偵察
晩餐会の次の日。練武場にて。
「見学したいな、と思いまして」
「見学」
勇者の言葉を僕は繰り返す。今日はまたディアーヌに頼まれて、稽古に付き合うことになっていたのだが。
集合場所でディアーヌ、そしてこの前の騒動で潰れた休暇を改めてもらったジグと合流した僕たちだったが、そこに現れたのが彼だ。
まだジグからディアーヌへの訓示もなく、準備運動がてら跳んだり跳ねたりしている程度の状況。
一応ディアーヌも『仕事』を思い出したのか、ドレスよりも体の線が出る服を恥じらうようにして身を縮めて挨拶をしていた。
ジグは、困ったように僕の方をちらりと見る。僕を見られても困る。勇者がここで現れるのは想定外だ。
それに。
勇者と共に現れた三人。いつも一緒のマアムに、それに今日はルルとサロメが供をする。
いつもと違う髪型のルル。いつもは前にただ垂らしていた前髪を、横に流してピンで留めて額を出す……かしこまった髪型。
彼女の視線がいつもと違う気がして、僕は声が出なかった。
誤魔化すように、もう一人いるはずだがと見回すと、オトフシは気配なく練武場の入り口に立っていた。
ジグが咳払いをする。
「急にいらっしゃいますと困ります。せめて、事前にお知らせ願えませんか」
「今日こういうことがあると聞いたので……ごめんなさい」
一応この場で一番地位が高く、責任者のような役割も持つジグ。だがその苦言も、今日の勇者には何となくいなされてしまった感じがした。
なんだろう。いつもと勇者の感じが違う。勝ち誇ったように……でもないけれど、胸を張って堂々としている気がする。声もいつもより張りがある。
テレーズの訓練には参加していないとは一昨日聞いた。あの家出騒動から、そういった配慮がされるようになったのだろう。テレーズとしても参加させたくないのではないだろうか。
だがその気遣いも、僕の方が煩わしくなる遠因になってる気がする。
体を動かしたければテレーズの訓練に出ればいい。そう思ってちらりと向いた練武場の反対では、……今日は徒手格闘の訓練を行っているテレーズたちがいた。
「俺も、参加させてもらえませんか?」
「……否とは申せません」
勇者に尋ねられたディアーヌが、一瞬だけ悩むような表情を見せて静かに頷く。先ほどは見学と言ったのに。それにだからその許可は、ジグにとるべきだと思うのだが。
次いで勇者は、僕へと向けて無言で頷くように頭を下げる。その際に、ルルを気にする素振りを混ぜる。意図を感じ取り、僕は少しだけ溜息をついた。
水平に振り切られたディアーヌの剣を、のけぞり躱す。
その剣を握る手に下から当てるはずの足尖蹴りを出さずに、僕は回転しつつ右斜め前にしゃがみ込んだ。まだ振り切った右手を戻せずにいるディアーヌに足払いをかけずに、伸び上がるようにしてまた回りつつ剣を胴に当てる寸前で止めると、無意識にだろう肘と膝で受けようとしたディアーヌの体がくの字に歪んだ。
「…………!」
今日のジグの僕への注文は、水天流風林の型。開祖の『とにかく動き続ければ相手の攻撃は当たらない』という理念をそのまま形にしたもの。六花の型よりも大げさに動き、目まぐるしく立ち位置を変えるのが特徴のそれを使うというものだった。
正直、他の武器を使わされるよりも僕にはやりやすい。未だに拳や足の方が先に出そうになることを除けば。
次の一本に入るまでに、とジグが口を開いた。
「よほど闘気の差がなければ、兵器を拳足で抑えようとするのは不可能と思っていい。何度も言うように、その癖は矯正すべきですな」
「……では、今回はどうすれば?」
「その場合には……」
言葉を止めてジグが僕の前に立つ。剣は持っておらず空手だが、その気迫からだろうか、手の先に剣が見えた。
一度軽く僕の前で腕を振り、その意図を示す。同じ行動をしろということだろう。
僕が頷くと、ジグも避けられる前提で持っていない剣を水平に振った。
僕がするのは、相手の身長が違うのでやや高さは違うものの、概ね先ほどと同じ反応。
だがジグは当然ディアーヌと違う。そのまま水平に振り切った右腕の重さに体を任せるように左半身を前に出すように跳ぶ。
結果僕の剣は回りつつあるジグの背中に届かず空振り、逆にその隙に僕の体にジグの剣が迫った。
「これも風林の型なのですがな。武器の重量に身を任せて動く《枯れ薄》という技術で……いや、技の名前はどうでもいいことです。とにかく、器械は器械で受けるか、出来れば避けること」
「はい」
「他にも……もっとも今回は剣の稽古なのでこれはとりたくないものですが……カラス殿」
もう一度、とジグは僕に立ち上がるように手振りする。
こういった表演は、実は僕からすると何をするかわからないのでそこそこ怖い話だ。こちらが失敗し当ててしまっても謝れば許されると思うが、逆にこちらに当てに来ることもある。
門下生ならばある程度『こういうことをする』と予測出来るのだと思うが、僕は出来ないし。
しかし今回は薄々予想出来る。多分、次は逆に僕に来る。
また同じように互いに剣を振る。ジグは左足を前にし、左から右へ、右腕で剣を振る。僕はジグの左斜め前でしゃがみ込み、回転しつつ伸び上がり剣を胴に当てようとして……。
「……と」
僕の右前腕。そこにジグの左の足の裏が当たる。軸にしていた左足を使った蹴り……というよりはただ浮かせた足で僕の腕を止めただけのようだが、これは蹴ることも出来ただろう。
結果腕は振られず、僕は中途半端な体勢で止まった。
「今はカラス殿も止めてくれたので綺麗に決まりましたが、こういう止め方もある」
「交差法ということですね? それも、攻めというより守りの」
「そういうことです」
ディアーヌに応えながら、ジグが姿勢を元に戻す。その際に僕の腕を足場にしなかったのは多分気を遣ったのだろう。
しかし、何のことはない。僕がよくやることだ。相手の武器以外の位置に拳や蹴りを当てて攻撃を中断させる。水天流ではどちらかというと六花の型に属するもの。
「もちろんこれも、闘気などの補助の差が顕著であれば、単に吹き飛ばされてしまうことも迎えた足のほうが折られることもある。その辺りはきちんと検討せねばなりません」
大事なことだ、というようにジグは言葉を切り、ほんのわずかに咳払いをする。
「こういった技術。それを小手先の技術、と馬鹿にされることもありましょうが、それも一面では頷けることです。やはり最初に必要なのは基礎鍛錬、そこで養われる基礎的な体力などが、まず重要になる」
「……はい」
「まあ今この場で養おうとしているのは、その技術に類するもの。体力などは別の機会に。今はそちらは求めません。では次、五本目」
ジグが言うと、ディアーヌが僕へと剣を向ける。フェンシングのような、体を半身にした構え。
稽古台になっているのはいいが、何というか僕の疲れとかは無視されている気がする。疲れていないから別にいいけれども。
内心愚痴を吐きながらディアーヌの突きをいなして剣を抑えつつ、前宙してディアーヌごと飛び越えて彼女の背後に回る。その細い首に木剣をつきつけると、ディアーヌは振り返ろうとする不自然なところで固まった。
しかし、不思議なものだ。
勇者は見学させてほしいと言った。そして今のところ本当に見学だけで大人しくしているのだ。
ルルがいつもここに来たときのような机のセットはないので、大きな石に二人とも腰掛けてこちらを見ている。荷物なども置けて簡易的な椅子やベッド代わりにもなる大きな石に、二人並んで。
ルルにいいところを見せようと、剣を握って何かすると思った。寸止め試合くらいはと覚悟していた。
しかし今のところ何もない。ディアーヌを打たせるわけにはいかないので、多分その場合は僕かジグが相手になるのだろう、くらいには考えていたのだが。
寸止め試合はその後十本ほど。その度にジグによる指導が入るので少々時間があったが、それでも勇者はそれをずっと興味深げに見ていたようだった。
ディアーヌとジグの鎧打ちも始まったので、僕はお役御免とばかりに少しだけ距離を取った。
勇者のことを置いておいて、僕はディアーヌを見つめる。それにしてもディアーヌも、この王城にいる期間だけで大分成長したと思う。寸止め試合の経験も鎧打ちの経験も随分と活かされているのだろう。動きは間違いなくよくなっているし、何より痛みに慣れつつある、というのもこういう稽古としてはよい傾向だろう。
ジグの木剣が革の鎧越しにディアーヌの脛の横を打つ。しかしディアーヌはそれにわずかに顔を歪めるも、動きに全く淀みなく剣を返していた。
もちろん骨に異常が出たり、あまりに酷い痛みでは中断することもあるが、初期の初期よりはそれも大分減った。多少の怪我では構わず動けるようになってきた、というのは鎧打ちの正しい成果だろう。
「……今のは……」
「……多分あれは……」
そんなディアーヌの動きを見つつ、ルルと勇者が会話している。話題としては、ディアーヌたちの動きを解説しているのと、それを交えた自分の経験の半々くらいか。聞いてはいなかったが、おそらくさっきの僕のときも同じようにしていたのだろうと思う。
視線を向けずとも何となくわかる。身振り手振りが多く、仰々しい勇者の話し方。何故だろう、何となくそれに苛つくように感じるのは。
「カラスさんは……」
僕の名前が聞こえて、その声の方を見る。まあもちろん勇者なのだが。
「ええと、ジグさんと同じところで学んだんですか?」
動き方が似てますけど、と添えながらの質問。だがそれには僕は首を横に振った。
「……いいえ。私のは様々な人間を盗み見て覚えた我流のものです。あんなに綺麗なものではないですよ」
ジグの動きを見れば、クロードほどではないがまあ見事だ。綺麗に格好いい踊りのような動き。滑るように身を動かしたかと思えば、地面を踏みならすようにして迫力のある一撃を放つ。メリハリがはっきりしていると言えばいいのだろうか。
対してディアーヌの方は、多分西方の細剣術が混じった我流だろう。
あまり見たことはないが、勇者の場合はどんな形なのだろうか。以前の素振りなどを見た限りでは、やや握りが特殊な日本剣術という感じだったが。
「いいなぁ……俺も……」
そんな勇者が、そう呟いて止まる。俺も、何だろう。
俺もやりたい、ならこの場ではお断りだ。そういうのはテレーズの下など然るべきところでやってほしいし、僕も嫌だ。そもそもジグが許さないだろう、という信頼がある。
何かを言いかけて止めた勇者。ルルがその様子を見て眉を顰める。だがそれも一瞬のこと、すぐに彼女は不満げな表情を澄ました顔に戻していた。
僕はその姿を目に留める。ルルはどこか痛みを覚えている。お腹、胃? 病気ではなさそうだ。ならば、その原因は……。
ジグの『止め』という声と共に、二人が剣を止める。
休憩に入り座り込んだディアーヌは、侍女から渡された水筒から飲料を飲み、乱れた息を整える。
そろそろ僕の出番だろうか。
僕が一歩ディアーヌに歩み寄ると、勇者が呼び止めようとしたのがわかった。けれども声も身振り手振りも何もそれを示すものはなく、僕はそれを勘違いということにして更に勇者から離れていく。
「勇者様、そろそろ午後の支度もございますし……」
「……わかりました」
マアムの呼びかけに、勇者がゆっくりと立ち上がる。それに伴いルルも立ち上がり、その横で沙汰を待った。
勇者は一度ルルを見て、それから僕を見て、ほんのわずかに首を傾げる。だがそれも一瞬のこと。すぐに頭を下げて、大きくはないが通る声でジグへと声を届ける。
「すみません、俺はこれで。お邪魔しました」
元気よく頭を上げて、行きましょう、と勇者はルルを促す。
ディアーヌがまだ何も反応を示せない間に、一応僕とジグが頭を軽く下げる程度の間で勇者が歩き出す。オトフシが背を壁につけて待機していた廊下を通り、王城の中へと入っていく。勇者が動き、その後ろに四人が付き添って。
僕はそれを見て、大仰なことだ、とも感じてしまう。もちろん王や大貴族ともなればもっと大きな大名行列が作られるものだが。
午後には魔術訓練などでもやるのだろうか。それともテレーズの訓練のようにそちらも免除されるのだろうか。魔術の訓練は勇者が望んで行っているものだったはずだけれども。
ともかくとして、まだ昼食前。魔術の訓練があるにせよ、急ぎ立ち去る理由はない。ゆっくりお昼ご飯でも食べるのだろうか。それとも他の予定が押していたのだろうか。
わからないが、去って行く勇者の背中が大きく見える。
意気揚々、という雰囲気が、背中から香っていた。
「カラス様、お願い出来ますでしょうか」
「はい、ただいま」
ディアーヌの侍女に呼ばれて僕は思考を切る。
勇者のことは、もう悩むまい。彼はもう、僕とは違う世界にいるのだから。




