なんとなく
まだ朝早い今。先ほど勇者が訪ねてきたということは、処刑は午前中に行われるのだろう。
処刑場は王城から離れ、やや北東にある。ならばもうすぐ出発しなければいけないのだろうが、しかし今ならばまだ……。
ルルは僕とティリーを交互に見て首を傾げた。
「処刑場? で何かあるんですか?」
彼女は事情を知らない。どこまで説明していいものだろうか。人殺しへの忌避感は彼女にもあるだろうし、どうせいずれ知る。それまでは、勇者のためにも知らせないほうがいいかもしれない。
いやまあ、どうせいずれ知る。たとえばテレーズ達は既に『人殺し』ではあるだろうが、それだけでそこまで否定的な感情を彼らに持っていないと思う。伝えたほうがいいだろう。
「対人での戦闘訓練……の延長でしょうか」
「戦闘訓練なら、練武場でなさっているのでは?」
「命のやりとりだよ。それも、勇者様の側から一方的なさ」
僕の言葉に巻いたオブラートを、一枚ティリーが剥がして口にする。
ティリーと視線が合ったが、お互い、どこまで気遣えばいいかわからないと思考が通じ合った気がした。
そして、任せろ、とティリーが瞳だけで頷いた気配がした。別にどこを動かしたわけでもないが、そんな気がする。
「戦争で人の命を奪うときの心構え。そんなものをカラス君から聞きたかったんじゃないかねぇ」
「だったら周りに適任者が一杯いそうなものですけれど」
僕は茶化すように口にする。だが、実際そうだろう。テレーズはもとより、既に戦争に出たことのある聖騎士で、命を奪ったことのない者はそうそういない。
道義的にも、職業的にも、彼らに話を聞いた方が有効だと思う。
「それでもカラス君のところに来た。錚錚と頼られているんだねぇ、君」
「……いえ」
頼られて悪い気はしない、という言葉がある気がするが、正直勇者には頼られて良い気もしない。
僕はティリーのからかいに似た言葉に喜べず、肩をすくめるだけに留めた。
そんな僕たちを怪訝そうに見つめ、ルルは眉をわずかにしかめる。
「あの、何故二人はそれを?」
「この前、ベルレアン卿とタレーラン卿から話を偶然聞いたんだ。偶然、私もカラス君とばったり出くわしてたから」
言葉足らずだが間違ってはいない。ルルの質問にしれっと答えたティリーだが、クロードのところに面白がってついてきたというのは付け加えたほうがいいだろうか。
まあいい。
「会ったほうがいいですかね」
誰に尋ねることでもなく、僕はぽつりとそう呟く。ほんの独り言で、正直ルルとティリーの前ならば少々礼儀に適うものではない。この二人なら許してくれる、と甘えてしまえばそれまでだが。
ルルが、小さく溜息を吐く。
「その通りでしょうね」
そして次いで吐き出された言葉は何となく抑揚がなく、にやりとした笑いを堪えるようにしているために殊更に無表情にも見えるが、目だけは少しだけ楽しそうで……。
まるで誰かの真似をしているかのような。
その顔に何故か申し訳なくなって、僕は目を逸らす。
他の三人は、僕の仕草の意味がわからず反応に困っている様子だったが。
僕はルルの仕草に、類似した状況を思い出す。
なるほど。
僕の真似だ。
降参、というように僕は胸の前で両手を上げる。
「ルル様に無理強いした以上、私も行ってこないといけませんね」
「あの、いえ、無理はしなくてもいいと思います」
「いいえ。今、実感したので」
冗談、と否定するルルに、僕は努めて笑みを返す。
勇者には悪いが、僕への罰としてちょうどいいだろう。人前に出ることを嫌ったルルに、欲しがっていた言葉をかけなかった僕。やられる側の気分がほんの少しわかってしまった。
もっとも、あの時のルルとは違い、僕の場合は本当に知らぬ存ぜぬでも構わないのだろうが。
ただ勇者が訪ねてきて、僕が不在だっただけ。本来はそれで決着はついているのだろう。
「代わったオトフシには悪いですが呼び戻しましょう。その後私は勇者様を探しにいってきます」
「今どこいるのかわかるのかい?」
「いいえ。何もわからず探すことになりますね」
時間的にまだ屋内だろうし、鳥は使えない。オトフシならば知っているかもしれないのでそちらに尋ねてみるのもいいが。
使用人たちに尋ねて回るのも……それはちょっと噂になると嫌だしやめておきたい。
「なら、私も……」
「ルル君はやめておいたほうがいいねぇ」
「一緒には、駄目ですか?」
遮られ、止められたルルはそれでもめげずにティリーと僕に続ける。だがまあ、そうしない理由だってもちろんある。
そういえば『それ』も伝えていなかった。ミルラの侍女からは、先に伝えたほうがいいと私的なアドバイスがあったはずだが。
でもこれは、僕は伝えないほうがいいと思う。
「私たちには……といってももう、ルル君だけに絞られてるけど。それでも私たちには私たちの仕事がある。血生臭いところはカラス君に任せておきたまえよ」
「今回は私は血生臭いものには関わりませんが」
「もののたとえだよ」
ただ、どうにかして『頑張ってきてくれ』と伝えるだけの仕事。
仕事というほどのものでもない、単なる会話。
そこまで言ってしまえば……この後勇者のヒロインとなる彼女も、ついてきてもいい気もしてしまうが。
ん、と僕は思考を整理するよう考え直す。
ルルは今後、ミルラ王女の意図通りに、勇者を励ます役がある。ならばここで、人を殺すことに怯えているであろう勇者と出会わせるのも、物語の一場面として有効な気がする。
美しい物語だ。恋する女性に背中を押され苦役を味わった主人公。彼がその苦役故に苦しみ、そしてまた恋する女性に救われる。よく出来た話だろう。
ならば、ルルにもご足労願うべきだろうか。仮に、ミルラに協力するのであれば。
……なるほど。
「長い話にもなるかもしれませんし、ルル様がいたら吐けない弱音もあるでしょう。私一人で話を聞いてきます」
もちろん、それ以外の話の可能性もある。思い詰めていた、という下女の証言からここまで想像を膨らませているが、ただ単に魔法の改良の相談や夕飯の相談かもしれない。……後者はないな。
だがもし僕たちの想像通りの話であれば。そこにルルは同席させたくない。
ルルの前で格好をつけて、勇者が何の話も出来ないことになるかもしれない。それならただの無意味に終わってしまうだろう。
それ以上に、仮に勇者がルルに弱音を吐いて、ルルが応えでもしたら。
それは他ならぬ、ミルラ王女に協力することになる。
「そういうことだねぇ。男の子たちの気持ちをわかってあげたまえ」
「正直気持ち……はちょっとわかりませんけど……わかりました」
重ねるティリーに、しぶしぶ、とルルが溜息を吐いて引き下がる。
僕は、その姿を見てなんとなく安堵した。
勇者の場所はオトフシが知っていた。
僕の納品中は警護の当番を交代していた彼女だったが、念のため近くで待機していたそうだ。
部屋に戻る最中に行き会った紙燕に聞けば、彼は僕たちのいた中庭からそう離れていない別の中庭で佇んでいたらしい。
ルルはすぐに現れたオトフシに任せ、僕はそちらへ向かう。
当然一人で。
この王城に無数に点在する中庭。来客を楽しませる他、ただの景観としても使われているそこは、以前巡ったとおりに様々な様式が存在する。
勇者のいた中庭の景観は、中央の池が目玉の質素なもの。
その池を十字に横切る橋ではなく、池の縁に佇むように、勇者は水面を眺めていた。
僕が渡り廊下から中庭にそっと足を踏み入れても、勇者は気が付かない。連れられたマアムもこちらに目を向けず、ただ勇者を見守っていた。
もう一歩歩み寄る。まだ遠いが、それでも足音を消してはいないためだろう。ほんのわずかに近寄っただけで勇者がこちらを見て、そしてそれに反応してマアムもこちらに気が付いたようだった。
マアムが僕の顔を見るなり、僕の周辺を確認するように視線を泳がせる。
だが……おそらく目当ての人物は確認出来なかったのだろう、舌打ちをする代わりに唇の端を引き延ばしていた。
「……カラスさん」
「申し訳ありません。所用がありまして席を外しておりました。先ほど私のところへ訪ねてこられたとか」
僕は努めて明るく話しかける。勇者の方といえば、僕を確認した後も視線を地面に落としていたが。
今気が付いたが、勇者の手には何か握られている。握り拳のようにしているが、なんとなく微かに香る藻と焼き菓子のような匂い。今勇者の足下でバシャバシャと四匹ほどの鯉が口を開けていることからして、おそらく池に住む鯉の餌だろう。
「…………」
勇者は黙ったまま、僕の視線の先に追随する。体を鯉の方へ向け、手の中にあった餌を二粒ほどそこへ放った。
喋らない勇者。とりあえず、鯉の話題なら乗ってくるだろうか。
「担当官が餌をあげてなかったんですかね」
「……。鯉って、いつでもこんなものじゃないですか?」
「たしかに」
ぽつりと呟き、勇者はまた最中のような餌を一粒放る。バクンと鯉が空気ごとそれを食べる音が響いた。
「…………。生きてるんですよね、この子たちも」
少しだけ顔を上げ、口だけで笑みを浮かべながら強がるように勇者はそう口にした。
「ええ」
僕がそれに同意すると、最後に、と勇者は手の中の粒を全て池に落とす。
鯉たちがそれを取り合うと、水しぶきが上がり勇者の足を濡らした。
「……俺、この前の遠征で……鹿を食べたんです」
「聞き及んでおります。というか、ルル様にお話しされていたことは聞いておりましたので」
「その鹿を、俺が殺したんです」
しゃがみ込んだ勇者に餌をねだるよう、鯉たちが挙って水面に顔を出す。まるで競い合うようにして体を押しのけあっているが、勇者がもはや餌を持っていないことに気づく知能は無いらしい。
「日本だと、そんな経験なかったんすよね。普通に店に行けば肉は売ってるし、……ってそんな話じゃなかった」
気を取り直すように頭を掻いた勇者の手が震えているのが目につく。
「殺すのに慣れなくちゃいけないと、テレーズさんからは言われたんです。戦場に出たときに、人を殺せないとまずいって」
「その通りだと思いますが」
「だから今日、俺は人を殺します。罪人らしいですけど、それでも、人を」
ようやく勇者がこちらを向く。目には力がなく、それでも懸命に、笑っているように見えた。
「…………」
勇者が聞きたい言葉。それを僕は探すようにして黙り、そして程なくして一つ思い浮かぶ。勇者がそれを選ぶことなどないと知っていながら。
僕は勇者から視線を外すようにして、勇者に並んで池の向こうを見る。何の変哲もない王城の白い壁がそこには聳え立っていて、そこまで見れば景観が崩れているなぁ、などと僕は唐突に思った。
そしてそこから視線を上げれば、青い空。
「……逃げますか?」
視界の外、勇者の斜め後ろに立つマアムが、いきり立つように肩を上げてこちらに体を向けた。
勇者も僕を見て目に力を込める。凍り付くように表情が抜けていった。
「それが今日の午前中に行われる儀式。なら、逃げる機会は今くらいですね」
「そんな、ことを……そんなことをしても……」
「前に申し上げたとおり、助力はさせていただきますよ。……口封じは必要そうですが」
今まさに敵意を込めてこちらを見つめているマアム。彼女がミルラや誰かに伝えてしまえば、勇者がどこへ行ったかはわからないまでも、僕の手引きはばれるだろう。
そうしたらおそらく僕はお尋ね者。ルルにも迷惑がかかる。
しかし、そうなる気はない。
この世界に突然連れてこられた勇者には気の毒だし力になってもいいが、そこまで付き合う気はない。仮に勇者が行方不明になるのならば、ばれないためにマアムにも行方不明になってもらおう。行き先は違うだろうが。
勇者が顔をまた池に向け、僕から視線を逸らす。
「…………」
「気に入りませんか? 私を訪ねてきたのは、だからかと思ったんですけど」
挑発混じり。しかし反応はない。
元々そんな気はないと思っていたが、まあ勇者はこの道は選ばないだろう。
今この城には『彼女』がいる。
「……違うんです。いや、俺も、まだ逃げたいって気はあるんですけど」
勇者が手を叩いて細かい餌の破片を落とす。埃が落ちるようにわずかに落ちた屑のそれだけでも、鯉たちは反応して水を飛ばす。
そして勇者は、一度苦しそうに唇を閉じて唾を飲んだ。
「俺は、戦います。逃げません」
だろう。この城にはルルがいる。
僕は内心頷きながら、囃し立てるようにそう考える。
『ルルの影響は強い』というレイトンの言葉を思い出せば、この反応も納得なのだろうか。
……とすると、先の訪問は一回目。あと多くとも四回、少なければ二回ほど勇者の側からルルに接触してしまえば、戦争が始まるということだけれど。
「では、どういったご用件だったのでしょうか?」
『逃がしてほしい』というわけではない。マアムがこの場にいるせいで、それを言えないというわけでもない。
ならば違う理由があったはずだ。なんとなく、見当はついているし、僕もティリーと同じ予想だ。
僕の質問に勇者は少しだけ悩むように自分の両膝を両手で握り、入らない力を込めて立ち上がった。
「カラスさんは、人を殺したことはありますか?」
「……私のような職業は、人と争うことが常なので……数え切れないほど」
何故だろう。期待を裏切られた、と勇者はそんな顔をした気がする。
けれども拳を握りしめ、また真正面から僕を見つめた。
「どんな気分なんですか? 人を殺すのって」
「気分、ですか……」
即答出来ずに申し訳ないが、僕は言葉が詰まり悩む。
人を殺す気分。まあ、いい気持ちはしない程度にしか考えていなかったが。……それをそのまま口にすればいいだろうか。
「あまり良い気分はしませんね」
もちろん、『あまり』だ。それに、『良い気分』がしないだけで、もうそもそも悪い気にも……。
「それは、……どれくらい」
悪い気にもならないが、そういった機微はこれだけでは伝わらなかっただろう。その前提の勇者の言葉を咀嚼するように僕は鼻から少しだけ息を吐いて、空を見る。
「……人間は、不潔の塊です。流れ出る血は不味いし、手につけば手触りは悪い」
「…………え」
「内臓を裂けば内容物が零れますし、胃液も腸の内容物も端的に言えば『汚い』ものでしょう」
もちろん、緊急時にはそういうものを気にもしていられない。だが冷静になって考えれば、人体というのはそういう汚いものの塊だ。
「糞尿に触って良い気分はしませんよね」
勇者の聞いていることは、こういうことではないだろう。おそらく、聞きたくない話。
だが僕の今の感覚としてはそんなもので、心情的なものにフォーカスを移せばおそらく勇者的にはもっと聞きたくない話が待っているだろう。
だから、そちらは口に出さない。
「勇者様は、鹿を殺したのでしょう?」
「……それは、……はい」
「なら、今回のものがどういったものかは存じ上げませんので詳しくはわかりませんが、感覚的には同じようなものだと思います。もちろん初めは動揺すると思いますが、続ければ慣れていく」
僕の最初の殺人のときは、気づいたら相手が死んでいた。もしかしたら、そこから入ってしまったから、僕の殺人への忌避感が薄れてしまったのかもしれない。
名前も知らず、ほぼ話したことがなければただの他人で、相手が自分と同じ生物とも思えない。それ以前にも魚や鶏を絞めていたから慣れていた、と思っていたのも、そうすると違うのかもしれない。
僕は、最初から。
「……俺は……」
「私の最初の殺人は……」
「俺は、慣れたく、ないです」
消え入るようだった勇者の声が、大きく張られたように変貌する。
「…………」
その様に驚いたわけでもないが、なんとなく僕の言葉が止まる。あまりにも、新鮮に感じて。
黙った僕に何となく怯えたように、勇者が首を横に小刻みに振る。
「あ、あ、いえ、それは何か、違う感じで……」
何が違うのだろう。僕は素直にそう疑問に思いながら、勇者の顔を見返す。
あまり人間の顔の見分けがつくとは思えないが、それでも感じる、年相応の顔。今でもおそらく平和な国で、平和に育った同郷の士。そんな感覚。
だがきっと、何が正しいのかはもうわからないが、きっと正しい感覚を持った人間の顔。
それを見て、何となく微笑ましくなる。
「私を訪ねてこられた用件は、『助言』でしょうか」
勇者から口出ししそうな空気を断ち切るように、僕は一度伸びをする。
「ならば、きっとそれが正常です。今回やはり私にはどういう手順で行うのかわかりませんし、勇者様がどういった助言をお求めになられていたのかはわかりませんが」
殺人に対する忌避感。その感覚はきっと。
「その儀式を終えても、『こんなことやりたくない』と、『人を殺すなど間違いだ』と、どうかそう思い続けてください。それが一番大事なことだと私は思います」
「…………そう、ですね」
僕の言葉に、勇者は静かに頷く。
人の世で暮らすためには、それが一番健全で、正しいことなのだろう。
多分。
それからすぐに僕との会話をマアムに打ち切られ、去っていく勇者。
小さな彼の背中を見て、僕は溜息を吐く。
ルルという理由があるにもかかわらず残る殺人への忌避感。
酷い違いだ。必要になれば人を殺せる僕とは。
僕に日本での記憶はほとんどないが、それでも同郷とは思えない。これが育った世界の違いだろうか。それとも、単なる個体差だろうか。
そして、酷い様だと自嘲する。
単なる『頑張って』という励ましすら上手く出来ない僕に、笑いしか出ない。
なんと言えばよかったのだろう。『殺人なんてたいしたことないよ』だろうか。それとも、『やめたほうがいいです』とでも止めるべきだったのだろうか。
ルルたちと別れてここに来るまでに、何か考えていた気がする。しかし今となっては思い出せないほど、なんというかしどろもどろの話をした気がする。
なんとなく、見てみたい。
好奇心や物見遊山のようなものからではない……と思う。けれど、見てみたくなった。おそらく僕とは違って『正しく育った』勇者の、殺人への『正しい反応』を。
僕の警護の時間は本来午後から。
ならばそれまでは戻らないでもいいだろう。オトフシにきちんと働いてもらえば。
僕は勇者の後を追うように歩きつつ、姿を消した。




