近くて見えぬは
展開について感想欄でいくつか嘘ついてる気がする
「申し訳ありませんでした!! 完全復活致しましたので、もう、全て! 心配はございません!!!」
食事会の次の日の朝。
ルルを起こす前に、僕と鉢合わせになったサロメは、前までと全く変わらない完全に『仕上げた』仕事姿で僕に勢いよく頭を下げた。
彼女の寝ていた客間の方からゴソゴソと音がしていたが、全て準備の音だったか。
「いえ、そんな頭を下げられても……」
ずっと頭を上げずにそのままの姿勢で固まっているサロメ。もちろんそんなもの要らないし、そもそもルルの朝の準備もあるので僕にそんな時間を取るわけにもいかないだろうに。
僕が困った一瞬の後、サロメは今度は勢いよく頭を上げる。そして食ってかかるように、僕の両腕の辺りの服を掴んだ。
「あの! お嬢様は!! 何かおっしゃってはございませんでしたでしょうか!!?」
「何かというのは……」
「ご迷惑をおかけした私の不徳の致すところでご気分をどれだけ害しておられたのでしょうか!!?」
聞き返した僕に、一息でそうサロメが叫ぶように言う。この大声でルルも目を覚ましてしまいそうなものだけれども。
「……いえ、そこまでは……」
「ああ! もう!! 昨日は考えが至らずなんとなく済ましてございましたが!! 私は、私はなんということを……!?」
演技がかっても見えるが、多分素なのだろう。しゃがみ込むようにしてサロメが頭を抱える。
「……お嬢様に看病させて、食事を作らせ皿洗いまでも……、お詫びの……お詫びのしようもない……」
「ルル様からすればよい気分転換だったそうなので、そこまで気にすることはないと思いますけど」
僕は一応本当のことを言う。昨日ルルが言っていたことの全てを伝えることも出来ないだろうが、それでもニュアンスだけは。
しかしまあ、元気になったようでよかった。
僕の取りなしに、しゃがみ込むようにしながら、上目遣いにサロメが呟く。
「……そうなのでしょうか……?」
「ええ」
サロメがよろよろと立ち上がる。だがその表情はまだ優れず、これは信じていないだろう、と僕が察せられるほどに薄ら笑いにじとっとした目をしていた。
そして横目でこちらを向いて、肩を寄せてくる。
「…………本当のところは?」
「本当ですよ」
「………………甘い言葉が信用出来ない……」
また、サロメが崩れ落ちる。今度は床にへたり込み、スカートの裾が床に広がり肘まで床につけていた。
……そこまで心配することはないだろうに。仮に迷惑だと思ったとしても、ルルはそこまで苦言を呈する女性ではないと思う。多分。
それでもこれでは埒があかない。一応彼女にも、朝のルルの準備という大事な仕事があるのだ。人前に出ないから適当な衣装でも、ということも出来ないだろうし、それを遅らせるわけにもいかないだろう。
仕方ない。僕は昨日自分が受けた動作を思い出す。あそこまで力強くは出来ないけれども。
「とりあえず、立ち上がりましょう」
手を差し伸べれば、力なくサロメがそれを見返す。そしておずおずとその手を取ったのに合わせて、野盗相手に少しだけ練習した掴み投げの要領でサロメを立たせる。
怪我をさせたいわけでもないし丁寧にやったが、どこかに痛みが走ったりしていないことを祈る。テレーズのように引っ張ることは僕には難しい。
「……申し訳ございません」
「ルル様は気分を害していないのは私も知っていますし、仮にそうでも仕事をきちんとしていれば取り返せる方なのは私以上にご存じでしょう?」
「そう……でございましょうか……」
「ここで遅れるほうが、気分を害することになりそうですけど。『いつもの時間に起きたけど誰も来ない!』なんて」
もちろん本気でそれで怒るとも思えない。そうなったら、多分ルルは自分で身支度して出てくるだろうが。だが、病気の看病と仕事の遅れ。仮にルルが気分を害するならどちらか、といえば僕は後者だと思う。
そもそもサロメがまだ仕事を出来る体調だとも思っていないかもしれない。昨日はルルは自分で身支度したが、全く違和感などない出来映えだったし、そもそも放っておけば自分でやって出てくるだろう。
そうだ。
自分の思考の中から、一応の確認が抜けていたことを思い出す。サロメにかけるべき言葉も忘れていたと思う。
「そういえば、お加減はいかがでしょう。完全復活、と仰いましたが、何か目眩や熱など残っては?」
「いえ、そ、それはまったく!」
「私も気づかないで申し訳ありません。まず、サロメさんの体調を心配するべきでした」
ハハ、と笑う。自分の失敗が可笑しくて。
一応見た限りでは、顔色もよく声も元に戻っている。謝罪のため、ということを置いておいても、疲労が抜けたからか声は前よりも力強いくらいだ。
「病み上がりなので、少々の失敗などルル様も勘定に入れないでしょう。いつも通りにいけば、きっと大丈夫ですよ」
「……そうでございますよね……いってまいります……」
ペコ、と頭を下げたサロメはまだ元気はないようだが、これは精神的なものだろう。銀色のカートを押してルルの寝室へと向かう足取りは少し重たそうで、飲み込んだ唾が大きく固そうに感じた。
ノックの後に、声をかけてからルルの部屋にサロメが滑り込む。
「この度は!! 大っ変っ!! 申し訳ございませんでしたっ!!!」
そこそこの挨拶の後に、僕に向けたような謝罪の声と仕草の衣擦れが、扉の向こう側から響いてきた。
ルルたちの朝食の時間が終わり、そしてオトフシが僕と交代のために部屋に入ってくる。
「……ということで、申し訳ありませんがご協力をお願いしたいのですが……」
ちょうど、関わりそうなみんなが揃った。早速ということで僕は昨日聞いた状況を説明する。
本来ルル以外は立っていなければならないだろうに、もう全員が低い机の前の椅子に座ってしまうのはこの部屋の特徴と言っても多分いいのだろう。
紅茶を淹れたのはもちろんサロメ。僕が淹れることも出来ないわけではないが、そもそもの担当の彼女は『私がやります!』と牽制するようにして宣言していた。
説明したのは、昨日僕がクロードに聞いたことのほとんど。
カノン・ドルバックに迷惑がかかるかもしれない。僕の短慮が招いた結果、とも言いたくないしそもそも言い難いが、それでも僕の行動から起きた一連の事態。
よろしいでしょうか、と尋ねきるまえに、話を聞いたルルもサロメも頷いてくれる。
「わかりました。私の名前を貸す程度どうということはありません」
「ええ。お手を煩わせることはないと思います。少し材料などを集めるために出たりしますが、それもオトフシの担当時間に行いますので特に変化はないかと」
「……言ってもらえましたら、揃えて参りますけれど」
僕の説明に、サロメがそう申し出る。そこまでしてもらうわけにはいかないし、そもそもいくつかの生薬は街でも手に入らないものだ。
「いいえ。森にも入らなければならないので、私でなければ」
「そうなのですか」
もちろん、入らなければならないわけではない。入る森はネルグでもない安全な森だし、探索者などを使えば手に入らないこともないものばかりだ。
だが、時間がかかるので使いたくないし品質も心許ない。人に渡すのだ。使うか使わないかなどわからないし、僕が渡したものを積極的に使うとも思えないが品質はちゃんとしておきたい。
「……でも」
紅茶のカップを置いて、ルルが首を傾げる。
「軟膏だけなんですか? 皆様には、他にも色々と助けを求められていたのでは……」
「渡す対象が違いますから。……ミルラ様の仰っていた方々とは」
「…………なるほど」
ルルが納得いかないような顔をして、それでも納得したように頷く。
正直これはただ僕の意地が悪いだけだ。ミルラ王女の思惑には乗りたくない、というだけの。
「今回私がしたいのは、ルル様のご友人への心付けです。カノン様から相談を受け力にならせていただきましたが、それをルル様のご友人へも同時に行いたい、というだけの」
ミルラ王女は、僕に『使用人たちへの福利厚生』をさせようとした。それを以て、使用人から自分への人気をあげたいと。そしてもし僕がそれを断れば、僕を排除する口実にしようと。
出来れば、僕はその口実だけをなくしたい。もちろんザブロック家の体面やミルラ王女の心証を考えれば、使用人たちへの薬を作ることが一番だとも思うけれども。
「素直に従っておけばいいものを……」
オトフシが溜息を吐きながら苦言を呈す。言いたいことはわかる。
「仮に何かしらの策を弄さず、ただの人気取りのために本人に依頼されたのならば少しは考えたと思いますが」
素直にしていないのは向こうも同じ。まあもちろん、僕が一方的に素直に従っておくべきなのだろうとも知っているけれど。
知っているのと出来るのとは違う。
「それともちろん、ルル様のご友人が他に何か困っていれば、ルル様からの友誼として、軟膏以外も協力させていただきますけれども」
その辺りの融通は利かせよう。
「何かご存じでしたら先に用意しますが……?」
「いえ、先に話を聞いた方がよろしいかと」
「……そうですね」
力なくルルが首を振る。それもそうだ。勝手に配る軟膏程度ならまだしも、それぞれの事情を勘ぐった贈り物というのも少し出しゃばりすぎというものか。
「では、ご説明も兼ねて、私が、私が話をして参ります!!」
「お願いします、サロメ」
元気よくサロメが申し出るが、これはあれだろう、罪滅ぼしのようなつもりだろう。
まあ別にその辺り、邪魔する気はないしそういう話自体任せられるのは心強い。
心強い、……のだけれども、ちょっと待った。
「あまり大勢を巻き込むようなことはしないでください」
「心得ております。その辺り、失敗は……」
彼女には前例があるのだ。いや、悪気がなかったのはわかってるし、そもそも僕の側の問題もあったのだし、言わずともいいことかもしれないけれども。
「……出来るだけ、お嬢様の友人に限るようにとも、お願いして参ります……」
「事情を伝えれば向こうもその辺り考慮していただけるでしょうから、その点については心配しなくてもよろしいかと」
オトフシが優雅に紅茶を含む。仕事が増えない彼女は暢気なものだ。別に責められることでもないが。
僕とサロメは向かい合い、頷き合う。
「ラルミナ家には不要です。今日の午後ジグ殿が稽古をつける際、勝手にこちらで用意して持っていきますので」
「では、他には……?」
サロメがルルの方を向く。そうだ。『ルルの友人』の範囲は、『ルルの考える友人』でなければならない。
ルルは少しだけ悩むようにして紅茶の水面を眺めて、ぽつぽつと呟く。
「では、まずヴィーンハート家、それに今回協力いただけるということでクロックス家とポッター家。それと、……ドルバック家に、クレルモン家、……あとは、……」
悩むように一つずつ挙げていく。だが、その数は少ない。
他にもいくつか挙げて、言葉に詰まり、声に出さずにルルは口だけ動かす。
「……。友人といわれると難しいです」
「今回のこれは、家同士の付き合いでもなければ公的な事業でもない。ルル様が、友人だと思っても問題ない人間だけで構わないでしょう」
言葉に詰まったルルへ向けて、オトフシが返す。ただし視線は机を向いたままで、何かしらを楽しむように。
「…………では」
オトフシの言葉を受けたルルが、サロメとついでに僕を見て目を細める。
「では、今のところその方々だけで、お願いします」
「いくつか減らした方がカラスの労力も減りますが?」
そしてまたからかうようにオトフシが口を開く。やはり何か楽しんでいる。
オトフシの言葉を受けて、ルルが力なく首を横に振る。
「いいえ、ひとまずはその家で、お願いします」
そしてまたサロメに同じ言葉を繰り返した。