。
肩を引かれる。そう反射的に身構えた僕だったが、しかし。
「……?」
そこには誰もいない。正確には、僕の背後には誰も。
声を上げた男性を探せば、アネットの代わりに僕の荷物を取りに行かせようとしていたのだろう。誰かに指示を出し、そして自らも担架になるようなものを探しに走っていった。
アネットをもう一度見れば、一応行かなければと頷いて駆け出す。僕もそれを見送って血を吐いた下男に視線を戻した。
横向きに寝かせ、膝をずらして体位を保たせる。僕の膝で悪いが、膝枕で。
背中に手を当てたまま魔力を通し、出血を可能な限り抑え続ける。この分ならおそらく、嘔吐まではしないだろう、と少しだけ僕は安堵して息を吐いた。
数分後。……意外に早くアネットたちが戻ってくる。僕の荷物をきちんと持って。
「途中、ザブロック家の人と行き会って渡されたんですけど!! これでいいですか!?」
「それです」
オトフシの手配だろうか。地味にありがたい。
膝枕を外し、僕は荷物の中を探る。海兎の解毒薬など当然作ってなどいない。完全解毒は雄の海兎がないと不可能だ。だがこの前ハンドクリームを作った時に、葡萄の葉は用意したはず。
菫青石に兎の毛……はあるな。
「牛の乳とかあったりします?」
「厨房に掛けあって……」
「担架なかったから戸板を持ってきた! これで運べるか!?」
先ほど担架を探しに行った下男が戻ってきた。運ぶというのは治療師のところだろうか。それとも別室か。それはわからないが、これだけはやっておきたい。牛乳については諦めよう。
「ちょっと待ってください」
空の瓶の中に、石や兎の毛、乾燥した葉を放り込む。近くにあった花瓶へ注ぐところだった水を拝借し、混ぜてそのまま手の先で圧力を掛けながら高温で加熱。
正直、これもしないよりはマシの処方だ。だが、しないよりはマシならやっておきたい。
改めて、魔法とは便利だ。薬効成分の抽出、本来ならもっと大がかりな設備が必要なのに。
「目を開けてー」
「うあがっ」
仰向けにした少年の瞼をこじ開けて、冷ました抽出物を注ぐ。一つ石が転がり落ちそうになって慌てて押さえたが、誰も気にしていないようでよかった。
両目への点眼。練って舌の裏に貼り付ける方が長持ちするのだが、その時間もないし。
「瞬きを何度かしてください。それで、もう一度」
「…………ぃっひ」
他人の手で目に液体を注がれる感覚というのはどういうものなのだろう。それはわからないが、彼に関しては何となくくすぐったそうな声を上げて耐えるようなものらしかった。
「もう、いいか?」
担架を持ってきた男がそう言うので、僕は頷く。
「はい。行き先は治療師ですか?」
「そうだ。……もしかして、もう必要がなかったりはするのだろうか」
「いいえ。まだ症状が落ち着くだけです。治療師の方にきちんと見てもらってください」
「わかった」
いくぞ、と二人がかりで彼が運ばれていく。とりあえずしばらくは大丈夫だろう。
あのまま放っておけば死んでたとは思うが、今回はすんなり応急処置も出来たしこの先には治療師がいる。ならば助かる。信じよう。
……出来れば、白酒で鼻と目を洗って、などさせたいけど。あれ染みるしもう遅いからいいや。
「えーと、これは……このまま地面に捨てていいんですか?」
アネットは、先ほどの彼が血を吐き捨てた桶を指さして僕に尋ねる。まだ他の人間は、毒に怯えて近寄っては来れないらしいが。
僕は確信を持って頷く。
「大丈夫です」
「私もああなったり……」
「しません。毒に曝露していない限りは」
僕の言葉にもまだ心配そうに顔を曇らせるアネット。体臭などで見分けることは出来るだろうが、中途半端な説明は混乱を招くだけか。
一人出たから僕も注意して他を見たが、一応先ほどの彼以外は帯毒者はいない。
それに関しては押し切ろう。血には触らないこと、触らなくても手を洗うことだけを強調し、石鹸を渡して促し、アネットを見送る。
それから僕は手近にいた城の使用人に話しかけた。
「絨毯は張り替えでしょうか」
「……そうですね、そうしましょう」
この部屋では、細い絨毯を何本か並べる形で敷かれている。替えるのは一本でも良さそうだろうが、どうだろう。
まあいい。
どうせ誰もやりたがらないだろう。そう確信した僕は、その絨毯にかかる丸机を一度退けにかかる。その僕の仕草を見たからだろうか、何人かが手伝い、絨毯の張り替えもすぐに終わったのが不思議だった。
「他に何かすることは?」
「一応念のため、消毒……抗瘴気薬を使っておきたいんですが」
今度は使用人の方から、僕にするべきことを聞いてくる。
何だろう。普通のことのような気もするし、何か不思議なことが起きている気もする。
狐につままれたような、とはこういうことだろうか。そんなぼんやりとした曖昧な困惑をどうにか押し殺し、僕はそれからいくつかの指示を周囲に出す。
すぐに終わったのは幸運だったのだろう。
新しい絨毯を敷き終え、消毒を終えたほんのすぐ後。
僕としてはまだ衛生的にここで食事したいとは思えないほど短時間の後。
アミネーが最後の確認に、と顔を出す。
そして彼女がもうすぐ貴族たちの第一陣が来ることを告げると、僕たち使用人の一団は気を取り直し、何事もなかったかのように大急ぎで料理を並べ始めるのだった。




