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 ずしりと僕の背中に重みがかかる。眠った人間とは、大した重量でもないのにどうしてこう重たく感じるのだろうか。片手で持ち上がる重さなのに、どうもおかしいと毎回思う。


「ああ、食った食った。飲んだ飲んだ」

「ごちそうさまでした」

 先を歩くクロードに向けて、僕は軽く投げかけるように言葉をかける。本来これもやってはいけないことなのだろうが、クロードの威厳がないのか、そんな気がしない。


 飲み会も終わり、僕らは王城へと戻るべく往来を歩いていた。

 もちろん二人だけではない。僕はジグを、クロードはテレーズをそれぞれ背負い、まるで雪中行軍でもするかのような重い足取りで進んでいく。

 背後というか、耳元で寝息と時たま寝言が響く。そんなだらしのない仕草に、歳はおそらく四十は軽く超えているであろうジグが、初めて年齢相応に見えた気がした。


「カラス殿と差し飲みになるとは思いもよらなかったな」

 クロードが、明後日の方向を向きながらハハハと笑う。

「いつもは大人数で来るんですか?」

「街に来たときはそうなる。大抵どこかの食堂を貸し切りにして、部下たちの慰労会としてやるんだが」

「街に来ないときは?」

「あの職場で一番偉い奴と差し飲みだ。嫌んなるぞ、あれは」


 ハハハ、と先ほどと変わらないはずの笑い声に、疲れた溜息が混じった気がする。

 一番偉い奴。第一聖騎士団長……だろうか。

「そんなに豪快な方だったり?」

「……んー、まあ、豪快と言えば豪快だろうか」

 クロードが立ち止まり、振り返り少しだけ小声になる。繁華街の喧噪の中、他の人間には聞こえないような声で。

「何せ、一国の差配が出来る方だからな」

「上の方でしたか」

 なるほど、と僕は目を瞑り頷く。そっちだったか。聖騎士の中で一番ではなく、この国で一番の。


 僕は止まらず歩き続けるが、クロードはそこに並ぶのを待ってからゆっくりと歩き出す。

 歩調を合わせて、ずり落ちかけたテレーズを一度かつぎ直していた。


「最近は娘御のことでよく飲みに呼び出されるよ。『育て方を間違ったのか』ってな」

「あまり人には聞かせられない話だと思いますが」

「だから名前は出してないだろう? それに俺は酔っている。マズいと思ったら、酔っ払いの戯言とでも思っとけ」

 突然何を言っているのだろう。この国のスキャンダルになり得ることを、赤ら顔で簡単に。

 というか、クロードもそういった愚痴を聞かされるほど近しい間柄だったのか。ならば、もっと偉ぶってもよさそうなものだとも思ってしまうのは、僕の偏見だろう。


 そして、せっかく話してくれたのだ。どうせなら詳しく聞こう。

 街中でも問題にならないような、そういう話し方ならば問題ないだろうし。……その辺、上手くやれないから困るのだけれども。

 まあいいや。

「……しかし、その娘殿、そんなにまずい動きをしてはいないと思いますが?」

「動いていること自体が親父殿の悩みなんだよ」

 

 クロードの背でテレーズが何事か寝言を呟く。

 よく聞こえなかったが、何かを食べた感想のような気がする。

 クロードはそれを聞き、わずかに頬を緩めた。


「親父殿には息子もいるが、娘御が三人いてな。今現在、下の二人は嫁に出ている」

「はあ」

 めでたいことだ、とでも返せばいいのだろうか。いやまあ、既に終わったことであるし、ミルラ王女の妹に興味も無いけれども。

「件の一番上の姉にも何度も縁談が持ち上がったんだが、その度にいくつかのやむを得ぬ事情で破談になっていた。相手が夭折したり、情勢が変わり、家格が見合わぬほど落ちぶれたり。他にもいくつも、まだ話が進む前に断られたりも……相手が『真実の愛を見つけた』などと叫んで出奔した例もあったな」

「何ですか、それ」

「俺もよく知らん。親父殿の従兄弟の家の次男坊……たしか、死んだことになっていると思ったが。七年か八年くらい前かな。まだまだ婚約も内定、といったところだったので公表もされていない」

「何を考えていたんでしょうね」

「真実の愛を見つけたんだろ?」

 くくく、とクロードが嘲笑う。いや、たしかに本人はそう言っていたそうだけれども。

「まあ、ともかくとして、そんな風にいくつもの縁談が破談になってしまった娘御は、今かなり焦っているらしい。そして、その境遇と勘違いから、一つのものを憎んでいる」

「何を?」

 結婚? それとも強権も振るえず思い通りにならない地位だろうか。

「顔だよ。自分の顔。妹たちと比べてやや劣ったその顔が、全ての元凶だと。全ての破談はそのせいだと、どこの時点からかは知らんが思い込みはじめ、それで最後のが決定打になった」

「……あー」


 なるほど。

 破談が続き、そして最後の婚約者は自分以外の誰かを好きになって家まで飛び出した。

 途中までは不可抗力だったらしいのでまあそうは思わないのだろうが、最後のは決定的だろう。

 本来破談にはならないであろう関係。それが、自分以外の誰かを相手が選び、破綻した。そこまでは聞いていないし知らないけれども、その浮気相手が傍目にも美人ならば。

 まあでも。

「そんなに不細工でもないと思いますけどね」

 僕はミルラの顔を思い浮かべる。むしろ充分美人の部類だ。上手いたとえが浮かばないが、仮に食堂などに入ってきたら、誰もが一度は振り返る程度、といったところだろうか。


 クロードも苦笑し否定はしない。

「勘違いだが根は深い。だから、……それからは、もう逆に旦那捜しをするなと親父殿に具申するほどだ。それで今回のあの『異邦人』の接遇で功を挙げて……」

 だが、言葉に詰まったように目を泳がせる。

「挙げて、どうしようと」

「足がかりに、いつかは親父殿と同じ道を歩もうと、そうしているらしい」

「…………」


 僕は絶句し、クロードも黙る。

 周りは騒がしいはずなのに、お互いの足音が響いている気がする。


「……歩めそうなんですか?」

「まあ無理だろうと親父殿は思っているよ。古今この国では、親父殿と同じ職に就いた女性はいない。仮に親父殿が認めようとも、その下の三つの偉い奴らが認めんさ」

「…………本来継ぐべき方は」

「西方の副都で辣腕を発揮している。考えるまでもなく、あの方で決まりだろう。仮にあの方がお隠れになっても、もう二人下にいる」

「絶望的じゃないですか」

 次王とも呼べる者が既にいて、その王子が身罷ってもまだ保険がいる。

 この国最初の女王になりたいというその願望は否定しないが、中々難しくはないだろうか。


「本音を言えば、別にそうなれずともいいのだろう。爵位を得て、どこかの地にでも封ずられれば目的は果たせる。そうでなくとも、結婚せずに、冷や飯食いとさえいわれなければ」

 夜風で顔を冷やすように、クロードが少しだけ空を見上げる。街の松明の明かりでもかき消せない強い光が、いくつか空には浮かんでいた。

「……だから、躍起になっている。幼い日から、『そうなると定められた者』は親の姿を見て学ぶ『それ』を、受けてはいないのに」

「少し迷惑なんですけどね」


 定められた者が学ぶ『それ』。

 抽象的な言い方だが、帝王学とでもいえばいいのだろうか。政治に携わる王の姿を見て、そして三公からも教育されるであろうもの。

 王子は学んだ帝王学。クロードの言い方では、それをミルラは受けていない、ということだろう。

 もちろんきっとミルラにも、その代わりに学んでいることも何かあるのだろう。だが王子が学びミルラが学んでいないその項目は、人の上に立つために重要な何かなのだろうと思う。



「こんな話をしたのは……」

 クロードが視線を前に戻し、こちらを見ずに話を続ける。その後頭部の辺りでは、未だにテレーズが幸せそうな顔で眠っていた。

「こんな話をしたのは、すまんが仕事に関わる話だからだ。なにぶん、お前に関わることだったからな」

「…………」

「お前の雇い主の前では中々出来ない話……といっても、お前は包み隠さず報告するんだろうが、……」

「隠し事は出来ませんからね」

 クロードが言い淀むが、僕は肯定する。

 包み隠さないわけではない。正確には、嘘がつけないのだ。それも僕の忠誠心というかそういうものからではなく、ルルの特技的に。

「……出来るだけ、穏当な表現にしてくれると助かる。俺にも立場があるんでな」

「場合によりますけれど、何です?」

「その娘御は、お前の排除まで考えだしている。『異邦人』とお前の主をくっつける障害になるとして」

「…………」


 僕は眉を顰める。

 ミルラ王女はルルと勇者を結婚、もしくはせめて婚約までさせたい。

 それはわかる。けれどもそれに関して、僕は何も邪魔な存在ではないだろう。


「多分話があったと思う。使用人たちに対して、薬を作ることを依頼されなかったか?」

「……されましたね。お断りしましたけれども」

「それはル……お前の主を通したか?」

「いいえ。その場で」


 クロードが溜息をつく。言葉に出さないが、『だよな』と表情が言った気がする。

「だからまずいんだ。今回はそれがまずい」

「何故でしょう」

 僕が聞き返すと、クロードがそれとなく周囲を見る。千鳥足の通行人はそこそこいるが、聞き耳を立てている人物もおらず、こちらを誰も気にしていない。それを確認し、僕へと小声で口を開いた。

「カノン・ドルバックとの扱いの差だ」


 カノン。僕が薬を処方した女性。それがなにか……ああ。

 何となく嫌な気持ちになりながらも、僕はクロードの言葉の続きを待つ。

「その次、お前は次に一人断っている。そしてそれがお前の意思であることも双方に確認済。今回のも」

 つまり、カノン以外の人間は僕の意思で断ってしまっている、ということ。なるほど、ならばまあ起こるかもしれない問題はあるかもしれない。

 けれどその言葉は予想済み。ならば、僕にも言い分がある。

「それこそ……我が家の家同士の関わりを重視したものですけれども」

「だが、お前がカノン・ドルバックに特別な感情を抱いている、という話にした方が面白い」

「面白いって」


 だが僕の言い分は、『面白さ』の前にかき消える。

 面白い……なるほど、『面白い』なのか。感心するように、全く感心出来ない溜息をつく。

 それに多分、僕の予想では『腹いせ』もあるのではないだろうかと思ったけれども。


「今日俺がここに来るのに遅れた理由の一つがそれなんだよ。娘御の使用人がそんな話をしていると小耳に挟んだ団員がいてな。事実確認をして、その娘御に諫言を、と」

「それは……お疲れ様です」

「ねぎらいの言葉などいらん。それよりも、お前の話だからな」


 クロードが僕に不満げな顔を見せる。クロードよりも、噂の中心の僕の方が不満になるはずだが。

「事実無根なのはわかっている。それに、仮にお前が何かしらの働きかけを件の令嬢に行っていれば、そんな噂程度の話では済まない。その場で寝台に招き入れることも出来るだろう、お前なら」

「出来るわけがないでしょう」

「嘘つくなってこの色男めが」

 てい、とクロードが僕の膝の辺りを足で小突こうとする。それを避けると、背中のジグが「ぅで」と意味の無い一声を発した。

 そして、蹴りが避けられたのが何となく恥ずかしいのか、バツが悪そうにクロードが咳払いをする。

「ともかく、そんなことはないだろうと思う。……だが、ドルバック卿はそうは思わないかもしれない」

「……娘を傷物にされた、とでも」

 それこそ妄想ともいうべきものだと思うけれども。仮にその噂が真実だとしても、僕はカノンに思慕しているだけで、彼女をどうこうしてはいない。

 否定のためだろう。クロードも真面目な顔で頷く。

「言わんだろう。そんなことを言ってしまえば、事実無根の噂に信憑性が出てしまう。だが、そう言わずともお前の排除は簡単だ。使用人の身で、他家の令嬢に手を出そうとしているお前ならば、治安維持の目的のままに娘御は退城を命じることが出来るからな」

「噂が広まった時点で僕は退城ですか」

「一応まだ、……ほとんど話は広まっていない」

 クロードの答えになっていない答えを聞いて、僕は鼻を鳴らす。


 もしや、アネットたちの間では既に楽しげに語られているのだろうか。

 いや、そうなっていない理由がない。

 なにせわざわざアネットたちにアンケートまで採らせて、そしてそれを僕に断らせた。おそらくアネットたちが不愉快になるところまで計算に入れて。仮にミルラ一派がその噂を流そうとせずとも、自然発生する類いのものだと思う。

 その上、僕が引き受けたら自分の人気取りになるというのもきっと本当だったのだろう。

 どちらに転んでも自分の思い通りになる策。僕がやるならいいけれど、人にやられると本当に煩わしい。


「まあ……させないほうがいいと俺は思うけどな。お前の主の心証は間違いなく損なうだろうし、ドルバック家からは王城……どうせ最後には俺たちに責任の追及がある」

 クロードが、何度目かもわからない溜息をつく。

「しかしそれが、あの娘御が……幼い日から、北風の使い方しか学んでこなかったあの娘御の精一杯の考えだ。時には太陽が必要だろうに」

「くっだらない」


 そういった習慣があれば道に唾でも吐いていただろう。だが一応そうせずに、僕は心の中だけで唾を吐く。

 言葉を口にしながら、何となくその言葉を使ったレイトンの顔が浮かんできた。

 クロードの顔から笑みが消え、引き締まる。何となく驚いているようにも見えた。

 そんなクロードの様子を気にせず、僕は紡げるままに言葉を紡ぐ。


「そもそも僕を排除して何になるんでしょう。そしてそれで、ルル様が勇者に靡くとでも?」


 僕を追い出すというのは筋違いだ。彼女のしていることは、単に攻撃しやすいところを選んで攻撃しているというだけの。

 結局のところ、イラインの住民や官憲と同じ。この国の人間の考えそうなことだ。


「それよりもまず、今は部屋に閉じこもっている原因となっている方々をどうにかするのが先決でしょうに」


 それにむしろやはり、まず追い出すべきはルルの悪評を立てようとした令嬢たちだ。ミルラが石を投げるべきは、彼女たちだろう。

 勇者とルルを近付けたければ、それからゆっくりと何かを画策すればいい。……いやまあ、戦争がある以上ゆっくりとも出来ないのだろうが。


「……警備担当者殿は、どういうお考えでしょうか?」

 僕が言うと、一瞬引き締まっていたクロードの顔が再び緩む。まるで汗まで垂れそうなほど、怯えているかのような演技のままに眉を下げて。

「いや、その件に関しては本当にその、言い分がないのだが」

「ルル様が実際に被害に遭わなければ何も出来ませんか。こちらが痛い目を見なければ」


 なんとなく饒舌になってきた気がするが、嫌みだけで何とか言葉を止める。

 僕が酔っていれば、ここでその令嬢たちに『予期せぬ禍い』が起きる可能性を口にしたかもしれない。

 正気でよかった。今僕が正気かどうかは、ちょっとわからないけれども。


 まあいい。それよりも、今後の話だ。

「それで、私が出ていくとしたらいつまでにという話です?」

「わからん。ドルバック卿の耳に噂が届いたときだろうが、使用人たちの間だけの噂ではまだまだ足りん。……待て? なんとなくお前が考えてることがわかるんだが?」

 クロードの眉が顰められる。いやまあ、わかるように言ったんだけど。

 しかし、なんとも曖昧な期限だ。またアネットとも話すべきだろうか。

「では……それまでにルル様を促し、城を退去すればいいんですね?」

「それ前にもやめてっていってんじゃん」

「状況が変わりましたし」

「やめて! どうにも出来てないから何も言えないけどやめて!!」


 まるで駄々っ子のようにクロードが叫ぶ。さすがにその声に、幾人かの通行人の注意がこちらを向く。

 しかしクロードを見るとただの酔っ払いだとでも思ったのか、それはすぐに薄れていった。


「やはり、黙っていることは出来ないでしょう。使用人が起こした不始末、それはルル様にも迷惑になりますし」

 ザブロック家よりも下の男爵家。強くは言えないまでも、抗議はするだろう。立場の弱い男爵家にとって、娘のスキャンダルはたとえ疑いでも好ましくはないものだろう。

 仮にカノンが父親に何とか取りなしたところで、噂が広まった時点で当事者の声はまったく無視されるだろうし。

「他家も巻き込むことです。ルル様も、ルル様の裁量だけでどうにか出来るものでもない」

「だが、お前の段階で止めることは出来る」

「…………?」


 僕はクロードの言葉に足を止める。

 クロードもそれに合わせて足を止め、振り返り僕と目を合わせた。




 ちょうど近くにあった噴水の広場。

 僕たちはそこに入っていく。

 少し休みたいとクロードが言ったが、まあ嘘だろう。休みたいならそれこそ城に早く戻ればいいし、そもそもこのくらいのものを担いだくらいでお互い疲れることはない。


 その広場にあった小さな椅子に二人を寝かせて、僕とクロードは別の長椅子に一人分を空けて並んで座る。

 それから少しの間を空けて、クロードはまた話の続きのために口を開いた。


「……使用人たちの薬、作ってやってはくれまいか。要はカノン・ドルバックを特別扱いしなければいいんだ。そうすれば、娘御による使用人たちへのご機嫌取り、というだけの行事で終わる」

 なるほど。先ほどの話の続き。

 ミルラ王女の策略で、ルルとカノンに迷惑をかけないための話。『僕で止める』という言葉の真意。

 要は、カノンを特別扱いするからいけない。特別扱いしないよう、多くの人間にある程度気遣いを見せろというわけだ。

 だが、それはしたくない。

「私にとっては何も変わらないじゃないですか。ただ小市民の私だけが負担を背負い、彼女を含めた誰かたちだけがいい目を見る。変わらない、何も変わらない」


 ミルラ王女は人気とりが出来て、クロードはドルバック男爵に抗議されずに済む。薬をもらった使用人たちはそれぞれ困りごとが解決する。

 ……では、僕は?


 ミルラからの謝礼がある。

 だが、別に僕は金銭などへ興味はない。よしんばその報酬が僕の利益としても、ミルラ王女への協力というやや業腹のことを差し引けば、どちらかというとマイナスだ。

 

 もちろん、その協力をしなかった場合のデメリットも考えれば、きっと頷くべき話だ。

 協力しなければ、僕は城を追い出される。ザブロック家にも何かの追及があるかもしれないが、それはさすがにミルラ王女が庇うだろう。ねつ造される予定のドルバック家の醜聞も含めて、全ては僕の責任になる……というのは悲観的すぎるかもしれないが、それでもあまり間違ってはいないだろう。


 きっと僕にもっと立場があれば何とかなったのだろう。

 今度は爵位でも目指してみるか。

 ……無駄だろう。血筋が血筋で、きっとどれだけ功績を挙げようとも難しいし、得られたとしても騎士爵程度のものだろう。

 そして得られたとしても、きっとそれは僕を見る誰かを刺激してしまう。そしてまた、石を投げつけられるのだ。


 現時点では、全ては僕の悲観的な被害妄想。それはそうだと思うし、やめなければ、とも思う。

 しかし、やはり、思う。

 全部ぶちこわしてやりたい。


 僕は戯れるように指先に火を灯す。そしてそれを浮かべると、思い通りになるその炎の色は赤から青に変わって消えた。

「北の国で、何年か前に革命というものが起きたそうですね。一般庶民が、貴族や王族を打倒して、王の位に就いたとか」

 レヴィンが起こしたもの。先王が暗愚だった、賢明だった、様々な評価を聞いたが、事実を知らない僕は実際にはどうとも言えないけれども。

「リドニックだな」

「きっと、こういう小市民へのいじめから、全ては始まったと思いますよ」


 ただ奪われ我慢するだけだ。先ほどのクロードの言を引用すれば、ミルラ王女の行動は、北風はあっても太陽はない。リドニックですら、小さくなった太陽を限りなく狭い範囲に絞った、という程度だったというのに。


「本来光栄なことなんだぞ? 王族からの依頼ってのは」

 たしかに、この国で生まれ育ち、この国が好きで暮らしている人間ならばそう思うのかもしれない。それだけが報酬で、金銭などいらないという者すらもいるかもしれない。

 だが僕は違う。

「私はそうは思えませんし、私が依頼されていることをおおっぴらにやれば、聖教会が睨み付けてきますけどね」

 先代勇者に付き従った聖女。彼女の影響で聖教会の権威が高まるにつれ、競合する薬師は聖教会に敵視され、ついには一人を除きこの国を去った。つくづく、僕とはあわない国だ。


「……そんな難しいことじゃない。困っている人を助けてやってくれって話だ」

「困っている私は誰が助けてくれるんでしょうか?」


 何となく楽しくなってきて、そしてその感情に心のどこかでブレーキがかかる。

 そのブレーキを大きくするように、ジグを背負い直しながら大きく息を吸った。


 やめよう。

 よく考えたら、これも先ほど僕自身が口にした言葉と一緒だ。

 画策したミルラを責めるべきであって、クロードを責めるべきではない。


 これ以上クロードへの難癖をつけるのはやめよう。僕がそう言葉の代わりに息を吐き出すと、クロードもまた苦笑した。

「なかなか頑迷だな」

「状況が変わっていませんので」

「それに、どうにも権力が嫌いらしい。リドニックの革命は、そんなに魅力的だったか?」

「…………」


 話題の突然の転換、でもないのだろう。

 多分話の流れには関係のあること。責めるようでもなく、ただの世間話のようにクロードは僕に尋ねてきた。

 しかし、どう応えよう。先ほどのような一般論ではなく、僕の話ならば。仮に、国家への反意、というものをこの男が感じ取れば。

 まあいいけど。


「起きても仕方ないんじゃないでしょうか。革命家ヴォロディア・スメルティンのような人間が、この国にいないとも限らない。ならば無論、この国でも起きないとは限らない」

 もっともあの成功はおそらく、レヴィンとマリーヤの参加が大きな要因だ。その二人のような人物もセットで登場しなければ革新的な動きは起こらないだろう。この国の国民性的にも。

「やはり、そう願っているとも聞こえるな」

「そんな大きな変化ではありませんが、願っていましたよ。いつか大きく変わってくれるんじゃないかと」

 革命が起きてほしいというわけではない。そんなに直接的な考えがあったわけでもなく、期限を切っていたほどでもない。

 ただ僕もきっと、何かを願って生きてきた。そして違って、落胆した。


「それで、権力も嫌い。で、だからミルラ王女に従うのはお断り、とそんな考えがある」

「否定はしません」

 僕が言いきると、クロードは鼻息を長く吐く。仕方ないな、と眉を寄せて。

「過去に何かがあった。おそらくそういうことなのだろうが、それもちょっと考え方を変えてみないか?」

「何を変えろと」


「ミルラ王女のためではない。先ほども言ったとおり、難しく考えないでくれ」


 クロードが、横に寝かせられているテレーズを見る。その手足は投げ出されていて、そのちょうど自分の手の横にあったテレーズの腕を掴んでその先にあった手に視線を移した。

「テレーズとも飲んだろう。こいつのことが嫌いになったか?」

「……いいえ?」

 迷惑だとは思ったが、嫌うようなことではない。迷惑だとは思ったが。

「では、俺から頼もう。こいつはよく、手の皮のことを気にしていてな。口では気にしていないと言っていたが、分厚く荒れた手はやはり女性として気になるらしい」

「…………」

 たしかに、と僕は思う。

 最初にした握手。その僕の手の感触を気にしたあの言葉や仕草は、自身が気にしていなければ中々出ないものだろう。それに、飲み会の最中に発していた話題にもそれは現れていたと思う。

 だが。

「こいつの肌を綺麗にしてやること、出来んか?」

「本人の協力がなければ難しいですね」


 出来る出来ないでいえば出来るだろう。治療師でも出来ることだが、無論僕にも。

 仮に薬を使うならば、軟膏と飲み薬をいくつか処方すれば、二十日かからず染み一つない肌を作ることが出来るだろう。

 だがそれは、本人がその薬を迷いなく服用すればだ。

 

 それに。

「本人が望んでいないのに、こちらから言い出せばただの嫌みだと思いますけれども」

「ぐうの音も出ん」

 ハハハ、と誤魔化すようにクロードが笑う。しかしそうだろう。血が滲むような怪我や病気ならばまだしも、綺麗だろうと汚かろうと死ぬわけでも困るわけでもない肌の健康に関して、望まれていないのに余人が口を出すのは失礼だ。

 一応もう一つ牽制しておこうか。

「もちろん、多分、本人に僕に言うよう促しても失礼だと思いますけど」

「……駄目か?」

「駄目ですよ」

 牽制のために口にした僕の言葉に対するクロードの表情。よかった、言っておいて。

 多分それは僕にすらわかる禁句というやつだろうと思う。


 ゴホンとクロードが咳払いをして、身を捻りテレーズの腕を今度は椅子の下にだらりと落とす。

 ついでに彼女の涎が椅子に落ちたのは見てみないふりをしておいた。


「だがまあ、同じようなものだ。何も、全員にやれというわけではない。お前にも、世話になった奴や仲良くなりたい奴の一人や二人、使用人の中にいるだろう。ミルラ王女のために、ではない。そいつらのために、何か作ってやってくれないか」

「…………」

 クロードの言葉に、僕は地面を見つめて王城へ来てからのことを思い出す。

 出会った人間、話した出来事、食べたもの、入った部屋、食べたもの……。

「乞われたもの、そんなに難しいことではなかっただろう?」

「そもそも世話になったのは誰かと悩むところですが」

「そこ?」


 世間話程度に会話をしたことは特に最近何度かある。

 だがやはり『城の人間』というくくりではアネットが多く、次いでオルガさん……はクロードと遭遇してからほぼ顔を合わせてもないし……。


 うん、やはり。

「それこそやる理由が見つかりませんね」

「もー! まじかお前ー!!」

 泣きそうな顔でクロードが叫ぶ。ほろ酔い、という感じだった先ほどとは違い、『よっぱらい』とでもいうような仕草で。

「大体、クロード殿が勧めるのも、クロード殿がドルバック卿から抗議されたくないからでしょうに」

「いやたしかに、半分はそれなんだが。いや、それなんだが、なぁ……?」

 クロードが唇を尖らせるが、その顔からは威厳というものが消えていた。


「飲んでたときから思っていたが、お前は少し他人に興味を持て。嫁をもらったら苦労するだろ」

「もらう予定もありませんし」

「はい無理ー! もう俺の頭脳でこれ無理ー! この響かない鐘をどう説得しろってんだこれー」


 威厳の他に覇気のようなものも失せて見える。それでもまだ諦めきれないのか、力なく唇を尖らせてクロードは口を開いた。

「いや、お前も困るだろう。城から追い出されたら、仕事的にも、な?」

「いやまあ、困りますね」

 僕はその言葉に素直に頷く。たしかにそれは困る。警護ならば、別に姿を隠したまま行えばいいけれども。それでも、追い出されてザブロック家の汚点となるのはちょっと。


 仕方ない。

「では限定的に。肌を保湿する軟膏を作ります。ルル様を伝って幾人かのご令嬢に配布しますので、それでよろしいでしょうか」

「なば!?」

 考えてみたら、その悩みは幾人かに聞いている。テレーズはもとより、アネットもおそらくは。それに、この前のディアーヌとルネスの会話もそうしたものだった。

 飲み薬は体質にもよるし細かい調整が必要だから作りたくない。ならば、効果がすぐに実感出来る上に、あまり副作用も出ないそういったものでいいだろう。

 昨日今日とサロメにやったこと。そしてムジカルでやってきたこと。それをこの城で少しだけやるだけだ。

「受け取りを拒否されたらその旨お知らせしますね」

「お前は、……どんなひねくれ者だよ。説得を諦めた途端にお前……」

「たしかに困るだろうと思ったからですが……」

 放っておくと困るから対策する。何かおかしなことを言っているだろうか。


「……あー、何か一気に酔いが回ってきた……」

「大丈夫ですか?」

「ああ、いや、まあな……」

 クロードが天を仰ぎ、瞳に星を映す。そして頭部に覚えた違和感にだろう、わずかに眉を顰めた。

 多分演技ではないだろうと思うのだが。それでもクロードは頷く。『大丈夫』と。

 大丈夫と言うのなら大丈夫だろう。その横顔に僕は続けた。

「なので一応、……というかこれは要望なんですが」

「なんだ? 一応聞いておくけど」

 少しだけふてくされたような表情が、どんよりとした表情に混ざっていた。

「私は軟膏を作りますけど、それを余らせます」

「…………?」

「少し余ったものはもったいないのでクロード殿に差し上げますが、クロード殿ももちろん要りませんよね」

「意味がわからんな」

「私が押しつけたもの。クロード殿もいらない美容品はどこに行きますか?」


 僕は言いながらテレーズを見る。クロードの肩の辺りは、何かに濡れて肌が透けて見えていた。

「……ああ、はいはい」

 クロードも気づいたらしい。もう面倒くさい、という態度のままに頷きを繰り返す。

「もったいないので捨てないでくださいね」

「……それが要望だな。いいだろう」

 はあ、とクロードが溜息をつく。


 交渉は成立。一応これで、ジグの仕事も継いでいけた……と思う。そうだったらいいな。




「人に興味がないと言ったが、お前はそこそこ節介焼きでもあるのだな」

「その自覚はないですね」

「ならいい」


 また一度僕を見て、それからまたクロードは空を見上げる。椅子の後ろ側の縁に両手を置いて、背もたれなくそれでも胸を張って仰ぎ見た。

 視線の先には月がある。また欠けている月が。


「ああ、酔ってきたな」

 そう呟いてクロードがクスと笑う。

 先ほどまでの快活な笑みでもなく、眉を下げて穏やかに笑みで。

「しかしこれで、俺の仕事も何とかなりそうだ。あー、面倒くさい。これっきりにしたい。次はこういう話なしで飲めるといいな」

「私ではなく、皆さんお誘い合わせの上どうぞ」

「遠回しに次回を誘ってるんだよ。気付け」

 ようやく肩の力が抜けたらしい。天を仰いで吐いた溜息は、今日一番のものだったと思う。


「……さっきお前は、俺たちの恋愛がどうとか言ってたよな。軟膏もその一環だろう」

 ぐりん、とクロードが首を傾けこちらを向く。だがその顔は、快活なものではなく何となく優しげだった。

「わかってるさ。この状況に、お前が口にしたかったことも」

「…………こちらはわかってませんけれど」

 誤魔化すように僕は口にする。そんなにわかりやすかっただろうか。いや、僕はただ『聖騎士同士の恋愛』という話題を出しただけだ。元々意識していなければ、そう簡単には辿り着かないことだろう。

「飲み会、こういうことがよくあるんだよ」

「こう、というのは」

「人が中々集まらん。集まっても、短い時間でそそくさと帰っていくことが多い」

「…………」

 ああ、と僕が何かに納得していると、クロードは「今日もな」と続けた。


「〈露花〉からは一人も来ずに、〈旋風〉からも……まあ、俺が命令しなければジグも来なかった。それにお前の口から恋愛の話が出るというのもこれだけ話した後では違和感しかない」

 言いながら、クロードがテレーズを見る。何だろう。そういう空気を読み取る機能が無い僕の目から見ても、クロードが彼女を憎からず思っていることが読み取れた。

 そして吐かれた溜息には、疲れなどそういうものは一切込められていなかった。

「まったく、そういうことは、もう少しわかりづらくこっそりやってほしい」

「私に言われましても」

 この飲み会で二人きりにしようとしたらしいのは二人の部下たち。恋愛話を持ち出したのは僕だが、それ以外は僕に言われても困る。


「テレーズは俺の幼馴染みでな。歳は少々俺の方が上だが、小さな時には他流のこいつに一度も勝てなかった」

 懐かしむようにクロードは目を細める。

「悔しくて悔しくてなー、こいつのことが大嫌いだった」

「そこまで」

 ケラケラと笑っているその顔を見れば、今はそれが笑い話だということもわかる。楽しく懐かしい思い出。苦くとも、美味しいような。

「遊びでやるような他流試合だ。でも、悔しくてな。毎回終わった後、地面に槍で絵を描いて検討していたんだ。ここでこうすれば勝てた、ここでこうしたからいけなかった、と」

 その真似をするように、足で地面に何かしらの模様を描く。それがなんなのか僕には読み取れないが、きっと自分だけにしかわからない何かなのだろう。

「夢に出てくるまでこいつのことを考えて、ずっと目が離せなかった」


 そこまで言って、クロードは自分の頭の横を小突くように叩く。

「いかんな。酔いすぎた。酒を飲んで適当なことを言わないようにと思っていたんだが」

「酔っているようには見えませんが」

「酔っていることにしておけ。俺は今前後不覚で全く出鱈目なことを喋っている。わかるか?」

 片目を瞑り、頭から首、肩にかけ、拳でトントンと叩いていく。酔っているのは本当に嘘だろうが。

「退役するまで、俺はそういう話は出来ん。だが、そのときには……」

 テレーズを見るその目は優しげで温かな。

「その時には、お互いゆっくりとそんな話もしたいと思っているんだがな」

「気の長い話ですね」

「あと百年の間には何とかなるさ。多分な」


 そしてまた笑ったその顔は、先ほどまでの快活なものに戻っていた。



「……うぅ……」


 ちょうど、僕の横の方で呻き声が響く。

 ジグのもの。そして、意識も回復したらしい。ゆっくりと目を開けたジグは、むくりと起き上がると状況を把握出来ないようで周囲を何度か見回した。

「起きたか。帰るぞ、ジグ」

「……!! 団、ちょ……!!」


 声をかけられたジグが起き上がろうとし、その拍子に強くなったであろう頭痛に頭を抱える。

 飲んだ量に天と地ほどの差があるのに、それでもまだテレーズは目を覚まさないとは。そんな呆れの目をテレーズに向けるよりも先に、クロードが口を開いた。

「では、カラス殿。先ほどの軟膏の件、よろしく頼むぞ」

「ええ。嫌ですけど」

「そこは元気よく了解しておけ」


 また快活にクロードが笑う。

 そんなクロードの姿に、事態を把握していないジグは、椅子から転げ落ちて四つん這いになりながらも、ただただ周囲をきょろきょろと見て状況を把握しようと努めていた。




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― 新着の感想 ―
気難しいというか捻くれ者というかココまでしないと軟膏一つ作らない転生者も珍しいな・・・。 件の娼館にもレシピくらい送ってやりゃあイイのに。 690話を読んだ限りレシピだけだと難しいかも、この世界っ…
[良い点] そういう話ができるのが最低でも100年後っすかー 気の長い話&女性の気持ち的にどうかということが すっぽり抜けてますがなー (これだから脳筋は……脳筋カップルだからアリなのか?)
[気になる点] どんどん煩わしくなってくるミルラ。 今回の事を凌いでもまた別のちょっかいを出してくるのは明らかですね。 そのうち一線を越えてしまいそう。 [一言] 大体サロメのせい。
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