看病する側
「大満足です」
髪の毛もいつもよりおおざっぱにまとめ、化粧も薄く、珍しくエプロンを着けていないサロメがそう言いつつ匙を置く。
嘘ではないらしい。まだ余韻に浸るように温かな息を吐きだし、満腹、ということを強調していた。
「それはよかった」
一緒に食事を取っていたルルが、そう笑ってスープを口に含む。葱と蛙の水席。僕が供出した薬草や、あまった薬草を配合してなお油の一滴も浮いていないそのスープは、何となく健康に良さそうだ。
さすがグスタフさんの教えてくれた技術だと思う。今朝目を覚ましたサロメは、まだ一応熱は残っているものの、関節痛やだるさなどはかなり薄いようで、起き上がり食卓まで出てこられるまでには快復していた。
本当は寝床でそのまま食べられればいいと思うのだが、ベッドテーブルなどそういう設備がない以上ここまで出てこなければいけないというのもなんとなく残念だ。いやまあ、王城には多分そういう設備があるのだが、頼らないことを選んだのも僕たちなのでそれ以上言えないけれども。
しかし、ルルの腕前はやはり相当だ。
先ほど余った分をほんの一口味見させてもらったが、馬肉粥は古米や苦みがある薬草を使っているというハンデを背負いながらも味わい深く、『滋味に溢れた』という枕詞がつくようなものだった。
ややえぐみがあるはずの薬草と魚の冷菜は、火を通せばどうしても固くなるはずの魚肉がまったく口の中に残らないように柔らかく、爽やかな味も相俟って喉の痛みがあっても飲み込みやすくなっていた。
それに余った生薬を使い、もう一皿ミニオムレツのようなものを付け加えてもくれた。
薬の知識では負けないと自負していても、ルルがいなければ作れない薬膳。
サロメの食欲のなさなどは杞憂だったようで、少量ずつのそれら計四品の皿を次々に平らげていた。よかった。
僕も頂きたいくらいだけれども……。残念だが僕の朝食は勘定されていない。頼めば作ってもらえそうだが、そこまでは求められないだろう。
後はサロメに少し休んでもらって、僕が作った薬湯を飲んでもらう。先ほどの蛙から蟾酥も採取してあるし、その他の虫などの選薬、乾燥や洗浄も魔法で済ませてある。こちらの調合は今から取りかかるが、まああまり手間はかかるまい。
僕はその手順を頭の中で確認しながら、サロメに昨日薬湯を飲ませたときの彼女の顔を思い出す。
……味は、知らない。
ルルたちの朝食も終わり、後片付けを誰にするかでも少しだけ揉めた。
「ほ、本当にそこまでお任せするわけには……」
「いいので、病人はどうぞお休みください」
食器や調理器具は僕が洗う、と思い片付けようとしたところ、『もう大丈夫だから』とサロメがまた手を上げた。そしてその勢いで、ルルも自分がやると言いだし、サロメがそれを止めるといった次第だ。
そこまでルルにやらせるのは僕もどうかと思う。サロメはまあ休んでもらうとして、この場にいる中では、警護も必要ない今僕が洗うのが順当だし、そうでなければ朝食から戻ってきた下男か下女の仕事だろう。料理とは違い、誰にでも出来る水仕事。決して、ルルに回る類いの仕事ではない。……今は休憩中のオトフシは、いてもいなくてもまったくその議題に乗らないのが少しだけ癪だけど。
そして結局、下男下女を待つまでもなく、僕は薬湯作りの手間を考えて、とルルが皿洗いを強行した。そこまでしなくてもいいのに。
竈の前に立つ僕の隣で、じゃぶじゃぶと、ルルが水桶で適当に食器を濯ぎ、絞った布で拭う。まだ油汚れの残る皿たちを一旦台の上に重ね、水を捨ててまた張っていた。
「これで、あとはまたお昼ご飯を作る感じですか?」
「基本的にはその予定です。後は薬湯をもう一度飲んでもらって、出来れば眠剤も交えてゆっくり夕方くらいまで寝ていただければ、それなりに快復はしているかと」
間違いなく快復している、と断言出来ないのが治療師と違う僕たちの弱点だ。薬も飲ませて、氷枕などの快適な環境を整えて、と手は出せるが、あとは結局は本人次第なのだから。
ルルはこちらに目を向けずに、ぽつりと呟く。
「……今そんなに寝ちゃうと、今夜寝れなくなっちゃいそうですけど」
「風邪に対しては、眠るのが一番の薬ですから。その分の眠り薬も用意しておきます」
それはまた後で作ろう。
僕は鍋を揺すり、小さな蟻の腹だけを油で炒めるように熱する。この蟻は基本的には黒いのだが、腹の部分だけ白くなっている。その腹には、油脂で活性化する消化促進作用がある。ちなみに今回どうでもいいが、虫除けの作用も。
「なんか、料理しているみたい」
くす、とルルが笑いながら僕を見る。僕はそれを受けて自分の姿を顧みるが、たしかにそうかもしれない。
ふいごは使っていないが、竈の中から立ち上る火で鍋を炙り、油が弾ける音がする。まるでご飯でも炒めているようなもの。ちょうど、米のように白い虫の腹だし。
「似たようなものですからね。火と油を使って、薬効を受け取りやすくするというか」
料理もそうだろう。火を通す目的としては、味を良くしたり、体に吸収しやすくしたり、性状を変えるというものがある。その目的が薬効か、食味かという違いだけだ。
火が通ったと判断した僕は、その鍋を傾けて竹の容器に虫の粒を流し込む。
あとは余計な油を分離させるため、塩水に浸してから乾燥させる必要がある。竹筒の中には、既に塩水は作ってある。
「いやでも、さっきのルル様の手際からすると、料理といわれるのは少々面映ゆいです」
手元から、塩水と熱された油が混ざり弾ける音がする。だが少しだけ待てば、ブツブツという音が徐々に静まっていった。
それから虫の部分をこぼさないようにしながら油混じりの塩水だけを排水溝に流し込むと、竹筒の中からまだ湯気が立つ。水気を飛ばさないと。
「あれと比べると、こんなのただ火で虫を炙ってるだけ、ですし……」
僕は言い淀むように言葉に詰まる。
炒られている虫には悪いが、そういうことだろう。
料理は手順通りにやれば誰でもそこそこ美味しいものが出来る、とは思うが、それでもやはり個々人による手際の違いが出る。
先ほどルルが作った馬肉粥を僕が同じ手順で作っても、おそらく出来上がるのは『馬肉入りの粥状に炊かれた米』だ。
今回のこの虫は味はどうでもいいのだけれども、それでもルルが美味しくしようと思えば出来るのだろう。先ほど、食味的には大分質の悪い食材たちを使って、絶品の薬膳を作り上げた彼女ならば。
しかしそんな彼女は。
「随分と練習なさったんでしょうか?」
「練習……? ですか?」
食堂の娘だった頃。手伝っていたとは聞いたが、手伝いだけではそうそう料理は上達しまい。初めから上手く出来る異能もいないわけではないだろうが、大抵は。
「んー」と呟きながらルルは、先ほど水洗いした食器に、今度は細かくした藁灰をまぶしてから磨くように拭いていく。その手元を見つめる目はそこに焦点が合っておらず、懐かしい日を思い出すようにしているのだと僕は思った。
「練習っていっていいんでしょうか。お母さんには、よく教えてもらっていました」
拭いた食器を、じゃぶ、と水に沈めると、水が濁って食器がまた元の色を見せる。それを拭いてから重ねるように並べていった。
「切り方が下手くそだったり、焼き加減がおかしいと怒られるんです。『こんなに不味くして!』って」
瞼に浮かんでいるのは、叱られているというか、言い方的には怒鳴られている光景だろう。しかし何故だろう。その顔が、楽しげに綻んでいるのは。
「お母さんはよく言ってました。料理というのは、美味しくなければいけないって」
「なるほど?」
僕は拍子を取るように相槌を打つ。
美味しい料理を作れるのが理想。料理は美味しくなければいけない。そういう思想だったら僕も諸手を上げて賛成するけれど。しかし、何となくニュアンスが違う気がする。
ルルは、まだ汚れている皿に手をかけて、また藁灰を匙でかけた。
「『切ることにどういう意味があるのか、火を通せば食べ物がどう変わるのか、ちゃんと考えながらやりなさい。手をかければかけただけ、美味しくなるように心がけなさい。手をかけて不味くするのは、料理ではなくただの悪ふざけだ』って」
灰が食器についた水を吸ってどす黒く変わる。水につけてから拭った食器が、その水の色とは対照的に白さを取り戻していた。
「生でそのまま食べて美味しいなら、生で食べればいいんです。だから、切ったり煮たり焼いたりするなら、その分食べやすくなったり美味しくなければ意味がないって……言ってました」
拭き上げられ、綺麗になった食器がそっと重ねられる。二人分の食器と調理器具。やはりルルの料理の後は、洗い物がそもそも少ないと思う。
残り二枚の皿。まだ汚れているけれど。
「……何ででしょう」
ルルの表情が曇る。楽しげに話していたのに、急に。
「先日、ディアーヌ様に言われたことが、何となく被って聞こえるんです」
灰混じりの汚れた水に手を差し入れて、ルルの手の動きが鈍る。それでも恐る恐るというような手つきで、ゆっくりとまた皿を手に取ろうとしていたが。
「さっき、カラス様が持ってきた食材を見て、正直、『これを?』と思いましたけど、……きちんと一つ一つに意味があったんですよね」
「薬としては」
戸惑いながらの僕の補足に、ルルが頷く。ようやく手に取った皿に藁灰をかける手には、まだ力が入っていなかった。
「随分と、……勉強したんですか?」
言い返すように、口元で笑みを作ってルルがこちらを見る。少しだけ空元気を出すように。
僕はどう返していいか悩みながらも、ルルが先ほどの僕の言葉に重ねたことに気が付き、対応する言葉を探して一瞬視線を外した。
それにこれは多分、気晴らしだ。先ほど言いかけたことを思い悩むルルの。それに何か口添えをしたくても、出来ない自分がもどかしい。ならば、代わりだけでもするしかあるまい。
「まあ、勉強しましたね。グスタフさん……先生に生薬とかその材料を見せられて、採取法や選薬法なんかを聞いて実際に作ってみて、評価を受けて作り直して、味を覚えて……」
その上、今度は僕が懐かしむ番らしい。けれども、そうしてばかりもいられない。手元には、今まさに調合中の薬もあるのだ。命に関わる可能性もあるものが。
計量などにも神経を尖らせている僕を気にせず、ルルは驚いたように小さく声を上げた。
「味?」
「……味ですね。薬草や毒草を食べて、味を覚えました」
「毒もですか!?」
「毒もです。その先生も、実際にやって覚えたとかで」
僕が毒や薬の効かない魔法使いだからそうしたということではない。
それがグスタフさんの流派の開祖から伝わる特徴でもあるらしい。
数々の生薬や薬品の味を、自分の舌で覚え、その効果も体感する。もちろん薬効や毒効が命に関わらないレベルの少量で試すのだが、稀に命の危険を覚えるほどの苦痛も味わったそうだし、実際障害や死亡でリタイアする同輩もいたという。
そしてそういう話であれば、さらに。
「私は受けてないというか、魔法使いなので意識しなければ同じ経験が出来ないのでやらなかったんですが、印可を与える試練が壮絶らしいです」
「……それは、どんな」
「数刻後に死に至る毒薬を含んで、その味や身体症状から飲まされた毒を特定して、自分で解毒薬を作るという」
即死する類いでないのは救いだろうか。
いやまあ、そういう免許を与える試練というのは理不尽なものが多いと思うが、これもなかなか理不尽だと思う。
身体症状からと言っていたが、グスタフさんの場合は強烈な腹痛と吐血、手の震えの中で薬の材料の採取から作成までさせられたというのだから。
「……なんというか、想像のつかない世界ですね」
はー、とルルが息を吐く。
「武術などは修行中、命の危険があることもあると聞きますけど……。人を傷つける側じゃなくて、治す側でも……」
「それはまあ、その先生の流派が特別だったということもあるそうですけどね」
むしろ通常はそこまでやらない。やらずとも覚えられるのだ、ならばそうせず、時間をかけて僕のように一つ一つ覚えていけばいい。
「多分、通過儀礼のようなものなんでしょう。そうした試練を乗り越えた後なら、自信もつきますから」
なんといっても、致死の危険から誰かを救ったという実績が出来る。その『誰か』が『自分』というのが凄まじいところだけれど、それでも大抵の場合、大抵のものは一度目よりは二度目のほうが簡単だ。
先ほどの一瞬曇った顔も消え、「そうですか」とルルがまとめる。それから、顔を綻ばせて残り一枚の皿を手に取った。
「サロメも運が良いなぁ」
「何がです?」
「カラス様のような薬師がついてくれているんですから。……病気というだけでも運も悪いし、私のせいで治療師にそもそも頼れないということもあるのであまり喜べないんですけど」
ザブザブと、どす黒く染まった水面が揺れる。その水面から、ちらちらと白い手が見えた。
「この前、あまりよく知らない方々のお茶会に混じったときも言われたんです。カノン様と、……私だけずるいと」
「……そんな話を」
いくつかの薬草を磨り潰した後、魔法で乾燥させた先ほどの蟻の腹を砕く。油を含んで湿っている上でも、カサカサという音と感触がした。
「引き合わせてくれとも言われましたけど、それ以外の目的もありそうなので、お断り……」
「…………」
ルルの言葉が止まる。何事かと僕がそちらを見るが、いつのまにか得意げに微笑んでいたその笑みを固めたまま、言葉を続けることもなく手も止めていた。
「それ以外? ですか?」
僕はその言葉の続きを促す。だが、ルルは黙ったまま、シャカシャカと手を動かして皿を片付ける。
急ぎ置かれたその皿でも、滴が残っていない丁寧さなのは頭が下がる。
「そ、それよりも、昼はどうすれば? 先ほど余った食材で作るんですよね!」
笑みが嘘だ。それは僕にもわかる。だがその裏には、黙っていて欲しいという懇願も感じる。
ならば乗ろう。
「……はい。先ほどの薬膳は解熱や鎮痛などの薬効を重視しましたが、今度は滋養に重点を置きます」
炊事場の隅に置かれた、残った食材へと視線を飛ばす。氷などを配置して鮮度を保つ工夫も行っているが、まあ今日は涼しいしあまり必要ない配慮だったかもしれない。
「更に、朝知らず茸……眠り薬に似たやや弱い薬効を持つ茸も採取してきてあるので、それを薬湯に混ぜて二回に分けて服用してもらいます。先ほども説明しましたが、今夜か明日の朝には元気になっているかと」
サロメの風邪の原因は、大量の病原菌への曝露というよりは疲労による抵抗力の低下だ。この機会に疲れも取ってもらおう。
……しかしやはり、その疲労はこの無理矢理作られた村の構造もあるのではないだろうか。交代要員の少ない使用人たち。私的空間の少ない作り。まあそれはどうにも出来まい。
そして今気づいたが。
「わかりました」
ルルが静かに元気に応える。随分と、楽しげに。
「……何というか、楽しげですね」
「そうですか?」
不謹慎、と言ってもいいと思う。別にサロメの不調を喜んでいるわけでもないので、僕としては批判する気もないけれども、サロメが見て気を悪くしてもまあ僕は不思議には思わない。
また、「んー」とルルは悩む。そして、布で手を拭ってその布を炊事場の隅に干した。
「……サロメには悪いんですけれど、楽しいかもしれません。こういうことが出来るとは思っていませんでしたから」
「看病でしょうか」
「そうですね。昔、お母さんがやってくれたことを……」
羊の胃を使った氷枕の中に、僕が作った氷を流し込んで口を何重にも縛る。サロメの使っているものは、もう温まってしまっているだろうか。
「昔、私が風邪を引いたときに、……いえ、こんな氷枕なんてなかったんですけど、美味しいお粥を作ってくれて、毛布を一枚増やしてくれて、夜は寝台の隣で寝ててくれたんです」
ガラガラと氷がぶつかる音がする。布でぐるぐると巻いて、平たく伸ばして調整していた。
「いつか私もそういうふうになれるかな、なんて思っていたんですけど、でも結局出来ないんだなぁって諦めてしまっていて。真似事でも、今そういうことが出来ているって、何というか、多分嬉しいんですよね。サロメには悪いんですけど」
「そうなんですね」
片手間に聞いているわけではないが、僕は手元に目を戻す。
それから、ガマの油を小麦粉と混ぜ、乾燥させた粉を舐める。痺れるような刺激に、ほんのわずかに甘い。
「でも、……なら、サロメさんにそういうことを伝えて励ましてあげたほうがいいと思います。本人、随分と気にしていましたから」
ルルがいないときに、申し訳ない、と何度もうわごとのように呟いていた。僕にすら伝える気もなかったのだろうが、本人は体を壊したことを気にしているのだろう。
むしろこういうことは、僕からそれとなく伝えたほうがいいのだろうか。世間話は苦手だし、それも逆効果になりそうだけれども。
だが、ルルは笑いながら首を横に振った。
「……恥ずかしいですし、サロメに言っても信じてもらえないと思います」
「そういうものでしょうか」
まあ、あのサロメの様子では、そういう話すらも恐縮して受け取りそうというのもわかる。
その辺は、任せるより他はあるまい。
「ではまた昼前になったら食事の準備にかかりますね」
「お願いします」
僕も薬湯の準備を急ぐ。サロメが普段作るものとは違い、常飲は出来ない類いの下品。
薬膳も簡単なものであれば何とかできなくもないかもしれないが、これに関しては僕にしか出来ないことだ。
だから、これは僕がやる。だから、薬膳はルルに任せたい。
氷枕を替えに行ったルルの後ろ姿を見送り、僕は調合を間違えないように生薬を練り混ぜていく。
そしてそれから絶品の昼食を口にした後、反省を込めて味の調整もした薬湯を飲んだサロメは倒れるように眠り、夕方まで目を覚まさなかった。
食べてばかりだと思うが、今の彼女の仕事は食べることと寝ることなので仕方ないし、本人にも諦めてもらいたい。
ルル特製の夜食を食べて、最後の薬湯を飲み干したサロメの顔は、とても清々しいものだったと思う。
看病する編は大した変事なく終了
サロメ「私の出番は!?」