水の如し
放置するのも何となく後味が悪い。
「テレーズ殿のものだけ違うもののようですが、好みか何かですか?」
「ん?」
まず、テレーズが知っているのかどうか。知っているのならば何の問題もないし。
だがテレーズは自分のものと僕たちのものを見比べて、首を傾げた。
「そうか?」
「匂いが違います」
僕がそう言うと、ジグがテレーズの視界の外から睨むように見てくる。ジグは知っていて、テレーズは知らなかった、と。
不埒なことを考えるとは思いたくないが、そう思っても仕方のない事態。
僕がそれとなくジグに視線を送ると、ジグが口を開く。
「間違えたのかもしれませんね。カラス殿、交換をお願いしてきてくれないか」
「……わかりました」
「間違えのないよう、どんな酒かも、きちんと詳細を聞いてきてくれ」
「はあ」
妙なことを言う。
僕はテレーズからジョッキを受け取り、厨房の入り口へと向かう。その間にそれとなく僕の方でも確認してみるが、一応毒などに類するものは入っていないらしい。
そして厨房から出てきた先ほどの店員に簡単に事情を説明すると、テレーズの耳には入らないようにだろうか、小声でその詳細を説明してくれた。
「それね、ほぼ同じ味なんですが、お酒が飲めない人のために作ったんですよ」
「酒が飲めない?」
「ええ。すぐに酔っ払ってしまって料理や会話を楽しめない人のために」
僕はその言葉を聞いて、また酒を揺らしてその液面を見る。確かに、匂いは違うが言われてみればその種類は同じだ。ただ、匂いの全体的な増減で印象的な匂いが入れ替わっているだけ、ともとれる。
正直、アルコールの匂いが感じられない。アルコール分が薄いお酒、とでもいうのだろうか。ノンビアみたいな。
「ジグさんからのお願いだったんですが、お連れさん、聞いていなかったんですか?」
「ええ」
僕にも内緒にしていたのかはわからないが。
どうもここまでの印象から、テレーズには内緒の話らしい。もし話そうとしていたとしても、そもそも話せる機会がなかったのだろうけれども。
店員は一応、と僕の手からジョッキを受け取る。
「どうも、あの女性がかなりお酒に弱いらしくて、あの女性に渡すお酒はそういったものにしてくれと頼まれまして」
「……それは、どうもお手間をおかけしました」
「いえ。とりあえず、替えてくるふりだけしますね」
店員が頭を下げて中に入っていく。なかで何やらゴソゴソとやっていたが、全てその酒を用意している素振りらしい。もっとも、勿体ないし、意味もないしで先ほどのジョッキをまたそのまま持ってきたが。
「どうぞ。お願いします」
「騒いで申し訳ありませんでした」
僕は頭を下げる。テレーズから見ても、あまり不自然には見えない程度に。
たしかに、およそ僕の知識の中にある毒や眠り薬などの匂いは混じっていない。完全に僕の早とちりと疑心暗鬼からだったらしい。あとでジグにも謝っておこう。
「いえいえ。やはり口に入るものですし、気になりますよね」
店員は笑顔を浮かべて首を横に振る。客商売だしあまり怒れないとはいえ、心情的には文句の一つくらいならば受け入れようものだけれども、そうしないとは寛大といってもいいと思う。
僕は席に戻り、何とか言い訳の言葉を考えて口に出す。
「他の席の方の注文と取り違えたらしいです」
「すまないな」
「いいえ」
テレーズの前に酒を出し、ジグの方を見てわずかに会釈する。本当に申し訳ない。
ジグは反応しないようにだろう、こちらに視線を向けなかったが。
気を取り直し、とテレーズが咳払いをする。
「クロードは遅くなるらしいし、先にいただこう」
テレーズがジョッキを掲げて合図をすると、一口飲む。それに倣ってジグも口に酒を運び、僕も一口含んだ。
やはり、麦の味。舌を刺す苦みのようなものは薄いし、炭酸も舌を刺激するほどもないくらいだが。
それと香るアルコールの匂い。僕にはその美味しさを理解出来ない匂い。
一口で終わらず、ジョッキから唇を離したテレーズは間髪入れずにまたジョッキを傾ける。
今度は二口、喉が動く様子が綺麗に見えた。
口の中の酒がなくなると、テレーズが息を吐きながら口を開く。
「酒を飲むのは久しぶりだな。これはこれで美味い」
「晩酌とかの習慣はないんですか?」
「ない! 美容のために、いつも夕食は果実だけと決めているんだ私は」
「へえ……」
実際に色々と効果はあるだろうけれど、どんな効果を狙ってのことだろう。肌はそう汚いわけでもないし、太っているわけでもないし、体臭が酷いとかそういうこともないと思う。
「不服そうだな。何か? 私がそういうのを気にしているのが意外か?」
「いいえ。不服ではなく、納得の『へえ』です」
「カラス殿などには不要だろうが、私のような女性は色々と気にしているんだぞ」
店員が、そっと「金揚げと野菜です」と言いながら、大皿を机の真ん中に置く。それぞれ一口大の金色の塊が、山のように乗っていた。そして同時に器用に片腕で三枚持ってきた椀には、均一に千切りになった胡瓜や茄子に人参などの野菜が盛り付けられていた。
「この店の名物だ。いくらでも食え」
「いただきます」
言いつつ、僕は一応テレーズの手を待つ。テレーズがその金色の山から一口大の肉をフォークで刺して自分の口に運んだことを確認して、ジグを待った。
ジグが食べたのを見てから、僕もその内の一つを口に運ぶべく突き刺して顔に近付ける。
金揚げ。要はナゲットだ。匂いからして鶏肉で、衣を纏ったまん丸の塊に、香辛料がまぶされていた。
口に運ぶと、揚げたての熱い肉の中から汁が染み出してくる。残念ながら脂ののったジューシーさはないが、濃いめの味と『肉』の満足感で、きっとおつまみとしてちょうどいいのだろうということがよくわかった。
「夕食に肉を食べるのも久しぶりだ」
……すると、酒以外にも肉なども食べないということだろうか。果実だけ、とすると人体に必要な栄養は、夕食ではほとんど取れていないだろうに。
「あまり食べないと体を損ないますよ?」
「クロードと同じ事を言うな」
ハハハ、とテレーズが笑う。その顔は、……まさかもう酔っているのだろうか、少しだけ赤くなってきている気がする。
「仕事としても、やはり体を作って万全に動けるようにしておかなければということもわかる。わかる、が、やはり美しくもいたいというのが女性としての人情だろう?」
「……それもわからなくもないですけれど」
「カラス殿は理解を示してくれたぞ。ジグ、お前は?」
「わ、私としては、やはり……」
しどろもどろなジグを遠くで見ながら、僕はまた一つ肉を口に運ぶ。
アルコールには酔わないが、たしかにこれはこれでいい。
ナゲットを食べて口の中に濃い味を満たした後、その余韻を麦酒で流し込む。麦酒でなく水でいいかとも思うが、この口の中の味が速やかに消える感覚は、味がついた水分ならではだ。無味無臭の水では少し薄いだろう。
「まあ、出来ることといったらその程度だ。令嬢たちのように綺麗に着飾ることは出来ないがな。さすがにそれは私には似合わないし……」
僕は肉をまた一口囓る。
酒には合う、のだと思う。だが僕にとっては、お茶で代用出来るかな。
「充分お綺麗だと思いますけれどね」
「えぅ!?」
ただお茶でも、白茶のような発酵のほとんどしていないものより、渋みの強い黒茶のようなもののほうがよさそうだ。個人的な感性だと思うが、良い白茶は単体で飲んで楽しみたい。
「い、いや私はああいった娘たちと違って剣ばかり振ってきたからなー……男の手みたいだしー……」
「美容に気を遣っているからでしょうか、そんなに荒れている手とも思えません。健康的で、細いだけの手よりも私は好きですけど」
「ばっ!?」
しかし、王城の料理人の作った店を継いだ、というだけはある。レシピなども受け継がれているのだろうか。ナゲットにかかっている香辛料の粉が独特だ。香辛料をふんだんに使うと言えばムジカルの味付けだが、使っているものがそもそも違うらしくそういう印象もない。
「ははははーそ、そうかー、私はそんなに魅力的かー」
「…………」
もう一つ、もう一つ、と味を確かめるべく頬張っていた僕の腕を、ジグが肘で突く。
なんだいったい。そうジグの顔を見ると、テレーズの方を顎で示した。
「……どうしたんです?」
「からかいにしては悪質だなお前」
テレーズが、見ていない間ににやにやと笑っていた。最後のほうは適当に聞き流していたが、そんな面白い話をしただろうか。
そう思ったが、ジグは溜息をついてそれ以上何も言わなくなった。
「いやしかし、美味しいですね」
何となく静まった雰囲気に耐えきれず、僕はまた一つナゲットをつまみながらそう口にする。
付け合わせの野菜は味付けすらされておらずどうということもないが、それでも素材の味以外味気ないこれは口直しにちょうどいいだろう。質の悪い食堂ならば、こういったものも味が抜けてたりそもそも野菜の質が悪かったりとかでどちらかというと不味くなるけど。
しかし。
「他には何か品はないんですか?」
見回しても、他の客もこの席と似たようなものだ。大皿にナゲットと、サラダ。後は少し違う小皿もあるにはあるが、主に酒を皆楽しむようで。
「あるにはあるが、これが売りだからな。もう、『この店には入ったらこれ』と決まってしまっているらしい」
ジグがそう言いつつ、壁を指さす。その先では、イライン版『小鉢』とも言うべき簡単なメニューがほんのわずかに貼ってあった。芋の素揚げに、子羊の揚げ焼きなど。
揚げ物が中心というか、サラダのようなもの以外はほぼ全て揚げ物しかない気がする。
耳を澄ませれば、厨房の中から煮立った油の音がする。それも、結構な大鍋らしく、大量の油の。そういうのが売りの店か、ここ。
「なるほど、では、他の……」
「すまんが一杯追加ー!」
視界の端で、テレーズが動く。小樽を掲げて店員に叫ぶと、店員が動くのを待って机にそれを置いた。
音が軽い。まさか、ジョッキ一杯をもう飲んだのか。
「え、ええ、ただいま……」
やってきた店員が、テレーズに応えながらジグをちらりと見る。ジグがわずかに頷くと、小樽を回収して厨房へと入っていった。
「テレーズ殿、団長が来るまで控えめにしたほうが……」
「酒場に来て飲まないなんて不真面目にも程があるだろう! お前らも早く飲め!! 酒は喉で楽しむもんだ!!」
ある程度の料金は先に払ってあるのだろう。店員がまた酒を注いだ小樽を持ってくると、店員が立ち去るよりも先にテレーズはそれに口をつけた。
一気飲み。豪快な。
「あまり得意ではなかったはずでしょう」
慌てたようにジグが手を伸ばすが、それを全く視界の中に入れようともせずにテレーズは喉を動かし続けた。
飲みきったのか小樽から口を外し、ぷは、と息を吐いた後の笑顔がなんだか気持ちよさそうにも見える。
「なんだか今日はいけそうな気がする!」
まだ横に立ち尽くしていた店員へと飲み干した小樽を預け、また一杯、と催促する。
うわばみ、という言葉が一瞬脳裏を掠めた。しかしそのようにも見えない。
大酒飲みにも色々と種類はあると思うが、多くはきっと素面かそれに近いように見えるまま、酒を堪能する人のことを言うのだろう。
ならば目の前のテレーズは違う。
「……!」
力任せ、という風にナゲットにフォークを突き刺す。一応加減したのだろうか、それとも偶然だろうか。そのフォークは皿を貫通する直前で止まり、木の皿に四つの穴を開けるに留まっていた。
それを気にする事もなく、テレーズはあんぐりと口を大きく開けて、その中にナゲットを放り込む。
「少々弱めの酒だし、大丈夫大丈夫。大丈夫だって」
口の中に物が入っているのを寛恕しても、呂律が回らなくなってきている気がする。
「それよりもお前らも食え食え。どうせクロードの奢りだ食え食え」
「頂きます」
食べるのをやめていたわけではないが、勧めに応じて僕もまた一つナゲットを頬張る。やっぱり酒じゃなくてお茶で食べたい。
「いい食いっぷりじゃないか。なあ、ジグ。お前は食わないのか?」
「いえ、私はゆっくりと」
「私の料理が食えないってのかぁ!?」
ダン、と豪快に机が叩かれて、小樽や皿が一瞬跳ねた。
僕はもぐもぐと肉を噛み砕きながらようやく納得する。
ジグが僕を誘ったのは、こういうことか。
「テレーズ殿の作った料理というわけでも……」
「三杯追加ー!」
僕の言葉を無視するようにテレーズが叫ぶ。それに応じて店員もまたギョッとしながらこちらへ近づいてきたが、その手には先ほどテレーズが追加した小樽が握られていた。
「一杯ずつ楽しみましょうよ」
「何ゆってんだ。お前らの分も追加だ追加ぁー! お前らの分くるまでにそれ飲み干せよ早く」
目が据わった様子のテレーズ。まだ始まったばかりだし、そう飲んでないのに。酔うのが早いし許容量も少なそうだ。これも、うわばみというのだろうか?
しかし、注文されてしまっては仕方ない。
僕が自分の分の麦酒を空けるのを見ると、ジグも覚悟を決めたように小樽を傾けた。
「……大体だな」
「はい」
「何で私たちがあんな貴族どものご機嫌なんか取らなければならないんだ? 娘を領地へ移送したいから兵を出せだの、魔物の巣が領地に出来たから叩けだの」
「いや、その、なんといいますか」
数えていないが、たしか六杯ほど麦酒を飲み干した頃から始まった愚痴は、長く続くらしい。
正座したように膝の上に手を置いたジグが、背筋を丸めてその話に相槌を繰り返している。
僕がサラダを食べているときに始まった話。些細な導入だったので何故そんな話になったのかはちょっとわからないが、今では聖騎士を取り巻く環境の問題に話が及んでいた。
「私が鍛えてきたのはそんな事をするためじゃなくて、なんかこう、もっとああいうことをするからこそだろう?」
「仰るとおりで、まったく」
「それはそれ、これはこれで考えられんのかまったく、なぁ?」
「はい。その通りだと思います」
もっとも、そんな環境の問題だというのは僕の推測で、曖昧な言葉を頑張って解釈しているだけのことなのだが。
実際、何のことについて話しているのか途中からわからなくなってきていた。
相槌を打っているジグはわかっているのだろうか。
ちなみに『何で私たちが……』という言葉は先ほどのもので四度目だ。同じ言葉が何度も違う場面から繋がって飛んできていた。
「兵を強くしたいとか言うからちょっと訓練したら苦情まで入る。ちょっとぶっ続けで三日間穴を掘らせたくらいで泣き言言うな。食欲ないならみじん切りにしてかき混ぜてでも飯を食え。何で衛兵どもはそれが出来ないんだ?」
「そうですよね。ええ」
「それはさすがに……」
「ああん!?」
何となくあまり同意出来ず、歓迎も出来ない話題になってきていた僕が思わず口を出すと、テレーズが凄むように睨む。瞼が落ちかけているその顔では、あまり怖くないけれども。
ジグが視界の外で、バカ、と口だけで言うのが目に入る。空気を読んで『そうですね』とでも言うのが正しいのだろうが、酔っていない今そういう気もない。
「適性がある人ない人いますから、それでやめてしまう人は引き留めなくてもよろしいのでは?」
「えーへーやきしだぞ? もちろん適性などあるに決まっているだろう」
テレーズが何杯目かもわからない麦酒を一気に飲む。薄くした意味はあるようでない気がする。一杯が薄くても、その分テレーズはがぶがぶと飲んでいるし。
「その点、最近の勇者はなかなかいいな! 槍の訓練はしないが、剣の訓練にはすごぶる身が入っている」
「腕前はどんな感じでしょう?」
思わぬところで、思わぬ場所に話が及んだ。とりとめもないが、深掘り出来ればしておきたいところだ。
「なかなかどうして、筋もいい。先日うちの団員から三本に一本取った」
「そんなにですか」
「相手の気が抜けていたところもあったからな。もっともうちの団員だ、気を取り直せば相手にはならないよ」
はははははは、と真っ赤になった顔でテレーズが笑う。
「何せもうすぐ戦争だし、なんとかなってくれるとなにかあっていいとも思うんだが」
「戦争には勇者は出せそうですか?」
「どうせ貴族どもがまともには戦わせんよ。どうせうしろのほーで戦意高揚の旗印にでもするんだから本人が出たければ出して出すだろう。出したくないけどな!!」
悔しそうな雰囲気を滲ませて、テレーズは言い切った。
だが、たしかそういったことは、勇者を一時訓練場出入り禁止にしたときに……。
「自分の目に敵わなければ、戦場には出さない、と格好良く仰ってましたけど……」
「へーかに私の意見などとーるわけがないだろーが」
ジグの前にまで溜まっていた酒の一つを手に取り、テレーズがまたごくごくと飲む。飲む度に顔が赤くなり、何となく視点が定まらなくなってきていると思う。
「そういえば、ゆーしゃといえば? 相手が決まったそうじゃないか!? カラス殿のところのご令嬢だろー!?」
「まだ決まったわけではないですけれども」
「私が知ってるくらいだし、もう決まったようなものだろーが、なあ」
また皿に跡を残しながら、テレーズがナゲットを口の中に入れる。そろそろ少なくなってきたし、追加しなければいけないだろうか。
「まったく災難だよなぁ? ザブロック様も。勇者のご機嫌取りのために嫁入り、はあ、怖い怖い」
「ですから、まだ決まったわけじゃないですから」
もはやこちらの話が聞こえていないように、テレーズは持論を呟き続ける。
「まったく、なんでわたしたちがあんな貴族どものご機嫌なんか取らなければならないんだ? 娘をりょーちへいそーしたいから兵を出せだの、魔物の巣がりょーちに出来たから叩けだの」
……持論ではなかった。先ほど聞いた話だ。
「…………仰るとおりですね」
「私たちが鍛えてきたのはそんな事をするためじゃなくて、なんかこう、もっとあーいうことをするからこそだろう?」
僕が応えてからジグを見ると、ジグが何かを悟ったかのように目を瞑る。面倒に思っている、ということはわかるが、もう一つ何かの諦めがあった。
「なあ、ジグ、どう思うよ? あんな感じでそれについては」
「ええと……」
「え? お前はどう思うのかってきーてんの!!」
「そ、それについてはですね……」
『それ』がなんなのかわからない。そして正解がわからない問答。
先ほどからジグとついでに僕に飛んできているものだ。共にいくつか失敗をしていて、そして正解を出さなければ……。
「ゆーじゅーふだんめ!! この、ゆうじゅーふだんめ!!」
罵声のような大声が飛んでくる。罵詈雑言というものではないのがまだマシだろうか。ただし、それもずっと何回も聞くとさすがにうんざりしてくるが。
僕とジグは顔を見合わせる。ジグが僕を連れてきた意味がわかるし、……意味はあったのだろうか。一応弾よけにはなっている気もするけれども。
しかし、ジグがもう限界らしい。
それからも続くテレーズの話。同じような台詞を何度も何度も。
「それはそれ、これはこれと……」
もう何度聞いただろうか。同じ言葉がまた入ったことを確認したジグがゆっくりと立ち上がると、テレーズが言葉を止める。睨むようなその視線は、『話を聞いてないのか』と語っていた。
「追加を、頼んで参ります」
指し示したのはもう三つしか残っていないナゲットの皿。
「あー、すまんな気が付かなかった」
「少々お待ちを」
やけに丁寧な仕草で、ジグが立ち上がる。皿を持ち上げて、厨房へと歩み寄っていく。
その歩みに、ゆらりとした気炎が何となく見える。少々酔ったようで、足取りはおぼつかないがそれでもしっかりと地面を踏みしめるような。
……何となく、覚悟するような。
厨房で何やら注文した後に、ジグは同じ皿をまた持ってくる。店員が盛り付けて、またナゲットが山になったものを。今度は端に開かれた魚の揚げ物も乗っけられていた。
ついでに、とばかりに片手に酒を持つ。
「お待たせしました」
「気が利くな」
大皿をまた机の中央に。酒をテレーズの前に置くと、ジグは言い訳のように口を開く。
「足りなくなってきていたようなので、ついでに一杯持ってきました」
「助かるよー」
テレーズはその酒をゆっくりと口に運ぶ。先ほどまでと同じように、飲み干すように。
だが。
「ん、これは、さっきまでと……は……」
一口、二口、と飲んだテレーズが、戸惑うように疑問の言葉を口にする。
そしてかろうじてその小樽を机にそっと置いた次の瞬間。
「………………!!」
テレーズが崩れ落ちる。顔面から机に落ちていくように、強かにぶつかる。
ガタン! と石を木槌で強く叩いたような音がして、それっきりテレーズは動かなくなった。
座らずに、ジグがその後頭部を見下ろす。
微動だにせず、椅子と机の間に腕を投げ出し、前に転がりそうになっている体を机に押しつけた顔面だけで支えている格好のテレーズを。
「……こうするしか、なかった……」
ぽつりとジグが呟く。
悔しげに、それと同時に、何かから解放されたかのような微笑みを浮かべて。
僕はそんなジグの顔と、テレーズの頭頂部を何度も見比べる。
「……何したんです?」
「テレーズ殿を静かにさせたのだ。これで、静かに……」
ふう、とジグが体を投げ出すような豪快な仕草で椅子へと腰掛ける。改めてナゲットを自分の口に放り込むと、今日一番美味しいものを食べたかのように、満面の笑みを浮かべた。
「え? 大丈夫ですか? 結構すごい音しましたけど」
勢い的には、『鼻折れてないか?』というくらい。音的には机を強く掌で叩いたくらい。
そして微動だにしないテレーズは、そのまま死んでいるようにすら見えた。
また一つジグはナゲットを口に運ぶ。
「大丈夫だ。テレーズ殿は酒に弱くてな。酒を一口でも飲むと、いつもそのまま寝てしまう程に」
ナゲットを食べて、酒を飲む。そんな酒場の仕草を、ようやくジグのものも見ることが出来た気がする。僕らのことを気にもしていない周囲の客と同じように、『飲酒』に慣れているような様子だった。
「……酒に弱いというのはさっき店員に聞きましたけれど……、それにしては、……一口でも?」
ジグの言葉に僕は首を傾げる。
一口でも飲めば寝てしまう。それほど弱い、ということは置いておいても、先ほどまでがぶがぶと飲んでいたはずだ。ならばもっと早く助かっても……いや、テレーズは寝てしまってもよかったのに。
「強いお酒でも持ってきたんですか?」
もしくは今度こそ何か薬を盛ったとか。睡眠薬とかなら、確かにその早さでも寝てしまうものが……副作用や後遺症無しでそんなに強いのも中々ないな。
僕も、温かいナゲットを口に運ぶ。冷えたものよりは温かいもののほうが美味しい。
僕の質問に、ジグが首を横に振る。
「いいや、俺たちが飲んでいるものと同じものだ」
ジグが手を伸ばし、テレーズの飲んでいた酒を手に取り僕へと見せる。たしかに、匂いや性状は同じもののようだけれども。
「では?」
「こっちを飲んでみろ」
さらにもう一つ。テレーズ用に持ってこさせていて、それでテレーズが結局口をつけなかった酒を僕へと示す。
匂いが違う酒。酒に弱い人のためのものと聞いたけれども……。
言われたとおり、僕はその酒を口に含んだ。
……いや、これは『酒』じゃなかった。
「酒精が感じられませんが」
もともと酔わない僕だが、味くらいは知っている。だが、あの舌を刺すような感覚もなにもない。これ、ただの麦ジュースではないだろうか。
「だろう。この店特製の、酒精の入っていない麦の水だ。全く酔わない。酔えるはずもない」
「……?」
つまり、本当のノンアルコールの酒だったということ……。
……??
いや、それにしては……。
僕がまた悩み首を傾げると、ジグが両手で顔を覆った。
「テレーズ殿は、雰囲気や、酒の匂いだけで酔うんだ……」
「ただの水飲んで酔ってたようなものじゃないですか」
僕は呆れを含んだ視線をテレーズに向ける。ようやく寝息を立てるように息をし始めた彼女の体が、ほんのわずかに上下していた。
前と次の話合わせて一話の予定だっt




