団長到着
「……どういう状況なんだ? これは」
ジグが『もうそろそろ』と言っていたのは正しかったらしい。新しく頼んだ大皿が半分ほどになった頃、ようやくクロードが顔を見せた。
体にぴったりと合ったTシャツのような服に、作業着のような下。ラフな格好、というのはテレーズと変わらないらしい。
「というか、どうしてここにカラス殿が?」
「街中で偶然出会ったテレーズ団長に連れてこられました」
僕は咀嚼中のナゲットを口の端に避けながらそう応える。本来不遜だが、この場では仕方あるまい。
「その後、酒精抜きの麦の水で何とか場を持たせていたんですが、テレーズ団長の……いえ、偶然お酒を飲んでしまったテレーズ団長が寝てしまい、そしてテレーズ団長に随分と飲まされたジグ殿が沈みました」
僕がそう説明すると、クロードが二人をじろりと見て、静かに息を吐く。
「……色々と、済まんな」
「いえ。奢っていただけると聞いたので」
「仕方ない」
クロードが僕の対角線上の椅子を引いて腰掛ける。それからついでに、と店員を手を上げて呼んだ。
「まあ、予想通りといったところか。〈露花〉からは一人も来なかったんだな」
「酒癖などご存じなら仕方ないかと」
「……擁護は出来ん」
苦笑しながら、前に散らばっていたテレーズの髪の毛を軽く払いのけるようにクロードが避け、ジグの手も畳む。
そして、近づいてきた店員に顔を向けて笑いかけた。
「少し強めの酒を。二つ。あと、大皿の追加を頼む」
「かしこまりました」
店員が、ジグの時と比べて少しだけ丁寧に頭を下げる。クロードのことを知っていた、という感じか。
まあ、テレーズも遙か昔にここに来たことがあるらしいし、クロードもそうなのだろう。ジグがこの店の代替わりを知っていたことからすれば、クロードとジグは最近も来ているのかもしれないし。
……。
「二つ?」
「二人とも潰れているし、お前はまだ入りそうだ。お前も付き合え」
……どうして、聖騎士たちは皆強引なのだろうか。ここに誘ったジグもそうだし、連れてきたテレーズもそうだし。
「奢ってやるんだ。それくらいはいいだろう?」
「…………」
……しかしまあ、構わないか。頷かないまでも、小樽を飲みながら僕が無言で目で応えると、クロードが店員に「頼む」と重ねた。
運ばれてきた酒が入っていたのは、先ほどまでの小樽ではなかった。
小さめのグラス……といっていいんだっけ。底の浅く広めの器。真っ白な陶製で、中には氷が浮かんだ茶色い酒が入っていた。
「しかし、ジグまでやられるとはな。そこまで酒に弱いわけではなかったと思うんだが」
「疲れが溜まってたんじゃないですか?」
クロードに続いて一口飲めば、蒸留酒のような強い風味が鼻まで抜ける。これも麦だと思うので、おそらく前世で言うところのウイスキーに近いようなものなのだろうが。
飲み込んでから改めてナゲットを頬張り、先ほどと同じように楽しもうとしてみる。
しかし、同じ楽しみ方は無理のようだと僕は内心残念に思った。
強い塩味や油を酒で洗い流す。そんな楽しみは確かに共通だが、味わうものが違う。
先ほどまでのは食べ物を楽しむことを酒が助けるような感じだったが、主役が入れ替わり、酒のための料理になった、という印象だ。
というよりも、これに関してはもともと料理と一緒に楽しむような酒ではないのだろう。そんな気がする。
そして、僕はクロードにわずかに警戒の目を向ける。
クロードは静かに杯を傾ける。
……どうだろう。今のところ、先ほどの二人のような面倒な酔い方はしなさそうだけれども。
「ん? なんだ? そんなじろじろと見て。俺ってそんないい男か? いや、薄々自覚はあるけどな。カラス殿にまでそんな目で見られるなんて」
「違います」
違うな。酔わないでも最初から面倒な男だった。
程なくして店員が、新しいナゲットを揚げてそれを机の中央の大皿にガサガサと盛っていった。
「この店のは美味いんだ。遠慮しなくてもいいんだぞ」
「どうも」
もぐもぐと僕は食べ続ける。もとよりあまり遠慮はしていないが、それなりにお腹に溜まってきている今、最初のペースに戻そうとするのも無理があった。
だが、クロードは手を出さずにただまた酒を傾ける。
「それで、ジグは何か言っていたか?」
「……何か、とは?」
「疲れが溜まっていたんだろ? なら、仕事の愚痴の一つくらいこぼしてるだろう」
「…………」
言っていた。言ってはいたが、クロードに伝えていいものだろうかと僕は言い淀む。あまり仕事の批判などは出ていないが、しかし愚痴というのは往々にして上司には言えない類いのものだ。
「私の口からはどうにも。後でご本人からどうぞ」
「固いな。酒の席でのことぐらい心得てるってのに」
ハハハ、とクロードは笑う。だが、酒の影響など微塵も見えない、素面で会ったときそのままの印象だった。
「じゃあ、何か話題でも提供してくれないか」
「話題といっても、共通の話題などありませんからね」
「そうすると仕事の話になるからな。そういう飲み会は絶対につまらんぞ」
「そうですね」
たしかに。そう思いながら、僕も杯を傾ける。お互い素面と変わらないこれが、飲み会といえるのならば、だが。
「ではこういうのはどうでしょうか」
杯を上から被せるように掴み、僕はそれを机に置く。そしてクロードを窺い見てから、テレーズとジグを眺めた。
「……聖騎士に、浮いた話がないという話。実際、どうなんです?」
「…………ジグにでも聞いたのか?」
「ええ。先ほど酔いつぶれる直前に。そんな感じのことを仰っていました」
偉いのに、と繰り返していたが。
「まあたしかにそうだな。俺たちは……多分知っていると思うが、騎士爵を王から拝領している。そうするとだな、とても辛いことが起きるんだ」
「辛いというのは?」
ようやく一つナゲットをフォークで刺し、クロードは囓る。一口で食べずに小さく噛み切って。
そしてそのまま喋るが、ほとんど口の中のものの影響は言葉に出ていなかった。
「平民は、畏れ多くなる。当然だな、相手は貴族だし」
「そんなに変わりますか?」
「変わるらしいぞ。俺はまあ、水天流の掌門でとても偉いからあまり感じなかったが、それこそジグなんかの平民出身はそうらしい。昔誰かが言ってたな……」
ええと、とクロードはこめかみの辺りを指で叩きながら、悩むように目を閉じる。具体的なエピソードを思い出すのは時間がかかる……というと、やはり本来クロードも知らないものなのだろうか。
「任官され、叙爵された次の日の朝、仲の良かった隣の家のお姉さんに……言ってしまえば恋仲の一歩手前くらいだった幼馴染みに挨拶したそうなんだがな、震えながら頭を下げられたとか。その前までは平気で軽口くらい言い合ってただろうに」
「はあ」
僕がイラインに戻ったときとは真逆の変化。地位とは、そこまで変わるものなのだろうか。
「俺はまあ、水天流の掌門でとても偉いから、あまり感じなかったけどな」
僕がまた一口ナゲットを食べると、クロードは何かを期待したような目で僕を見ている。繰り返された言葉になにも返したくなくて、僕は無言で咀嚼しながらそれを見返していた。
そして僕が無反応で通す気だと思い知ったのだろう。クロードは咳払いをして次の言葉を、と口を開いた。
「そんなわけで、貴族たる俺たちは中々街中でも身分を明かせん。この店みたいな限られたところだけだ」
「この店は違うと?」
「もともと主人が宮廷料理人だったからな。俺たちの扱いは心得てるし、それが息子にも受け継がれてるんだろう。そこまで極端な扱いの差は見せないし、周りも多分気づいてないだろう?」
「まあおそらくは」
あれだけジグが長々と喋っていたし、誰かが聞き耳でも立てていればわかるだろうけれども。
「あとは、本当にお忍びでいくしかない……と、話がそれたな」
「別に構いませんけど」
何の気なしに入った話題だが、別に切れるなら切れるで構わない。クロードにばかり喋らせている気もするが。
「だから、まあ、相手としての庶民はなかなか難しい。こっちから結婚だの恋仲だの強要すれば法律にも引っかかるしな」
「例の貴族法ですね」
「ああ。爵位を持つ貴族たちが、平民にしてよいことを規定している。守っていないやつらが多いとはいえ、俺たちが破るわけにもいかん」
景気づけに、クロードは先ほどまでよりも多くの酒を口の中に流し込む。大きな氷が器の中でぶつかり音を立てた。
「そして、貴族を相手にするとなるとまたそれも問題がある。大抵の聖騎士の実家は、単なる平民の家だ」
「それは先ほどジグ殿も仰ってましたね。実家が偉いなんてそうそうない、と。やはり難しいですか」
「難しいな。ごく稀に、上手いことやって退役してくやつもいるが、……二年ちょっと前に一人見たのが俺の記憶の中では最後だ」
「でも、お相手は男爵位くらい」
「ああ」
僕が予測して言うと、鷹揚にクロードが頷く。
やはり結婚、ともなれば実家の地位も必要なのだろうか。
つまり、聖騎士たちが結婚出来ない理由は簡単だ。地位が中途半端で、そして大抵は実家が平民でしかないため。
平民に対しては、爵位という地位が足を引っ張る。別に禁止されていることでもないのだろうし、騎士爵は一代限りの貴族、子供は平民に戻るし気にしない者は気にしないのだろうが。
そして貴族に対しては、地位の低さと実家の地位。オトフシが言っていたとおり、結婚というのは家と家とを繋ぐ行為だ。貴族たちの当人の意思とは関係なく、家の都合が最優先される。聖騎士たちにも一応家はあるものの、彼らと結婚して得られる縁は貴族としてはか細く狭い。
だから、選ばれない。平民にも、貴族にも。
相手として可能性があるとするならば、相手の家の縁など一切気にしなくてもよい大貴族の末子辺り、もしくは他に繋ぐところがない泡沫貴族のこれまた末子辺り。
あとはそういうことを気にしない、肝の据わった平民だろうか。気心の知れた幼馴染み、とか。
他にも、聖騎士を一族の中に入れることで箔をつけたい商家や地方の有力者……。
……先ほどと相反することを考えるようだが、そう考えてみれば結構いる気がするのだけれども。
「……だが、気づいたか?」
「…………一応聞いてみますけれども、何にです?」
僕の顔色が変わったことに気づいたのか、クロードがにやりと笑う。
「地位のせいで相手が見つからない。そうしておいた方が世の中平和だぞ」
「……平和が一番ですね」
そのクロードの言いたいことがほんの少しだけわかった気がして、僕はそれ以上考えるのをやめた。
「まあ本当に、忙しくてそんな暇はない、というのもあるんだがな。実家が貴族の連中ならば家族がいらん世話を焼いて相手を見つけてくるんだが……、聖騎士というのは自分で見つけなければならん」
誤魔化すようにクロードも杯を呷る。それで酒が空いたのだろう、また氷の音が一つ、カラン、と鳴った。
「中々部下とこういう話もできんから、それなりに新鮮だな。では、カラス殿はどうだ?」
クロードが、肘をつくようにして身を乗り出す。被せるようにもった杯をわずかに揺らして、氷を溶かして底に残った酒を飲む準備をしながら。
「探索者の恋模様。あまり聞く機会もない話だが」
「……探索者は似たようなもの……でもないですね。探索者はもちろん、爵位もないので単なる平民と一緒でしょう。好き合った人間たちがくっついていく」
「カラス殿の周囲もそうなのか?」
「ムジカルの方ではそうでもありませんでしたが、エッセンではそもそも恋仲になる探索者も少ないんじゃないでしょうか。所詮、その日暮らしのならず者たちですし」
「卑下するな」
ハハ、とクロードが笑う。だが事実だ。
「聖騎士様たちと違ってほとんどが貧乏ですからね。くっついても、生活出来ずに苦労しますし」
二人がペアになる、というところまではまあ順調だろう。
一人より二人、簡単にいえば探索者の場合は単純に働き手が増えるようなもの。むしろ多分生活は楽になる傾向にある。
だがそれも、子供が出来るまでだ。
「子供なんて作ったら、……まあ、だいたい子供は不幸なことになるでしょう」
「…………」
もちろん全員が不幸な子供というわけでもない。レシッドの知り合いなどにも、探索者を親に持つ子供はいた。
けれども探索者にとって、子供は働きも出来ない単なる足手まといだ。生まれるまでは女性側を拘束し、生まれてからは二人の時間や体力、食物を奪う魔物。
食い詰めた夫婦は、子供を捨てて口を減らす。そういうことも頻繁に起きる。
今ですら暗い話題で飲み会の席で出す話題とも言いづらいが、そこまで言えばもう間違いなく失格だろう。そう思った僕は、そこまで口に出さずに杯で口を塞いだ。
困った。僕が口を出すと、話題が絶対に暗くなる。
もう黙っていたいが、それでも何とかしなければいけないという義務感が心の中で何となくざわめく。
今は一瞬の沈黙だが、間もなく訪れるであろう無言の時間が面倒だ。
何か話題を、と僕は隣と前で突っ伏している二人を見て、先ほど繋げる気だった話題を思い出した。
今なら何とかできそうだ。
「しかし、聖騎士の方々だったら、他に道もあるんじゃないですか?」
「道?」
溶かすのを諦めたのか、クロードが大きな氷を口の中に飲み込むように入れてごりごりと噛み砕く。正直、先ほどまで酒を飲んでいた仕草とはかけ離れた野性味のある顔で。
「庶民は駄目、貴族も難しい、ならもう一つ道がありますよね」
「言いたいことは何となくわかるが、回りくどいな」
クロードはまた店員を呼ぶ。その前に、『お前は?』と目で問いかけられ、僕は急いで手で温めていた杯をほとんど逆さにするように傾けた。
「……同じ聖騎士同士での恋愛や結婚……ないんですか?」
「…………」
注文を受け、去っていった店員に一瞥もせず、クロードが悩むように眉尻を下げる。
「無いわけじゃないが、……少ない。お互いに同じ仕事をして、幻想を持たないからだろうか。夫婦、というより、相棒、という関係になるようだ」
「幻想、ですか?」
「ああ。これは水天流の道場で教えていたときの話だが、あるとき、高弟が酒場で喧嘩をしてな。もちろん相手は素人だし、ずだぼろになるまで伸したらしいんだが……酒に酔ってたせいで手傷も負ってなぁ」
酒に酔って、というところで目の前に並んだ二人を見回す。その話なら、これよりも酷くはないと思うが。
「それで帰ってから、嫁さんに怒られて別れたらしい。酒が切れて折れた骨の痛みに苦しんでいたら、『そんな人だとは思わなかった』と言われたそうだ」
「……怪我一つ負わない超人だとでも思われてたんでしょうか?」
水天流の高弟。その強さに憧れて、恋をした……ちょっと苦しいか?
「近いな。まあ、あまり苦しい顔を見せると幻滅されることもあるらしい。同じように、聖騎士たちは、相手が苦しんだり疲れたりしている顔を頻繁に見ているからな。相手に理想を押しつけない……とでも言えば格好いいだろう」
「格好いいですけれども」
要は、嫌なところを存分に既に見せているから、ということだろうか。そうするとクロードのたとえ話もちょっと違う気もするけれども、どうだろう。
思った方へと話を転がせない。
そう判断した僕は内心少しだけ悔しく思う。いやまあ、思った方へ話を転がせたところでどうなるだろうという話なのだが。
先ほどのジグの任務、引き継いだところでどうでもいいことだったし。
諦めよう。クロードとテレーズの仲はもうどうでもいいや。
早々に諦めた僕は、ちょうど店員が持ってきたグラスを傾けて話を終わらせる。あまり興味を持っていない僕が、そういうことに手を出す方が不味かったのだ。
「そうだな、聖騎士の相手といえば、たとえばお前みたいなのもいいだろう。どうだ? 誰か気になってるうちの団員はいるか? それとなーく、それとなーく紹介してやるが」
「いませんけど」
そしてその話題を続けることこそ不味かったのだ。
もうジグは力にならないし、テレーズもいない。……このクロードとの話をしなければいけないのは、僕一人なのだから。
「どんなやつが好きなんだ? 男? 女? 体は大きな方が好きか?」
「とりあえず、国に勤めていない方がいいです」
「聖騎士みんな駄目じゃないか」
「駄目ですよ」
先ほどまでの落ち着いた雰囲気はどこかに消え失せて、三度目に始まった『酒盛り』という何かに耐えるように、僕はもう一口ナゲットを食べて覚悟を決めた。