彼女にとっての決死行
無条をまき散らす、簡単な作業だ。
二階部分、三階部分、もはや魔物もいない上、先程の狐のおかげで動物すらいなくなっている所もあり、かなりの時間が短縮出来た。
こんなことならば、狐が何匹か出ても今回の依頼に限ってはありがたい話だ。
むしろ、あの狐と同じ魔法が使えればかなり楽になる。
建物の天辺に登り、そこから恐怖をまき散らす魔法が使えれば、こんな植物を撒くことすら不要になるのだ。
原理がわからないというか、どういう風な機序で行われているものかわからないのが問題だが、機会があれば考えてみよう。
こんな砦掃除など、次にいつ請け負うかわからないが。
「終わりました。出発しても大丈夫でしょうか?」
狐の部屋に戻り、テトラに呼びかける。
「だ、大丈夫よ! 大丈夫!」
驚いたようで、慌てた様子で返事が返ってきた。少し不審だが、悪い感じはしない。恐らく、放っておいても大丈夫だろう。
「あ、でもその前に」
僕は壁際に並べられた三つの死体に目を向ける。この死体、放置しておいてもいいものだろうか。
男達の死体も狐の死体も、無念そうに目を見開いている。
歩み寄り、目をそっと閉じてやる。男達の方は閉じてあげることが出来たが狐のは硬直しており無理だった。きっと、それほど無念だったのだろう。
「何か土を掘る道具とか……持ってませんよね」
テトラに確認しようとしたが、見た目でわかるとおり小さな荷物しか持っていなかった。先程聞いた話によると、男達の襲撃から逃げるときに大部分を手放していたらしい。
「そうだけど……こいつら、埋めてやるの?」
「ええ。何となく、可哀想じゃないですか」
死ねば仏というが、僕個人はこの死体達に恨みはない。手間じゃなければ、それぐらいのことはしてあげてもいいだろう。
特に狐は、食べ方もわからなかったのだから。
「フルシールのほうは、売れば大金になりそうだけど……」
「そうなんですか? 役立つなら持ってく方向で考えますが、どんな役に立つんですか? 薬? それとも素材として、ですか?」
大金になる、という言葉に、僕の好奇心が疼く。ギルドか、グスタフさんに売ってみてもいい。
「それは……狩られた、って話自体は聞かないからわからないけど……、きっと欲しい人もいると思う」
「あんまり狩られたことがないって、そんなに珍しい魔物ですか? 僕昨日に続けて二頭目ですけど」
「え」
テトラが固まる。眉を顰めて、面白い表情で固まっている。
そんなに続けて現れるのが珍しい魔物なのだろうか。
「大量発生でもしてるんですかね。じゃあ、帰りに遭遇出来たらありがたいですね」
「いやいやいやいや、バッカじゃないの!?」
「バカとは何です、失礼な」
僕が口を尖らせて抗議すると、テトラは口を結んで両の拳を空中に漂わせた。何か言い返したいけど言い返せない、そんな感じだ。
まあ、自分がさっきまで襲われていた魔物なんだから、出てほしいというのに同意は出来ないだろう。そこは僕の配慮が足りなかった。
「いや、そうですね失礼しました。テトラさんはしばらく見たくない魔物ですもんね」
「……そういう意味じゃないんだけど……まあいいわ」
テトラは釈然としないようで、苦笑いを隠そうともしなかった。
さて、テトラとの相談も途中なのだ、話を戻そう。
土は掘れない。土葬が無理なら、火葬か。いや、闘気を使った僕が魔法を使うのは不自然だし、彼女に頼もうにも弔いとしてはやってくれそうにない。
ならば野ざらしに近いが、水葬か風葬……鳥葬もあるか。
「土も掘れませんし、男達の死体は川に流してあげようと思いますがいいですか?」
水葬でいいだろう。
「私としては、弔いすらしなくてもいいと思うけど。勝手にすればいいじゃない」
「わかりました」
反対したらやめようと思ったが、テトラはあまり死体に頓着しないようだ。一応、襲われていたはずだが、淡泊な反応だった。
窓から周囲を確認する。ここを拠点として使っていた以上、近くに水源があるはずだし、確か川が流れていたと思う。
思った通り、廊下を挟んで反対側から川が見えた。
「じゃあ、行ってきますね」
二人を肩に担ぐ。
覆面をして顔も見えない。声を聞いたことも会話をしたことがない他人。
だからだろう。特に彼らの死体に何も感慨が湧かなかった。
二人を担いだまま窓から飛び降りる。
何度か木をクッションにしながら降りると、すぐ前に川が流れていた。
「えーと、安らかにお眠り下さい」
一応祈りの言葉らしきものを唱え、二人を川の深いところに浮かべる。
浮かび上がらないように処理をすると聞いたことがあるが、そこまでする気は無い。
傷口からゆらゆらと血が流れていくのが見えた。先程抱えたときも、まだ温かかった。
まだ死んでそう時間は経っていない。それなのに血につられたのか、魚がもう寄ってきて傷口を啄んでいる。
死ねばすぐに誰かの餌になる。きっと、僕も。
何の感慨も湧かなかったが、人間の死体を見てそれだけが強く実感出来た。
壁を駆け上がり、テトラのもとへ戻る。テトラは複雑な表情で、腕を組み待っていた。
「お待たせしました」
「あんな奴ら、放っておいてもいいのに……」
「死体に罪はないですし」
「……あんたには悪いけど、理解出来ないわ」
まあ、死生観は人それぞれだ。特に、敵だった彼女には理解しがたいだろう。
正直僕だって、仕事だからやったと言ってもいい。この砦で死んでいたからやったのだ。この砦から一歩でも出たところで死んでいたら、放置していただろう。
弔いなんて、やりたいときに、やりたいようにやればいいのだ。
さて、あとは狐の死体についてだ。
「じゃあ、狐の死体は持って帰るって事で。でもどうやって持って帰ろう……」
よく考えたら、持って帰るための装備がない。いつかの大蛇の時でも、それで諦めたのだ。
「探索者なら、素材収集用の大きな包みとか持ってないの?」
「今回は探索任務じゃありませんし。こんな大きなものを持って帰れるような容器は収集任務でも無いと持ってきませんよ」
三百キログラム以上ありそうな巨体。台車でもあれば……たしか、倉庫らしき部屋にあった気はする。いや、森の中をそんなもので移動は出来ないし、それに狐を乗せられるような大きなものは無かった、と思う。
念動力で持っていく? それなら出来るだろうが、テトラにもう闘気は見せてしまった。魔法は使いたくない。
普通に抱えていく? 闘気を活性化すれば持ち上げられるし、それもありだが……。しかしその場合はこの巨体が問題だ。持ったら歩きづらい。どこか取っ手でも付いていればいいのに。
……一応隠しておいた方がいいとは思うが、それでもそんなに重要な事ではない。最悪僕が魔法で運べばいいか。そう思ったところで気がついた。僕ではなく、テトラが魔術を使えばいいのだ。
「魔術で運ぶとか出来ませんか」
そう問いかけると、テトラは悩んだ。
「追従浮遊の魔術は使えるけれど……、長旅中運ぶのは流石に無理よ」
「どれくらいの時間が限界ですか?」
「そうね、この重さなら……。一刻……いや、一刻と四半刻(二時間半)が限界。それぐらいで魔力が尽きちゃうわ」
目を逸らし、溜め息を吐きながらテトラは答える。
なんだ。普通に使えるんじゃないか。
「じゃ、お願いします。手間賃は売却益の、そうですね……五分(五パーセント)くらいでどうでしょうか」
「はぁ!? 話聞いてた!?」
「え、ええ。運べるんですよね?」
何が気分を害したのかわからないが、口調が荒くなっていくテトラに僕は面食らう。
「イラインまで、何日もあたしに運べっての? 命の恩人だからって、無茶なこと言わないでよ」
「何日も、ですか? いや、イラインまで半刻もあれば……」
「え」
またテトラが固まった。何だ、いったい。
「いやいや、ここからイラインまでまだ二百里(百キロメートル)はあんでしょ?」
「多分、それくらいは有ると思いますけど……え?」
なるほど。
先程、ここで待っているか聞いたときからの違和感の正体がようやくわかった気がする。
「参考までに聞きますけど、イラインまであとどれくらいの時間かかる予定ですか?」
「……魔術で強化して、二日はかかるんじゃないの?」
「……ああ、なるほど」
腑に落ちた。
彼女の行軍能力は、普通の馬と同程度なのだ。レシッドや僕のように移動するなど、魔法使いの彼女でもありえないらしい。
「何納得してんのよ?」
「いえ。認識の相違点がハッキリしたので」
彼女に合わせて移動していたら、イラインまで二日もかかる。そういうことだ。
今度は僕が苦笑いした。
「追従浮遊の魔術を起動させたテトラさんを、僕が運びます。それで全部解決するので、そうさせて下さい」
「ちょっと意味がわからないんだけど」
「言うとおりにしていれば、すぐにイラインまで行けますよ?」
テトラは反論の言葉を飲み込んだ。テトラだって、早くイラインへ着ければそれに越したことはないはずだ。
それでも嫌がるというのなら、しょうがない。修繕費用は諦めよう。
そう思ったが、一応了承はしてくれた。
恐る恐るといった感じで、頷いたのだ。
「で、何すればいいのよ?」
「まずは追従浮遊の魔術を起動してください」
取りあえず狐を浮かばせてもらう。彼女は渋々実行してくれた。
「それで?」
「先程言ったとおり、このまま運んでもらおうと思います。この魔術を使えば、テトラさんの動きに合わせて物が浮かんで付いてくるんですよね?」
「そうだけど……」
憮然としてテトラは言い淀む。了承はもう得ているのだ。今更嫌がってももう遅い。
「失礼します」
「ヒャッ……」
僕は彼女の肩と膝裏に手を当てると、そのまま仰向けに持ち上げた。彼女の魔術を邪魔しないように闘気を調整するのが骨だが、何とかなるだろう。
「じゃあ、このまま出発します。揺らさないように気をつけるつもりですが、揺れたらすいません」
「え、それは、どういう」
彼女の返事を待たずに、窓から飛び降りた。
「ひっ……!?」
テトラの体が硬直するのがわかる。掴まってくれれば一番いいのだが、暴れないだけでもありがたい。
「魔術、切らさないで下さいね」
それだけが心配の種だ。
ネルグの森を、叫び声が駆け抜けていく。
「きゃああああああああ!!」
「うるさいんで、顔の近くで叫ばないでもらえます?」
木の上や枝を飛び移りながら僕は走る。
地面を走れればもっと速く進めるのだが、狐の巨体を枝に引っかけてしまっては困る。枝が少ない隙間を縫って走るので、結果、森の上の方を進むことになる。
揺らさないように走るといったが、ちょっと難しいようだ。どうしても飛び移る際に上下動してしまう。
「ん?」
道程の半ば、抱えていたテトラの力がかくんと抜けた。同時に、叫び声も止まる。
まさか、気を失いでもしたのか。そう思ったが、顔を見れば意識があるようで青い顔をして何事か呟いている。
魔術も切れていないようだし、静かになったからそれはそれでいいだろう。
僕はそう割り切り、何事もないように駆け続けた。
「はい、到着です。お疲れ様でした」
一時間ちょっとでイライン近くの麦畑まで辿り着いた。街中まで運んでいくのは流石に恥ずかしいので、ここからは歩いてもらおう。
「とりあえず、十二番街の探索ギルドまで行きましょうか」
そう言いながら、テトラを降ろす。
無言で地に降り立ったテトラは自力で立っていられないようで、そのままへたり込んでしまう。
「……大丈夫ですか?」
「……やっぱ、断るんだった……お金だけ出せばよかった……」
うわごとを呟くように、テトラの愚痴は止まらない。
結局テトラが再起動するのには、五分ほどかかった。




