耐えかねた者
勇者による死刑執行の次の日。王城の練武場、その端で。
「フッ!」
「…………」
縦に振られたディアーヌの剣を揺れるように躱しつつ、そのまま横蹴りに繋げる。太ももの辺りを狙った左の蹴りは体を捻って躱されたが、その躱し方が不味かったのかジグから怒号のような指導が飛んだ。
今僕が握っているのは剣ではなく槍。それも短槍と呼ばれるような剣よりも少し長い程度しかない槍で、僕は不慣れな扱いに少しだけ難儀していた。
もちろん刃などはついておらず、木の軸の先は海綿のようなおそらく木の実を干した緩衝材がつけられており、突いても大事には至らない。それでも、手加減がし辛い。
そして本当に扱いづらい。まるで手枷でもつけられているような感じだ。
ジグの休暇の時になると行われるディアーヌの稽古。たまの気分転換に、いつもと違う対武器を、ということだが……ならば相手役を僕にやらせるべきではないと思う。
まあ剣と同じく元々不得手な槍だ。余り変わりがないともいえるが。
短槍と剣。
その扱いは近いようで遠い。
そもそも剣と違って槍系の指導は水天流のものしか見たことがないので、短槍の普遍的な特徴というのもわからないのだが、ジグからはほぼ駄目出しがないので使い方は合っているのだろう。
簡単に言えば、剣は斬るもの、槍は突くものだ。当たり前ともいえるが。
もちろん剣で突くことも出来るし、槍も穂先の形によっては斬ることも出来るだろう。だがやはり、それぞれの形状で向き不向きというものがある。
短槍は剣と違い、柄の部分が長くそこに刃がついていない。そのために、ほとんどの場所では斬るというよりも叩くという動作になる。そしてその動作の自由度が、剣以上に高い。
剣でも横腹で叩くという動作も出来なくもないが、闘気や材質の具合によっては一発で曲がるか折れてしまうことすらある。だが槍に関しては、柄が円柱状という構造上、強度さえ足りていればどの方向でも変わらずに叩くことが出来るのだ。
僕はいなされ振り切った槍を、手首を返すことも持ち手を変えることもなく切り返す。
手だけ見れば裏拳に近く、剣であれば刃筋が立たず、そこそこ特殊な持ち方をしないと効果のない振り方。
「…………っ!?」
もちろん、手首を少しだけ返さなかっただけで、時間としてはほんのわずかな短縮だ。けれどもその一瞬であっても、剣とは少しだけ違う間にディアーヌとしては意表を突かれたようで、大げさにのけぞって躱して完璧に足が止まった。
本来ならば、僕はそこでやや下から顔を蹴り上げる、が。
「そこまで」
そのために少しだけ足を踏み出したところでジグから待ったが入った。わずかに咎めるような視線を僕に向けながら。
本当に蹴る気などもちろんないのに。
ディアーヌがその声にホッと息を吐いた。
既に五本ほどやった寸止め稽古。滝のような汗が彼女の額から流れ落ちているが、そう不潔に見えないのは不思議なものだ。
輝く汗、というのはそういうものなのだろうか。
ジグがディアーヌに顔を向ける。
「……とまあ、たまには剣以外の相手もいいかと思い用意した次第ですが……それなりに学ぶところもあったようですな」
「……ええ、本当に」
「まあもちろん、カラス殿の使い方に癖もあるので、これが通常とも思わないでいただきたいのですが……」
「正式に指導も受けたことがない私にそれを仰られましても」
次いで、ジグが呆れるように僕に向けて言うが、本当に僕としてもそれはどうしようもない。申し訳ないとも思わないけど。
剣は苦手だし、槍も苦手だ。もちろん短槍も、短刀や長刀に長巻や棍など、様々な武器を持ってこられても同じ事だ。どれが得意とかもなく、等しく苦手。
ちなみにディアーヌは剣以外はやる気もないようだ。短刀を振るうことも出来たし、幅広く短い特殊な剣を初見で見事に扱っていたスティーブンとは違い、一般的な『剣』というものが振るえれば満足だと。
まあ、別にそれでも構わないだろう。
なんだかんだと、一般的な剣が使えれば、似た形状の剣はそれなりに扱えるようになる。
その上、なにも不測の事態に備えて全て使えるように鍛えなければいけないわけではない。彼女は戦場に出るわけではない。ただの趣味、道楽ならば。
「では、先の検討を致しましょうか」
それから始まるジグの指導。短槍の特徴や長所、短所の詳しい説明に、自分が槍を振っての演技まで。そしてそれに対応するような剣の動き、立ち回り。
少しだけ引いた位置に移動しながら、僕もそれになるほどと聞き入っていく。僕も今まで『来た攻撃を躱して、隙があるところに攻撃すればいい』という程度しか考えていない……わけではないが、そう実感してしまいそうな説明の密度の高さ。
まだ鎧打ちが始まらなかったからだろう。ルルとサロメの横、木陰で佇むディアーヌの侍女が、静かに安堵したように肩を下げた。
その侍女の姿。それを見て、何の類似点もない昨日の勇者の姿が思い浮かぶ。
罪人の首を切り落とすことが出来ず、ただ吐いてテレーズに任せていた姿。
責める気はないが、見方によっては無様だったろう。目の前に無防備でいる、殺さなければいけない人間。その首を落とすどころか、致命傷を与えるのだけでも精一杯だったあの姿は。
仮に僕があの勇者と同じ場所にいれば、多分僕は綺麗に出来ただろう。仮に出来ないとするならば腕前の問題だろう。それでも、首を落とすことは出来る。
でもそれは、きっとそれは勇者も同じだ。彼にも首を切り落とすことくらい出来るだろう。青竹などを使った巻藁は固さが人体と同じで、それを切断出来るならば、人の体も切断出来るのだとどこかで聞いたことがある。
……ほうらみろ、少し考えただけで、こんなに簡単に齟齬が出る。
意識の端でジグの講義を聞きながらも、そんな自嘲が顔に漏れないように気を遣った。
勇者が出来なかったのは、腕前の問題ではないだろう。仮に人体と全く同じ強度で、全く同じ形状で、それでいて人間とは絶対に間違えない模型のようなものがあれば、おそらく勇者はそれが出来る。
だが、出来なかった。それはきっと、相手が人間だったから。
獣と人間。その殺害に、段階的なハードルがあるということも僕は理解している。人間よりもきっと獣は殺しやすいし、虫や植物などならなおさらだろう。
勇者も人間でなければ殺害出来た。おそらく罪もない鹿を、自分たちが食料を持っていけば殺す必要もなかった鹿を、殺すことが出来た。
だが人間は無理だった。
それは何故だろう。同族だからだろうか。
法律は邪魔にならない。あの時勇者が相対していたのは何の罪かは知らないが罪人で、そして立ち会ったのは処刑人を任命出来る権利を持つ者。
勇者はあの時処刑人で、殺されるべくして殺される罪人を殺すその時に、罪に問われることはない。
道義的な理由もあった。勇者が殺さなければ、他の人間が二人死ぬ。その内の一人は絶対に罪のない胎児で、命を大切にというならば、救わなければいけない命だろう。
殺す理由も、拒否出来ない理由もあった。
なのに、命を奪うことが出来なかった理由。
もしやその直前に僕が言った、『不潔』という理由ではあるまい。
もちろん、僕は理解している。
通常人間は、人間を殺すことを本能的に嫌がる。勇者も同じく、そういうことだろう。
でも、僕には多分もう理解出来ない。
何が嫌なのだろう。どうして、そこまで嫌がれたのだろう。
同じだろうに。
魚を殺すのも、獣を殺すのも、人間を殺すのも。
命を奪うということに関しては。
たとえば目の前にいるジグ……はもう経験済みか。
なら、ディアーヌはどうなのだろう。
木剣で人を切断するのはなかなか難しいし、綺麗にやるのは不可能といってもいいが、切断自体は出来ないわけではない。……いや、そこまでの腕前は求めない。
仮に金属製の模擬剣ならば、綺麗には無理でも首の切断くらい彼女なら出来るだろう。剣の強度や身体能力の不足を闘気で補い、据え物斬りの感覚で剣を振り切れば。
勇者と同じく。
だが、彼女には出来るのだろうか。
人間に対して、そうすれば人間が死ぬということがわかっていて、剣を振り切ることが。
パタパタと足音が僕の耳に届く。
「なので厄介なのは、常にこちらを向けてある槍で……」
明らかにこちらを目指して王城の中の廊下を走っている音で、ジグも気づいたらしく、講義を中止してそちらに目を向けた。
僕はとりあえずルルたちへと歩み寄る。ディアーヌの稽古台として従事していたが、一応僕もルルの警護中だ。その誰かの影が見えるまで、廊下の方を僕は注視した。
「何事ですか?」
ルルも持っていたお茶のカップを置いて、僕へと問いかけてくる。僕もまだ答えは持っていないが、まあ荒事ではないのだろう。そう思うが、油断は出来ない。
「誰かがこちらに走ってきています。……と、危険はないでしょうが、一応」
笑いかけるようにするが、意識は廊下の方から外さない。
もちろん白昼堂々と聖騎士の前で荒っぽいことが出来るような剛胆な犯罪者はこの城にいないだろうし、それ以外の用事というのはほぼ確信している。
だが、何故だろう。この走り方、よほど焦っているらしい。
やがて姿を見せたのは、一人の女性。もはや彼女に関しては名前がすぐに出てくるが。
勇者の侍女、マアム。
けれども、今そこにいるのは彼女一人で……。
息を切らせたまま廊下を出て、稽古中の僕たちの一団を認めたらしいマアムは、その中から一人の人物を探し出そうとしていた。まあ止めた視線から、対象は間違いなく僕で、……。
「カラス殿!!」
その、すぐに叫んだ名前からも、僕が目当てなのは間違いないのだが。
廊下と土との感触の違いからか、一度よろけてマアムがこちらに走ってくる。
息を切らせて、頬に張り付いた髪の毛も払わずに。
そして僕の前まで走ってくると、走りきった紅潮した顔に、焦りとも錯乱ともとれる表情を貼り付けて、押しつけるように僕の胸ぐらを掴んだ。
「カラス殿!! どこです!? ついに……いいえ! 今はそんなことどうでもいい! どこへ隠したのですか!!」
「……何の話かわかりかねます」
「勇者様を! どこへ!!?」
「勇者様を?」
怒っているかのような剣幕。その剣幕に押されて何の話かさっぱりだったが、単語単語を繋いで意味をとっていく。
マアムは勇者をどこへやったと僕へ聞いている。僕が勇者を隠した、とも。
勇者が隠れた。……いなくなった?
「どうか落ち着かれますよう」
いなくなった。逃げた。そういうことだろうか。
「落ち着いてなどいられません!! 貴方が! 貴方がやったのでしょう!!?」
掴まれた胸ぐらがきつくなってゆく。一張羅だしあまり皺とかつけないでほしいんだけど。
「……その手を離して、落ち着いて話を聞かせていただきたい。勇者殿の侍女の方」
ジグがとりなすように横から声をかける。だが、マアムの視線は僕から離れなかった。
「この……それがどれだけ重たいことかわかっておられるんですか!? 仮にこれで勇者様がどこかで身罷られてしまえば……!!」
「正直、何の話かわからないんですが」
襟を掴んでいる手を、捻るように外す。このまま肘を固めて投げることも出来るが、それをする気はなかったし、する前にジグが肩を引いて僕からマアムを離していた。
そして、羽交い締めではないがそれでも食ってかかろうとするのを止められているマアムが、僕を指さす。
「この男が勇者様を連れ去ったのです! そうに決まっています!!」
「…………今日はお会いしてすらいませんね」
「嘘を言うな!!」
涙を薄く目にためながら、マアムが食ってかかる。
いや、本当に今回は僕に身に覚えがないのだが。
だがまあ、疑われる理由はわかる。マアムの前で、昨日勇者に逃げる手引きをすると口に出したからだろう。確かにそれは疑われても仕方がない気もするが。
……いやそれよりも、今は勇者だ。
「聖騎士様などに相談は?」
聖騎士たちは、令嬢区画の廊下の各所を警備している。それは勇者の身辺も同様で、連れ去ろうとするとほぼ必ず彼らが察知すると思うのだが。
「……ま、まだ……」
「所在の確認をしてみたほうがいいと思います。仮に勇者様がどこかへいなくなっているのであれば……」
「お前が! お前が……!!」
「私が勇者様を逃がすのであれば、そう騒ぐであろうマアム殿も消えています」
僕の言葉にマアムが絶句する。そして彼女を押さえているジグも、声に出さずに。
言葉を聞いただけではそう聞こえないはずだが、その真意の方を察したのだろう。
「ですから私は今回何もしていません。……しかし、ジグ殿……」
「ああ」
ジグが僕の言葉に深く頷く。
仮にいなくなったとしたら大変だ。警護をしている聖騎士の失態でもあるし、勇者含む不審人物を見逃した衛兵やその他の係員の重要な失態。
それよりも何よりも、勇者の安全が気に掛かる。自分で逃げただけならばいい。しかしそれがもしも、『連れ去り』だったら。
「……カラス様でしたら、私の警護として朝からずっと共にいました。今回の件とは無関係です」
「…………そんな」
ルルの言葉に、マアムの顔が蒼白になる。手がかりが消えてしまうという恐怖だろうか、膝まで笑っていた。
「しかし勇者様の安全も気に掛かりますね」
ディアーヌがそう口に出す。その言葉にマアムの顔が更に白くなった。そしてふらりと振り返り、「ああ、探さないと……」と小さく呟いた。
「では、私はとりあえず報告を上げておきます。ラルミナ様、申し訳ありませんが、本日はここで」
「もちろんですわ」
鷹揚に頷くディアーヌに、もう一度深くお辞儀をしてジグが走っていく。
当たってもいないし、そもそもその前から兆候があったが、その風に煽られるようにマアムが蹈鞴を踏む。そしてそのまま力なく、後ろに倒れてきた。
「……と」
僕がそれを背後から受け止めると、縋り付くように僕の腕にマアムが寄りかかる。礼も言わずに俯いたまま、どうしよう、どうしよう、と呟き続けていた。
そんなマアムを支えながら、僕はサロメに声をかける。
「心配ですし、オトフシに警護を代わってもらってもよろしいでしょうか。私も探しに行ってきます」
「……ではすぐに、連絡を……」
「必要ありません」
ぐいっと肩を貸すように、ルルが僕からマアムを奪い取る。そして、マアムの肩を支えたまま僕の方を向いた。
「私、一つ思いついたことがあるんです。オギノ様の部屋へ行きましょう、カラス様」
「……かしこまりました」
マアムと僕の間に立ち、ルルは「ちゃんと立ってください」とマアムに言い聞かせていた。




