無遠慮
「久しぶりに街へと出ると、どうもな」
横に並ぶようにしながら、テレーズが僕へと笑いかける。訓練の時の硬い表情はどこへやら、プライベートと仕事ではこうも違うのだろうか。
どちらかといえば、僕が仕事とプライベートの区別がほとんどない人間としか付き合ってこなかったから起きる違和感なのだろうが。
ルルの公私は最近わかるようになってきたが、他の人間は中々ない。
ハイロやリコ、モスクなどや石ころ屋の面々は、日常が仕事か仕事が日常といった感じ。オトフシやジグは公私の私はあまり見た覚えがない。
逆にスティーブンやマリーヤなどは公私の公をあまり見た覚えがない。
他にレシッドくらいか。仕事のときと余暇のときとの印象が全然違っていて、その両方をそれなりに知っているのは。
それにしても、テレーズも言い訳のように口に出したが……。
「街中だけなんでしょうか?」
「うっ」
僕はわずかな疑問を投げかける。悪意はなかったが、テレーズの方は気にはしていたらしい。
口元を緩めながら伏し目がちに目を背ける。
「……いや、身の回りはわかるし、王城内もそれなりにわかるぞ。さすがに百年以上も勤めれば、な?」
「不調法なもので、年齢などの話題は広げていいものかどうかわからないのですが……」
この前の勇者の訓練の時のことや、先ほどの喧嘩への対応で何となくテレーズの性格が読めてきた気がする。とりあえずこんな文句を挟んでおけばいいだろう、程度には。
そして思った通り、テレーズはまた口元を緩めて息を吐く。緊張をほぐすように。
「もはやあまり気にもしていないから、構わんよ」
「助かります」
僕は軽く頭を下げる素振りを見せながら、先を急ぐように視線を前に向ける。
要は彼女は真面目なのだ。仮に勇者の力があの演技の通りの実力でしかなく、聖騎士に対して為す術ないくらいでも彼女は怒らなかっただろう。真剣にやっていれば。
あの時の勇者に怒ったのは、ふざけていたわけでもないけれど、悪く言えば手を抜いていたから。
なるほど。
この前、テレーズを怒らせたことを後悔していた勇者に対して、ルルは言っていた。『謝れば許してもらえる』と。
もちろん口先だけでの謝罪では効果はないし、限度はあるだろうが……それはきっと、正しかったのだろう。
「しかし、知らない場所で迷子になるのはわからないではないのですが、そんなに王都に出ることもなかったんですか?」
百年以上王城へ勤めている。もちろん遠征などもないわけではないだろうし、この王都にいないこともあるだろう。だが、それでも百年暮らした国。歩き回ることなどなかったのだろうか。
「そうだな。何かしらの仕事がないときは訓練漬けの日々だからなぁ……。我ながらつまらないとは思うが」
「大変なお仕事ですね」
それだけ聞けば、休日がない感じだけれども。さすがにこういった休暇はあると思うので、訓練というのには自主訓練も混じっているのだろう。
「そもそも遊びなんぞ知らないし、それしか楽しみがないとも言えるからな」
ふふ、とテレーズは自嘲する。
「そんな私だからこそ、この地位にいられるのだ。大変だが苦ではない」
「そうなんですね」
片頬をつり上げたテレーズに頷きで返し、僕はふと周りを見渡す。テレーズのように迷子になっては困る。さすがに王都の、簡単な施設の位置は把握してはいるけれども。
そしてテレーズに目を戻し、先ほどの言葉に反することを思い浮かべる。
先の握手で、何となく読み取れた。肩甲骨周辺から上腕三頭筋、僧帽筋辺りの硬直。
確実に、疲れは溜まっているのだろう。緊張し、背筋を伸ばし続ける日々に。
王都には、いくつかの広場がある。
とりわけ大きな四つは、北を上にした地図を描いた場合に、王都の東西南北に点在するように置かれている。
その四つを更に東西南北で囲むように置かれている広場。その王城に一番近い小さな一つに、僕らは到着した。
王都にある広場には、それぞれ何かしらのランドマークのようなものが置かれている。大きな木だったり、彫像だったり、泉だったり。そして王城すぐ南にある広場には、太陽を模した彫像が置かれているのが特徴だった。
「げ」
その太陽の彫像の近くに立っていた男性は、テレーズを伴って現れた僕を見てたしかにそう一声上げた。
テレーズはその男性に歩み寄り、それからきょろきょろと周囲を見渡す。
「ジグか」
「お疲れ様です」
ジグが折り目正しく礼をするが、テレーズは先ほど僕にしたのと同じように、そしてこんどは口に出さずに手を軽く振る。『そういうのはいい』というサインだろう。
「クロードは?」
「それがまだ少し仕事が残っておりますので、先に店に向かっていろとのことです」
「……まったくあいつはいつもいつも」
上官ではないが上官への対応らしく、ジグはテキパキと応答する。だがその空気は一瞬で緩み、僕を見て戸惑いに眉を寄せた。
「あの、カラス殿は何故……?」
「先ほどちょうど出くわしたから、道案内を頼んだんだ。私一人では……」
テレーズは先ほどまでの顔を崩さずに応えるが、やはり恥ではあるのだろう。
「私一人では、ちょっとここまで……これなかったからな……」
また言葉を紡ぐにつれて、テレーズのテンションが段々と落ちていく。
そのテレーズの言葉に、ジグが『あー』とでもいって納得しそうな表情を浮かべたのが印象的だった。方向音痴を知っていたなら城で合流すればよかったのに。
「誰か連れてこられればよかったのに」
「今日はいけると思ったんだが」
ははー、と笑うテレーズから視線を外して、ジグが僕の方を向く。
「で、お前は」
「偶然お会いしました」
端的に応えると、ジグは溜息をつく。
「偶然、な。偶然この国でも十七名しかいない聖騎士団長に巡り会って二人目か」
「クロード殿のことを仰っているのなら、あれはクロード殿が警備担当の責任者だったからでしょう。あれは必然です」
それに、確率的にはそこまで低くはない。三千名が働いている王城に僕も勤めている以上、母集団は『この国』ではなく『王城』で括られるべきだろう。
その上、客分の使用人とはいえ、業務の質を考えれば文官よりは武官の方が接しやすい。
……いやまあ、何でこう頻繁にという嘆きは僕にもあるけれど。
「ところで、どういった集まりなんでしょう?」
「集まりではないんだ……いや、集まりなんだが……」
僕が問いかけると、ジグが言い淀む。それからちらりとテレーズを見て、さりげなくテレーズに見えないように口だけで僕へと語りかけた。
「ちょうどいい、一緒にお前も来い」
「何故です?」
思わず声に出しそうになりながらも、僕は抑える。案内するとは言ったけれども、テレーズには既に一緒に食べるのは断っている。
そもそもこの分では、多分メンバーは少人数ですらない。聖騎士三人だけ。それも団長二人。居心地が悪いにも程がある。
「団長は、〈旋風〉と〈露花〉の空いている団員数人ずつに声をかけているんだ。しかし、〈露花〉からは誰も来なかったし、〈旋風〉からは俺一人だ。その意味をわかってくれ……」
泣き言のように、ジグが渋い顔を作る。
だが正直、わからない。
僕のそんな内心を読み取ったのか、ジグが僕の肩に手を置いた。
「奢る。奢るから頼む。団長が出さなければお前の分は俺が出すから、頼む」
「そういえば、ジグだけなのか? 他は?」
「皆なかなか予定が揃わなかったようで、申し訳ありませんがうちの団からは団長と私だけです」
テレーズに呼びかけられ、ジグが振り返りながら表情を作る。その一瞬でまた真面目な顔を作れるのはとても素晴らしい技能だと思うが、そこまで取り繕う必要があるとは、階級とは面倒なものだ。
「三人か……やはり少し寂しいな」
「カラス殿も含めれば四人です」
ジグが笑みを浮かべて僕を見るが、僕はテレーズに視線を送る。さっき断ったことを思い出してほしい。
「…………」
そして自分で今思いついた軽口を心の中だけで留めておいたのを、自分で誉めてやりたい。『嫌われてるんですか?』などと。
もちろん、そうともあまり思えない。少し見て、そして話しただけだが、煙たがられることはあっても嫌われることはあまりない性格だとも思う。
だが、ジグしか来なかった、と。
なら僕も断るしかあるまい。
「私は遠慮させて……」
「やはりカラス殿も一緒にどうだ? なに、今から親しくなれば問題なかろう? いや、ジグとはもう親しい仲のようではないか?」
「知り合い程度です」
テレーズに僕が反論するよりも先に、ジグがそう応える。失礼とも思わないし、それには同意する。険悪なわけではないが、親しいわけでもない。
だが先ほどの言葉からすると、ジグとしては今のテレーズの言葉に同意しておいた方がよかったのだろう。ジグもそれに気が付いたようで、取り繕うように首を横に振った。
「いやしかし、ここまで誘われているのだぞ。行こうではないか」
「……知り合い程度の私が参加するのも」
「ええい、まどろっこしい! ジグ、店はどこだ!?」
まだ言い返そうとしたものの、テレーズが僕の手首を掴み、引っ張る。
それだけで僕の体が揺れて引きずられるように歩き出す。あまり抵抗したわけでもないが、これほど簡単に動かされるのは驚きだ。
「ちょ……」
「すぐそこの火曜亭の席を取ってあります」
「火曜亭だな。よし」
「ですが……」
なんだ、とテレーズが振り返りジグを見る。引っ張られながらも僕はそちらを見るが、ジグが表情薄く腕を出して止めようとしていた。
「その……方向が逆です」
「し、知ってたからな!」
多分嘘だろう。
だが、恥ずかしそうに反論するテレーズ。彼女が注目を集め始めていることに気づいた僕は、その手を振り払わずに仕方なくそのまま移動を始めた。
到着した店はいわゆる大衆酒場で、どう見ても聖騎士たちが使うような場所にも見えなかった。
もちろん、猥雑や貧相など、そういうところは見えない。だが同様に上品さや優雅さなど微塵も見えずに、曇った硝子窓の中で温かな光の中笑う声だけが、外部から読み取れた。
分厚い木の扉を押して開けると、その笑い声も強くなる。
まるでササメの家の店だ。もっともちらりと見た感じ、あそこより客層はおとなしいけれども。
「お待ちしてました」
「すまないが、一人増えた。団長は後から来る。構わないか?」
「了解です。とりあえず、一杯ずつお持ちします」
ジグが応えると、店員の男性も落ち着いてそう答える。その店員が振り返ろうとしたその時に、もう一つ、とジグが付け加える。なんとなく、多分自然な風に演技しながら。
「……わかってるな?」
「はい」
その言葉にも店員は、笑って応える。なんだろうか、いったい。
四角い机に銘々着席し、僕はまた改めて中を見渡す。壁は漆喰。腰壁には濃い色の木の板。……なんとなく、王城内の勇者の部屋に似ている気がする。床こそ絨毯でないし、調度品などが豪華なものでもないが、『廉価版の』とつければなんとなく同じ作りにも見えた。
「ここは……」
「ここは城の元料理人が開いた料理店でな。庶民的な店だが味はいいんだ」
僕が内装を見ていると、向かいに座ったテレーズが解説を加える。懐かしむようなその顔は、その料理人とも知り合いだったのだろうと思えるものだった。
だがジグが、ほんのわずかに咳払いをして口を開く。
「テレーズ殿。現在二代目となっております」
「そうなのか。いつの間に代替わりを?」
「もう十一年ほど前に」
そんなジグの言葉に、テレーズが「はー」と息を吐いた。つまり、その間ここに来たことはなかったのか。
「ということは、跡はあの坊やが?」
「現在坊やというには些か歳を重ねているようですが。息子が継いでいます」
「前私が見たときには、まだ皿洗いも出来ないくらいの小さな子供だったのになぁ」
「時がたつのは早い」とテレーズは小さく呟く。
何となく、以前どこかで見たような光景だ。見ただけではなく、僕の身にも多分降りかかっていたこと。
傍から見ると、こんな感じなのかと僕はテレーズとは違う意味で内心嘆息していた。
なるほど。
考えてみれば、魔法使いほど極端ではないにしろ、彼らも僕と同じように時間の流れが定命のものとは違うのだ。
ならば長い時間この王都で過ごしたとはいえ、道を覚えていないのも……それは違う話か。
そうしているうちに、店員の手によりジョッキグラスのような取っ手のついた樽が配られる。中になみなみと入っているのは、匂いからして麦の酒。それも少しだけ泡が底から立ち上がっていた。前世で言うところのビールに近いものだろう。ホップなどは使わずに、いくつかの香草で匂い付けしてあったが。
……そして多分、テレーズのものだけ匂いが少し違う。
不審に思いながらも、僕以外の二人は気づいていないらしい。おそらく先ほどの店員への言葉はこの酒の違いのことだと思うので、ジグは気づいていないと言うよりも知らないフリをしているのだろうが。
僕はジグを横目で見る。まさか、毒などを入れるわけがない。そうは思うが、何も言わないことから不信感が募っていく。テレーズも承知していることだといいけれども。
次話と合せて一話のはずだった




