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君のために




「……確かに、受け取った」

 僕が訪ねたときには休憩中だったのだろう。けれどもクロードは、一応仕事中のような威厳ある態度で肘掛け付きの豪勢な椅子に座ったまま、僕の差しだした瓶を恭しく受け取る。

 クロードがいたのは聖騎士たちの詰め所兼休憩室のような部屋から一つ奥まった部屋。事務作業をするような部屋らしく、数人が座れる椅子に、壁際には筆や墨などが入った棚が置かれていた。

「約束をお忘れではないことを祈ります」

「受け取ったって言っただろう。やるさ。やるよ。やればいいんだろう」

 仕方ない、とクロードが溜息をつきながら応える。言ってしまえば簡単なことだろう、それをただテレーズに渡せばいいのだから。

「カラス君、安心したまえ。聖騎士様というのはもちろん高潔で清廉な方々だ。たとえ君との約束という守らなくてもほぼ問題にはならないだろう私的なものでさえも、きちんと守ってくださるさ」

「も、もちろんですとも」

 ティリーが口にした言葉にはクロードも苦笑いで応える。僕も何となく煽られている気がするが、まあ事実なので何も言えまい。


「それでベルレアン卿、誰に渡すのか、僭越ながら私にもお聞かせ願えませんか? いやぁ、このカラス君は中々口が固くてねぇ」

 クロードの視線が、『何で連れてきた』と僕に訴えかけた。たまたま行き会ったので付いてきたという事は先ほど伝えたが、それでもまだ文句は残っているらしい。

 当然だろう。僕も多分クロードの立場なら嫌だ。多分。


 コホン、とクロードが小さく咳払いをして、わざとらしい清々しい笑みを浮かべる。

「私的なことでしてな。カラス殿の配っていた薬の噂を聞き、世話になっている幼馴染みにでも贈ろうかと」

「おやおかしいな? そうすると、カラス君との約束というのはどういうことになるのでしょう?」

「……私的なことでしてな」

 『上手く説明しとけよ』という視線がまた飛んでくる。その視線の意味は僕が感じ取ったものだが、多分間違いではあるまい。ここで質問攻めにされるのは嫌だったのだろう。

 それはわかる。

 ならば説明しようか、と口を開こうとしたところ、ティリーが首を傾げた。

「まあまあ、その辺りは良いとしましょう。しかし、幼馴染み? 郷里にでもいらっしゃるのでしょうか?」

「テレーズ・タレーラン団長です」

「お前ぇ!?」

 

 ちょうどいいと思い僕が横から口出ししたところ、クロードが跳ねるように声を上げる。

 だが心外でもない。少しだけわざとだ。

 僕はクロードに向き直り、言い分を口にする。

「……世話になっている幼馴染み。別に違うところはないでしょうに」

「違わなくてもだな、お前……」

「あー、タレーラン卿かぁ。タレーラン卿、ねぇ?」

 頬をひくひくとさせるクロードとは対照的に、ティリーが頬をぴくぴくと楽しそうに動かす。眠たげな瞼が、少しだけ先ほどよりも開いた気がする。

 そしてゆっくりと、机の天板に座り背中越しにクロードに問いかける。

「お二人の馴れそめは?」

「お嬢様、はしたのうございます」

「構わないさ」

 窘める侍女に、ふふ、と笑いながらティリーが返すが、正直この場で一番偉いクロードに怒られても仕方ない行動だと思う。

 ティリーも、クロードなら大丈夫だと思っているのだろうが、それでも一応無礼だと思い直したのだろう。飛び降りるように足を床につけ、またクロードの方へと正対した。

 クロードはコホンと小さく咳払いをして、視線を下げつつ言った。

「先ほど申し上げたとおり、幼馴染みですな」

「では、今のご関係はどこまで進展しておられるんですか?」

「……黙秘いたしましょう」

「ほう」


 泣きぼくろを掻いて、ティリーが言葉の続きを考えるべく拍子を取る。

 だが、もう充分だろう。

「ティリー様。惚れた腫れたに限定することもないでしょう。クロード殿やテレーズ団長がそういった関係だとも限りません」

「……確かにそうだねぇ」

 僕が言うと、へらりとこちらを見てティリーが頷く。

「いや、邪推が過ぎましたな。失敬失敬」

 そして言葉とは別のことを思い浮かべているように、にやにやとしながら引き下がった。


「……というわけで、受け渡しも済んだことですし、私はこれで失礼させていただきます」

「え? もうかい?」

「他に用事もないですから」

 ティリーには悪いが、話はこれで終わりだ。確かにクロードは約束を果たすだろうし、その約束を果たすこと自体は僕には別に重要でもない。ただ嫌がらせに言っただけだし。

「おう」

「それでは、失……」


 頭を下げかけた僕。そして安堵しつつあったクロード。

 そこから僕は頭を上げて、クロードは目を見開いて視線を合わせる。

 驚愕というか、警戒というか、よくわからないがそういったもので通じ合った気がする。


 そして揃って見た先は壁。その向こうには、先ほど僕たちがここへ来るときにも通った休憩室があったはずだが……。

 

 足音が聞こえる。それも、この城であれば聖騎士くらいしか使わない足音を立てづらい足の運びで。

 だが、僕もクロードも、驚いたのはそこではないだろう。

 その壁の向こうで声が聞こえた。『団長にやらせるなんて中々剛胆な団だな』と、女性の声が。


 足音が近づいてくる。

 僕は足音で大体の職業や今行っている動作がわかる。だが、驚いたのはその近づいてくる女性の仕事ではない。

 驚いたのはその声自体。ごく平たく言えば、その素性に。

 

 扉が開く。背後に開いたその隙間から、彼女には縁がないであろう香水のような匂いがした。

「……よう、テレーズ」

「クロード、お前がやるなんて珍しいな。今日の備品係」

「代わりだ代わり。昼飯に出てる奴の代わりにな」

 テレーズは時間的にも訓練の後だったのだろう、聖騎士正装のコートを脱いで、やや埃っぽくなった姿で現れた。手に持っているのは数枚を束ねた紙束。表紙一枚に内容数枚、といったところだろうか。

 そのテレーズを見て、クロードが気安い態度で応える……が。


 クロードは僕が先ほど渡した小瓶をさりげなく手で包んで背に隠す。いや、隠しているわけではないだろうが、やや見えづらい位置に移動させた。一応擁護すれば、無意識らしい。

 そんなクロードに目をくれることもなく、テレーズがその斜め前にいた僕たちを一度見渡す。

「それにカラス殿と……」

「ティリー・クロックスと申します。タレーラン卿のお噂は耳に届いております」

「これは丁寧な挨拶、痛み入る」

 僕の会釈に対し応えようとして、そしてようやく僕の横にいた女性に目が行ったのだろう、テレーズはティリーと簡単な挨拶を交わした。ティリーはきちんとしたカーテシーのような仕草で、テレーズはオトフシたちのように胸に拳を当てる略式礼で。

 

 それから、テレーズは僕へと微笑みを向けた。

「この前は迷惑をかけたらしいな。クロードに聞いたよ」

「いえ」

「いや-、この前は『今日はいける!』と思ったんだが、途中から記憶がなくてな。すまん、今度埋め合わせはしよう」

 明るく笑っているが、本当に申し訳なさそうだ。どこまで覚えているのかわからないが。

 ……途中、と言っているが、途中までも怪しいと思う。

「お気になさらず。……ただ……」

「ただ?」

 そして、まあ『今度の埋め合わせ』も不要だ。クロードといいテレーズといい、次は初めから僕を呼ぶ気満々なようだが。

「次も僕の代わりにジグ殿を誘ってあげてください。疲れているようなので、いい気分転換になるでしょう」

「……そうか? じゃあまあ、カラス殿が城にいる内にな」

「…………。……はい」

 テレーズは頷く。

 どうやら、意図は伝わらなかったらしい。いや、彼女ならわかっていても無視するタイプだろうが。


「それで何故ここに? 陳情でもないようだが?」

「申し訳ありませんが、私用でクロード殿をお訪ねしました」

「私用……」

 テレーズが僕を見て、次いでクロードを見る。そしてそのクロードの机の端には、先ほどさりげなく置かれた小瓶があった。

「……それは、噂の?」

「噂のかどうかはわかりませんが、私の作った薬です。皆様に配布しているものと同じ」

「ほう」

 

 その小瓶に手をやることもなく、テレーズはクロードに笑いかけた。

「意外なものだな。お前そういうの使うのか? 女性用だろう、それは」

「俺が使って悪いものでもないだろうが」

 言ってから、クロードは何かに気が付いたかのように動きを止める。それから小瓶に手を伸ばすと、差してあるだけの蓋を抜いて中を覗いた。

「……欲しいか?」

「正直気になってはいたな。食堂にいた使用人が、隅ではしゃいでいたのが目に入った」

「…………」

 そこまで、と僕は少し声を上げそうになった。

 アネットに渡し、アネットも仲間たちに自慢げに配って歩いたというのは知っているが。しかし、その『食堂』というのは僕たちの使っていたところとは違い、聖騎士たちの使う少し上等なところだろう。

 ……と思ったが、そういえばアネットは、聖騎士たちの間で起きた諍いも仲間に聞いたとか言っていたっけ。噂の質はともかく、範囲の方は順当だった。


 片手で瓶を持ったまま器用に蓋を閉めて、クロードはその瓶をテレーズの前に差しだし置く。瓶を傷つけないように丁寧に。

「じゃあやるよ。カラス殿が作りすぎたと持ってきたものだが、俺は使わんからな」


 僕の横で、ティリーが顔に出さずに笑った気配がした。

 

 書類を片手に、テレーズはそのクロードの顔を見て、一瞬黙る。

 そして、ふと笑い、一言。

「いらん」

 はっきりと、そう言った。



 クロードが固まったまま、こちらに目だけを向ける。

 テレーズはそれを無視して、書類を机の上に置いた。

「それで、……」

「……俺のところにあっても、困るんだが」

「困らんだろう。普通に使えよ」

 クロードが言い募るが、テレーズの反応は悪い。それよりも書類の話をしたそうに、机の上に目を向けた。

「気になるって言ったじゃん」

「気にはなるが」

「なるが?」

「余り物もらうみたいでなんかやだ」


 ついに、ティリーが噴き出した声が微かに聞こえた。

 だがテレーズとしてはそれなりに本気のようで、ティリーに反応を示さずにクロードをじっと見つめた。

 いやまあ、クロードの言い分としてはまさしくそうなんだけど。余り物をもらって処理に困ったから渡される。それが不満というのならば多分そうなんだろう。

 だが真実はそもそも違う。僕が嫌がらせのためにそう仕向けたとか、そういう話でもなく。そういう話のその前に。


 僕がじっとクロードを見つめていると、宙へ視線を漂わせていたクロードと目が合う。

 まあ、『そういう話』のさらに別の話で、これで受け取られなかったら彼は約束を反故にするということだけれども。

 僕の視線に何を思ったのか、またクロードは天井に目を向けてごく小さな溜息をついた。

「……あー、わかったよ。わかった、わかった」

「何がだ?」

 テレーズはその仕草に瞬きをし、眉をわずかに顰める。その顔を真正面から見るよう、天井からテレーズに顔を向け直したクロードは、その勢いで座り直してやや前のめりになった。

「悪かったよ。嘘ついた。これは俺からカラス殿に頼んだもんだ。お前がことあるごとに気にしてたからな」

「あん?」

 まだよくわからない、とテレーズは声を上げるが、クロードはそれを無視して瓶を手に取った。

「もっとも俺は、そんなもの気にしなくていいとも思ってんだけどな」

 そしてもう一度その瓶をテレーズに差し出すように持ち上げると、一瞬言葉に詰まったように頬を掻いた。

「使えよ。余りもんじゃなくて、お前のために作ってもらったもんだ。俺がわざわざ頭を下げて」

 また嘘ついたなこの男。

 そうは思ったが些細なことだ。僕はとりあえず黙っておく。機会があれば訂正したいものだけれども。


 今度はテレーズが黙り、それからふんと鼻息を吐く。

「ならもらっておく」

「おう。そうしてくれると助かる」

 テレーズは、パシ、と音を立てるようにクロードの手から瓶をもぎ取ると、「はじめからそう言え、ばか」とごく小さく呟いた。




「……それで、お二人は仕事中ではなかったのかね?」

「……!!」

 僕の横でティリーが呟く。今までここにいて、会話までしていたはずだが、僕らのことを忘れていたかのように二人は肩をびくつかせてこちらを振り返った。

「そそそうだったな。ほら、クロード、承認してくれ」

「ああ、ああ」

 二人は思い出したかのように仕事に戻るよう、書類に揃って目を向ける。まあ、順当な動作だ。先ほどまでの一幕がなければ。


 テレーズは一応仕事中だろう。そしてこの部屋へ、何かの書類を持って現れた。ならばそれをここにいた『備品係』とやらのクロードに渡し、何事かをするはずだったのだろう。

 しかし、……ついつい立ち去る機会を逸してしまった。


 もう一度お暇の言葉を述べるべきだろうか。そう悩んでいる僕を殊更に無視するように、テレーズは机に書類を出し、そしてクロードはそれを受け取ってぱらりと捲った。


 そして、先ほどの空気はどこへやら。

 クロードの顔が渋いものに変わる。そしてテレーズの雰囲気も、少しだけ深刻そうに落ち込んだように見えた。


 それから、沈黙。

 書類に目を通し続けるクロードは、先ほどまでとは打って変わって、まるで僕と打ち合ったときのような真剣な目をしていた。


「ついに、か」

「ああ」

 クロードの呟きに、深刻そうにテレーズが頷く。

 僕とティリーは一度顔を見合わせ、互いの頭の上の疑問符を確認したように思えた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 甘酸っぺえ、甘酸っぺえよクロードさん。 2人とも、アラサーとかじゃ無いんですよ、オーバーハンドレッドですよ、略してオバハンです。なのにこの可愛さはヤバイ
[良い点] この2人いいですね。 [一言] 戦争…かな
[気になる点] いよいよかー。 イラインが嫌いでも知人が巻き込まれたら動かざるを得ないだろうし、カラスくんはどうするんだろうなぁ。 [一言] 訂正したら大変なことになるからやめたって…
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