釘
お腹空いた。
朝食はどこで取ろうか、などと空いた腹を抱えつつ悩みながら王城の使用人が使う廊下を歩いていた僕は、今目の前の光景に悩んでいる。
お腹空いた。なのに人と話さなければいけないこの状況。無視して去っていってもいいだろうか。
「あれ何入っているんですか? もうお肌が私のじゃなくなってるんですけど」
「紛れもなくアネットさんの素肌なので、自信を持ってください」
「え、いやいや、でもまだ三度塗っただけ! まだそれだけなのにあかぎれも何も見えなくなってるんですけど!? 私史上最高の美肌というか、え?」
目の前で僕に詰め寄るようにしているのはアネット。昨日渡した軟膏があまりにも気に入ったらしい。
まあ、悪い気はしない。僕がグスタフさんから受け継いだ技術を全てではないが注ぎ込んだ薬品。さすがに悪いものでは絶対にないし、効果だってもちろんあるだろう。
本来肌の補修期間に必要な時間をかなり短縮して、荒れた手でも水弾く肌理の整った白魚の手に変える軟膏。……さすがにここまで早く効果が出たのは、彼女がまだ若く綺麗な肌を持っているはずだったから、だろうが。
それでもグスタフさん謹製のレシピに、僕が少しだけ手を加え、さらにサロメの助言まで受けたもの。僕だけではなく、関わった全員への賛辞だ。誉められて悪い気はしない。
しかしそれはもちろん、僕が万全のとき、という条件がある。
「喜んでいただいて何よりです。それでは、私はこれで」
僕は今お腹が空いている。ルルたちが使う軽食用の材料を少し分けてもらえばよかっただろうか、と今更ながらに後悔するほどに。
もう、今ならば王城の食堂の料理でも美味しく食べられるのではないだろうか。空腹は最高の調味料とどこかで聞いたし、……いや、やはり妥協したくない。あれならば自分で捕まえた肉を自分で調理した方がまだマシだ。外へ食べにいかなければ。今すぐ。
僕は頭を下げて、アネットをやり過ごすように歩み出そうとする。
だがその肩を、アネットが掴んだ。
「あいや待ってくだせえ、その、何というかですね、質は問題ないんです。質は。でも少し、問題がちょっとありましてね?」
僕が振り返ると、へへ、と笑う卑屈な笑みが見える。申し訳なさそうにも見えるが、何故だが少し怒っているようにも見える。
「……問題?」
「あの、ですね。調子にのって……いや、調子に乗った私が悪いんですけど、人に配ったら足りなくなりましてね……?」
「もう使っちゃったんですか?」
というか配ったのか。正直想定していたが、早すぎると思う。
「だって! だって! 『わーこれマジで皺が消えるぅー』だとか『頬の染み消えたんだけどぉー』とかみんなが! みんなが!!」
「一応手指用なんですけどね」
しかも顔にも使ったのか。別に問題ないけど、顔には顔の別の調合もあるのに。
「……カラスさんも悪いんですよ……。私がもらったって、あんなにみんなにわかるように言うから……」
「その辺りは私の関知するところではないと思いますけど」
嫌なら断ればいい。……と嫌がらせ混じりに嫌みを言うのは一応やめた。
だがまあ、既に今の言葉は嫌みでもあるだろうか。
「どうせ最初は自慢げに自分から配ったんでしょう?」
「何故それを!!?」
アネットが驚き目を丸くする。
いや、今適当に予想して言ったんだけれども。まさかの正解か。
「じゃなくて、ほら、あれ親切だったんでしょう? なら、もう一回? もう一回親切を発揮していただけないでしょうか!?」
「キリがなくなりそうなんですが……まあわかりました」
始めたのは僕だ。そして、アネットと幾人かを贔屓しようと決めたのも僕。ならばやろう。……他の人間の名前も知らないのはちょっと問題だけども。
「またあとで食堂にでも届けにいきます。それでは」
「ああ! それと!!」
お腹が空いている。僕が立ち去ろうとすると、まだアネットは食い下がるように呼び止めてくる。さすがにちょっと面倒さが臨界点に達しそうなんだけど。
「せ、洗剤なんですが……もっと多く作れないでしょうか?」
「……何故」
あっちはそう他人に回して使うことは……あるな。それもそういうことだろうか。
「いえね? 上長が一度話したいということで。というか、みんな一緒の支給された洗剤を使って洗濯しているのに、私だけ、というのも問題でね?」
「なら、個人的に使ってくださいよ」
彼女らが着ているのは制服だが、管理は個人個人だ。それに彼女らも、王城の使用人という少しばかり給金が多い立場な以上、私服の一枚二枚を持っていてもおかしくはあるまい。
「だって、もう……『わぁー、真っ白ー!』なんて……」
アネットの言葉に、先ほどと同じ口調の誰かが登場する。その誰かが同じ口調をしているとは限らないが、多分同一人物なんだろう。
「……油汚れ以外には今までのとそう変わりないと思いますけど」
僕は今回、ソースの染みを見ない振りしていたアネットのために、そういった汚れを落としやすいよう洗剤を作った。だが、その他の洗浄能力は、今まで使っていた灰汁の洗剤とあまり変わりないと思う。
僕の作ったものが劣っているというわけではない。ただ、ここ王城は最高級品が集まる場所。汚れが落ちないものならば今まで王城で使われてくるはずがないのだ。
「大方、新しいものだからと期待して気合い入れて擦ったんでしょう」
「……なきにしもあらず、かもしれませんが……」
おそらく、変わったのは洗剤以上に人間の方だろう。新しいものは優れていると思い込む、プラシーボにも似たバイアスで。
もちろん一応、僕の作ったものにも優れている点はある。油汚れの分解能力に、それに石鹸滓がそもそも出ないので濯ぎやすさもあるだろう。
しかしそれもわずかな利点だ。そもそも元のものを使えばいい。
……そうは思うが。
「では、それも。漂白能力を足して作っておきますね。そちらはちょっと時間かかるので、明日まで時間をください」
また水酸化ナトリウムの合成からだ。それに鹸化の時間もある。魔法使いといえども、これ以上の短縮は出来ない。
了承。だが、アネットは怪訝な顔をして首を傾げる。
「……なんか、優しすぎません? 私本気で体狙われてません?」
「軟膏と洗剤程度で買える体と本気で思ってるなら、自己評価を見直したほうがいいと思いますけど」
実際の他人からの評価は置いておいて、とりあえず、自尊心をもうちょっと上方修正したほうがいいと思う。僕としてはどうでもいいけど。
まあ、本当にその辺はどうでもいい。
「今の私は少し親切なので。アミネー様からの話を断ってしまったのも心に引っかかっていますし。……もしアネットさんに困ったことがあるならば、他にも聞きますよ。アネットさんが困っていること、ならば」
僕は適当に言葉を繋いでいく。
だがとりあえず僕の願いとしては、早く話を打ち切りたい。お腹空いた。
お腹と背中がくっつきそう、という形容詞のようなものがあったと思うが、今の僕はまさにそれだ。胃の痛みに似た空腹感。胃を中心に、四肢に空気が送られているような不快感。
荷物の中に鳥の餌があったけど、あれでも食べてくればよかった。戻るか、一度。
僕の言葉を聞いて、何かを隠すような無表情を作ったアネットは、空いた手で自分の腿を何度か殴る。
そしてやはり何かを取り繕うように、怒りを滲ませるような表情を浮かべて、アネットは叫ぶように口を開く。
「……じゃあ……愚痴を聞いてください! 愚痴!! だーれも共感してくれないんですよ!!」
「では、あとで」
「今です今ぁ! ほら、朝ご飯食べてないんでしょう!? 食堂行きましょう! 食堂!!」
騒がしい。素通しの窓で繋がる中庭などでは、既に下男下女たちが作業を始めているというのに。注目を浴びるのはわざとなら構わないが、こう不本意なら少々不快だ。
「お腹空いているんで、あとでいいですか?」
「私もお腹空いています!! ていうか食堂ですよ、今から行くところ! 食堂!」
ああ、本当に面倒だ。よくこんな『付き合い』というのを重ねていけるものだ、と僕は食堂へつれていかれながら、ルルやルネスたちへの尊敬の念をわずかに胸中に浮かべていた。
「あ、どうもおはようございます」
「おはようございます」
結局ついた食堂でバイキング形式のスープを受け取ろうとすると、中にいた料理人と目が会う。昨日僕が火傷と金創の傷薬を渡した料理人だった。
元気溌剌、といった感じで、彼は棚の奥から身を乗り出して僕へと話しかけてくる。
「昨日早速使っちゃいましたよ! 火傷しまして!!」
「それは……お気の毒です?」
薬を使う、という事件。実際は薬など使う羽目にならない方がいいのだと僕は思うけれども。
「いえ、じゃなくて、すごい効き目ですね!! いつも治療師にかかるまで痛みが消えなくて寝れないこともあるのに、もう塗った瞬間から痛みも消えてもう跡もないです」
「軽いものだったんですね」
彼に渡した火傷の薬だが、そこまで即効性はないはずだ。第二度熱傷までいけば痛みは消えても跡は残るし、第一度熱傷だってそもそもまだ治ってないと思う。
ただまあ、皮膚の代わりのように固まって火傷を覆う軟膏。すぐに痛みは消えるだろう。
「これならもう、火傷しても大丈夫ですね! また使い切ったらお願いしたいです!!」
「馬っ鹿野郎! 何言ってんだ火傷なんざ下手くそのするもんだ馬鹿野郎!!」
「す、すみません!!」
僕との話を聞いていた上司らしき料理人が少し離れたところから怒号を飛ばす。調理をしているようだが……珍しい、この使用人用の食堂の料理人が、おそらくベテランだ。
その上司のような男に頭を下げて、「それでは」ともう一度僕へと頭を下げて、彼は調理場の奥へと消えていった。
スープを器に注ぎ、僕は中を確認する。
使われているのはやはりこの頃と変わらない屑野菜。それに、申し訳のように入れてある干し肉のような欠片。
凹凸の残る木のトレイにそれをおき、添えるべきだろう、黒く焦げているようなパンを並べて僕はアネットの待つ席へと戻った。
「昨日、勇者様と遭遇してしまいまして……」
「へえ」
正面に座るアネットに、適当に返事を返しながら、僕はスープを口に含む。
そして、中の具を噛み砕いて驚愕する。
最近の出来とは全く違う。
スープの味付けはいつもと同じくスープストックと岩塩程度。具は変わらず屑野菜。
だけれども……火加減でここまで変化するのか。
「働き者の私がね? 当番の水汲みを文句も言わずせっせとこなしていたんですが、その時突然あの勇者様が現れましてね?」
「それは驚いたでしょうね」
いつもは入っていなかった干し肉を入れたのは偶然だろうか。それとも料理人の権限が成せる業だろうか。ともかくとして、干し肉から滲み出る胡椒のような香辛料が、優しい味のアクセントになっている。
「なんと、私の手から井戸の縄を奪い取って、優しい声で『手伝います』なんて言ってくれたんです!!」
「よかったじゃないですか」
パンを浸してみれば、そういう用途では少し薄味になってしまうか。けれども、こちらはあまり変わりないからどうでもいい。
パンも焦げているようでいて、焦げの苦みはない。あまりにも焦げたそういうものは省いてあるのか、それとも偶然か。最近のこの食堂は、苦いものも平気で出していたのに。
「よくねーんですよ」
アネットの言葉に、僕はアネットに目を向ける。話半分に聞いてはいたが、別にそんなに愚痴のような要素もなかったと思うが。
ただ勇者に遭遇し、仕事を手伝ってもらいました、という……いやまあ、それ自体駄目か。
「け、結局水汲みの残り半分を勇者様にやらせることになってしまいまして……。あの、心苦しいやら、なんやら……、あの、私、これで処罰とか受けるんでしょうか……」
「それは私にはわかりませんけど」
わかるのは彼女の上司や、もっと上の人間だろう。だが、勇者が奪い取って、あの侍女が止めなかったのならばもう話は大体わかっている。
「そもそも勇者様が自分から手伝ってくれたんですから、何も処罰など受けないでしょう」
「いえ、私もそう思いますけどね? 心配にもなるってもんですよ。本気で畏れ多いもんですよあれ」
「気持ちはわかりますが」
いやたしかに、心苦しいというのはわかる。主と従者という関係ではないにしろ、この前のルルとサロメのようなものだ。
「……カラスさん、よく勇者様と普通にお喋り出来ますね」
「普通に喋った覚えはないですね。相談に乗ったりはしていますけど」
「それだけでもすげーですよ」
そうだろうか。
勇者との会談。大抵勇者が一方的に話しているのを、僕が聞く程度だ。
しかもそれも数回程度。普通にも、お喋りも、どちらもきちんとした覚えはない。
……現状、勇者からルルへの気持ちを近しくもないのに唯一聞いた人物、というのはあるけれども。
「てか、これ誰に話しても、『そうだったんだー』とか適当にニヤニヤしてあしらわれるんですよ。なんですかこれ」
「それは知りません」
……やはり先ほどから、アネットの言葉に出てくる人物は同一人物なのではないだろうか。ならばその……多分女性に直接聞けばいいのに。
ふと、食堂の中からの視線に気が付く。
僕が顔を上げてさりげなくそちらを見れば、今アネットが話したようにこちらを見てクスクス笑っていたような男女が、僕の視線を受けて目を逸らした。
スープを飲みきり、パンを強引に飲み込んで僕は立ち上がる。
これは一杯だけでいいや。とりあえず腹つなぎに。
相対的に美味しくなったとはいえ、やはり屑野菜は屑野菜。実際には、美味しくない、から外れたに過ぎないだろう。
そして、アネットの話が話半分に聞かれるその原因も、今見た人間たちの仕草からちょっとわかった。
「勇者様からの親切……なんてあまり聞かない話ですけれど。でも、親切にされるなんて幸運ですね。案外勇者様もアネットさんに気があったりして」
「なわけねーでしょうが。話したことも挨拶したこともないのに」
「どうですかね。どこかでお見かけしていないとも限らない。勇者様の国には、身分というものもなかったといいますし」
まあ、そんなわけないとも思う。意中の女性は既にいて、それで今困っている。
だがそんな注目をされている中、もしそうなら、という密かな楽しみも無関係な人間には出来るだろう。そして、そうだと『言い張りたい』というようにアネットが吹聴している、ともとれる。
いじめや嫌がらせを受けるところまでは望んでないし、そうなったら力にはなるけれど。それでも、噂の制御不能さ加減は楽しんでほしい。僕から贔屓を受けて、勇者様からも親切にされたアネットには。
「ここから始まる恋もあるんじゃないですか? 一目惚れとか、素敵な話じゃないでしょうか」
「事実無根! 事実無根を主張します!!」
事実無根なのは知っている。しかし、しないとも限らない、とも僕は言える。
何せ、事実、勇者は一目惚れしているのだから。
結局、僕の今日の朝食は果物のクレープのようなものになった。
アネットに捕まったのは結果的に良かったのだろうか、明るくなり、市場での仕入れも済んだ軽食などの店は朝と昼の中間ほどからが業務の本番で、きちんとした軽食を食べることが出来た。
牛乳などが入っていない分柔らかくないがしっかりとした小麦の生地に、しゃりしゃりとした未熟な桃のような果物が巻かれて、更に違う果物のソースがかけられていた。食事とデザートの中間のようなもの。それもまた、よかったのだろう。
満腹。いくつかの店をはしごし、王城へと辿り着いた僕。
そしてルルの部屋へと戻ろうと歩いていると……少しばかり、あわせたくない顔があった。
「カラスさん」
「……これは、勇者様」
口の端にソースがついていないだろうか、などと今更ながらに気にしながら、たまたま曲がり角で行き会った勇者に応える。一歩下がりつつ廊下の端へと寄り、その気はないだろうが廊下の奥へ行くのを邪魔しないように。
「最近お目にかかれておりませんでした。ご無沙汰をしております」
「そういえば、そうですね。カラスさん、とも」
勇者の方は、僕へと会いに来たわけではないらしい。だが、何かの目的があって歩いていたのだろう。その目的も、容易にわかるけれども。
互いに長くなるような予感がしたのだと思う。僕らは揃って立ち止まる。
そしてその勇者の出したい話題は予想出来るけれども、何となくそうはさせたくなくて、僕は僕から口を開いた。
「テレーズ様からご活躍は聞いております。剣の腕をまたお上げになったとか」
「剣……、あ、ああ、はい。これからもまたテレーズさんの団に混ぜてもらうんですけど……」
「なんでもこの前、模擬戦で聖騎士様から一本お取りになったと。……戦える力がついてきた、というようで何よりです」
「まだまだ……未熟ですけど、ね……」
しかし、戦えるようにはなってきた。
魔法はまだしも、剣術だけでもそれなりになっているのだ。聖騎士が手加減をしていたとしても、素人では全く無理なこと。
勇者がこの世界に来て、僕へと吐露した不安要素の一。『自分に戦える力はない』というもの。それが今は消えつつある。
「しかし……」
「あの!」
会話を打ち切る権利は勇者にある。僕から立ち去るわけにはいかない。けれども、立ち去りそうにない勇者に別の話題を出されないように、どうにかして話題を続けようとした僕。
そんな攻防にもなってない攻防は、勇者の一太刀で勝負がついた。
「…………」
「ルルさんの病気、悪いんですか?」
心配をするような勇者の表情。それにそれ以外が混ざっていなさそうなことを確認し、僕はあらかじめ決めてあった返答をする。
「悪いわけではありませんが、念のため部屋に自主隔離されております」
「それはどんな……」
「勇者様に心配いただくようなことではありません」
「治療師にはかかったんですか?」
「……いえ」
まあそうなるだろう、という言葉まで、勇者は一直線に辿り着く。視界の端で黙っていたマアムは、僕を見てわずかに首を横に振った。
治療師にはかかっていない、と述べた僕にわずかに言葉を詰まらせてから、勇者がまた口を開く。
「今度お見舞いに行ってもいいですか?」
「申し訳ありませんが、どなたともお会いにならないのはルル様の意思なので……。私にはどうにも」
頬を掻きながら僕は応え、内心勇者の反応に頷く。
それはそうなるだろう。
一目惚れした某が、最近姿を見せなくなった。そして自分は本当は、その某と会う権利がある。それを行使するのは当然のこと、だとも思う。
「実際使用人……というか、侍女が高熱を出し倒れましたし」
「え? 大丈夫なんでしょうか?」
「今は一応快復はしております。ぶり返さないとも限らないので、あまり無理はしないで、とも言っているんですが……」
笑いながら僕は言う。それは本当だ。しかし、サロメはサロメでルルへの失点を取り返そうと今頑張っている感じだしあまり止められないけれど。
「なので、やはりあまり出歩いたり人に会うことは薬師の立場からも薦められません。何しろそういった病を防ぐ環境が王城へ存在しないようなので。そういった環境整備などは整っているのでしょうか?」
勇者へと目配せし、後半はマアムに問いかける。
サロメの話が混じったのでわかりづらくなってしまっているが、彼女とて、事情は把握しているだろう。そして、彼女ならば薄々納得するはずだ。ルルが外へ出なくなった原因、そしてその対処をしなければいけないのが誰か、ということを。
「マスクとか……?」
「申し訳ありませんが、ミルラ様もそのために方策を練っておられるようです。なので、まだ……と」
本当に感染防止策を口にした勇者に被せるよう、マアムが応える。なるほど。本当に、まだ、らしい。
「では、ミルラ様の許可が出たら、ということですね。勇者様からもせっついてみてはいかがでしょうか」
「ミルラさんにもですか……」
「ええ」
正直、僕もルルが望まない限り、外を出歩くのは現状反対だ。せっかくまだまだ火種の段階で凍結出来た嫌がらせの種。ここで解凍するのは望ましくないだろう。
「と、口が過ぎましたね。どうか私がそんなことを口にしたとは、ミルラ様にはご内密にお願いします」
「はあ……」
そしてさすがに、一国の王女の行動に僕が口を出すのも当然問題だ。まあ言われても構わないこととはいえ、さすがにその辺りは口止めしておかなければ。
話は終わらないのだろうか。さすがにその話題は少し嫌だし、こちらで解決出来ることは何もない。何かあるとすれば、僕の実力行使による排除だけだ。血を伴う解決策、誰も望まないもの。
そして一つ見つけた。話を終わらせられるようなもの。
「……テレーズ様の訓練に、遅れるのでは?」
「!! そういえばそうでした!」
不出来には寛容だが、怠慢や怠惰には厳しいであろう彼女。おそらく遅刻にもそうだろう。遅れれば勇者相手でも容赦なく叱責が飛ぶだろうとも思う。
テレーズのところへ行く前に、あわよくばルルと会えないかと考えて歩いてきたのだと思う。けれども残念ながら、それは出来ない。
「カラス殿」
いかなくちゃ、と慌てる勇者を追わず、マアムが僕の名前を呼ぶ。勇者もそれに目を留めて、急ぐ足のまま立ち止まり、上半身だけ振り返った。
「今後、ザブロック様にも貴方様にも、ミルラ様からいくつか命令が出ると思います。ご協力をお願いします」
「……もちろん、王家の方々には私などひれ伏すばかりで」
はいともいいえとも言わずに、僕は適当に濁す。ミルラからの命令、ならば地位の上では従わざるを得ないが。
「その御身の程をご存じの態度は、私個人的にとても好ましく思っております」
「それはどうも」
白々しい笑み。僕でもわかる、嘘というか当てつけの言葉。意味もわからない難しい挨拶をした、というような受け取りでもしたのだろう勇者は、何も反応しなかったが。
僕は急ぐ勇者を見送り、ルルの部屋へと帰途へつく。
朝ご飯を食べるだけでこの騒動だ。本当に、面倒な城だ。
次回からちょっとずつちゃんと進めたい